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はてなキーワード: 親和的とは

2024-12-11

anond:20241210123324

肌の黒い声優自身の演じるキャラ黒人イラストを気に入るって中の人ネタ範疇で許されるべきだという気がする

しろ日本作品だと分かってるから吹き替え自身同化したアイコンを使うって二次創作的な遊びが成立するんだろうし

第一この炎上火種になっているぶくぶのイラスト無意識人種が変わってみえレベルで肌の色が変わっていたことが良くなかったわけで、意識的人種を変えて楽しむのとは根本的に性質が違う

向こうでオカルンを演じている声優自身と近いキャラ表象を気に入ってアイコンにした、この現象自体オタク的で、日本ナード性質を持った黒人キャラアイデンティティを持つ声優ってすごく日本文化に親和的意図を持っていたんじゃないか

もしこれにリベラル多様性から作品への改変の意図が加わるなら話が変わってくるが、あくまで演じる人の自己認識を反映した表象として喜ばれたという点では否定されるべきではなかった、この現象オタク的な文脈で楽しまれなかったことを残念に感じる

2024-12-05

×ネトウヨは何故天安門が好きなのか→△何故嫌いであるべきか

ネトウヨはすぐに他国軍事弾圧肯定するくせに、なぜ天安門とか六四天安門とかbioに書くのか」という話をしばしば見かける。何か妙な勘違いなのだが、ネトウヨの連中は「敵国に迷惑がかかる行為称揚し、自国迷惑がかかる(と思い込んでいる)行為を批難する」という点において一貫しているだけであり、何も矛盾はない。中国の現体制に対して何かしら迷惑ダメージがある現象なら何でもいいのであり、つまり軍事弾圧の是非や民主主義イデオロギー最初から問題としていない。要は一昔前の、自由民主主義の国アメリカがその辺の独裁国家支援していたのと同じである(ピノチェトとかフセインとか)(パフラヴィー朝なんかは話がちょうど良い具合にややこしくなると思う)。

軍隊による民衆弾圧親和的なのもある意味当たり前の話で、むしろ軍人は何のために銃を握るのか」という議題に対し、少なくとも日本人歴史観においては「国民を守るために銃を握ることはありえない。それは異常である国体または軍隊自身を守るために銃を握るのが一般的であり、その目的達成のために国民に各種の危害を加えるのは比較的当然のことである」という認識のはずだ。そもそもそれこそが日本国憲法第九条の前提そのものではあるまいか。恐らく「普通の日本人」とやらにとって、軍隊自国民を守るために存在し行動する、という「印象(コンセンサスと言い換えてもよいだろうか)」そのもの存在しないはずだ。それは案外、「普通の」どころか左右両翼の共通認識ではないだろうか。

かに明治以降旧軍侵略戦争か、なんとなくその場のノリでその辺の戦争に参戦するか、いずれかの経験ばかりだったわけで、直接的に国民を守るための軍事行動というのは教科書に載るレベルでは存在しない(占領地に住んでる人を守るというのも、そりゃまず占領してんだし……という話が先に来る。まあスタコラサッサと逃げた関東軍は流石にちょっと凄い気はするが)。当然、ここで元寇災害救助の話をしても仕方ない。それは過去の話ではないのか、現代にあってミャンマーシリアと同レベルで恥ずかしくないのか、ではない。軍隊とは本質的に恥ずかしくて危険もの、できればこの世に存在しない方がいいものなのだ。繰り返すが9条はそういう話のはずで、ここに論理の飛躍は一切ない。

話をあえて脱線させるが、日本人は恐らく「尊敬に値する軍隊」を近現代において認知したことがなく(自衛隊は日々努力し結果も出しているものと思うが、まあ個人単位で時々変なの沸いてはいるしなとも)、また「軍隊に対する正しい尊敬の仕方」も習得していない。これらは良い手本となる先達国があるのか、またそこから学ぶだけでどうにかなるものなのか、は良く分からないが、これからでも議論はあっても良いと思う。国民に銃を向けない軍隊や近似組織は当たり前ではなく、どうにかして作り続けなければいけないものではなかろうか。「デモ中に鉄砲を掴んだら危ないぞ」ぐらいは正直それはそう程度の反射的感想でもありえるところで、大事なのはわざわざそこを起点にしてまで危険発言をすること等を阻止することであろう。

また別の方向に脱線させれば、日本人はまた「イデオロギーの基に生きて、時々うっかりイデオロギーのために死ぬ」という生活想像できないのではないか国益になるなら自他のイデオロギーを問わない、というのはネトウヨ根底の(ごく一部ではあろうが)どこかにあるし、本来それ自体はあまり頭ごなしに否定するものでもない気がする。

逆に言えば、日本国民ネトウヨの「9条のせいで日本が駄目になる」という妄言を、妄言ではなく実際に真剣に実現する義務を怠っている。9条を守って国体崩壊日本国民財産生命が著しく損害を受ける事態になれば、それは国際社会において極めて重宝される歴史や教訓となるはずであり、「お国のために死ぬ」より数十段もマシな「お世界のために死ぬ」が実現するにはする。これは割と皮肉冗談ではなくて、一国の利益がために他国侵略するという不正義の対極である以上、国際社会はそこに何らかの価値と教訓を見出し称揚する責務が存在するはずだ(責をさぼる可能性は大分あるが)。国際社会への貢献とはそのようなものであり、できないのであれば素直に「すみません終戦時点ではアジア諸国マジで見下していて方々に攻め入るだけの国力を持つに至るとは思っていませんでした。完全に大東亜共栄圏脳のまんまでした。これからは行きすぎない程度の暴力装置自由民主主義のために集団的自衛権とかPKFかぐらいはします」と謝罪したうえで改憲議論でもしたほうがよろしい。

話をタイトルに戻せば、価値観を共有できない国とどう向き合うのか、というより「友好的に向き合ってはいけない」という、普通世界各国と仲良くするのは良いことでは……?という直感に反するイデオロギー準拠の行動指針にどう向き合えばいいのか、(すぐ撃てばいいという話では断じてないことこそをも含め)考えなければいけない訳である。もちろん「考えなければいけない」などというみっともない文末はよろしくないのだが、これはもう完全にしようがない。

2024-12-04

anond:20241203120826

はてな民フェミニズムのこと知らない人多いな。フェミニズムだと現状の倫理ロジックとか科学とかは男性が作り上げたものからそれを否定すると言う一派がいてわりとスピリチュアルもの親和的なのよね。

魔女タイプとか女神タイプみたいな分類わけもそういうのとの親和性から来てる。


まり釣りなんかじゃないってこと。

これはフェミニズム本質の一つだよ。

2024-11-18

兵庫県知事選挙で、またも透明化される民意について

まず最初に、兵庫県知事選の結果を見て欲しい。

齋藤元彦 1,113,911 (45.2%)

稲村和美 976,637 (39.6%)

( NHK選挙報道より https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241117/k10014640801000.html )

どちらが勝ってもきっとそうなるだろうなと思ったので、強く強く強調しておきたいのだが、兵庫県民がパワハラを良しとしたわけではないし、県民県庁職員の命を軽んじているわけではない。

逆に言えば、もしも稲村和美が選ばれていたとしても、パワハラが許されない県民性だ、と言うこともできなかった。

これは右派左派わず、まず念頭において欲しい。ブコメをする際にも一瞬だけ書き込む手を止めて考えて欲しい。

97万人もの人間投票したうちの39.6%の人間意思無視した発言になってないか

兵庫県で起きていたこと(前半戦)

自分の身の周りで起きていたことを記しておこうと思う。

当初は、いわゆる通常の選挙様相を呈していた。

組織票無党派とは言え党派性での応援対立候補

いわゆる、従来の選挙として、前半は以下のような感じだった。

自民党大敗記憶に新しいが、小選挙区自民党の内紛が起きていたところが概ね負けていたことを思い出すと、清水貴之立候補表明あたりで少し不穏さを感じていたと思う。

ただ、良くも悪くもテレビ新聞マスメディアでは、齋藤が再出馬するとは、という論調であった。

そもそもで言えば、県議会が(維新も含めて)全会一致で県知事不信任決議をする、というのが異例だった。

民意と言えば聞こえは良いが、マスメディア報道を受けて支持母体から圧力が日々増しており、かかる火の粉を振り払った結果、というところだろう。

兵庫県で起きていたこと(後半戦)

立花孝志を中心とした、従来にない選挙戦の様相を呈してきた。

事ここに至って、齋藤元彦が県知事失職以前に取っていた言動が、功を奏していた。

齋藤元彦は、「公益通報に該当するとは思っていない」や「瑕疵はない」と述べており、発言一貫性があった。(端的に言えば過ちを認めて謝罪していない)

告発文書が7つの項目からなっているのであれば、本来マスメディアは、それぞれについて裏を取り、特に知事選挙や政治資金パーティーでの違法行為を追求すべきであった。

失職に至る経緯である告発文書報道が、主に理解やす視聴率を稼ぎやすパワハラとおねだりに集中していた点が、事態悪化させていた。

ハッキリとここで書いてしまえば、齋藤元彦の選挙戦略は至極全うである

街頭演説では、おおむね、前知事井戸敏三県政の無駄遣いの批判自身の県政でのお金の使い方(高校への投資企業との連携)の話、未来ある子供たちへの投資の重視などが語られている。

そもそもの前回の知事選挙でも、トップダウン式の井戸県政を嫌ったと評されるが、基本的には自民党分裂選挙であり、自民党の内紛と勢いのある維新への合流が生んだ結果と言うこともできる。

まり、現職なのでそもそも地盤はしっかりとあり、井戸敏三県政から路線変更を行って財政再建を行っていて、元々市町村とは折り合いが悪い、という点までは織り込み済みの状況である

マスメディア側に誤算があったとすれば、「パワハラぐらいみんなやってるだろ」とか「あの程度のおねだりは役得じゃないの」という市民の声がカメラの前で拾えるはずがない、という至極当然の目線を忘れていたからだと言える。

トップダウン井戸県政を嫌ったはずの齋藤県政で、強引とも言える市町への予算縮減などをもっとフォーカスして解説すべきだったと思う。

ハッキリ言えば、共産党以下は泡まつ候補である

逆に言えば、稲村と清水との分裂選挙と言える状況で、稲村和美陣営には手抜かりがあったと言われても仕方がない。

一本化を図ろうとした市町の連帯を示す文書は、明らかに遅かったし、清水貴之への根回しも済んでいるようには見えなかった。

兵庫県でおきていたこと(マスメディア

マスメディアによる齋藤元彦おろし成功している。通常こうした場合、再出馬や再選はあまり現実感が無い。

そのため、マスメディア側のいわゆる醜聞を集める準備期間がほぼなかった点がある。

また、全国的にも良く知られているが、関西圏維新に対しては通常親和的報道が行われる。

齋藤元彦は、前回の兵庫県知事時代に、自民党日本維新の会共闘して県政を行っていた。

マスメディアとして、及び腰になっていたのではないかという点は、指摘できると思う。

また、醜聞、いわゆるゴシップとして視聴率を稼ぎやすネタが、齋藤元彦を利するものであった点も報道が少ない理由の一つと言える。

(もしも前知事時代女性関係醜聞があれば、こぞって報道されていたであろうことは想像に難くない)

兵庫県以外でおきていたこと(SNS

デマ醜聞荒らしであり、聞くに堪えず、見るに堪えない。

しかし、コメント欄などを見ると、メディアに騙されていた、齋藤元彦を応援しますという声は少なからずあり、影響が無かったとは言えない。

また、街頭演説に限って観てみるとわかるが、明らかにトレーニングを受けた演説慣れした者と、あまり演説しなれていない者とハッキリわかれる。是非聞き比べて欲しい。

兵庫県知事選挙でおきていたこと(対立候補、対齋藤元彦陣営

いわば本音と建て前の、建前の部分で、各自失策している。

出直し選挙民意を問うでべきであるという逃げを打った県議会マスメディアは、再出馬されてしまった場合に、取りうる手段が無い。

現に、今回民意を反映して(少なくとも当選する程度の民意は得ている)知事に返り咲いた為、県議会は筋論としては協力せざるを得ない。

また、あまり話題になっていないが、辞任と失職では県知事任期に差があり、失職後に出直し選挙当選しているので、任期リセットされており、ここから4年の任期となる。

今後、兵庫県で起きること

恐らく、齋藤元彦兵庫県知事の元、今後も市町とは揉めながら県政を行っていくと思われる。

文書問題調査特別委員会通称百条委員会)については、粛々と聞き取り調査が進めらると思うが、おそらく公益通報には該当しない、パワーハラスメントに該当する行為はあった、給与自主返納あたりで手打ちになると思う。

これはあくまでも一般論だが、刺すべきタイミングで的確に刺せないと、政治ではうまくことが運ぶことは無い。

兵庫県警が公益通報として受け取らざるを得ない内容、厚生労働省調査せざるを得ない内容、法務省調査せざるを得ない内容として、それぞれピンポイント匿名通報し、マスメディアにも流した場合、結果は違ったように思う。

五百籏頭氏が傑物であったことに異論は無く、執務中の急性大動脈解離については痛ましいとしか言いようがなく、それがストレスを起因としたものであったかもしれないが、それを知事問題とするには飛躍が過ぎる。

繰り返しになるが、稲村和美へと票を投じた97万人がいたことを忘れてはいけない。ほぼ、齋藤元彦では無い人物というワンイシューで集まった票がこれほどの規模だったことを忘れずに話をして欲しいと思う。

雑感

立花孝志の選挙戦略が当たったのではないかという話があったが、そもそもで言うと県議会が推す候補が一本化できていない(稲村と清水に分かれていた)点に問題があった。

単純な算数だが、対立候補が稲村和美(と共産党)だけだった場合当選していたのは稲村和美であった。

また、簡単に辞職を迫りすぎていた点にも問題があった。

県知事任期は4年であり、第53代兵庫県知事齋藤元彦は、2021年8月1日付に県知事になったので、ほうっておいても2025年7月末には任期を迎えた。

文書問題調査特別委員会が設置されたのであれば、この調査結果を待ってから辞職を迫るのが筋であった。

マスメディアの大変良くない点だと常々思っているが、加熱した報道で辞職を迫るのはいい加減どうにかならないか。それは報道では無く扇動である。また辞職は罪を償う手段ではない。

齋藤元彦が、井戸敏三県政を嫌っていることは外部からもうかがい知ることが出来るし、法律上はどうあれいわゆるパワハラ日常的に行っていたであろうことも百条委アンケート結果からは伺い知ることが出来る。

ただ、それを告発する為にとった手法公益通報に該当するのか、内容が真実だったとして法律上の罪に問われるものなのかは、また別の問題である

そういう、法律上はどうあれ報道され一部でも事実があり実害が出たのであれば責任を取って辞めるべきだという、マスコミを利用した政治手法が、うまくいかなくなった結果だと考えている。

(贔屓目に見ても怪文書しか言いようのないあの告発文書でここまでの騒動になるのだから、実情はさらに酷いのだろうと思うが、それは司法飛ばし私刑を行って良い理由にはならない)

蛇足

風向きで辞任を迫ったり、風向きでついたり離れたりしていると、触れるメディアから情報で同様に風向きが変わるのは当たり前だろう。

返す返すも、百条委の結果を待って、結論が出てから辞任を迫っていれば違っていたように思う。

パワハラ認定がなされたあとの再選と、パワハラ疑いの再選は大きな隔たりがある。

パワーハラスメントは、録音録画を行えば証明できるような単純なものでは無い。うっかりパワハラではないとされた時に、職も信用も失う危険行為なのだ

そして、パワハラを行う人間は、誰がやったかからないような不特定多数がいるような場所パワハラをしない。通常、パワハラは録音データ漏れしまえば即特定されるのだ。

そして、日本マスメディアには信用が無い。暴露は得意だが保護は不得意だ。

そうすると、パワハラ日常的に行われるのに、職を失いたくないから何の証拠も出てこないという状況が容易に起こりうる。

立花孝志の選挙戦略は、その点をピンポイントで突いたものだ。

従来のマスコミゴシップと同様の効果を、ほぼ単独で行えた点にこそ、大きな価値が出てしまった。

ただ、逆に言えば、事実に基づき、政策判断してほしいというような選挙戦略には、付け入る隙は無い。

やはり、そろそろマスメディア私刑として機能し、首長を叩き辞任させようとする傾向は慎むべきなのだと思う。

辞任以外の落としどころを作らない限り、また同様のメディアスクラムが起きた時に、立花孝志はおそらく違う手法で望んだ結果を得るだろうと思う。

実際の所、流れた情報の何が本当で、何がデマなのかは誰にも判断できず、なにが正しいのか理解できている人はほぼいないと思われます

とにもかくにも、立花氏の戦略が、今の時代を的確に捉えており、柔軟に対応できたことが大きいと思われます

従来の選挙戦略では到底太刀打ちができない、新しい選挙のやり方が生まれてきたなという感想です。

私にも見えてない部分が多くありますので、他の方の分析も知りたいです。

https://anond.hatelabo.jp/20241118092831

2024-11-17

第四の権力とは、マスコミではなく「ポリコレ」のことだったのだろう

マスコミも、国家権力というもの自由批判できているが、「ポリコレ」にはそうではない。

国民にできることは唯一、「ポリコレ」に親和的政権に対し、投票でNOを突きつけることなのだろう。

こないだの大統領選がそうであったように。

2024-11-16

兵庫県知事選期日前投票に行ってきた

今日夕方散歩のついでに区役所兵庫県知事選期日前投票に行ってきた。

周知のように、今回の知事選は異様な雰囲気だ。

僕の周囲でも連日のように知事選世間話ネタになっている。

こんなの、兵庫県知事選では前代未聞だろう。

n=20ほどなので確度は保証できないが、僕の観測周囲では、

斎藤さんだけはちょっとなー」

っていう人が大半だ。

さすがに、あの人は無理って言う人は多い。

とはいえ、僕の周りにも斎藤知事を支持する人もそれなりにいる。

大体、ふたつのぐらいのパターンがあって、ひとつ目は、

斎藤さん、いじめらてれてかわいそう!」

っていう人。

ウチの母もそうだ。

女性高齢者に多い。

テレビ新聞等のオールドメディアとの接触率が高い人。

連日、悪いイメージが流れているなかで同情心が湧いてくるようだ。

ふたつ目は、

斎藤さんは嵌められたんや!」

っていう人。

これは、Youtube等のネットメディア親和的な人に多い。

必ずしも、ネットメディア親和的が人がこうなるわけではなく、「嵌められたんや!」派の人はオールドメディアへの不信感がとても強い。

マスゴミが伝えない真実自分たちは知っている」っていう高揚感がこの人たちにはあって、斎藤知事当選すると本気で思い込んでる人が多い。

ディープステートと戦う、光の戦士トランプ大統領」じゃないけど「既得権益孤独に戦う斎藤知事」みたいな世界観

で、期日前投票だけど、雨上がりの夕方16時前くらいに区役所に行った。

入口にはNHK出口調査の人。

多分、朝から張り付いているんだろう。

中に入ると、結構な人。

天気の悪い土曜日夕方に、順番待ちするぐらい人がいるとは思わなかった。

時間帯によるのかもしれないが、女性若い人がほとんどで、中年男性は僕だけだった。

うーん、これはひょっとしてひょっとするのかもしれない。

これが、兵庫県、初冬、11月の現状です。








選挙後の追記です。

ひょっとするかもって書いたけど、ひょっとしましたね。

サンテレビを見ていたのですが、こんなに早く当確がでるとは思わなかったです。

僕の周囲にいるような、かわいそう派や陰謀論者は、さすがにマイノリティではないのかと思っていたので驚きました。

自身不明を恥じるばかりです。

僕は、必ずしも反斎藤派というわけではないのですが(県庁での人望はないのかもしれないが、行政経験豊富な実務者という印象)、かわいそう派はともかく、陰謀論者に支持されるのはとても危ういのではないかと思っています

陰謀論者に対する書き方が、多少辛辣なのはそのせいです。

各種陰謀論者の存在は知ってたのですが、さすがに身近にはいないよなと思い込んでたので、今回の知事選で身近に意外とそういう人がいて幻滅しました。

少し前に、ヒースの『啓蒙思想2.0』読んで痛感したのですが、左右のイデオロギーがどうとかというより、反知性主義的で極端な政治勢力が台頭するのは本当に危ういと思います

投票が締め切られたので言えますが、今回の知事選だとNHK党の立花さんがトリックスター的な役割果たしていて、選挙局面を劇的に変えてしまいました。

大衆なんてそんなものというのは簡単ですけど、モヤモヤするものが僕にはあります

2024-11-09

anond:20241109170600

「女さん」はやめなさいって。

ゲイに対して都合のいい幻想を抱いて友達になりたがる女性というのは確かにいて、ゲイから嫌われてたりしてるけど(性愛の絡まない同性じゃない友達が欲しいくらいなら嫌わんでもいいと思うが)、増田とはいえここまでテイカー全開なのはさすがにねぇ。

男より女と一緒が楽というような女性性に親和的相手に、下心無しで男らしく尽くして守ってほしいとか。

2024-11-07

日本女性必要なのは中絶「する」権利ではなくて中絶「しない」権利

Xではとかく、妊娠した女性中絶「する」権利ばかりが叫ばれるけれど。

「産んだら一生恨んでやる」…朝日新聞男性記者不倫相手自殺未遂に追い込んだ「衝撃の言葉」の数々

https://news.yahoo.co.jp/articles/0e14084ed9df33188d67dadfba0d590333356369

A子は1年前の2023年10月1日から日本経済新聞社転職が決まっていた。9月にはBも厚労省担当へ異動が決まり、会う頻度は少なくなっていた。ところが、10月第一週にA子の妊娠が発覚する。経口避妊薬を服用していたので、予期せぬ妊娠だった。

不安と歓びからA子はBに電話妊娠したことを告げました。しかし、その答えは『オレ無理だから、堕ろしてくれ』という無情なものでした。翌朝、Bが部屋に来て何度も『堕胎してくれ』と懇願したようです。そして『妊娠したことは親にも会社にも誰にも言うな』と強い口調で約束をさせました。

A子は一人でも産みたいと懇願しましたが、Bは『堕ろせ』の一点張りだったそうです。何度も口論になって、そんな時でさえBは暴力を振るいました。

妊娠が発覚してからBはほぼ毎日のように部屋に居座っていました。中絶をするという確約を取り付けるために必死だったのだろうと思いますしかしA子の意志も固く、このままでは出産してしまうという焦りから、なかば監視をするかのような状態だったのだと推測します。

Bは『中絶をしてくれたら毎日会って一生支えていく』という言葉も口にしました。それでも暴力は続きましたし、『産んだら一生恨んでやる』との文言も残っています。初期中絶ができるのは12週までということで、A子の精神崩壊寸前でした」



でも実際には、このニュースもそうだけど、古谷徹不倫とか。医師の男が不倫相手同意なく中絶薬を飲ませた事件とか。

どう考えたって現実に多いのは「女性中絶したいけれど男性中絶を許さない」事例ではなく、

こういうふうに、「女性は産みたいのに男性中絶を強く求める」事例の方でしょう?

普通に考えたら産みたくない女性はその時点で性交渉拒否するに決まっているし、大半の女性性交渉合意した時点で妊娠した場合には産みたいと考えてるんだよ。子供が要らないのに安易性交に及ぶのは男特有軽率さ。

少なくとも日本にはアメリカヨーロッパみたいに宗教による禁忌がないんだから、元々中絶には親和的文化なんだよ。ましてや優生保護法の下、「不良な子孫」をどんどん間引いてきたじゃないか

そんな世の中なんだから叫ぶべきはどう考えても中絶「しない」権利の方なのに、どうして中絶「する」権利ばかりがこうも声高に叫ばれるのか。

不思議でならない。

2024-10-17

AIクリエイターって生きづらそう

ツイッター規約が変更された

ツイッター画像投稿する際はAI学習のために利用されることに同意しなければならないというものだけど、一部絵師様が「ツイッターやめる!移住だ!」などと言ってるらしい

別に違うSNS移住したところでそこに投稿された画像AI学習に利用するのは法律上完全に合法なんだから意味ないんじゃねーのと思うけど、まぁとにかくAIに反対しているというポーズをとるのが重要なんだろうな

移住先のSNSだってAI学習目的での利用を禁止する規約を用意しているところなんてないし、仮にあったとしても法的には合法なんだから意味がないのにご足労なことだと思う

ここのところ反AIクリエイターを見るにつけ思う

マジで生きづらそう

これは皮肉で言ってるんじゃないよ

最近ワンピースの作者がAIを利用したコンテンツ提供したり、ぷにるは可愛いスライムの作者が背景にAIを使ったりとクリエイターの中にもAIを利用する人が増えている 

AI嫌いの人って自分の好きなクリエイターAI使ったらそれだけで嫌いになるのかな

だとしたらあと5年後にはあらゆる作者のことが嫌いで嫌いで仕方なくなるだろう

今でさえ漫画の背景にAIを利用する人はかなりいる

ここ最近エロ系の同人とかよく目を凝らして読んでみるといいよ

やぶ蛇になるからわざわざ作者が言及していないだけで実はもう効率化の一つとしてAIの利用は浸透していってる

AI自体クリエイターに対する支援機能進化めざましくて、あと数年もすれば背景アシスタントなんていらなくなるんじゃないか?ってレベル

Adobeに生成AIが搭載されたのだってもう1年も前の話だから

絵の分野から離れればその浸透ぶりはもっと露骨だよ

ここ最近AIイラスト広告ばかり見るようになってるだろ?

ネット記事アイキャッチ画像なんかほとんどAIだろ?

ユーチューブ広告AI生成の合成音声を耳にしない日ってある?

あとゲーム系のクリエイターなんかはAIに対しても親和的だよね

例えば同人ゲームについてはAIを完全に排斥したゲームを探す方が難しいくらいになっている

企業系のゲームだって荒れるからいちいち言わないだけでAIの利用には積極的だよ

別にAIなんてのはただの道具に過ぎないわけで、自分脳内にある作品効率よく出力できるならクリエイター合法範囲で何でも使うに決まってるだろ

っていうか、AIに反対しているクリエイターって自分作品を褒められたいんじゃなくて自分技術を褒められたいだけなんじゃないか

それってクリエイターとしては異端というか、結構いびつだと思うんだよね

俺は反AIに傾倒してフォロワーや友人を失っていく絵師を何人も見てきたよ

かわいそうに、反AI活動で増えたフォロワーって別に手描きのイラストそれ自体にはあまり興味がないようで、せっかく手で描いたイラストにも感想を寄越してくれないんだよね

AIクリエイターは今一度自分がなぜ反AIなのか考える時が来たんじゃないか

社会のため、正義のためって本気で思って反AIやってんの?

単なるつまらない嫉妬が原因だったりしない?

社会運動もどきうつつを抜かすより自分マインドセットを変えたほうがイライラも少なくなって生きやすくなると思うよ

2024-10-16

anond:20241016074509

これ何がヤバイって野田佳彦代表下の立憲民主党改憲勢力と考えると56+3+8.4で67.4%で議席数の2/3を超えること

改憲のための国民投票をするには衆議院議席の2/3以上が必要なので条件を満たすことになる

現在不安定世界情勢で浮動票改憲親和的になる傾向も出るだろうし、まさかの石破政権改憲が起きちゃうかも知れない

2024-10-12

anond:20241012180936

まず立憲共産党が頭のおかしい反AI親和的と思われてるのを顧みた方がいいな

2024-09-24

anond:20240924143541

それでいいと思うよ。

連合はまさにその流れで立民を否定してるわけだからね。

一部協力という言い逃れ通用しない。

党が党としてきっちり処すまでやらない限り同一視はつづいて当然。

連合だって共産選挙協力を極限したところで、立民と歩み寄ることはないだろ?

完全に関係を処理しない限りは靡かない。

立民が共産党と親和的ありすぎる危険性と同じくらい

自民党文鮮明教団の天皇蔑視を看過するどちらかというと反動政党

2024-09-11

歌舞伎ファングロいと思うこと

1 歌舞伎ファングロいと思うこと

数年来の歌舞伎ファンだけれど、ネットに放流される歌舞伎感想を見ていると、グロっ!と思うときがある。

いちばんそれを思うのは、歌舞伎の家に生まれ子ども特に未成年)に対しての、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」っていう感想。そういう感想には、ふと見ていて自分で思い至ることもあるけれど、一方で、自ら振り返ってみると、又は他の人の感想として見ると、うわっ!グロっ!と思ってしまう。

思っているだけだとモヤモヤするから、何がグロいか言語化してみると、それは、本人が決めるべきこと(将来の職業選択、そこで役者選択するとしてその芸風・方針)について、生まれや血族といった本人の意思ではどうしようもできない事実評価基準として、第三者にすぎないいちファン勝手判断して評価しているから、だと思う。

もっと踏み込んで言うと、無限職業選択の自由が拓けているはずの子どもに対して、第三者がその子もの将来を(職業だけではなく芸風まで)決めつけてしまっているという点について、無意識であるしろものすごく高慢に見える。

この所感は、古典演目を、比較若い役者が、過去の大役者確立したような型に倣ってやるような場合に、当該大役者親族(又は、その中でも風貌が似ている者)にやらせないとおかしい、みたいなコメントが出てくる場合にも同じことを思ってしまう。結局それは、今の演者ではなく、過去演者を求めているに過ぎないし、(こういう鑑賞態度は歌舞伎とあるあるではあるけれど、)個人的には、そのような鑑賞態度である限り、今の演者を(自ら理想化した過去演者比較して)批判的な目でしか見ることができないから、観劇が辛いものしかならず、実りのある観劇体験にならないんじゃないかと思う。

(逆に、役者に対する「〇〇屋に生まれたんだから(or所属しているんだから)、△△さんから指導を受けて××(演目)をやらないとおかしい」みたいなファン意見も同じ。言ってるファンは、親祖父母から指導を受けて同じ仕事やってるんだろうか……。)

2 世襲制度がこれからどうなるか

いや、そもそも上記のようなことを言ったら、御曹司かわいい初舞台で、ベテランのお弟子さんがセリフもなく後ろに座っているという構図自体、あたりまえだけど普通にグロい。

もっとも、もうこういう家による階級制度は、あと20年(いや、10年?)経ったら、消えて無くなってるんじゃないかなあと思う。そして、そういう兆候がちらちらと現実にも顕れていることは、今の歌舞伎ファンならば分かると思う。

まりは、これからの中心的なファン層は、歌舞伎への入り口が、刀剣乱舞歌舞伎その他の2.5次元歌舞伎、又は、大河ドラマその他の映像作品である人が多いと思われる。そういう人たち(そうでなくても、これからファンになる若者層)に、「お家」とか「名跡」とかに重きを置いて、扱いに差を設けることを正当化するような価値観は、もう通じないんじゃないかなあ、ということだ。ただでさえ、「親ガチャ」が流行語を超えて浸透しているような世代だし。

個人的に、初報が発表されたとき刀剣乱舞歌舞伎は今できる最高のコラボ歌舞伎だと思った。和の世界観親和的で、既存ファンの方の数が多くて、しか観劇抵抗がなく、むしろ積極的であるというのがすごい。これから若い歌舞伎ファン殆ど刀剣乱舞入口、ということは、普通に起きるんじゃないかなあって思う。いや、もう起きている?)

一方、上記で、階級制度が無くなるという兆候が顕れている、とは言ったけれど、現状は、それは、名家御曹司座頭を務める舞台で、実力のある弟子を大役に抜擢することがある、という形にしかなっていないとは思う。つまり「使う側」(座頭)と「使われる側」(大役に抜擢される弟子)がある、という権力構造には変わりはなく、単に「使う側」のお慈悲が発揮される回数が増えただけ、という状況にしかないようには思う。すなわち、従来の力関係にはそこまで変わりはないんじゃないかっていうことだ。

(あと個人的には、そういう「抜擢」をした役者/「抜擢」をされた役者のことを、美しいストーリーとしてSNS等で賞賛する行為は、度が過ぎると、上記権力構造再確認になりかねないし、弟子の苦しい立場ごと消費しているような感じがして、あまり乗り切れないところがある。歌舞伎御曹司の感動ドキュメンタリーと消費の仕方が同じというか。但し、そういう風潮が抜擢を後押ししていることは否めないし、全部を否定はできない。結局、観劇というのは突き詰めると観客による役者の消費ではあるし、役者バックグラウンドごと観客に消費させるのは、歌舞伎が今まで取ってきた手でもある。)

さらに言うと、一部SNSによる一部の役者・家への軽率DISも好きではない。ちゃんと芸単体を見て評価できる人が評価しているならともかく、SNS(というか、その人が構築しているタイムラインに流れてくる限られた情報)の、この人なら批判対象としてもいいんだ、という雰囲気に流されて、大した芸の批評もせず批判をしてるんじゃないかって気もするし、自分が「見巧者」であることのアピールとして軽率に使われてるだけな気がする。)

じゃあどうするんだという話だけれど、近い将来、御曹司弟子キッパリ区別して取り扱うような現行制度について、どこかのタイミングアナウンスがあって形式的な解消がなされる、という事象が起きてもおかしくないんじゃないかなあとは思っている。あくまで、上場企業である松竹が、今の門閥制度上場企業に相応しくない、とか言って形式的にやることかなとは思うけれど。具体的には、まずはポスター名前を載せる基準とか、筋書きの後ろの方の写真の大きさとか、動静表のあの色分けとか、あそこら辺の形式的な取り扱いから(一律、名代試験幹部昇進で区別するとか。)。

もっとも、役付きも、それに伴って柔軟になっていくってこともあるかもしれない。ただし、私は幕内事情は全く知らないし、上記権力構造は変わらないのかもしれないし、この考え方も全くの的外れかもしれないけれど。そもそも歌舞伎名家権力(私から見えるのは、歌舞伎古典の大役の配役くらいだが)がどこに裏打ちされているのかもよく分からないし(メンツを見てると、必ずしも集客じゃない気がする。そうすると、本当に“名家であることの一点のみで権力たりうるということなのかもしれないけれど、平成生まれ自分にはピンと来ない。)。

3 終わりに

最近御曹司はみんな上手いなあと思う。やっぱり、現代になって、色々な選択肢が拓けている中で、今の若手世代御曹司の皆は、自ら歌舞伎役者になることを選んだんだと思うし、やはりその覚悟に見合うだけの実力がある。これから歌舞伎がどうなっていくか全くわからない中で、歌舞伎を将来の道として選択してくれたことは、歌舞伎ファンとしてとてもありがたい。そんな御曹司たちとそうじゃない人達とで切磋琢磨していくのが健全なんじゃないかなあと思う。

そして、冒頭に戻ると、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」といった一連のグロ感想も、今の価値観にそぐわないものとして自然と淘汰されていくんじゃないかなあ。そして、価値が大き過ぎて空席になっていたはずの大名跡の価値は、空席のまま忘れ去られることになり、古典演目歌舞伎座でかかるとネット上でもかろうじて見受けられる、あの動作過去に誰々が始めたものだ、みたいなコメントマウントと、それを把握しなければならないという価値観も、良くも悪くも間もなく消えていくんだろう。

――最近研修所への入会やお弟子さんの入門自体微々たる数しかいから、まずそこから増やさないと、歌舞伎文化継続自体がかなりマズい? それはそう。

2024-08-10

SNSフェミニズムを語る女性たちが、男にも女にも嫌われる決定的理由

なぜ女性差別をめぐる論争はたびたび炎上するのか。性問題解決に取り組んでいるホワイトハンズ代表理事の坂爪真吾氏は、「多くの問題は、原因をジェンダー還元するだけでは解けない。しかし『ツイフェミ』と呼ばれる動きは、すべてをジェンダー還元するため、『被害者加害者』という二元論に陥っている」

ここ最近、「ツイッターフェミニズム」(ツイフェミ)と呼ばれる動きが一部で広がっている。一見すると、ツイフェミミサンドリー男性嫌悪)によって突き動かされているように思える。だが、ツイフェミミサンドリストという理解は、決して正確ではない。

ツイフェミ言動過激化する背景には、「男が許せない」という怒りに加えて、もう一つの大きな怒りが存在する。

ツイフェミ攻撃するのは、女性嫌悪に満ちた男性だけではない。女性嫌悪に染まっておらず、フェミニズムに対して理解を示すリベラル男性たちもまた、彼女たちの攻撃対象になる。女性への性暴力に反対するデモイベントに来た男性に対して、主催者が「男性の方もこんなに来てくださった」「賛同してくださる素敵な男性もいらっしゃった」と感謝の意を述べると、「少しでもまともな男出会った時に感謝する癖は見直すべき」「被災者ボランティア接待をさせられているのと一緒だ」といった批判が飛び交う。

フェミニズムから派生した学問であり、男性に対して「男らしさの呪縛を解き、女性とお互いを尊重する対等な関係を築こう」という視点から啓発活動を行っている男性学も、一部のツイフェミからは「男性フェミニズムの言葉簒奪して自己弁護をしているだけ」と、親の仇かたきのごとく敵視されている。

なぜ彼女たちは、女性搾取するヤクザホストDV夫といった「明らかな敵」ではなく、「明らかな味方」=自分の身近にいる、フェミニズムに理解を示すリベラル男子たちを執拗に叩くのだろうか。

最大の理由は「自分たちの攻撃が最も通じる相手からである。「何でも斬れる刀」としてのフェミニズムは、基本的に近距離戦でしか使えない。フェミニズムの理論は独特の言い回し専門用語に満ちているので、使い道を間違えると、同じ文脈や言説空間を共有している人(=フェミニスト!)にしか届かなくなる。

そのため、フェミニズムに親和的リベラル男子は、ツイフェミ言葉理解・共有できてしまうがゆえに、最もツイフェミから被害に遭いやすい。

2020年4月22日馳浩文部科学大臣を含めた国会議員らが、一般社団法人Colaboが虐待や性暴力で居場所を失った少女たちのために運営しているカフェを視察した際、10代の少女に対するセクハラ行為があったとして、同法代表の仁藤夢乃(@colabo_yumeno)は、参加した議員ら全員に文書謝罪することを求めた。

この事件はツイフェミの間で大規模な炎上を巻き起こし、安倍晋三首相は同月29日の参院予算委員会で、馳元文部科学相厳重注意する意向を示した。

女性支援に取り組んでいる男性政治家社会起業家ジェンダー平等を目指した政策提言署名キャンペーンを行う男性社会活動家やジャーナリストは、ツイフェミにとって格好のターゲットだ。

彼らの言動事業の一部を恣意的に切り取って、「差別無自覚」「儲け主義」「自己顕示欲を満たすために、女性を利用している」といったレッテルを貼って炎上させる。

燃え盛るタイムラインを眺めながら、「コスト優先で人権感覚のない人たちの運動って、やはりこういうことだよね」「化けの皮が剥がれたよね」とうなずき合うことが、彼女たちにとって至福の時間になる。

実はフェミニズムそのものが最も許せない

しかし、ツイフェミが最も激しく攻撃するのは、女性差別無自覚男性でもなければ、リベラル男子でもない。フェミニズムそのものである

ツイフェミが抱く「フェミニズムが許せない」という怒りは、「男が許せない」という怒りと同様、あるいはそれ以上に激しく燃え上がる傾向がある。

著名なフェミニストによる記事ウェブ上でアップされると、待ってましたとばかりに、すぐに発言の一部を切り取ってSNS上で拡散させ、「この発言は、○○への明らかな差別だ!」「こんな人がフェミニストと名乗るなんて、絶対に許せない」と一気に怒りをヒートアップさせる。

普段は「女性はこうあるべき」という性規範否定的に捉えているにもかかわらず、「フェミニストはこうあるべき」という規範にがんじがらめになってしまい、その規範から1ミリでもはみ出した言動をする人が許せなくなる。

ポルノや性産業批判しない者は、フェミニストではない。女性の客体化を批判しない者は、フェミニストではない。男性性的まなざし迎合する者は、フェミニストではない。性暴力被害者の声に共感しない者は、フェミニストではない……などなど。

そして、「誰が本当のフェミニストか」という問い=「何でも斬れる刀」の正当な使用権相続権をめぐって、フェミニスト同士で壮絶な斬り合いを演じるようになる。

2024-07-25

anond:20240725113733

女性学力は高いが、それは生来のものではなく、学校教育女児最適化されているからだと考えている

たとえば学業の始まりである小学校低学年には女性教師が多く、また授業も精神の発達が早い女児親和的カリキュラムになっている

学業は積み重ねであり、最初の段階でついていけなかった男児はその後の学校生活においても苦手を意識を持ったまま学業と向き合うことになる

結果として学力(not IQ)においては女性の方が男性より秀でている

しか女性はその力を社会で発揮しない

女性は矢面に立つことを拒否しているように感じる

他国女性と比べ、頑張っていないように感じる

それはなぜか、という煽りではない純粋学問的興味がそこにある

2024-07-23

めんどくさい近寄りたくない

前提

2024-07-16

anond:20240716105151

共産党と縁を切らんと無理

ぶっちゃけ大多数の国民リベラル政権を求めていない

2009年政権交代時に民主党リベラル政策が受けて国民の支持を得たわけではなく

第二自民党として期待できそうな民主党投票したのだ

当時の共産党は「確かな野党」を標榜して民主党を第二自民党と見做して批判していた事からもそれが窺える

今はどうか?立民やその支持者は共産党親和的維新国民民主を「ゆ党」とか言って批判している有様だ

2024-06-05

東大生の親の平均収入1000万とか言われてて

慶応幼稚舎エスカレーターなんてそんなもんじゃなくさらに金がかかるのに

なんでエリートリベラルだなんて思えるのか不思議

少なくとも日本エリートは、既得権益にどっぷり漬かってそれを子孫に受け継がせる事に親和的から明らかにリベラルではないよ

多分アメリカだって同じだろう

2024-04-06

ぶっちゃけ女性反差別は無理では?(小声)

「昔のフェミは曲がりなりにも『差別はよくない』って前提(お題目)のもとでいろんな所に加害して回ってたけど、

最近フェミは(男性トランスジェンダー、そして自分たちリスクだと感じるあらゆる属性への)差別積極的肯定するレベルまで堕ちてしまった」……って言われて、「言われてみるとそうかも」って思える人向けの愚痴です。

自衛のための差別をやめるつもりはない。パターナリスティック保護や慈悲的差別をたくさん受けたい!」という最近フェミニズムが、果たしてフェミニストに特有思想なのか、それとも広く女性全体の中央値なのか分からなくなってきた。

相変わらず、実際には女性男性差別しているシチュエーションなのに、「一部の男性性犯罪をするのが悪い!」と被差別側に“反省”を要求するケースはあまりに多いけど、

そこで差別正当化する人のことをフェミニスト扱いしてしまうのも、それはそれで『フェミニズム』をなんでも入れていいゴミ箱扱いしてしまっている。

フェミニズムは差別主義だ」とか「第n波フェミニズムは、差別主義親和的フェミニズムなんだ」とかじゃなくて、「そもそも女性は本当は反差別実践するつもりがなくて、

(かといって保守主義は“正しくない”というのが風潮だからフェミニズムが彼女らの受け皿になっている」と捉えた方が、もしかしたら実情に沿った理解なんじゃないか……?

万が一仮にそうだったとしたら、そりゃ反差別主義立場から知的誠実さの観点からも「女性(というジェンダー)は差別主義者で嘘つきのカス!」くらいキツく批判されてしかるべきだと思う。

けれどもそれ以上に、建前では反差別を唱えているけど内心では差別の保存を良しとする人が相当数いる状態で、みんなが建前だけを信じて「よし、みんなで差別のない社会を作ろう!全会一致だ!」になってしまうのも結構マズくないか

(たいへん厚かましくて不正義ではあるけれども)差別必要とする生の女性の声は、誰かにきちんと拾い上げられて「ここに差別必要としている人がいます!」と堂々と主張されるべきだ。

今みたいにコソコソと「これは必要区別から差別じゃなくてぇ…」みたいな欺瞞を繰り返すんじゃなくて。

2024-03-11

リベラルという欺瞞

もともとは自由主義者を指す用語であり、政府の抑圧から個人権利擁護する立場だった。それがなぜか本邦では左翼一般を指すようになっている。権威主義パターナリズム、それに共産主義者民主集中制とは本来対立してしかるべきなのに、それらに親和的な在り方のほうが「リベラル」とされている現状に歪みを感じる。

2024-02-26

anond:20240226085929

ネトウヨ親和的普通の日本人のが多くて自民党が勝ち続けてるのが現実なのに

追い出せる側だと勘違いしてるあたり救いようがないバカ

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

2024-01-02

anond:20240102054348

「悪性の自己愛」は診断名ではない。元はパーソナリティ障害専門家であるエーリヒ・フロム造語で、「自分のことを特別視するあまり他人のことを自分プレイしているゲームで殺すか殺されるかの駒としか見ていない」。いとも簡単殺人命令を出したヒトラー金正恩プーチンなどが例として挙げられており、このエッセイタイトルである「病的な自己愛政治:致命的な混合」の意図理解できる。

社会心理学者のエーリヒ・フロムが初めて悪性自己愛(Malignant narcissism)という用語をつくったのは1964年のことであり、それは悪の典型を示す深刻な精神障害表現するのに用いられた。フロムはその状態を最も深刻な病理性、そして最も残忍な破壊性と非人間性の根源として特徴づけた[3]。ハーバートロゼンフェルドは悪性自己愛について、それは自己愛パーソナリティの不穏な一形態であり、攻撃性を中心とした誇大性が形成され、自己破壊的側面が理想化されたものとして表現した[4]。

彼らの着想をさらに発展させたのが精神分析医のオットーカーンバーグであり、彼は反社会性パーソナリティ基本的自己愛的であり、倫理性を持たないと指摘した[5]。悪性自己愛サディスティックな要素を含んでおり、本質的には、加虐精神病質者をつくりだしている。この小論において、悪性自己愛精神病質と入れ替え可能な語として用いられている。

カーンバーグ1984年に悪性自己愛精神科診断名として用いることを提案したが、ICD-10DSM-5をはじめとした、いずれの医療マニュアルおいても到底受け入れられるには至らなかった。カーンバーグは悪性自己愛を、自己愛パーソナリティ障害NPD)、反社会的特性妄想的特徴、そして自我親和的攻撃性に特徴付けられる症候群として記述した。他の症状としては、良心の欠如、権力への精神上の欲求特別であるという感覚(誇大性)を含みうる[5]。

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