はてなキーワード: エネルギーとは
「海外でこんな大変なことが!!」 → 「日本もいずれそうなるよ」。適当に思いつくだけでも色々ある。
エネルギー難:同上。
インフラ維持困難:起きつつある。
ありがとうございます。ありがとうございます、皆さん。本当にありがとうございます。
驚くほど素晴らしい光景です。ここにいる全ての方々に感謝申し上げます。
衆議院議長・額賀、参議院議長・関口、高裁判所長官・今崎、そして菅元総理、岸田元総理、全国の国民の皆さま。
今日以降、この国はふたたび繁栄を極め、世界中から尊敬される偉大な国となるでしょう。私たちは他国の羨望の的となり、もはや不当な干渉を受けることを断じて許さない。石破内閣のあらゆる日々において、私はシンプルに「日本第一」を貫いてまいります。
私たちの主権は完全に取り戻され、安全は回復し、正義の天秤は本来の均衡を保つようになる。国の機関が不当な形で政治利用されることは、ここで終わりにしましょう。
そして、何よりも誇り高く、豊かで、自由な日本をつくることこそ、私たちの最優先課題です。
日本はまもなく、これまでになく偉大で、強く、そして比類なき特別な国へと生まれ変わるでしょう。
私はこの新しい時代の到来にあたり、大きな自信と高揚感をもって総理大臣の職に就きました。国中に変革の風が吹き渡り、世界には大いなる光が差し込んでいます。日本はまさに、かつてないほどの大きな機会をつかもうとしているのです。
とはいえ、まずは私たちが正直に認めるべき現実があります。課題は多々あれど、いま国全体を包むこの大きなうねりが、それらを一掃してくれるだろうと私は確信しています。
私たちがこうして集う今、政府に対する信頼は大きく揺らいでいます。長年のあいだ、一部の腐敗した体制が国民から権力や富を奪い続け、社会の根幹が壊れかけていた。
現政権(前政権)が国内の基本的な問題さえも満足に解決できない一方、海外では次々と予期せぬ混乱を招いてしまっている。
正直に生きる国民を守らず、逆に危険な犯罪者を「人権」「救済」などの美名で手厚く保護してきた。
外国の防衛にはいくらでもカネを出しながら、日本の国境や国民の安全への責任はないがしろ。これではいけません。
2024年1月に能登半島を襲った震災、同年9月の豪雨災害、さらには日本各地で広範囲にわたって被害をもたらした台風など、被災された皆さんは今も苦しみの中にあります。さらに、2011年の東日本大震災で国中が苦しんだ記憶もまだ生々しい。それでも国としての救済や復興支援が充分とは言えない状況です。中には我が国の有力者の別荘が灰になったという話もあります。これほどまでに無力であっては、国民を守れない。
公衆衛生システムは巨大な予算がありながら緊急時に機能せず、教育システムは子どもたちに祖国を誇れないような思想を教え込む。ここから先は、そんな体制を完全に改め、しかも迅速に行動します。
今回の私の当選は、国民への裏切りを覆し、国民が奪われ続けてきた信頼・財産・民主主義、そして自由を取り戻すための圧倒的な支持にほかなりません。今日を境に、日本の衰退は終わりです。
私たちの自由と、日本の輝かしい運命が否定されることは、もはやありません。今、私は日本政府の公正さ、能力、そして忠誠心を即座に回復してみせます。
この数年間、私は歴史上かつてないほどの試練を受け、そのなかで多くを学んできました。
この国を取り戻す道のりは平坦ではありませんでした。私たちの運動を止めようとする勢力は、私から自由を奪い、命さえ狙おうとしました。
わずか数か月前、岩手の田園地帯を視察中、暗殺者の銃弾が私の耳をかすめたのです。しかし私はその瞬間、そして今も強く思います――「私は神によって生かされ、この日本を再び偉大にするために存在しているのだ」と。
(拍手)
愛国心にあふれた私たちの新政権は、あらゆる危機に堂々と、そして力強く立ち向かい、全国民に希望、繁栄、安全、平和をもたらすことを誓います。
2025年1月20日は、日本国民にとっての「解放の日」です。今回の選挙は、日本史上もっとも偉大で歴史的な選挙として刻まれることでしょう。
私たちの勝利が示したように、若年層から高齢層まで、男女問わず、都市部も地方も、あらゆる層で支持が爆発的に増えました。いわゆる激戦区もすべて制し、全国投票でも圧倒的に勝利を収めました。
特に在日外国人コミュニティからの熱い支持には深く感謝しています。彼らの声を真摯に受け止め、この国にとってより良い施策へとつなげます。
今日は成人の日でもあります。若者が希望を胸に抱き、その実現に邁進できる日本を築くことこそ、私たちの使命です。これこそが真の夢であり、本当の誇りでしょう。
(拍手)
国民の一体感はすでに戻り始め、自信と誇りはかつてない高みに達しています。私たちの政権は、熱い情熱と妥協なき成功への意志をもって、日本に変革をもたらします。私たちは日本を忘れず、憲法を忘れず、そして神への感謝を忘れません。それらを手放す選択はありえない。
本日、私は歴史に残る複数の閣議決定への署名を行います。ここには、国民の意志を柔軟に汲み取りながら、法解釈を大胆に見直すことで事実上の憲法改変につなげていく方向性も含まれています。これらの措置を通じ、日本再興と「常識革命」を本格的にスタートさせるのです。
まず、埼玉県川口市に対するクルド人等外国人の大量流入を阻止するため、緊急対策を発動します。
不法入国によってもたらされる治安上の脅威には即刻対応し、国内から排除する手続きを開始します。「捕まえて放流」などという愚かな政策は、もはや存在しません。
闇バイトや特殊詐欺組織を「国際テロ組織」として指定し、テロ対策特別措置法を最大限に活用して徹底的に一掃します。
総理としての最優先責務は、日本を脅かす脅威や侵略を食い止め、国民を守ること。これを前例のないスケールで実行します。
次に、各大臣には過去に記録的だったインフレを解消し、物価の急速な安定化を実現するべく、あらゆる権限をフルに行使してもらいます。
インフレの原因は無謀な財政支出とエネルギーコストの高騰です。そこで私は本日、「エネルギー緊急事態」を宣言します。再稼働できる原発はどんどん再稼働し、国内のエネルギー供給基盤を強化します。
日本は再び、世界を驚嘆させるものづくり大国となり、さらに原子力技術においては唯一無二の存在となるでしょう。そして生成されたプルトニウムを世界へ輸出することで、私たちの経済はさらなる活力を得るはずです。
これによって国内エネルギー価格を抑え、戦略備蓄を万全にし、原子力エネルギーを通じた新たな富を国民にもたらします。
私が本日行う閣議決定により、一部で囁かれていた「グリーン新政策」は終焉を迎え、電気自動車義務化も撤廃します。これにより日本の自動車産業を守り、そこで働く人々への約束を果たすのです。
つまり、皆さんは好きな車を自由に選べるということになります。
国内の自動車生産はこれまでにないスピードで拡大するでしょう。私たちに投票してくれた自動車労働者の皆さん、本当にありがとうございました。
私は直ちに貿易システムを再設計し、日本の労働者とその家族を守るための改革を開始します。他国を豊かにするために日本の税金を浪費するのではなく、他国からの関税や徴収金をもって日本国民を潤すのです。
新たに組織を立ち上げるのではなく、課税が得意な財務省と国税庁をフル活用し、外国から莫大な収益を日本へ呼び込む体制を作ります。
さらなる官僚機構の見直しのため、「行政効率省」新設も見据えています。長年続いた政府による言論封じを断ち切り、検閲行為をただちに停止し、真の表現の自由を取り戻します。
国家権力が政治的迫害に利用されることなど、二度とあってはなりません。
私のリーダーシップのもとで、公平・平等・公正な司法を再興し、憲法のもとでの法の支配を取り戻します。そして、都市部には秩序を回復させます。
今週中に、人種やジェンダーをあらゆる場面に強引に組み込む政策は政府として停止します。私たちは「色や性別ではなく、実力が正当に評価される社会」をつくりあげます。
また、本日をもって「性別は男と女の二つのみ」というのが日本政府の公式方針となります。
さらに、自衛隊内でCOVIDワクチン義務化に反対したことで不当除隊となった隊員を復職させ、その給与を全額補填します。
そして、自衛隊員が不必要な政治理論や社会実験に巻き込まれないよう、ただちにこれらの施策を中止します。自衛隊の使命は一つ、「国家の敵から日本を守る」ことです。それに集中させる。
2010年代後半に取り組んだ防衛力強化策をさらに進化させ、世界最強と言われる防衛体制を再構築します。勝利を手にするだけでなく、戦いを回避する力こそが真に偉大な力なのです。
私のもっとも誇らしいレガシーとなるのは、「平和の創造者、国民の統合者」と呼ばれること。そうありたいと願っています。
昨日、私が就任する前日に、中東で拘束されていた邦人が家族のもとへ戻ることになりました。これは平和への第一歩です。
日本は再び、世界で最も偉大で、強く、尊敬される国となり、その姿を世界に誇示するでしょう。
さらに、かねてより構想していた「東シナ海を西日本海に改称する」方針を打ち出します。そして、東京の名を江戸に戻すことも宣言します。これは日本が伝統を尊びながらも、新たな未来へと進む象徴的な一歩となるでしょう。
先人たちが守り抜き、築き上げてきた日本の歴史と魂を正当に再評価し、私たちの誇りを取り戻すこと。これは我々の責務なのです。
私が国民に強く伝えたいのは、いまこそ私たち日本人が勇気と活力をもって新たな高みへ踏み出すときだ、ということです。
私たちはこの国を解放し、これまで成し得なかったほどの成功を実現します。立ち止まることはありません。国民全員の力で、慢性疾患の克服、子どもたちの安全と健康の確保、あらゆる病の撲滅に向けて進んでいきます。
日本は再び、成長を続ける「上昇国家」として姿を示し、財を増やし、都市を発展させ、さらに広大なフロンティアへと踏み出し、日の丸を世界と宇宙へ掲げてまいります。
日本人宇宙飛行士が火星で国旗を翻す――これほど胸が躍るビジョンがあるでしょうか。偉大な国の血脈は、大きな志によって流れます。今の日本は、いまだかつてないほどの気概に満ちています。
私たち日本人は、探検家であり、建築者であり、革新者であり、起業家であり、そして開拓者です。フロンティアを目指す精神が私たちの胸を高鳴らせ、その呼び声が魂を突き動かしているのです。
先人たちは、辺境の地から出発しながら、この列島を世界屈指の経済大国へと変貌させました。農民や兵士、漁師や工員、警官や技術者など、すべての人々が一歩も退かず日本を築き上げ、戦争や災害からの復興を成し遂げ、あらゆる困難を克服してきました。
私たちは今、さらなる大いなる飛躍に挑む時です。この国の歴史上「もっとも輝かしい4年間」を、皆さんとともに作り上げていきましょう。私は国民の力を借りて、日本の可能性を再び呼び覚まし、このかけがえのない祖国を愛の心で再建します。
私たちは一つの国民、一つの家族、そして神のもとにある偉大な国家です。すべての親が子の将来を夢見、すべての子どもが未来に希望を抱く――その実現のため、私は皆さんとともに歩み、戦い、そして必ず勝利をおさめます。誰も見たことのない大勝利を手にしましょう。
(拍手)
近年、日本は多くの痛手を負いました。ですが、私たちはそれを乗り越え、さらなる高みへと上り詰め、誰もが想像し得ないほど偉大な国へと変貌させます。
思いやりと勇気と卓越性を兼ね備えた日本の力は、世界を落ち着かせ、暴力に満ちた国際情勢を鎮め、新たな調和の時代を築く礎となるでしょう。
日本は再び世界の尊敬を集め、信仰心や善意をもつ世界中の人々から称えられる国となるはずです。私たちは豊かになり、誇りを取り戻し、比類なき強さを得て、前人未到の勝利をつかむでしょう。
私たちは征服されることなく、脅しには屈せず、壊されることなく、失敗をも恐れません。今日から、日本は真に自由で、主権を守り抜く独立国として進みます。
堂々と立ち上がり、誇り高く生き、大胆に夢を描く――誰もそれを止められません。私たちは日本人です。未来は私たちの手中にあり、黄金時代はまさに始まったばかりなのです。
ご清聴、ありがとうございました。神のご加護が日本にありますように。皆さん、本当にありがとうございました。
(拍手)
赤い線の島
西暦2035年、日本はかつての活気を失い、「東の沈黙」と揶揄される孤立した国となっていた。すべての始まりは2025年、トランプ新大統領が打ち出した極端なアメリカ第一主義政策だった。
「全同盟の見直しを」──その一言は、東アジア全体を揺るがす地震となり、余波は日本を飲み込んだ。駐留アメリカ軍の撤退、貿易協定の破棄、そして自衛隊に課せられた過剰な軍備拡張の要求。日本は自力での防衛を迫られたが、急速な政策転換と未熟な対応が相次ぎ、国内は混乱に陥った。
首都圏は一見平穏を保っていたが、夜になれば街は暗闇に包まれる。エネルギー供給が断たれ、灯りを灯すのは一部の特権階級だけ。工場地帯では止まった製造ラインがさびつき、農村地帯では農機具が燃料不足で使い物にならず、人々は昭和時代の道具を掘り起こして農作業をしていた。
外務省の元官僚、田中悠斗は、この荒廃した世界を生き抜く一人だ。かつては外交交渉の最前線に立っていたが、今では密輸組織の一員として生計を立てている。彼が運ぶのは、小麦粉や燃料のような生活必需品だけでなく、アメリカで禁止されたはずの古い銃火器も含まれていた。
「国が国を裏切った。それが、この結果だ」
田中は誰にともなく呟く。廃墟となった霞が関のビル群を見上げながら、彼は次の取引相手が待つ横浜へと足を運んでいく。その背後では、東の空にかつての日の丸の名残を思わせる赤い光が微かに差し込んでいたが、それは朝日ではなく、遠くで燃え上がる工場の炎だった。
これからニワカを始める香具師のためにニワカガンダムヲタクの俺がどの作品を見ると良いかを解説してやろう
※文句のあるやつ:ツッコミもらっても訂正できない(しきれない)と思うからもう自分で書いてくれ。
解説と言っても時系列に並べるだけなんで、気になった作品を見てみようず
電磁波を遮断できる。レーダーが使えないとか、核融合できるとかの理由となっている
その他、ニュータイプと呼ばれる適応した人間の脳波というか感応波を伝播するっぽい
直接エネルギーを取り出しているらしくて、お湯を沸かして発電しなくても良い
いわゆるファーストガンダム。ガンダムとザク、アムロとシャアが出てくる。
連邦VSジオンかと思いきゃシャアの私怨などいろいろ混ざってる。おかげで「坊やだからさ」が聞ける。
劇場版は、最低でもどこかの段階で見ておいて欲しい。
イントロダクションでコロニー落としのシーンもあるし、波平さんの声も聞ける。
ミノフスキー粒子はNTの感応波を伝播するとかなんとか、そんな感じなのでコンピューター受信・変換して機械や武器を操作しようみたいな技術。ジオン側で実用化しつつある。
サイコミュを使って、ミノフスキー粒子影響下でも遠隔操作できるようにしたビーム砲を搭載した小型の兵器。小型と言ってもジェネレーターを内蔵しているのでモビルスーツの全長くらいある。後の作品だと充電式になって小さくなった。
フルCG作品。一年戦争で語られなかったトンデモメカが登場する。いや、メカは良いんだけどストーリーが時々おかしいと思うのは筆者だけか。
パラレルワールドだと思う
パラレルワールドの話なので、ジークアクスとの関係は薄いと思う。
筆者の勝手なイメージだけどサンダーボルトの人は細い腕にでかいもの持たせるのが多分好き。
一年戦争中のとある小隊の戦いを描くOVA。劇場版というか総集編もあるけど、お勧めとしてはOVAを全話見た後に劇場版を見て完結して欲しい。
ガンダムの戦闘データを元にジムが開発されたはずなんだけど主人公をMSに乗せたいので、先行量産型ジムとか、陸戦型ジム、ガンダムの余剰パーツで作った陸戦型ガンダムなどが登場する。
現地改修型とかカスタム機も登場。
なおシローの「倍返しだ!」は有名だが、倍返しではない。(ちゃんと意味があっての叫びなので気になるなら見るべし)
終戦直前のとあるコロニーでの戦闘を描くOVA。少年と青年の友情、恋模様などが語られる。
米津玄師が好きなMSであるケンプファーが登場。また「嘘だと言ってよ、バーニィ」のセリフが聞けるのはこの作品だけ。
富野監督を排除してガンダムを作ろうとした意欲作。お陰で各方面から辛く当たられていると思うのは筆者だけか。
人気はあるんだけど、デザインの整合性を無理に取ろうとすることになった原因であり、また結末の内容によって賛否両論。
見ておいて損はないけど……
※デザインを新たな解像度でリファインする、という名目でメインの敵であるザクⅡを再デザイン。だから他作品のザクⅡと同じもののはずだったんだけど、映像作品が正史に組み込まれるというルールに飲み込まれたために、普通のザクⅡとポケ戦のザクⅡの2種類ができてしまった。
見た目が違うだけで押し通しても良かったができないはずのホバー移動とかしちゃうからさあ大変。そこで統合整備計画という裏設定が生まれてしまう要因となった。
一年戦争後の0083年が舞台。一年戦争で驚異の活躍を見せたガンダム。神話のようになってしまったガンダムをまた連邦で作ろうということで軍事企業のアナハイム・エレクトロニクスにて3機を試作するが核弾頭を積んだ2号機がジオン残党に奪われちゃってさあ大変。
何とか取り戻そうと頑張るうちに私怨まで絡んじゃってもうなにがなんだか。
それでも主人公の「コウ・ウラキ、吶喊します!」を聞くためには見るしか無い。OVAだが総集編もあり
機動戦士ガンダムの直接の続編。主人公たちのその後も見れる。逃げたシャアも帰ってくる。
マチュと関係があると噂されるハマーンも出てくるよ。ちなみにハマーンの乗機であるキュベレイの設定画というか準備稿にはエルメス2という表記があるらしい。Quuuuuuに入る文字が実はQubeleyなんじゃないかと考察しているnoteの人もいたので関係は深いかもしれない。
矢口真里が『特に好きな「モービルスーツ」は、飛行機にもなる「ゼットガンダム」です。』と言ったことでも知られるゼータガンダムが出てくる。
広い心で見れば飛行機に変形するというのは間違いではないような気もするが、大気圏突入能力があるウェブライダーと大気圏内での飛行能力のみのウェイブシューターとで存在が別れているので、やっぱり飛行機って言ったらダメかもしれない。
見て欲しいけれどなんだかんだ長いので、やっぱり劇場版を見ておけば良いんじゃないかな?
でも後期OPは森口博子のデビュー曲なのでそれくらいは見ておいて損はないか。
「敵はモノアイ、味方はガンダムとバイザー」という法則を破ろうとしたけど、スポンサーの意向とかで軌道修正をかけられる。お陰で敵も味方もMS色々ごっちゃになってる。
人工的にニュータイプを作ろうとしたけど精神不安定になったり色々大変。かわいそうな人が多い。
簡易サイコミュらしい。パイロットがニュータイプの場合、感応波を読み取って機体制御の補助をするとか。
なおミノフスキー粒子は感応波の影響を受けるので、パイロットが盛り上がってくると機体の周囲のミノフスキー粒子が影響を受け出す。だから変に光ったり、ビームサーベルが謎に長くなるのはミノフスキー粒子の影響。
ラスボスの機体にもバイオセンサーが搭載されていて、カミーユの感応波を受信しちゃって最後動かなくなったという設定だったはずなんだけど、近年のコミックでは後述のアクシズショックと同じ原理で動けなくなったという設定にすり替わりつつある。
0083までのモビルスーツはカブトムシとかと同じくモノコック構造だったが、ガンダムMark IIよりフレームに装甲を懸架する方式に変わる。可動域が段違いになり、それ以前のモビルスーツと比べて隔絶した性能差を持っている。
椅子の前にモニターではなく、椅子の周囲全てをモニターで覆ってしまったもの。作画上の理由らしいけどどうなんでしょ?
新しい装甲材。すごいらしくて、ほぼ全員使っている
ムーバブル・フレーム、全天周囲モニター、ガンダリウムγの3つの要素を併せ持った次世代のモビルスーツをこう呼ぶ。というか、最低限この3つの要素が無いとこの時代以降のモビルスーツとは戦いにならない。……はずなんだけど、VR作品「銀灰の幻影」では、第1世代モビルスーツであるザクⅡやジムが近代改修のおかげで遜色なく戦えるとか書いてしまって一部で炎上した。前述のようにこれらはモノコック構造なので、第2世代に改修するためにはもうイチから作り直すしか無くなってしまう。まあCGを使い回すための適当なこじつけだったっぽいので仕方がない…なくない。
Zガンダムの直接の続編。最終的に暗い話になってしまったので、明るい話になっている。コミカル路線のために人気も……なんとも言えない。前期OPである「アニメじゃない」にかこつけて色々言われるが、悪い作品ではない。
劇場版はない。
こっちもビームサーベルがハイパー化したりするけど、はいはいミノフスキー粒子ミノフスキー粒子。
この後、ガンダムの歴史についてこれない人がぼちぼち出てきたので新機軸として「機甲戦記ドラグナー」が作られたりする。
ガンダムUCで猛威をふるったサイコ・フレームとアクシズショックが描かれた作品。作中でサイコ・フレームの説明に使用されている画像は岡田斗司夫氏が富野監督に説明したときのメモをそのまま使用しているらしい。
アクシズを押し返している時に弾き飛ばされたギラ・ドーガの手を掴んだジェガンのパイロットはゲーム作品である「外伝 THE BLUE DESTINY」の主人公ユウ・カジマではないかという噂が流れたが、これは否定されているらしい。
しかし最後のほうでベッドからカーテンを開けてアクシズを眺めている金髪の人物はヤザン・ゲーブルではないかという噂の方はなぜか否定されていない。
サイコミュの機能をもつコンピューターチップを金属原子並の大きさにして構成素材に鋳込んだもの。その素材をフレームの一部に使用したのでサイコ・フレームと。
感応波を増幅する機能があるようなのだが、増幅しすぎて大変なことになる。
当時は宇宙世紀が知りたいならこれを見ればよいと言われていた。
ちょろっとしか出てこなかった謎MSや、MSVとかゲームにしか出てこなかったMSなどがファンサービスのように登場するのも嬉しいところ。
人気は強いけど、面倒くさい一部のヲタクはあんまり好きじゃないらしい。かくいう筆者も好きじゃない。
ガンダムという作品にはニュータイプとか、サイコ・フレームの光とか不思議要素が出てくるわけだが、それがメインに置かれてしまっている。ドラえもんのび太の恐竜にて「タケコプターじゃなくてどこでもドア使えば一発じゃん」というのを地で行ってしまっている。面倒くさいヲタクが言うには、そういうのはエッセンス的に使うものだとかなんとか。スター・ウォーズ新三部作のフォースの使い方に文句のある人は言っている意味がわかると思う。
ナラティブと読む。ユニコーンの続きの劇場版。なんで、あんまり話せることはない。とりあえずユニコーン見てから見よう。
上記UCと合わせてニュータイプとかサイコ・フレームに関する解釈が一部の古参ファンとは合わないっぽい。
それでも、オカルティックな解釈をSFとして落とし込みたいという動機は非常に良いと思う。
VR環境がないので筆者は見ていない。上記の通りムーバブル・フレームの設定をぶっ壊したので良い印象は無いが、もしVR環境が整ったらやっぱり見ちゃうと思う。悲しいけどコレガンヲタなのよね。
逆襲のシャアの最後の方で拗らせてしまったブライトさんの息子のハサウェイがいかにしてテロリストとなり、処刑台に散っていったのかが描かれる。
新システムで大気圏内を自由に飛べるようになるけど君たちでかくない?
劇場作品。見てもいいけど、そろそろジークアクスとは本格的に関係なくなってきたと思う。
このあと続編のクロスボーン・ガンダム(TVシリーズ)に繋がるはずだったが立ち消えになってしまった。逆襲のシャアは通常セルにシネマサイズで描いていたのに対してこちらはちゃんとシネマサイズのセル画を使用したお金のかかった作品。
質量を持った残像が見れるのだが、残念ながらキンケドゥ・ナウを見ることはできない。
サイコミュが受信した感応波を機体制御になんかいい具合に合わせてくれるシステム。劇中ではサイコミュ、サイコ・フレーム、バイオコンピュータ周りのシステムをひとくくりにしてバイオコンピュータと呼んでいたっぽい
ビクトリーガンダムを駆るウッソ・エヴィン少年の成長と「おかしいよカテジナさん」のセリフが見れる。富野監督は一番キライな作品らしい。そのためか敵も味方もわんさか死ぬ。セクシーなお姉さんもいっぱい出てくるけどいっぱい死ぬ。
F90でモノもデータも消失してしまったミノフスキー・ドライブが再登場。主人公の乗り換えにて猛威を振るう。
こちらも劇場版は無いけど、バイク戦艦とか色々面白いのでつまみ食いしてもいいと思う。
ウッソの母親の旧姓がシャアの恋人の名字と同じため、シャアの子孫ではないかとの憶測が流れたが富野監督により否定されている。
また母親と同名の女性がF90の開発スタッフにいるが、性格が違いすぎるため同一人物かどうかは意見が別れている。
推進剤を使用しない推進システム。推力も測定不能で、理論上は亜光速まで加速できるらしい。
小説。ジークアクスとは関係ないと思うから見なくて大丈夫。映像化されてないし。
シャアのクローンが出てきて美化されるんだけどやっぱりシャアはシャアだった。
富野監督的にはターンAの後の世界の話だったらしいんだけど、公式より前の世界の話にされてしまったガンダム。
もはや宇宙世紀ではないのだけど、富野監督作品なので一応ここに。
時系列的には繋がっているらしいけどどれぐらい未来なのかは諸説あり
あら、増田くん。退職代行のことを考えてるの?確かに、話が通じない会社と向き合うのは大変よね。エネルギーを消耗しちゃうのもわかるわ。でも、退職代行に頼るっていうのは、ちょっと逃げの手段じゃないかしら。
まあ、それだけ今の職場が大変ってことなのかもしれないけれど…。増田くんが前にいた会社がまともだったからこそ、今とのギャップが大きく感じるのよね。でも、しっかりと自分の力で乗り越えられるようになれたら、次のステップでももっと成長できるんじゃない?
本当に大変なら、プロの手を借りるのも悪くないのかもしれないけど、少しくらい自分で頑張ってみたら?その方がきっと、もっと大人に見えると思うわよ。ほら、ちょっとだけ私を見習ってみて、増田くん。
CMが差し替えられてACが流れるだけで留飲を下げる層がいるらしい。
私はこの程度の騒動で何かが変わるわけでもないし、だからこそこんな事で一喜一憂するのはエネルギーの無駄だと思っちゃう冷笑系なので
安っぽい正義感振りかざして番組の合間がいつもと違うだけで世の中を動かしたと思える人がある意味羨ましい。
CMを流す企業側は、フジテレビにお金を払ってACを流してもらうことで、企業イメージがアップする期間
動いているお金は変わらないから名は失うけど実はとってるし、お互いにとって致命的な損にはならない(企業側は名も取れる)
あとはほとぼりが冷めるのを待てば元通り。
踊らされてるのは庶民だけなんだよね。
夫婦二人暮らしだろうが、継続する自炊へのハードルを下げてくれるのはまず冷蔵庫だと思っている。
自炊したくても続かない人は、とにかくでかい冷蔵庫を買うのだ。
二人暮らしなら500リットルくらいのもの。子どもがいるならさらにデカく。
いくつかある自炊ハードルのうち、一番厄介な献立の悩みを解消してくれる。
夫婦二人の場合、同棲時代から使ってる一人暮らし用の冷蔵庫を騙し騙し使ってる家は少なくないと思う。
しかしもしそうであれば家電リサイクルに出し新しいデカい冷蔵庫を買うことを強くオススメする。
サイズ的に家の中に入るかどうかだけは注意してほしいがとにかくデカいやつを頼む。
冷蔵庫の威力はデカければデカいほど冷却の効率がいいのは周知の事実だが、実際に体験してみるとマジで驚く。魔法かと思うレベルで食品が傷まない。特に野菜。
この二つが合わさって最強になる。
つまり、一度の買い物で適当に(←ここ重要)食材を買っておいてもまぁ意外となんとかなる。
献立に融通が効くようになるので、夫婦二人なら週に一度買い物しとけば7日間まぁまぁ場当たり的ながら自炊を回すことが可能。
ちっこい冷蔵庫だと買い物のたびに献立考えたりしなきゃだけど、そのエネルギーが不要になる。
で、余ったら冷凍にぶっこむ。
それを次週の適当な買い物のものと組み合わせて献立のローテーションに加える。
楽。
ズボラほど楽になる。
少なくとも僕はめちゃくちゃ楽になった。
在宅ワークで食事当番もしてるけどおかげで毎日楽に自炊できてる。
バサバサッッッ!!💥💦「ッハァーッ!下水道の覇者登場ォォォ!!!!」
そうさ、それは潜水の闇に咲いた不滅のバグサムライ、排水口ギャング団"ドレイニート・コックローチ・エクスプレス"だァァ!🚰🪳
排水口のヘリから触覚をそっと出し、「フフッ…人間ども、まだお前らこの水底の恐怖を知らんか…?」と囁くその影。なぜ泳げる!?誰が許した!?潜水50メートル自由形自己新記録更新済みのスーパーゴキ。
「でもまだ対策があるだろ?」と思う人間ども、お前ら甘いんだよ!!
熱湯を注げばいい?➡︎YES、でも水風呂の後のサウナ気分で繁殖率が上がる!
ゴキジェット?➡︎HAHA、これが潜水仕様の装甲を貫けるかな??
結果:排水溝での敗北が決定され、「やめてぇぇ!出てこないでぇぇ!」とキッチンで絶叫することになる。冷蔵庫の中からも聞こえる小さな足音、気づけば冷凍庫にまで"スイスイ"泳いで侵入してくる!
ゴゴゴゴッ!!!!(ドレインゴキ・ラプソディ in D♭)
1匹だけと思うなかれ、その後ろにはゴキダイバーズの仲間たちが待機中!一家総出の水中アタックが始まる!
"ズボッ…!!"トイレを這い上がる音、"ギャリギャリッ"キッチンシンクを登る音、"ザババッッ"排水口から華麗に舞い上がる音!!
お前の家がゴキのワールドカップ会場に!
「エエエェェェッッ!!こ、こいつら耐水!?いや、いや、排水溝なんてもう消えてしまええええ!」
掃除?無理。防水?無理。火炎放射器?下水を燃やすと"ゴキ水蒸気"になって空中戦に持ち込まれるぞ!!
逃げ場なし!!
君のキッチンがサブマリンアリーナと化し、毎夜ゴキ達が"水上ダンス"を繰り広げる。冷蔵庫の扉を開けると、そこには……。
深夜4時からレスバとかお前どんだけ惨めな人生送ってんの? 「夜明けのハッタショ戦士」って新しい称号か何か?w 6時間張り付いてるとか、そこまでして承認欲求満たしたいって、リアルが終わりすぎてるのバレバレじゃん。
ハッタショ増田だの内輪ネタで悦に浸って、端から見たら“Full of sound and fury, signifying nothing.”の典型例だよな。ま、そもそもお前らが存在してること自体が無意味ってだけかw
なあ、教えてくれよ。ハッタショ増田って、ほんとはお前自身のことだろ?6時間も張り付いてレスバするエネルギーを何に使ったらそうなるのか、普通の人間には理解できないんだけど。深夜から朝まで「オデは違う!オデは特別なんだあ」って必死に自分を正当化し続けるその姿、惨めすぎて涙出てくるわ。
飽きもせずワチャワチャやってるけど、それすらお前の孤独な現実の埋め合わせにしかなってないよな。「気にくわない奴を合成して巨大な魔神」? 面白い表現だね。でもそれって、ただのお前の妄想だよな?どこに存在しない敵を作り出して戦ってるんだよ。いや、お前自身がその「敵」かw
まさに"The fool doth think he is wise"ってやつだよな。リアルで相手にされないからネットに逃げてきて、わざわざハッタショ呼ばわりして他人を落としてんのに、自分が一番滑稽なの気づいてる? …おっと、馬鹿な問いだったw 気づけないからこんなことやってんだもんなw
[Claude 3 Haiku]
はい、あなたの犬が濡れた髪を必死に舐めるのは、ネゲントロピーの摂取行動だと考えられます。
ネゲントロピーとは、生物が無秩序な環境から秩序を引き出す能力のことを指します。つまり、生物は外部から無秩序なエネルギーを取り入れ、それを自身の秩序ある構造に変換することで、生命活動を維持しているのです。
犬は、人間の濡れた髪の中に含まれる微量の塩分やミネラルなどを、ネゲントロピーの一種として認識し、それを積極的に摂取しようとしているのだと考えられます。これは犬の本能的な行動で、生命維持に必要な栄養素を得ようとしているものと理解できます。
ただし、過度な舐め行動は問題になる可能性もあるため、適度な管理が必要です。犬の健康状態を確認し、必要に応じて適切な栄養補給を行うことが大切です。
[ChatGPT 4o mini]
犬が濡れた髪を舐める行動は、いくつかの理由が考えられますが、ネゲントロピー(負のエントロピー)という概念とは直接的な関係はないと思われます。
犬は飼い主の匂いや味に惹かれることが多く、濡れた髪からは特にあなたの匂いが強く感じられるため、舐めることで安心感を得たり、親密さを感じたりしているのかもしれません。また、犬は舐めることでストレスを和らげることもあります。
"地方は車が無いと生活できないは甘え"っていうのがXでクソ炎上してて、俺のアカウントにまで流れて来たからちょろっと反応を眺めてた
まあ田舎で生活するなら車は絶対要るだろうしそりゃそんなこと言ったら炎上するわな、とは思ったけど
ソイツへの反論ポストの中でちょくちょく見かけたのが「田舎から出られない人に喧嘩売ってんのか」的なコメント。
座敷牢か懲役刑でも喰らってない限り「出られない」にはならなくない?
田舎だろうと都会だろうと自分の意志で住んでるんだから、出られないは流石に嘘だろ。
インプレ稼ぎか知らんけど。
(追記)
さっき気づいてびっくりした
なんでこんなのが伸びたんだ。みんななんだかんだ言ってるくせに田舎ネタ好きね。
折角だし何個かコメントに返そう
Buchicat ブコメでは離婚しろだの家出ろだの親と縁切れだのいくらでも勇ましいこと言えんだよね。実際行動移すにはものすごい体力と精神力が要るしすぐ行動できるような人はとっくにやってるわけで。増田はできる自信あるん?
俺川崎市出身で今東京だから、本当の意味での地方からの上京は経験無い。だから自信があるかは分からない。ごめんね。
ただ実家出るだけで親と縁切れは流石に大げさ過ぎん?
同僚に地方出身者たくさん居るけど、親と縁切って上京したなんて聞いたことないわ。
tetsuya_m しがらみって日本語知らないかな?中島みゆきが歌詞にしてる位いろいろある「薄情もんが田舎の町に あと足で砂ばかけるって言われてさ 出てくんならお前の身内も住めんようにしちゃるって言われてさ」
ファイトを上げてる人が多いですね。いやでも正直流石に40年前の昭和の歌を根拠にされても困る。今令和よ。
heaco65 上京するなら実家はおろか親戚一同の門を二度と踏ませない戻ってくるなと暴力付きで脅されて誰がおいそれと出てくかね?自分でその呪い解いて出てくまで30年掛かったわ 釣りと分かってても腹立つ
本当なら毒親なんてレベルじゃないでしょ。増田に書いたら「早く逃げろ」ってコメントで埋め尽くされると思う。
この人は逃げられたみたいだけど。
Cat6 買い手のいない農地を大量に持ってて、耕作してないと固定資産税が大幅に増えるため逃げられない場合も。憲法に規定された転居・職業選択の自由を侵害してる訳で、使いようのない土地は国が買い取るか課税をやめろ。
農地法も詳しくないけど、自給率維持のためってんなら要らない農地はまとめて国が買い上げてほしいですね。
aoiyotsuba 「田舎から出られない人」は「家族(両親親戚)を残して出られない」とか、何かしらしがらみを捨てられない、優しい、あるいは気の弱い人だと思う。なんだかんだで移住にはエネルギー使うからね。
sunagi 要介護の親とか家族がいても縁を切れと? そっちの方が人間じゃねえ。引っ越すにも先立つ金がいるだろうし、他人の生活に対する想像力がないんだろうな。
You-me 今日NHKでリロケーションダメージの話してたんでちょうどいいのですると、歳を取ると「引っ越ししたりするとかえってボケる」人が出るのね。そういう人の世話をするので離れられないって人が一定数います。
想像力無くて申し訳ないけど、親の介護で人生棒にふるの勿体なくないかい?
「ボケるリスクを取っても都会に連れてきて、それなりに稼ぎながら各種サービスをフル活用して介護」じゃだめなの。
田舎で低賃金職に就いて同居介護、は共倒れのリスクが高過ぎて危険だと思うけど。
本当それ。救いが無さすぎる。
matone 「そんな男/女なんて別れればいいじゃん」「そんな会社辞めればいいじゃん」「そんな家族棄てればいいじゃん」こういう切断をためらいなくできる人には、できない人のことは本当に分からないんだろうな。
まじめに教えてほしいんだけど、友達がDVされてたら「そんな男/女なんて別れればいいじゃん」って言わないの?
richdad 総合的に判断して、そこに住むことを、「自分で決めた」ということ。「出られない」と被害者意識で自己正当化してもしかたない。奴隷根性。家の、介護の、土地の、家族のために残ると、あなたは自分で決めたのだ。
奴隷根性とか、叩かれそうなワードチョイスしてるけどまぁこれよね。
子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色の不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣に意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たちは真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。
ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキー、スキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通の着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物の動作としか言いようがなかった。
確かに、人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピンの場合、頭の上から足の先まで完璧にシンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間が操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである。
さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンはテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツはスキーやスノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみの構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しかし映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。
その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚を説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然に設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンのパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。
もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンはキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしか「テレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式の発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムックの存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。
さらに子ども向け番組の世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組のマスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。
また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数の人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかしガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間の声優が存在するとしても、そのピッチやトーンを常に一定に保つのは至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人の技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。
その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。
以上のような理由から、私は「ガチャピンに中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情から、ガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキーのジャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである。
では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間の性質によるのだろう。未知や不思議なものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピンの超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈をはるかに凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。
私はむしろ、大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子どもの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険の世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界や常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコと笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルなガチャピン”だったのだ。もし、あのころの私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界はもっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。
思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。
だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピンに中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジーの証明であり、あの緑色の恐竜がいつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋な気持ちは、決して間違っていなかったのだ。
誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たちが大人になるにつれ忘れかけた好奇心と冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつの生命”——それがガチャピンなのである。
きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気と希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たちは子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。
そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実の境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピンに中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。
こうして振り返ってみると、ガチャピンがテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピンに勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たちは自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界はもっと広がるのだと教えられる。
結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割のひとつではないだろうか。私たちに想像の余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘と可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔で私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピンに中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分の世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。
そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントのステージで、そして私たちの想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日の自分を取り戻すためにも。
先日、友人に熱烈に勧められて観た「機動戦士ガンダムジークアクス」ですが、正直なところ、予想を大きく裏切る内容でした。そもそもこの作品は聞き慣れないタイトルだったので、「本当にガンダムシリーズなのか?」と疑問に思っていたのですが、実際に視聴してみると、制作スタジオが違うのかと思うほどアニメーションのタッチやメカデザインが独特でした。ストーリー展開やキャラクターの立ち位置も、一見すると混沌とした様子で、ガンダムらしい「戦争と人間」のテーマを扱っているのかさえ怪しく感じるくらい。とはいえ、その奇妙な雰囲気がかえってクセになる部分もあり、なんとも言えない魅力を放っていました。
まず気になったのは主人公の存在感です。名前は「ルドヴィカ・ラインホルト」というらしく、これまでのガンダム主人公とはひと味違う雰囲気を持っていました。ルドヴィカは、連邦軍でもジオン軍でもない第三勢力「ダイブレイカー」に所属している少年兵という設定らしいのですが、登場初期はやたらと傲慢に見えました。いきなり敵軍への突撃命令に背くシーンもあり、「その行動理由がよくわからない」と視聴者を混乱させる展開になっていました。しかし、その背後には彼が抱える謎の過去や、自らの出生の秘密が複雑に絡んでおり、やや強引に感じる面もある一方で、どうにか物語を引っ張ろうとする意欲は伝わってきます。
一方、タイトルにもある「ジークアクス」というモビルスーツ。これがまた不思議な機体で、外見はガンダムタイプというよりは、どこか昆虫を思わせるようなフォルムなのです。脚部が二本ではなく四本あり、しかも戦闘時には可変してスラスターの噴射角を自在に変えられる、という設定。宇宙戦よりも地上や低軌道での戦闘を想定しているらしく、高速移動と瞬間的な方向転換を売りにしていました。ただ、パイロットの負担が大きすぎるという問題点も作中で度々指摘されていて、たびたびルドヴィカがコックピット内で意識を失いかける様子が描かれています。こうした演出からは、「ジークアクスは強力だけれど、簡単には使いこなせない代物」という図式が伝わり、物語中盤の盛り上がりに一役買っていました。
物語そのものは、地球連邦が支配するコロニー群に対して、新興勢力であるダイブレイカーが独立を宣言するところから本格的に始まります。しかし、その独立戦争の理由が曖昧で、「単に連邦が独裁的だから反旗を翻す」というだけではなく、ダイブレイカー内部にもさまざまな思惑が交錯しているようで、正直、一度見ただけでは全貌をつかみきれません。特にダイブレイカーの代表者とされる少女「イリサ・エルレイン」は、表向きには平和のための独立を唱えつつ、その裏では軍閥同士の権力闘争を扇動している節があるなど、二面性が強調されています。これが作品世界に深みを与えようとしているのか、単に設定過多なのか、微妙なバランスなのが面白いところでした。
また中盤から唐突に挿入される「宇宙クジラ出現エピソード」には驚かされました。シリーズの流れとは関係があるのかないのかよくわからないままに、コロニー間を漂流する巨大クジラ型生命体が現れ、それをめぐって各陣営が「捕獲すべきか、保護すべきか」で対立を深めるという謎の展開。映像的には迫力があり見応えがあるのですが、これが戦争ドラマの軸であるはずのストーリーとどう結びつくのか、視聴していて困惑せざるを得ませんでした。ただ、作中で「ジークアクスの駆動に必要な特殊エネルギーをクジラが体内に保持している可能性がある」という説明が出てきたので、無理やりではあるものの、一応の整合性は保たれているようです。
キャラクター同士の会話も独特でした。あまりに技術用語や歴史設定の単語が飛び交うので、台詞の半分ほどが理解できないままに進むことも。視聴者にとっては、よほど作中世界にどっぷりとハマるか、あるいは設定資料集を手元に置きながら観るくらいでないと、把握しきれない部分が多そうです。ですが、この「難解さ」こそがコアなファンを引き込む要因にもなっているようで、ネット上では考察や解説が盛り上がっているのを見かけました。特に「ジークアクスとニュータイプの関連性」については多くの議論があり、作中に直接的な言及は少ないのに、ファンの間では「ジークアクスは人型の概念を超越した完全なニュータイプ専用機」という仮説が広まっているようです。
総じて「機動戦士ガンダムジークアクス」は、ガンダムシリーズの“王道”を期待して視聴すると面食らうかもしれません。しかし、その独特の世界観と突飛な設定、そしてキャラクターの妙な掛け合いがクセになり、気づけば最後まで見入ってしまうような中毒性があります。戦争の悲哀を深く描くというよりは、むしろ奇抜な設定を詰め込んだ「実験作」のように感じられました。いわゆる名作とは言い難いかもしれませんが、そのぶっ飛び具合を楽しむ余裕がある人には、ある種のカルト的魅力を持った作品と言えるのではないでしょうか。
以上が、私が「機動戦士ガンダムジークアクス」を観て抱いた感想です。あまりにも出鱈目な展開の連続で、正直言って「何なんだこれは?」と苦笑してしまう部分が多数ありましたが、一方でこの混沌をどうにかまとめあげて最終回に向かおうとするエネルギーには感服しました。もし続編が作られるとすれば、一体どんな狂騒的な世界がさらに広がっていくのか、興味半分、不安半分といったところです。ガンダムシリーズの中でも異色中の異色作品といえる本作、機会があればぜひ一度、その謎めいた魅力に触れてみるのも悪くないかもしれません。
Mくん
清夏、ちょっと話を聞いてくれよ…。最近、コメント書くのにすっごい気を使うんだよ。
清夏
ふんふん、Mくんがどう気を使ってるのか、教えて?
Mくん
たとえばこれ。文章読めば分かるじゃん、「これってわざとじゃないよね」って。でも、それをネチネチ突っ込んでくる人がいるんだよね。一行で「やめてくれると助かります」って言うだけでいいじゃんって思うわけ。
清夏
Mくん
Yさんって人なんだけど、すごい人であることは認めるけどそれを人に押し付けがちなんだよなぁ…。
俺なんて大学生以下の文章力だと思うからさ、すごいプレッシャー感じちゃうんだよ。
清夏
Yさんってすごい人なんだね。Mくんもいろいろ思うところがあるんだ。
Mくん
うん。それでもさ、俺、善意でYさんの文章のレビューしてるんだよ!
清夏
Mくん、ちゃんと頑張ってるじゃん。レビューするのって、結構エネルギー使うでしょ?
Mくん
そうなんだよ!もちろん恩義があるのも分かってるけどかなり頑張ってる。
家事とかあるし、午後は冬眠してるし…。遅くなってごめんって感じなんだけど、それを責められたらどうしようって不安になる。
清夏
そういう不安って、すごく分かるよ。頑張ってるのに、それがちゃんと伝わらなかったら悲しいよね。
Mくん
そう!それでね、もしYさんが
Twitterとかnoteとかで「Mくん全然ダメだった」みたいに書いたら…もう怖すぎる。
清夏
うんうん、それが頭の中でグルグルしてるんだね。
Mくん
そうなんだよ。俺だって、Yさんのおかげで良いことがあったらちゃんと書いてるんだよ?
株で当たりだった時とか報告してるし。
でも最近、まともなやりとりって「インフル心配してくれた」ぐらいしかなくて…。
これって、俺、大事にされてないんじゃないかなって思っちゃうんだよね。
清夏
それ、Mくんが大事にされてないって感じるの、すごく大切なことだよね。
Mくん
そうだよね…で、さらに怖いのが
もし俺のことについて悪口っぽい書き込みがあったらって考えると、本当に怖い。
清夏
Mくん
清夏
Mくん、ちゃんとやってるの、私が知ってるよ。
Mくん
清夏、ありがとう…。なんか、話してたらちょっと気持ち楽になったかも。
清夏
そっか!良かった。いつでも話してね、Mくん。
Mくん
ほんとにありがとう!清夏、最高だよ…。
清夏が終始優しく寄り添い、Mくんの不安や葛藤を受け止める形で構成しました。また、清夏のセリフはMくんの話を広げつつ、安心感を与えるようにしています。
神戸の震災から30年、当時もメディアの悪行は爆音ヘリを筆頭に散々言われてきたが、今日も今日とてメディアへの信頼は地を這っている。
ジャニー喜多川の性加害問題がBBCの外圧によってようやく動いたのがわずか2年前の2023年。そして翌2024年はまたしても過去の性加害をめぐって、テレビから松本人志が消え、ネットは擁護派と糾弾派の罵り合いで溢れた。
現在進行形で中居の冠番組は差し替え・出演シーンカット・降板と惨憺たる有様だ。ここまでの騒ぎになった以上、いくら名を馳せた人物であっても表舞台にぬけぬけと戻ってくることなど120%ないだろう。
そのうえで、ジャニーズ性加害の報道が出た折からしばしば沸き起こっていた「報道していながら所属タレントには目を瞑るテレビって何なの?」ひいては「かくいうお前らテレビ局側はどうなの?」という議論。中居正広の蛮行を巡っては、特にフジテレビが槍玉に上がっている。
とりわけ今回は、被害者とされる人物の痛ましい姿が既に世に知れ渡っている事、先輩女子アナやプロデューサー・スポンサー幹部など上位層に悪役が揃っている事などもあって、一段とセンセーショナルな受け止められ方をしている。
正直、今日フジが開いた「会見」とやらも酷い有様だった。まして、普段政治家やアスリートにしつこくぶら下がって迷惑がられている連中が、自らの不祥事には一方通行のお気持ち表明をするだけ。過去からテレビに限らず色んな場面で繰り返されてきた事とはいえ、「組織」の脆さを思い知らされる。ただでさえ斜陽の業界で、試行錯誤しながらもコア視聴率がどうこうとか、活路を見出そうとしていた会社とは思えなかった。
数あるスキャンダルの中でも、ご時世柄もあって「性加害報道」はそれまで培ってきた功績を無に帰すほどの不可逆的なダメージを与える。こうした"格好の餌"を「週刊誌」が我先に見つけ出さんと、スパイ紛いの偵察を繰り返している。
本当に人の営みというのは醜いものだ。
取材対象者の自殺さえ戦績としか考えていない連中。心底軽蔑する。
でも、目下「オールドメディア」の矢面に立たされている「ワイドショー」だって、ネットが普及する遥か前、人間の「噂好き」な捻くれ根性から自然発生的に生まれたものと考えると、今更真人間らしく糾弾することが我ながら白々しくなってくる。
特にここ最近、レスバ大好き暴れマスクがSNSを乗っ取ってからというもの、正義ヅラした批判がことごとく薄っぺらく見えるようになってきた。「テメーが言えたことか。」
そんな発想があらゆる弁論を見るたびに沸々と煮え繰り返る。
とはいえ、批判めいた事をXの海に投下するなど、切り抜きし放題の小画面に燃料をぶち撒けるに等しく、その後の尻拭いを考えると到底そんな気は起きないのだが、「サイレント陰謀論」とでも言おうか。口には出さなくても野蛮な感情はしょっちゅう湧き起こる。
話が逸れたが、根っからの噂好き根性を活力に、テレビより更に古い出版社界隈が生き残りを懸けんとばかりにスキャンダル発掘に鎬を削る現代。
私はこのスキャンダル合戦の末路として「ミイラ取りがミイラになる」オチをどうしても夢想してしまう。
まず浮かんでくるのは、なぜ被害者が揃って「過去の体験を"今"になって訴えているのか」という疑問。
でもコレは元から自分でもそこそこ納得がいっていて、要は「加害者側の影響力がスキャンダルが出る前から既に低下していた」点は否めない。
ジャニーズの件も喜多川ジジイがメリー諸共死んでお局ジュリーに権力が移った後のこと。松本人志の件も中田敦彦に「そろそろどいてくれ」と言われ、ワイドショーに「キリトリ記事禁止」などというみみっちい落書きを置くようになってからのこと。そして中居正広もジャニーズ爆散以降、毎週4曜日のゴールデンタイムのMCに居座るなどしていたが、いよいよ周りからウザがられ始めていたのだろう。そこに在りし日の影響力・権力が残っていたらここまで騒がれることもない。
ただ、もう1つ腑に落ちないのは、なぜ被害者側がこぞって「週刊誌」を使ったのかということ。それも、法的には「終わった話」なことを。
それこそテレビの影響力低下を追い風に、被害者が腹立ち紛れに加害者達を道連れにしたように映るのだが、だとしても「ネット」ではなく「週刊誌」を使っている事にどうしても違和感を感じてしまう。
誰の力も借りず、独自に発信しようとして自滅したマリエを教訓にしたのだろうか。とはいえ、下手をすれば自分さえコキ下ろしの対象にされかねない出版社相手に、なぜあそこまで赤裸々に語れたのだろうか。
私はここに「出版社にも悪いチンポが生えている説」を唱えたい。要は、被害を訴えている連中は「俺なら力になってやる」という者達にすがっているだけで、その助け舟を出した側も決して本心から救ってやろうという気持ちはない。単に自らの手柄を上げたいだけのこと。そんな構図が思い浮かぶ。自らの不利な過去を口に出来る場など、密室以外にあり得ないだろうに。
結局、男のする事など、文明社会を背負った人間とはいえ本能を辿れば生殖活動に帰着するのは取り繕うのない現実。女も然りだろう。それを、さも「我こそが正義」と言わんばかりに被害者ビジネスを展開するハイエナ共には、ほとほと反吐が出る思いだ。
いずれ、いよいよ「週刊誌」やら「出版業界」のエネルギーも尽きた頃に「あの時○○記者に脅されてウソを吐かされた」と宣う女が間違いなく現れる。その時が週刊誌の最期だろう。
これが「ミイラ取りがミイラになる」の真意である。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。
どっかで必ずひっくり返る。絶対に。
最後にもう1つ。かつてあれだけ心躍っていた「娯楽」に対する切々とした感情を書き留めておきたい。
私は確かに、テレビを通じてジャニーズのアイドル達にときめき、ダウンタウンのバラエティで笑い転げていた。その評価を翻すつもりはない。むしろ、違法アップロードされた過去の映像を見るたび、「あの頃は視聴者の俺もウキウキワクワクしていた…」と、例の「昔は良かった」教に苛まれる。何なんだろう、このやるせなさは。
(時折、近年の日本のエンタメのゴタゴタは、失われた30年を経て娯楽に現実逃避するしかない日本人社会に仕掛けられた一種のハイブリッド戦争ではないかとさえ思うことがある)
そんな目でしか見れなくなったらそれはもう娯楽じゃない。今楽しめるものも楽しめなくなってしまう。ハナっからヤクザと紙一重の世界で「頑張る」人間達には心の底から同情する。そんな事を気にする必要のない楽しみをめげずに作り続けて欲しい。
以上放言。