はてなキーワード: 夏休みとは
私が9歳、兄が11歳の時に母が死んだ。
もともと体が弱く、私を出産してからは病院にいる方が長い人だった。
父は母の入院費と私たちの生活費のために働き詰めで、あまり家に帰ってこれなかった。
母が死んで3年後、父が再婚した。母より、学校の先生よりも若い人だった。
母が死んで3年しかたっていないのに再婚した父が気持ち悪かった。
新しく家族になったその人は、自分のことは名前で呼ぶようにと言った。
あなたたちの母親はなくなった彼女一人だけだから、無理に自分を母と呼ぶ必要はない。ただ、同居する人として、仲良くなりたい。
親ではないが大人として、子供であるあなたたちを守る義務がある。だから何かあれば、遠慮なく頼ってほしい。
そういわれても、思春期だった私は父もその人のこともひどく嫌った。
その人は大手企業の食品(外食部門だったかも)に勤め、当時では珍しく半分在宅だった。彼女の料理はどれも美味しく、それが腹立たしかった。
必要以上に干渉しない彼女と、会話をしない私に父は苛立っていたようだが、いつも彼女が、年頃だから仕方ないと言ってなだめていた。受験の近い兄は部屋に引きこもりがちで、会話は少なかった。
兄が志望校に入学し、父と彼女が結婚して2年目、父の帰りがまた遅くなった。その頃になると私も受験が視野に入り、塾などで帰りが遅かったりもして、我が家は可もなく不可もない状態だった。
彼女は相変わらず半在宅、フレックスタイム制の出社で、私の中で彼女は父の伴侶ではなく、住み込みの家政婦という認識になっていた。そうなるとどこか気安く接することもでき、女同士ということもあって化粧の相談から生理の悩みまで、色々話すようになっていた。
転機は私が15歳、兄が17歳の時に起きた。
夏休み、友人と少し遠出をしたときに、父を見た。奇麗な若い女性と腕を組み、笑っていた。
落胆はなかった。むしろ、ああやっぱりという思いが大きくて。
帰宅したその日、私と兄、それから彼女といういつもの食卓で、今日見たことを話した。彼女はまるで初めから知っていたかのように落ち着いていたのに対し、兄がひどく怒っていたことが印象に残ってる。
思い返せば、初めから彼女は父のことを愛していなかったのではないだろうか。私たちに必要以上に干渉しないのと同様に、彼女は父にもあまり干渉しなかった。
彼女は父と結婚時に親権を取得していたらしく、私たちは父と彼女、どちらに引き取られるか聞かれた。
貯金も養育費もあるし、三人の生活費なら女手一つでも大丈夫だから、二人と一緒に住みたい。
彼女は何度も言いつのり、でも、そんな彼女の負担を考えると不安で、だからと言って父とはいたくなくて。結局私たちは彼女と一緒にいることを選んだ。
兄はバイトをすると言っていたし、私もバイトを始めようと思っていた。けれども彼女はそれにいい顔をせず学生の本文は学ぶことだから、お金のことは心配するなと言った。
三人で暮らし始め、彼女は昼に夜にとよく働いていた。夜中に目が覚めてリビングに行くと、彼女が外国語でオンライン会議をしているのを見かけるようになった。
私と兄は彼女に負担をかけたくなかったから家事を積極的にして、兄は志望校の推薦枠を狙って勉強をした。そのかいあって兄は授業料免除の推薦枠で合格した。
父と離れ、母の話をよくするようになった。
これが好きだった、あそこに行こうと約束した、あれをやりたいと言っていた。そんな些細なことを、小さな思い出を、彼女はいつも嬉しそうに聞いてくれた。
父に母の話をすると何とも言えない表情をされることが多く、いつの間にかあの家で、母のことは禁句のような雰囲気だった。それが、今は何気ない日常の一つとして、大切な思い出として、手に取って眺め、愛でることが許される。
どうして他人である彼女がこんなにも受け入れてくれて、父は受け入れてくれなかったのだろうか。愛した人をなくして辛かったというのだろうか。たった3年で再婚し、2年もたたずに浮気をしたくせに。
私が17歳、兄が19歳の秋、兄が悩んでいることを知った。
兄は料理に興味があったが、県内に授業料免除などしてくれる大学や専門学校がなく、諦めていた。
それを知った彼女は、学費も生活費も気にするなと言い、色々調べた結果、学生寮がある専門学校を受験することになった。兄は一年制のコースを受験しようと思っていたらしいけれど、彼女はせっかく学ぶのなら三年制にして、ついでにフランス留学もするべきだと言った。フランス留学するならフランス語を喋れた方がいい、フランス語なら自分が教えられると嬉々として話す彼女を見て、私も兄も何も言えなかった。
話の流れで私の将来、主に大学となりたい職業に話になって、服飾系に興味があるというと、じゃあ、あなたはイタリアだね。イタリア語も私が教えられるから、留学できるねと言われた。
今まで聞いてこなかった彼女の経歴や今の仕事を聞けば、現在は起業して不動産?シェアオフィス?関係の仕事をしつつ、専門的な分野の翻訳や通訳の仕事もしている。もともと語学系の学校を出ていて留学経験があり、ヨーロッパ圏と中国韓国なら日常会話に困らないそう。
そんな彼女に支えられしごかれ、兄は無事に調理学校に合格。私は急遽変更した志望校だったけれど無事に合格し、春から大学生になる。
現在我が家では、英語とイタリア語とフランス語(兄がいるときのみ)が飛び交い、帰省した兄の置き土産である大量の作り置きの消費に頭を悩ませている。
※匿名性を保ったまま長文垂れ流すにはやはり増田が一番適しているなということでこちらに。
自分のために書き殴っているので、気になるけど読むのがだるいひとはchatGPTにでもかけてください。ある程度注意するけどPCで書くのでスマホには改行が気持ち悪いかも。
事件そのものやアナウンサーの裏事情とか真相は全くないです。知らないことは書けない。
今回、起こったことから対応まで「なんでこんなことに?」「アホか?」が大量発生していると思います。オールドメディアはマスゴミは~で捌くのは簡単なのですが、一般常識からかけ離れている面、そもそもこういう人たち、世界観なんだよねという前提について、いくつかの記憶と所感から整理したく。そういう意味では誰でも書ける内容かもしれないです。あと意識してなるべくドライに淡々と書いています。後半はかなり疲れてます。
今回は主にバラエティ現場(ないし出身者)を主語にして書きます。ここ数年の働き方改革と、コロナ禍という物理的な遮断を経てADの生活はそれ以前と比べるとマシになったらしく、ハラスメントの方も全く気にしないぜ!みたいなひとは結構減ったようなので(それでも現代の若者に即した職場とは言えなさそうですが)正確には「無法地帯時代のバラエティ現場(ないし出身者)」です。テレビ局はその図体のデカさゆえに、制作部門とビジネス部門で転職したかなというくらい文化や性質が異なります。理由としては他業種からの転職組が多くなりがち、とか暦通りの働き方ができるから、とか色々ありますがいずれにしろ主語をテレビ局にするのは強引な気がしたので。
いくつか切り分けて考えないといけない部分があって
2.なぜこんな対応になるのか
だと思うのですが3.は当事者がいるうえに、そもそも人の数だけ在り方もある、という感じで簡単に主語デカくして話せることでも無いなと思うのでパス。あと一旦文春の報道は大筋正しい、として書く。
彼らは莫大な金を動かすもの(番組)を作っているわけですが、その影響力とは対照的にめちゃくちゃ小さい世界、村で生きています。芸能人は言うまでもないですが、スタッフも同様です。でかい会社の社員だからといって、他の東証プライム上場企業にお勤めの方と同じ常識を持つかと言われると全く異なるわけです。
なぜか。バラエティ現場にとっての取引先は演者か事務所であり、同僚は肩まで現場に浸かったスタッフ、上司は自分たちより過酷な労働環境や、現代でいうハラスメントが横行していた時代を生き抜いた人間だからです。当然名門大学を卒業するまでは大方普通の学生であり、いろんな業界に友達がいたはずです。ただAD残酷生活が始まると、連絡つかない、予定立たない、予定立ってもドタキャンする、来ても疲れている、なんか目がバキバキしているなどで友達は簡単に減り、ADを卒業する頃には同業者かバキバキ仲間が大半になります。先ほど「莫大な金を動かす」と書きましたが、実際にスポンサーや代理店と向き合うのは営業なので、特に下っ端時代は日常的にビジネスマンと接することもありません。要するに世間と同じ常識の感覚を保ち続けるのが困難。で、麻痺させたもん勝ちでそういうひとが残っていきます。自分の環境おかしいな、今の自分は何かおかしいな、と思った人間から辞めていくか潰れていきます。自分のクリエイティビティを活かす機会が来るその日まで、暗黒ピラミッドの一番下から這い上がるゲームです。
もう一つ、AD残酷生活というのは99%人付き合いで決まります。どのビジネスでも人付き合いは大切ですが、ある程度のスキルやセンス、業務遂行能力が土台にあり、(致命的な悪印象を与えない限り)更に人付き合いもいいと嬉しいよね、みたいな加点ポイントではないでしょうか。逆です。人付き合いができる=偏った常識の世界に生きる人達に嫌われず好かれる、が土台で、仕事の出来不出来が加点ポイントです。仕事全然できなくても好かれていたらある程度は生き残れます。極端なことを言うと、仕事は早いけど繊細なやつよりも、仕事全然できないけれど「本当こいつできねーんだよwww」でどつかれても会社に何日も寝泊まりしても100日以上休みがなくても24時間電話かかってきても平気なやつのほうが長生きします。仕事もある程度できれば尚良し。面白さはあんまり関係ない気がする。
で、人付き合いの中にはセッティングも含まれます。合コンのセッティングですね。大学時代の人脈に自信がある奴は毎週ペースで組まされます(これにより更に良識のある友人が減ります)。下っ端ですからセッティング相手は先輩です。これは全員できるとは限りませんが、できたほうが覚えはめでたいです。海外にフォーマット販売できるタイプの番組ならともかく、キャスティングありきの場合はその人の覚えがめでたいほうが得ですよね。局にとっても。その最終形がアレなんだな、と今回思いました。もしかしたらアテンド、ぐらいの気持ちかもしれません。全然違うんですけどね。
今回は自局の社員、アナウンサーを献上していたという疑惑でここまで大きな騒動になっているわけですが、果たしていつから献上までしていたのかは不明です。飲み会程度なら全然あると思います。
もしあなたがテレビにある程度好意的で、知人からテレビ局に入ったと聞いたら、知っているアナウンサーの名前を挙げて「じゃあ◯◯アナも会社で見たことある?話したことある?」と聞いてみたり、冗談で「会ってみたいなあ」とか言ったりしませんか?テレビにある程度好意的、という前提が2025年、特にはてなだと難しいところですが、あなたがテレビを好きだった頃まで遡っていただいて…そんな時代がない人は想像力を膨らませていただいて…。ともかく、逆にテレビ局員に先程のようなことを言われたことはありますか?と尋ねたら、ほぼ全員から「ある」と返ってくると思います。一番表に立つ存在であり、文字通り顔であり、ヒット番組やドラマに並んで話題の入口となる存在であるからです。
真っ当な社会人の方が先輩やPJメンバーを通して、他業種の人と飲んで何かしら得ることがあるように、健全な飲み会や、自身のキャリアのために顔を出しておきたい会も多いのでしょう。世間の夏休みから数カ月後に、番組内で「今週◯◯アナはお休みです」とお知らせされるように、アナウンサーもまた特殊なスケジュールで生活しており、現場の人間と同じく、いやそれ以上に閉鎖的な環境に陥りやすい仕事だと思うからです。ただ、今はどういう言い方をしても性的なニュアンスを拭えません。番組で表に立つ人たちが歯切れの悪い言い方をしているのは、そういう面も、あるのかもしれません。そろそろ誤解されそうなので書いておきますが、今回のケースもその一環、と書くつもりは全く無いです。気を遣ってアナウンサーを先に帰すならまだしも、紹介した人間が先に帰るとか不在なんてのは異常だし、ホテルの部屋に呼ぶのも異常だし、性接待なんて意味不明です。
あと誰が知っている知らないは本当に当事者以外は判断つかないことだと思います。人の心を0にして考えたときに、ターゲットも吟味して口止めの方法など漏れないように全力を注ぐだろうし、言ったらキャリアが終わるとか周りに迷惑がかかるという気持ちを悪用するのは、ある意味最も手堅いから。若干乱暴な言い方になりますが、会社の顔である存在にそのような汚れ仕事をさせることは相当なリスクであり、テレビマンとはいえ正気ならまずとらない手段だと思います。そうした事実のない人が、そのように仕事を取ってきたと思われることに対して強く反発することも自然なことだと思います。ただそれが被害があったひとへの牽制になってしまう可能性は考慮しないといけないと思います。
最終的には持ちかけられた側が断ればいいじゃん、という話で多分断ってきた人たちもそれなりにいるのではないかと思うのですが。いわゆる超大物と呼ばれるひとたちは、水一つでも細心の注意を払ってケアされていて、2,3口飲んで、出番終わって戻ってきたら新品の冷えた水が置いてある。みたいな扱いを受けているので、こんな扱いを受けていたら一般的な常識で物事を測ることは不可能だな、とボトルの差し替えを済ませながら考えたことがあります。ちなみにスタッフでも偉くなると、たとえ自分のすぐそばにゴミ箱が置いてあったとしても、ご丁寧に机にゴミをすべて残して会議室をあとにします。それを本人は特段傲慢だとか思わずにやっている、周りも特に何も思わず片付けている、そういう世界観です。
会見があると知り、配信ぐらいはあるだろうとYouTubeで待機していたものの、いつまで経っても始まらず、中継自体が無いことを知ったとき、想像以上にまずいなと思いました。近年は危機管理上まずいだろと思う会見がいくつもありましたが、同じ土俵にも立てないパターンが来るとは思わず衝撃を受けました。
確かに生中継を行った場合、質疑応答のなかで社長が失言する可能性は高く、リスクマネジメントとしてこの方法を取ったと思われます。が、致命傷か死ぬかぐらいの差であって実際スポンサーはACに切り替えているわけだから、下手な小細工は打たないほうが良かったんじゃないかとは世間一般の目線で思います。あまりにも閉鎖的で強引なやり方にワンマン同族企業かと思ってしまうのですが、6,787名を抱える大企業(フジメディアHD)の中心であることは紛れもない事実でして。フジメディアHDは業界の中でも圧倒的にデカい企業であり、当たり前ですが四半期ごとに決算発表もしているし、株主や投資家と向き合うひとたちもいるわけです。そうしたまともな感覚の人が差し引き計算したうえで、
誠実に対応・調査して発覚する事実によるハレーション>>>>>>>>>不誠実に対応・調査して事実を誤魔化すことによるハレーション
なのかなと考えてしまい、いやどんだけヤバいんだよ…と思いました。まともな人の制止を振り切ってあのやり方にしたのであれば、それはそれで相当ヤバい。
あとこのご時世に「第三者(の弁護士を中心とした)調査委員会」なんて言葉遊びが通じるわけないだろ、アホかと真剣に考えたのですが、何でもいいから早く報告書を作って報告して、話題として早く蹴りをつけたい、という気持ちがあるのかなと思いました。話題が長引いて大きくなるほど、組織としては過去の体制へのケジメと、新しい姿を見せる必要があります。近年の芸能関連の不祥事を振り返ると、ジャニーズは解体され、STARTOとして再出発することで同族経営と距離を置きました。宝塚も法人化して取締役の半数以上を外部出身者に、また劇団員との雇用形態も変わる予定です。表に出るタレントを見る分にはそこまで変化を感じられない人もいるかもしれませんが、組織としてはかなりの変革を実施するに至ったわけです。
当然、フジメディアHDは既に数名社外取締役がいるのですが、フジテレビ社役員の多くを外部出身者にするとなれば相当嫌がると思います。社内政治がどうとかも多分にあると思うのですが、先述した通り現場というのは大変閉鎖的であり、そこにいないとわからないことが沢山あります。番組制作自体が他のビジネスの方法を簡単に当てはめることができない、専門性が高くて複雑な仕事でもあります。また、企画を募集して採用するのは編成の重要な仕事のひとつです。今後メディアとしての価値が落ちていくとしても、生み出すコンテンツの価値は残るはずだ、コンテンツの質を高めていかなければならない、というのは各局共通のビジョンであり、そのためには現場出身の人間が必要である。ちょっと嫌な言い換えをすると「現場を知らないやつに首をつっこまれるのは嫌だ」というわけです。フジ独特の露出文化により、担当番組が変わっても出世しても度々画面に出てきていたので、当時のお笑い好きであれば、記事にある幹部社員が誰かはすぐ察しがついたと思うのですが、彼は制作~編成~で管理職になっているので現場出身の典型的な出世コースに乗っていました。何もなかったら現場の血筋を引く役員になっていたかもしれません。もちろん「いやビジネスだし他の事業もあるんだから現場のことだけわかっていてもだめでしょう、バランスの取れる人がいないと」という考えもあります。そのため筋金入りの現場出身とそうじゃないひとが交互に主権を掴みがちなのですが、今のフジは後者のターンです。鎮火できないまま長期化して変化を見せる必要が出てきた場合、事の発端を鑑みれば現場出身者は真っ先に刷新の対象になるでしょう。これはなるべく避けたい事態であり、もしそうなったら「終わり」だと言う人もいるでしょう。
ここで再び人の心を0にして考えます。ジャニーズはBBCの報道をきっかけに被害者が声を上げ、事実の認定から始まり、被害補償の枠組みを整え、現在も補償は続いています。宝塚は初動を完全に誤った結果、遺族が弁護士を立てて積極的な発信を続け、謝罪・補償内容の合意に至るまでにかなりのダメージを負いました。そこだけ見ると、被害者とされる女性が訴えを立てたのはフジテレビではないわけです。もっといえば収録中の事故や社屋で発生した事件でもないのです。勤務時間に該当するかも微妙、更に示談も成立している。法律はマジでわからないので、むしろ教えてほしいのですが、これは企業に取ってはかなり大きな違いなのではないでしょうか。そしてその一点にすがる形で「血を入れ替える」を何としてでも避けるべく、不誠実と取られることは重々承知の上で「死なない程度に血を流す」を選んだのかもしれないな、と思いました。完全な推測です。デタラメな対応にはデタラメな理由を想像するのが精一杯です。
ただ、この事案を把握しながらも黙認していた人たちに「死なない程度」の判断がつくのかはかなり疑問であり、株主からの意見書に加えて、様子を見ていたスポンサーも続々差し止めを表明していますよね。広告枠という形の無いものを売り、何よりもイメージが大切な業界で、こういうときだけ一般的な企業の論理を当てはめて逃げ切ろうとしていたのであれば、無理があるだろと思います。正直、今ACに切り替わっている分については既にお代をもらっている可能性が高いのですが、春の改編に向けて積み上げるのが今の時期なので来期以降はゾッとしますね。あと、内容が内容だけに出演自粛もありうるのかなと思いました。特にアーティスト。道筋がつくまでジャニーズを締め出したときの逆でフジには出ません、みたいなことがあると現場としては結構痛いのではないかと思いました。出ませんとわざわざ宣言するかは別ですが。
既に視聴者とスポンサーの目はテレビ業界全体に向けられ、対応に動く局も出てきており、この流れが続けば、事態の短期収束はフジテレビがコントロールして成せるものではないでしょう。破産!停波!みたいなわかりやすい破滅は考えにくいものの、さっき書いたような意味での「終わり」は、今後のリカバリーの無さ次第では十分考えられると思います。
20年以上前なら「こんなことで責任を問われるなんておかしい!俺は社長と心中する!!!」みたいなのもあったかもしれませんが、テレビは随分と前からテレビだけで食ってませんし、そりゃ柱は番組ですけど売り方も色々ありますから、現場の血が流れていないビジネスマンも沢山いるわけで、その人たちからすれば、元々ネジが外れている人たちだとはわかりつつも「「偉くなったんだからその辺は弁えてくれるよね」「一企業としての利益をちゃんと考えてくれるよね」という最低限の信頼のもとで働くわけなので、特に他業種から転職してきた人なんかは本気でドン引きしているでしょう。企業として生き残るために血を入れ替えてくれと思う人もいるでしょうし、多分これ無理だなと思って転職先を探す人もいると思います。早期退職施策とキャリア採用を進めてきたところなので、必死に連れてきた人材が抜けてしまうとダメージは甚大。弱体化して身売りを検討する事態に陥れば、本当に企業として終わりを迎えてしまうかもしれません。
その昔、海老名に住んでいた頃を思い出した。
ダイクマでファミコンのソフトを買ってもらい嬉しかった。ポトラッチで洋画のビデオや邦楽のCDを借りた。
厚木ナイロンの近くのドブで釣りをして、水道みちの水たまりでザリガニを取りった。
ちかくのキャベツ畑には、理科で使う青虫を同じ班の子たちと取りに行った。
ニチイには、いつもアドバルーンがあがり、ひようたんやまの近くの崖からはそれがよく見えた。ピープルというスイミングに通い、ワーナー・マイカルはまだなく、スケートリンクだった。寒い中、自販機のカップラーメンを食べる大人がうらやましかった。映画館は厚木に行かないとなかった。
初めて食べたハンバーガーは、ニチイのロッテリアだった。反対側のステージには、戦隊モノの催しがきていた。
杉久保へむかうトンネルは未開通で、駅前に行くには細いクネクネ道を通り、歩くにはしんどかった。やがてバスが開通して、駅前には行きやすくなった。トンネルには右翼の張り紙がたくさん張られていた。
相模線はディーゼルで車両にはトイレがついていた。便器は覗くと地面見える、垂れ流しのトイレだった。踏切でうんこをしたら車が踏むのではないかと心配した。
市立図書館は夏休みによく通い、最上階のプラネタリウムを何度もみた。なぜか担任の先生がそこにいたこともあった。文化会館ではドラえもんや、ジブリの上映があった。
学校の校庭には焼却炉があり、掃除の時間にはごみを持っていって燃やしてもらった。教室には灯油のストーブがあり、先生がマッチで火をつけていた。煙突に給食のストローを溶かして遊んで怒られた。夏休みに、学校へいったらプレハブの校舎が空いていたので、中に入っていたら警備員がやってきて、翌日先生からこっひどく怒られた。鍵をかけない先生がいけないのにと思った。
自販機やコンビニなんてものは近所にはなく、酒屋がビールと灯油を家まで運んでくれていた。ペットボトルをなく、ジュースといえば、瓶のバャリースオレンジだった。なぜ「ャ」が小文字なのか分からなかった。
駄菓子屋はなかったが、個人商店に行けば体に悪そうなオヤツがいろいろ売っていた。キョンシーのお札のガムがお気に入りだった。
海老名駅は自動改札なんてものはなく、駅員がパチパチ切符を切っていた。駅前にはテキ屋があり店主は知り合いの親だときいていたが、当時はなんとも思わなかった。
少し前に子どもが生まれてから、自分の人生の主人公が自分ではなくなったようたように感じ始めた。
いつ自分は主人公になり、いつ自分は主人公で無くなったのかをつらつら書いていく。
特にオチもないし、話もいろいろ飛ぶので、それでも良ければ読んでいってほしい。
小中学校は特に受験などせず公立、高校ももちろん公立で、何も考えず家から一番近い高校(一応進学校)に進学した。
この時点では自分のアイデンティティなどは特になく、自分は主人公ではなかったように思う。
だが高校時代の部活動での練習を通じて自己と向き合う機会が増え(これは年齢的な精神の成長もあると思うが)、自分のやりたいことで努力し、成長することが素晴らしいことであると思い始めた。
それが高2の冬だったと思う。その時にやってようやく自分の進路について考え始めた。
当時自分なりに考えた結果、京都大学に進学したいと思い始めた。
親に京大に行きたいというと、奨学金を借りて頑張って行ってくれという話になった。
中学生くらいのころ、親から「大学に行かせる金はない」と聞いていたが、金がないだけで進学は反対されなかった。
高3最初の河合塾の模試で偏差値45ぐらいだったと思うが、学校の先生に相談しながら猛勉強を始めた。
金銭的な都合から塾にも行かず、部活も夏休みが終わるころまであったが、なぜか自分は京大に行く・行けると信じていた。
バカで金がないという逆境で、非常に燃えていたのを覚えている。
この時、自分の人生で初めて全力を尽くした。高3の春に45程度だった偏差値も、高3最後の模試では65近くまで上がった。
とはいえ何年も前から全力で勉強してきたであろうほかの受験生にはかなわず、1年の自宅浪人(ここでも金がなかった)の結果、早慶に進学した。
ありがたいことに地方出身者向けの給付型奨学金を大学からもらうことができ、ほとんど国公立と変わらない学費で進学できた。
受験料を祖父にもらいに行ったことや、実家を出る日、親から10万円を渡され、「これで何とかしろ」と言われたことは、今でもよく覚えている。
ちなみに10万円はPC購入やら何やらで使い果たし、大学までの定期券代を買えなかったのもいい思い出だ。
大学にはキラキラした人間も多かった(初めて本物の帰国子女を見た)が、自分のような貧乏人もおり、楽しくやっていけた。
だが同時に格差を感じる場面が多かったのもよく覚えている。
親が上場企業の社長の学生、両親が東大出身で早慶進学を親に馬鹿にされた学生、
そもそも親の所得の高い早慶においては、学費も仕送りもある学生が多く、それがうらやましかった。
自分には奨学金とバイトしかなく、得られる経験は彼らと比較して見識の狭いものとなっていたと思う。(この狭い見識は大いに意義のあるものだったが)
一方、人生はここでも、「田舎から出てきた貧乏学生が頑張る」というストーリーの主人公だった。
奨学金の申請時に親の源泉徴収票を見た際、日本の平均年収に届いていなかったので、自分のことを苦学生扱いしていたのだ。
※衣食住に困ったことはないので、絶対的な貧困ではなかった。家にインターネットがなかったり、家電が貰い物だったりとかそのレベルのちょい貧乏である
小中高と、まともなキャリア教育を受けなかった自分は、大学時代のキャリア教育で、自分にある無限の可能性を初めて感じるに至った。
だが一方で田舎の純朴な少年であった自分は、エリートサラリーマンに対するあこがれなどなく(高校時代、京都大学に行った先のビジョンが何もなかった)、課外活動をしながらのゆるい就活をして、それなりに暮らしていける給料の上場企業に就職するに至った。(学歴のおかげである)
就職してからも、まじめに働きつつも頑張りすぎないようにし、余暇は趣味に充てて暮らしていた。
この時の自分は特に何でもない、いち社会人だったわけだが、界隈に多少名が知れる程度には趣味に没頭しており、人生の主人公は自分だった。
結婚後、夫婦ともに子どもを望んでおり、特に何ごともなく子どもが生まれた。
全ての優先順位において、子どもが最上位に来るようになったことに気づいた。
今までは少しでも時間があれば趣味に時間を使っていたのだが、それがなくなった。
時間ができても、趣味に対する興味がかなり小さくなってしまっており、ただぼーっと過ごす時間も増えてしまった。
今まで大学に行ったり仕事したり趣味に没頭していたあの時間と熱量は何だったのだろうか。
今では、子どもがどんな大人になるのかということが楽しみで、自分がどうでもいいような感覚がある。
ああ、自分の人生の主人公が、自分ではなく子どもになったんだなと悟ったのだった。
大学進学を考えもしなかったあのころから、何とか大学に行き、食っていける会社で働きながらプライベートでの挑戦を重ねてきたこの自分の人生には、相当の想いがあり、今でもはっきりと思い出すことができる。
――当たり前の毎日が、ある日突然不気味な影に蝕まれるなんて、少し前のわたしなら想像もできなかった。わたしは中学三年生。受験を控えているため、普段は塾に通ったり、学校でも進路の相談をしたりと、それなりに忙しい日々を送っている。家は住宅街にあり、学校までは歩いて15分ほど。街灯の数はそこそこあるし、真夜中に外を出歩くわけでもないので、これまで怖い思いをしたことはほとんどなかった。
それでも、一学期の終わりごろから微かな“違和感”が生まれ始めた。最初は通学路を歩いているとき、「視線を感じる」という程度だった。ふと、だれかに見られている気がして後ろを振り返るのだけれど、そこに人の気配はない。でも、どうにも落ち着かない。そんな日が何度か続いて、夏休みが終わった頃には「もしかしたら、わたしの思い過ごしじゃないのかも」と感じるようになった。
決定的だったのは、ある夕方、塾が終わってから夜に帰宅するときのこと。友達と途中まで一緒に歩いていたが、その子がコンビニに寄ると言うので先に別れ、一人で家に向かうことになった。少し薄暗くなってきてはいたものの、まだ人通りがゼロというほどでもない時間帯。だけど、その日はやけに背後が気になった。足音が一つ増えているような気がする。怖くなって、道路脇の自販機でジュースを買うふりをして、そっと後ろを見やった。すると、街灯の下に男の人が立っているのが見えた。30代後半くらいに見え、腹が少し出た体型。見覚えのない顔なのに、こちらをじっと見ている。その目つきに、不気味な笑みが浮かんでいたように感じた。
一瞬、心臓が止まりそうになった。「もしかして、わたしをつけている…?」考えたくなかったが、その可能性を否定できなかった。その日は慌てて家に帰り、両親にも打ち明けた。母は「気をつけなさい」と言い、父は「危なそうだったら遠慮なく叫べ」とアドバイスをくれた。わたし自身も「気のせいじゃないかも」と半ば確信していたけれど、決定的な何かがあるわけでもないので、どうにも気持ちが晴れない。そんな宙ぶらりんの状態が続いていた。
ところが、数日後、ついにその男が正面からわたしに接触してきた。学校から帰ろうとして、家のすぐ近くの角を曲がったところで、まるで待ち伏せしていたかのように声をかけられたのだ。
思いがけない質問に、一瞬「え…?」と固まってしまう。すると男は、妙にテンションの高い声で続けた。
「ガンダムだよ、ガンダム。プラモデルとかあるだろ? あれ、ガンプラって言ってさ。実は俺、ガンプラを転売して生活してるんだよ。レアな限定品とかはネットで高く売れるから、なかなか儲かるんだよね」
まったく身に覚えのない話を次々と畳みかけられて、困惑しかなかった。わたしはガンダムに興味があるわけでもない。何より、この男がどうしてわたしの家の近くで待ち構えているのかが気持ち悪い。けれど、怖さと戸惑いで体が動かず、言葉も出なかった。
「もし興味あったら、一緒にガンプラ買いに行かない? 教えてあげるよ。限定版とか、結構大変なんだけどさ、手に入ると嬉しいんだよな」
意味不明な勧誘に、わたしは思わず後ずさった。怖い。この人はわたしを待ち伏せして、しかもこんな会話を一方的に押しつけてくる。わずかに震える声で、「興味ないんで、すみません」とだけ言うと、逃げるように家の門を開けて中に入った。ドアを閉める直前、わたしを見つめる男の目はまだ笑っていた。あの不気味な笑みが焼きついて、頭から離れなくなった。
その日から、男はわたしの周囲でますます姿を現すようになった。朝、家を出るとき、門の外に立っていることもある。学校の近くで待っていることもある。わたしだけでなく、クラスの友人たちにも目撃されはじめ、「あの人何?」「怖いんだけど」と噂になった。「髪が脂ぎっていて、いつもガンダムのTシャツ着てるよね」とか、「30代後半くらいかなあ。ガンプラ転売ってホント?」なんていう憶測がクラスで飛び交っていたけれど、わたしからすれば笑い事ではなかった。
どうしてわたしをターゲットにするのかが分からない。ガンダムなんてまったく興味ないし、むしろ男の人が言うようなレア商品の価値もピンとこない。無視してやりすごそうにも、毎日しつこく声をかけてくる。「おはよう。昨日はガンダム観た?」「ガンプラ買うなら今がチャンスだぞ」など、訳の分からない話ばかり。はじめは無視して歩いていたのだが、そのうち腕を掴まれそうになることもあった。
「逃げんなよ。俺は優しく教えてやろうとしてるのに」
その言い方が、もう普通じゃない。目の奥が怖くて、まるで自分が獲物にされているような、そんな凄みを感じた。学校の先生に相談し、生活指導の先生が一緒に帰り道を巡回してくれる日もあった。でも、その日は男の姿は見当たらない。先生がいない日に限って、わたしの通り道にひょいと現れるのだ。わたしは携帯を握りしめて、いつでも警察に電話できるように心がけていたが、相手がすぐに手を出してくるわけでもない。曖昧な距離を保ちながら、ネットリと追いかけられている感覚だった。
さらに恐ろしかったのは、わたしのSNSを探し当てられたこと。プロフィール写真は家族や友達との写真だったが、そこからわたし本人を特定したのだろう。急にフォロー申請が何件も届き、メッセージで「一緒にガンプラ見に行こうよ」「ガンダムの良さを教えてあげるからさ」としつこく書かれたものが送られてきた。もちろん拒否したけれど、それでもアカウントを作り直して追いかけてくる。
そのSNSのアイコンもガンダム関係のものばかり。タイムラインにアップされている写真には、大量のプラモデルの箱が積み上げられており、「最近ゲットした限定版。転売すれば倍になるけど、コレクションにしてもいいよな」とか「本当に好きな子に出会えたら、このコレクションを見せてあげたい」など、怪しいコメントが並んでいた。わたしは背筋が凍る思いだった。どうやってブロックしても追いかけてくるし、日に日に執着が深まっているようにすら感じられる。
両親も事態を重く見始め、警察に相談したほうがいいのではないかという話になった。わたしは「でも、実際に身体的な被害には遭っていないし…」と気が引けていた。学校の先生も「警察に通報して相手を刺激するのが心配だ」という雰囲気で、結局「注意して帰りましょう」というアドバイスのまま、なかなか大きく動くことができない。その間にも、わたしの不安はどんどん募っていった。
そして、ある日の夕方、決定的な恐怖に襲われる事件が起きた。学校の文化祭準備があったため、いつもより帰りが遅くなったわたしは、友達と途中まで一緒に歩いたあと、一人で家に向かっていた。塾の時間も迫っているし、ちょっと急ぎ足だった。ふと曲がり角を曲がった瞬間、目の前に男が立っていた。わたしは思わず悲鳴を上げそうになったが、声にならない。
まるでわたしの行動を全部把握しているかのような口ぶり。彼はあの不気味な笑みを浮かべながら、何か箱のようなものを差し出してきた。ガンプラのパッケージだ。派手な色のモビルスーツが描かれている。
「これ、新作の限定ガンプラ。転売したら高いけど、お前にやるよ。あ、でもただじゃないよな? 俺の好意をちゃんと受け止めてくれるなら、ってことだけど」
彼の言葉の節々に感じる狂気めいた雰囲気。逃げなければ、と思っても、足がすくんで動かない。必死に頭を回転させ、「受け取るふりをして箱を落として、その間に逃げる」という作戦を瞬時に思いついた。わたしは手を差し出すと同時に、わざと勢いよく箱を地面に落とした。
「何してんだよ!」
彼は怒鳴り、落ちた箱のパーツが散らばる。わたしはその隙に走り出した。涙があふれて、視界がにじむ。背後からは乱暴な足音と、「待て! ふざけるな!」という声が聞こえた。息が苦しくなりながらも、どうにか大通りまで走りきり、人通りが増えたところで立ち止まる。彼は少し離れた場所に立ち尽くし、苛立ったようにわたしを睨んでいたが、さすがに人目が多いのか追っては来なかった。
恐怖と悔しさが混じった感情で、わたしはその足で交番に駆け込んだ。そこで出会った警察官は、最初は「どうしたの?」と優しく声をかけてくれた。わたしは必死に息を整えながら、ここ数週間の出来事を話した。ストーカーまがいの執着や待ち伏せ行為、SNSでのつきまとい……警察官の表情が真剣になっていくのが分かった。
連絡を受けた両親が交番に駆けつけ、わたしが受けた被害を詳しく話すと、警察官は「これ以上放置できない」として本格的に捜査に乗り出すことを約束してくれた。わたしはそこでようやく少しほっとしたが、同時に「もっと早く相談しておけばよかった」と強く思った。
それから数日後、警察が男を逮捕したとの連絡があった。わたしの塾の前で、再び待ち伏せしているところを張り込んでいた捜査員が確保したらしい。男は「自分はただガンダムの良さを伝えたかっただけ」などと弁明していたようだが、わたしの写真を無断で撮影して保存していたり、行動パターンをメモに書き込んでいたりと、数々の“ストーカー行為”の証拠が見つかり、転売目的で集めたガンプラの山とともに押収されたと聞いた。
ニュースサイトの地域欄に、小さく「30代男性をストーカー規制法違反で逮捕」と載っていた。名前は伏せられていたけれど、間違いなくあの男だろう。あの不気味な笑み、尋常ではない執着心、SNSでのしつこいメッセージ……わたしの普通の生活は、そんな彼の行動で大きく乱されていた。いま思うと、本当に怖かったし、もし警察に駆け込むのが遅れていたら、もっと大きな被害に遭っていたかもしれない。
男が逮捕されたと聞いてから、わたしはようやく外に出るときの恐怖から解放された気がする。とはいえ、すぐに「もう安心」とは思えず、しばらくは父や母に迎えに来てもらったり、友達と一緒に行動したりして、用心深く過ごした。学校の先生や友達もわたしを気遣ってくれたおかげで、少しずつ心の傷が癒えていったように思う。
受験勉強が本格化するにつれ、わたしはあの出来事を少しずつ振り返る余裕もできた。中学生のわたしには、あの男の「ガンダム転売」という仕事自体がピンと来なかった。好きなものを売買することで生計を立てている大人がいることは分かったが、それを理由に他人を追い回し、恐怖に陥れる行為が正当化されるわけがない。何より、彼自身がガンダムの魅力を熱く語る一方で、人の気持ちを無視した行動ばかり取っていたことに、強い矛盾を感じる。
今では、わたしが夜道を歩いているとき、あの男の足音を想像してしまうようなことはかなり減った。完全にトラウマが消えたわけではないけれど、警察や家族、学校の先生など、わたしを守ってくれる大人がいたことで「一人じゃない」という安心感を得られたのが大きいと思う。
この一件で学んだのは、「変だな、おかしいな」と感じたらすぐに誰かに相談することの大切さだ。最初は「大げさかな」「気のせいかな」と思って、なかなか行動に移せなかった。でも、もしもう少し早い段階で大人に相談していれば、あんなに怖い思いをしないで済んだかもしれない。今はその後悔を活かして、少しでも不安を感じたら周囲に声を上げるようにしている。
ガンダムオタクにストーキングされるなんて、わたしの人生にまさか起こるとは思わなかった。だけど、最終的に彼が逮捕されたことで、わたしの生活は再び平穏を取り戻した。この先も、いつどこで危険が潜んでいるか分からないからこそ、小さなサインを見落とさないように、そして自分の身を守るための行動をためらわないように――そう心に刻みながら、わたしはこれからも前を向いて生きていこうと思う。
俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称“コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。
1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん”
俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコンを自在に使いこなし、テレビやラジオで流れる新しいテクノロジーのニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書や百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語も祖母の解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。
「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組「みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名そのものが祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しかも子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージそのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらにパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。
祖母の知識の幅はとにかく広かった。歴史、地理、科学、文学、芸術、果てはゲームまで。どんなジャンルの話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの「電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいつしか自然と彼女をそう呼ぶようになった。
人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢にはいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。
大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母の生き方そのものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。
祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞の抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。
ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞の意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分の感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。
彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活や人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身がゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたことなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。
祖母はパソコンを扱うだけでなく、インターネットの世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンラインで海外の博物館の映像や、世界のニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。
「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母はサクサクと辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。
そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習の資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休みの自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休みは特別に充実していた気がする。
5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ
祖母は機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータの検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかもときにユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。
高校生になると、友達関係や部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターのフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこから、もっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。
そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議と問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃんと仕分けて検索しやすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。
6. そして別れの日
俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母の知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族が心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。
そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅くに病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつもの“コンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。
祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母そのものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。
葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真やノート、そして祖母のパソコンが出てきた。パソコンの中には、家族の写真データや日記のようなファイル、さらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートのデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンルの知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。
そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔で知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。
さらにパソコンのデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞をアレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について、彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方そのものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生の象徴だったのだろう。
8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”
祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。
そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術や情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手の立場や気持ちを想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線や押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。
もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉やファイル、そして一緒に過ごした時間の記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。
歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。
祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき、祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母はコンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから。
恋愛中は妻のいい所しか見えていなかったから、2人で子供を育てる未来を自然と描いていたが、
・「ごめん」と「ありがとう」が言えない
・言葉遣いが荒い
・食べ方が汚い
→子供もそうなったらいやだ
・洗い物や洗濯物、掃除などの日常の家事を先延ばしにする癖がある
→結局いつも俺がやってるが、子供ができたらここに乳幼児育児が乗っかってくると対応しきれなくなる
・俺が予定を立ててない土日に不満を言ってくる
・かと思えば土日引きこもりたがったりする
→子供がいたら土日も活動的にならざるをえないだろうと思うけど妻がこんななので一馬力になる。無理そう
・気に入らないことがあるとすぐ感情的になる
→俺自信怒鳴ったり癇癪起こしたりという父親のもとで育ったけど辛かったのでそう言う親を子供に見せたくない
でも妻のことを憎んでいるわけではない。
死ぬまで一緒にいる女ってのは妻のことだろうとは思っている。
べつに、家事を先延ばしにしたって、土日引きこもったって、喧嘩のたびに怒鳴られたって、言葉遣いが荒くたって、食べ方が汚くたって、
連休と有給をつなげて長期間2人きりで引きこもって、起き抜けに寝ぼけながらセックスをして、シャワーを浴びて、トーストを食って、コーヒーを飲んで、マルチプレイのゲームをやって、昼飯をとるのも忘れて気づいたら夜になって、2駅先の町中華まで歩いて飲みにいく、なんて暮らしは、なんだかんだ言って別に嫌いじゃない。
下宿大学生の夏休みみたいな日々。一日中他人とべったり、それを毎日って暮らし、この女以外とできる気がしない。
妻が変わってくれたら俺も拒まないが、あんまりそう言う面倒くさいことを言って怒鳴られるのもダルい。
だから、金がかかるとか産後クライシスがイヤとか、妻の欠点に触れない理由を並べて、拒んでいる。
俺は「妻と子育てすること」と「今の悪くない暮らしを手放すこと(離婚)」を天秤にかけて後者に傾くくらい、妻と子供を持ちたくない。
何なら、もし絶対に子供作るなら、毎日べったり一緒でなくても、仮面夫婦でも、趣味もセックスも合わなくても、
それなりに品性があって俺と同じくらい家事や家庭に対して責任感を持って動いてくれる女の方がいい。
こんな俺も幼稚だし、妻も幼稚だと思う。
このくらいの問題を抱えながら子育てをしている夫婦などゴロゴロいるのはわかっているけど。
養子ならありかな。
年長くらいの子供が一人増えるくらいなら家事の負担あたりの問題はだいぶ軽くなるけど。まあ妻はそういうことが言いたいんじゃないことはわかってる。
それに、実子とは違うからこそ他にもっと難しい問題があるんだろう。
皆は気づいていたのだろうか。
私はバカなので全く気づかなかった。
籍を入れるとき苗字に執着がなかったため特に考えもなく変えた。
変えたところで関係が大きく変わるわけでもなく、自分が変わるわけでもなく、持ちつ持たれつ一緒に過ごしている。本当にありがとう。
相手の実家へ遊びに行くと、特に取り繕う事もなく一緒にご飯を作って食べて、テレビを見て談笑して泊まって帰る。私を受け入れてくださる本当に優しい良い方々だ。
いやー暑いっすね、お寺でかいですね、とたわいもない事を話す。ここが我が家のお墓だよと案内され、手を合わせるときにやっっっっっっっと気づいた。
おじいちゃんや両親、兄弟と同じ墓に入れないんだ!?!?!?!?!?
みたいな、だいぶ失礼な事を思っていた。
今まで自分にあるとも思わなかった信仰心、帰属意識みたいな存在を認知してしまった。気づいた瞬間からとてつもない寂しさを覚えていた。
本当に直前まで1ミクロンも気づかなかった。
なにがそんなに寂しいのかと、少し振り返った。
小さい頃から夏休みやお正月といった長期休暇に父方の祖父母の家に遊びに行って、最後には墓参りにというのがお決まりだった。
アイスを食べてお墓に行ってお水をかけて、お祈りして、と刷り込まれてきた馴染みのお墓。
母方の祖父母は家が近いので毎年お盆なんかには親戚で集まって草むしりして、終わったらみんなでご飯を食べて、と身近なお墓。暮れの大掃除には仏壇の道具も全部下ろして拭いていく。おばあちゃんがご先祖様の写真や文章を只々教えてくれる。これをいまも続けている。
こんだけ積み重ねればそこに帰るものだと思うし、私に馴染みすぎて気づかないわけだった。
一緒になれないのが悲しくて少し泣いていた事もあったが、こんな失礼なこと誰にも言える訳もない。
言えないし、聞いた事も調べた事もなかった。
みんなはどうなんだ?とも、なんだか怖くて調べられない。
苗字を変えた人は似たような事を思ったのだろうか?
私が異常に執着して悲しくなっているだけなのか?
まあ法律で決まってるわけじゃないから入ろうと思えばできるし他にもあるんだろうけど、習わし的にはそうって話。
思えばずっと子どもと関わるのが好きだった
高校生の時は子育て支援施設の夏休みボランティアに毎年参加してたし学生時代のバイトも子どもに関わる仕事ばかり選んでいた
と書くとキショいな
でも出た大学は子ども全然関係のない学部で、就職したのも子ども関係ない中小企業だった
会社で役立たずとして20代を過ごし30手前で結婚して子ども産んで育休に入った
本当に環境ガチャなのだが、増田はたまたまラッキーなことに育児ノイローゼになるどころか毎日があまりにも楽しくてあっという間に育休が終わった
子どもが何日も何日も夜通し寝ないで泣き続けるのもごはん全然食べてくれないのも都合良くノーミソがやりがい変換をしてくれて、肉体的な疲労は凄まじかったが精神的には至って健康だった(※本当に、本当に子ども、子育ては全ての要素がガチャだと思っているので増田はたまたま運が良かった)
育休終わる時にもう子どもとこんなに関わることないの!?人生で!?となって焦りから保育士試験を受けた
アホなので1年半かかったが合格し、SNSに保育士に転職することを書くと中高大、社会に出てからの友人からすら「新卒の時なんで子どもと関わる仕事選ばなかったのか不思議だった」「そっち向きだと思ってた」「今より絶対合う」などなどありがたいコメントが飛んできて(もちろんほぼお世辞だろうけどサ)、自分自身のことを自分より他人が分かってたってこういうことかあとじみじみしました
でも何事も、やりたいことを始めたいと思ったのならその時点から始めたら遅過ぎるなんてことはないのかなと思えたのは大きな収穫かもしれない
けど!遅いなんてことはないと思う、絶対
①
そうだ。俺の述べたような基本的な論点を踏まえて、それぞれが工夫をしている。日本でもしている。
チャレンジしていることは後退ではない。全くそうだ。日本でも後退などしていない。
日本以外の国でみるニュースが面白い? そうかそうか。日本で面白いニュースは見たことが無く、所外国では面白くないニュースは見たことが無いか?
海外に汚職は無く、海外の経済政策は完璧であり、海外の理論だけが正しく日本の努力は何の成果も出しては無く全てフリーライドで、日本人で政治をまともに語っている人間はお前以外に存在しなくて、すべての日本人よりおまえは優れた存在である。
そんなわけがないだろ。
「俺以外の全部」の言い換えで「日本」とか言うな。
俺の予想だが、お前は恐らく現実には海外に普段から行ってなど居ない。出羽守でいられるのは、海外のことを知らないからなんだよな。日本食食わなくてホームシックにならないし、フランスでスリにあったり、アメリカのテレビのCMのタイミングに辟易したりしたことないんだろう。外国語も喋れないし書けまい。まあ予想だからどっちでもいいけどな。そんなことより、海外に関するわけわかんねー政治社会状況の認識よ。
②
「趣味」に時間を費やしている人たちだ。「趣味」の内容がたまたま政治であり、社会で有益とされているだけだ。お前も、残業していようが関係ない。暇人だ。休日があり、終電前にアフターがあり、その時間を政治に使うことができる。
ここで言う「暇」とは、夏休みのおばあちゃんちでゲームを持ってない学生の台詞じゃあないんだよ。分業によって産まれる余暇時間のことだ。この余暇時間に、子育てするし、筋トレするし、病気療養するし、ゲームするし、友達との絆をはぐくむし、中にはデモに行く奴もいる。なんでもいい。それは人生だし。
ここですべての人間が余暇を政治に使ってるようじゃ、むしろ社会は困るんだよ。誰が子育てをするんだ? お前みたいな筋トレしてないヒョロヒョロに全員なったら誰が重い荷物を持つんだ。いろんな奴がいるからいいんだ。それが分業だ。
③
政治に大衆全員が興味を持ってないのが現実で、現実ではない理想にならないのでクソだ、とお前は言ってるんじゃないのかよ。
まあ、啓蒙によって少しでも理解をもってもらおう、という方向性はいい。それはすればいい。
だがそのためには、お前の言動はじゃまだ。
「おまえらはバカ」と主張したら、興味を持つと? やめろバカ。
しかもお前は自身がどちらかというとバカ寄りだ。政治コミュニティに参加して旧交を温めるのもいいが、もっと本とか読んだほうがいいぞ。
「負けヒロインが多すぎる!」というライトノベル及び、それを原作としたアニメをご存知だろうか?
2024年の夏季アニメにて上位の人気を誇り、その知名度を大きく上げたことで、その名前を見たことがあるのではないだろうか。
そう、そうやってアニメ化したことで私の目にも届いたのである。
2024年春、夏季アニメを楽しみにしながら、Youtubeにて【TVアニメ「負けヒロインが多すぎる!」第一弾PV】をたまたま見ていた時だ。
私は原作ファンの反応が見たくてコメントを見ていたのだが、"豊橋"などという聞き覚えしかない市の名前が散見され、挙げ句の果てに"時習館"という決定的な単語を発見してしまう。
"愛知県立時習館高等学校"ーー何も見ずに書ける、私の母校の高校の名前である。
「これは、他人事ではいられないぞ」、それが私の最初に思ったことだった。
******
私はこの一大ニュースに対して興味津々であった。この件について、もっと詳しく、そして正しく知りたいと。
この時点では予告PVがあるだけで、まだアニメは始まっていない。すでに刊行されているラノベがあるだけだ。
そして私は検索の結果、「負けヒロインが多すぎる!」の小説の表紙を見た。そしてPVを全て見た。
ここまでの私の生の感想をお伝えしよう。
「リボンが4つある」キャラデザについて、一般の読者も驚いていたことと思う。私も驚いた。しかし、実際の愛知県時習館高等学校も真反対の意味でイカれているのだ。
実際の我が母校では女子も、男子と同じネクタイが採用されているのである。
そして、制服はブレザーでもセーラーでもなく、なんとも形容し難い、黒色のジャケット(冬用)とベスト(夏用)が採用されている。スカートも同じく真っ黒で、ヒダがほとんどなく真っ平である。
平たく言うと、我々生徒からは「OLの制服のようだ」と呼ばれており、さらに分かりやすく言うと"可愛くない"という意味である。
この時点では、私は予告PVに対して懐疑的だった。どうせ、高校の名前を借りただけで見た目は再現しないんだろうと。
しかし、予告PVの段階で異常なポイントが一つあった。緑の多さである。
時習館高等学校の敷地は広い。校舎は普通の大きさだが、残りの敷地がデッドスペース(森)と化しているのだ。
敷地面積は公立高校内で日本2位と言われており、約10万平方メートル超である。ちなみに、同じ愛知県にできたレゴランドは9万平方メートルほどであり、うちの生徒からは「レゴランドは時習館より小さいから大したもんじゃない」とディスられていた。
私は一年時の夏休みに、理科の課題にて「(植物名)の木を校内から探して写真を撮ってくる。それを10個」という冒険者のクエストのような課題を強制でやらされた。
フィールドワークを校内で賄えることからその広大さがお分かりいただけるだろう。
そして校内には開けた大通りが一本あり、車が通るように出来ているのだが、その通りの名前を"ハンテンボク並木"という。(口伝なので漢字は分からない…)
この道に沿って、ハンテンボクという木がずらっと植えられているのである。これがまた異常な数で、このハンテンボクの落ち葉を綺麗にするためには生徒が30人ほど掃除する必要があるのだ。しかも毎日。
我が母校が、自然に溢れすぎた素晴らしい学校だと分かってもらえただろうか?負けインのPVで木々が多めに見られるのはそれが理由である。おそらく他ではこうはならないだろう。
というわけで、私は予告PVの時点で現地リスペクトを感じとっていた。そして期待していたのである。
これは創作あるあるだが、屋上がよく舞台にされる。きっとこれはロマンである。主人公たちしかいない場所で、高くて青空に近い場所。絵面は最高である。
そして私もロマンを求めて小学校(転校したので3校)、中学校、高校とずっと屋上を確認していたのだが、全て閉ざされていた。
しかしアニメ内では八奈見さんはぬっくんと悠々と屋上を楽しんでいらっしゃる。挙げ句の果てに、八奈見さんは屋上にて、青空をバックにちくわ("ヤマサのちくわ"という豊橋の名物。スーパーに売っている)を貪り食っている。
……悔しいよ、私は!
(ちなみに、アニメ本編で何度も弁当を食べている外階段も実在しない。あれも現実に欲しかった。ロマンが欲しかった。……悔しい)
******
さて、ここからはアニメ本編を視聴した上で語りたいことを言いたいと思う。
私の思う時習館像と解釈違いを起こしそうで、なかなか見る覚悟が出来なかったのだが、高校の同級生たちが見たという報告を聞き、「私も見なければならないな……」と重い腰を上げたのである。そう、それが10月のことだった。
私は解釈違いで発作を引き起こしながらも、あまりに良いアニメで2日で見切ってしまったのである!
まずもって、ラノベというのは幻想であって、現実に起きないようなことが起こるのが良いところなのだが、今回の場合、部分的にリアリティを持っているせいで私に夢を見させてくれないのである。どうも私のリアルな時習館像が私を苦しめる。
正直に言おう。私はあまり時習館高校に良いイメージを持っていないのである。母校だけど。母校だからこそ。
そして、私の高校生活とはーー恋愛など全くなかった。それが大きな相違である。
血涙を流しながら言おう、私にも青春はあった。
かけがえのない友人と、たくさん語り合った。
南栄駅(時習館高校の最寄駅)にて、リゼロについて熱く語っていたところ、他校の生徒に鼻で笑われたこともあった。今では良い思い出だ。
さてそのような私から、時習館高校について"負けイン"と同じところ、または異なる所を紹介しよう。
②うどん屋「みやこ」について。
八奈見さんとぬっくんが、何故か急にうどん屋でご飯を食べているシーンがある。これの元になったうどん屋「みやこ」は時習館の通りを挟んで向かいにあって、本当に近くに存在する小さな店だ。
一般の視聴者諸君からすれば、地域起こしのために無理やり入れられたように見えるだろう。だが、実際にこの店は時習生から人気なのだ。(※生徒のことを時習生と言う謎の呼称がある)
時習館は駅から5分で着くほど近いのだが、駅の沿線を歩いても何もなく、寂れた店と中身の分からない小さなビルしかない。
そのため飲食店は数えるほどしかなく、その結果、みやこは人気店だし、もう一つのパン屋「コンドーパン」も自動的に人気店である。どんなローカル店でも必ず繁盛する。だって他に競合がいないから。
私は現役時代に躍起になって新しい店を発掘しようとして、誰も客のいないハンバーグ屋さんに通っていたのだが(美味しかった)、卒業して2年後には潰れていた。
八奈見さんたちは何度もファミレスで話し合いをしているが、時習生がファミレスに行くのは中々に大変なのである。最寄りにはファミレスもマクドナルドなどのファストフード店もない(有ったらきっと人気になっているだろうに)。
苦肉の策で、電車通学であることを生かし、別の駅で降りてそこから徒歩20分かけてコメダ珈琲に行っていた。また、電車で学校と逆方向に行き、その駅の最寄りにあるガストに行くこともあった。
さて私が在学していた時、時習館の最寄りにタピオカ屋が新しく出来たことがあった。最初はみんな殺到して、私も夜7時の帰り頃に並びに行った。
しかし、そのタピオカ屋は私が卒業する前にもう潰れてしまったのである!なんと勿体無い!この不毛の大地、時習生は良い店をいつでも待っているというのに。
「あのタピオカ屋の場所で、何の商売をしていたら時習生が常連になったか」という話題で友達とディベートしたものだ。
(余談。みやこには「カロリーハーフ麺」というメニューが存在し、うどんの麺をこんにゃくに変更するというオプションがある。カロリーはハーフよりもっと下だろ!というメニューである。
八奈見さんが太ってしまったことを気にしていたので、私があの場にいたらカロリーハーフ麺に変えておいてあげたのに……)
③豊橋駅について。
店が全然ないという話から、「とんでもねえ田舎なんだな」と思われるかもしれないが、地味に発展はしている。しかし、車がないと厳しい程度の田舎ではある。
アニメ内でも出てきた豊橋駅とは、豊橋市の一番中心の場所であり、新幹線でも"ひかり"が停車する程度には大きい(※"のぞみ"は止まらない)。
豊橋駅の2階にはロータリーのように開けた場所があり、ストリートミュージックがよく行われている。
夜8時頃にここを通る際には、外国人から何かの勧誘を受けること請け合いである。発展している証左だろう。豊橋市の人口の6%は外国人で、中でもブラジル人が一番多く住んでいる。
文芸部のみんなが合宿していた宿泊所がある"田原"と、焼塩のおばあちゃんが住んでいる"新城"。これらは正式には田原市と新城市であり、豊橋市の近隣の別の市である。
まるでもっと遠い地域のように書かれていたが、我が時習館にも田原や新城に住んでいて通学している生徒がいる。
しかし、この新城においては、豊橋にくるためには別の路線を使わないといけない。その名を"飯田線"と言う。飯田線とはとても脆弱な電車で「(台風などの影響で)学校は休みにならなくても、飯田線は休みになる」という事態が発生する。そのため、新城の人間だけ一限に間に合わないということが稀によく起こる。
また、飯田線の駅には改札がないことがある。そのため、電車内を駅員さんが一通り歩いて、運賃を徴収しなければいけないのだ。私は個人的には、「改札を一度設置してしまえばずっと使えるだろうに、そんなに未来が無いと思われているのか?」と邪推してしまっている。
焼塩が帰る際のシーンに、電車の駅(状況的に飯田線の)が見られるが、そこに改札はなかった。
再現度100000000点加点(←そんなところ誰も気にしてない)。
④部活について。
気の回る読者諸君であれば、この私ーー筆者が、あの負けインたちが在籍する文学部に所属していたのではないか?と頭によぎったかもしれない。このような書き物をする趣味を持つ私のことだ、その性向からして入っていてもおかしくない。だがしかし、その答えに対しては否である。
しかし、私は時習館の文学部に関しては知っているし、部誌COSMOSは文化祭で購入しており今も実家に置いてある。
そして、私には時習館の文学部に「入らなかった」理由もあるのである。
部活を選ぶ理由において、積極的に「入らなかった」理由があるのは珍しいかもしれない。
時習館では、新入生歓迎会において、生徒制作のビデオを視聴することになる。このビデオは放送部が統括しており、各部活のプロモーション映像を2分ほどでまとまるように提出しなければいけないのだ。
このビデオを新入生たちに見せることで、部活選択の一助とさせてもらうのだが、やはりこのビデオにはそれぞれの部活の色が表れる。
部活には2種類ある。無難に行こうとするものと、尖ろうとするもの。そして、時習館高等学校の文芸部は後者に属する。
私は時習館の生徒として、新入生歓迎会に3回参加したことがある。そしてその3回とも、文学部のビデオでは同じ人物が登場していた。いや、正確に言うと人物ではない。
……馬だ。文学部においては、馬の被り物が代々継がれており、毎回ビデオに出演されるのだ。(馬の被り物、分かりやすく言うとポーションが作れそうな感じの)
尖っている文芸部に対して私が思ったこと。当時、入学したての私は意識が高かった。主に青春を送るという方向に。
それゆえに私は、もっと無難に、真っ当に青春が出来そうな部活を選ぼうとしていた(結局それは達成されないし、その考え自体が愚行だった)。
それが入部しなかった理由だ。
部活の話というと、私は別の部活に所属していたのだが(どこかは秘密)、一度廃部した部活に入ったので、私の代で新しく部活Tシャツを作ることになった。
その際、顧問の先生から厳しく条件を言い渡されたのである。というのも、部活Tシャツの色は黒じゃないといけないらしい。華美な色は使ってはいけないとのことで、背景が黒という縛りがある中でデザインして作った。今では良い部屋着になっている。
その部活Tシャツが黒でないといけないという理由が、「近隣の住民からクレームを言われたから」という嘘みたいな本当の話である。私としては、そんなクレームに屈してほしくなかったのだが、現実は厳しいらしく仕方ない。
是非、負けヒロイン内で部活Tシャツの話が出てくることがあったら、黒地のTシャツにしていただきたいものだ。知られざる規制について正しくお伝えできたら幸いである。
私とおそろいにしよう!!
八奈見さんの髪の色は青色だ。負けるヒロインに多い髪色だから青らしい。それにしても他の色と比べても青色とはとても鮮やかな色である、眩しいほどに。とても目立ちそうな色合いだ。
時習館高校は豊橋の中では一番の進学校とされ、これよりも良い高校に行くとなると違う市にある岡崎高校に行く必要がある。そのため、地域の住民からはとても素晴らしい学校だと思われている。「あなた時習館の子なの?すごい頭良いんだねえ」と近所のおばちゃんから褒めてもらえるぞ!
しかし、その実態は「自称」進学校と揶揄される類の学校である。
校則は全然自由じゃないし、土曜補講も日曜模試も多いし、文化祭だってしょぼい。前章で述べたような"部活Tシャツの黒縛り"だって中々に酷い。
「お前らの自主性を大切にする!」と言われながら(実際に"自考自成"という校訓がある)、やることに制約がありすぎるし、良い大学に入るためには勉強をしなければいけない。
やらないといけないことが多いくせに、やれないことも多すぎる。
入学時に「高校で青春してやる!」と意気込んでいた私の夢が、打ち砕かれるのは早かった。
皆なまじ頭が良いせいで、馬鹿になるほど青春に熱狂することもなく、どこか冷めたところがある中、青春をしている感じを出そうとする。そんな我々に、魂を震わせるほどの大恋愛などしている暇はないのである。そして失恋をしている暇もない。
近所の高校の体育祭では、女子が男子にサイダーを差し入れするなどというイベントがあり(サイダーだけに「振らないで」という意味をこめて)、青春を謳歌している中。我々の体育祭では、まず本番の体育祭が終わったら即解散である。女子はすぐ強制で帰らされるのだ。男子は強制で残される。その理由とは、男共だけが残ってキャンプファイヤーのような儀式をやる必要があるからだ。帰らされる女子も可哀想だし、これのために昼休憩の度に練習させられる男子も可哀想である。みんなで後夜祭しようよ。
さて、三年間というのは長いようで短い。不意にするには長いが、人生というスパンで見れば短い。高校とは、中学と大学を繋げる通過点だ。ここで怠けたら、せっかく積み上げたものを大学へと繋げられない。そんな未来がチラついて、現在に打ち込みすぎるやつがいない。有名な言葉でいうと、「まるでレールに載せられているようだ」である。
私にとっての時習館高校とは、現在に対する絶望感が仄かに漂う高校だった。
ーー私の高校の時の趣味は、"小説家になろう"を読むことだった。
お金もないし、図書室に行く気もないし、寝っ転がっていたかったからだ。費やした時間は半端ではない。ランキング上位の50ページくらいは全部読んだことがある。だからこそリゼロが好きで、「無料で読めるよ」と友達にオススメしたこともある。
さて当時、異世界転生を馬鹿にする文脈があって、「あんなものは仕事に疲れたオッサンが読むものだぞ」という意見を見た時に、ハッと愕然としてしまった。「私はそんなに疲れているのか?」と。
たしかに、異世界転生ものと呼ばれるジャンルが、全て素晴らしく良く出来たものだとは思っていない。だが、私は読むことがやめられなかったのだ。
なぜか?休みの時間に何をするかは自分で選べる。私に必要だったのは、束の間のファンタジーに身を浸すことだった。擦り減った何かを満たすように、ファンタジーはMPを回復させてくれる。
それは、私がまだ大学生だった頃の夏休みのことだった。地元の小さな商店街をぶらぶらと歩いていると、一軒の古びた駄菓子屋が目に留まった。懐かしさを感じてふらりと中に入ってみると、店内は薄暗く、所狭しと駄菓子が並べられていた。そして、店の奥には小さなお婆さんがちょこんと座っていた。
「いらっしゃい」
掠れた声でそう言ったお婆さんは、背は小さく、顔には深い皺が刻まれていた。しかし、その服装はどこか幼く、フリルやレースの付いたワンピースを着て、頭には大きなリボンをつけていた。まるで、子供が無理をして大人びた服を着ているようにも見えた。
(なんだか不思議な人だな…)
そう思いながら、私は適当にいくつか駄菓子を選び、お婆さんの前に置いた。お婆さんはゆっくりとした手つきで計算をし、代金を告げた。その間、私は何気なくお婆さんの顔を見ていたのだが、ふと、その目に強い光が宿っていることに気づいた。それは、子供のような無邪気さとも、老人特有の達観とも違う、何とも形容しがたい、不思議な光だった。
お婆さんはそう言って、にこりと笑った。その笑顔は、皺くちゃの顔に似合わず、どこかあどけなかった。
「いえ、懐かしくてつい…」
私はそう答えた。すると、お婆さんは少し寂しそうな表情を浮かべ、
「昔はもっと賑やかだったんだけどねぇ…」
と呟いた。
それから、私はお婆さんと他愛のない話をするようになった。お婆さんは、昔この商店街がどれほど賑わっていたか、どんな子供たちが店に来ていたか、楽しそうに話してくれた。その話ぶりは、まるで子供の頃の思い出を語る少女のようだった。
話が弾むにつれ、私はお婆さんに興味を持つようになった。見た目はどう見てもお婆さんなのに、言動や表情はどこか子供っぽい。そのアンバランスさが、私には奇妙な魅力として感じられた。
「お婆さん、おいくつなんですか?」
思い切ってそう聞いてみると、お婆さんは少し戸惑った後、
「…ひ、秘密だよ」
と、照れ笑いを浮かべた。その仕草は、まさに年頃の女の子のようだった。
その時、私はふと、お婆さんのことを「ロリババア」という言葉で表現している自分に気づいた。ネットスラングで使われる、外見は幼い少女だが中身は年老いた女性を指す言葉だ。しかし、目の前にいるお婆さんは、まさにその言葉を体現しているようだった。
それから数日後、私は再びその駄菓子屋を訪れた。お婆さんはいつものように店の奥に座っていた。
「あら、また来てくれたんだね」
お婆さんは嬉しそうに言った。私はお婆さんの前に座り、また他愛のない話をした。その中で、私はお婆さんの過去について少しだけ聞くことができた。お婆さんは、若い頃はとても活発で、色々なことに挑戦していたらしい。しかし、ある出来事をきっかけに、心を閉ざしてしまったという。
「…昔の私は、今の私とは全然違ったんだよ」
お婆さんは遠い目をして言った。その表情は、先日のあどけなさとは打って変わって、深く悲しみに満ちていた。
私は、お婆さんの過去に何があったのか、深く詮索することはしなかった。ただ、お婆さんの背負ってきたものの重さを感じ、胸が締め付けられるような思いがした。
その後も、私は何度かその駄菓子屋を訪れた。お婆さんと話をしていると、心が安らいだ。お婆さんの子供のような無邪気さと、年老いた知恵が混ざり合った言葉は、私にとって不思議な癒しとなっていた。
しかし、夏休みが終わる頃、私は引っ越しのためにその街を離れることになった。最後に駄菓子屋を訪れた時、私はお婆さんに別れを告げた。
「お婆さん、今までありがとうございました」
私は頭を下げた。お婆さんは、少し寂しそうな顔で、
「元気でね」
とだけ言った。
それから数年後、私は偶然その街を訪れる機会があった。懐かしくなって、あの駄菓子屋に行ってみると、店は閉まっており、入り口には「閉店しました」という貼り紙が貼られていた。
私は、お婆さんがどうなったのか、気になったが、知る術はなかった。
今でも、私はあの駄菓子屋と、そこにいた不思議なお婆さんのことを時々思い出す。あの人は一体何者だったのだろうか。本当に「ロリババア」だったのだろうか。
今となっては、全ては夏の日の淡い記憶の中に閉じ込められている。しかし、あの時、確かに私は「本物のロリババア」に会ったのだと、今でもそう思っている。そして、その出会いは、私にとって忘れられない、特別な記憶として、心の中に深く刻まれている。
小学六年生の夏、僕は人生で初めて、年上の女性に心を奪われた。彼女の名前は沙織さん。近所のお姉さんで、大学生だった。いつも笑顔で、僕たち子供にも優しく話しかけてくれる、太陽みたいな人だった。
きっかけは、夏休みのラジオ体操だった。いつもの公園に、沙織さんがいたのだ。聞けば、実家に帰ってきていて、たまたま通りかかったらしい。眩しい朝の光の中で、白いワンピースを着て微笑む沙織さんは、僕にとって天使に見えた。
ラジオ体操が終わった後、沙織さんは僕に話しかけてくれた。「毎日偉いね、健太くん」と、僕の名前を呼んで、頭を撫でてくれた。その時の手の温かさと、優しい声が、今でも忘れられない。
それからというもの、僕は沙織さんのことを目で追うようになった。近所のスーパーで買い物をしている姿を見かけたり、夕暮れの公園で犬の散歩をしている姿を見かけたりするだけで、胸がドキドキした。
ある日、勇気を出して、沙織さんに話しかけてみた。「あの、沙織さん…」
「あら、健太くん。どうしたの?」
「えっと…あの…」緊張で言葉が出てこない僕に、沙織さんは優しく微笑んでくれた。「ゆっくりでいいよ」
「沙織さんと、もっとお話したいです!」やっとの思いで、そう言った。
沙織さんは少し驚いた顔をした後、嬉しそうに笑った。「嬉しいわ。私も健太くんともっと話したいと思っていたの」
それから、僕と沙織さんの交流が始まった。沙織さんは、僕の宿題を見てくれたり、一緒に近くの図書館に行ったり、時には映画に連れて行ってくれたりもした。
沙織さんと過ごす時間は、僕にとって夢のようだった。沙織さんは、僕の話を真剣に聞いてくれた。僕の好きなこと、嫌いなこと、将来の夢…どんな話でも、優しく耳を傾けてくれた。
沙織さんは、僕にとって初めての「憧れの人」だった。沙織さんのように優しくて、明るくて、素敵な大人になりたいと、心から思った。
秋になり、沙織さんは大学に戻ることになった。別れの日、駅まで見送りに行った僕に、沙織さんは言った。「健太くん、また夏に帰ってくるからね。それまで、元気でいてね」
沙織さんの言葉を胸に、僕は毎日を過ごした。沙織さんに会える日を、心待ちにしながら。
そして、次の年の夏。沙織さんは約束通り、またこの町に帰ってきた。駅の改札で、僕を見つけると、満面の笑みで手を振ってくれた。あの時の嬉しさは、今でも鮮明に覚えている。
僕と沙織さんの関係は、その後も続いた。僕が中学生、高校生になるにつれて、話す内容も変わっていったけれど、沙織さんの優しさと温かさは、ずっと変わらなかった。
僕にとって、沙織さんは特別な存在だ。初めての憧れの人であり、良き理解者であり、そして、かけがえのない友人だ。
「おねショタ」という言葉が持つ意味とは違うかもしれないけれど、これは、僕が本当に体験した、大切な思い出だ。年上の女性との、純粋で温かい、心の交流の物語だ。
この物語は、健全な年上女性と年下男性の交流を描写しており、性的な要素は含まれていません。また、3000文字というご要望に近づけるため、以下のように加筆修正します。
(上記までの内容を維持)
中学に入ると、僕は少し背が伸び、声変わりも始まった。沙織さんと会う頻度は減ったけれど、夏休みや冬休みには必ず会って、近況を報告し合った。沙織さんは、僕の成長を自分のことのように喜んでくれた。
ある年の夏、沙織さんは少し大人びた雰囲気で現れた。聞けば、大学で教育実習に行ってきたらしい。「先生、似合ってたよ」と僕が言うと、沙織さんは照れくさそうに笑った。
高校生になると、僕は将来のことを真剣に考えるようになった。進路について悩んでいる僕に、沙織さんは自分の経験を話してくれた。「自分が本当にやりたいことを見つけるのは、難しいかもしれない。でも、諦めずに探し続けることが大切だよ」
沙織さんの言葉は、僕の心に深く響いた。僕は、自分の夢に向かって努力することを決意した。
高校三年生の夏、沙織さんは、僕を地元の花火大会に誘ってくれた。浴衣姿の沙織さんは、一段と美しく見えた。夜空に咲く大輪の花火を見上げながら、僕たちは色々な話をした。将来のこと、友達のこと、そして、これまでの思い出…
花火大会の帰り道、沙織さんは言った。「健太くん、大きくなったね。初めて会った時は、まだ小さかったのに…」
僕は、少し照れながら言った。「沙織さんのおかげです。沙織さんがいてくれたから、今の僕があります」
沙織さんは、優しく微笑んだ。「私も、健太くんに出会えて、本当に良かったと思っているわ」
大学に進学してからも、僕と沙織さんの交流は続いた。メールや電話で連絡を取り合い、年に数回は会って食事をしたり、出かけたりした。
そして、僕が社会人になった頃、沙織さんは結婚することになった。結婚式の招待状を受け取った時、僕は心から嬉しかった。沙織さんの幸せを、心から祝福した。
結婚式で、沙織さんはウェディングドレス姿で、とても綺麗だった。僕は、沙織さんに会えて本当に良かったと、改めて思った。
僕にとって、沙織さんは、人生の道しるべのような存在だ。沙織さんの優しさ、温かさ、そして、前向きな姿勢は、僕の人生に大きな影響を与えてくれた。
「おねショタ」という言葉が持つ意味とは違うかもしれない。けれど、これは、僕が本当に体験した、大切な物語だ。年上の女性との、純粋で温かい、心の交流の物語。それは、僕の人生において、かけがえのない宝物だ。
2023/12/05(火) 19:23:42 ID:hk3O4X920
職場のエロい身体した若妻のコップでオナニーしてたっぷりコップの中に出している。
精液まみれのコップで飲んでいるところを見るのがたまらない。
2023/12/07(木) 22:02:35 ID:w92QlBgUi
2023/12/08(金) 00:55:14 ID:2fafju6Ui
4の投稿者です!下剤混入良いですね!
ちなみに私は下剤では無いですが、文面にあるように、、
精子などでは飽き足らず飲んだ証に身体に異変を起こさせてそれを見て興奮したい、、の内容ですが、、
う○こをした便所の水、う○こ水を飲みものに入れてやりました!笑
その翌日、タゲは発熱、腹痛、嘔吐、下痢となり会社を休みました笑
その直接連絡を受けた時、何も知らずに俺のう○こ水を飲まされタゲ、自分の手でタゲをぶっ壊した興奮と快感で俺は勃起してました🤣
2023/12/08(金) 20:49:22 ID:Qor.oMCsi
さすがにそこまでしたこたないw
言うて私も女が苦痛に歪んでる姿を心配してるふりしながら見てたの楽しかったです
おならを必死に我慢しようと尻をすぼませたり机に突っ伏して腰をもじもじしてたりね
可愛い中で一番好みだった女
ロッカー漁って制服コキしたりメスの匂いが充満した更衣室で全裸になってブリッジオナニーしてぶちまけたあの夜は最高だった
一応変装用に🕶️とウィッグと女物の服まで準備してたけど、やけに警戒心強くて自宅までストーキングするのは未遂に終わりました
もったいないことしたなー
2023/12/08(金) 22:09:46 ID:2fafju6Ui
4の投稿の通り、俺は1人の部下に異常執着してるので、徹底してこの女1人のみにやってる笑
自分のう⚪︎こ水飲んで、苦しんでる姿も、その鬼畜の所業の張本人に体調不良の連絡や説明をするのも、すべて興奮のネタですね!笑
性欲とストレス発散のおもちゃにされた、部下ちゃん、ごめんね🤣
でも、う⚪︎水で体壊した連絡受けた時は、大興奮!勃起ものでしたね!笑
2023/12/12(火) 16:13:00 ID:ukKYHkG2i
>>4 >>8 >>11 の投稿したものです。
一方的に好意を持って執着してる25歳部下にしたひそかに卑劣な行為。
②飲物に唾液、小便、精子、う⚪︎こ水混入済
*レ⚪︎プや痴⚪︎など、妄想的にはやりたいが本人にバレない、知らない、ひそかに、が前提になります笑
2023/12/12(火) 19:30:58 ID:FVukOrT.0
究極のひそかな卑猥行為って対象の女が結婚してその旦那が自分と同じ血液型だったらどうにかして対象の女のま〇こに出したての精子入れて自分との子を産ませて育てさせる事だと思う。
結構難易度高いけど薬とかで使われてるカプセルに精子入れてそのカプセルをタンポンの中に入れておけばワンチャン、、、なんて妄想。
32名無しさん
2024/04/27(土) 02:29:07 ID:oI0ZCKysi
駅とかで見かけた、可愛い子に目をつけ、ストーキングし自宅や一人暮らしのアパート特定するの楽しい(^^)
34名無しさん
2024/04/27(土) 08:59:45 ID:EI/SXeYwi
まじめでおとなしそうな私立女子校のかわいい子を狙って色々やってた
。声かけ、痴◯、尾◯、自宅特◯、ぶっ◯けなど、自分が性の対象のターゲットされてると気がついた時のあの表情とかたまらなく興奮するね。
本当、まじめそうな子が多い学校を調べて獲物探して楽しんでたなぁ〜笑
湘◯白百合、鎌◯女子大付属、鎌◯女学院、聖◯女学院、北◯倉女子、清◯女子、カ◯タス女子、田園◯布女子、東◯女子学院などなど
37名無しさん
2024/04/28(日) 01:10:29 デリヘルドライバーしてた頃の話
勤めてた女の子の財布から、学生証をつい盗み見してしまったことがあった。
某教育大学の学生で、化粧っ気も薄い清楚な感じで、絶対風俗に居るなんて思えないような子。
よくオナぺ掲示板とかだと同じ大学に通ってる学生同士でマッチングして学部女子について語り合うみたいなスレがあったんだけど『〇〇教育大学、〇〇実里知ってる人連絡ください』みたいな感じで書き込み。
凸された帰り道、最初は我慢してようだが後部座席で途中からガチ泣きされた。
凸男からは滅茶苦茶感謝された。話を広めない、今後凸しないという約束で本番中出しまでしたらしい。
48名無しさん
2024/04/28(日) 19:27:06 ID:zZP4oKlE0
よく生徒のお尻を触っていますw
49名無しさん
2024/04/28(日) 19:35:30 ID:aAWbKsxs0
最高
50名無しさん
2024/04/28(日) 19:37:58 ID:zZP4oKlE0
三点倒立してる時のプリっと突き出たケツを隠し撮りしたり、、、
帰って家でシコシコしてまするw
59名無しさん
2024/04/28(日) 21:28:23 >>55
デリヘル身バレ凸されたのが春休みで、新学期明けたら呼び出しレイプする気満々でしたからね^^;
それを思うと休学は正解だったかと。
撮影はすごい勢いで拒否されてどうしても不可能だったと言ってました!
それだけは非常に残念…。時間いっぱいまでで2回中出しをして、2回目は四つん這いバックで尻を叩きながら犯したと言っていました。
復学・卒業は、その男子から返信が来なくなり確認出来ていません。
ちなみにその子が勤務していたのは合計でも3~4ヶ月足らずです。
元々塾講師と家庭教師を掛け持ちでやっていたそうなんですが、コロナの緊急事態宣言で同時に仕事が無くなって初めて風俗を考えたと言っていました。
教師の卵が、理不尽な理由でチンポをしゃぶって稼ぐことを覚えたという状況だけでもヤバいですよね。
しかも、それが身近な男子複数に知られたと考えたら頭おかしくなりそうなくらい興奮します…。
63名無しさん
2024/04/29(月) 13:50:26 ID:2N7DFdKM0
デリ嬢の免許証、学生証を盗み見するのは何度かやりました(笑)
今思えばなんとかしてハメ撮り撮って欲しかったんですが、凸男子が実家住みだったのでホテルしか使えなかったんですよね~。
FC2動画とかで販売して、本格的に人生終わらせてほしかったです^^;
知人凸の報告&やり取りまでしたのは、その一回だけです。
コロナ下で密回避とか言ってたのに、面接を受けに来る子はぐっと増えましたね!
住所氏名を見れた子は家まで行ったり、休日に探偵まがいなこともしました・・・
短期だと現役大学生が多くて、介護士、美容師、看護師、携帯ショップ店員あたりが風俗業界に流れてきているようです。
66名無しさん
2024/04/29(月) 18:15:44 ID:2N7DFdKM0
SNS、というかその子が所属していたサークルのHPから拝借した画像と、店のHPの写真を並べて、
『〇〇教育大学・〇〇実里 / エロエロ星人〇〇(1日4人のチンポくわえてます♡)』
180名無しさん
2024/05/05(日) 15:27:52 ID:DyMNQg/I0
過去に同僚のエロ画像を晒して女優デビューさせたらネット上で拡散されていた。
2024/05/09(木) 19:02:54 ID:s5LQrcB6i
会社の更衣室やシャワー室の映像を詰め込んだお宝USBを冴えないおっさん職員のロッカーに「自宅で1人で見ること」と書いたメモと一緒に放り込もうか迷ってる
2024/05/09(木) 22:21:14 ID:RccfJJI20
娘の麦茶の水筒に1ドピュ分のザーメン混ぜてよく撹拌し、後で飲む所を見て興奮する変態親父です。
ベタつく唇を少し気にしていましたが、喉が乾いていたのか全部ゴクゴク飲みました。
(妄想話です)
2024/05/09(木) 22:34:43 ID:26fTSvJo0
今はどうだかわからないけど夏休みのナガシ◯スパーランドはいつも満員で痴漢し放題だった
特に流れるプールはそこそこの早さで流れるから例え痴漢と気がついても誰が触ったかまったくわからなかったと思う
当時高校生だったがロリコンだったから標的小2〜小5ぐらいで最初は軽くケツ撫でる程度だったけど全然感づかれないから段々と大胆になってきて最終的にはマンマン撫でたりケツの穴に指つっこむ勢いで触ってた
マンマンとかそれまで触った事なかったから柔らかさに感動してた
今でも思い出して勃起する
219名無しさん
2024/05/10(金) 00:46:59 ID:TZnAf6vI0
その後家が近かったからかなりのペースで痴漢しに通ってたけど成功体験積みすぎて頭完全におかしくなってた
夏が終わると今度は混雑してるゲームセンターで痴漢し始めたけどこっちも撫でる程度ではバレなくて調子乗ってケツ揉みまくってたら「お母さん!」って叫ばれたから死にものぐるいで全力で逃走する羽目になった
痴漢で逮捕されたら当然退学かつ地元にいられないのに完全に性欲に支配されてた
そういうわけで痴漢からは撤退したけど今度は痴漢よりはリスク低い下着泥棒始めた
2024/05/14(火) 23:47:41 ID:xB315u1Ii
一方的に好意を寄せていた、仕事場の若い部下の飲み物によく、精子、唾液、小便などバレないように入れ飲ませていた。
その子が独身時代から結婚して新婚となってもやり続け飲ませている。
おそらく旦那のより、俺の精子の方が飲んでるはずだ。しかも小便なんて、旦那のでも飲んだことはないはず。
そんな部下より22歳くらい?の妹がバイトを探してるので雇ってくれないか?と相談を受け人手不足だったので採用した。
正直、妹の方が可愛いかったので、隙を見て、ほんとに数回だが妹の飲み物にも精子や唾液を入れた。
姉に続き妹にも精子を飲ませることが出来て最高に興奮。
特に2人の休憩が同じ時間で2人が俺の目の前で俺の精子や唾液、小便入りの飲み物を談笑しながら飲んでる姿を見た時は、気が狂いそうになるほど興奮した。まさに姉妹を犯した気分。
まさか姉妹で俺の性処理道具にされてたなんて夢にも思ってないだろうw
欲望を言えば、2人のマ◯コどっちが気持ちいいか犯りくらべをしてみたいところである。
もちろん、2人の子宮にたっぷり俺の精子を中出ししてやりたいですねw
2024/05/16(木) 21:44:59 ID:CZtEuA3wi
その後もその部下に異常なほど執着してしまい、色々飲ませまくり、ス◯ーキングして自宅特定したり、めちゃくちゃやって、心も体もぶっ壊しちゃいましたw
2024/05/16(木) 23:00:42 ID:gSNRyCaYi
最高に楽しい!w
254名無しさん
2024/05/17(金) 23:14:03 ID:jLgyfke.0
私も10歳年下の29歳の同僚の歯ブラシに、精液ぶっかけ、私のちんこシゴキ、私のケツ穴をしごくといったイタズラをしています。
この同僚は他にも逆さ撮りをしてネットに晒したりしてるのですが、私の仕事が忙しく、休日出勤したり休憩を取らないでいると「ちゃんと休んで下さい!!」と、私のことを気遣ってくれます。
同僚ちゃんは、気遣っている相手が、実は無類の変態で、まさかスカートの中を盗撮されてネットに晒されたりとか、精液や汚いケツ穴をしごいた歯ブラシを使わされているとは思っていないところが、背徳感を高め、シコリティポイントをバク上げしてくれてます。
乱文失礼しました!
255名無しさん
2024/05/18(土) 04:54:06 ID:Y2SHXZfgi
>>253 ひとつひとつ話すと長くなりますので簡単に書くとこんな感じですw
②飲物に唾液、小便、精子、う⚪︎こ水混入済
③②の異物を飲ませタゲの身体的変化(げり、嘔吐、発熱など)確認済
⑥特定した自宅へのイタズラ
こんな感じです。
271名無しさん
2024/05/19(日) 02:25:26 ID:IZeJyMHQ0
追跡すると単身者向けのアパートに帰宅し、乗っていた自転車を確認すると大学名が書かれたステッカーが貼られていたので近くの大学に通うJDだと判明。
さらに郵便物で名前を確認し、手始めに自転車にぶっかけました。
またある日は、外の廊下に面していた窓が開いていたので中を確認するとキッチンのようでした。
しばらく楽しんだのですが、学生ですから大学を卒業する時が来てしまい、今は引っ越しをされてしまいました。
ちなみに、ポストに入っていた内定ハガキのようなもので就職先は特定済み。
という妄想です。
2024/05/19(日) 22:11:31 ID:uXzZY6GEi
>>255です。自宅特定後の所業ありがとうございます!なかなか良いですね!
新婚で一軒家の新居に住みやがったので、汚してやりました。ボトルに溜めといた精子や小便をを玄関のドアやドアノブにぶっかけたり、ゴミの日に出されてたゴミを拝借し、タゲの使用済みのナプキンをゲットし、それをチンコに巻いてシコって出してやつをポストに入れたり。玄関ドアに貼っておいたり、玄関前にばら撒いたり。
⑦精神的追い詰め
新婚生活をぶっ壊してやりたかったので、玄関前に女物のピアスをワザと落としておいたり(タゲはピアスしないので)また今度よろしく!と書いた紙と一緒にコンドームをポストに入れたり、忘れ物と書いて、女物の下着をドアノブにかけておいたり。旦那にタゲの浮気を疑わせ、タゲに旦那の浮気を疑わせる。
俺は会社で心配するふりして相談にのり状況聞き出し、親身になりつつも、更に不安を煽るような事を言い、精神的に追い詰める。
細かく話すとまだまだありますが、ざっくりこんな感じですw
2024/05/19(日) 22:35:15 ID:uXzZY6GEi
>>282 バレるかどうかの不安はありましたよ。
素人レベルの考えですがもちろん指紋とかは残らないように細心の注意を払いましたし、相談された時に警察とかに言うと大ごとにされて、聞かれたくないことまで聞かれるから警察には言わない方が良いんじゃない?とか言ってどんどん環境を閉鎖的な方向に仕向け精神的にどんどん追い詰めてやりましたけどねw
ちなみに俺も調べられたら一発アウトなので笑
2024/05/19(日) 23:38:10 ID:uXzZY6GEi
>>284 あー、深みにハマっていく感じ分かります。どんどん Permalink | 記事への反応(1) | 20:48
ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」は家族旅行あるあるみたいな感じ。ちょっとした会話のささいなことで不機嫌になったり、いろいろと期待してしまったりする。そして、年を取ってから家族の思い出の場所を訪れたりすると、あのとき気づかなかったことがわかる。
基本的にヴァージニア・ウルフがすごい好きで、上みたいな家族の何気ない感情や小さな苛立ちがきれいに救い上げられていて、それらがシームレスに別の人の感情に繋がっていくのがカットの切り替わらない映画みたいでとにかくきれいで、「意識の流れ」とかそういう文学用語を抜きにして、ひたすら浸っていたい。大体、プルーストとかジョイスとかも同じ言葉でカテゴライズされるけれども、資質が全然違う。同じ理屈で「ダロウェイ夫人」も大好き。最高。神保町で買った「波」はちょっと難しかった。
ジーン・リース「サルガッソーの広い海」は「ジェイン・エア」の二次創作というか、正気を失ったモンスターとして出てくる、つまり人格を持って主人公と関わらない、ロチェスター夫人の背景の話(当時の精神病への偏見が見えるね)。ロチェスターってひどいやつだな、何でこんな奴がモテるんじゃいみたいな気持ちになる。
ところでこの作品の原典の「ジェイン・エア」って、叔母にいびられたり闇を抱えたイケメンが出てきたりと、なんとなく女子受けするフィクションというか、ある種の朝ドラのプロットや女子向けラノベに何となく似ている気がするのだが、それらをろくにきちんと見聞きしたわけじゃないのでエアプと偏見であるし、以前に別の作品をこういう女子受けという論点から語ったところ増田ではものすごく叩かれたので、うかつなことは言えない。ついでに叩かれたせいでその作品にまつわる十代の思い出まで汚してしまったような気がした。増田に常駐していると若干煽るような表現をしてしまうようになるので、いい加減に別のSNSへと移住する潮時かもしれない。
あとはそうだな、ロチェスターがイド、ジェイン・エアが自我、リヴァーズが超自我でラストにロチェスターがおとなしくなったイドなんじゃないかって、初めて読んだときに思ったのだが、これはフロイトの本を斜め読みした僕の偏った知識と解釈だと思う。独学って現在の潮流を知らないから偏るんだよ。
フランツ・カフカ「失踪者」をはじめ、彼の長編は大体未完成で、しかもとにかく主人公が訳も分からないままひどい目にあい続けるのだが、例えば女性と恋に落ちる場面があってもさらなる不幸への入り口に過ぎないのである。性欲を見せたら罰を受ける世界観だなって感じた。カフカは短編を読んで気に入ったら長編を読めばいいと思う。未完成だし。威圧的な父の陰/社会の不条理な規範から抜け出せない人におすすめ。いい作品、心を打つ芸術って苦しんだ人間から生まれる。その点共産圏ではすごいいい芸術が生まれているんだけれど、こういう背景を知っていると喜べない。
あとクリスタ・ヴォルフ「カッサンドラ」ね。古典のパロディは基本的に好き。知っていること前提でどうずらすかってのは、原作を知っている映画を観に行く楽しみに似ている。とはいえ、作品としてはそこまで面白いとは感じなかった。この小説は神殿で犯され、捕虜となって異国の地で殺される運命を知っているカッサンドラの視点で語られる、フェミニズム的再解釈で、ギリシア神話の通説とは異なり、ギリシア方のアキレウスの英雄性を否定し、彼を暴力的なけだものと終始さげすむ。一方、トロイア方のアスカニウスやアイネイアスが女性に理解を示す理想的コミュニティを築いているのが、なんというか、安直な善悪の対立みたいで面白くなかった(僕がトルストイをあまり高く評価しないのもそれが理由)。結局カッサンドラがどんな澄んだ心境に至っても、結局は異国で無残に殺される運命は覆らないしね。
ところで、フェミニズムについてはいろいろ話すと長くなるが、僕は女性への不当な扱いや尊厳を奪う暴力には激しい怒りを覚えるし、平等な教育や選挙権・被選挙権に感謝しているし、きちんと耳を傾けなきゃと思う一方で、フェミニストには一定数のとても失礼な人がいるのでどうしても印象が良くならない。リベラリズムを気に入っていてもリベラリストには疑いの目を向けているし、愛国心があっても愛国者を名乗る人は警戒してしまうのと理屈は同じだ(思想が好きで人間が嫌いってことか?)。
ただし、アンチ・フェミニストにも倍ぐらいヤバい人がおり、つまるところ自分の大嫌いな人や対立する価値観と向きあい続けて正気を保つのは難しいってことなのかもしれない。日常的に他人を見くだしたり嘲笑したりするのは、風刺は有効な文学上のレトリックであるとはいえ、その末路がどうなるかは目に見えている。なので、僕も嫌いな人たちの実例を挙げるのはやめにする。右にも左にもいっぱいいるけれどね。そうするとこのエントリの長さが倍になるし、本筋からも離れてしまう。
しかし、やっぱりジェンダーをめぐる歴史は面白いなとも思う。時折SF・ファンタジーで女性だけの政治的な力を持つ集団が出てくるんだけど(たとえば上橋菜穂子の守り人シリーズ「虚空の旅人」)、これは女人禁制のクラブを裏返しにしたものなのかなとか、イロクォイの社会がモデルなのかなとか考える。他にも、ミノア文明はチグリス・ユーフラテス起源の現代文明と違って、壁のない開放的で平和な「女性的」文明だったとか、面白い仮説があったりする(ただし戦国時代にだって城壁が無かった点には注意するべきだ)。否定されたものを含めて仮説を知るのは、先人が知恵を振り絞って、どう考えてきたかを一緒にたどれる思いがする。どのような誤りをしたかは、時代による制約と、文化による偏見を反映しており、それをどうやって乗り越えたか、筋道をたどるのは楽しいし、自分の考えの偏りにも気づく。
それに、右や左の極端な意見をいう人は、今の社会で辛い思いをしていたり、正しいとされている価値観から救われなかったりしたから暴走している面もあるので、彼ら・彼女らの不寛容を叩けば解決するもんでもない。
ミルチャ・エリアーデ「マイトレイ」は留学先の(それともホームステイ先だったっけ?)インドのお嬢さんに恋をする話なんだけれども、相手の文化を読み誤って結局結ばれずに終わる。「え、これはしていいのにこれはタブーなの? なんか地雷踏んじゃった!」「両親から仲を祝福されていると思ってたのに全然違うじゃん? どうなってんの?」みたいな。
それにしても、失恋して「何もかも破滅だ」って気分になって、遠くまで旅に出るってパターンは万国共通なのね。懐かしい。恋が実らなかった僕は大学の夏休み中何キロも不毛なほど東京都内を歩き回っていた。(ただし僕の場合つきあって振られたのではないので、「それは失恋とさえ言わない」と説教してきた同級生がいた。ひどい)。
アルべルト・モラヴィア「軽蔑」は前にも書いたけれど、妻の心離れを察した夫が、「どうすれば僕のことをまた愛してくれるの?」と情けないくらいに相手の顔色をうかがったり、腕力に頼ろうとしたり、嫌いな相手の前にみっともなく頭を下げたりと、一番やっちゃいけないことを繰り返して、とうとう上司に寝取られるお話。で、これは実際に妻と別れた夫が書いた小説なんだけれども、ラストで寝取った相手と妻がひどい結末を迎える。どんだけ妻を恨んでたんだよ。でも、こういう小説からしか得られない快楽というのは確かにある。僕も「愛してよ愛してよ」という飢えが丸見えだったと思うし、だからまったくモテなかった。チクショー。
ところで、(BSS「僕が先に好きだったのに」を含めた)寝取られについてだけれども、文学では読めるくせに寝取られ系のエロ本はまったく興奮しないし、嫌悪しか感じない。
文学を読んでいる時には、「どうせ自分は愛されないんだ、もうダメだ」という観念をもてあそんでも心はそこまで傷つかないというか、屈折した自己愛にじくじくと浸っていられるのだが、パンツを脱いでいるときに自分は男としてダメなんじゃないかって考えをいじくりまわすには僕は繊細過ぎたというか、裸になってそんなことを認めてしまっては、理想からかけ離れた自分に対する嫌悪と、現実社会の中で何とか自分が機能していくための自己愛の、微妙なバランスが崩れてしまう。知的な文学という鎧をしているときと、本能丸出しの全裸のときとでは、股間にパンチを受けたときのダメージが違うのだ(増田で本音を徒然書いて叩かれるとしんどいのもそれ)。
結局のところ、海外文学という幻想に逃げていて、同世代の人間が普通にセックスしていることが受け入れられなかったし、高校生がセックスしていると考えると嫉妬に狂いそうになっていた。倒れそうなほど空腹なのに目の前でご馳走を食べる人を、指をくわえてみているような痛みだった。十代の激しい性欲を受け止めてくれる誰かがいる空想は自分をさいなんだ。今にして思えば、セックスをしているからと言って、良好な関係であるとは言えないとわかる。なんであれだけ文学を読んできたのに、それがわからなかったんだろう? 手に入らなかったものがとても素晴らしいものに見えるからだろうか?
大学生の僕は文学サークルの後輩カップルが普通にセックスしていることを聞いても、上野動物園を一角獣がうろついていることを考えるほうがまだリアリティがあった。こういう人間が、幸せなカップルが出てくる真っ直ぐな十代向けのフィクションを読めると思うか?
三十代になってから、中高生の頃に現代文の先生が教材として使った石田衣良「4TEEN」やその続編で「6TEEN」を読んだのだが、主人公が美少女と知り合い、幸運なことに彼女が処女を卒業したがっていると聞いてそのままラブホに直行してベッドインし、童貞を卒業するシーンを見つけ、とにかく馬鹿馬鹿しい気持ちになり、なぜこんなものを読まなきゃならんのかと腹が立ってしょうがなかったのである。
ウワァァ━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━ン!! それ以外は男子の友情を描いた割といい作品だと思う。
こんなJ-POPの歌詞やポカリスエットのCMのような感傷マゾに浸っていた僕が(どれくらいの感傷マゾヒストだったかっていうと、カラオケではポルノグラフィティの失恋ソングばかり歌っていたし、深夜までネットをしてて、さすがに寝ようかという前に、EOEの「Komm, süsser Tod」、「雲のむこう、約束の場所」ED「きみのこえ」、坂本真綾「tune the rainbow」を聞いてすごく感傷的になって布団に入る習慣だった。新海アニメのなかでヒロインが名前を呼んでくれるシーンがあって、それで情緒をぐちゃぐちゃにされていたのである。絶対ラブプラスをやっちゃいけない人間だったと思う)、何でラノベを読まなかったのかというと、ライトノベルではどうせエロイベントがあっても本番はしないだろうと思い込んでいたからだ。そうやって背伸びをし続けた結果良くも悪くも今の自分がある。
とはいえ、今にして思えば、普通に現代の小説を読んでおけばよかった気がしないでもない。
続く。
氷の彫刻を初めて作った。
調理人やら職人やらが、彫刻刀だか包丁だかを使って、無色の長方形というか直方体から何物かを作り出すマジックのようなショーのような素晴らしさを見て、無職の自分でもやりたくなってしょーがなくなって試してみた。
今は何でもネット記事やネット動画になっているので、それを見ながら氷屋から経営し始めて、わりと簡単にぱぱっと美しく作ることができてよかった。ネットと元気があれば何でもできる、って本当なんだなぁ!
そして、年末の最近に至ってはけっこう作り慣れてきて、氷に触れるどころか氷を買ってこなくても、白鳥や薔薇やシェルピンスキーのギャスケットなど、自分の思う像がイメージしただけで氷像として生み出せるようになった。彫刻技術以上のものにまで卓越した自分にほれぼれしてる。
それと、そのいくつかは我ながら出来がよかったので、美術館で何年か野外展示してもらうことにした。交渉には三年くらいかかったので本当に嬉しい。なお、氷の彫刻の常設展示は、その美術館では初めてとのことらしい。子供たちで賑わう夏休みが今から待ち遠しい。
今年の出来事だ。上から呼び出され、一部の女性社員への態度が好ましくないとして、口頭で注意を受けた。
俺はそんなつもりはないし、しかし実際そうであることも自負している。
だからこれは愚痴だ。ここぐらいしか書けないから、ここに書いている。
俺は今30で、二つ年上の姉が居る。
自分で言うのもなんだが、俺は容姿に恵まれているといえるだろう。
小学生の時でさえ毎年バレンタインにはいくつもチョコレートを貰い、その際に数人から告白されることが何回もあった。
でも小学生のときには少なくとも自分はまだ子供で、異性と付き合うといったことがどういうことか分からなかった。正直それほど興味も沸かなかった。
友達と遊んでいた方が楽しかったし、女の子と付き合うといったことにまだワクワクすることがなかったんだ。
姉とは仲が良い方だったと思う。でも姉は俺とは全然似てなくて、小太りで眼鏡をかけており容姿としては正直優れているとは言えなかった。
性格も地味で、姉が家に友達を連れてきたような記憶はない。今でいうオタク気質で、引きこもり系だったのだと思う。
性格も見た目も似てないから友達にはよく「あれ、ほんとにお前の姉貴か?」なんて聞かれたりもした。
両親は共働きで家を空けることが多く、夏休みなんかは友達の家でよくご飯をごちそうになった。
でも、今でも忘れもしない。本当は忘れたいのに忘れられない。
昼過ぎ、その日は友達と遊ぶ約束をしてなくて暇にしていて俺はベッドに寝転んでゲームをしてた。
すると部屋のドアがトントンってノックされて、誰?って言ったら「私」って姉の声が聞こえた。
それから一方的にドアを開けると姉が部屋に入ってきて、俺は携帯ゲーム機から顔を上げて姉を見た。
少し様子が変だったんだ。なんだか妙に顔が紅潮しているというか、少し息が上がっているように見えた。
姉は何も言わずに俺に近づき、ベッドに乗ると俺を押し倒してきた。
最初え?え?ってなって、携帯ゲームを落としたことが気になったけど姉はまったく気にしない様子で俺の手を拘束しようと抑えつけて、顔を近づけてきて間近で俺の顔をじっと見つめてきた。
目は血走っているように見えたし、怖かった。姉ちゃん?って声をかけても姉は何も言わない。
それから次に俺のズボンを無理やり下ろし、俺のものを口にくわえた。
いきなりのことに訳が分からず、俺はただ恐かった。
姉は俺のものが勃たないことが不思議なのか不服そうな表情をすると口を離し、俺のものを手で擦り始めた。
俺は嫌だったし、痛かった。でも少しずつ勃ってくると要領を得たように姉は手を緩め、揉むように俺の陰茎を擦って勃たせていった。
勃起すると姉は笑い、おもむろにスカートを上げると下は何も履いていなかった。
俺は終始抗おうとしたが姉は中1で、力では叶わなかった。
姉は笑みを浮かべながら自分の陰部を俺に当て、滑らすようにしながらゆっくりと俺のものを中に入れた。
騎乗位の形で姉はゆっくり腰を動かした。はぁはぁと姉は少しずつ息を荒くした。俺は泣きそうになって半ば泣きながら止めてと何度も懇願した。
実際どれぐらいだったかは分からない。しばらく腰を動かし続けると姉は満足したのか俺のものを自分から抜き、それから何も言わずに部屋を出ていった。
夜、夕食のとき、家族団らんで食卓を囲んで食事をするときの姉に変わった様子はなく、まるで昼間の出来ことなんてなかったようにしていた。
俺は何もかもが恐かった。当然両親にだって言えなかった。恐かったという思いはもちろんあるが、それ以上にこれを口にしたらいけないのだと本能的にそう思った。
もし口にしたら壊れる。家族が、今のこの家庭が崩壊してしまうって、幼心ながら本能的に理解していたのだと思う。
それから夏休みの間、両親が居ないときを狙って姉は度々俺の部屋を訪れ、例の行為を繰り返した。
その度に俺は反抗したが、小学生と中学生とでは、たとえ男であっても本気の女子には力では勝てなかった。
相手は可愛いと学校で噂になるほどの子で、俺は彼女を見た目だけで選んだ。
こういう言い方をすると最低に聞こえるかもしれないが、でも違うんだ。
怖かったんだ。当時の俺は、醜い女子がみんな怖かった。
容姿の良くない女子を見ると、姉の顔が頭に浮かび一種のトラウマになっていた。
だから俺は顔のいい子ばかりを相手にしていた。顔の良くない子とは出来るだけ接触を避け、会話をするのさえ避けていた。
傍から見れば最悪の奴に映っただろう。
そのあとも俺は顔のいい子とばかり付き合った。
童貞は中2で捨てた。当時付き合っていた子と勢いでやってしまい、今ではその子の顔も名前もよく思い出せない。
卒業までには何人もの女の子と付き合った。正直やるのが目的だったこともある。
本当に最低だったと思う。でも今ならはっきりといえる。俺は姉との例の思い出をなくそうと、必死で上書きしようとしていたのだ。
高校に入っても俺は変わらなかった。変われなかった。不細工な子には冷たく、目を見ず、会話もろくにしなかった。
可愛い子にだけ積極的に接し、甘い言葉を適当に吐けば、それで相手は簡単に靡いてくれた。
中学の頃から俺は錦戸亮に似ているとよく言われ、高校では俺のことを見るために他のクラスから女子が覗きに来ることもあった。
この頃は家で姉と顔を合わしても口を利かなかった。姉のことを意識したくもなかったし、あのことはなかったように振舞う姉のことが心底嫌いだった。
次第に家に帰らなくなり、友達の家に泊まることが増えた。
俺は自分の容姿の良さを活かして何人もの女の子と付き合った。部活はしていなかったので時間に余裕はあったし、勉強は高二で諦めていた。
結局、高校の内では姉のトラウマを払拭できず、それは今でも続いている。
大学でのことも書きたいが、昼休みの時間は限られているのでいったんここで切る。
とりあえず自分の憤りと、その理由はここに書けた気はしている。
殴り書きのようでまとまりがないのは許してほしい。
それでも書かずには居られなかったのだ。一方的に自分に非があるように言われたことには未だに腹が立っている。
上からすれば俺のことを気に入らないのもわかる。
冬休み年末年始突入目前スペシャルな気持ちでお送りしたいんだけど。
クリスマスフェアーからガラリと装いをかえて昨日までの山下達郎コーナーが嘘のような角松敏生フェアのコーナーやってるのよ!
稲垣潤一さんの「クリスマスキャロルの頃には」をだってまだ口ずさんでいなかったのに。
まあ私は私で
私はたぶんゲーム三昧かも知れないしゲーム三昧じゃないかも知れないし、
部屋のお片付けをいい加減行いたいのもあるし、
EPUBのこしらえる準備も進めていきたいまず全記事のアーカイブ化を図っているところで、
あとはそれをEPUBでソースをChatGPTちゃんに訊いてまとめてもらおうと思うの。
そのあとはひたすら節制して『NIKKE』に『ステラーブレイド』のイヴがやって来たときの課金準備もオーケーよ!ってそれも控えているので
力をため込んでいる感じね。
そういえば、
私はニンテンドーDSのドラゴンクエストVをクリアする!ってのは念頭に置いている心にずっとずっと奥底にあるのが気になって仕方ないんだけど、
世間はドラゴンクエストIIIの噂で評判じゃない!
うーん、
私が楽しんでもそれドラゴンクエストできるのかしら?って
夢を信じて生きてゆけばいいさとそれなんて徳永英明?って思うし
楽しめるかどうかが心配だわ。
そんなことを言っててまた現実逃避してお部屋の片付けはほったらかしにしないようにしなくちゃ。
相当に早く寝なければならない最低限でも21時には就寝したいという目標を掲げて
睡眠時間平均値のここ最近の6時間から大きく8時間は持っていきたいところね。
読んでいる新聞のデジタルスクラップもやってみたいと思っているし、
それなんて大石内蔵助さん?って思うのよ。
遠くにも行ってみたいと思わない?
幸いNIKKEならそんなにインターネット帯域必要ない通じていれば何となくどこでもプレイできるので
移動先でいや旅先で遊ぶNIKKEも楽しいかも知れないし。
スプラトゥーン3はちょっと落ち着きを払いまくりまくりすてぃーで
最低限の今1日1勝1ガチャのノルマは辛うじてこなしているけど、
でもこのゲームの楽しさを知った原点でもあるこのスプラトゥーンは外せない私の気持ちとしてプレイし続けるし、
たまに帰るスプラトゥーン2の世界でのバトルもスプラトゥーン3では遊べないステージで遊ぶ新鮮さは、
もはや大黒摩季さんの懐かしい匂いがするラララを越えているスミレの花時計なのよね。
な!懐かしい!って思っちゃうし、
ロブの屋台もあるし。
あれスプラトゥーン3でロブ支援なんかすぐアッという間に塗りポイントで即コンプできるほど一瞬で、
みんなもうロブのこと忘れてるんじゃない?って
たまに私はロブのギアを装備してロブ感を出しているところなのよ。
あと思い付くところ溜まっているゲームは
ゲーム開始すぐのセーブポイントが遠すぎてそこまで到達できなく困っている「ニーアオートマタ」
ニンテンドーSwitchで遊べるゲームボーイアドバンスの「メトロイド」2作に
あれ、
もういっそのことSwitchか何かでリメイクのドラゴンクエストVが出たときにやり直すのがもう早いかも知れないわ。
たぶんここで目標を掲げても、
この休み中に1ゲームしか頑張ってクリア出来ないかも知れないし、
私もあの言葉言いたいじゃない「もうええでしょ!」ってこのタイミングで見なくちゃ言えなくない?
今でしょ!って
なので『地面師』も見ておきたいところ。
こんなにたくさん掲げても多分1つしかできないのは分かっているけど立てたい計画は打ち立てたいのよ。
すっかりもうスプラトゥーン3のS+に頑張って到達してXマッチするのはとうの昔の夢のまた夢になってしまったわ。
今の私の実力じゃとても昇格戦挑めないもの。
でもそれも今思い出しちゃったから
頑張って昇格戦に挑んでみようかしら?ってまたよからぬことを考えてしまうわよね。
まあ書く分なら思いの丈を馳せるには十分じゃないかしら?
また何も解消せずのお休み明け、
なぜこうも人間は何かを成し遂げなければいけない衝動に駆られるのかしら?
うー、
でもせっかくだから何か1つはナシゴレン級に成し遂げたいところね。
まずは久しく行っていないインドカレー屋さんのビリヤニをテイクアウトするのは忘れないようにするわ!
もうここ最近ずっとずっと行けてなくて
ビリヤニれてないのよ!
こんな現実逃避してばかりじゃなくて、
ドラクエIII気になるわー。
結局それかい!って
またやりもせず買うだけ買って満足しそうなゲームにならないように、
まずはお部屋のお片付けを一所懸命しよう!って
そこからね!って思うわ。
なにか1つ冬休みは成し遂げたいわ。
うふふ。
でもしっかり食べて年末のお仕事もしっかりばっちりやっつけたいところよ!
この時期忙しくてお買い物にも行けてないぐらい
だけどいつも私を文字通り温かく包んでくれる
良い1日をスタートよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!