はてなキーワード: 脱線とは
どこに書こうか迷ったが、長文だしnoteのアカウントもないからここに書き捨てることにする。
去年の夏に話題になったアザラシ幼稚園(Zeehondencentrum Pieterburen)の一番大きなプールのライブのチャット欄が、揉めている。
日本ではアザラシ幼稚園と可愛らしい愛称で呼ばれてはいるが、Zeehondencentrum Pieterburenは弱ったアザラシの保護施設である。
ライブでは、怪我や病気になって保護された後、回復してきたアザラシのプールの様子を流している。
何がトラブルになっているかというと、チャット欄での馴れ合いだ。
これは当然のことだが、ライブのチャット欄はそのライブの内容に関係あることを話す場である。
長く居着いていわゆる常連となった人達が、ライブのチャット欄で自分達の世間話に花を咲かせるようになったのだ。
そして、それを注意されてもやめない。
それどころか逆に注意してきた人々をやりこめてしまう。
そんな状況が既に何ヶ月も続いている。
これまでに何人もその世間話についてやめるよう注意してきた。
しかし最終的にはあまりに話が通じない集団のため、注意する側が疲弊して終わる。
アザラシの様子を見に来たのに、チャット欄では見知らぬ誰かの世間話が垂れ流しな上、時に諍いも発生する。
早々に嫌になって、世間話をする常連達をブロックしたり、そもそもチャット欄をオフにして視聴している人は多い。
世間話の内容の一例はこんな感じだ。
・〇〇に行ってきます
・(↑を受けて)いってらっしゃい
完全な井戸端会議だ。
ネットリテラシーなんてどこ吹く風、プライベートな内容が大公開だ。
ちなみに、おはよう等の挨拶があるが、これはアザラシに対してではない。
アザラシ相手の独り言なら返事をされることもすることもないが、〇〇さんおはよう等と常連同士で挨拶を返し合っているからだ。
・脱線は仕方ない
・嫌ならチャット欄を見なければいい
・注意されたことに傷付く
・(↑を受けて)注意して傷付けるなんてひどい
・注意してきた人を揶揄する
関係ない話はNGかもしれないが、その基準は人それぞれであり、自分達の基準はゆるいだけ。
挨拶だって単なるおはようではなく「おはようワッデン」というふうに地名を絡めているからアザラシと関係がある。
無関係な雑談をするなというのは、自分ルールの押し付けである。
こんな具合だ。
暇つぶしにさっき挙げた常連達の主張についてひとつずつ考えてみる。
まず、脱線は仕方がないという主張について。
四六時中アザラシの話題があるわけではないから、違う話題になることは自然だというらしい。
プールにアザラシがいない状況はあるし、アザラシのオタクでも専門家でもないから話題が尽きるのは道理。
だからといって、テレビ番組等の話題になるのは仕方がないかといえばそんなわけはない。
話題がないなら静かにしていればよくて、常にチャットを続ける必要などない。
上から2番目、雑談しても良いという発言については、字面通り受け取れば雑談しても良いことになる。
しかしそれは、アザラシやこのアザラシ保護施設に関係する雑談についてという前提のもとに発言されているはずだ。
なぜなら、該当のライブはオランダのアザラシ保護施設に保護されているアザラシのライブだからだ。
なお、それに加えて、その発言よりも前に別のボランティアから、アザラシに関わる話をするようにという発言があったことがXで指摘されている。
挨拶については上で書いたが、現実では挨拶はされたら返すのが普通の対応である。
ライブの配信者に向けた挨拶はあれど、同じ視聴者に向けた挨拶は一般的ではない。
常連の一人と思われるXのアカウントでは、挨拶はアザラシに向けての発言なのだという旨の主張があった。しかしその後に、チャット欄で挨拶をした人物に挨拶を返していた。
ということは、彼あるいは彼女は、プールにいるアザラシ本人(本アザラシ?)でなければ矛盾している。
嫌なら見なければいい、ブロックすればいいという主張は一見それっぽく思えるかもしれない。
実際、そうして離れていった人々は多い。
しかし該当のチャット欄がアザラシが主役である以上、他の話題で盛り上がっているほうが部外者であって場を移すべきなのだ。
自分達のことが嫌なら見るな、ブロックしろという主張すること自体がおかしい。
傷付いた、傷付けるなんてひどい。
関係ない雑談はここでせず、やるなら他でやるようにと言われて、一体どう傷付いて何がひどいのだろうか?
当たり前のことである。
揶揄したり、自治厨だとか風紀委員だとか言って厄介者にすることについて。
別のものに例えて悪口を言ったり、スラングで呼んでみたり、まるで覚えたての中高生のような振る舞いだ。
筆者はそれよりもずっと年下であるが、この子供のような振る舞いは見ていられない。
あれこれ言われて煩わしくなったのか、常連達は一時Xに移動した。
しかし1日も経たずに戻った。
よその国の動物保護施設のチャットに居着いて、世間話を繰り広げる厚顔無恥な日本人。
筆者は、このような振る舞いを続ける人達を大変恥ずかしく思う。
このような醜態を晒し続けるくらいなら、いっそチャットは閉鎖されてほしい。
他にも常連のなかには、チャットが目当てでアザラシはどうでもいいとか、到底保護施設のチャット欄ですべきでない悪趣味な内容を発言する者もいるという。
常識的な振る舞いを切に願う。
今は少し話題になったためか、昨日と今日の夜の少しの時間は常連でない人々がいつもより参加している気がする。
これはほんの僅かな時間かもしれない。
ここ数日、中国国内で議論の的となっている話題といえば、またしても年金のことだ。私もいくつかの論考に目を通した。発端は、あるメディアが2024年の年金支給停止者数を試算したこと。なんと、その数は約3000万人にのぼるという。なぜ年金の話になるかといえば、多くの地域で医療保険だけを個別に支払うことができるようになったからだ。
失職者やフリーランスの間では、医療費のために月数百元の保険料を払うことには耐えられても、月に数千元もの年金保険料まで払う余裕はないという声が多い。現下の経済状況では目の前の生活に手一杯で、将来の老後の備えどころではない、というわけだ。また、30年後にその支払った金額がどうなるか、あるいは本当に受け取れるのかという疑念も広がっている。
実際、2019年の時点で社科院(社会科学院)は年金基金が2035年までに枯渇するとの試算を発表した。年金制度には南方の高収入省から北方の低所得省に基金を移す「南金北調」という仕組みがある。2021年以前までは、東北三省への転送支払い額が公開されていたが、その後は数字が伏せられ、ただ「徴収額」としてのみ公開されるようになった。おそらく世論からの批判を避けるためだろう。
また、年金制度そのものが二重構造の問題を抱えている。一つ目は収入面での二重構造だ。労働者が支払う保険料だけでは到底賄いきれず、実際には多額の財政補助に依存している。二つ目は支給面での二重構造で、公務員と一般労働者との間で支給額に大きな差がある。この二重構造は、全ての国民に平等な恩恵を与えることを阻んでいる。
経済が好調だった頃、人々は物語の主役であるかのような気分で、「時代の恩恵を享受できる」と信じていた。しかし、ここ数年の経済停滞と共に、自らの生活が下降していく現実を突きつけられ、ようやく気づいたのだ――自分は物語の主役ではなく、時代の片隅にいるNPC(ノンプレイヤーキャラクター)なのだと。
社科院が2035年の年金基金枯渇を予測した当時、年金支給額の増加率や人口の高齢化は織り込まれていたが、誰も予測できなかったことがある。それは、パンデミックによる社会変動や、急増する失業率、そして経済成長の失速だ。一方で収入が急減し、他方では年金支給額が毎年増加している。先月発表された公告では、「今年も年金支給額を適度に引き上げる」とのこと。この加速は、年金基金の枯渇をさらに早めることになるだろう。
少し脱線するが、企業と個人の支払い分で成り立つ年金基金制度は、2014年から規制の見直しが始まった。企業が五大保険(年金、医療、失業、労災、生育)を適正に支払っているか厳格に調査され、支払い漏れが防止されてきた。しかし、ここ数年でどれだけの企業が倒産しただろうか。たとえば、ある統計によれば、2024年上半期に廃業や営業許可証を返上した飲食業の企業は100万社以上にのぼる。これは一つの業界に過ぎず、全業種を合わせたらいったいどれほどの数になるのか。
社会が正常に機能するためには、「幼い者には教育を」「働き盛りの者には働き口を」「老いた者には養老を」という基盤が欠かせない。現在、中国においては養老の問題が危機の兆しを見せている。
昨今の毒親というワードに引っ張られて、最近ずっと自分の幼少期のことを考えてた。
考えた末に増田は自分の母親が毒親じゃないと結論づけたけど、もしかしたらこれは結果論かもしれない。
ここからは自分語りで申し訳ないが、増田は母子家庭の三兄弟育ち。
厳密に言うと幼稚園生の頃に母親が増田たちを連れてほぼ夜逃げみたいに家を出て、離婚が成立したのは小学校5年生くらいの時(たぶん)
極貧生活だったので別居当初は煎餅布団を2セット敷いて4人で寝てたし、テーブルもなくて衣装ケースでご飯を食べてた。
毒親の話に戻るけど、毒親について調べた時、厳密な定義がなかなか出てこなくてエピソードトークが多かったため、それを読んだ当時の増田はもしかしてうちって毒親だったかも?と思った。
具体的には
・親に殴られる
・お小遣いなどない
・進路についても高校はこのレベル以上じゃないとダメという指定があった
などなど
でも増田は自分の母親が毒親と思いたくなかったので、大人になった今の時点で一つづつ紐解いてみた。
冒頭でも話した通り増田の家は極貧だったので母はダブルワーク。
朝起きて顔を合わせて子供を学校に送り出したら、すぐに仕事に行って昼過ぎに帰ってきて、2時間ほど仮眠を取ったら子供の夕飯を作って、夕方には仕事に行って深夜1時過ぎに帰ってくる生活。
そんな中で、増田家の生活を回すためには子供も労働力としてみないと多分回らなかったと思う。
だから、洗濯掃除皿洗いなど基本的な家事は小学校を上がった時点で兄弟で分担だったし、末っ子の保育園/幼稚園の送り迎えは増田と長子でやってた。
ありがたいことに幼稚園は小学校と併設、保育園はマンションの敷地内にあった。
マンションの敷地から出てはいけないって言うのは、敷地の中に保育園もあって公園もあったので、ある意味監視の目が行き届いてたからだと思う(増田の住んでた地域は治安も悪かった)
門限は時間を過ぎると母が仕事に行く時間になって顔を合わせるチャンスがなくなること、その後は連絡が取れない時間が長いから安全のため(たぶん)
小さい時は何となく家が大変なのは分かるけど、何でこんなルールに縛られないといけないんだと思ってた。
けど、小学校入学直前の増田と小学生の増田長子、そして乳幼児の増田末っ子と増田母の4人の生活はたぶん凄く大変だったと思う。
うちは三兄弟全員、アクティブな人間だったので成長するにつれて取っ組み合いの喧嘩が絶えない家庭だった。喧嘩両成敗で増田母に殴られることも多々あったし、怒られて殴られることもあった(理由は覚えてない)
言葉遣いとか食事のルールが厳しかった理由については憶測でしかないけど、片親家庭で育ってるのでとにかく足りないことがないようにだと思う。
両親が離婚した理由にモラハラと価値観の違いがあるんだけど、結婚当時、父は障碍のある方、ホームレス、片親家庭に偏見を持ってて、表立って言わないけどそう言ったいわゆる弱者を下に見る人間だったらしいので、そんなことも踏まえて、とにかく社会に出た時に恥をかかないように、育ちで馬鹿にされないようにってことだと考えてる。(でも、家族内で年上の人に対しては兄弟だろうが敬語で話さないといけないのは今でも少し変な気がする)
結婚して分かったけど、子どもを育てるって想像以上にお金がかかる。
うちは本当にお金がなかったので、「申し訳ないけど大学は全員、国公立で家から通える距離、奨学金じゃないと行かせられない。そのためにはいい高校に入らないといけないし、制服を何着も買えないから全員同じ高校に通ってもらう」と言われた。
結果として増田は長子より頭が良くなかったので同じ高校に通えなかったし、末っ子は家のことと将来を考えて技術系の高校に進学してそのまま就職したけど、成績や学力、進学先に厳しかったのはこういう理由なんだろうなと思う。
これは脱線だけど、増田は就職して始めてもらった源泉徴収にすごくびっくりした。
だって大卒1年目の給料が増田が高校生の時の母の給料より全然高かったから。
奨学金じゃないと大学に行けないので、高校卒業前に奨学金の申し込みをするんだけどその時に親の源泉徴収票が必要になる。
その時の増田は非常に世間知らずだったので、親の源泉徴収票を見て、大人になったらこんなにお金あるんだ〜、これって第一種奨学金通るかな。通らなかったらどうしよう。って考えてたけど、今考えたら、通らないわけないし、逆にどうやって子供3人も育ててたんだ。
具体的な金額を言うと、181万円。
国民民主党が掲げる103万の壁撤廃の178万円とあんまり変わらん!
物価高が苦しかったり、老後のこととか子供の教育費とか考えて、不安になることもあるけど、増田母の苦労に比べたら屁でもないし、そんな中で子ども3人も育てたらそりゃ少しはヒステリックになったりするわ。
こうして長々と書いたけど、年末年始に久しぶりに母親に会った時に増田は謝罪された。
「子どもの時に好きなこともさせてあげられないし、お金もなくてたくさん苦労をかけて申し訳なかった。今は子どもたちがみんな結婚もして、孫も連れて来てくれて本当に嬉しい」
母親は本当は語学力を活かして海外で仕事がしたかったらしいけど、それもできない状況だったので増田が海外を拠点に仕事をしてることを話したら「私ができなかったことを子どもが叶えてくれて嬉しい」とも言ってくれた。
増田は母のことがとても大事なので、正常性バイアスがかかって、自分の母親が毒親じゃないって思いたがってるのかもしれない。
それでも、結果論だけど増田の母が自他の境界線がはっきりしてたことで、兄弟たちが健全に育って母親を毒親にしなくて済んだんじゃないかな。と思った。
今、2歳の子どもを育ててるけど増田は母のような人間になれるか不安だし、子どもが人様に迷惑をかけない大人にならないかもすごく不安。
というありきたりな結論です。
ただ、具体的にマッチングアプリの何が難しいのか?を詳細に記載したものは(私の知る限り)あまり無いと思いますし、
人によって難しいと思う観点も違うと思うので、
ご助言やコメント(批判でも)をいただけたらとても嬉しいです🙇
※以下、長文です!
生涯を共に過ごすパートナーを見つけたいと思い、マッチングアプリを半年前に始めました
※男性です
ただ、現状うまくいっていません
気が合うかな?と思って
何度か付き合っては別れ...を繰り返しています
現在、この活動(?)を継続してパートナーを見つけることが自分のさらなる幸福に繋がるのかもわからなくなってきました
一人でも割と楽しいし、定期的に友人と遊んでいればそれで良いのでは?と思ってきました
今後どうするかは明確には決めていませんが、
少なくともアプリで気の合う彼女を作るというのはなかなかに大変だと考えた理由を書きます
※以下、世間一般の女性を軽視する/カテゴライズする意図は一切ありません
特定の趣味を持つ男性、かつ特定の行動を取る男性に彼女ができやすく、
そう感じた理由を、以下2点に分けて書く
アプリで自分が出会った女性の好きなものはほとんどが下記で構成されていた(出現頻度順)
※一般的に「女性はこうだ!」とカテゴライズしたり蔑視する意図はなく、
①カフェ巡り
③旅行
(観光スポット目当てではなく、ご飯目当てで旅行する女性が多い)
⑥ネトフリで見れるドラマ
多少変化はあれど、だいたい似たようなもので構成されているのだ
恋愛を意識しているので、アプリの男性の趣味も同じように分散が小さいのだろう。
あと、実はニッチな趣味があっても、男性に引かれないように無難な趣味を書いている可能性もある。)
脱線したけど、要は
(あるいはどんな話題でも広げられる聞き上手男であれば問題ないが...)
その辺の話をするようにしていた
なお、たまたま自分の本当の趣味と会う人を見つけたことは何度かあるものの、
あと、好きな趣味が共通してても、具体的な好きな部分が共通しているとは限らない
例えば旅行といっても、ご飯メインか観光メインかで旅行の楽しみ方はだいぶ変わってくる
(お相手が何について話すのが好きなのかを早めに見極める必要がある)
要は何が言いたいかと言うと、
「自分の本当に好きなもの」が一致して、お互いに尊敬し合えるような女性をアプリで見つけて、
さらに付き合うまで行くってのはめちゃくちゃ難しい
(努力に加え運や縁の要素も相当強そう)
自分が何度かお付き合いした後も長続きしていない理由が恐らくここにある。
とにかく、非モテ(自分含む)にとってのデートは想像よりも大変なのだ。
というか、無難なデートを難なくこなせるのであればそもそも苦労していないのである
テンションを上げると幻滅されるし、
かと言ってひたすらローテンションでも「おもんないやつ」と思われて終わる。
まともな男なら大体誰でもできる「落ち着いて笑顔」が、自分みたいな人間にはすごく大変なのだ
これは順路だけでの話ではない。
女性が楽しめるために色々と考えるべきことがある
✔︎ベストな季節か
✔︎見どころは?➡︎インスタなどの写真をチェック
✔︎何時に開いて何時に閉まるか
✔︎どこで食事をとるか(お店の予約可否は?)
✔︎お手洗いはどこか
✔︎寒ければ/暑ければどのお店に入って休憩するか...
※ごく稀にあっちから提案をしてくれる貴重な女性もいるが、アプリの女性の大半は受身である
(ただ、それが悪いと言っているわけではなく、そういうものなのだ)
ガッツリ食べれて美味しい店よりは、
(もちろん男性が予約しておく)
髪型、眉毛や鼻毛などの毛関係、デンタルフロスとブレスケア、服の匂い、小綺麗でシンプルな服装
上記はどれも健常者にとっては至って当たり前のことなんだろうけど、
せっかくお付き合いできたとしても、
デート疲れにより途中でデートに行く気力が無くなってしまうのだ...
恥ずかしながら、これが付き合った後も結局うまくいかない理由である
他の男性または女性でも、アプリでこういう経験したことって多いんじゃないだろうか?
むしろ自分のように色々頑張っても結局幸福になれなかった(幸福よりもしんどさが勝る)人間も多い。
思うに、「彼女ができない」≒「彼女ができても幸せになれない」
なのではないか
(逆に、彼女がすぐできる人は、付き合った後も幸せになりやすいんじゃないだろうか)
結局、めちゃくちゃ頑張らないと彼女(または彼氏)ができない人間は、
「その女性が自分に合った女性か、自分がその女性のことを心からリスペクトできるか」は当然ながら全然別問題であり、運や縁の要素が絡んでくる。
自分のような恋愛経験に乏しい人間には3回のデートをしたくらいではわからないので、
結局付き合った後にどちらかが我慢の限界を迎えて別れることになる
(むしろ作らない方が?)
十分幸福に生きていくことができる。
だから、アプリで苦労して彼女を作って幸せになろうとしている場合、その試みが実る可能性は低いと思うし、
よく言われるが、女性と付き合うことはトロフィーの獲得ではない。
付き合った後に、長期的にお互いが尊敬し合えて、かつお互いのことに興味が持てる関係を継続する、というのは本当に難しい
(というか自分はまだそれができていない)
よくネットで見かける
という意見は、
あなたにとっては何の意味もないただの雑草である可能性を考慮する必要がある
もしそれでもパートナーを探したいなら、
以上、長文かつ乱文だったと思いますが
読んでいただけた方、本当に嬉しいです😭
批判でもなんでも思ったことをコメントいただけましたら助かります🙇
以上です
(以下、補足)
一応書いておきます
・20代後半、男
・顔:ふつう
・身長:172cm
・大卒
・年収:約700万
アプリよりは良さそうかな?
あと、別れたら噂になりそう...
アプリの女性と同じような母集団だとしたら結局変わらないのでは?と思うが、
実際のところはどうなのだろう...
たくさんブコメしていただいて本当にみなさんありがとうございます😭
そもそも恋愛苦手なんだから、数回会っただけで相手のこと好きにならんのよな。言いたいことはすごくわかるんだけど、若いうちに頑張ってた方がいいぞ。難易度が爆上がりするんだ、マジで後悔してる。
本当にそうなんですよね..!
数回会っただけじゃそれほど「好き!」にはならないし、
かといって男性余りの環境上ではお付き合いしないと関係がフェードアウトしてしまうんですよね泣
でも今のうちに頑張ります!
マッチングアプリをする女性しかいないので、「マッチングアプリとかに興味なさそうな女性」が好みのタイプだったりすると不向きだよね
たしかに...元気はつらつ!みたいな女性は全然いない印象だし、
基本的にみなさん落ち着いてて小綺麗な人が多いけど、
恋愛をしたいのか結婚をしたいのか、気の合う人と恋愛した上で結婚したいのか、もう少し明確にするといいかもしんない。最後のやつは難易度高そうだけど
その辺をこれまでは曖昧にやってました
恋愛しなくても気の合う方と一緒にいられればそれでいいので、
結婚相談所で同じような思想の女性を探した方が良さそうな気がしてきました
女性が記載してる趣味について、一般受けしないものは割とプロフィールに書かず、一般受けする趣味でお茶を濁す傾向あるのでまあ参考程度に考えるのが良いかと思う。
あ〜やっぱりそうなんですね
実際、プロフに書いてる趣味について詳しく聞いても実はお相手もあまりよく知らないってなることが何度かあったので、
参考程度に考えておきます!
初めましてで距離を縮めるのに食事してお話してってのが難度高いルートなのにそれしかないようになってるのが不幸。例えばなにか共同作業する方が絶対いいと思うんだけど。
確かにそうなんですよね..
学生時代の恋愛よりも難易度が跳ね上がっているように感じるのはそこ(=食事で距離を縮める)なのかなと思います
これは私の言葉不足だったんですが、
「自分が本当に好きなもの」が一致する女性を見つけてお付き合いするというのは結構難しい(=また会いたい!ってなりづらい)ということと、
「〜がしたい!」と提案されることは少ないっていうことがしんどさに繋がっている気がします
ならそもそも付き合うなよ、という話ではあるのですが...
女性にも寄ると思うけど、完璧なデートプランを望むというよりデートプランは曖昧でその辺の喫茶店で適当にダラダラ喋りたい人もいるので「女性はこうだ!」みたいなのを少し減らすと肩の力抜けるかも。
確かに、改めて書いてみるとちょっと型にハマりすぎているような感じしますね
気楽にお互い楽しむという考えも大事ですね、ありがとうございます!
マッチングアプリで結婚までいった友人の話だと、敢えて一般的な女性受けは捨てて、プロフィールを素に近い形にしたらしい。本当の自分を見せることと、失敗に折れないメンタルが大事だと思った
言われてみると、一般的な女性ウケばかりを気にしていたように思います
[私について]:具体的にいうと、都内のアラサーのインフラエンジニアです。自己開示は「異文化間生活」や「難民保護」のテーマから逸れるからメールでお話したいです。
[捨てアドです多分届く]:[email protected]
[起きたので追加]:文字数どこまで書けるかわからないから返信用のページも作った。あまりにも追いつかないとか、個人的な連絡があるならメアドとか晒せます。
[寝る前に追記]:彼女の名誉のために言うけど、彼女は可能ならスナイパーになりたかったって言ってたよ。女性も戦う意志がないわけじゃない。
あと、これは俺と関係ないところでやってる活動だけど、毎週新宿駅で募金活動とかをやってる「Stand With Ukraine Japan」のがあるから、支援したい人はしてください。
彼女と同棲する前に、一度そこで募金して、話を聞いたことがあるけど、具体的なコミュニティの話とか聞けなかった。また今度行ってみようかな。
彼女に募金活動の話をしたら「ウクライナには汚職があるから」と否定的だった。でも、彼らの活動はしっかりウクライナに届いていることを願っています。
俺は完全にNGO機関とか、そういう団体の活動じゃなく、個人的な事情で彼女の保証人になったから、本当に詳しいことがわからない。
とにかく、入管だったり区役所だったり、聞けるところには聞いている状態。
国際交流が趣味だけど英語のリスニングが下手だった俺と、英語学習して1年目の彼女の英語能力とフィーリングが妙にマッチしてめっちゃ仲良くなった
それでブラックアウトで音信不通、通話中にドローン爆撃があったのとか、ミサイルの音とか聞いて、車の通り過ぎる音ですら、”俺が”心配になり
「とにかく何とかするから日本に来て!」って往復分の航空券を買ったのがきっかけ
よくもまあ彼女もそれを受け入れてくれたし、彼女の両親も承諾してくれたなと思う(一応それまでキットカットや手作りの服とかを誕生日プレゼントに日本から送ったりもしてたけど)
当時は政府のウクライナヘルプデスクがあったので質問しまくった
申請には、俺の財産見せたり、収入見せたりして、保護できる財力があることを示した
また、日本での短期滞在ビザ(観光ビザ)から特定活動ビザへの変更もかなり早く実施できた。
短期滞在ビザは、旅券と住む場所や予定とかも書かないと行けなかったと思う。(ここが一番大変だった気がする)
都内1DK暮らし、ベッド2つ置けばリビングが埋まる。なので畳めるすのこベッドを使ってる。
キッチンとリビングで分けて、離れたいときは過ごしてる。(たまに在宅してるのでかなりの頻度で一緒にいるけど)
食生活については、鍋を始めに食べた記憶がある。そしてそれをエラく気に入ってくれて、困ったときは鍋にした。
ただ、カレーライスは食べてくれなかった(スパイシーなものが苦手らしく、食文化的に脂っこいものが多いので胸焼けが多い国らしい)
言語はカタコトの英語とボディランゲージを多用する。でも「アレ」といえばお互いに考えるものがほぼ同じということもあり、マジで何があっても気が合うから意思疎通に困ったことがない。
食生活:
意外と日本料理を好み、ウクライナは世界で2位の寿司の消費量を誇ると教えてくれた。
納豆も食べれるし、味噌汁も好き。俺のおばあちゃんの家に連れて行ったときも、たくさんの日本料理を楽しんでくれた。ただ、ところてん(磯の香り)はヨード臭くて食べれない・・・って行っていた
日本ほど、食品の安全性が高くないので、「疑わしきは捨てよ」と賞味期限切れのご飯を捨てようとすることも多かった。
ホロドモールの歴史はあれど、近代の生活文化のほうが根深く、特に食あたりを気にするあたりに、食べ物を粗末にしないことについては特に日本の文化なんだな・・・と感じた
(おばあちゃん世代でも普通に食べ物をたくさん買ってカビさせて捨てるのが多かったらしい)
口喧嘩:
ミスを認めないところがある。というかミスを認めると、その制裁が強いらしく(post soviet union personalityって言ってた)最初の方は、ミスしても言い訳が凄かった。(もしくはこれは私のミスではないの一点張りとか)
でも、「俺はあなたを責めるわけじゃなくて、ゴールは今後ミスをしないために今会話をしているんだよ」って意図を伝えて、徐々に心理的安全性を確保させていった。
なので、今はミスったら「ごめん~次はこうするね」って感じで会話が進むようになった。とはいえ、家庭環境なのか文化なのか、特に言い訳が多く話が脱線するので「私の意見」 「指摘」 「関連情報」 「脱線注意」みたいな
道徳の授業みたいなカードを作って一緒にそれを差し出しながら会話をしたりした。
彼女は賢いので、ヒステリックにもならず、お互いのゴールを認識し合って会話を進めてくれたので、本当に感謝してる。これがないと、この関係は1年続けられなかったと思う。
とはいえ自信があることに関しては、俺の発言の先読みして遮ったり、意見を拒否することもあったから、結構議論や口喧嘩で「一旦受け取る」と言うことを教えるのには骨が折れた。
この一年は胸焼けを治す一年だった。胃カメラしても完璧な胃なのに、胸焼けが凄い、逆流性食道炎があるとのことで、通院をめっちゃした。
あっちの国は処方箋いらないらしく、ドラッグストアで簡単に強い薬も買えるらしい。日本はそうじゃないから、第二医薬品とか、漢方とか気休めじゃねえかってなって、通院して薬をもらうことが多かった。
個人的に薬を噛まずに飲めないらしく、それを薬局に伝えたら、配慮してくれて、日本の薬局って凄いなー!って思った。
個人的には、ストレス起因だと思う(PTSDなど)本人も思っているけど、心療内科に行くことはウクライナでも「頭がおかしくなった、虐待で精神を病んだ」みたいなイメージがあるらしく、親は反対していた。(古い日本の価値観みたいな)
とはいえ、ウクライナ語で診療ができる医院も見つからず、英語も拙く、日本語じゃうまくいかないし、何より予約が取れないこと、ヤブ医者に遭いたくないことなどで、まだ上手く行っていない・・・
最近なら風邪の医療方法についてめっちゃ言い合いになった「水を飲んで寝る」だけしか対処法を知らないらしいから、お湯に入れて電気毛布に包んだり、肉なしの鍋を食べさせたりした。(あと葛根湯とか)
現在は独学で実施している。彼女はシャイで完璧主義なところがあるので、あまり日本人と交流がなく、1年経ったが、N5~N4レベルの理解力だと思う。
「みんなの日本語」がロシア語版しかなく、海賊版のウクライナ語バージョンがネットにあって、それを使ったこともある。とりあえず、簡単な漢字を書いたり、ちょっとした言葉は日本語で話すように挑戦してる。
上達については、日本好きな外国の友達に比べて遅いと思うけど、まあ、それなりに理解が進んでるあたり凄いなと思う。(俺は英語をこんなにも習ったのにまだ話せないから)
まだ身の回りで亡くなった人はいないらしいが、彼女の友人の多くはもう海外に散り散りになっていて、彼女の居場所だったコミュニティも無くなってしまった。
孤独だった彼女を支えてくれる世界はもうないので、時々それを思い出しては泣いている。
とはいえ、現地の人達は平然と日常生活を送るよう「装っている」ので、一見戦争がないかのように見えるかもしれない。でも、真隣でロケットは落ちてくるし、ドローンの破片も落ちてくる。
みんな気にしないようにしないと気が狂うからそうしないといけないような感じがしている。
一方で、現地の男性は不当に拉致され、戦争に連れて行かれる(精神疾患などがあったとしても問答無用で)らしく、隣人がそれに遭い、一時は連絡も取れず凄く心配だった。
違法だと警察も知っていつつも、対処はできないようで、捕まらないように夫を匿う妻も多いらしい。
申請から審査までに丸々1年待っている。ドキュメントは去年の1月上旬に提出済みだが音沙汰なし。電話しても、「時間がかかるので」の一点張り
これがないと、彼女は日本語学校へ行けないので、生活が非常に難しくなる。独学では限界がある。
また、この審査を通らないと、各種支援を受けられない。就労や、通院、それ以外のことについても自立して対応ができない。
なんとか1年耐えきったが、これがこのまま先延ばしにされ、対応なしで、ウクライナへの関心が低くなり、支援打ち切りになると・・・
これは完全に俺の不甲斐なさでしかない。給与が400万程度で、変な評価制度のせいで昇級がスムーズにいかない。
自分自身そこまでスキルのある人材かというとそうでもない気がするので、転職について第2新卒募集のものを探しても、今より条件の悪いものしかない。
ボーナスも30万x2回、これとNISAの含み益で収支を整えている。
まあ生活は結構ギリギリで、急な事故があれば詰みだな・・・って感じ、早く会社は昇級させてくれ、入管は仕事をしてくれ
家賃補助がそろそろ切れてしまうので、今の家に住み続けることはできないだろう。
昇級は最短2年後と言われてしまったので、転職を頑張るしかない。が、かなり難しくて頭を抱えている。
一応生活はできているが、ギリギリであることがずっと悩みのタネになっている。
まあ、姉夫婦も高卒なのに、専業主婦+子育てで生活してるし、俺が心配性なだけかもしれないけど
結婚について:
正直、どのタイミングでしようか迷っている。せっかく保護を受ける権利があるのだから、それを無駄にしたくないことや
スムーズに結婚するには、証明するものがたくさん必要になる(チャット履歴も見せなきゃいけないとか)
結婚したとして、都営住宅には住めないらしいから、今すぐ必要ではないが、特定活動ビザが切れる頃には何とか、結婚したいなと考えている。
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俺が知らないだけで、もっと生活を快適にできる補助とかあるのかなぁ
https://anond.hatelabo.jp/20241215222347
・チェック項目が大量にあるけど求めてることはぶっ飛んでない
・返報性やフェアネスがある
こんな人間性なら多少…ごめん失礼なこというけど、かなり御面相がまずい人でも結婚できるんだよな。
バイタリティがあって頭悪くない女は外見的に強く敬遠される要素(プロ野球の有名なキャッチャーに顔がそっくりとか、縦にも横にも巨とか)があっても余裕で結婚できてる。
ってことだと思う。
バカ女というのはこれが出来ない。
ただただなんか不満。なんか嫌。なんか物足りない。
(この精神状態をフェミニズムとかがオルグしさらに脱線させて幸福から遠ざける。)
美貌や若さだけで勝つ女もいるかもしれないけどそれは不敗の強さじゃないし
旬を逃したり無限の不満に拘泥したりすれば強みがあっても負けていく。
おそらくバイタリティのあるブスは成長過程で自己観察や自己統御を要求される機会が多いので
負け犬ムードに陥らずに成人まで到達したブスは不敗の強さを持っていることが多々ある。
でそんな女は少ない。
十分ちやほやされる程度の容姿の女が増えたし
カバー可能範囲のブスで美容にばかり注力して人格が研がれなかった女も多いし
カバー不能ブスでもへこたれないバイタリティがなく引っ込み思案に生きる女が多数派。
金の草鞋を履いてもバイタリティのあるブスを探せと。
俺が言いたいのはそういうこと。
「ネトウヨはすぐに他国の軍事弾圧を肯定するくせに、なぜ天安門とか六四天安門とかbioに書くのか」という話をしばしば見かける。何か妙な勘違いなのだが、ネトウヨの連中は「敵国に迷惑がかかる行為を称揚し、自国に迷惑がかかる(と思い込んでいる)行為を批難する」という点において一貫しているだけであり、何も矛盾はない。中国の現体制に対して何かしら迷惑やダメージがある現象なら何でもいいのであり、つまり軍事弾圧の是非や民主主義イデオロギーは最初から問題としていない。要は一昔前の、自由と民主主義の国アメリカがその辺の独裁国家を支援していたのと同じである(ピノチェトとかフセインとか)(パフラヴィー朝なんかは話がちょうど良い具合にややこしくなると思う)。
軍隊による民衆弾圧に親和的なのもある意味当たり前の話で、むしろ「軍人は何のために銃を握るのか」という議題に対し、少なくとも日本人の歴史観においては「国民を守るために銃を握ることはありえない。それは異常である。国体または軍隊自身を守るために銃を握るのが一般的であり、その目的達成のために国民に各種の危害を加えるのは比較的当然のことである」という認識のはずだ。そもそもそれこそが日本国憲法第九条の前提そのものではあるまいか。恐らく「普通の日本人」とやらにとって、軍隊が自国民を守るために存在し行動する、という「印象(コンセンサスと言い換えてもよいだろうか)」そのものが存在しないはずだ。それは案外、「普通の」どころか左右両翼の共通認識ではないだろうか。
確かに、明治以降の旧軍は侵略戦争か、なんとなくその場のノリでその辺の戦争に参戦するか、いずれかの経験ばかりだったわけで、直接的に国民を守るための軍事行動というのは教科書に載るレベルでは存在しない(占領地に住んでる人を守るというのも、そりゃまず占領してんだし……という話が先に来る。まあスタコラサッサと逃げた関東軍は流石にちょっと凄い気はするが)。当然、ここで元寇や災害救助の話をしても仕方ない。それは過去の話ではないのか、現代にあってミャンマーやシリアと同レベルで恥ずかしくないのか、ではない。軍隊とは本質的に恥ずかしくて危険なもの、できればこの世に存在しない方がいいものなのだ。繰り返すが9条はそういう話のはずで、ここに論理の飛躍は一切ない。
話をあえて脱線させるが、日本人は恐らく「尊敬に値する軍隊」を近現代において認知したことがなく(自衛隊は日々努力し結果も出しているものと思うが、まあ個人単位で時々変なの沸いてはいるしなとも)、また「軍隊に対する正しい尊敬の仕方」も習得していない。これらは良い手本となる先達国があるのか、またそこから学ぶだけでどうにかなるものなのか、は良く分からないが、これからでも議論はあっても良いと思う。国民に銃を向けない軍隊や近似組織は当たり前ではなく、どうにかして作り続けなければいけないものではなかろうか。「デモ中に鉄砲を掴んだら危ないぞ」ぐらいは正直それはそう程度の反射的感想でもありえるところで、大事なのはわざわざそこを起点にしてまで危険な発言をすること等を阻止することであろう。
また別の方向に脱線させれば、日本人はまた「イデオロギーの基に生きて、時々うっかりイデオロギーのために死ぬ」という生活を想像できないのではないか。国益になるなら自他のイデオロギーを問わない、というのはネトウヨの根底の(ごく一部ではあろうが)どこかにあるし、本来それ自体はあまり頭ごなしに否定するものでもない気がする。
逆に言えば、日本国民はネトウヨの「9条のせいで日本が駄目になる」という妄言を、妄言ではなく実際に真剣に実現する義務を怠っている。9条を守って国体の崩壊や日本国民の財産、生命が著しく損害を受ける事態になれば、それは国際社会において極めて重宝される歴史や教訓となるはずであり、「お国のために死ぬ」より数十段もマシな「お世界のために死ぬ」が実現するにはする。これは割と皮肉や冗談ではなくて、一国の利益がために他国を侵略するという不正義の対極である以上、国際社会はそこに何らかの価値と教訓を見出し称揚する責務が存在するはずだ(責をさぼる可能性は大分あるが)。国際社会への貢献とはそのようなものであり、できないのであれば素直に「すみません終戦時点ではアジア諸国をマジで見下していて方々に攻め入るだけの国力を持つに至るとは思っていませんでした。完全に大東亜共栄圏脳のまんまでした。これからは行きすぎない程度の暴力装置で自由と民主主義のために集団的自衛権とかPKFとかぐらいはします」と謝罪したうえで改憲議論でもしたほうがよろしい。
話をタイトルに戻せば、価値観を共有できない国とどう向き合うのか、というより「友好的に向き合ってはいけない」という、普通は世界各国と仲良くするのは良いことでは……?という直感に反するイデオロギー準拠の行動指針にどう向き合えばいいのか、(すぐ撃てばいいという話では断じてないことこそをも含め)考えなければいけない訳である。もちろん「考えなければいけない」などというみっともない文末はよろしくないのだが、これはもう完全にしようがない。
ちょっとワイの話聞いたってや
いつからこんなに高くなったのか
ワイの体感やと、Official髭男dismの影響が大きいと思うやで
ヒゲダンが軽〜く高い音を出すようになって、みんながこぞって高い声を出し始めたやで
その後、Mrs.GREEN APPLEが出てきて、これまた高い音を軽く出し始めたやで
他にも、サウシードッグやVaundyも声が高いやで
そいでワイはヒゲダンが売れ始めた頃に、色々ネットで調べたやで
そしたら、高い声を出すには「ミックスボイス」が必要と書いてあったやで
でもこれはちょっと罠やで
結論から言うと、ワイは4年練習して、下手なりに高音は出るようになったやで
でも、わかったことがあるやで
それは、高音を出す歌い方っていうのがあって、その練習をひたすらすればいいってことやで
で、その歌い方というのは、「裏声を地声みたいに歌う」ってことやで
それは「喉が育ってない」からやで
つまり、高音を出す練習というのは、「喉を育てる」ってことやで
喉の筋肉(と言っていいか分からんが)や神経系が育って、高音でも地声みたいに喉が育つには、時間がかかるやで
特訓してコツを掴んだら出る、というものではないとワイは思うやで
少し高い人なら、高いラやで
でも喉を育てたら、この限界は軽く超えるやで
その出し方というのは、高いソの手前くらいから、歌い方を変えるんやで
ちょうど地声から裏声に変わる箇所、これを換声点(かんせいてん)というやで
これがだいたい高いソになるやで
そのソの手前から、裏声にならないように、声を出して、うまく高い音へ繋いでやるやで
ボイトレスクールとか行ったら多分分かりやすく教えてくれるやで
ワイはネットで調べたりYouTubeのボイトレ動画とか見てやったけど、効率は悪かったやで
長くなってすまんかった
ボイトレ教室とかYouTubeによってそのノウハウが広まり、
結果高音の曲がカラオケランキングでも上位に出るようになった、ということを言いたかったやで
色々脱線してすまんかったやで
北海道の函館線って路線で貨物列車が脱線した。今のところ原因は調査中だが、レールが吹っ飛んでいるから十中八九JR北海道が悪いってなるだろう。自分が知る限り最悪のタイミングで起きた事故だと思うし、重い貨物列車だから横転しなかったが、軽くて速度の出る特急列車だったら横転して死者出てもおかしくなかったんじゃないか?
自分も日本のどこかで線路の保守、いわゆる保線に関わったことがある身として記者会見の内容をYouTubeで見直したが、「10月に検測車で測定した線路検査データに問題は無かった」って保線をやったことある人なら、レールが吹っ飛んだんだから超音波検査のデータが問題無いかを報告すべきだろって思うだろう。会見で歪みのデータに問題は無かったは的外れ。医者で例えたら、外見に問題は無いけどCT撮ってみたらヤバい状態でしたって感じ。
結局踏切の中が湿っていてレールの鉄が腐食していて、そこに脱線した貨物列車が最後のトドメを刺してレールが切れたんだと思う。
レールをしっかり検査して交換すれば起きなかった話だが、曲線のレールだから交換ってなると数百メートルやらなきゃいけない。曲線のレール交換は祭りかってくらい作業員集めなきゃならんから悪くなる兆候があれば計画的にやらなきゃいけないんだが、結局人が居ないってのは全国的な問題。特に北海道は雪で作業できない期間があるから追いつかなくなるのも理解できる。
まあ金ありません利益出ません。だけど北海道と本州の物流のために整備してくださいってなったらそら破綻するわ。物流の2024年問題も解決せずズルズル年末を迎えようとしてるじゃん。
具体的には、Xでちょっと話題になってた若手育成方法なんだけど、今は特にムリ(時代にそぐわない)かなあというやつ。
(特にITエンジニア界隈に限った話でも無くて、回路設計なんかでも昔は良く見た)
以下の手法なんだけど、これ昔は良く見たし、今もまあまあ見るんだけど、周りのフォローが無いともう結構厳しい。
・ベテランが2,3時間くらいで終わるタスクを3日設定でアサインする
・タスクの説明をする時に細かところまで話さない。大枠と、完了条件の詳細だけ伝える。その過程で仕様が曖昧な時に自然に聞けるスキルを鍛える。
・20分自分で考えてわからなかったら聞きにこい。その時は「今何に悩んでて」「どういうアプローチで解決させようとしてるのか」を 両方説明せよ、と伝える。目的と取るべき手段を相談できる癖を叩き込む。
・変な実装し始めてたら、「そもそもこのタスクは何をするんだっけ?」と伝えて、セルフで脱線を検知できるような感覚を身につけさせる。
え!こんなのスゴイ優しいじゃん、良い教育方法じゃんって思うかもしれないんだけど、コレ第三者目線だとそうかもだけど、若手目線だと地獄なんだよね。
これ、「3の倍数はFizz、5の倍数はBuzzって出すようなの作っといて。3時間くらいで」みたいな感じの指示になるんだよね。
で、ぼちぼち実装してたら「あー、そこはそういう関数にするんだ、このタスクの目的ってなんだっけ?」みたいな口出ししてくんだよね。
最悪だよね。
指示出し側にはおそらく正解があるんだけど教えてもらえなくて、自分のやり方で実装してると口出ししてくんの。
さらに、仕様が曖昧で、聞くとそこしか答えてくれない(書いてないけど、教育目的だと先回りして詳細を補足したりしないと思うので)
それで「悩んでること」と「どう解決しようとしてるか」をセットで聞きに来いって、ほぼ完成形で聞きにこさせんだよね。
例えば、「3の倍数かつ5の倍数の場合の仕様に悩んでまして」「FizzBuzzと出すつもりです」みたいな。
若手が効きたいのは「指示された以外の詳細で決まっていることはありますか?」なんだよね。
例えば、「1~100までの間で出力するようにしとくか」みたいな若手が実装してたら、たぶん「あー、依頼したタスクの目的はなんだっけ?」とか割り込んでくるんでしょ。
なら最初から「任意の数に対して対応可能な形で実装しておくように、整数以外が入る可能性あり」みたいな条件付けて出しとけや。
みんな余裕があったから。
「あ、それ教育目的だからガンガン聞きに行って良いんだよ、期待されてるってことだよ」みたいなフォローを入れる同僚とか上司が必ずいた。
あと、そもそも同期がわりと数が居て、昼めし食いながら愚痴を言いあったりすることで、あーどっこもそんな感じなのね、という納得感があったから。
今はどっちもない。
若手をバカにしない。
前述の、ベテランと若手を明確に区別した上で、能力をバカにしてないとできない手法なんだよね。
明確に「これは教育です」「勉強会です」という時間を設けてやるのであれば、パワハラにはならない。
勉強会で、クイズです正解は何でしょう?なら別に問題無いから。
例えば「俺がこの仕様を実装するときに、例えばこんな感じで実装進めるんだけど、タスクの目的から乖離してきたなと思った段階で指摘してみて」みたいなやつ。
権力勾配がある状態で、権力のある側が無い側に対して目的と情報を伏せるから。
「そういう常駐先が多いので、その訓練をします」と宣言して実施しててもご時世的にキツイのに、おそらくそういう宣言すらしてないでしょ。
UNIQLOで冬服選んできてって言われて、外出用、全部で2万以下ねって言われてる感じね。
で、じゃあアウターでも買うか、ヒートテックもいるかなーって選んでたら「あー、そういう色選ぶんだ?」みたいに言われるヤツね。
え?なんか指定ありましたっけ?って聞くと、いやいや外出用だよ?目的考えてみてよ?みたいな正解言わないヤツね。超ウザいでしょ。
教育目的として、これを明確に宣言して結果に差が出ること無いよ。
勉強なのでベテランと違う進め方してるし、クイズだから正解伏せてるって、ちゃんと説明できるから。
ベテランと違って俺は嫌がらせを受けているっていうのがハラスメントだと感じる理由なんだから、嫌がらせじゃなくて目的が明確にあると伝えるだけでずいぶん違うよ。
(ちなみに、コストをかけて勉強会を開催するのが一番イージーです。IT業界じゃないけどウチは余裕が無いからこそ完全教育目的の時間を取ってる)
ただまあ、採用コストかけて雇った若手エンジニアが辞めるというフィードバックを受けてなお手法変えないんだから信念があるんだろうし、それで辞めない若手が入ってくると良いね。
追記:論理的なことを端的に言いたいわけじゃないガチの感情日記です。ごめん。
何ヶ月か前、結構前に見かけた同担とたまたま電車で鉢合わせた。
いつの間にかすごく痩せて髪も綺麗になって、前見た時より質のいい服を着ていた。
私の目には彼女が輝いて見えた。あの車両の中で、あの駅の中で、一番可愛かった。
とても綺麗な彼女との正反対にぐちゃぐちゃの自分が恥ずかしくて下を向いて席に座っていた。
きっと相手は自分のことなんて認識してもいないだろうけど、バレませんように気付かれませんようにと祈って下を向いていた。降りる駅が近づいてふと見上げると、彼女の腕にはリスカの除去跡があった。そこでもうダメになってしまって、彼女が電車を降りたあと、隣の人が移動するくらい無様に大泣きした私は、気がついたらボロボロに崩れた顔で車掌に声をかけられていた。車庫行きの電車だったらしく、ただ降りてくださいとだけ言われて車両を降りた。
私は無様で馬鹿なオタクだから、信じていた。あの人の前では傷を隠さなくても、恥じなくてもいいと。
自担は元々容姿コンプの村の人間で、今でも体型や顔をとても気にする。
容姿で苦しんできたことが行動や言動の端々から痛いくらい伝わってくる。
だから好きだ。その分優しいから。演技だとしても、優しい言葉をかけられる人は優しい思考を持っている人だと思う。
自担はいわゆる友営(友達営業)だ。アイドルとしてもキャラも、接触時の挙動も、色恋とは程遠い。
私のファンとしての姿勢も(皆に伝わるように言うと)ノンケの女の子がノンケの女の子のインフルエンサーのファンをやっている感じ。自担のファッションやメイクが好きだし、何より容姿コンプからアイドルまで這い上がってきた泥臭い魂がかっこよくて可愛くて、尊敬している。
ブースに入ると、いつも自担は私の名前を呼んで、それから私が座る前にすごいスピードで私のファッションやメイクを褒めた。
いつも私が一番見て欲しかったところを褒めてくれて、努力に気が付いてくれたことが本当に嬉しかった。
他のメンバーから「こないだ○○と増田のコーデかわいい、ほしいよねって話したよ」と言われた時は、嬉しくて嬉しくてああ生きていてよかった、死にたくない、とさえ思った。
脱線したけど、本当に自担は誰より容姿コンプというものを理解していた。
いいトシしてそんな服着るな論を否定するつもりで「いいトシしてって言うけどー」と口にしたら、続きの「負けないでかわいい服を着るよ」という文言を聞く前にすかさず低くやけに真剣な声でそんなことないとつぶやいていたのを覚えている。
私に対する言葉が全てお世辞でも、その語彙や思考は経験や知識がないと出ないと思う。
思い込みだと信じてもらえないかもしれないけれど、確かにそういう人だったのだ。
したことがある人にしかわからない微かな兆候がいつも見え隠れしていた。
流石にそれは私の勘違いかもしれないけれど、少なくとも食に困難を抱えているのは確実だった。
だからいいと思ってしまっていた。腕を隠さないでいてもいいと思った。
病的な苦しみを知っている人だから、いいと思った。
私は自分の傷を恥じたことはない。けれどやっぱり否定的な人がいるのはわかっているから、時々隠すこともあった。
人生の進行上好印象を持たせなければならない人の前や、雰囲気を壊しそうな時、悪意を向けてきそうな人がいる時だ。
けれど、自担の前なら出していてもいいと、私は自ら判断したのだ。
もう慣れているので傷をジロジロ見られていたり、逆に見ないようにされているのはすぐにわかる。
けれど自担はそのどちらでもなく、全く大したものでもないような顔でいつも通り喋ってくれた。
もしかしたら、詰むオタクなんてリスカギタギタもまあまあいるから慣れているのかもしれない。
それでもすごく心地が良かった。哀れみも軽蔑も向けられないことが嬉しかった。
けれどあの日彼女を見て雷が落ちたように私は気が付いてしまった。
「普通じゃない」と。
私と同じ人の列に通っている人が傷を直していた。
つまり、それが普通なのだ。本当はあの人にだって、こんな傷見せてはいけないのだ。そういうものなのだ、と。
見せたかったわけじゃない、隠さないで普通に夏服を着たいだけだった。
不快な思いにさせたかもしれない。そう思うと怖くて、それから接触に行けていない。
もう何ヶ月も経ってしまったし、きっともう存在ごと忘れられていると思う、こんなに通わなかったのはじめてだし、名前なんて存在なんて、こなくなったらすぐに用無しだ。
そうやって気にして行けてないくせに、まだ思ってしまう。どうしても隠さなきゃいけないか?何十万も払って消さなきゃいけない恥か?と。
私はずっと正気を保つためにリスカをしていた。どうしてもやらなきゃいけない勉強や仕事があるのに動けない時というのは誰にでもあると思う。そういう何もかもがダメな時、私はリスカをしていたし、今でもたまにする。風呂にも入れず涙を流す肉体も、痛みでブーストしたアドレナリンがあれば無理やり動かせるし、お腹が空いてひもじくてそれでも痩せなきゃいけない日も、リスカをすれば食べすにすんだ。
それなのになんで何十万払って直さなきゃいけない?なんで、私が必死にタスクをこなしてなんとか人に馬鹿にされない迷惑をかけないようにするためにつけた傷を恥じなきゃいけない?確かに跡はケロイド状だけれど、きちんと閉じている傷をどうしてそうしなくても生きていける人に配慮して金払って消さなきゃいけない?そう思ってしまう。
ずっと開き直って生きてきたはずなのに、開き直ることにも隠すべきだと思うことにも振り切れず、宙ぶらりんで過ごしている。
元々パフォーマンスが大好きだから見ているだけの今も楽しいけれど、日に日に見せたい洋服が、伝えたい「かわいかった場面」が溜まっている。
私の分もあの彼女が払ってくれているかな、そうだといいな、そうだろうな、ああやってちゃんと傷を消すオタクがたくさんあなたの周りにいたらいいな。普通な日常を過ごしてほしいな。臭くなくて傷なくてめんどくなくて優しい人の相手だけできていてほしいな。会いに行きたいから普通になりたいな。会いたいな。
今シーズン、巨人は4年ぶりの優勝を成し遂げたが、CSで3位横浜に敗北して日本シリーズに出られず。
そして勢いそのままに、横浜が絶対王者ソフトバンクホークスを倒し、日本一に輝いた。
彼らの歓喜の瞬間を見届けていたとき、胸に2つの大きな感情が渦巻いていた。
そしてもう一つは、ハッキリ言葉に表すことは難しいけれど、おそらく"虚しさ"のようなものだと思う。
"日本一"というタイトルに対する、今の巨人ファンの執着は物凄く強いものがあると思う。
最後に日本一になったのは、ちょうど干支が一周する前の2012年。
そこから12年連続での逸日本一自体が球団ワースト記録を更新中…というのもあるんだけど、ことはそう単純ではない。
日本一の翌年、2013年の日本シリーズは楽天と歴史的な戦いを繰り広げた末、3勝4敗で敗北。
シーズン無敗の主人公・田中将大に唯一負けを付けたりとか良い場面もあったし、まあここまではまだ良かった。うん。
問題は次の2014年からの11年間、ここからが苦難の始まりだった。
もちろん、巨人よりも長く日本一から遠ざかっているチームも広島・中日・ロッテ・西武と4つくらいはある。(もう4つしかないとも言えるが)
この11年間でシーズン優勝4回、Aクラス8回、残り3年も僅差の4位…と、12球団全体でみてもソフトバンクに次ぐ戦績を残していること、
そしてこれだけシーズンで安定して好成績を残していながら、この11年間、日本シリーズでたったの1勝も出来ていないことである。
4回優勝したうち、2回は日本シリーズに出ることすらかなわず、CSファイナルで2位以下のチームに敗北。
そして残り2回は、ファンのトラウマでありアンチの笑い種…どこらかもはやアンチ巨人すらドン引きさせた感のある、
2019-2020の伝説的な対ソフトバンク連続被4タテ(計0勝8敗)だ。
特に2020は、間違いなく史上最悪の日本シリーズと言っていい、あまりに一方的なやられ方だった。
2005年阪神の"33-4"がネットミーム化で目立ってるおかげでちょっと隠れられてるけど、
あらゆる面で2020巨人の方が情けなく、惨めで、恥ずかしい、史上最低のチームだったと思う。
(どこがどう酷いのかを語りだすとキリがないので、ここでは割愛するが…)
そもそも、あの2020年はコロナ特例で例外的にCS開催無しで日シリに進出出来ちゃったため、
あの年CSが通常通り開催されてれば、チーム状態のマズさ的にCS時点ですでに敗退してた説が濃厚だったりする。
とすると、1勝+本拠地開催のアドバンテージがある首位の立場でのCSファイナルで、実質3/4年も敗退していたような体たらくということに。
首位チームのCSファイナル突破率が80%(巨人除くと85%)なことを踏まえると、驚異的な弱さといえる。
なお。逆に巨人が2~3位だった4年間では、CS1st(2位vs3位)は3/4回と高確率で勝っているものの、
首位球団とのファイナルでは、1勝3敗、0勝3敗、0勝3敗とあっさり返り討ちに合っており、下克上の予感など微塵も感じさせてくれない。
つまるところ、この11年間我々は、
ポストシーズンの短期決戦になったとたん、嘘みたいに激弱チームになってしまって、
143試合で積み上げて熱量を、その後のたった数試合ですべて無に帰されてしまう。
そういう絶望を、ずっと味わい続けているわけだ。
普段の模試では高得点をとれるのに、センター試験や2次試験の本番で大失敗する浪人生を、毎年見守っているような心境だろうか。
ずーっとパリーグ(というかほとんどソフトバンク)の連覇が続いていただが、
2021にヤクルト、2023に阪神と、ようやくセリーグ他球団にも先を越され始めてしまった。
それももちろん悔しくはあったけど、彼らはその年のリーグ優勝チームだったため、まだ気持ちの整理がついた。
特に去年の阪神なんかは、シーズン中もずっとボコボコにやられており、
近年の巨人のどの優勝年よりも強いと感じるチームだったため、
「ここまでシーズンで強いチームを作れれば、日シリでもやっぱ勝てるんだな」と、ある種救いを感じもした。
しかも、シーズン中も割と早くに首位争いから脱落しており、終盤にカープが歴史的失速で一気に4位まで転落したため、ドサクサ紛れでAクラスに浮上したような感じだった。
巨人視点でも、シーズン中は16勝8敗と最もカモにしていたお得意様であり、正直とても日本一になるような気配を感じるチームではなかった。
そういうチームですら、日本一になれてしまったというのは、かなり精神的にくるものがあった。
一応言っておくと、別に横浜の日本一にケチをつけたいわけではない。
シーズン成績がどうだろうと、ルールの範囲内で勝ち取った栄光だし、
シーズン中は弱点だったはずの守備力と投手力が良化していたポストシーズンの横浜は、シーズン中とは別物の強いチームだった事実。
何より、巨人ファンにとっては絶望の象徴でしかないソフトバンクホークスに勝ったんだから、素直に素晴らしいと思う。
CS制度についても…まあ、個人的には巨人関係なく、首位同士の日シリが見たいので一貫してあまり好きではないのだけれど、
シーズン中の消化試合を減らせるうえに臨時収入も入る、興行的には優れた制度なのは理解しているし、
だいたいは首位が勝ち上がれるようにできているアドバンテージのバランスも、絶妙に上手くできている良い制度だと思っている。
…というか、贔屓球団が負けたタイミングで文句を書くのは単純にカッコ悪すぎるので、このタイミングでは触れたくないね。
廃止論もそうだけど、特に、毎回「貯金の差に応じてもっとアドバンテージ増やせ~」みたい言論が出てくるのは、正直惨めすぎて見るに堪えない。
巨人はCS制度で一方的に損しまくってるけど、制度自体はまあ平等なんだから、結局「負ける方が悪いでしょ」という正論には適わないのよね。
2位3位から勝ち上がれるチャンスもこれまで結構もらってる方なのに、横浜と違って全くそれを活かせてないわけだし。
昔はホークスもポストシーズンに弱くて、秋の風物詩とか言われたらしいけど、2018-19の2位から日本一連発で、その風潮を完全に亡き者にしちゃったわけだし。こちらもそうあってほしいものだ…。
ちょっと脱線しちゃったけれど、要は何がキツかったかというと、
うちの贔屓球団は何回優勝しても、シーズンで勝ちを積み上げ続けても、日本一に手が届く気配すらまるでないのに、
余所はシーズン貯金2でも、その日本一になれちゃうんだ…という落差なんだろうなと思う。
巨人も近年、優勝できない年は決まって貯金・借金が±0~5の範囲内程度なので、貯金2くらいのシーズンの空気感は非常に身に覚えがあって、
じゃあその空気感のまま、うちの贔屓が横浜みたく下克上日本一を勝ち取れるかというと、残念ながらその予感は全く感じられない。
微妙なシーズンを10月の数試合ですべてチャラにした横浜を見ていると、
逆に、どうせ10月で毎回全部台無しにしちゃうようなチームを、143試合応援し続けてることが、猶更虚しく思えてきてしまったわけだ。
今年のポストシーズンが始まる前は、かつてないほど「今年こそ日本一に」という、縋るような思いを抱えていた。
あの惨敗の2020年以来の優勝シーズンだったというのが一つと、
「今年はちょっと違うかも…」と、淡い期待を抱かせてくれるような要素が、以下のようにいろいろあったのが一つ
・長らく、FAで大物が獲れた時にしかV奪還出来なかったチームが、FA補強無しで前年4位→首位に変わったこと
・監督が長年勤めていた原監督から阿部監督に変わり、良くも悪くもチームカラーがガラッと変わっていたこと
・最近お決まりだった序盤ダッシュ→後半失速パターンと違い、8月9月の終盤に調子を上げていたこと
・最終盤ギリギリまで続いた優勝争いを勝ち抜き、ポストシーズン同様の「絶対に負けられない試合」を勝つ経験をすでに積めていたこと
加えてそこにもう一つ乗っかってきたのが、エース菅野が35歳の高齢ながらに、来季MLB挑戦することがCS直前にスクープされたこと。
1つは、最後の日本一達成とちょうど入れ替わりで入ってきた選手であるため、
キャリア12年間ほぼずっと一線級で働き、おそらく今年含めて3度もMVPに輝きながら、一度も日本一を味わえていないこと。
本人もインタビュー等でよく「自分が入団してから一度も日本一になれていない」と、強く意識していることを語っていた。
そしてもう1つが、色々複雑な背景から「巨人以外は入団拒否宣言」という手法を使った最後の選手であり、
かつ、強硬指名してきた日本ハムへの入団を実際に拒否→一年浪人してから巨人入りした経緯があること。
こういう手を使ったことで、球界の嫌われ者になったこと自体は選択の結果なのでまあ良いとして、
問題なのは、「あのとき日本ハムに入団していたら…」というifストーリーが出来上がってしまったことだ。
少なくとも2016年に一度、大谷翔平らとともに日本一を達成できていただろうし、
しかも日ハムの体質的に、その後すぐ、ポスティングでMLB挑戦させてもらえていた可能性が高い。
パフォーマンスの最盛期だった2017-18辺りで渡米できれば、本人としても後悔の無い野球人生を送れたのではないかと。
しかし、現実には選択した球団がポストシーズンクソザコナメクジだったため、
日本一には一度もなれず、2年連続沢村賞の最盛期をチームの低迷期に浪費し、
旬を逃したせいで一度MLB挑戦を諦めるような形になってしまった。
となると当然、「あの時日ハムに入ってりゃ全部うまくいったのになー」と憐れまれ、嘲笑われ、"自業自得"みたくしたり顔で語られる。
批判や誹謗中傷を浴びながら巨人に入った選手が、その巨人自身の至らなさのせいで、そういう立場に追い込まれているというのが、非常に悔しくて心苦しかった。
そして去年までは巨人も、菅野自身も年々下降線をたどっており、
チームはしばらく低迷するし、菅野もこのまま巨人一筋で引退に向かうだろうという空気感が漂っていた。
…がしかし今年、意外にもチームは盛り返し、まさかの菅野自身もMVP受賞濃厚といわれるほどの大復活を遂げた。
「自身の活躍でチームを日本一に導き、日本でやり残したことがなくなってから、満を持してのMLB挑戦…」という、現役のプロ選手なら誰でも憧れているであろう成功ルート。ファンからしても、最も理想的な送り出し方。日ハムじゃなくて巨人を選んでせいで、一度は途絶えたかに思えたその道が、再び繋がる最後のチャンスがやってきた。
だからこそ、何としても今年、このタイミングで…と願わずにはいられなかった。
…しかし、待っていたのは日本シリーズに挑むことすらかなわず、挙句最後には菅野自身が負け投手になって終わるという、あんまりな結末だったとさ。
しっかり調べたわけじゃないけど、なにせ12年連続逸日本一で球団ワースト記録というくらいだから、
これまで、長らく主力を張っていた巨人の看板選手というのは、たぶんキャリアで一度くらいは日本一を経験できてるはず。
そのルートから外れた第一号が、他でもない菅野になっていしまったというのはホント報われないなぁと。
たぶんもうこれで、菅野がNPBでの日本一を味わえることは無いだろう。(MLB挑戦が頓挫して残る可能性も0ではないけど、それはそれで残念)
そして数年内のMLB挑戦が噂されている4番の岡本や、新エースの戸郷も、同じく日本一になれないままチームを離れちゃうんだろうなあ…。
まあ、今年シーズン優勝してるチームのファンがこんなにネガると嫌味みたいになっちゃうかもしれないけど、
ことポストシーズンに限ってはそんな思考を巡らせざるを得ないくらい、見えている景色がグロテスクすぎるのだ。
(もちろん、シーズン中から万年下位、ずっと優勝できていない…ってチームのファンとかにも、こちらが想像する以上のしんどさはあるだろうけど。
正直、今のこのチーム応援するのはうちより辛いだろうなあと思う球団も2つほどあるし。)
いやしかしほんと、なんで毎年毎年、10月になった途端、こうも呪われたように急激に弱くなっちゃうんだろうねー……。
このチームの首脳陣はまともに機能してるのかって文句言いたくなることもあるけど、
これだけずっと同じ失敗を重ねてるんだから、流石に現場のプロが無策だとは思えない(思いたくない)。
余所と比べて選手のメンタルが弱すぎるんじゃないのって文句言いたくなることもあるけど、
意外にも今の主力には、もっとプレッシャーがかかるWBCの舞台で躍動した選手もけっこう多かったりして、
ところがそんな選手たちでも、巨人のユニフォームを着た状態で短期決戦に入ると、パッとしなくなっちゃうのだ。
きっと、フロントもスタッフも選手もやれることはみんな尽くしてて、それでもどうにもならない状態なんだろうなあと思ってて。
だから見てるこっちも、このチームどうしたらいいんだろうなあ…っていうビジョンを見いだせない。八方塞がりの絶望感。
今年のソフトバンクみたく、貯金42でぶっちぎれるほど圧倒的な力を付ければ、ポストシーズンのデバフ込みでも勝てるかも…って思ったけど、
SBと違って、大物のFA選手や主力助っ人を金で引っ張ってくるほどの力が無い今の巨人じゃ、そこまでのチームはさすがに作れない。
(今年大型補強無しで前年4位→1位に押し上げただけでもかなりよくやった方だと思う)
というかそもそも、そんなシーズン無敵のSBですら今年日シリで負けちゃったので、いわんや負け癖がしみ込んだ巨人をや…という感じだ。
過去最高潮に日本一を願っていたところから、いつも以上の落差の結末を見せられた今年の秋は、ほんとにしんどすぎた。
こんなものを見せられてしまうと、来シーズンからは今まで以上に、
「どうせ今頑張っても、10月になったら余所のチームに全部持っていかれちゃうんでしょ」って思いが頭を離れず、シーズンを虚無に感じてしまいそうな、そういう怖さがある。
巨人のファンなんて基本ネット社会では嫌われ者のいじめられっ子だし、
リアルでどこの球団が好きかって聞かれた時も、答える時になんか後ろめたさあるし、
もうSBみたいに"強い"ヒールじゃないただの小悪党なのに、現地の敵応援団にも煽られまくるし、
プロ野球11球団が興行的に成長している中、巨人だけは強さ的にも人気的にも全盛期に勝てるわけがないから、相対的に一人だけ伸びしろのない落ち目感あるし、
開き直って「別に弱くてもいいじゃん」ってスタンスで気楽に見るには、本気で優勝を目指す球団体質とか、弱くなると全方面から叩かれる環境とか、あらゆる面で相性が悪いし、
何より、球団側は「強い伝統球団であれ」みたいな感じだけど、その中身がここ一番の短期決戦でクソザコ化する集団ってあまりに噛ませムーブがすぎて見てらんないし。
……ってな感じで嫌な思いをすることが多くて、総量的には損の要素が上回ってるくらいの印象があって。
我ながら応援する球団を、趣味の選び方を間違えてしまったなあという感なのだけれど。
それでもCS敗退数日後のドラフトで、楽しみな選手が獲れてちょっと気を持ち直したりしちゃってるし、ファンであることから簡単には抜け出せない。
かの村上春樹(ヤクルトファン)がかつて、「お気の毒です。読売ジャイアンツのファンなられてしまったというのは、きっと前世のカルマが祟っているのでしょう」と冗談めかして記していたが、年々この言葉をまさにその通りじゃないかと感じてしまっている。うっかり良くない新興宗教にはまってしまって、気づけば抜け出せないみたいな…。
新卒で挫折して休職中、全部自分のせいにしたら頭がおかしくなりそうだったから、毎日8時間他責をしていた。
小さい頃に虐待を受けて、義務教育も不登校で、なんとか資格をとって社会に出ても、求められる仕事はできなかった。
人一倍早く出勤した、残業した、家でも勉強をした、でもその場でパニックになり水の泡。
最初は親切にしてくれていた同僚からも、あの人は障害者じゃないかと噂をされた。
噂が広まってからは問題なく出来ていた業務も疑いの目で見られ始め、見張られていると感じて緊張でさらにミスが増えた。
こんな育ちで障害かもしれない自分が何を言っても信用がないだろうと自分が一番分かっていたので、何も言えずただ謝り、次からはこうこうして気をつけます…!と反省までした。
大人なのに、ありがとうとごめんなさいくらいしか出来る事がない。
努力しても要領の悪さと一度抱かれた不信感は埋められず、周りに迷惑をかけてしまった。
一年半で辞めた。
障害の事を調べる内に、自分を虐待して出て行った母親も発達障害だったんじゃないかと疑った。(あらゆる特徴が一致していた為)
その時に、堰き止めていた思いが一気に崩れた。
母親自身も両親に虐待を受けていたから、繰り返してしまっても仕方ない。
人より出来る事が少ないのも全部自分のせいだ。
親の事は関係ない、自分がとにかく頑張れば、普通の人生になるはずだーーーと思って
信じて生きてきたのに。
今まで困ってきた事は全部親のせいだったのか。
生まれた時から頭が変だったんだ、だから頑張っても上手くいかなかったんだ…今からどうやっても、障害だったら治らないじゃん…
絶望。
産むな!!!!
学もない貧乏が、被虐待児が、障害者が、責任とれない奴が、産むなよ。
中出しセックスして、結婚出産を自分が何者かになるための道具にして。
子どもに障害なすりつけて、虐待連鎖で自己肯定感までめちゃくちゃにして。
まともに1人育てられないのに兄弟がいないと将来可哀想〜!って偽善で兄弟ポンポン産んで結局逃げて。
自分の人生を彩るために産んだり、病気や障害の可能性を深く考えずに産む人間が全員、気持ち悪くなった。
だんだん自分の事を飛び越えて、虐待やヤングケアラーの問題、遺伝する病気や障害、兄弟児の苦悩、いじめ、貧困、戦争、性犯罪がある世界に産む人間達、ニュースやSNSで話題を見るたびに心がぐちゃぐちゃに掻き乱されて全て許せなくなった。
どんどん自他の境界がなくなって、もう人間自体が居なきゃいいとすら思った。もっと少子化になって滅亡したらいい。優生保護法が続いていれば自分は生まれずに済んだのかもしれない。安楽死の制度が出来て辛い人がどんどんいなくなったらいい。
死のうとしても直前で怖くて死ねなくて、失敗して余計に苦しむのも怖かった。
こっちは産んでくれと頼んでない、親が勝手に産んだのに、自分で本能的な死の恐怖に打ち勝たないと死ねない。
産みたい人が産む自由は尊重され賞賛され、自殺は非難される、楽に死ぬ手段もない。
怒りの行き場がなくSNSで毒親を叩き、レスバに時間をついやした、同じ思想の人からいいねをされて一瞬スッキリした。
自分の主張は正しいと思って、スッキリしたはずなのに、それを繰り返すたびにさらに自分の存在が気持ち悪くなって自分以外も全員気持ち悪くなって、苦しくて苦しくてたまらなかった。
それでも街中で知らない人とちょっと話したりお礼を言い合ったり、そんな事が不思議とうれしかった。
バイトして仕事覚えようと悩んでいる方がまだましだし、たまに感謝されたら普通にうれしかった。
(まぁスキルなしの障害者でも出来る仕事ってなったら毎日ゲロとかマナーおかしい人糞掃除するしかなくて、よく変な人にも話しかけられてキツくてやめてしまったけど。そんな仕事に同性の若者1人もいないし、たしかにもし健常者だったらこの仕事しないわ!ガハハ!ってまた落ち込んだ)
脱線したけど、結局あんなに社会が許せなかったのに実際に顔が見える人と会った時には、今生きてるみんなが幸せだったらいいなと思ってしまった。
親子を見ても文句を言いたくはならず、障害者やホームレスの様な社会貢献度が低そうな人を見ても、この人も死にたいだろうなーと勝手に決めつけたり、その人を産んだ人を責め立てようとは思えなかった、もし目の前で死のうとしてる人がいたら普通に心配になるとも思う。
結局は他人が許せないんじゃなくて、自分が自分の存在を許せなくて苦しかった。
人に傷つけられても、相手がそうした背景を思うと文句を言えない、その人なりにそうした理由があったと思うと責められない。
だからしばらくして親に会った時も、何も怒れなかったよ。
絶対許さないし、心を傷つけてやる!と思っていたのに、泣いて謝られてたら不思議と笑って許してしまった。
母親が受けた虐待を話されても、ただひたすら酷いね、辛かったねと聴いていた。
こっちの方が泣きたかったけど。
でも自分自身の存在を許したいから、形だけでも親を許す事にした。許さずに傷付ける事を言っても、またスッキリするのは一瞬だろう。
自分が追い詰められて苦しかったのに人を追い詰めるなんて、もっと自分が嫌いになりそうだった。
思えば親にも社会にも認められなかったけど、優しい人だとか真面目だとか褒められた事だけはあった。それがあったからこそ、人に優しく真面目に頑張れば大丈夫!と根拠のない希望を持てていたんだと思う。
自分の中で唯一認められた長所を捨ててまで親や他人を責めても、考え方を変えさせるなんて出来やしない。誰に理解されたって苦しさは消えないし、自分が生まれなかった世界線になんて行けない。
どうせ死ぬ勇気もないなら、せめて人に好かれる行動だけとってた方がお得だと決めた。
たとえ社会に不必要でも、そのマイナスを優しいとか良い人だとかで0.1でも誤魔化せるならそうするしかない。捻くれ障害者なのに最低限のマナーや愛嬌まで捨てたら最悪のまま終わりだ。
自分の為に生きれなくても、現実にいる目の前の人に喜ばれる事があるならやっていこう。
弱者の立場や優しさを都合良く搾取されるかもしれないけど、単に褒められたら気持ちがいいから、人生気持ち悪くならないで済むわ。
シンプルに目の前の人にありがたがられたいよねー!生きる意味あるじゃんって一瞬錯覚できるから!偽善最高ー!
※他責を辞めようという内容では無いです。
自分も苦しかった時はそうしないと生きれなかった。今も気にしない様にした気でいても、具合が悪い時は心の中で他責に逆戻りしているから。人はそう簡単に変わらない。
※産み育てる事に様々な懸念や責任が伴うという意見を訴える事は意味ある事なので、正しく反出生を訴えている方の非難ではありません。
週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
上記に触発されて書く。
膨大な量があり、どれがどれに影響を与えたかも把握が難しいので色々補足反論、コメントしてくれると嬉しい。
2002年に九里史生(川原礫)氏により、氏のホームページ「Word Gear」にて発表された。2009年に電撃文庫から書籍化。
先行の類似設定の作品にウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』、岡嶋二人『クラインの壺』、高畑恭一郎『クリス・クロス』がある。
また映画では『マトリックス』、同時期にゲームでは『.hack』などが発表されたが、
いわゆるVRMMOというジャンルがWeb小説界で隆盛したのは間違いなくこの作品の影響が大きい。
2013年発表。以降の悪役令嬢(転生)ものに多大な影響を及ぼした。
恐ろしい更新速度と内容の面白さで「小説家になろう」のランキングを駆け上がった。
そして突然の更新停止で読者を地獄に叩き落した。今も叩き落とし続けている。
当時は男性向けが幅を利かせていた「小説家になろう」の中で、女性向けが人気を獲れることを証明した作品でもある。
少し脱線した語りになるのだが、Web小説は既存の小説媒体と比べて「文字数制限がない」のが大きな特徴だと思う。
SF小説家フィリップ・K・ディックが「短編、中編、長編といったメディアの制約がそのまま物語の制約となってしまっている」というようなことを書いていたと記憶している。
Web小説にはそれがない。なので、キリのいいところで盛り上げたり終えたりする必要がない。
この謙虚・堅実はそのWeb小説の特徴をいかんなく発揮した物語だと感じた。
2005年に魔法のiランドで発表。以降書籍化、漫画化、映画化、ドラマ化と立て続けにされ大きなムーブメントを起こした。
その口語的な等身大の文体には賛否両論があったが、多くの当時の若者の心をつかんだ。
(それにしても、あの頃僕らは魔法のiランドでクソみたいなホームページをたくさん作っていた)
劇場版エヴァ(EoE)の衝撃的な終わりにおかしくなった若者たちは、その情熱を二次創作に注ぎ、いくつもの名作・怪作を生んだ──
エヴァFF(ファンフィクション)の代表として2nd Ringをチョイスさせていただいた。
LAS(ラブラブ・アスカ・シンジ)かLRS(ラブラブ・レイ・シンジ)かでいうと、LRSの王道逆行モノである。
特に転生・逆行・ヘイト(ザマァ)・最強もの的な要素は二次創作からの流れが大きいことが指摘される。
ただ二次創作は広く、深い。To Heart、TYPE-MOON作品などエヴァ以外に盛り上がった作品は多いし、夢小説やBL二次小説までいったらもうお手上げである。
2chのSSが書籍化、漫画化、アニメ化するなんて信じられない。
でもまおゆうはそれをやった。
SSとはショートストーリーの略で、2chにおいてはニュー速VIPなどの板で盛んに制作された物語の形式である。
キャラ「〇〇〇」
当時は2chまとめサイトが多くあり、まおゆうもまとめサイトに乗り人気を博した。
後にゴブリンスレイヤーなどのAA(アスキーアート=文字で絵を表現する形式)スレの書籍化にもつながる影響を残した。
電車男などを入れるかも迷ったが、小説ではないのでランクインしませんでした。
同僚たちが苦手すぎてつらい
自分含め7人チームで動いてるけど6人中4人が苦手すぎて毎日あたまが重い
なんというか自分だけ性格違ってて異質みたいで頭おかしくなりそう
2/4
すごく似ているタイプの2人
心ないんか?と思う
食い気味に返事してくるの地味に辛い
こっちの話最後まできいて…
誰かが気づいたらやる仕事を絶対やらない(そもそも気づかないか、自分の仕事じゃないと思っている)
人に助けてもらうけど手を差し伸べることはない
定時即退社するのに翌日在宅するとだいたい準備不足で出社してるひとにフォロー求める
権利ばかり主張する
計画性がなく、引き継ぎが下手すぎる
あと人に頼んで自分は在宅するのやめれ
人の心の機微がわからないのか、会議とかの雰囲気悪かった時にさっきの会議やばかったねみたいな話しても え、何がですか?とかいう
人とあんまり会話したくないのかなと思えば自分の気になる話題にはめちゃくちゃおしゃべりだし、人間が2人揃うと何か無理やり話を始める
話したくなければ黙っててもいい時もあると思うよ
1/4
人の失敗をよく覚えていじってくる
話の振り方がきつい(伝わるかわからんがカレー食べてる人間に今カレー食べてるの?って聞くような方)
業務後にやたら人と飯を食いたがる
断ると体調悪いのか?ストレスたまってない?大丈夫?みたいな長文のLINEくる
なんで飯行きたいねん
1/4
とにかく話が長い
そして人の話を聞かない
同じ話何回もする
うちの飲み会ヤバいから潰されちゃうかもよwみたいな発言で後輩をビビらすな
学歴とか、出身地とかをネタに相手に自分のイメージをおしつけるな
いい歳なんだから
↑の方々同士は、やりづらさを感じながらもうまくお互いをいなしあいうまくやっているように見える
あと全員体力おばけだし技術的な能力はあるので、すごく仕事できる人たちだと思う
比較的話しやすい2人は上の人たちを苦手と思いつつもそんなに重大なつらさを感じているわけじゃなさそう
深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動に辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。
コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。
(現行法上合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)
彼らの職業は、対脚本家と演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。
そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論の余地はないのでは。
自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。
最近、日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。
それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。
もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。
このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。
さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部で法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手に議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。
だから、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。
生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。
他の分野でも生成AIの進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。
実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較的自然に受け入れられている。
音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。
生成AIの学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。
しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。
西洋芸術は、音楽や絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。
信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユースの思想として残っている。
対して、日本には、そのような一神教の概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。
更に、音楽理論そのものが、西洋をルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。
一方で、日本の絵師界隈は、ガラパゴス状態で進化しているため、「自分がゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品は自己表現」という認知になりやすいのではないか。
今、音楽を本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIごときには脅かされない実力がある。
そうでないクリエイターは、純粋に趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。
一方、イラストを本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIごときに簡単に脅かされてしまう。
リアルに生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。
参入障壁の低さと、00年代からの需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間をプロとさせてしまったのかもしれない。
さながら、チューリップ・バブルだ。
以下、それぞれ、補足。
音楽界隈では、古くからクリエイター、プレイヤー、リスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。
例えば、クラシックのプレイヤーが過去の偉大なクリエイターの作品を演奏し続けたり、ジャズやヒップホップにおいて、サンプリングやリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存の作品や表現を再利用する文化が根付いているからである。
「表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。
これは、DTMの世界も同じで、音源やサンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源や手法を追加しただけという感覚が強い。
技術的な進化が日常的に行われており、特定の著名なプレイヤーの演奏をサンプリングして音源化することも一般的である。
これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。
また、音楽界隈において、多くの場合、クリエイターはプレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。
音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか?
クリエイター、プレイヤー、リスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。
AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。
私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作の可能性として受け入れている。
音楽分野では、クリエイター、プレイヤー、リスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。
一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。
クリエイターとリスナーの立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在が希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。
その結果、生成AIは「自分の領域を侵害する存在」として映ることが多い。
絵師界隈において、絵師は、自分の作品について、「自分がゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人の作品に手を加えたり、既存の表現を再利用することに対しては、現行法上問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。
絵画や音楽を問わず、西洋における芸術の歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。
パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術の研鑽を重ねた。
結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。
芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋の芸術、特に歴史的な音楽や絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。
元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。
この背景が、西洋でフェアユースの概念が広く受け入れられている一因のように思う。
才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。
任天堂とパルワールドの訴訟問題における、日本と欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。
この点、日本の絵師界隈にとって、才能は「自分の努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。
その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AIが個人の努力や創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。
このまま日本の絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIはアンタッチャブルとなり、なんらの議論も進歩も遂げなくなるだろう。
最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義の論理に飲み込まれる可能性が高いと感じる。
外国の大企業が規約や契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術やデータを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来。
絵師界隈の過激な活動により、日本企業にとって生成AI技術そのものはアンタッチャブルとなったので、日本企業は呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。
もちろん、これは資本主義の一環であり、技術の進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。
私自身はそのような未来を諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。
技術は常に進化し、その中でクリエイティブな表現の方法もまた変わっていくものだ。
しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?
AIは決してクリエイターの創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。
これからのクリエイティブな世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。
「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。
望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単な技術ではない。
命令文の模索や、好みのモデルの階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識が必要だ。
現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIでイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。
「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業が最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。
企業が最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般の消費者、それ以上でも以下でもないのでは。
消費者がイラスト生成AIの恩恵にあずかれるようになっただけ。
「絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。
「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。
敬称なので、自分で自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。
ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20241013084419
に要点をまとめておきました(文字数制限に引っかかったので分割)。
厚労省より昨日公表された日本人の食事摂取基準(2025年版)について、ある糖尿病専門医の解説ツイートが一時のトレンドになるレベルでバズっていた。
日本人食事摂取基準2020→2025で食べる順番(ベジファースト/カーボラスト)が削除されておる!!!!!
はてなブックマークでもこの件に関するTogetterまとめについてそこそこブクマがついて、ホットエントリーに上昇している。
[B! 健康] 「今まで頑張ってお野菜から食べてたのに...」炭水化物より先に野菜などを食べることで食後の血糖値を抑制するという食べ方が厚労省『日本人の食事摂取基準』から削除される
しかし、筋肉博士医師の主張は真か偽かで言えば端的に誤りであるし、好意的に読んでもミスリードである。
食事摂取基準は国の作るガイドラインであるから、改訂方針やら策定の検討会議事録やらは誰でも読める形で公開されている。
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」策定検討会|厚生労働省
私は医師でも医療関係者でも栄養士でもないが、証拠があるので安心して医師の誤りを指摘できるというわけだ。
実のところ、ベジファーストが食事摂取基準から削除されたというのは正確な表現ではない。
2020年度版では、ベジファーストについて一文取り上げていた「食事摂取パターン (eating pattern)とシフトワーカー」という節が糖尿病対策の章からまるごと削除されたのである。
食事摂取基準の策定根拠は健康増進法である。法に定められた食事摂取基準の取り扱う事項は以下の通り。
栄養素というのは、もちろんたんぱく質とかビタミンとかミネラルとかのことを指すので、野菜の食べ順なるものはOut of Scopeなのだ。だから削除されたそれだけである。
真偽の話でいうならば、これで筋肉博士医師への論破は完了だ。ただこれだけで話を終えるのはおもしろくないので、もう少し深い背景を見てみよう。
「人に栄養指導するプロならば、ただ基準値を参照するのではなく、策定根拠である本文を読んでくれ。基準値は妥協の産物でもあるのだからそれに縛られず、患者一人ひとりに合わせて柔軟に対応してくれ」
食事摂取基準を策定する側の偉い先生は、「基準値より本文だ!」という想いをよく語っておられます。
なんでそんなこと言わなきゃいけないのかというと、ぜんぜん読んでなさそうなプロの栄養士がそこそこいる現実があるからですわ。
でも、それもある程度は仕方ない。2020年版で494ページですからね。鈍器本のページ数です。忙しい栄養士が横着して基準値だけ見る、そして基準値が独り歩きしだす。偉い先生はこれがホント嫌なわけです。
しかしエビデンスというのは毎年増えていくわけで、理屈で言えば毎改訂ごとにページ数は増加します。今でさえガイドラインを読むのは大変なのに、これ以上!となるのは大変ですよね。
そして読む人が大変なら、作る人はもっともっと大変です。食事摂取基準2020年度版には以下の記述があります。
食事摂取基準が参照すべき該当分野の研究論文数は、増加の一途をたどっている。5年に一度の策定では、策定作業に十分な時間を費やすことが難しく、作業負担も大きいため、策定体制の強化や策定プロセスの効率化に向けた方策を講じなければ、将来の食事摂取基準の策定に支障をきたすおそれがある
実際、2025年度の検討会資料を読み込んでいると「人手不足でもはや持続困難だ」っていう研究者の悲鳴がかなり伝わってきます。
そんなこんなで食事摂取基準をこれ以上肥大化させることは避けねばならないってのが2025年度改訂の問題意識の1つだったわけですわ。
日本では、政府の作る食事摂取基準以外にも、EBM(エビデンスベースドメディシン)に基づく多種多様な診療ガイドラインが存在します。これらは専門の学会が作っとるわけですが、ここにも「食事療法」という節はあるわけですね。
栄養素の基準値策定と、食事療法。かなりカバー範囲が重なり合っています。政府と学会、お互い独立に作っているものですから、似たような記述がお互いのガイドラインで執筆されるという無駄が生じます。さらに悪いことに、違う人が作っているわけだから、食事摂取基準と診療ガイドラインで矛盾が生じるという事例もありました。当然、現場は混乱しますね。
食事摂取基準と診療ガイドラインで連携して、お互いの責任範囲を排他な形で定めよう、縄張りを線引きしよう。そうすれば読み手の負担も書き手の負担も軽くなる。そういうことになったんですね。
偶然、糖尿病診療ガイドラインの改訂作業は、食事摂取基準2025年度版と同時期に行われていました。糖尿病診療ガイドラインの食事療法を2024年度版と2019年度版とで比較してみましょう。
2019年には13あったQ&Aが2024年には8に減っています。
2019年にはあった、栄養素絡みのQ&Aが軒並み削除されています。
理由はここまでの説明で明らかですね。食事摂取基準の縄張りを尊重したのです(正確に言えば、「総エネルギー摂取量」の記述はまだ問題が残っているのですが……)。
さて大いに脱線した話を戻しましょう。食事摂取基準の糖尿病に関する記述から、ベジファーストがから削除されたのはOut of Scope、範囲外であるためでした。となると、執筆責任は糖尿病診療ガイドラインの食事療法にあるはずです。
あれ? 2019年にはあったベジファーストが、2024年版糖尿病診断ガイドラインでも消えてるぞ? なんでやねん。
最初に筋肉博士医師のツイートは、「真か偽かで言えば端的に誤りであるし、好意的に読んでもミスリード」と書きました。「好意的に読んでも」と書いたときに想定していたのは、「食事摂取基準」を「日本の糖尿病ガイドライン」と読み替えれば仮説としてはありうるだろう、という意味でした。
しかし読み替えたとしても、「エビデンス不足がようやく露呈」というのはミスリードな表現だと私は考えます。
糖尿病診断ガイドラインは食事摂取基準と違って、学会で作られているので改訂方針について外部の人間がアクセスできる情報がありません。どういう意図で情報が削除されたのかさっぱりわからないんですね。削除の理由をすぐに「エビデンス不足」に断定するのは証拠がありません。
しかも、糖尿病診断ガイドライン2024年版で検索すると出てくるニュース記事、
を読むとですね、副題が「糖尿病の新診療ガイドラインに見る食事のポイント」で、解説者がガイドライン策定委員会に所属する食事療法の専門家(京大教授)であるにも関わらず、新ガイドラインでは記述が削除されたはずのベジファースト/カーボンラストについて解説が行われているんですね。
内容は「世間で言われるベジファーストには誤解がある」というものですが、大雑把に言えば食べ順を考慮して食べることを推奨する解説で、2019年の旧ガイドラインに準拠していると読めます。つまり「ベジファーストが誤りだったから削除された」わけではないことを示唆しています。
じゃあなんで削除されたのか? 私は別の仮説を提示したいと思います。
2019年ガイドラインと2024年ガイドラインを交互にじっくり眺める見てください。
2024年版の方が、Q&Aの問いの文が相当洗練されているんですよね。
診療ガイドラインというのは、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」という規範となる規格がありまして、Q&Aをどう書くべきかというのも死ぬほど細かく厳密に定められています。
細かい事抜きに、マニュアルにどういう要件が書かれているかということを超雑に述べると、まず問いは「臨床上生じる意思決定に関する疑問」でなければなりません、そして回答はガイドライン策定者自身が実施するシステマティックレビューに基づくものでなければなりません。
これ前提に2019年版の問いを見返してみると「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」に明確に非準拠ですね。「〇〇はどう影響するか」系の問いはどう見ても意思決定に関わるものと言えません。
そんなわけで、2019年から2024年の改訂方針には、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」への準拠度を高めるという意図があったと見て取れます。
次に、2024年版で削除された、2019年版のベジファーストに関するQ&Aを見てみましょう。
これベジファーストだけに関するQ&Aではないんですよね。小ネタのアラカルト的な回答で、複数の問題をごちゃまぜにしているという印象を受けます。
そんだけ2019年は自由にやっていたというわけですが、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」に準拠するかたちで、問いを書き直そうとするならば、問題を分割する必要があるでしょう。
試しに書き直してみると、こんな感じでしょうか。
ただ、2019年版のガイドラインでは、小ネタのアラカルトとして立項のバリューを出したわけで、わざわざ3つに分割して3つとも立項するだけの意味があるかというのは難しい問題です。
「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」にもこう書かれています。
日常診療において医療行為を選択する意思決定の場面は数多くあるが, その全てについてシステマティックレビューを実施し, 推奨を作成するのは非常に多くの労力を要するため,現実的ではない。そのため,診療ガイドラインでは実臨床における問題に対する回答を導き出したいものを厳選して重要臨床課題として取り上げることが望まれる。
3つともに、「炭水化物制限の推奨」とか「食物繊維摂取の推奨」とかに比べれば、超小ネタですので、臨床課題であっても重要臨床課題ではない、というところで落とされたのでは?、などと私は想像しています。
書籍『佐々木敏のデータ栄養学のすすめ』などでも解説されていますけど、野菜先食べを厳密に実行するべきとするエビデンスは、おそらくまだ存在していないと思われます。
ただ、食事の楽しみを損なわない範囲で、炭水化物系を食べるのを後回しにするのは、それなりに有望な心がけと言ってもいいじゃないでしょうか。また野菜先食べである必要はなくて、たんぱく質先食べでもいいという論文もあります。
脱線ってどういうこと?
顔が清純派でもさ、その格好やポージングからはヤリマンビッチ臭を感じる訳じゃん
ビキニアーマーに処女感はどう頑張っても無理なんだよな、口先で誰がどう言おうと無駄(※脱線するけど筋肉女は無理)
本屋で子供に見せたくない表紙とか言うけどさぁ、そんなの言い訳でさぁ、エロけりゃ何でも無差別に金払う脳みそチンコな安い野郎だと思われんのが嫌なワケよ
違うんだよ、欲しいのは「主人公にだけ油断して無防備な姿を晒す美少女」や「主人公にだけ見る許可を出してくれる美少女」の特別感ナイショ感であって、最初からどの男にも区別なく乳出ししてる処女風ビッチは違うんだよ