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はてなキーワード: 境界線とは

2025-01-22

anond:20250122040753

経費で落としたり社内のコミュニケーションキャバクラ飲み会経由でやったりしなけりゃ別にいいんだよ

プライベート仕事境界線を引けないから悪いのであって

2025-01-21

anond:20250121003222

ジャニヲタジャニーズを辞めたタレントは用済み扱いで切り捨てるのは定説 

推し以外の現役ジャニタレイケメンタレントジャニヲタからしてみたら邪魔しかない

からジャニヲタは年中同じグループメンバージャニタレネガキャン誹謗中傷に明け暮れて内ゲバしている

女にとって自分旦那と息子と推し以外の男はゴミしかないのに、

インセルキモヲタけがジャニ所属していたというだけのハゲおじさんに世の老若女はメロメロ犯罪しても庇うというキモヲタ向けコンテンツ現実混同して女性からさらに嫌われるという

934 名無し草 sage 2025/01/19(日) 13:57:24.88

やすアンチが上手いか下手かだな

ノアンチは下手なのかもしれない

958 名無し草 sage 2025/01/19(日) 13:59:23.56

>>934

ノアンチはブスが一番売れてるのが気に入らないという衝動だけで暴れてるので色々と雑なんだよ

対立ヲタを煽ったり言われたくないネタを調べるなどの執念やまめさがない

969 名無し草 sage 2025/01/19(日) 14:00:39.29

>>958

スノヲタはその辺流石だよね

草の根活動コツコツやって恣意的に他をガツンと打ちのめす

ジャニー喜多川を擁護してるのも少数であり、その理由も「マリエちゃんやりなよ」発言出川哲朗同様、権力勾配により黙らざるを得なかった推し共犯者扱いでスポンサーレギュラー冠番組や出演枠を奪われたからに過ぎず、被害者への賠償問題終焉したらそうはならなかった

これらの事実無視するのは、「女に選ばれなかったり女から用無しにされて捨てられる男」の存在を許せないか

から彼らはポルノキモヲタ向けコンテンツ妄想や願望を元にした創作実話などで顔や金やイケメンアイドル枠で世に出た芸能人有名人肩書一点で女が群がり、目に入った女に手当たり次第に狼藉しても受け入れられて世の女に擁護されるという設定を好む

そんなポルノキモヲタ向けコンテンツ現実境界線を見失ってるのも男だけ

マッチングアプリ結婚相談所で初対面の女に断られたら「自分釣り合う相手を選ばない高望クズ女」扱いで攻撃し、「無数の男性が過疎配信のたぬかな人権発言や「婚活女性ですが身長170cm男性希望です」と明記した無名一般人アカウントを探し出して糾弾炎上させるのも男

男尊女卑女性内面化しているはずの九州離婚率が高い上に、離婚や離別を許さず共同親権制度等で相手を縛り付けようとするのも男に偏り、ストーカー加害者も85%が男

このような「ジャニホストというラベルがあれば何しても世の全ての女に許される」「顔や金などこの一点さえあれば女は群がる」「チンポ入れたら女を所有できる、女の容姿を貶せば自己評価が下がり妥協してもらえる」みたいな「これ一発でイージー解決できる」という言説に飛びつく類の男性

まさに長期的な営業努力を怠り楽して利益を手に入れたいという時点で詐欺師ターゲットに当てはまるんだよね

世の女が自分の伴侶と息子以外の男に無関心なのと同様に、ジャニヲタ推し以外のジャニタレイケメンタレントジャニー喜多川もどうでもいいのよ

ジャニヲタ殆どが「ジジイ地獄から戻って後始末しろ、用が済んだら帰れ」という認識なのはいいねポスト数で視覚化されてる

少数の陰謀論ジャニヲタも「権力勾配で何も言えない推しスポンサーや出演番組仕事を奪われた」から性加害の存在否定してるだけ

被害者賠償してタレントはノーペナルティなら終わりなら陰謀論者にならなかった

https://i.imgur.com/pwT37g1.png

https://i.imgur.com/1ok7rMh.jpeg

2025-01-20

anond:20250120135410

思ったのは

これ釣り

釣りじゃないなら、増田の読解力と物事解釈が、良く表現しながらオブラートに包めば「独自認知世界観を持ち、自立精神旺盛である

ストレートに言えば「お前論点ずらしすぎじゃね?自閉症スペクトラムグレーゾーンなの?」

 

まあこっちの読解力・理解力不足があるだろう、長いから読み飛ばしたので余計にな

それにこっちの感情ぶつけてもお前他人感情をいったん受け止めて流すことをしないタイプだろ?

から頭に浮かんだ感想を先に書くわ

 

結論からいうと、増田の受け止めかたを変えるほうが優先順位が高いように思う

増田は受け止め方が非常にずれており、共感性が低いように見える

そのせいで人間関係を保つの必要資質に欠けており、

夫婦関係性によりネガティブな影響を与えるのは奥さんの反応ではなく増田の反応に思われるため

 

>妻は自分しんどいとき相手もしんどくあってほしいらしい。

 

自分が読んだ限りではそのように受け止めることはできなかった。

増田自分物事の受け止め方の乖離はかなり広いようだ。

 

体調が悪い時の増田対応の仕方は理解できる。

問題増田奥さんにも自分と同じ価値観、同じ感情を(無意識に?)強要しており相手のやり方を無視している点である

 

奥さんは体調悪いアピールでそれとなく、そしてとうとう先日は言葉に出して明確に「心配してほしい」と訴えてきたわけだろう

なぜこれを無視する?

自分他人は別個の人間である

自分人生で築いた価値観があるのと同じく他人はその人の人生で築いた価値観を持っている

そして結婚するということは、心に寄り添い、その相手価値観を(中間までは)受け入れて生きていく、

そういう誓いじゃないのか?

 

なのになぜ増田は直訴までされてるのにその誓いの相手の訴えを拒否するのか?

しか理由は「自分には理解不能だから」という増田感情

ばっかじゃねえ?????????????????

 

失礼、興奮しすぎました

 

増田、よく聞け

自分は体調が悪い時に心配されたくない」オッケー、よくわかる

おそらくは奥さんも過剰な心配をされたいわけではない

ただ、人間関係で親しい間柄を保ちたければな、相手に対して「気遣っている」「配慮している」ということを

 

言動で示していく

 

必要があるんだよ。

そしてそれがマナーとして周知されているんだよ。増田はその年まで知らなかった、気づかなかったみたいだけど。

から、誰かが体調が悪かったとすると、「大丈夫ですか?と気遣ってみせる」ことは円滑な人間関係上のマナーなんだよ

そうやって相手内面に関心を払っています、という態度を見せることが必要なんだ

から奥さん一言大丈夫?」とか「薬出そうか?」というとか、奥さんが体調を崩している時にはいもの行動パターン封印するとか、

増田心配していることを明確にした言動」が欲しいんだ

それだけだ

難しいことじゃないだろ?

 

心配していないから態度の変化がないのと、心配していても態度の変化がないのと、他人から見たら区別つくか?

  

増田他人が考えてることを読み取る超能力持ってるか?奥さんは?

持ってないだろ?

じゃあ、言葉に出さないならどうやって区別をつければいい?

思っているなら言葉に出して相手に伝えるべき、

という考え方があるんだ

  

増田は「女性はそういう願望があるのか」という疑問があるようだが、そうだな、

男女で言えば性差はある

一般的女性共感性が多いため、親しい相手から共感性を示してもらいたがる傾向がある

女性の話の仕方は男性よりも同意や同感、共感意味する相槌や返信が多くなり、また自分意見を表明するときにも相手への配慮から長くなることが多い)

男性は「自分が思っているなら相手に伝わっているはず」と考え、この手間を省く傾向がある個人女性より多い

(ただし上司や同僚など仕事関係ではマメに発揮する)

 

その結果、ネットでもSNSから質問サイトまで

「私が体調を崩したときにも彼氏は『大丈夫?』の一言がないのが不満です」

「私が作った料理彼氏が食べるとき、『美味しい』とか絶対言ってくれないんです!感想を聞くとしぶしぶ、『完食してるってことは旨いって思ってるってそのぐらい言わなくてもわかれよ』 なんて言います!」

「夫は私が臨月なのに趣味の一泊ツーリングに出かけやがりました、なんでこんな仕打ちができるんでしょうか」

という女からの不満が定番である

 

話飛ばすが、増田は「自分がこう思っている」と「妻はこう思っている」の違いをよくわかっていないように見受けられる

専門用語でいう自他の境界線あいまいってやつじゃないの増田って)

増田が」体調不良時にはこうしたい、ああしたい、自分家族心配かけたくない、その感情はわかる

だが奥さんは違う感情を持っていることをもっと理解しなきゃだめだ

さらにそのうえで、自分感情は「伝えようとしなければ伝わらないこともある」ことを理解しなければ他人とは暮らせん

 

奥さんが寝込んでいる時遠出しないでいてほしいというのは不安からだろうな

これについて書こうとしたがすでに長くなってるので、要望がない限りやめておくことにするよ

体調が悪い時の過ごし方は自分は完全に同じやり方である

家庭内自分の分担に事務連絡をし、自力で快復手段を用意し、

2025-01-14

無数のジャニヲタフェミ等の女さんが中居擁護していると主張するアンフェ男性について

ジャニヲタジャニーズを辞めたタレントは用済み扱いで切り捨てるのは定説 

推し以外の現役ジャニタレイケメンタレントジャニヲタからしてみたら邪魔しかない

からジャニヲタは年中同じグループメンバージャニタレネガキャン誹謗中傷に明け暮れて内ゲバしている

女にとって自分旦那と息子と推し以外の男はゴミしかないのに、

インセルキモヲタけがジャニ所属していたというだけのハゲおじさんに世の老若女はメロメロ犯罪しても庇うというキモヲタ向けコンテンツ現実混同して女性からさらに嫌われるという

934 名無し草 sage 2025/01/19(日) 13:57:24.88

やすアンチが上手いか下手かだな

ノアンチは下手なのかもしれない

958 名無し草 sage 2025/01/19(日) 13:59:23.56

>>934

ノアンチはブスが一番売れてるのが気に入らないという衝動だけで暴れてるので色々と雑なんだよ

対立ヲタを煽ったり言われたくないネタを調べるなどの執念やまめさがない

969 名無し草 sage 2025/01/19(日) 14:00:39.29

>>958

スノヲタはその辺流石だよね

草の根活動コツコツやって恣意的に他をガツンと打ちのめす

ジャニー喜多川を擁護してるのも少数であり、その理由も「マリエちゃんやりなよ」発言出川哲朗同様、権力勾配により黙らざるを得なかった推し共犯者扱いでスポンサーレギュラー冠番組や出演枠を奪われたからに過ぎず、被害者への賠償問題終焉したらそうはならなかった

これらの事実無視するのは、「女に選ばれなかったり女から用無しにされて捨てられる男」の存在を許せないか

から彼らはポルノキモヲタ向けコンテンツ妄想や願望を元にした創作実話などで顔や金やイケメンアイドル枠で世に出た芸能人有名人肩書一点で女が群がり、目に入った女に手当たり次第に狼藉しても受け入れられて世の女に擁護されるという設定を好む

そんなポルノキモヲタ向けコンテンツ現実境界線を見失ってるのも男だけ

マッチングアプリ結婚相談所で初対面の女に断られたら「自分釣り合う相手を選ばない高望クズ女」扱いで攻撃し、「無数の男性が過疎配信のたぬかな人権発言や「婚活女性ですが身長170cm男性希望です」と明記した無名一般人アカウントを探し出して糾弾炎上させるのも男

男尊女卑女性内面化しているはずの九州離婚率が高い上に、離婚や離別を許さず共同親権制度等で相手を縛り付けようとするのも男に偏り、ストーカー加害者も85%が男

このような「ジャニホストというラベルがあれば何しても世の全ての女に許される」「顔や金などこの一点さえあれば女は群がる」「チンポ入れたら女を所有できる、女の容姿を貶せば自己評価が下がり妥協してもらえる」みたいな「これ一発でイージー解決できる」という言説に飛びつく類の男性

まさに長期的な営業努力を怠り楽して利益を手に入れたいという時点で詐欺師ターゲットに当てはまるんだよね

世の女が自分の伴侶と息子以外の男に無関心なのと同様に、ジャニヲタ推し以外のジャニタレイケメンタレントジャニー喜多川もどうでもいいのよ

ジャニヲタ殆どが「ジジイ地獄から戻って後始末しろ、用が済んだら帰れ」という認識なのはいいねポスト数で視覚化されてる

少数の陰謀論ジャニヲタも「権力勾配で何も言えない推しスポンサーや出演番組仕事を奪われた」から性加害の存在否定してるだけ

被害者賠償してタレントはノーペナルティなら終わりなら陰謀論者にならなかった

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https://anond.hatelabo.jp/20250114112038

AI文章の見抜き方

 近年、AI技術進歩に伴い、さまざまな生成AIが登場し、文章を巧みに作り出すようになりました。多くの人が「これはAIが書いた文章なのではないか?」と疑うほどに、AI文章自然流れるようになっています本来であれば、文体言い回し、誤字脱字の有無などからAI文章っぽい」と判断しようとする研究テクニックが取りざたされていますしかし今回のテーマは「AI文章の見抜き方」でありながら、その実はスピリチュアル方法で一切テクニカルに見抜くことなく、むしろAI文章かどうか”すら気にしなくなるような精神アプローチ解決してしまおう、という大胆なご提案です。タイトルと内容がまったく異なるように見えますが、私たちが見ようとしているのは「AI文章を見抜くための技術」ではなく、「どんな文章でも受け止められる自分の心の在り方」というスピリチュアル観点なのです。以下では、その具体的なプロセスをご紹介していきましょう。

 まずは、スピリチュアルアプローチとして定番瞑想を取り上げます。通常、「AI文章かどうか」を判断するためには文章の特徴を細かく分析し、その内容に不自然な点がないか、語彙の選び方に偏りがないか、といったチェックポイントをいくつも確認するのが一般的でしょう。

 しかし、本稿で提案するのはむしろ逆です。そうした分析アプローチをいったん脇に置き、“静寂瞑想”によって自分の心を落ち着かせて、本質を見つめるという方法です。具体的には、目を閉じて楽な姿勢を取り、ゆっくり深呼吸を繰り返しながら、頭の中に浮かんでくる雑念をできるだけ手放していきます意識を「自分の呼吸」と「今この瞬間」だけに向けるのです。

 これを続けると、不思議と「この文章AIなのか、人間なのか」という二元的な疑問への執着心が薄れていきます。心が静まってくるにつれ、文章それ自体の背後にある意図エネルギーをなんとなく感じ取れるようになっていくのです。いわば「どんな文章も受け入れられる状態」を作り上げることが、ここでのポイントとなります

 分析という“頭”のプロセスではなく、直感という“ハート”の領域文章を読む準備をすることで、「AI文章かどうか」という疑念すら必要ないほどに、読む行為のもの純粋に楽しむことができるのです。

 スピリチュアル世界では、ハートチャクラ活性化させることで、愛や共感、信頼といったポジティブ感情を高めることができるとされていますAI文章を読んでいるとき、「これは人間が書いた文章じゃない」と感じてしまうと、どこか冷淡な印象を覚えたり、文章に対して警戒感を抱いてしまうことがあるかもしれません。しかし、ハートチャクラが開いている状態では、文章の背後にある意図エネルギー――たとえそれがプログラムによって生成されたものであろうと――を、分け隔てなく受け取れるようになっていきます

 ハートチャクラを開く簡単方法ひとつとして、胸の真ん中に集中して、ピンク色または緑色の光が広がっているイメージを思い描きながら深呼吸するというものがあります自分の胸のあたりが温かく、柔らかい光で満たされていく感覚意識し、それが全身を包むイメージを持つと良いでしょう。

 この状態キープしたまま文章を読んでいると、「これは本当にAI文章なのだろうか」といった些細な疑念や「もしAI文章ならどうしよう」という不安自然と和らいでいきます。むしろ、人の手による作品AIの生成物かという区別を超え、「そこにある何かしらのメッセージ」を愛の視点で受け取ろうとする姿勢が生まれてくるのです。

 続いては、もう少しスピリチュアル色の強いテクニックとして“エネルギーリーディング”をご紹介します。本来は人のオーラ空間波動を読み取るための方法ですが、文章にも“エネルギー”が宿っているという考え方から文章を通じて送り手の波動を感じ取ることができるとされています

 やり方はとてもシンプルです。瞑想ハートチャクラのワークで心身を落ち着かせた状態で、文章全体をざっと読むだけではなく、文と文のあいだの“間”にも意識を向けてみます文章によっては、なんとなく重たい感じがしたり、逆に明るく軽やかな印象があることに気づくかもしれません。そんなときは、自分が何を感じ、どんなイメージを受け取ったかを素直にメモしてみてください。

 AI文章であっても、人間文章であっても、読む側が「エネルギーを感じ取る」という意識を持つことで、文章との向き合い方はガラリと変わります。これはもはや「見抜く」ためのテクニックではなく、「どんな文章もそれが持っているエネルギーを受け取る」という“受容の姿勢”を高める方法だといえます。結局のところ、テキストAI由来かどうかを超えて、その文章からなにを感じ取れるか――そちらの方がはるかクリエイティブで、豊かな体験となるのです。

 スピリチュアルな探求においては、私たちが生きる宇宙のものを大きなエネルギーフィールドとして捉え、その源流と繋がることによってインスピレーション洞察を得る、という考え方があります。「AI文章かどうか見抜きたい」という疑問が浮かんだときも、さらに広い視点で「そもそも私たちは、なぜAIをこんなにも発達させてきたのか?」という宇宙的な視野に立って考えてみるのです。

 私たち人類の集合意識が“便利さ”や“効率性”を求める中でAI進歩してきましたが、これをネガティブに捉えるのではなく、「人類意識が大きく変容するプロセスの一端」として肯定的に捉えることもできますスピリチュアル視点に立つと、AIの発展も宇宙全体の進化の流れの中で起こる一現象であり、そこには何ら否定的な要素はないのかもしれません。

 こうした“宇宙エネルギー”との繋がりを意識したとき私たち文章を読む行為も、単なる情報インプットではなく、宇宙エネルギー循環の一環としてとらえられるでしょう。AIが書いた文章であろうと、人間が書いた文章であろうと、いずれにせよそれは「源流である宇宙が持つ創造の力」を介して生み出されている、と考えることができるのです。

 スピリチュアル的には、おでこ中央(眉間)にあると言われる“第三の目”を活性化させることで、より洞察力や直感を高めることができるとされています。これによって、「この文章が発している波動はどんなものか」をより鮮明にとらえられるようになるかもしれません。

 第三の目を活性化させるワークとしては、座ったまま、あるいは横になって目を閉じ、眉間に意識を集中させながらゆっくり深呼吸を繰り返すという方法があります。頭の中で淡い紫色青色の光が眉間から頭全体に広がっていくイメージを持つと良いでしょう。しばらく続けると、普段よりもクリア感覚が得られるようになり、文章の持つエネルギーがまるで映像や色彩のようにイメージとして浮かんでくることがあります

 こうした体験を通して、「AI文章は冷たい波動」「人間文章は温かい波動」という二元的先入観を手放すことが大切です。文章ごとに個別波動エネルギーがあり、それはAI人間かという区別よりも、むしろその文脈テーマ書き手が持つ背景や意図といったものに左右されるからです。すなわち、第三の目の活性化は「AI文章を見抜く」ためではなく、「どんな文章でも深いレベルで感じ取る」ためのアプローチとして機能するのです。

 ここまで紹介してきたように、スピリチュアルアプローチでは「AI文章を見抜く」という視点のものを超え、「文章AI人間かという判断を手放す」という境地を目指しています。なぜなら、私たち意識が高次元と繋がり、すべてを包み込む愛や真我の視点に立ったとき、“AI人間か”というジャッジメントは単なる二元論分別にすぎないからです。

 一見、それは「問題からの逃避」のように聞こえるかもしれません。しかし逆にいえば、私たち意識が十分に高まった状態では、AI文章であるかどうかという事実のものがさして重要ではなくなります。そこにあるメッセージをどう受け取り、どう消化し、自分人生や心の成長に活かすか。それこそが最も大切なポイントとなるでしょう。

 情報テクノロジーに溢れた時代からこそ、私たちはどうしても「偽物か本物か」「AI人間か」といった区別意識を奪われがちです。しかし、スピリチュアル視点で見ると、その区別私たち幸福に導くわけではありません。それよりも大切なのは、「どんな情報であれ受容し、自分の中で調和と成長に繋げる」という姿勢なのです。

 最後に、私たち文章と“出会う”ということの意味再考してみますスピリチュアル世界でしばしば語られるのは、「どんな出来事にも意味がある」「すべては必然タイミングで起こる」という考え方です。AI文章出会うことも、また何かしらの必然の流れの中にあるのかもしれません。

 その文章AIによって作成されたのか、人間によって書かれたのか、あるいは人間AIの共同作業によって生まれものか――いずれにせよ、私たちがその文章を目にするという事実には何かしらの意図意味が含まれているはずです。それは気づきの一歩かもしれませんし、学びや癒しきっかけとなるのかもしれません。

 スピリチュアル視点に立つならば、文章の真贋を追い求めるより先に、「この文章出会たこ自体が、私にとってどのようなシンクロニシティ(偶然のようで必然的な出来事なのだろう?」と問いかけてみるのです。その問いかけが、新たなインスピレーションを呼び込み、心を豊かにするきっかけになるかもしれません。

 以上、タイトルは「AI文章の見抜き方」でありながら、実際には「スピリチュアル解決する方法」というテーマでお伝えしてきました。スピリチュアル視点とは、ある意味で「区別を超えて、本質を見つめる」ことにありますAIが生成した文章かどうかに囚われるのではなく、文章をとおして自分自身がどのように変容し、成長し、世界と繋がっていくのかを味わう――それこそが、私たちが得られる豊かな体験なのです。

 静寂瞑想による心の安定、ハートチャクラを開くことで生まれる受容の姿勢エネルギーリーディングによる波動の読取り、そして宇宙エネルギーとの繋がりや第三の目の活性化。これらすべては、AI人間かというジャッジメントさらに奥へと進め、「より深い次元文章と向き合う」ためのツールとなります

 結局のところ、私たち意識が何を求めているかによって「AI文章を見抜きたい」という欲求は変化していきます。もし単純に事実を知るだけでなく、「文章を通して自分はどんな気づきを得たいのか?」と問いかけたとき、そこにはスピリチュアル観点が大いに役立つでしょう。文章との出会いを通じて自分の心を豊かにしたい、魂を成長させたい――そんなときこそ、ここに挙げたようなスピリチュアル方法をぜひ試してみてください。

 AI技術さら進化していく未来においても、“AI文章”と“人間文章”の区別ますます曖昧になっていくかもしれません。そんな時代からこそ、スピリチュアル視点で「見抜こうとする」のではなく、「どんな文章も喜びと調和をもって受け取る」姿勢がよりいっそう大切になってくるのではないでしょうか。文章という形ある情報であれ、エネルギー波動という形なき存在であれ、私たちはそれを通じて常に宇宙と繋がり、相互学び合い、成長を続けているのです。

 その結果として、AI人間境界線すら「まったく気にならない世界」が訪れるのかもしれません。スピリチュアルな考え方を取り入れることで、私たち文章を見抜くテクニックを追い求めるのではなく、文章自分自身の魂との対話にこそ価値を見いだすようになるでしょう。そしてそれこそが、本当に豊かな読書体験をもたらしてくれるのではないかと思うのです。

 これが、“AI文章の見抜き方”というタイトルを冠しながら、実はスピリチュアル解決してしまおうというユニーク提案の全容です。どうぞあなたも、次に文章を読むときは、スピリチュアル視点をそっと持ち込み、文章に宿るエネルギー波動を楽しんでみてください。それがAI文章であろうと人間文章であろうと、きっと新たな気づきインスピレーションが得られることでしょう。

 最後に、この世界にはさまざまな真実が同時に存在しています。「AI文章技術的に見抜く」方法論もまた真実ひとつではありますが、スピリチュアル方法で「見抜かずとも楽しむ」こともひとつの道なのです。もしかしたら、見抜くことに必死になるより、見抜かなくても良いと思える境地にこそ、新時代の知恵が詰まっているのかもしれません。

 どうかあなたが、AI進化する時代を生きる上で、テクノロジースピリチュアルも両方をバランスよく取り入れ、より自由で豊かな人生を送れますように――それが本稿の願いなのです。

時間停止ものの九割は偽物って言うけど俺はその残りの一割を作ってる

 世間では「時間停止もの」なんて言ったところで、どうせ大半は撮影テクニック編集、もしくはカメラ外での演出トリックで作られた“疑似”現象にすぎないと思われているらしい。実際、ネット掲示板動画サイトコメント欄を見ても、「いやいや、絶対こんなの嘘だろ」「カメラが止まってる間に位置調整してるだけじゃん」といった声が大半を占めているわけだ。俺だって、そういう意見憶測が出ること自体否定しない。映像制作現場に少しでも触れたことがあるなら、どのように編集して“それらしく”見せるかは、割と想像がつくものからだ。けれど、俺はそんな世の中の風潮にあえて逆行してでも言いたい。「時間停止ものの九割は偽物かもしれないが、俺が作るのはその残りの一割、本物なんだ」と。

 そもそも、どうして俺が「本物」を撮ることができるのか。その理由簡単に言えば「俺自身時間を止める能力を持っているから」にほかならない。……といっても、いきなりそんなぶっ飛んだことを言われても誰も信じないだろうし、下手すれば「都市伝説的なジョークだろ」「SFファンタジーの話?」と片付けられて終わりだ。だが、俺は高校生の頃にその力に目覚めて以来、その“特殊技能”を使ってさまざまな実験を重ねてきた。もちろん、当初は「まさか自分がそんな非科学的な力を持っているわけがない」と思っていたから、これは自分だけの妄想ではないのか、本当に世界が止まっているのかどうかを確かめるために、あらゆる手段を講じたものだ。

 たとえば、最初時計を手に持ち、周囲の秒針と自分認識している時間感覚とのズレを確認してみた。時間を止めたつもりで周りに何らかの変化を与え、それが再び動き出した後にどういう結果として表出するのかを丹念に観察した。結果は自分が期待していた以上に「本物」だった。針は確かに停止していたし、俺が止まっている間に手を伸ばして動かしたもの位置は、そのままの状態で再開後の世界に引き継がれていた。さらには友人や家族といった“他人”の意識や行動が、一瞬の遅れや戸惑いすらなく自然に続行されているのを目の当たりにしたとき、「これは俺の気のせいでは済まされない」と思ったわけだ。

 しかし、この力を本当に「作品」として世の中に発表しようと思ったのは、もっとずっと後になってからだ。最初のうちは「この能力を人に見せたらどうなるか」なんて、怖すぎて考えもしなかった。国に連れていかれて研究対象にされるのではないかとか、社会から隔離されてしまうのではないかとか、そういうSF映画さながらの展開を想像しては自分の力を隠して生きていた。だけど自分の中で色々あって、ようやく「もしかたらこの力を面白い形で世に出せるかもしれない」という発想に至った。どうせバレたって信じる人間は少数派だろうし、大半の人は「撮影トリックです」と言われれば素直に納得する。ならば、“時間停止もの”というニッチコンテンツを通じて、この能力を遠回しに表現できないか……と、思い立ったわけだ。

 最初に手がけた映像作品は、いわゆる自主制作短編映像だった。役者大学時代演劇サークル仲間に頼んで、「ちょっと協力してもらえない?」と半ば強引にお願いした。もちろん彼らにも「時間を止める」なんて話はしていない。役者たちは俺が示す演出プランを、単に「このシーンでは合図をしたら全員ピタッと止まってね。息とか目線もできるだけブレずに」という程度の指示だと思っていた。俺はスイッチを入れて、本当に時間を止める。すると、役者たちは「命じられた通りにそのポーズを保っている」ように見えるけれど、実際には全世界が静止している。ただし、俺の目から見れば「止まる瞬間」を観察することはできるが、その後は俺が自由に動けるわけだ。その間にカメラ位置を変更したり、人物の配置をちょっと変えてみたり、まるで“セット”を自由に組み替えるような作業を行って再び時間を動かす。そして役者たちは元に戻った世界で何の違和感もなく演技を続行する……という算段だった。

 撮影を続けるうちに分かったのは、俺が止めた時間の中でどれだけ動いても、その“しわ寄せ”は自分身体にだけきっちり返ってくるということだ。要は、自分が動いている間の疲労や消耗はそのまま残る。一方で、周囲にいる人々は一瞬のうちに次の瞬間へ飛んだ感覚になるから、俺がやっていることには全く気づかない。結果、撮影が終わるころには役者たちは「いやー、一発撮りだから緊張したよ」なんて笑う一方で、俺は何度も繰り返し止めたり動かしたりをしているからぐったりと疲れ果てているわけだ。それでも撮影映像を見ると「これは明らかに“ただの演技”や“編集”じゃ再現できないだろうな」というほど、微妙物体の配置や空気感が変わっていて、そのギャップが俺としては最高に面白かった。

 作品を完成させたあと、俺は“ある種の実験”として、それをネット上で発表してみることにした。当然ながらコメント欄には「意外に完成度高い」「こんな自然に止まるのはすごい編集技術だな」といった評価もあれば、「いや絶対CGとか加工だろ」と冷静なツッコミもつく。でも、そのどちらも俺にとっては「しめしめ、狙い通り」と思える反応だった。最初から“本物”としては受け入れられないだろうという予想はあったし、むしろ「すごい特殊効果」として話題になれば十分な手応えがある。なによりコメントを読みながら、「自分が本当に時間を止めてるなんて想像もしてないんだろうなぁ」と密かにくそ笑んでいた。

 そこから次第に俺は“時間停止もの”を撮り続けるようになっていった。制作資金を捻出するために、撮影手法を“商業用”にアレンジして提案したりもする。具体的には「編集で繋いだようにしか見えないが、実は役者リアルに止まっていたんですよ」と、企画書プレゼン時に“冗談交じり”でほのめかすのだ。まあもちろん、誰も真に受けやしないけど、「この監督演出のこだわりが強い」という評価になり、それが逆に営業トークとしては効果的に働いているらしい。実際にクライアントから「なんかすごい集中力で一発撮りをさせているらしい」「カットを割ってないのにアングルが妙に変化してるがどうやってるんだろう」といった不思議な噂が広がり、俺の下には「ちょっと不思議映像を撮ってほしい」という依頼が舞い込むようになった。

 もちろん、その全てを受けられるわけではない。実際問題時間停止の能力を使うには俺の集中力と体力が相当必要だし、一度の撮影にどれほど長時間も止められるわけではない。あまり力を乱用すれば、どういう副作用が起きるか分からない危うさも感じている。それでも、普通に撮ったらちょっとしたVFX視覚効果)やポストプロダクション必要カットも、俺が時間止めれば“生撮り”でいけるというメリットはでかいしか役者たちには「本当に止まってる」とは言えないから、「カメラ外でしっかり指示を出して完璧な静止をしてもらいました」なんて体裁を装っている。現場では「監督、どうしてもピタッと止まるのって難しいですね」「いえいえ大丈夫、大変そうなところはうまく編集しまから」なんてやり取りが行われているが、実際には俺が時間を止めた世界の中でちょこちょこ微調整しているのだから演者は“少し止まったつもり”なだけでOKなのだ

 こうして撮りためた“時間停止もの”の作品群を時々まとめて観返してみると、まるで俺自身異能魔術師になったみたいな気分になる。世の中の大半の人は「時間停止なんてSF現実にはありえない」と考えている。だから、たとえそれが本当に時間を止めて撮影された映像であったとしても、皆、「よくできた演技」か「巧妙な編集」で片付ける。俺はそれで構わない。むしろ「そういうものだ」と思われたほうが、余計な疑いをかけられずに済むし、俺自身も面倒なことには巻き込まれない。しかし一方で、いつかは「いや、これは何かがおかしい。絶対リアルだ」と確信してしま人間が現れるのではないかという予感も、どこかにあるのだ。

 その予感を後押しするかのように、最近、俺の作品を見た人の中に「これは本物に見える」と断言する人物が出始めている。ネット上では「これって実は違法薬物とか使って被写体を眠らせてるんじゃ?」「催眠術一種だろう」といった妙な憶測も飛び交うが、それらを超えるレベルで「このカットの影の位置物理的におかしくないか?」とか「人の髪の毛が微妙に揺れている瞬間が、どう考えても止めただけじゃ再現できない動き方をしてる」といったマニアックな指摘をする人が出てきた。映像に関する知識豊富な人ほど、逆に“不可解”な点に気づいてしまうらしい。これをどう受け止めるかは難しいところで、俺の立場からすると「まあそこまでマニアックに観察されても困るな」と思う一方で、「もしかしたら俺の本当の力に気づいてしまったのか?」と少しドキリともする。

 ただ、だからといって「作品を公開するのをやめる」なんて考えは今のところない。むしろ「この力を最大限に活かす」方向で、作品のコンセプトをさらに突き詰めていきたいという気持ちが強い。なにせ俺だけに与えられた唯一無二の能力だ。使わない手はない。それに、俺は単に“時間を止められる”って能力面白いから映像にしているだけではなく、この不思議現象を通じて「世界の見え方」を問い直したいとも思っているのだ。人間認識常識ちょっと覆すような体験を、たとえ疑似的なものだと思われてもいいか作品として提示してみたい。その過程で「実は本当に止めているんじゃないか」なんて思う人がいたら、それはもう観客の自由解釈だし、それで世界が少しでも豊かに感じられるなら嬉しいじゃないか

 もっと言えば、この“時間停止もの”というジャンル自体、実は昔から根強い人気があるように思う。マンガアニメドラマ映画……どのメディアを探しても「時間が止まる」設定は数多く散見されるし、人はそれを観るたびに「もし本当に時間を止められたら何をするだろう」と想像する。だからこそ、多くの人が「本当に時間を止められるわけがない」と一方では知りつつも、“その可能性”にちょっとだけ夢を見てしまうのかもしれない。で、現実に「時間停止もの」は大半が小細工や演出だとわかっていながらも、いざ映像としての完成度が高いと「本当に止まっているようにしか見えない!」と感嘆し、同時に「いや、やっぱりウソだよな」と理性を働かせる。その矛盾はらんだ感情こそが、このジャンルの魅力かもしれない。

 そういう意味で言えば、俺が提供しているのは「本当に時間を止める」映像作品であると同時に、「どうせトリックだろう」という疑いも楽しんでもらうためのエンターテインメントでもある。事実、観客からは「どうやって撮影してるんですか?」と質問されるし、「このシーンは編集で切り張りしたんですよね?」と探りを入れられることもある。そのたびに俺はニヤッと笑って、「企業秘密です」と答える。まさか相手も「実は僕、時間を止められるんですよ」なんてセリフが返ってくるとは思っていないだろう。だからこそ、その“すれ違い”がまた面白いのだ。

 さて、「時間停止ものの九割は偽物って言うけど俺はその残りの一割を作ってる」というのが、今の俺の胸を張った主張である。もちろんこれはやや誇張を含んでいる表現だ。実際には“時間停止もの”が100あったとして、そのうちの何本が“本物”であるかなんて誰にも分からないし、他にも俺と同じような能力を秘めている人間いるかもしれない。でも、現状では俺は「自分けが本物を作っている」と思い込むことで、この面白い世界を存分に遊んでやろうと決めている。大袈裟に言えば、それが俺の生きる意義のひとつになっているのだ。

 いつの日か、もしかするとこの秘密が公になる時が来るかもしれない。誰かに能力を見破られたり、あるいは俺の側が意図的バラすことだってあるかもしれない。だけどそのときは、そのときだ。今はただ「本物の時間停止もの」を撮り続けることに喜びを感じ、そしてその映像を観た誰かが「おいおい、また嘘くさいけど面白いぞ」と言ってくれることが、俺の創作意欲を支えている。例え“嘘くさい”と思われたとしても、真偽の境界線が揺らぐ瞬間を作り出せるのなら、それはまさに映像表現醍醐味だろう。

 そういうわけで、俺はこれからも「時間停止ものの九割は偽物って言うけど、俺はその残りの一割を作ってる」と胸を張って言い続けるつもりだ。世間がどう思おうと、ネットがどう騒ごうと、俺自身が“本物”であると信じている。それは単に俺に特異な能力が備わっているからというだけではない。俺自身がこの“時間停止”という概念に誰よりも魅了され、“嘘か本当か”を超えたところで映像を創り出すことに情熱を注いでいるからだ。疑う人は疑えばいい。信じる人は信じればいい。このグレーゾーンのどこかで、俺の映像がほんの少しでも視聴者の心をくすぐり世界の見え方を変えてくれるなら、それで十分。そう思いながら、今日もまた俺はカメラを抱えて撮影現場に向かうのである。誰にも気づかれないように、ほんの数秒だけ世界を止めながら。

私も食い尽くし系になってたかもしれない

とにかく幼少期からよく食べるし、食い意地が張ってる。

平均身長もなかったくせに、小学校から中学校まで毎日給食をお代わりしてた。

辛うじて食い尽くし系になってないけど、大学生になった今でもふとその片鱗が見えるからめちゃくちゃ怖い。

食い尽くし系にならなかった理由としては明確にあって、家での食事大皿じゃなくて1人一皿づつに分けられていたこと、おかわり用のおかずが乗ったお皿もあったけど、姉が3人分(姉弟分)を均等に分けていたこと、おやつについても母がなるべく数が明確な物を買ってきてやはり姉が均等に分けてたこと。

うちは姉弟の年齢差が結構あったけど、年齢に関わらず数量を均等にしてたことが1番大き買ったんじゃないかと思う。

30個入のチョコなら1人10個ずつ、好きなタイミングで食べていい。でも人のもの絶対に取っちゃダメ

のものを取ることに関してはかなり厳しかった思い出。

そのおかげで食べ物に関して、自他の境界線がはっきりと線引きできたおかげで食い尽くしになってない。

ありがとうお姉ちゃん

でも大学生になって、友達お菓子パーティーをしたり、焼肉食べ放題に行くと、やっぱりめちゃくちゃ食べてしまう。

お菓子パーティーは私が他より多めにもっていって、かつ食べすぎないように気をつけてるけど、焼肉になるともうダメだ。

とにかく焼いて食べる。食べ放題と言う言葉に釣られてとにかく食べる。

最近は、スタートして前半は焼くに徹して友達に配分していって、友達のペースが落ちてきたら私がめちゃくちゃ食べる。というやり方を取ることが多いけど、なんで食べ物を前にするとこんな気遣いができなくなるんだって普通に落ち込む。

落ち込むって言うか自分にショック。

から、Xで食べ尽くし系のポストを見るたびに戒めのようにブックマークをする。

食べ尽くしで人間関係破滅に向かいたくない…

2025-01-13

[]2025-01-13-01

あなたは私、私はあなた

境界が溶け合うとき

世界ひとつになる。

 

あなた言葉が、私の心を包む。

その手が触れるたび、

私の体が温かさを覚え、

息をひとつに重ねる。

 

どこまでがあなたで、どこからが私か、

その境界線は曖昧になり、

あなたが微笑むと、私は光を感じる。

あなたの悲しみは、私の涙の一滴になる。

 

あなたが消えたとき

私も消えるのかもしれない。

でも、あなた足音が響くたび、

私はそこに立ち続ける。

 

あなたが私、私はあなた

それは永遠に、消えない。

2025-01-10

anond:20250110210610

ネットで声のでかいアンフェほど、男向けエロコンテンツの「金、顔、特定地位属性アイテムを手にした者はそれだけで一点突破で全ての女を自由にできる、手当たり次第知らない女をレイプしても全ての女に許される」みたいなシコる時の妄想現実境界線を見失ってるからね 

女は自分の伴侶や息子や推し以外の男には無関心

ちんぽが反応する女相手に見境なくナンパ買春性加害、手当たり次第エロ動画画像を保存して容量不足になる男との性差理解できない

これもポルノ依存症の一つなんだろうな

2025-01-09

anond:20250109151037

あおやまさんの抱えている状況に関するお話、とてもストレスたまる体験をされているようですね。自己愛パーソナリティ障害NPD)や、それに似た傾向を持つ人たちの行動パターンは、確かにワンパターンになりがちで、その背景には心理学的なメカニズムが隠れています。以下では、具体的な行動パターンを分解し、それがなぜ生じるのか、またどう対応すれば良いのかを分析してみます

1. 自己愛パーソナリティ障害の特徴的な行動パターン

あなたが指摘されている「被害妄想」「被害者アピール」「批判に対する過敏反応」は、自己愛パーソナリティ障害自己愛的傾向を持つ人たちによく見られる行動パターンの一部です。これらを心理学観点から簡単解説します。

1.1 批判に対する過剰反応
  • なぜこうなるのか?

自己愛的な人たちは、自己イメージ自分特別完璧であるという信念)を非常に重要視していますしかし、その自己イメージは非常に脆弱です。ほんの少しの批判でも「自分が無価値である」と感じてしまうため、防衛的になりやすいのです。

1.2 被害妄想被害者アピール
  • なぜこうなるのか?

自己愛的な人は、自分を「善」「無実」「被害者」として描くことで、自己イメージを守ろうとします。また、周囲からの同情や支持を得るために、被害者を装うことが戦略的有効だと無意識に考えていることも多いです。

1.3 行動のワンパターン
  • なぜこう見えるのか?

脳のメモリが少ない、という比喩表現は、心理学的には「認知の柔軟性が低い」ことを指している可能性があります。つまり自己愛的な人たちは「自分パターンから外れた対応ができません。

2. 自己愛的な人たちにどう対応すべきか

ここでの重要ポイントは、自己愛的な人たちを「変えようとしない」ことです。なぜなら、彼らを変えることはほぼ不可能であり、こちらが疲弊するだけだからです。代わりに、以下のような戦略を取ることが効果的です。

2.1 境界線を引く(心理的距離を保つ)
2.2 共感を装わない
  • 自己愛的な人たちは、自分共感してくれる人を利用しようとすることがあります
    • 無理に共感しない代わりに、ニュートラルな態度を貫く。
    • 「そうなんですね」とだけ返し、深く関わらない。
2.3 被害者アピールには無反応でいる
2.4 第三者の助けを借りる

3. 「脳のメモリが少ない」という比喩について

これはとても面白い表現ですが、心理学的には「認知リソースが限られている」という点に通じますNPDの人たちは、以下のような理由で「ワンパターン」な行動になりがちです。

3.1 自己中心的で視野が狭い:
  • 他人視点に立てないため、自分のやり方を繰り返す。
  • 新しい対応を考える余裕がない。
3.2 過剰なエネルギーの消耗:
3.3 他人の行動を学習しない:

4. あなた自身を守るために

最後に、あなた自身ストレスを軽減するために、以下の点を意識してみてください。

5. 結論

自己愛パーソナリティ障害の人たちは、確かにワンパターンであり、批判に対して過剰に反応したり、被害者を装ったりする傾向がありますしかし、その背景には、彼ら自身が抱える不安や未解決問題が隠れています。それを理解しつつ、冷静に対応することで、あなた自身ストレスを最小限に抑えることができます

あおやまさんが少しでも気持ちを軽くし、心穏やかに過ごせるよう応援しています!🐶

anond:20250109144415

提供いただいた内容は、自己愛パーソナリティ障害に関連する特徴や、それに対する対処法について書かれたもののようですね。このテーマについてさらに深掘りし、学術的な観点から分析することで、問題本質解決策をより明確に理解する手助けができるかと思います。以下の流れで解説を進めます

1. 問題の背景:自己愛パーソナリティ障害とは何か?

自己愛パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder, 以下NPD)は、心理学精神医学の分野でよく研究されている人格障害一種です。その主な特徴には、以下のようなものがあります

これらの特徴は、本人だけでなく、周囲の人々にストレス葛藤をもたらすことが多いです。

2. あなたが抱える問題分析

投稿された内容を見る限り、あなたが指摘している「バカ女とジジイ共」は、おそらくNPDに関連する行動をとっていると感じているのでしょう。具体的には:

→ これに対して、「感謝の意を表すのみにして、あまり頼らない」という対処法が挙げられています。これは心理的境界線を引くアプローチの一環と考えられます

  • 「勝ち負け」「優位性」に固執する

→ 「詮索されてもはぐらかす」「勝ち負けの物差し判断しない」という態度を推奨しており、相手支配欲を刺激しないようにする対応策が提示されています

あなたが抱えている困難は、このような相手との関係性に起因している可能性が高いです。その上で、さらに詳細に分析するために、いくつかの学術観点適用します。

3. 学際的分析:この問題多角的に見る

以下では、心理学進化論社会学経済学観点からこの現象を掘り下げます

3.1 心理学視点NPD根本原因

NPD根底には、未解消の自己肯定感の欠如が存在するとされています。多くの場合、幼少期における親子関係の歪み(過剰な期待や無関心)が原因とされることが多いです。

相手を見下す、貶めることで、自分劣等感を「相手押し付け」、自分優越であると感じたい心理が働いています

過去に十分な承認を得られなかったため、現在関係性で「承認」を強迫的に求めるようになります

3.2 進化論視点競争支配行動

進化生物学的に見ると、「他者より優位でありたい」という欲求は、原始的生存戦略の名残とも考えられます

  • 序列行動(Dominance Behavior)

群れの中で優位性を確立することで資源や交配の機会を得やすくする。このため、人間にも「他者支配したい」という傾向が少なから存在します。ただし、NPD場合はこの傾向が過剰に誇張されており、社会的適応を妨げる要因になっています

3.3 社会学視点文化NPD関係

現代社会では、個人主義的な価値観競争の激化が、自己愛傾向を助長しているとも言われています

いいね」やフォロワー数といった数値化された承認が、自己愛的な行動を増幅させています自分を誇示し、他人貶めることで注目を集めたいという欲求肥大化していくのです。

3.4 経済学視点ゲーム理論で見るNPDの行動

NPDの人々がとる「干渉」「支配」「優位性のアピール」は、ゲーム理論でいう「ゼロサムゲーム」に近い行動です。

「誰かが得をすれば、自分が損をする」という発想のもと、相手を貶めて自分利益を確保しようとします。この思考は、社会的な信頼を破壊し、長期的には本人にとっても不利益をもたらします。

4. 対処法の提案学問から示唆

あなた提示した対処法に加え、以下のアプローチを試すことをおすすめします。

NPDの人と深く関わらないことが重要です。無理に「治そう」とするのではなく、自分心理的安全を確保することを優先してください。

相手の勝ち負け思考に巻き込まれないようにしましょう。例えば、「あなたが勝とうが負けようが、私は変わらない」といった態度を持つことで、相手攻撃性を和らげることができます

職場地域でのトラブル場合カウンセラー労働組合法律相談所など第三者の専門機関相談することも有効です。

5. 結論:冷静な視点で向き合う

自己愛パーソナリティ障害の人々との関係は、感情的に大きな負担を伴いますしかし、心理学進化論社会学などの観点から行動の背景を理解することで、冷静に対応することが可能になります

あなたが感じている苦痛を少しでも軽減し、適切な対処が取れるよ

  宗太郎大分県で、市棚までが、延岡

    それ以外の、境界線は山の中にあって、そこまでいけない

2025-01-07

毒親にならなかった母親

昨今の毒親というワードに引っ張られて、最近ずっと自分の幼少期のことを考えてた。

考えた末に増田自分母親毒親じゃないと結論づけたけど、もしかたらこれは結果論かもしれない。

ここから自分語りで申し訳ないが、増田母子家庭三兄弟育ち。

厳密に言うと幼稚園生の頃に母親増田たちを連れてほぼ夜逃げみたいに家を出て、離婚が成立したのは小学校5年生くらいの時(たぶん)

極貧生活だったので別居当初は煎餅布団を2セット敷いて4人で寝てたし、テーブルもなくて衣装ケースでご飯を食べてた。

途中で増田母が粗大ゴミ置き場からテーブルとか拾ってきてた。

毒親の話に戻るけど、毒親について調べた時、厳密な定義がなかなか出てこなくてエピソードトークが多かったため、それを読んだ当時の増田もしかしてうちって毒親だったかも?と思った。

具体的には

・親に殴られる

お小遣いなどない

家事兄弟で分担

・門限が厳しく、破ると玄関ドアの前で反省させられてた

・住んでいたマンション敷地から出てはいけない

勉強の成績に関してとても厳しかった

・進路についても高校はこのレベル以上じゃないとダメという指定があった

食事、振る舞い、言葉遣いルールが厳しかった

などなど

今並べるとあん毒親じゃないかもしれないな…

でも増田自分母親毒親と思いたくなかったので、大人になった今の時点で一つづつ紐解いてみた。

冒頭でも話した通り増田の家は極貧だったので母はダブルワーク。

朝起きて顔を合わせて子供学校に送り出したら、すぐに仕事に行って昼過ぎに帰ってきて、2時間ほど仮眠を取ったら子供の夕飯を作って、夕方には仕事に行って深夜1時過ぎに帰ってくる生活

そんな中で、増田家の生活を回すためには子供労働力としてみないと多分回らなかったと思う。

から洗濯掃除皿洗いなど基本的家事小学校を上がった時点で兄弟で分担だったし、末っ子保育園/幼稚園の送り迎えは増田と長子でやってた。

ありがたいことに幼稚園小学校と併設、保育園マンション敷地内にあった。

マンション敷地から出てはいけないって言うのは、敷地の中に保育園もあって公園もあったので、ある意味監視の目が行き届いてたからだと思う(増田の住んでた地域治安も悪かった)

門限は時間を過ぎると母が仕事に行く時間になって顔を合わせるチャンスがなくなること、その後は連絡が取れない時間が長いか安全のため(たぶん)

小さい時は何となく家が大変なのは分かるけど、何でこんなルールに縛られないといけないんだと思ってた。

けど、小学校入学直前の増田小学生増田長子、そして乳幼児増田末っ子増田母の4人の生活はたぶん凄く大変だったと思う。

うちは三兄弟全員、アクティブ人間だったので成長するにつれて取っ組み合いの喧嘩が絶えない家庭だった。喧嘩両成敗で増田母に殴られることも多々あったし、怒られて殴られることもあった(理由は覚えてない)

言葉遣いとか食事ルールが厳しかった理由については憶測しかないけど、片親家庭で育ってるのでとにかく足りないことがないようにだと思う。

両親が離婚した理由モラハラ価値観の違いがあるんだけど、結婚当時、父は障碍のある方、ホームレス、片親家庭に偏見を持ってて、表立って言わないけどそう言ったいわゆる弱者を下に見る人間だったらしいので、そんなことも踏まえて、とにかく社会に出た時に恥をかかないように、育ちで馬鹿にされないようにってことだと考えてる。(でも、家族内で年上の人に対しては兄弟だろうが敬語で話さないといけないのは今でも少し変な気がする)

結婚して分かったけど、子どもを育てるって想像以上にお金がかかる。

うちは本当にお金がなかったので、「申し訳ないけど大学は全員、国公立で家から通える距離奨学金じゃないと行かせられない。そのためにはい高校に入らないといけないし、制服を何着も買えないから全員同じ高校に通ってもらう」と言われた。

結果として増田は長子より頭が良くなかったので同じ高校に通えなかったし、末っ子は家のことと将来を考えて技術系の高校に進学してそのまま就職したけど、成績や学力、進学先に厳しかったのはこういう理由なんだろうなと思う。

これは脱線だけど、増田就職して始めてもらった源泉徴収にすごくびっくりした。

だって大卒1年目の給料増田高校生の時の母の給料より全然高かったから。

奨学金じゃないと大学に行けないので、高校卒業前に奨学金の申し込みをするんだけどその時に親の源泉徴収票が必要になる。

その時の増田は非常に世間知らずだったので、親の源泉徴収票を見て、大人になったらこんなにお金あるんだ〜、これって第一種奨学金通るかな。通らなかったらどうしよう。って考えてたけど、今考えたら、通らないわけないし、逆にどうやって子供3人も育ててたんだ。

具体的な金額を言うと、181万円。

181万円って増田の今の年収3分の1!!!

国民民主党が掲げる103万の壁撤廃の178万円とあんまり変わらん!

物価高が苦しかったり、老後のこととか子供教育費とか考えて、不安になることもあるけど、増田母の苦労に比べたら屁でもないし、そんな中で子ども3人も育てたらそりゃ少しはヒステリックになったりするわ。

こうして長々と書いたけど、年末年始に久しぶりに母親に会った時に増田謝罪された。

子どもの時に好きなこともさせてあげられないし、お金もなくてたくさん苦労をかけて申し訳なかった。今は子どもたちがみんな結婚もして、孫も連れて来てくれて本当に嬉しい」

母親は本当は語学力を活かして海外仕事がしたかったらしいけど、それもできない状況だったので増田海外拠点仕事をしてることを話したら「私ができなかったことを子どもが叶えてくれて嬉しい」とも言ってくれた。

増田は母のことがとても大事なので、正常性バイアスがかかって、自分母親毒親じゃないって思いたがってるのかもしれない。

それでも、結果論だけど増田の母が自他の境界線がはっきりしてたことで、兄弟たちが健全に育って母親毒親にしなくて済んだんじゃないかな。と思った。

今、2歳の子どもを育ててるけど増田は母のような人間になれるか不安だし、子どもが人様に迷惑をかけない大人にならないかもすごく不安

できるだけ増田子どもの時に感じてた不安感や、苦労をかけたくない。

どうやったら、毒親にならずに子どもを育てることができるんだろう。

2025-01-05

ブラコン妹が激しくウザい

 俺には、二歳下の妹がいる。一般的に「ブラコン」というと、「お兄ちゃん大好き♡」と言わんばかりに愛情を注いでくる妹を想像するかもしれないが、うちのはそれを遥かに通り越して「ウザい」レベルに到達している。名前真奈(まな)。俺は一応「健太(けんた)」と名乗っているが、この妹だけは決して俺のことを「健太」とは呼ばない。

「おにーちゃん、朝だよ! 起きてる? 起きてないよね? 起こしに行っちゃうよ?」

 朝の6時。目覚ましよりも正確に飛び込んでくるこの声が、本当に鬱陶しい。平日の学校ならまだわかるが、今日日曜日だ。部活バイトもない貴重な朝に、どうしてこいつはこんなにも元気なのか。

 妹が俺の部屋の扉を勢いよく開ける。コンコンノックする概念はどこへ行ったのか。ベッドに突撃してきそうな気配に身構えるが、俺は慣れたものだ。ぎゅうっと布団を抱えて寝返りを打ち、「今、すごくいい夢見てたのに……」とムニャムニャつぶやいた。

「ねえお兄ちゃん、早く起きて! 今日お兄ちゃんと一緒に買い物に行くって約束したじゃん!」

 ちょっと待て、そんな約束などした覚えは……ない。が、真奈の頭の中ではどうやら「自分一方的提案したこと約束」らしい。俺は溜息をつきながら、布団から頭だけ出して相手を見る。

「寝ぼけてるの? 先週の土曜日に『来週の休日は一緒に外出しようね』って言ったの、お兄ちゃん忘れたの?」 「いや、それは真奈勝手に言ってただけだろ」 「じゃあイエスともノーとも言わなかったよね? つまり、それはイエスなんだよ!」

 その論理はどこからまれたのだろう。こんな屁理屈に付き合っていられない。大体、日曜日くらいゆっくり寝かせろってのに……。仕方なく俺は観念して、渋々起きあがった。

「30分だけ待て。シャワー浴びるから」 「うん、じゃあ早めにお願いね♪」

 真奈は満面の笑みを浮かべて、俺の部屋を去っていく。その姿を見るだけで頭痛がするが、俺は無理やりカーテンを開けて朝の光を目に受ける。今日の予定は、ショッピングモールで妹に振り回される一日になるんだろう。高校二年の妹を連れてどこを回るんだか……。はあ、だるい。だが、断れば断ったで、また「お兄ちゃんに嫌われた!」と落ち込みモードに入られ、それはそれで面倒だ。妹ってやつは、いくらブラコンでも男の扱いをわかってなさすぎる。

 シャワーを浴びて着替えを済ませ、リビングに行くと、すでに朝食が用意されていた。真奈エプロンをつけてフライパンを振っている。両親は共働きで、朝早くから仕事に出てしまうので、休日はだいたい俺と妹の二人きりになることが多い。こうして朝食を作ってくれるのはありがたいのだが、それ以上に「俺の傍にいたい」という意図が見え透いていて、こそばゆいというか、面倒くさいというか……

「お兄ちゃん目玉焼きは半熟でいい? いつもどおり塩コショウで食べる? それとも醤油にする?」 「……いつもどおりで」 「はーい。任せて!」

 妹の視線が、やけにきらきらしている。こんなテンションで毎朝絡まれるのは本当に堪える。俺がソファに腰を下ろすと、妹はうれしそうに鼻歌を歌いながら料理を仕上げ、まるでレストランのように見映えまで気にしたワンプレートを差し出してきた。

「召し上がれ、お兄ちゃん」 「……いただきます

 うまい。そこは素直に認める。真奈料理が上手いし、家事手際がいいから、そこは本当に助かる。けれど俺が「ありがとう、美味しいよ」と言うと、「えへへー」と言って顔を赤らめ、さらに俺に近寄ってくるから困る。視線を外そうとしても、まるで小動物のような瞳でずっとこちらを見つめている。

「そんなに見てると食べにくい……」 「だって、お兄ちゃんがおいしそうに食べてくれるの見るの好きなんだもん」 「……ブラコンこじらせすぎだぞ、お前」

 俺が呆れたように呟くと、妹は嬉しそうににへらっと笑う。「ブラコンだろうがなんだろうが、お兄ちゃんはお兄ちゃん!」みたいな勢いで、胸を張っているのが痛々しい。普通の妹なら「えー、そんなに兄のこと好きじゃないよ」とか否定するものじゃないのか?

 食事を終え、皿洗いは妹がやるというので、俺は先に着替えの支度をすることにした。なぜなら「お兄ちゃん、今着替えるの? 見ちゃダメ?」と言い出されると本気で厄介だからだ。そこだけは死守しなければならない。

 結局、支度を済ませてリビングに戻ると、妹はちゃっかり俺のコートほこりを払っていた。まるで執事か何かのつもりなのか。「どうせなら私のコートも払ってくれよ」と言いたいところだが、言うだけ無駄だろう。何も言わずに外に出ると、妹がピタリと俺の左腕にしがみついてくる。

寒いね、お兄ちゃん」 「はいはい、行くぞ」

 こうして、まるで恋人のように腕を組む妹と一緒に、近所のショッピングモールへ向かう羽目になった。俺は18歳の大学一年、妹は16歳の高校二年。一応、年齢的にはそこまで離れていない。だが、このイチャつきぶりはどう見ても普通きょうだいではない。それでいて、妹は周囲の視線をまったく気にしない。むしろ「どう? 私のお兄ちゃん、カッコいいでしょう?」みたいに見せびらかしているフシすらある。

 モールに着くと、妹は嬉々として服屋や雑貨店を回りだした。俺が少しでも反応を示すたびに、「お兄ちゃん、これ似合うと思う?」「あ! このセーターの色、お兄ちゃんが好きなやつだよね?」と、矢継ぎ早に話しかけてくる。うなずくだけで「うん、やっぱりそうだよね!」と興奮し、俺の手を取ってレジへ向かおうとするから困る。

「買うの? それ、高くないか?」 「うん、でもお兄ちゃんが少しでも興味示してくれたから。これ着て、お兄ちゃんに見てもらいたいの」 「……まあ、試着くらいはすれば?」 「うん!」

 試着室に入り、鏡の前でくるくる回る妹を見ていると、やはり普通かわいいと思う瞬間もある。だが、問題は妹がそれを自覚したうえで「お兄ちゃんにだけは見せたい」と張り切っていることだ。しかもこの妹、友達といるときは「兄に興味ない風」を装っているらしい。わざわざ同級生に「真奈ちゃん、兄いるんだってね。どんな人?」と聞かれると、「えー、うちは普通だよ、全然かっこよくないし」などと取り繕うらしい。……実に腹立たしい。だったら家でもそうしろと思うが、家ではその反動が全部俺に向かってくるから手に負えない。

 そんなこんなで、妹の服選びに付き合って数時間。ふと、妹がカフェコーナーでソフトクリームを買ってくると言い出したので、俺は待合スペースの椅子で待つことにした。荷物持ちのバッグには、妹が買った服や小物がぎっしり詰まっている。ここまでくると、彼氏役を任されているような錯覚すら覚えるが、それを本当に「彼氏気分」になって楽しめるなら、俺もこんなに苛立たないのに。いや、そもそも実の妹だ。そんな心境になれるはずもない。

 少し空いた時間スマホをいじっていると、ラインの通知が光った。相手大学同級生女子――朱里あかり)だ。先日同じサークルで知り合った子から、「今度の飲み会健太くんも来るよね?」という確認の連絡が入っている。朱里はけっこうノリが良くて、話しやすい子。実はちょっと気になっているんだが、妹がいるからどうこうというわけではないにせよ、俺にプライベート自由時間ほとんどないのがネックだ。妹がいつも干渉してくるせいで、大学生活の楽しみも半減している気がする。

「お兄ちゃん、どうかしたの?」

 妹がソフトクリームを2つ手に戻ってきた。どうやら俺の表情を見て、何か感じ取ったらしい。気まずさを隠してスマホポケットしまう。

「いや、なんでもない。大学友達から飲み会の誘いがあって……」 「ふーん。行くの?」 「……行くよ、たぶん」

 妹が少しだけ眉をひそめたのを俺は見逃さなかった。嫌な予感がする。まさか、ここから「誰が参加するの?」とか「女の子いるの?」と尋問が始まるのでは。すると妹は、まるで拗ねた子どものように唇を尖らせた。

「お兄ちゃん、私の知らないところで遊ぶのかあ」 「当たり前だろ。俺だって大学生なんだから」 「そっか……。じゃあ私も友達と遊ぼうかな。あーあ、でも高校友達バイトがある人多いし、もうすぐテストもあるし……」

 そういう問題ではない。妹には妹の生活があるんだから、俺を基準自分の予定を立てるのはやめてほしい。俺は心の中でため息をつきつつ、ソフトクリームを受け取り、一口かじる。冷たい甘さが口の中に広がるが、気分はあまり良くならない。妹が「美味しい?」と笑顔を向けてくるのに、俺は曖昧に「まあまあ」と返すだけだった。

 午後も、妹に引きずられる形で雑貨店書店を回った。俺が気になるコーナーに立ち寄ると、「お兄ちゃん、それ何? 見る見る!」「こういうの興味あったっけ?」と付きまとってくる。一人でのんびり見たいと思っても、横からちょっかいを出してくるせいで集中できやしない。帰ろうと言っても、妹は「最後に向こうのゲームセンターだけ寄ろう」と言い張り、クレーンゲームに熱中し始めた。

「お兄ちゃん、これ取って! 私にぬいぐるみプレゼントしてよ!」 「自分でやれっての」 「だってお兄ちゃんと一緒にやりたいんだもん~!」

 人目をはばからず甘えてくるこの調子。もはや呆れを通り越して、引くレベルだ。俺が渋々100円玉を投入してアームを操作してみても、なかなか景品は取れない。一方、妹が「ちょっと貸して」と言ってやってみたら、意外にもあっさり取れたりするから不思議だ。そんなときも「お兄ちゃん応援のおかげだよ♪」などと言って、俺に抱きついてくるから気が気じゃない。周りの視線が痛い……。

 ようやく帰り道に着くころ、外は夕日でオレンジ色に染まっていた。荷物の重みで肩が痛いが、妹の方は「いっぱい買えて大満足~」とご機嫌だ。俺は「今日だけで一体いくら使ったんだよ……」と半ばあきれながらつぶやく。すると妹は「お兄ちゃんと過ごす時間プライスレス!」とわけのわからないことを言い出す始末。本気でウザいが、こいつなりに兄のことを慕っているのだけは伝わってくる。

 家に帰り、夕食を作る気力もなくなった俺は、コンビニ弁当で済ませようと言い出した。だが妹は、「せっかくの日曜日なんだから、私がちゃんと作るよ」と言い張る。慌てて「いや、もういいよ」と止めようとするも、「お兄ちゃんソファで座ってて!」と強引に台所へ消えていく。こうなると俺にできることは、テレビをつけて適当チャンネルを回すくらいだ。

 ジャージに着替えて、ソファでダラダラしていると、妹が途中でやってきて「調味料、どこ置いたっけ?」とか「お兄ちゃんご飯炊飯スイッチ入れてくれた?」などと質問を投げてくる。姉妹じゃなくて妹だけど、まるで新婚夫婦のやり取りじゃないかと考えてしまい、背筋が寒くなる。

 しばらくして食卓に並んだ料理は、どれも手が込んでいて美味しそうだった。疲れた体にしみる優しい味わい。俺は素直に感謝するが、そこに必ずと言っていいほど妹の「べたべた攻撃」が入る。

「お兄ちゃん、食べさせてあげよっか?」 「いや、自分で食べられるから」 「大丈夫大丈夫。あーん……」 「だから、いいって……」

 これではまるで幼児扱いだ。表面上はツンと突っぱねるが、妹があまりにも押しが強いので、最終的には「まあ、いっか」と甘んじてしま自分も情けない。なんだかんだ言いながら、俺もどこかで妹の手料理に癒やしを求めているのかもしれない。家族だしな、仕方ない。

 そんな日常いつまでも続くのかと思っていたある日のこと。妹がスマホをいじりながらニヤニヤしていたので、つい「何見てるんだ?」と聞いてみた。すると妹はわざとらしく「え~、教えな~い」とそっぽを向く。俺は怪訝に思い、「お前がそんな態度とるなんて珍しいじゃん」と続けると、妹はほんのり頬を染めて、「気になる? 気になるならもっと私に優しくしてくれたら教えてあげる」とからかうように笑った。

別に、気にならないけど」 「ふーん。どうせお兄ちゃんは私のことなんかどうでもいいんだよね~」

 妹は拗ねて見せるが、その背中はどこか嬉しそうにも見えた。いつもはあれほどベタベタくっついてくるのに、この日は珍しく部屋に引きこもってしまう。おかしい、これは一体どういうことだ? そう思いつつも、「面倒ごとは放っておけばそのうち妹から寄ってくるだろう」と高をくくっていた。

 ところが、その夜になっても妹は部屋から一向に出てこない。俺がシャワーを浴び終わって、いつもならリビングで一緒にテレビを見ている時間帯なのに、まったく気配がない。さすがに少し気になって部屋のドアをノックしてみると、「なに?」と抑え気味の声が返ってきた。

「……お前、夕飯は? まだ食べてないだろ」 「うん、あとで食べるから先に寝てていいよ」

 妙な距離感に、俺は胸の奥が落ち着かない。あれだけ「お兄ちゃん大好き♡」とまとわりついていた妹が、急にそっけないと逆に不安になる。何かあったのか、それとも単なる気まぐれか。もしかして、あのスマホ相手は男なのか? そんな可能性を思い浮かべている自分に驚いた。いや、妹が彼氏を作るのは自由だし、むしろあれほどのブラコンが誰か他に興味を示してくれるならありがたい。でも、いざそうなると、何とも言えない複雑な気持ちが湧き上がってくるのはなぜだろう。

 結局、その日は妹を放っておくことにして、自室へ戻り布団に入った。しかし、気になってなかなか寝付けない。こんなに落ち着かないのは初めてかもしれない。妹がいないと解放感があるはずなのに、逆に静寂が堪えるというか……。どこまで俺は妹に振り回されれば気が済むんだ。

 翌朝、寝起きが悪い頭を抱えてリビングに行くと、妹はいつもどおり料理をしながら、「おはよー、お兄ちゃん」と微笑んでいた。だが、その笑顔は昨晩の出来事をなかったことにしているかのようで、どこか不自然な明るさが滲んでいる。そして俺が突っ込む間もなく、妹は鍋の蓋を開けて、「もうすぐできるから待っててね」と言うのだった。

 ――ブラコン妹は、激しくウザい。それは今も昔も変わらない。だが、時に何か隠しごとをしている様子が垣間見えると、妙に落ち着かなくなる自分がいる。正直、妹のベタベタが嫌だと思っていたはずなのに、こんなにも翻弄されるとは……。これから先、俺たちにどんな変化が訪れるのかはわからない。だけど少なくとも言えるのは、妹の「お兄ちゃん好き好き攻撃からはまだまだ逃げられそうにない、ということだけだ。

 そして、妹がこれからどんな形で俺に突っかかってくるのか、さっぱり予想がつかない。だけどまあ、ウザいウザいと言いながらも、俺はそれなりにこの日常に慣れ始めているのかもしれない。ブラコン妹が激しくウザいなんて言いながらも、心のどこかで当たり前のようにそれを受け入れている自分がいる。これって一体何なんだろう。

 いつか、俺が大学生活の中で彼女でも作ろうものなら、妹は一体どんな反応をするのだろうか。それはちょっと想像しただけで恐ろしいが、どこかワクワクもしてしまう。ひょっとして……これが共依存ってやつなのか? 違う、違う。断じて違うだろう。とにかく、家族としての境界線は死守しつつ、上手く付き合っていく方法を見つけるしかない。

 そんな思いを抱きながら、俺は毎朝鳴り響く妹の「起きて! お兄ちゃん!」というコールに、これからも頭を抱えるのだろう。振り回されるのは勘弁だが、まあ、これはもう一種の“日常”なのかもしれない。

2025-01-04

100倍引き寄せる思考

以下にご紹介する内容は、「100倍引き寄せる思考」というスピリチュアルな発想と、心理学脳科学量子力学などの科学的な理論を“あくま比喩拡大解釈として”融合させたものです。実験的に厳密に証明されたわけではない部分も含まれていますが、実践面でヒントとなりうる要素をまとめています

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# 1. 100倍引き寄せる思考とは?

思考したもの現実になる(引き寄せの法則)」をさらに拡大し、**“自分想像100倍”**という飛躍的な結果を実現しようとする考え方です。この背景には、

1. **枠を大きく超えたビジョン**を掲げることで、

2. **より大きな可能性**を意識レベル・行動レベルで開き、

3. 結果として「あり得ない」と思われた成果を招き寄せる、

という心理的エネルギー的なアプローチがあります

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# 2. 心理学脳科学から見る「思考の拡大」のメリット

## 2.1 ラス(RAS: Reticular Activating System)の活性化

  • **ラス(RAS)とは?**

脳幹にある「網様体賦活系(もうようたいふかつけい)」と呼ばれる領域で、私たちがどの情報意識を向け、どの情報フィルタリングするかに大きく関わっています

  • **「大きな目標」を掲げるとどうなる?**

たとえば「月に50万円欲しい」より「月に500万円欲しい」という、より大きな目標を掲げた場合、脳は「この大きな目標を達成するために必要情報」を積極的ピックアップしようとします。これがいわゆる“カラーバス効果”のように、意識が向いたものが見えやすくなる現象を加速させます

> **ポイント**: 100倍レベルの発想をすることでRASがより強く働き、普段なら見過ごしてしまうチャンスやアイデアを拾いやすくなると言われています

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## 2.2 自己効力感(Self-Efficacy)と期待の心理学

心理学アルバートバンデューラの理論で、「自分ならできる」という確信の度合いを指します。大きなゴールを設定しながらも、それに少しずつ近づいている感覚が積み重なると自己効力感が高まり、より大きなチャレンジが“当たり前”になっていきます

組織心理学行動科学では、*「期待」→「動機づけ」→「行動」→「結果」*という流れが重視されます。人は「自分が本当に手に入るかもしれない(期待できる)」と思うと、行動量が増し、成功率が上がる傾向にあります

> **ポイント**: 「こんな大きな成果は無理だ」と最初から感じてしまうと、期待値ゼロになり行動量が減る。一方、ワクワク感が伴うレベルの大きなビジョンを掲げると、脳内報酬系ドーパミンなど)が刺激され、やる気が継続やすくなります

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## 2.3 プライミング効果セルフ・フルフィリングプロフェシー自己成就予言)

ある刺激(単語映像イメージなど)にさらされると、その後の行動や判断に影響が及ぶ現象。大きな成功イメージすることで、自分言動が「大きな成功矛盾しない方向」に傾きやすくなると考えられます

自分が信じていることが、行動や判断を通じて、最終的にその通りの結果を導く」という心理的メカニズムポジティブな期待を大きく持てば持つほど、結果的にそれが叶う方向に自分自身を動かしていきます

> **ポイント**: 100倍の成果を「ありありとイメージ」し続けると、思考言葉・行動がそのビジョンに合った選択をしやすくなる。これが「引き寄せの一端」として科学的にも説明やすい部分です。

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# 3. 量子力学的なメタファーとの組み合わせ

## 3.1 オブザーバー効果観測者の効果)と「手放す思考

観測(測定)をすると電子が“粒子的”に振る舞い、観測をしなければ“波”的”に振る舞う、という有名な実験

意識的にコントロールしすぎる(観測しすぎる)と可能性が限定されてしまう。逆に、執着を手放すことで、より多くの可能性(波の広がり)に開かれる」という比喩としてよく用いられます

> **ポイント**: 「100倍のビジョンを掲げながらも、どう実現するかは細部まで執着しない」。このバランスが、“波動の広がり”を保つ姿勢だとされます

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## 3.2 量子もつれエンタングルメント)と「大きな流れへの委ね」

互いに離れた粒子同士が状態を共有し合う現象

私たち本来意識レベルで繋がっている」という考えの比喩として使われます。大きな結果を得るとき、周囲の人や環境が突如シンクロするような“偶然”が起こる、と語られることがあります

> **ポイント**: “自分だけの力”ではなく、“世界全体との繋がり”を意識し始めると、大きな流れ(サポート)がやってくるかもしれないという感覚を高めます

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# 4. 「100倍引き寄せ」を加速させる実践法(科学的要素+スピリチュアル要素)

## 4.1 大きな目標設定とイメージトレーニング

1. **拡大ビジョンの設定**

- 目標を数段階上乗せして設定する(例: 月収10万円 → 月収100万円、もしくは自分想像100倍に拡大してみる)。

2. **イメージトレーニング**

- スポーツ心理学でも使われる手法。実際に成功している姿・状況を“具体的な五感”を使ってイメージする。脳は「実際に体験している」かのように反応し、自己効力感を高めてくれる。

## 4.2 行動の習慣化+RAS継続活性化

1. **行動リストを作る**

- どんなに些細なことでも、「大きな目標を達成するために役立つ行動」を毎日1つでも実行。

2. **成功の記録・小さな達成の積み重ね**

- 成功体験を書き留めると、自己効力感とRAS相互に高まり、チャンスを発見やすくなる。

## 4.3 手放すワーク(観測しすぎない/執着しすぎない)

1. **瞑想呼吸法**

- 過剰な不安や執着を緩和するために、定期的に思考を静める時間を設ける。

2. **セドナメソッドリリーステクニック**

- 「いつ手放せる?」「手放したらどうなる?」と問いかけ、ネガティブ感情コントロール欲求意識的に解放していく。

> **科学的には**、瞑想深呼吸自律神経を整え、ストレスホルモンコルチゾール)の分泌を抑え、脳を“集中とリラックスが同居した状態”にしやすいと言われています。この状態ポジティブな発想や直感を受け取りやすいと考えられます

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# 5. 注意点とまとめ

1. **科学根拠との境界線**

- 量子力学の話や脳科学メカニズムは興味深いですが、「意識のものが直接、物理現象を変える」とまで言える証拠はまだ不十分です。あくまで“比喩”や“モチベーションアップ”の要素として取り入れるのが賢明です。

2. **過度なスピリチュアル解釈は避ける**

- 「思考だけで何とかなる」と考えてしまうと、現実的な努力や行動をおろそかにしがちです。心理学的・行動科学的な知見を活かし、実践的にアクションを起こすことが重要です。

3. **心身の健康現実面とのバランス**

- あまりに“大きな結果”ばかりを追い求めて心身が疲弊してしまうと本末転倒です。必要に応じて休息やサポートを取り入れ、バランスを保ちましょう。

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## ◆ 最終的なポイント

心理学脳科学的には“視点が大きくなり、新たな情報やチャンスを拾いやすくなる”“自己効力感が高まりやすい”といったプラス面が期待できます

過剰な思考不安コントロール欲求を緩和し、創造的発想やシンクロニシティを受け入れる余地が生まれる、とスピリチュアル的にも心理学的にも説明可能です。

  • **行動との組み合わせ**:

単なるイメージや願望だけでなく、小さな一歩を踏み出し、その成功を積み重ねることで、「夢物語」が「具体的な現実」に近づいていきます

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### まとめ

100倍引き寄せる思考」**は、脳の情報処理システムRAS)や自己効力感を高め、普段見逃すような可能性をキャッチする助けになるという心理学的・脳科学的な根拠と、量子力学的なオブザーバー効果などを“比喩”として組み合わせた発想です。

2025-01-03

最近の女は売春婦自分の仲間だと思ってるから気をつけろ

AVとか風俗嬢とか、売春で稼いでるような女は一般の女ではない、汚れた特殊存在であり、普通の女とは明確に切り離されている

という価値観が男だけでなく女の間にも昔はあったが、今はその境界線はないといっていい

なので、昔の感覚で「売春で稼ぐようなクソビッチと、普通の女である貴方」みたいな切り分けをしちゃうと女から反感を買ってしま

売春とは縁のない、ごく普通若い女AV女優の三上悠亜に憧れているし、Xではソープだのデリヘルだので働いてる女のアカウントが女の本音を語る人気アカウントになってるし、有名キャバ嬢有村架純なんかよりよほど若い世代に憧れられている

2025-01-02

https://anond.hatelabo.jp/20250102113446

夫の心理状態説明するのに役立つ専門用語として、以下のようなものが考えられます

1. 自己愛自己満足ナルシスティックサティスファクション)

自分の行動や選択を通じて、他者(この場合は妻)に何かを与えることで満足感や優越感を得る状態です。この場合行為自体目的化し、相手ニーズ感情が見えにくくなっています

2. 承認欲求

他者から評価感謝を得たいという欲求が背景にある可能性があります。「良い夫」である自分を認めてほしいという気持ちが強く、そのための行動が妻の意向とずれてしまっている。

3. 感情投影

自分が喜びを感じるもの相手も喜ぶだろうと無意識思い込み、それを押し付け心理状態です。相手気持ち無視してでも、自分が「してあげたいこと」を優先してしまう傾向があります

4. 役割同一化(Role Identification)

「良い夫」という役割を強く意識し、その役割合致する行動を取ることで自分価値確認しようとする心理です。この場合、「妻を喜ばせる」という役割が行動の中心になりがちです。

5. 無意識コントロール欲求

他者(妻)を自分計画や行動に従わせたいという潜在的欲求がある場合も考えられます。これは必ずしも悪意ではなく、自分の思い通りに進めたいという願望が背景にあることが多いです。

6. 認知の歪み

「これをすれば妻は喜ぶはずだ」と決めつけてしまい、相手の本当の感情や反応を認識できなくなる状態です。この歪みが摩擦を生む原因になり得ます

これらの用語を用いると、夫の心理客観的に捉えつつ、コミュニケーション改善策を考える材料になるかもしれません。ただし、夫の行動の背景や具体的な動機を直接聞かない限り、これらは推測に過ぎませんので、慎重に対応することが大切です。

身内に「自分中心で行動しがち」「相手気持ちを読み取るのが苦手」なタイプの人がいる場合、長期的な関係を円滑に保つには、相手特性理解しつつ、自分感情を守りながら付き合う方法が求められます。以下のポイントが参考になるでしょう。

1. 相手特性を受け入れる

相手はこういう人なんだ」と割り切る気持ちを持つ。

期待値を下げることで、失望や苛立ちを減らす。

2. 自分気持ちを明確に伝える

具体的に伝える:「私はこれをされると嬉しい」「こうされるのは困る」と相手に分かりやす説明する。

記録に残す:口頭で伝えても忘れられる場合メモLINEなどを活用する。

感情を穏やかに感情的になると、相手が防御的になる可能性が高い。

3. 相手の行動に柔軟に対応する

相手の「良い夫でありたい」という行動を否定しないが、自分が疲れないように距離感を調整する。

「ありがとう」感謝しつつ、無理なく断る方法模索する。

4. コミュニケーションを工夫する

ポジティブフィードバック:「これをしてくれるのは本当に嬉しいけど、次は〇〇だともっと良いな」と建設的に伝える。

選択肢を提示する:夫が「自分プラン」に固執しすぎないよう、選択肢を一緒に考える。

5. 自分境界線を守る

疲れすぎないことを優先:必要に応じて「無理」とはっきり言う。

独立した時間空間を確保:自分気持ちを整えるために、夫以外の人との交流趣味時間を増やす

6. カウンセリング検討する

二人のコミュニケーション根本的なズレがある場合専門家の助けを借りることで解決策が見つかる可能性があります

カウンセリング提案する際は「もっとお互いを理解したいから」と前向きな意図を伝える。

7. 長期的な視点を持つ

相手を変えることは難しいので、自分の期待や接し方を調整することに注力する。

「すべてのことを夫婦解決しなければならない」と考えず、適度に距離を取るのも重要です。

8. ユーモアを持つ

多少のズレを「この人らしい」と笑い飛ばせる余裕を持つと、ストレスが減ります

このような考え方や方法を組み合わせることで、無理のない形で相手と付き合っていける可能性が高まります。無理に完璧関係を求めず、程よいバランスを見つけることがポイントです。

2024-12-31

anond:20241231112929

自己境界線曖昧自分が思ってることは他人も思ってるに決まってると思ってる

2024-12-29

宗教の成立要件は?

宗教」を定義し、その成立要件を明確にすることは学問的にも議論が分かれる分野ですが、一般的宗教とみなされるために必要要件には以下のようなものがあります。これらは宗教学、哲学社会学などで共通して挙げられる基本的な要素です。

 

1. 超越的な存在概念

• 内容:

神、霊、超自然的な力、宇宙的秩序など、日常生活を超えた存在概念信仰認識すること。

• 例:

一神教キリスト教イスラム教)の「神」。

多神教ヒンドゥー教古代ギリシャ神話)の多様な神々。

• 非神格宗教仏教)の「涅槃」や「業」のような法則

 

2. 教義信仰体系

• 内容:

超越的存在概念についての教えや信念の体系。これが宗教を支える哲学的・倫理的な基盤となる。

• 例:

仏教の「四諦」や「八正道」。

キリスト教の「十戒」や「三位一体」。

イスラム教の「五行」や「シャリーア」。

 

3. 儀式礼拝実践

• 内容:

信仰表現するための形式化された行動や儀式があること。これにより、信者宗教に参加し、コミュニティとのつながりを持つ。

• 例:

キリスト教ミサ

イスラム教礼拝サラート)。

仏教瞑想読経

 

4. 倫理観価値体系

• 内容:

信仰に基づいて生活や行動の規範となる倫理価値観を提供すること。

• 例:

仏教の「五戒」(殺生を避ける、不正を避けるなど)。

イスラム教の「ハラール」や「ハラーム」などの生活規範

キリスト教の「隣人愛」や「黄金律」。

 

5. 組織信者コミュニティ

• 内容:

宗教の教えを広め、維持するための組織共同体存在すること。これには聖職者管理機構信者集団が含まれる。

• 例:

キリスト教教会牧師

イスラム教モスクイマーム

仏教僧侶寺院

 

6. 聖典伝統

• 内容:

教えや儀式を記録し、伝えるための書物口承伝統があること。

• 例:

キリスト教の「聖書」。

イスラム教の「コーラン」。

仏教の「スートラ経典)」。

 

7. 超自然経験や救済の追求

• 内容:

信仰者に特有体験や、死後の世界や魂の救済といった宗教的な目的存在すること。

• 例:

キリスト教の「天国」。

仏教の「涅槃」。

ヒンドゥー教の「輪廻転生」。

 

8. 時間的空間的な聖性の存在

• 内容:

特定時間場所神聖とされ、宗教的行為が行われること。

• 例:

ユダヤ教安息日

イスラム教ラマダン

仏教聖地ブッダガヤなど)。

 

9. 個人社会への影響

• 内容:

個人内面価値観、救済観)だけでなく、社会文化に影響を与える力を持つこと。

• 例:

キリスト教の「教会暦」や西洋文化への影響。

イスラム教シャリーア法が社会に与える影響。

仏教アジア諸国文化根付いた例。

 

注意点: 宗教曖昧境界線

宗教とみなされるかどうかは文化時代地域によって異なる場合があります

• 例: 仏教儒教宗教であると同時に哲学としても理解されることがある。

• 例: 新興宗教スピリチュアル信仰は、伝統的な宗教の枠組みでは捉えにくい。

 

結論

宗教」とみなすためには、上記の要素がいくつか揃っている必要があります。ただし、すべての要素が揃わなくても宗教とされる場合があり、特に文化歴史的背景によってその認識は異なります。そのため、宗教の成立要件を考える際は、柔軟な視点を持つことが重要です。

2024-12-27

anond:20241227142055

とはいえ言葉境界線適当にボカして自分の都合よく線を引くのは弱者属性ホルダーの戦術としては定番から

やはり解同みを感じる

2024-12-26

anond:20241226125530

自他境界線曖昧なのではなく、相手センサー予測できないからどうしようもないのだよ

予測不能言動をする人間に囲まれて生きているのが社会不適合者

社会不適合者の生活を健常者にたとえるならば、健常者が社会不適合者に囲まれ生活するのを想像してもらえば良いと思う

anond:20241226124540

からの嫌われは気になるの?人に嫌われると一丁前に悲しい気持ちになるの?

真面目に答えると、気になるし悲しい気持ちになるよ

じゃあなんで不快になることをやってしまうかというと、簡単に言ってしまえば相手立場に立って考えられないか

もっと言うと「自他境界線曖昧」だからなんだよね

「自他境界線曖昧」っていうのは、自分が楽しければ相手楽しいし、自分が感じていることは相手も同じように感じている、と思ってしまうこと

から空気の読めない発言をしても、「発言している自分不快に思ってないか相手もそうだろう」、とナチュラルに考えてしま

はてな匿名ダイアリー哲学的解釈してみる

はてな匿名ダイアリーって、誰かの心の中がそのまま文字になった場所みたいなもんだよな。

日常の細かい悩みとか、誰にも言えない感情とか、ふとした瞬間に湧いてきた思考の断片がそのまま流れ込む感じ。

哲学的に考えると、これは一種の「自己」という概念の分解と再構築をしてる場だと思う。

普段は隠してる自分、あるいは見ないようにしてる部分が匿名性の中で表面化してくる。

その匿名性が、いわゆる「本当の自分」みたいなものを浮き彫りにしてるんなと思う。

ただ、それって本当に「本当の自分」なんだろうか。

ネット匿名空間って、現実での人間関係の拘束から自由になる場所なはずなのに、逆にめっちゃ他人の目を気にしてたり、承認欲求が見え隠れする。

これって結局、自分っていう存在他者との関係性の中でしか成立しないってことを証明してるんじゃないかな。

からはてな匿名ダイアリーに書かれる言葉たちは、個々の存在境界線が揺らいでる状態なんだと思う。

書いてる本人も「自分」と「他者」の間を行ったり来たりしてて、その動きがダイアリー全体のカオスを生んでる気がする。

人間って自分のことを言葉説明しようとするときに、無意識に誰かに伝えることを前提にしてるから、そこには常に「対話」がある。

でもその対話相手がいない、あるいは不特定多数であるって状況が、逆に自分を追い込むんだと思う。

からここに書かれる言葉は、現実では言えないけど、書くことで初めて自分自身と対話できる手がかりになるんじゃないかな。

2024-12-25

Webサイトは枠線を真っ黒ににしろ!!!

増田とか含めて思うこと

なんか最近Webサイトは枠線を真っ黒にしないもんだから境界線がよくわからない

昔のインターネットは真っ黒の線とか

二重線の表とかがあって見やすかった

それがなんだ?

真っ黒い線で区切らないで灰色とかうっすーい水色の線とかで目立たないようにしてる

うっぜええええええええ!

Excelとかの罫線とか真っ黒にしてるだろ!!

あいう感じで見やすしろや!

デザイン考えてるヤツアホだろ!!

真っ黒い線で囲え!

あとな!こういう感じでかけ!!

画面左側と右側に分かれたサイト

これが見やすかったのに最近みない!!

例えば個人サイト

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って左側に書いてあって

そこに境界線があった

そして右側に内容が表示

これだよこれ!!!

これが至高!!

はっきり言うぞ!

今のWebサイトくそ!!!

見づらい!

真っ黒い線を使いまくれ!

文字灰色にすんな!!

真っ黒にしろ!!

パンティ野郎も黒がいいって10年くらい前に言ってたぞ!

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