はてなキーワード: そもそもとは
2021年くらいに俺はほうぼうで仮想通貨は2025年から跳ね上がる、なぜならアメリカが本腰を入れるからだ、とこの増田も含めあちこちで何度も書いていた。
このまま行けばこの予言は当たるだろう。
500万円くらいだった仮想通貨ポートフォリオは今二千万円くらいまで育った。できればあと二十倍くらいにはなってほしいが、2030年くらいだろうと思っている。
投資という観点から見れば大した事ない額だが、4年前に買って放置してたらこうなったのだが、まだ序章でしかないと思っている。
多分今後もいきなり値段が半分になるとか起きるだろうが、5倍になってから半分になるとかそんなノリだろう。
さて、2021年になんで俺がそう思ったのか、そしてなんでWeb3.0に対して全く信頼してないのか書いてみよう。
まず、仮想通貨という名前だが、これが本質的に何なのか、ということだ。
誰が何と言おうが俺にとっては完璧に電子化され、かつ民主化された送金システムだ。
これまで銀行がガチガチに囲っていた送金システムを誰でも使えるようにした、しかも数学的に完璧にハッキング不可、かつ、検証できる方法で。
各国の政府や偉い人は最初は反発した。エル・サルバドルは法定通貨にして買い溜めることにした。
マネーロンダリングの危険性がある、とかな。だけど言いたいことは通貨のコントロールと言う国や中央銀行が持つ最大にして最強の既得権を奪われたくない、だ。
ただ、仮想通貨というそれそのものを違法にすることはできなかった。
なぜかと言うと仮想通貨には告訴をすべき人がいない、ということだ。
なので、企業としてやっているリップルなどに対して訴訟を仕掛けて嫌がらせをするしか無かった。
逆に言うなら国も嫌がらせをするくらいしかできないものだった、ということだ。
ではなぜ2025年なのか、に話を戻す。2021年の時点でトランプが再選するなどとは思っていなかったが、2025年というのは仮想通貨にとって15年目だ、という点が重要だ。
正確には違うかも知らんが、まぁ15年目と思って聞いてくれ。
15年という数字、俺はインターネット以降重視しているものでもある。
ARPANETではなく、インターネットは1980年代半ばに始まった。当初はほとんどの人も何のことか分からず不気味なものくらいにしか思っていなかった。
1990年代にいよいよ人々が使うようになった頃に人々は反発した。あんなのは違法データまみれの犯罪者が使うものだ、政府は規制して異本にすべきだ、位のことはよく言われていた。
2000年代に入り爆発的に広まり今ではないことがありえないものになった。
これは全く民主化された情報インフラであるからだ。つまり大体15年で花開いたものであり今も成長を続けている。
スマートフォンの歴史を見てもいいだろう。当初どれだけの人があんなものは使い物にならないと言っていたか?
古くはグラハム・ベルの発明した電話もそうだし、コンピュータだってそうだ。
この頃は15年ではなくもっと長かったかもしれない、生まれてないから知らないが、共通する展開というものがある。
次にいわゆるアーリーアダプターと呼ばれる人々が使い始める。その中でこれは革命的だから広めようという人たちが出てくる。
ある程度広まってくると、知る人のみぞ知る良いもの、という認識と、わけのわからない犯罪の温床だ、という人が出てくる。
細かな訴訟はちらほらあるがそんなのはそっちのけでどんどん発展していくが、人々の興味を引くほどではない。
ちなみに仮想通貨においてこの展開が2021年くらいに始まった。ここで俺は買うべきだと確信した。
その後もネガキャン張られまくりながらも発展を続ける。そのため人々の中では評価が極端に二分されるが、ネガティブな評価をしてる人たちは、せいぜいみんな嫌ってるから自分も嫌い、位のことしか言わない。
そんなわけでどんどん広まっていきネガティブな情報よりポジティブな情報が広まっていく。
人々もかなりの額を投資し始めるので、今さらやめる、とは言えなくなっていくが、同時に当初言われた問題も無視できないレベルになっていく。
この辺で当初のアンチはそらみたことかといいはじめる。哀れだなといつも思っている。なぜなら国も検討しはじめるからだ。CBDCとかがこれだ。
そうなったことで国が規制に本腰を入れ始める。これが今年アメリカで起きることだ。
国がしっかりと規制を作ることで人々は安心して使えるようになり、安心してマーケティングもできるようになる。おかげで需要が増大するので、価値が高まっていく。
これはおそらくだが早ければ今年の後半、遅くとも来年には始まるのではないだろうか。
一応言っておくが、サトシ・ナカモトがビットコインを作った時を起点にしてるわけじゃない。
さて、最初に2030年と書いたが、これが何なのかと言うと、先進国がCBDCを始めるのがこの辺だということだ。
ここで仮想通貨は企業や投資家のものではなく民衆のものになり、通貨に革命が起きることになる。
おそらく今の仮想通貨にあるようなリスクは一切ないか対応可能なものとして使われるだろう。
本当に仮想通貨ができたときから買ってる人たち程の利益は俺は作れていない。だがそれは仕方がない。
俺の勝手な妄想だから信じなくていいからな。信じて買っても俺は責任を取らない。
まず、Web3.0がやりたいことはブロックチェーンを使ったサービス相互乗り入れだ。例えばAdidasやNikeの提供するメタバースでアパレル・グッズを書い、エイベックスや吉本が提供するメタバースで行われるライブイベントなどに買ったアパレルでデコレーションしたアバターで参加する、という感じの話をしていた。
正直全く何の価値も感じなかった。そもそもNFTはそういう技術ではない、あれは単なる印鑑やサインとしてみないといけない。
なのに過度な機能を載せようとした上にメタバースの見た目がどれもオープンワールドMMOで、これがだめだったことはセカンドライフが証明している。
例えばAmazoblnやTemu,楽天がブロックチェーンを使ったテナントの相互乗り入れとかやりだしたら意味は分かる。
例えば大手のECサイトがブロックチェーンによる支払いを受け付ける、スマートコントラクトによってテナントに発注、スマートコントラクトによって物流開始、客まで配送する、と言うような流れができたならWeb3.0には価値があると思うが、大手ECサイトがそれでうまく儲けられるのか、というあたりが俺にはやはり想像がつかない。
仮想通貨はそもそも儲けることを目的にしない送金インフラだが、Web3.0は儲けることを目的にした企業に相互乗り入れを要求するからだ。
また、とうじ、Web2.0企業がコンテンツを独占していると攻撃的になったことも信頼できないと思う一点でもある。
そういうわけで何よりWeb3.0は凄まじく宣伝したがそれ以降何の発展の話も聞かない。
ドラマを全部見た。
例の「衝撃の一行」については、まあこのシーンだろうなというのは感じた。
「実は正体は……」というのが陳腐化しているとも思えない。
そもそもこの展開は神話や聖書でも多用されているほどのありがちな物語類型だ。
洗練された形にしたという点で意外性が有るかと言えば、まさしくポーやモーリス・ルブランの手によって形作られていった技法といえる。
ハッキリ言えば、この作品が日本でここまで評価されている最大の理由は「日本人の手によって作られ、日本が舞台である」という点だろう。
いや、うん、これが日本のミステリーマニアにとっては滅茶苦茶重要な話なのかも知れん。
特にミステリー作家を目指していたり、趣味でミステリーを書いてた人からすれば「日本人にもミステリーが書けるぞ!」という感動があったのだろうな。
江戸川乱歩で止まっていた時計が動き出した音を聞いたのかも知れない。
いや、マジで、しょーもないな。
ここまで女々しい持ち上げ方があるか?
マジで、しょーもないな。
別に自分は議論しようというつもり全くないよ。そもそもネット上でまともな議論ができると思えんし。
冒頭に書いた通り、
>「ゲーム出来なかったけど仕方ないよね〜むしろ感謝かも?」みたいな声が全然見当たらないので、書こうと思う。
というだけ。
そういう気質があるってのはわかるが
人を自分より鈍感だと決めつけて見下すような発言をする人って本当に繊細なのか?
そもそも鈍感に見える人でも内心たくさん傷ついたり感じ取ったりしてるかも知れないだろ
今日の東京は冬にしては比較的気温が高くて、あまり寒くなかった。
それで知り合いに会ったときに「今日涼しいね」と言ったら、言葉の使い方がおかしいと指摘された。
たしかに「涼しい」と言えるほどではなかったかもしれないと思ったら、そういうことではなく、そもそも「涼しい」というのは夏から秋にかけて使用するのだと主張する。
ネットで調べてみても、知り合いの使い方が伝統的なようだった。
でもそんなことありますか?
秋には涼しいと思う人間が、春には涼しいという感情を欠落させて生きているの?
じゃあ、風が吹いていて、別に暖かくはないけど心地の良い「春」の日に、自分なら「涼しくて気持ちがいい」と思う日に、「涼しい」と言わずなんと言うの?
知り合いは「「肌寒い」とかじゃない?」と言っていたけど「肌寒い」と「涼しい」は違うでしょう。
夜に「明るい」って使わないと言われたような気持ち。夜に「明るい」は状況次第で使うらしい。なんなん。
変身ヒロインもののアニメにおいて、そのコスチュームは子供たちの憧れを引き出す重要な要素である。
特に、リボンやフリル、キラキラした装飾は、女児向け作品において鉄板のデザインだろう。
現実世界では、こうした衣装が「なりきりグッズ」として販売され、多くの子供たちがキャラクターになりきる遊びを楽しんできた。
筆者自身も、子供時代に憧れのキャラクターの衣装を親に買ってもらい、その姿で遊んだ記憶がある。変身ヒロインたちは、身近にある「ヒーロー」だったのだ。
しかし、最近発表されたある女児向けアニメでは、主人公たちの衣装がレオタード風のデザインとなっており、疑問を感じざるを得ない。
特に注目すべきは、アニメ本編の衣装と、関連商品である「なりきり衣装」におけるデザインの乖離である。
アニメ本編のレオタード風デザインに対し、実際に販売されるなりきり衣装や、声優のライブイベントで着用された衣装はスカートが追加されたアレンジとなっている。
この事実は、「なぜ初めからスカートを採用しなかったのか?」という疑問を呼び起こす。
アニメ的なファンタジー表現としてレオタードを採用したのかもしれないが、果たして本来のターゲット層である女児たちがその衣装に憧れるだろうか。レオタードという選択が、保護者たちにどう受け取られるかも気になるところだ。
アニメの世界観としてレオタードを採用した意図があるのかもしれない。
しかし、演じる声優がイベントでスカート姿となると、「じゃあリアルの女の子たちには適応できないデザインということなのか?」と疑問を抱かざるを得ない。
結局、声優たちが普通にスカートで登場している時点で、「レオタードはあくまでアニメ的なファンタジー表現として消費してください」というメッセージなのだろう。
だが、それならばそもそも「なぜ女児向けアニメでレオタードを採用したのか?」という矛盾が残る。結果的に、誰に向けたデザインなのかが見えにくい。
子供向けのヒーローものにおいて、「憧れ」は非常に重要なポイントだ。
「私もあのキャラみたいにかっこよく戦いたい!」と子供たちが思えることが作品の魅力に直結する。
しかし、現実ではその憧れのキャラの衣装が再現しにくかったり、違和感を覚えるようなデザインであると、子供たちの気持ちとズレてしまうのではないか。
この問題は、「製作者が本当に子供たちや保護者の目線に立って考えたのか?」という疑問にもつながる。
ファンタジー表現としてのアニメ的デザインが必ずしも悪いわけではない。
だが、それがターゲット層にきちんと伝わらなかったり、混乱を招くような形になってしまうのは、本末転倒と言えるだろう。
結論から言うと学歴が高いこととFXで勝てることとの間は負の相関があるからである。これは高学歴が無能だとか言いたいわけではなく、彼らはおおむね有能なのだけれどFXには絶望的に向いていない、というだけの話だ。以下、なぜ高学歴がFXで勝てないのかを述べていくことにする。
高学歴は公式が大好きであり、「AならばB」といった法則を至上のものとする。しかしながらFXにおいては「普段はAならばBでいいんだけど今回は織り込んでいたのでCでした」「織り込んでいたら普段はAならばCでいいんだけど織り込みが甘くてDでした」「トランプが何か喋ったからEになりました」「よくわからんけどFでした」といった理不尽な展開が頻発する。そもそも、例えば「利確千人力」と「利益は伸ばせ」といった矛盾する2つの格言が両立している時点で意味不明である。高学歴が得意とする「公式を習得し、そこから演繹的に結論を導いていく」という世界とは全く異なるルールで動いているのだが、過去の成功体験を捨てられない者が多い。
一説には東大生の4人に1人は発達障害であると言われている。この特性はFXにおいて明確に不利に働く。
ASDの有する「頑固であり、決まったルールを過度に順守する」性質は柔軟性が大事なFXにおいては致命的である。彼らはトレンドが変わったにもかかわらず過去のトレンドに固執して永遠に金を吐き出すことになるであろう。もちろん、「シンプルな優位性を発見してそれを無限に繰り返す」という方向で上手く活かせればこの特性は活きるかもしれないが、「シンプルな優位性」の賞味期限が多くの場合短いのがネックである。
ADHDはより深刻である。なぜなら彼らは常に刺激に飢えているがゆえにポジションを取り過ぎるためである。公式のないFXにおける数少ない黄金律「ポジポジ病はやめろ(無暗にポジションを取るな)」との相性があまりにも悪すぎる。高知能ADHDでFX勝てる人っているのだろうか。もしいるのであればどうやって勝てるようになったのか教えて欲しい。
損切りをしない勝ち組は存在しない。ところが高学歴は過度な負けず嫌いであるため損切りが苦手である。「トータルで勝つためにここは負けを受け入れる」という風に考えられれば良く、彼らも理屈は理解しているだろうが、苦手意識を払拭するのは簡単なことではないだろう。
FXは勉強や労働とは異なり、1時間稼働したから1時間の恩恵が得られるという類のものではない。しかし彼らは投下したリソースに対する恩恵を求める(得られる恩恵を想定してリソースの投下先を考える)傾向がある。結果として、恩恵を確定するために利確が早くなってしまい、コツコツドカンの道を歩むことになる。
「相場をずっと監視し、予想もするが、ポジションは滅多に取らない」これはFXが上手い人たちに共通する特徴の一つである。ところが高学歴は無駄な時間が嫌いである(実際は無駄な時間ではないのだが)。結果として、相場をただ監視し続けることに耐えられず、期待値の低い場面で過剰にポジションを取ってしまい、損失を重ねる。
もちろん上記の弱点を克服できた高学歴もいるだろうが、多くの場合ではそもそもFXで勝つことを諦めた方がいいと思う。シンプルに向いていない。冒頭にも書いたが彼らはFX以外ではおおむね有能なのだから、その能力を生かして労働して高い給与をもらい、雑にインデックス投資でもやるのが最善と思われる。
それでもどうしても勝ちたいという人は自動売買botでも開発すればいいんじゃないかな。裁量よりそっちの方が向いてると思う。
老後2000万問題とか言われて、年金当てにならんから子供に負担かけないように、自分で何とかしなきゃって思ってiDeCoやNISAで資産形成しようとしてんだよ
年収800万あっても子供いたらきついのにさらに社会保険料値上げ?推奨しといてiDeCo改悪、金融所得課税?破綻しないとか信じられるわけないだろ
こんなに子育て世代の辛さが浮き彫りなのに、負担増やすとか、ますます婚姻率下がるし、出生率も下がるだろ
まずは現役世代や子育て世代が安心して子供育てられる環境作ってから、社会保険料値上げるのが筋だろ
若者が結婚しなくなって単身世帯ばかりになったら、労働者の数増えるから年金破綻しないから、政府は満足なんですかね???
高齢者の貧困を何とかするって、こんな状況になるまで失敗し続けたやつ誰だよ
それでも足りないならまず他の予算削れよ
今の現役世代、子育て世帯は自分よりも自分の子供や未来の自分の子供の将来がどうなるか考えてんだよ
自分が良ければ良いなんて思ってねーよ
「ほんの少し前、ひょっとしたらそれこそ数年前」どころか、遅くとも2000年ごろには圧倒的にダメだったでしょ。二十年以上前には圧倒的にダメだった認識
確かに、1980年代以前は、被害者に「業界はそういうとこだから」で、泣き寝入りさせてきたのが横行してたのかもしれないけど、少なくとも20年だか30年だか前には、少なくとも一般企業の職場では、今と同様に、人身売買的な、性的接待とか女性の上納とか、何であれ性的加害とかはダメに決まってて、ガイドライン的なものでも、上司と部下の恋愛とか、職場の異性間で密室に2人きりになるのとか、ダメに決まってた認識
「数年前から潮目が変わった」的な話では全くない
人身売買的な性的接待や上納的な営みがダメだとされるのが、「数年前から急速に時代が変わった」的なコメントは、時代錯誤も甚だしいと思う
この人は、数年前と言ってるから、コロナ前後で変わったくらいの認識みたいだけど、異性と性交渉持って高額な示談金で示談したって話が、十年前・二十年前には当たり前だったなんてことは絶対ないでしょう
そもそも、職場の接待で若い異性の子をあてがうとかの時点で、キャバ的な性的接待や上納などの人身売買的な処遇を従業員にさせること以前に、圧倒的にNGだったでしょ
「いや、うちはそれが数年前までは普通だった」、「接待的飲み会に職場の若い異性を駆り出すのは普通だ」、「なんなら2人きりになるように仕向ける」って人がいるかもしれないけど、そういう人は、まずは、
・どこの会社なのか、
・どの業界なのか、
・どのくらいの規模の会社なのか、
・コーポレートガバナンスや、人権デューデリジエェンスなどのコンプライアンスの研修受講が、最低でも年次で義務付けられているか、
教えて欲しい
https://devblog.lac.co.jp/entry/20250124
一技術者として、客室のタブレットに脆弱性があることに気付き、調査したくなる気持ちはわかる。特に自分の宿泊する部屋が盗聴や盗撮の可能性にさらされているとなれば、確認したい気持ちも理解できる。技術的な好奇心と、宿泊客としての不安。その両方が重なれば、ちょっとした調査くらいはやってしまうだろう。
でも、話はそこまでだ。
その調査結果を会社のブログで公開し、さらには自社サービスの宣伝に使用する。ここからが問題だ。個人の行動を、企業が公に推奨し、ビジネスの材料にする。これは完全に線を越えている。「他者の情報・資産を侵害しないよう細心の注意をもって調査」という言葉で正当化を試みているが、そもそも許可を得ていない調査を実施すること自体、セキュリティ企業として適切なのか。記事の最後に「弊社では客室タブレットシステムを含むあらゆるモノに対してのペネトレーションテストを行っております」という宣伝文があるが、これは無許可調査で得た知見を営業活動に利用していると読める。つまり、グレーな行為を「実績」として売りにしている。
確かに発見された脆弱性は深刻だった。だがそれは「泥棒に入られて初めて鍵の弱さに気付けた!ありがとう泥棒さん!」というのと同じ論理ではないのか。目的が正しければ手段を問わないという考え方は、セキュリティ業界として危険な前例を作るのではないか。
セキュリティ調達の現場からすれば、このような企業姿勢は重大な懸念材料となる。契約範囲を守るのか、発見した脆弱性を他での営業活動に使わないのか、調査結果の取り扱いは適切なのか。疑問は尽きない。最近の若手エンジニアの中には「バグハンティング」に憧れを持つ者も多い。個人的な技術探求は否定しない。でも、それを企業が公に推奨し、ビジネスに結びつけるのは完全に別の話だ。
技術力は確かにある。好奇心も大切だ。でも、それらを適切にコントロールできない企業体質は、信頼を損なうことになるのではないだろうか。
このまま行くと2030年頃にはほぼすべてのラーメンスープが干上がり、ラーメン=油そばになってしまうのではないかと危惧している。
家系や背脂豚骨のようなどろどろのスープや、逆にお洒落で上品な創作系ラーメンのスープなどでその傾向は顕著に見られる。
そして従来の丸みのあるお椀型から底が深く縦方向に切り立ったシャープなシルエットの丼がやたらと目につくようになった。個人的にはアレがタチ悪いと思う。
アレはスープが少ないことがさも上品で洗練されているかのような面構えで、水たまりレベルのスープでさえさも当然と言わんばかりの顔で出てくる。
スープの少量化のカムフラージュのために作られた丼としか思えない、非常に狡猾な器である。
ただ問題の根っこはそこじゃない。
やはり根本的な問題はラーメンスープぜんぶ飲む / 飲まない問題である。体感的にざっくり客全体のおそよ半分は、スープの半分くらいを残しているように感じる。
飲まずに残す人に言いたいことは色々あるが、結局強制できるようなことじゃないのでそこは目を瞑る。
ただ考えてみてほしい。ラーメン屋にとってスープは命である。スープにこだわりのないラーメン屋はいない。あの味わい、あのコクの為にどの店でも膨大な量の材料と長時間の仕込みが必要になる。
その最もコストも手間暇もかけているものの半分くらいが毎日捨てられてしまうというのは、実はとんでもない矛盾であり構造的な問題と言わざるを得ない。
それでもスープはラーメンの命なので、これだけ原料が高騰している中でも材料の妥協は許されない。量においても質においてもである。
それを捨てないといけないラーメン屋が一番辛いだろう。本当は廃棄されるスープなんて一滴だって出したくないはずだが、客にそれを強いることはできない。
だから今はラーメン屋としてもスープの量は本当にギリギリでやっていることと思う。
これではスープが減るのも仕方がない。
ただスープを飲まない派の人は別段困らないだろうが、
スープをぜんぶ飲み干す派にとって「スープが足りない」と感じるのは実は相当に不足感があると声を大にして言いたい。
たとえ美味しいと感じるラーメンでも全体的な満足度は2~3割くらい減ると思ってもらいたい。
ここからは提言になるが、スープの量は注文時に選べるようにするべきである。
麺の大盛りが選べる事と同じくらいのスタンダードになってほしい。
そもそも半分は残されると分かっているものを、なぜ一律に同じ量で提供しているのか?これからはそんなことをする必要はない。
普通 / 少なめと選べるようにして料金も変えれば、店にとっても客にとっても環境的にも三方良しである。
30代の管理職から見て明らかに仕事できないおっさんが部下にいるのだが困っている。
①ウソをつく
まずこれがもうダメ。報告はウソ。内部の不満言う時もやってない事が丸わかりなウソをつく。
挙句には受注したというPJ案件を自分がやったというのだけど、いざ詳しく聞いてみれば何をどうもってあんたの成果なの?ってレベルで何もやってない。つまり成果一つも出してなければ仕事何もしてない。
そしてこれを周りから言われるのが1番アウト。
飲み会は見ると大体女の隣に座ってるし、新卒の子は悩み相談で先輩に愚痴っててその話を人伝いで上司に上がるし。
③後輩の役にも立たない
そもそもちゃんと仕事やってきてないからどう進めれば良いかがわからず結果として誤った教育をしてしまう。
④引取先が居ない。
こういうおっさんは管理職から見たら速攻で異動候補なんだけど異動先からも拒否られる始末。
もう色々仕事出来ないこと分かってるし、40代で管理職にも慣れてないからこの環境でのキャリア見えてるだろうし、とっとと別のことで人生楽しめばいいのに、自己評価高いから謎に管理職になりたがるし、年度査定で自己評価を高くだす。
→当然全部下がるんだけど。
こういうやつって本当の本当にオワコンだと思うんだけど、
気付かないもんなのかな??
そしてなんでさっさと転職しないの?って素朴な疑問
ありがとうー。
このお店おしゃれでいいですね。今度行きたいと思います。
ただ、問題は2年くらい会っていない高校時代の女友達をどうやってサシ飯に誘ったらいいかが分からないところなのよね……。
別の人にも答えたんだけど、数年前に好きな飲食グループが一緒だってことが分かったからそこ巡りたいねという話はしたんだけど、さすがに古証文過ぎるしなと。
昔だと老後の面倒は子供にみてもらってたから必要だったかもしれない
そもそもなんで昔の人は老後の面倒を子供の世話になってたんだ?
マッチングアプリで知らん人とイチから関係性を築くのが面倒というか、おっかなくてしょうがない。
できれば、ある程度自分の人間性を知ってくれていて、かつこちらも相手の人間性が分かっている相手と恋愛したい。
となると女友達とかになるんだけど(社内恋愛できるほど社内に人がいない)長年の友人という関係性をこちらの勝手な感情で破壊するのがイヤすぎる。
でも、この人を彼女にしたいなぁと思える人が高校時代の女友達しかいないんだよね。
2年に1回くらい友達数人でご飯食べに行く程度の仲でLINEも知ってるんだけど、なかなかサシで飯とか誘えない。
いや、飯・飲みの誘いくらいは出来るんだけど、そこからどうやって恋愛にまで持っていくのかが皆目見当が付かない。
そもそも、友達から恋愛感情向けられるのクソキモいという話も聞くし、どうしたらいいんだろうか。
自己開示が苦手すぎて、恋愛感情を相手に表すということ自体、どうやっていいかが分からん……。
助けてくれぇ