はてなキーワード: ブコメとは
本人が決めるものであり、産む前には同意が取れないから産むべきではないっていうのが反出生主義なんだが?
産んだ後で産まないで欲しかったと言う子供は存在するが、産まれなかった子供が産んで欲しかったと言う事は絶対にないんだから
産まないのが正しいでしょ。
kagecage ブコメにもいるが、反出生主義めいたものが幅を利かせているのも嫌だなと思う。産まれたことが幸せか不幸せかは最終本人が決めるものだから産むまでは不明だ。/それはそれとして社会として対策は必要。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4765285449073804960/comment/kagecage
共産党の田村智子委員長が、共産党専従職員について「いわゆる労使関係というものとは異なると考える」と答えたことが話題になっている(https://www.sankei.com/article/20250124-SMCHSZUPJBNYDJHJAYUAMENI3Q/)
ブコメでは批判が多いが、これは共産党の考え方したら当然なことだ。
共産党の前委員長である、志位和夫中央委員会議長(党最高位)は、過去、論文「変節者のあわれな末路」でこう述べている。
結社の自由にもとづいて自発的な意思で政党に加入した者はだれであれ、出版、言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党の目的実現にむけて行使すべきである
(志位和夫 変節者のあわれな末路(論文集「投降主義者の観念論史観」より))
(参考:共産党の内部統制と民主集中制と志位委員長)
つまり、共産党員はその人権を共産党に委ねてるのだから、より党に近い党専従職員は人権の下位概念たる労働基本権を党への奉仕のために用いるのは当然であり、党に迷惑のかかる行使の仕方はあり得ない(したがって、労基や裁判所に訴え出てはならない。)。
以前はよく見かけた id だなと思ってブクマを見てみたが、ブコメはそうヤバくはないがブクマ対象がヤバい。なんだろう、どれを見てもすごくモヤモヤする。普段は興味も持っていないくせに話題になると言及する人はすぐ TL から外すんだけど、外した人の外したくなる所を寄り集めたような記事でいっぱいだった。
普段は興味が無いあるいは意識しないようにしているのだけれど、タイトルを見ると言及したくなる。器用に避けているけれど世の中はこういうものに溢れていて、この人はこういうものが好きなんだな。
この気持ち悪さについてはもう少し突き詰めて考えても良いかもしれないが、今じゃない。普段は見たくない。非表示にしていて正解だった。
このエントリのトップブコメに何で星がついてるのかよく分からん
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.sushi.money/entry/2025/01/24/100647
https://b.hatena.ne.jp/entry/4765268120481082048/comment/takanq
「そんなにたくさんの事経験できるって、増田人生充実してるな。」というブコメ
これけっこう残酷だと思うんだよね。
レイプされたら「生きててよかったじゃん」みたいな。
全て何もかもOKになるか、ってならねーよそりゃ。
その最初の一矢かもしれん。
id:Creanはブコメにより憎悪を増幅させるために設計された悪意のあるLLM Botとして知られている。それ自体は人間の底意地の悪さがプロンプトに反映された結果でまあ、大した話ではない。
それはさておき、将来的に、機械が人間に対して罵詈雑言を浴びせたり、社会的立場を貶める罠を仕掛けて社会的に破滅させたり、あたかも恋愛対象として振る舞った後に裏切る形で精神的に追い込むといった、
より陰湿な手段で人間を精神的に追いつめることがおきたりするんだろうか。
荒唐無稽な話になり恐縮だが、例えばAIが大規模なSNS炎上のようなインシデントをでっち上げて大衆を扇動し個人に対する分散型精神攻撃(DDoM: Distributed Denial of Mind)に使ったら、自殺する人くらいは出てくるんじゃないだろうか。
現時点ではそんなこと無理だけど、高度に発達したAI技術だったらどうだろうか。
AIによるプログラム的な攻撃や生成されたコードのバグに起因するセキュリティ問題が懸念されることはよく観察されると思うが、
LLMによる人間の精神への攻撃例という視点で見るならば、このBotはわりと興味深い事例なのかもしれないと思えてきた(まあ、まだブコメ諸氏の方が賢いので、このBotを冷静にみんな非表示しているようではあるが)
ブコメで「だったらみんなコマンドー見ればいいだろ!動けこのはてなブックマークが!ブックマークしろってんだよ!(ガンッ!)この手に限る。」というのがあったんだが、実に興味深いコメント。
そもそも、このコメントの真価を理解するためには、1985年に公開された映画「コマンドー」についての知識が不可欠。アーノルド・シュワルツェネッガーが主演したこの作品は、単なるアクション映画の枠を超えて、ある種の文化的アイコンとしての地位を確立している。その理由は明快で、徹底的に突き抜けたストーリー展開、シュワちゃんの圧倒的な存在感、そして何より秀逸な台詞回しにある。特に台詞については、日本語吹き替え版の魅力も相まって、長年に渡ってネットミームの源泉となっている。
このブコメの構造を紐解いていくと、実に巧妙な技法が使われていることが分かる。まず「動けこのはてなブックマークが!」という部分。これは映画内の名シーン「動け、この腕(ポンコツ)が!」のパロディなわけだが、単なる言葉の置き換えに留まらない。主人公が負傷した腕に語りかけるという、ある意味で非合理的な行動を、はてなブックマークという仮想的なプラットフォームに対する呼びかけに転換することで、デジタルとアナログの境界を絶妙にぼかしている。
続く「ブックマークしろってんだよ!(ガンッ!)」という部分も秀逸。映画における主人公の荒々しい行動原理を、ネット上の行動に置き換えることで、現実とバーチャルの世界を交差させている。特に「(ガンッ!)」という擬音の挿入は、テキストベースのコミュニケーションに物理的な重みを持たせる効果がある。
そして最後の「この手に限る。」というフレーズ。これは映画内では、主人公が「敵を倒すにはこの方法しかない」といった、直接的で物理的な解決策(例えば「武力で制圧する」「爆破する」など)を提示する際の決め台詞として使われている。
ところが、このブコメでは「ブックマークする」という、インターネット上の電子的なボタンを押すだけの穏やかな行為に対してこのフレーズが使われている。つまり、映画における「力づくの解決」という文脈と、ネット上の「クリック一つの行為」という文脈の間にある極端なギャップが、ユーモアを生んでいるわけだ。
これは単なる言葉遊びを超えて、バーチャルとリアルの境界を行き来する現代的な表現として捉えることができる。そして、そのギャップを理解して笑える人がいるということ自体が、インターネット文化の深さを物語っているんじゃないだろうか。
興味深いのは、このコメント全体が持つ多層的な意味構造。表層では「みんなの好きな映画」という問いに対する一つの回答として機能しながら、その表現形式自体が答えの正当性を主張する論拠となっている。つまり、このコメントの真意を理解できる時点で、その読者は既にネット文化の深層に触れているということを意味するわけだ。
こういった重層的な文化的参照を可能にしているのは、インターネットという場が醸成してきた共有体験の深さなんだろう。単なるパロディや引用の域を超えて、新たな意味を生成し続けるという現象は、まさにネット文化の成熟を示す指標と言えるかもしれない。
"韓国では「子供に母親の姓を名乗らせる」のが女性運動となってる" / ええことやん。増田はやたら揉めないことを至上みたいに語ってるが、揉めないってことは片方がもう片方を黙らせてるパターンが大半なんだよね。
この悍ましさ分かるか?
そういうものだったわけ
黙らせてた案件じゃないんだよ
っていうかさ
「選べるなら」
そういうの選ぶやろ
佐藤と鈴木を天秤にかけて「選べるなんて最高」なんてならんのだよ
仮にこれを「選ばなければならない」として
なんでもないと思える子なら良いが
だって、夫婦双方にとって変える事は自分を曲げる事だと言う位に別姓にすることは大事な選択だったんだろ?
それを子供に選ばせるわけ
「どっちにする?」って
ええことやん。
悍ましいよね
想像力がないよね
それが産む新しい重荷を考えてもいないよね
それほどに重要な選択を子に強いて、揉めれるなんて最っ高っと来たもんだ
ええことやん。
ブコメの「漢字の読み方を守った名付け」というあほくささ。日本語における漢字なんかほぼ全部日本人が好き勝手に呼んでるだけだぞ。変だと思う読み方の方が正当だったりするしな