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はてなキーワード: 風刺とは

2025-01-20

兵庫県民兵県民ってウゼえんだよマジで

こちらとら大阪衆愚政治を見てるから維新斎藤なんざハナから入れてねえんだよ! 初回だって入れてねえし、パワハラ問題が出てきた2回目なんて斎藤以外なら誰でもいいからと主義主張を捨てて他に一番当選しそうなやつに入れたわ。それでもネット de 真実バカどもが斎藤当選させやがったんだからしょうがねえだろ。当選確実の報が出た瞬間から腸が煮えくり返ってしょうがねえわ。内部告発に対して正規手続きを踏まずに記者会見非難した斎藤はその時点でパワハラ野郎だし、はばタンpayのポスターに己の顔写真を入れるためにやり直しさせたのはキショすぎだわ。誰がお前の顔なんて見たいんだよ気持ち悪いんだよ自意識過剰オナニー野郎が。

斎藤と同じぐらいキショいのがこの問題に際して二言目には兵庫県民ガー兵庫県民ガーと鳴くゴミブクマカだよ。

最悪だ。兵庫県民はなぜこれを再選させてしまったの?そろそろ自分たちのしでかしたことの異常さに気づいた人も多いんじゃ。猛省してなにか行動おこすべきでは。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4765042045078564032/comment/ehrkokn

こういうやつマジで許せないわ。「兵庫県民はなぜこれを再選させてしまったの?」じゃねえんだよ、再選どころか当選だってさせたくなかったよ。こちらとらこんな輩をまた首長に戴くことになってめちゃくちゃしんどいんだよ。無関係のお前は気楽に兵庫県民を罵ってりゃン゙ッ゙ッ゙ギモ゙ヂイ゙イ゙イ゙イ゙ッ゙ッ゙ってなれるんだろうが当事者の俺等は自尊心は傷つくし県政は滞るしなにひとついいことなんてないんだよ。「猛省してなにか行動おこすべきでは」。いやマジでふざけんなよ。いやさあ、お前が兵庫県民だったら具体的に何やんの? 赤の他人にそんな要求をするぐらいなんだから、じぶんだったらこうするというのがあるんだろうな? いやないんだよ、コイツがやりたいのは兵庫県民を雑に叩いてもらったはてなスター数えてヨシヨシ増えてんなってなモンで、兵庫がどうなろうが斎藤がどうなろうがどうでもいいんだよ。コイツ以外にもさあ、なんでリコールしないのとか、勝手なことを言うゴミブクマカ何人もいたけどさ、お前兵庫県民ならリコールすんのかっつーと絶対やらないんだよ。やり方さえ知らないんだよ。みんな日々の生活があって必死に生きててそんな七面倒臭いことやりたくないし、当事者になって責任も負いたくないし、ネットゴミ誹謗中傷されて人生家族めちゃくちゃにされるリスクなんて誰も背負えないんだよ、でもじぶんが関係ない赤の他人にはそういうこと平気で言えるんだよ。

まりにもムカついたかコイツブクマ全部見たわ。

キラキラかわかんないし自分東京きじゃないけど住んでて思うのは選択肢がやはり地方に比べて途方もなく多いこと。何にも勝るメリットだと思う。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4764035694984043680/comment/ehrkokn

お前東京住みじゃん。

こんな事件にまで逆張りで性善を説く輩は沸くのか。当事者でなければいくらでも体のいいことは言える。本当に救われない。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4764448285357915456/comment/ehrkokn

当事者でなければいくらでも体のいいことは言える」とか言いながらさあ、なんで東京住みのお前が兵庫県民雑に叩いてるの?

もう法治国家とは言えないですね。キングダムとか読んで、法とは何か思い出してくれ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4763938945954291808/comment/ehrkokn

お前さあ、自民党裏金問題で「法治国家とは言えないですね」とか言ってるんだから自民裏金問題問題視してるんだろ? お前の言に従うなら公民としてこんな自民をのさばらせたことを猛省して行動を起こしてるんだろうな? 当事者でもないのに兵庫県民に「猛省してなにか行動おこすべきでは。」とまで言ったんだから、当然お前は何かやってるんだろうな、言えよ、言ってみろよ!

この文章はてなに上げることで彼の何が満たされるのか知りたい。えー1200万ってすごいねとか、それで貧困層だなんて風刺がきいてるねとか、そんな答えはここでは絶対返ってこないのは本人もわかってるはずだし。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4764635353307427584/comment/ehrkokn

兵庫県民を雑に叩くブクマをすることでお前の何が満たされたんだ。教えてくれ。はてなスターが256集まり、赤はてなスターももらえてそのちっぽけな自尊心が満たされたのか。俺はお前のその無遠慮なブコメに傷ついたよ。斎藤を追い落とせず、立花のような輩に県を好き放題かきまわされ、ブクマカからは雑に叩かれる。俺から見りゃお前は斎藤立花とおんなじだよ。そしてお前のブコメスターをつけてるブクマカ斎藤投票した県民とおんなじだ。ただブコメが転がってるだけならこんなやつもおるぐらいで終わるんだよ。でもはてなスターが集まることによって力を持つんだよ。立花が道端で吠えてるだけならそれで終いなんだよ、その動画youtubeで見てXで拡散いいねするから力を持つんだよ。ブクマカ立花&その支持者は同根だ。

本当にくたばってくれ。セカンドレイパーども。

2025-01-18

こんなときからこそ好きだったフジテレビ番組の話しようぜ

正直いまのフジテレビ、というか15年前くらいかフジテレビは嫌いだし、もはやこうなった以上停波すればいいと思ってる。

けど物心ついた時にはポンキッキを見てて、小学生の頃にウゴウゴルーガを見て、その流れでそのままめざめしテレビ見てたような生粋フジテレビっ子としてはこんな状況になってるのは悲しくもあるんだ。

なので通夜の後の飲み会だと思ってさ、みんなの好きだったフジテレビ番組コメントブクマしてくれよ。

俺はやっぱり忘れられないのは「ラスタとんねるず'94」だな。

とんねるずのみなさんのおかげです」の充電期間にやってたわず半年番組だったがまあ伝説だった。

なんといっても「ジャイアント将棋」。正直当時は格闘技とか全然詳しくなかったのだが、異業種格闘家が戦うのは激アツだった。最終的にとんねるずの2人も格闘家も戦ってで、バラエティ系の競技だととんねるずが勝ったり、それこそ相撲かなんかで石橋貴明ガチ格闘家に勝ったのは胸アツだった。

それに「SPITTING IMAGE JAPAN」。人形劇で当時はなんか笑ってただけだったのだが、大人になってから改めて見たら政治風刺めっちゃ攻めてて驚いた。「サタデー・ナイト」のパロディで「小沢(一郎)についてきゃ間違いないっ!」とか歌ってるの最高だった。

他にも「ウッチャンナンチャンやるならやらねば!」の南ちゃんを探せやマモーミモーはいまも覚えてるし、志村けんのだいじょうぶだぁ人間ルーレットとかもホント爆笑だった。初代笑う犬安藤さんへの繋ぎとかも最高だった。

みんなもさ、好きだったフジテレビ番組コメントブクマしてくれよ。笑ってフジテレビ通夜を過ごそうぜ。

2025-01-03

[]anond:20250103213122

とあるトロールの末路

フェイクあり、わかる人はわざわざ広めないで

匿名掲示板に長年居座る(とされる)荒らしが居る。複数回線を所有して荒らしまくるだの、近所のWi-fi網羅して片っ端から書き込んで回るだの、20年来荒らし回ってるだの、様々な風説が飛び交っている。ただそいつ現実空間はさておき、無敵であった筈のネットにおいても今どんづまり最中に居る、ように見える。

荒らしとあるコンテンツ粘着していたが、次第にそのコンテンツ派生二次創作に執着し始めたようなそぶりを見せ始めた。荒らしが立てたと思われるスレッドの中に、その派生二次創作キャラ卑猥台詞を言わせるスレッドが混じり始めたからだ。この不快レパートリーも2年以上は続いている。匿名掲示板での活動スレッドを立てて、自分卑猥台詞を書き込んで、他のユーザーから罵倒されて、無視される。このサイクルに尽きる。

そのうちこの荒らしは、Twitter他人作成した派生二次創作イラストやら、他人の尤もらしい社会批判レスやら、更には他人食事写真プラモ画像まで上げるようになりはじめた。もちろん派生二次創作イラストには自分で考えたと思しき卑猥台詞を添えて。事情を知らないフォロワーには、彼はプラモ好きで一端の風刺を吐く社会人辺りにでも見えていたのだろう。

その派生二次創作を描いていたユーザープラモ画像を上げていたユーザーが、荒らしTwitterアカウントに気付き始め、著作権侵害の報告や卑猥ツイートに対するヘイト発言(卑猥発言には女性蔑視的なものも少なくなかった)としての報告を上げ始めた。すると、あっと言う間に彼のアカウントDMCAテイクダウンを喰らい、そして凍結された。彼の非現実はここに一旦の幕を閉じる事になる。

流石に公開アカウント他人作品投稿する愚を犯すのは避けるべきだと学習したのか、荒らしは非公開アカウントを作って同様の行為を繰り返している、らしい。らしい、と云うのも非公開アカウントに対してうまく偽装したアカウントで、フォロー成功した荒らしアンチらしきユーザーが彼の非公開アカウント内での画像盗用を掲示板でこっそり報告してくるからである。何年も何年も不快書き込みを見せられたらその程度の偽装と諜報行為はやってのけるのが暇なネットユーザーである。そうして彼は今でも時々DMCAテイクダウンを喰らっている事を荒らしの立てたスレッド暴露されている。

なお、彼が凍結後に新たに作成したと思しき出会い用(!)アカウントプロフィールには、自分障害者である事、とある掲示板では有名人(!?)である事が一時期堂々とプロフィール記載されていた。流石にこれらのプロフィール掲示板での正気を疑う声により現在は削除している。彼に必要なのはインターネットで暴れる事ではなく、社会福祉の手である事は明らかなのだが……。

https://megalodon.jp/2025-0103-2133-21/https://anond.hatelabo.jp:443/20250103213122

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑥

【前】anond:20250102211547

3-01「わたし英国王給仕した」ボフミル・フラバ阿部賢一訳★★★

才覚でナチス共産主義の嵐を生きぬいた給仕お話経験から相手本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国悲惨歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者からいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーネタにしたアメリカ風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワード検索しても新しい価値観についていけないで炎上ちゃう六十代教授の出てくるアベルカンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。

関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプヌーディスト楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設議論にとっては有害だが、人間原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治感情で動く。

話を戻せば、この作品映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品結構あるらしいのだが、全然見ていない。

3-02「黒檀」リシャルト・カプシチンスキ 工藤幸雄/阿部優子/武井摩利訳★★★

ポーランドアフリカって接点があると普段ほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。

しかし、出来事基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。

ところで、ヘミングウェイはよくアフリカ狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポールセロー「ダーク・スターサファリ」だった。著者はマラウイウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ

遅延する電車、かつての豊かな文化個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率飢餓地元民のやる気を削ぐ支援窃盗強盗犯人へのリンチ放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。

今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方市場では窃盗が起きると犯人リンチされると書いていた。

3-03「ロードジムジョゼフ・コンラッド 柴田元幸訳★★

沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。

試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちほとんどよみがえってこなかった。

3-04「苦海浄土石牟礼道子 ❗

この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリタイトルは「理系池澤夏樹世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。

こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代日本の子もの(それとも自分と同世代人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。

僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。

3-05「短篇コレクション Ⅰ」コルタサル他★★★★★

今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然からなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである

フリオコルタサル南部高速道路東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサル作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判は前提となる知識ほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァーささやかだけれど、役にたつことはわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近村上春樹は一つの権威なっちゃってとうとう早稲田名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹小説男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタル病気で苦しむ人の描写解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランス移住したアラブ系青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。

余談だが、自分恋人嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。

閑話休題しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せ結婚だ」という社会独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場サバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。

目取真俊面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件犯人関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。

3-06「短篇コレクション Ⅱ」A・グリーン/G・トマージ・ディ・ランペドゥーサ他★★★

前項は南北アメリカアジアアフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパ作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。

記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料ラジオで、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパート管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。

あとはミシェル・ウエルベックランサローテだけれど、ウエルベックはどの作品人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類所詮本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマン進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどいもっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。

カズオ・イシグロも収録されていたはずなのだ記憶にない。

ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?

以上。

あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。

完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑

池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線

おまけ

余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言説経節曾根崎心中女殺油地獄菅原伝授手習鑑/義経千本桜仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い

岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。

同時に収録されている狂言には視覚障害者おちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから近江絵みたいに風刺対象ともなっているんだろうか。

おしまい

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する④

【前】anond:20250102174010

2-04「アメリカの鳥 」メアリー・マッカーシー 中野恵津子訳★★★

アメリカ少年ヨーロッパ留学に行くんだけれど、ママと仲良しで、自分の行動原理カント定言命法から導き出そうとしていて(すごく不正確に表現ちゃうと「普遍的道徳に一致するように行動しろ」っていうあれ)、政治的に正しくいようとしていて、頭でっかちで、マッチョで荒っぽいことができないところにシンパシーを感じる。あんまりモテそうじゃないしね。モテ主人公の話を読んで一体何が面白いというのか。あっはっは。

しかし、読後感がいいのは、やっぱり誠実だからだ。たとえば、アパートの家主がホームレスを追い出すときに「連中は寒さを感じないんだ」と言いつつも、「こいつらはあたたかいところに寄ってくる」とも言い、そういう矛盾というか二重思考にさっと気づくところがいい。

ピーターが思うに、最悪なのは、人々がこの世の現状に合わせて詭弁を弄することだった。たとえここの管理人のように、不運な人間を追い出すしか方法がない、世の中とはそういうものだと考えるにしても、それくらいでやめておくということができない。彼らは語らないと気がすまないのだ。たとえば、マダム・プエルは酔っぱらっているクロシャール(引用者註:浮浪者)は寒さを感じないのだと言って自分を納得させていた。「あの人たちは何も感じないの。あなたや私とは違うんです」彼女は本気でそれは科学的に証明されている事実だと思っているらしい。しかし、彼らが寒さを感じないなら、どうしてここのエレベーター玄関ホールに潜り込んでくるのか。その二つの事実を結びつけようとは思いもしないようだった。

ところで、実はこういう真っ直ぐな少年少女現実に屈して理想を捨てたり変節したりするお話がすごく好みだったりする。真っ直ぐな青年が悪意に勝てずに差別主義者になってしまうとかも含めてね。あとは、エリート候補挫折したりトップの座を失ったり夢を諦めたりするのも好きだった。進学校に行ったのに退学してしまヘッセ車輪の下」とかル・グインゲド戦記 影との戦い」でゲドが影を呼び出してしまってしばらくは闊達に才能を伸ばせなくなる場面とか、アナキン・スカイウォーカーダースベーダーへと堕ちる「スターウォーズ」のエピソード1~3とか。

そういうわけで、新海アニメ感傷マゾアニメ秒速5センチメートル」の少年が、ラストでどういう経緯でああい疲れた大人になってしまったのかを空想するのが好きだった時期がある。「童貞卒業風俗だったのかな?」とか考えたりね(マジ最低!)。とはいえ「結局お前モテてんじゃん! あの子好意に気づいてんだろ!」とも思っていたので、こう考えてしまうのもすべて個人的怨念であろう。今となっては恥ずかしすぎる。

2-05「クーデタジョン・アップダイク 池澤夏樹訳★★

まずこの小説舞台がよくわからない。密林があると言いながらトゥアレグ隊商がやってくるので、アフリカの西なのか東なのかとんと見当がつかない。日記を読み返したところ、アフリカ独裁者視点を通じて、アメリカ人の平均的な姿や人種対立風刺しているらしいのだが、「別に詳しくないのにアフリカ人以外が架空アフリカを書くってどうなの」って疑問を当時の僕は日記に書いていた(たぶんアチェベを読んだ後だからそう思ったんだろう)。それに特に必然性もなく素っ裸で暮らす少女が出てくるし、あれはいったい何だったんだ。一応、独裁者出身民族伝統的な暮らしを、宮殿の中でしているという体裁ではあるが……。

独裁者ものではやっぱりアメリカ風刺した側面のあるガルシアマルケスの「族長の秋」のほうががオススメ。今度新潮文庫で出るしね。

アップダイクは「ケンタウロス」のほうがピンときた。「ノルウェイの森」で主人公ワタナベトオルが一時期ハマっていた小説だ。これも古典パロディというか、アメリカのしがない高校教師生活と、ギリシア神話の神々を二重写しにしたもので、例えば体育教師とその浮気相手アレスアフロディテ、厳格な校長ゼウスたまたますれ違う酔っ払いホームレスヘルメスと、卑小な現実とそれを再解釈する神話無駄な壮大さ、あるいは逆に神話を卑小化する面白さがあった(どうでもいいんだが、神々がギリシア名なのにアフロディテだけ英語名ヴィーナス翻訳する美術書を見ると、定訳なのかもしれないが、イタリア関連の文献でヴェネツィアベニス表記されたような、釈然としなさを感じる)。

さな街で暮らすが故の悲哀もよく表現されていた。

僕は知的作品というか、浮世絵と加歌舞伎である見立てみたいに、知っていること前提で楽しむものに心ひかれる。原作を知っている映画のほうが好きなのもそれが理由だろうな。この素材で俺をどう楽しませてくれる? みたいな。

その点「ユリシーズ」も楽しめた。ただし、以前に必読書コピペマジレスしてから大分経つが、結局まだ「フィネガンズ・ウェイク」を読んでいない。ああいうのは気合がいる。

2-06「庭、灰/見えない都市ダニロ・キシュ 山崎佳代子訳/イタロ・カルヴィーノ 米川良夫訳 ★★★/★★

ダニロ・キシュ「庭、灰」はあまり記憶に残らなかった作品、その二。読んだ記憶があるのだが、デジタル化した二〇一〇年以降の日記を読み返しても読んだ記録がない。ここまで書いてきてなんだが、実は読んでいないのかもしれない。今度図書館で中身をきちんと確かめてみるつもりだ。

イタロ・カルヴィーノ「見えない都市飛ばした。というのも、過去文庫で読んだからだ。こちらかは架空都市伝説を、マルコ・ポーロがクビライ・カンに語る体裁で、僕は幻想的なホラ話が好きなのである。ギョルゲ・ササルマン「方形の円 偽説・都市生成論」もいいぞ。最近文庫化されたし。

同じ著者ではこれ以外にも「冬の夜ひとりの旅人が」というメタフィクション幻想譚もいいし、人間物理的に切断されてそれぞれ善悪両極端な人格になる「まっぷつの子爵」、地上に降りず木を伝って暮らしている「木のぼり男爵」(今にして思えば荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険」に鉄塔で暮らすキャラいたな)、鎧の中が空っぽな「不在の騎士」と、児童文学っぽいのもいい。結構読んでいる。

全然関係ないけど、友人と雑談したときガルシアマルケス長編を半分くらい読んだと話したら、「全然読んでないじゃん」って煽られたので笑ってしまった。彼は全部読まないと読んだうちに数えないらしい。「じゃあ何人の作家を読んだんことになるんだ」と言い返して僕は笑った。一応長編を大体読んだのは夏目漱石ドストエフスキートルストイくらいか? 中島敦手帳メモ書きまで記載した全集を読んだ。何度も言うが一生のうち一人の作家しか読めなくなるなら中島敦を選ぶ。ちなみにブローティガンを勧めてくれたのは彼だ。

続く。

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する③

【前】anond:20250102172643

2-01「灯台へ/サルガッソーの広い海」ヴァージニア・ウルフ 鴻巣友季子訳/ジーン・リース 小沢瑞穂訳★★★★★/★★★

ヴァージニア・ウルフ灯台へ家族旅行あるあるみたいな感じ。ちょっとした会話のささいなことで不機嫌になったり、いろいろと期待してしまったりする。そして、年を取ってから家族の思い出の場所を訪れたりすると、あのとき気づかなかったことがわかる。

基本的ヴァージニア・ウルフがすごい好きで、上みたいな家族の何気ない感情や小さな苛立ちがきれいに救い上げられていて、それらがシームレスに別の人の感情に繋がっていくのがカットの切り替わらない映画みたいでとにかくきれいで、「意識の流れ」とかそういう文学用語を抜きにして、ひたすら浸っていたい。大体、プルーストとかジョイスとかも同じ言葉カテゴライズされるけれども、資質全然違う。同じ理屈で「ダロウェイ夫人」も大好き。最高。神保町で買った「波」はちょっとしかった。

ジーン・リースサルガッソーの広い海」は「ジェイン・エア」の二次創作というか、正気を失ったモンスターとして出てくる、つまり人格を持って主人公と関わらない、ロチェスター夫人の背景の話(当時の精神病への偏見が見えるね)。ロチェスターってひどいやつだな、何でこんな奴がモテるんじゃいみたいな気持ちになる。

ところでこの作品原典の「ジェイン・エア」って、叔母にいびられたり闇を抱えたイケメンが出てきたりと、なんとなく女子受けするフィクションというか、ある種の朝ドラプロット女子向けラノベ何となく似ている気がするのだが、それらをろくにきちんと見聞きしたわけじゃないのでエアプと偏見であるし、以前に別の作品をこういう女子受けという論点から語ったところ増田ではものすごく叩かれたので、うかつなことは言えない。ついでに叩かれたせいでその作品にまつわる十代の思い出まで汚してしまったような気がした。増田に常駐していると若干煽るような表現をしてしまうようになるので、いい加減に別のSNSへと移住する潮時かもしれない。

あとはそうだな、ロチェスターがイド、ジェイン・エア自我、リヴァーズが超自我ラストロチェスターがおとなしくなったイドなんじゃないかって、初めて読んだときに思ったのだが、これはフロイトの本を斜め読みした僕の偏った知識解釈だと思う。独学って現在の潮流を知らないから偏るんだよ。

2-02「失踪者/カッサンドラフランツ・カフカ 池内紀訳/クリスタヴォルフ 中込啓子訳★★★/★★★

フランツ・カフカ失踪者をはじめ、彼の長編は大体未完成で、しかもとにかく主人公が訳も分からないままひどい目にあい続けるのだが、例えば女性と恋に落ちる場面があってもさらなる不幸への入り口に過ぎないのである。性欲を見せたら罰を受ける世界観だなって感じた。カフカ短編を読んで気に入ったら長編を読めばいいと思う。未完成だし。威圧的な父の陰/社会不条理規範から抜け出せない人におすすめ。いい作品、心を打つ芸術って苦しんだ人間から生まれる。その点共産圏ではすごいいい芸術が生まれているんだけれど、こういう背景を知っていると喜べない。

あとクリスタヴォルフカッサンドラね。古典パロディ基本的に好き。知っていること前提でどうずらすかってのは、原作を知っている映画を観に行く楽しみに似ている。とはいえ作品としてはそこまで面白いとは感じなかった。この小説神殿で犯され、捕虜となって異国の地で殺される運命を知っているカッサンドラ視点で語られる、フェミニズム的再解釈で、ギリシア神話の通説とは異なり、ギリシア方のアキレウス英雄性を否定し、彼を暴力的なけだものと終始さげすむ。一方、トロイア方のアスカニウスやアイネイアス女性理解を示す理想的コミュニティを築いているのが、なんというか、安直善悪対立みたいで面白くなかった(僕がトルストイをあまり高く評価しないのもそれが理由)。結局カッサンドラがどんな澄んだ心境に至っても、結局は異国で無残に殺される運命は覆らないしね。

ところで、フェミニズムについてはいろいろ話すと長くなるが、僕は女性への不当な扱いや尊厳を奪う暴力には激しい怒りを覚えるし、平等教育選挙権被選挙権感謝しているし、きちんと耳を傾けなきゃと思う一方で、フェミニストには一定数のとても失礼な人がいるのでどうしても印象が良くならない。リベラリズムを気に入っていてもリベラリストには疑いの目を向けているし、愛国心があっても愛国者を名乗る人は警戒してしまうのと理屈は同じだ(思想が好きで人間が嫌いってことか?)。

ただし、アンチフェミニストにも倍ぐらいヤバい人がおり、つまるところ自分の大嫌いな人や対立する価値観と向きあい続けて正気を保つのは難しいってことなのかもしれない。日常的に他人を見くだしたり嘲笑したりするのは、風刺有効文学上のレトリックであるとはいえ、その末路がどうなるかは目に見えている。なので、僕も嫌いな人たちの実例を挙げるのはやめにする。右にも左にもいっぱいいるけれどね。そうするとこのエントリの長さが倍になるし、本筋からも離れてしまう。

しかし、やっぱりジェンダーをめぐる歴史面白いなとも思う。時折SFファンタジー女性だけの政治的な力を持つ集団が出てくるんだけど(たとえば上橋菜穂子守り人シリーズ「虚空の旅人」)、これは女人禁制クラブを裏返しにしたものなのかなとか、イロクォイの社会モデルなのかなとか考える。他にも、ミノ文明はチグリス・ユーフラテ起源現代文明と違って、壁のない開放的平和な「女性的」文明だったとか、面白い仮説があったりする(ただし戦国時代だって城壁が無かった点には注意するべきだ)。否定されたものを含めて仮説を知るのは、先人が知恵を振り絞って、どう考えてきたかを一緒にたどれる思いがする。どのような誤りをしたかは、時代による制約と、文化による偏見を反映しており、それをどうやって乗り越えたか筋道をたどるのは楽しいし、自分の考えの偏りにも気づく。

それに、右や左の極端な意見をいう人は、今の社会で辛い思いをしていたり、正しいとされている価値観から救われなかったりしたか暴走している面もあるので、彼ら・彼女らの不寛容を叩けば解決するもんでもない。

2-03「マイトレイ/軽蔑ミルチャ・エリアーデ 住谷春也訳/アルべルト・モラヴィア 大久保昭男訳★★★★/★★★★

エリアーデ幻想文学全集も読まなきゃと思って読めていない。

ミルチャ・エリアーデ「マイトレイ留学先の(それともホームステイ先だったっけ?)インドお嬢さんに恋をする話なんだけれども、相手文化を読み誤って結局結ばれずに終わる。「え、これはしていいのにこれはタブーなの? なんか地雷踏んじゃった!」「両親から仲を祝福されていると思ってたのに全然違うじゃん? どうなってんの?」みたいな。

それにしても、失恋して「何もかも破滅だ」って気分になって、遠くまで旅に出るってパターンは万国共通なのね。懐かしい。恋が実らなかった僕は大学夏休み中何キロ不毛なほど東京都内を歩き回っていた。(ただし僕の場合つきあって振られたのではないので、「それは失恋とさえ言わない」と説教してきた同級生がいた。ひどい)。

アルべルト・モラヴィア軽蔑は前にも書いたけれど、妻の心離れを察した夫が、「どうすれば僕のことをまた愛してくれるの?」と情けないくらいに相手の顔色をうかがったり、腕力に頼ろうとしたり、嫌いな相手の前にみっともなく頭を下げたりと、一番やっちゃいけないことを繰り返して、とうとう上司寝取られお話。で、これは実際に妻と別れた夫が書いた小説なんだけれども、ラストで寝取った相手と妻がひどい結末を迎える。どんだけ妻を恨んでたんだよ。でも、こういう小説からしか得られない快楽というのは確かにある。僕も「愛してよ愛してよ」という飢えが丸見えだったと思うし、だからまったくモテなかった。チクショー。

ところで、(BSS「僕が先に好きだったのに」を含めた)寝取られについてだけれども、文学では読めるくせに寝取られ系のエロ本はまったく興奮しないし、嫌悪しか感じない。

文学を読んでいる時には、「どうせ自分は愛されないんだ、もうダメだ」という観念をもてあそんでも心はそこまで傷つかないというか、屈折した自己愛にじくじくと浸っていられるのだが、パンツを脱いでいるとき自分は男としてダメなんじゃないかって考えをいじくりまわすには僕は繊細過ぎたというか、裸になってそんなことを認めてしまっては、理想からかけ離れた自分に対する嫌悪と、現実社会の中で何とか自分機能していくための自己愛の、微妙バランスが崩れてしまう。知的文学という鎧をしているときと、本能丸出しの全裸ときとでは、股間パンチを受けたときダメージが違うのだ(増田本音を徒然書いて叩かれるとしんどいのもそれ)。

結局のところ、海外文学という幻想に逃げていて、同世代人間普通にセックスしていることが受け入れられなかったし、高校生セックスしていると考えると嫉妬に狂いそうになっていた。倒れそうなほど空腹なのに目の前でご馳走を食べる人を、指をくわえてみているような痛みだった。十代の激しい性欲を受け止めてくれる誰かがいる空想自分をさいなんだ。今にして思えば、セックスをしているからと言って、良好な関係であるとは言えないとわかる。なんであれだけ文学を読んできたのに、それがわからなかったんだろう? 手に入らなかったものがとても素晴らしいものに見えるからだろうか? 

大学生の僕は文学サークルの後輩カップル普通にセックスしていることを聞いても、上野動物園一角獣がうろついていることを考えるほうがまだリアリティがあった。こういう人間が、幸せカップルが出てくる真っ直ぐな十代向けのフィクションを読めると思うか?

三十代になってから中高生の頃に現代文先生が教材として使った石田衣良4TEEN」やその続編で「6TEEN」を読んだのだが、主人公美少女と知り合い、幸運なことに彼女処女卒業したがっていると聞いてそのままラブホ直行してベッドインし、童貞卒業するシーンを見つけ、とにかく馬鹿馬鹿しい気持ちになり、なぜこんなものを読まなきゃならんのかと腹が立ってしょうがなかったのである

ウワァァ━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━ン!! それ以外は男子友情を描いた割といい作品だと思う。

こんなJ-POP歌詞ポカリスエットCMのような感傷マゾに浸っていた僕が(どれくらいの感傷マゾヒストだったかっていうと、カラオケではポルノグラフィティ失恋ソングばかり歌っていたし、深夜までネットをしてて、さすがに寝ようかという前に、EOEの「Komm, süsser Tod」、「雲のむこう、約束の場所ED「きみのこえ」、坂本真綾tune the rainbow」を聞いてすごく感傷的になって布団に入る習慣だった。新海アニメのなかでヒロイン名前を呼んでくれるシーンがあって、それで情緒をぐちゃぐちゃにされていたのである絶対ラブプラスをやっちゃいけない人間だったと思う)、何でラノベを読まなかったのかというと、ライトノベルではどうせエロイベントがあっても本番はしないだろうと思い込んでいたからだ。そうやって背伸びをし続けた結果良くも悪くも今の自分がある。

とはいえ、今にして思えば、普通に現代小説を読んでおけばよかった気がしないでもない。

続く。

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する①

1-01「オン・ザ・ロードジャック・ケルアック 青山南訳★★

確かこれが初めて読んだビートニック文学の一つだった。車でアメリカ大陸の各地を巡っては行き当たりばったりの旅をする話で終わりも尻切れトンボ、「なんだこりゃ」とひっくり返りながら読んだ。だが、こいつら一生そのまま放浪するんだろうなという感じがあっていい。ちなみに、これ以降も細部には触れないとはいえネタバレガンガンかましてくので嫌な人は読まないでほしい。あと、この文章は半ばが自分語りというか、酔っ払いが管を巻いているようなものだと思っていただきたい。そもそもこの感想だってほとんどが曖昧記憶と印象を頼りに書いているのであり、いたっていい加減なものだ。そもそも、僕は正規文学教育を受けていない、一介の理系アラフォーおっさん文学少年崩れに過ぎないのである

ところで、これを薦めてくれた友人は「ブローティガンを読むといい」と教えてくれた。文学サークル村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の幻想パートをもとにした小説を書いていた僕に、その元ネタの一つだと言って手渡してくれたのが「西瓜糖の日々」だった。妙な世界なんだけれども向こうは完全に常識だと思っている語りがすごく好きだし、こちらの世界存在する物事がいくつか欠落しているのもなんだかいい。

なお、厳密には池澤夏樹文学全集ではなく文庫版で読んだのだけれど、訳者が同じだったのでここに記載する。そもそも全部順番に読んだわけじゃないしね。

1-02「楽園への道」マリオバルガス=リョサ 田村さと子訳★★★

年端もいかない少女同棲したり酒を飲んでだらしない生活をしたりするゴーギャンとその祖母過激派フェミニストの二人を主役に据えたお話。この二人が現実に同じ一族から出ているのがまず面白いのだが、自分が生きたいように生きたというかそういう風にしか生きられなかった点ではよく似ている。型どおりに生きられないのよね。

このゴーギャン祖母フローラトリスタンは、作中ではどこにでも出かけては結婚制度有害さで一席をぶったり、関係ないときにも社会改革の話をしたり、貴族の子弟が幼い少女の性を慰み者にしたと突然告発したりと、かなりアグレッシブな人のようにも書かれているのだが、当時の人権状況はそれ以上にヤバかったってのは頭の中に入れて置かないといけないし、彼女キャラは作中の誇張もあるだろう。余談だけど作中で言及されるフーリエ空想的社会主義って輪廻転生や数万年後の未来史を含んでいて結構オカルトっぽいのね。

1-03「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ 西永良成訳★★★★★

タイトルがまずかっこいい。

プラハの春ソ連侵攻前後チェコ舞台にした四角関係小説なんだけれど、いろんな人の現実に向き合う態度が批評されている。その中で全体主義に埋もれてしま人間の弱点を指摘しているのだけれども、真摯というよりもどこか軽やかというかシニカルだ。ドイツことわざにいわく、「一回やっただけではやったことにならない」。しかし、人生は一度きり。さて、それでは本当に生きることってできるのか? 屁理屈のようだが、深刻な問いだ。

時系列が入り組んでいるし、作者がちょくちょく顔を出してスターリン収容所で死んだ息子とか関係なさそうな話をするもんだからちょっとややこしいんだけれど、浮気者外科医政治の嵐で一介の窓ふき職人として暮らしているっていう設定の恋愛劇、面白そうでしょ?

ちょくちょく出てくる作者の言葉、これは政治批判というよりも、人間の弱さや神の不在に対する諦念に近い。でも、例えば美しい理念に酔って自己満足に浸る「キッチュ」な態度をはじめとして、クンデラ作品でうまく言語化されていることは多い。個人的純文学は基礎研究だと思っていて、みんな知っているけれども名づけていない(しばしば望ましくない)感情名前を与えることがその役割の一つだ(余談だが、僕は政治的にはかなり左寄りなんだが、リベラルの人が正しさ競争というか、自分がどれだけアンテナ意識が高いかを鼻にかけてしまう瞬間に気づくことがあり、そんなときにたいそう居心地が悪いし、無数の人が実際に正しいかどうか自分の中で検討せずに「価値観アップデート」していくのがプロパガンダみたいですごく怖い。まず自分価値観内面をどうするかは完全に個人問題なのに、価値観思想にまで触れてこようとするのが見知らぬ他人ベタベタした手がどこからともなく伸びてくるみたいだし、何も考えずにアップデートした人たちはバックラッシュが起きたときに結局それに流されて、下手すりゃ前よりも悪化してしまうだろう。たぶんリベラリズムが好きでもリベラリストはそうでもないんだ。閑話休題)。

作者の顔が割と見えるというか、虚構虚構であると割り切っているところがあるのがクンデラメタフィクション風の長編なのだけれど、芥川龍之介の「煙草悪魔」を読んで以来、こういう語り口がすごく好きなのだ。そういうわけで、某創作講座でメタフィクションを書いたら「言い訳しながら小説を書くな」「このままでは一生成功はおぼつかない」とボロクソに貶されたことがある。悲しい。

あとは、登場人物普通にモテるので、そういうのが気に食わない人にはあまりおめしない(というか、クンデラ小説キャラってときおり人生における性的快楽の総量を最大化しようと行動している節がある)。僕がテレビドラマを見ないのもそれが理由だ。自分よりも顔のいい男がモテているのを、労働ですり減って帰って来たあとに見る気にはなれないし、ではモテていなければどうなるかと言えば、自分不器用な振る舞いを指差して笑っていると感じるのである笑。

それはさておいてクンデラ面白かったので何冊か買ったし、再読もした。

1-04「太平洋防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちはマルグリット・デュラス 田中倫郎・清水徹訳/フランソワーズ・サガン 朝吹登水子訳★★/★★/★★

これは読むタイミングがあまりよくなかったなと感じている。というのも、この本を読んでから数年後に、経済的には困っていないか経済的には困っているのだけれども事態解決しようとしない自堕落貴族金持ちの話を読むのが猛烈に好きになった時期があるのだ。たぶん金に困らない奴がうだうだする話が好きになったのはプルースト失われた時を求めて」以来だ。「人間は暇になると恋愛遊戯に走るか、虚飾にまみれた儀礼を作るか、格付けや番付を作り始める」という趣旨磯田道史「殿さまの通信簿」か何かの記述を思い出す。あらすじを調べると、上の感想とはかなり懸け離れてるのだが、読んだ内容と心に残していくものは若干ずれているものだ。

1-05「巨匠とマルガリータミハイル・ブルガーコフ 水野忠夫訳★★★

この話は基本的には悪魔が魔術・幻術で社会をひっかきまわすドタバタなのだが、冒頭の首ちょんぱがお好きならハマる。背景のイエス・キリスト実在とか彼の処刑にかかわったピラトの救済とか(を描いた劇中劇)はわからなくてもいい。勢いがすごい。ブルガーコフはこういうドタバタが多い。強烈なのは犬の心臓」で、これは犬を手術で人間にしたらガラの悪い野郎になって人間権利侵害するようになるんだが、これはどう見ても革命に乗じてやりたい放題やっているならず者風刺である。「運命の卵」は確か放射線かなんかを当てた卵からかえった動物が巨大化して街を襲う怪獣大行進である

自分悪魔の話が好きだ。ゲーテファウスト」のように際限なく願いを叶えるのも好きだし、アシモフ小悪魔アザゼル18の物語」のように、悪魔契約を忠実に守るが穴があり、うまくいか皮肉な結果になったりするのも好きだ。こういうアイロニーというか、破滅運命を避けようとして逆にドツボにハマるのは、ギリシア神話シェイクスピアマクベス」なんかでも見られ、好物だ。

昨今の情勢からロシア文学が好きだとは言いづらいのだが、自分はまちがいなくロシア文学に命を救われている。ドストエフスキーの、激重感情で身が今にもはち切れそうな人々や、自分狂気を強烈な理性で押さえつけてはいものの今にもバランスを崩してしまいそうな人々の存在が、自分のことを受け入れることのできなかった二十代の自分を救ってくれていた。世界平和が訪れたら、サンクトペテルブルク流れる白夜のネヴァ川沿いを歩いてみたい。……とここまで書いて気づいたのだが、ブルガーコフキー出身ゴーゴリと同じくウクライナ文学に分類されるじゃないか! 知識が古いままだとうかつなことが言えない。

1-06「暗夜/戦争の悲しみ」残雪 近藤直子訳/バオ・ニン 井川一久訳★★★/★★

残雪「暗夜」カフカが好きな僕は楽しんだ。基本的に何かが欠落したよくわからない世界で、よくわからない理由翻弄される人間の話が好きだ。これは偏見だが、共産圏映画を含めてこういう不条理作品がひたすらうまい現実が同じくらい不条理からかもしれない。それが理由で、共産主義時代東欧文学映画にハマった時期がある。当時は自分の周りのあらゆることが不条理に感じられていたのだ。とはいえカフカのところでも述べるが、これだけ人が苦しんだということは胸が痛い。当時の僕は自分の悩みと痛みのことしか考えられず、不条理ものを求めて東欧に接近していたのである

バオ・ニン「戦争の悲しみ」はよくわからなかった。これを読んだのが二十歳を迎えるかどうかの頃で、戦争で傷ついた女性がなぜ相手かまわず性交渉を行うようになるかが作品から読み取れなかった。ただ、自分文学から女性の性について学ぼうとし始めた遠因かもしれない。なんで文学から学ぶんだよというツッコミはしないでほしい。他に学ぶルートが無かった。だから偏ったサンプルばかりで、ある程度バランスの取れた、ハッピーな性生活を送っている人はどうなのかが全然からない。だって極端な人じゃないとフィクションにするのって難しいからね。

続く。

2024-12-01

日本における韓国バイク「ヒョースン」の評価

2000年代初頭、日本国内排ガス規制厳格化された影響により多くの日本製250ccバイク生産中止に追い込まれた。

その状況を憂えたバイクショップ「レッドバロン」の偉い人はこう考える

「250ccは中型バイクの入門クラスとして非常に重要。このクラスが消えるのは業界全体にとって大きな痛手……そうや、お隣の国にちょうどいいバイクがあるやんけ!」

こうしてレッドバロン韓国メーカー・ヒョースンの「GT250R」および「GV250」を輸入し、販売を開始。

しか問題はすぐに明らとなる。

見た目は立派なフルカウルのGT250Rだが、性能は見掛け倒しで故障率が非常に高かった。

その結果「クソバイク」という評判が口コミで瞬く間に広ることに。

さらに追い打ちをかけるように、タイミング悪くカワサキが「ニンジャ250R」を発売。このモデルを皮切りに他の日本メーカーも250ccフルカウルバイク市場に参入し、ブームが到来。

これにより、わざわざ性能の劣るヒョースンを選ぶ必要がなくなってしまう。

しかし一部のバイク愛好家は、ヒョースンバイクに意外な価値見出し始める。

客:「このヒョースンのバイク、どうですか?」

店員:「お勧めします、お安くしますよ!」 → 信用できない店

店員:「正直、ゴミバイクっすね。試乗してみます?ww」 → 信用できる店

こうしてヒョースンのバイクは「店員の誠実さを測るリトマス試験紙」としての地位確立

最終的に、ある種の風刺的な評価に落ち着いたのでした。

2024-11-29

キラキラ女子とはなにか

キラキラ」という言葉は、もともと光り輝くものを表すポジティブ意味を持っていますが、文脈によっては微妙ニュアンスを帯び、特にキラキラ女子」や「キラキラ広報」といった表現では、以下のような複雑な含意が含まれることがあります


1. 憧れや羨望

表面的には「輝いている」「充実している」「華やか」といったポジティブな印象を表現しています

例えば、成功したキャリアやおしゃれなライフスタイルを持つ人々を指す際に使われる場合、羨望の念が込められることがあります


2. 表面的な評価への批判

一方で、華やかさや外見的な魅力を強調しすぎることで、「中身がない」「実態よりも見た目を重視している」という皮肉批判を含む場合があります

特にキラキラ広報」の場合PR活動において表面的な演出に注力し、実質的価値や成果が伴っていないという印象を与えることがあります


3. 過剰さや作り物感

まりにも「理想的」や「完璧」に見える様子が、不自然さや作られた感じを連想させ、「現実感がない」「過剰で鼻につく」という否定的感情を引き起こすこともあります


4. 嫉妬皮肉

華やかな存在に対する嫉妬コンプレックスから、「どうせ作り物のような輝きだろう」といった揶揄が含まれることもあります

特に世代や同じ社会的ステータスの中で「キラキラ」が語られる場合、このニュアンスが強まります


5. 時代文脈ジェンダーバイアス

キラキラ女子」という表現は、ジェンダーに基づく固定観念社会的役割への暗黙の価値観を含む場合があります。たとえば、女性らしさや華やかさを強調する一方で、それを過剰に期待・要求することへの風刺が込められることがあります


6. SNS文化との関連

特に現代SNS文化では、インスタ映えや外見重視のライフスタイルが「キラキラ」として評価される一方、そうした見せかけの幸福感を揶揄するニュアンスも生まれています


総合的なニュアンス

キラキラ」という言葉は、ポジティブネガティブの両面を持ちながら、文脈や使い手の意図によってその意味が大きく変わります特に現代では、表面的な華やかさやステレオタイプ批判する言葉として使われることが多く、そこに侮蔑ニュアンスが含まれることがあるといえます

2024-11-20

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

追記

皮肉が良くないと受け取られてしまったため、本記事趣旨追記します。

まとめると、「選挙民を馬鹿にし、自己批判は無く、現状を嘆き、陰謀論で締める」のは、インテリ層の振る舞いとして最悪なので即刻止めるべき、です。

シロクマ先生記事が、善意から皮肉と言う形で選挙民に気づきを促すという趣旨で書かれていたとしても、それは理路として齋藤知事パワハラと同じ構造を持つ、

"良い民意"を持つシロクマ先生が、"悪い民意"を持ってしまった相手を変えてあげようという意図をもって記事を書いたのであれば、その手法は、パワハラ正当化する構造と同じですよ、という指摘です。(そんな意図ではない、そういう文脈ではない、よく読めばわかるはずだという反論をされないために、具体的に個別例を挙げています

皮肉からは悪意を感じ取るのが通常の感性ですし、悪意を感じ取った相手嫌悪感を覚えることはあっても好意を持つことはありません。その結果、より立花氏に優位になる記事になっていますよ、という意味です。こういう記事表現の積み重ねが、立花氏の活動を補助しています

皮肉とは、「悪意ある民意との記載にそうだそうだと同調するキミら(私も含む)は、動画コメントした彼ら彼女らよりも選挙に至るプロセス理解していただろうか?」という、自己批判もしくは悪い感情を持っているぞと伝えたい相手(例えば齋藤兵庫県知事)にするべきです。

追記ここまで。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙 Permalink | 記事への反応(24) | 13:00

2024-11-15

anond:20241114141925

ゆびきさミルクティ

三角関係だった主人公が幼馴染少女の方を選び二人で旅行に行って初体験してラブラブハッピーからの衝撃の最終回

えっ?なんで?こいつ頭おかしいの??混乱が止まらないまま「おわり」の文字に迎えられ放心する

タカハシくん優柔不断

ラブコメ漫画風刺し毒づく作風は今読むと、その手の漫画への嫌悪憎悪がこもりすぎて痛々しいのだが

最悪の別れをした元恋人大人になってから再会し今の俺ならやり直せるかもと駆け寄るもとっくに他の男と結ばれていましたエンドを秒速5cmより先にやっていて、エモ系の範疇であるあっちよりも露悪的で最悪な気分にさせてくれた

なるたる

敵が地球のあちこち核兵器を打ち込んで人類ボロボロです

でも主人公はずっと抱えていた自己否定から解き放たれ、その元凶であった母とのわだかまりも解け、どこかよそよそしさのあった友人とも真の友達になり、密かに想いを寄せて続けていた好きな男の子告白することもできました

前話がこれで、これはギリハッピーエンドにいけるのではないか……そんな想像を全て打ち砕きみんなダメになる

とりかえ風花伝

商業連載が打ち切りになり、同人で続きを描いていたら評価されて単行本商業出版できたという異色の作品

織田信長祖父時代落ち目の国の姫君と、アルビノ故に親に捨てられ野山で育った野良侍が「君の名は。」する戦国ラブコメ

入れ替わりものの設定を生かした、ハッピーエンドかバッドエンドかわからないあの衝撃的なオチは入れ替わりもの好きにはもっと知られていい

日出処の天子

未来予知のできる主人公が、どうせ何をどう頑張っても俺の子供たちは途上で惨死して係累は途絶えると知りヤケクソになって地面を割り、

知的障害者幼女セックスして「そなたは私の子を産むかも知れぬな」とつぶやいて終わる

なんだよこれ

緋色椅子

夏目友人帳作者の前作にして、打ち切りで終わった作品で、そのトラウマから夏目はやたら連載が長引いているのだろう

辺境の村で共に育った少年少女少年が実は貴種漂流していた王の実子と判明し王都に招かれ即位

田舎の村にも若き王の善政は聞こえ、少女は誇りに思いながら王都へ行きパレードから新王を仰ぎ見るが、全くの別人が王をやっていて「誰だてめえ」と叫ぶところから始まる

かに急ぎ足ではあるが打ち切りとは言われなければわからないぐらいに上手くまとまっておりエモさの大爆発だった

2024-11-13

anond:20241113115008

大学なんてもともとリベラルな場だしね

なんなら知るかバカうどんを教材にする授業とかあってもおかしくないくら

まああの題材で筆者が女性(実体験側)だから過去インタビュー話題になったりした側面は強い

ただのオタク男性が同じ漫画を書いてても評価されなかっただろうね、まあクジラックスとかその筋で有名な人はいるけど

性的あるいは物理暴行を働いてくるクズ男・クズ女・それから知的障害者や汚い底辺オヤジをこれほどまで鮮烈に嫌な感じで描ける人間はいないと思うし

そういう人間に対する直球のヘイトを描く題材として非実在ロリを使った陵辱系エロ漫画を選んだのはまさに「芸術」らしい風刺とも言える

それと同時に自らの傷を抉りぬくクレイジー自傷行為の見せつけだとも感じる

どういう学問がこの作品のすごさを拾えるのかはちょっとわからんけど少なくとも価値はあるもんだよ

作家性に心酔したリベラル学生が「俺はバカうどん氏を知ってるんだぜ」と自慢するシナリオ普通にネット内外で多々発生しうると思うしな

この件の学生がどういう考えでこの書影を選んだのかは知らんが

2024-11-03

ひっっっっさしぶりにフォレストガンプ見たわ

アメリカ歴史を浅く辿りつつ米国眠る問題も軽く風刺しつつ

ジェニー性的虐待を受けていたのかどうかは分からないが

荒れた家庭に育ち毒親が原因で自己肯定感を育めず荒れた生活を送ったジェニー

境界知能という激烈なハンデを負わされながら真っ直ぐ生きて成功したガンプ

場所を求めて彷徨うもどこにも辿り着けずフォレストの元に還ってきたジェニー

求婚されフォレスト依存している自分自覚するジェニー

純粋に真っ直ぐに生きたガンプ、あてどなく彷徨い薄汚れた自分

劣等感を抱いた自分では純粋すぎる彼の真っ直ぐな愛情を受け止め続けられないと思い

甘えた自分と決別すべくガンプに告げることなく家を去ったジェニー

本当に達したい決意は人に告げないもんだよな、口に出してしまった時点で薄れるもの

そしてガンプとの子を孕み、どこに居てもいつも頭の片隅に居た男性との一度の行為で為された奇跡の子こそ神が与えてくれた道だと

真っ当な仕事をしながら子育てで最も大変な乳幼児期を誰に頼るでもなく一人で育てたことで自信をつけたジェニーフォレストを招き

今度はジェニーから求婚

家に靴を投げたのもグチャグチャな道筋を辿ることになった己の人生内省過程フォレスト家と自分のそれを比べ

毒親の異常性を再確認たからだろうなあ

クソ女としか思えなかったジェニーに同情しながら見れて

俺も少しは大人になったのかな~と思ったり

ユーモアに包まれた良い映画でしたわ

そういやフォレストガンプ2の小説も読んだのに内容すっかり忘れてるわ

カキ養殖会社を興してフォレストジュニアの指図でめちゃめちゃ成功するのは覚えてるんだけど子細が思い出せないや

ってもう3時半じゃん寝ないと

2024-10-30

anond:20241030163735

いやそういう風刺を作ること自体は実際していいんだよ

ただし「それに文句を言われない権利」なんてものはない

「お前がそう言うなら俺もしていいんだよな?」と宣いながら

蛮行に走るような連中

アレってどうにかなんないの?

例えば、○○という表現気持ち悪いと苦言を呈したら、表現の自由が大好きな人たちがボロクソに叩いてきたので

じゃあ表現の自由ということで俺は今からこんなアートを書くよ、文句言わないでね?とキレながら「自分を叩いてきた人間醜悪カリカチュアした風刺」を作るとか、そういうやつね

自分がされたんだから目には目歯には歯と言わんばかりに報復、それもより悪質かつ開き直りじみた報復をするようなの

あいうのどうにかならんのかマジで

2024-10-25

anond:20241025085757

「ChatGPTを送りつける」という煽りが定着してしまった現象は、オンライン上のコミュニケーションにおける興味深いトレンドとして注目を集めています。この現象は、人工知能AI)の進歩と、特にチャットボット技術の普及によってもたらされたと言えるでしょう。

ChatGPTは、OpenAIによって開発された言語モデルベースにしたチャットボットで、自然言語処理能力に優れており、人間との会話をシミュレートすることができます。その応答の質の高さと、幅広い話題への対応から、多くのユーザーに愛用されています

しかし、一部のユーザーがChatGPTを「バカ」とみなす相手への煽りとして利用し始めたことで、この現象が生まれました。この煽りは、おそらく次のような考えに基づいていると考えられます

この現象は、インターネット文化ユニークな一面を示していますAI技術進歩が、オンライン上のコミュニケーションユーモアの形に影響を与えているのです。しかし、このような煽りが過度に広がることは、建設的な議論相互尊重の妨げとなる可能性もあります

この現象をより健全な方向へ導くためには、以下のような取り組みが考えられます

この現象は、AI技術進歩オンライン文化相互作用の結果と言えます。このトレンドを前向きなものに導くためには、AI技術への理解を深め、オンライン上のコミュニケーションの質を高める取り組みが重要になるでしょう。

2024-10-18

オバタリアン とは

Wikipediaより

語源は、1986年公開のホラー映画バタリアン』であり、「おばさん」と「バタリアン」のかばん語である。「Battalion」は英語で「大隊」や「大群」を意味しており、オバサンの大群という意味合いもある。

庶民的羞恥心のない中年女性風刺したもので、特に世間に対し無神経に迷惑をかける姿を描いたものが多く、中には犯罪に等しいような悪質な行為もある。


参考:フェミニストとは

Wikipediaより

フェミニズム英語: feminism)とは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動総称である政治制度文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差性差別に影響されず、男女が平等権利行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である。男女同権主義に基づく、女権拡張主義女性尊重主義ともいう。
(中略)
フェミニズムの推進者や同調者は「フェミニスト」という。


言動を見ると、前者の方が名称として「それっぽい」よな

2024-10-15

anond:20241015234237

そんなに簡単かな。日本だと政治家程度ならどうとでもできるけど、皇室とか天皇とかを風刺して笑いを取るのは難しそう。

現代日本における「風刺」って、一番安い笑いだと思う

なんか世の中で風刺って高度な笑い扱いされてる感を感じてるんだけど、現代にはに置いてはむしろ一番安っぽいしょぼい笑いじゃね?と思うんですよ。

中国ロシアみたいな言論の自由が極度に制限されてる環境での「風刺」はとても強い、高度な笑いになると思う。

でも現代日本の風刺なんて、基本権力者反論してこないってわかるし、反論したとしても「器の小さいやつだ」なんて理屈で抑え込まれるの見えてるじゃん?

反論してこないのが分かりきってる相手揶揄して笑いを取るって、ほんとクソしょぼいっつーか安い笑いっつーか、こんなのを高度な笑い扱いしてるのがマジで違和感しかない。

実際やるとわかるけど、本当に簡単なんだよね風刺の笑いって。なんならダジャレで笑わせるほうがよっぽどエネルギー必要だよ。ダジャレらくだらない笑うに値しないレベルでも風刺だとウケる。本当にやっすい笑い。

世相を斬るみたいなのはしっかりとした言論でやるほうが難しいわけで、大多数がSNSで言ってるようなことを追いかけて笑いとして言うのなんて、おっぱい出して視聴数稼ぐような輩とほとんど変わらんレベルのショボさだと思うんだわ。

本当にくだらないことをしっかりと面白くしようとする人たちをこそ俺はリスペクトするな。

2024-10-12

anond:20241011223228

この文章創作だとした場合、いくつかの意図が考えられます

1. 意見正当化: 自身立場意見中立的であることを強調するための演出が行われている可能性があります自分一方的攻撃されている被害者であり、冷静かつ理性的判断していることを示したいという意図が感じられます

2. 対立構造描写: 家族内での対立を描くことで、思想立場の違いがどれほど人間関係に影響を与えるかを示しているように見えます特に政治的社会的問題に関する意見の違いが個人間の軋轢を引き起こすことを強調しているようです。

3. 読者の共感を引くため: 自身が冷静で客観的立場に立っていることを強調し、読者に共感や同情を引き出そうとしている可能性も考えられます対立相手である姉を感情的理不尽存在として描写することで、自分立場をより正当なものと見せようとしているかもしれません。

4. 相手非難するための風刺: 文中で「ツイフェミ」や「暇空茜」という表現を使い、特定思想立場に対する風刺批判を行っているように見えます。この場合創作目的相手側の立場貶めることにあるかもしれません。

こうした意図のいずれか、または複数が組み合わさってこの文章が書かれている可能性があります

2024-10-11

王様ランキングの作者は漫画家を目指すも何度も挫折し、40代になってから始めたweb連載でヒットして売れっ子になった

しか家族が早くに死んで天涯孤独なことやブラック企業経験、また生来のものもあるかもしれないが、非常にネガティブ愚痴が多かった

そんな彼はやがて炎上する

王様ランキング内での民族対立描写が「朝鮮人への風刺」とされたからだ


作中に登場する貧乏国は、豊かな魔法国に支援されて窮状を脱した

しかし、魔法国が神国戦争して負けると、貧乏国は神国の味方になり、「我々はずっと魔法国に搾取され虐げられていた」と言い出した

貧乏国は韓国で、魔法国は日本」そう主張する人が右にも左にも多く出た

作者は韓国叩きの格好の材料を与えてくれる存在として右翼神輿にされ、またネトウヨだと左翼から叩かれた

アニメの実況も「これ韓国じゃんwww」「かの国じゃんwww」と盛り上がっていた

作者は実在の国は関係なくフィクションだと何度も主張したが、「これ韓国www」も「作者はネトウヨ!」も止まらなかった

貧乏国の風景が昔の韓国風景と似てたり、実際に類似は多く感じたが真実わからん

作者の載せている部屋の写真が汚いことを理由精神病認定性的ニュアンスはないが子供が多く登場することで小児性愛認定もあった

病んで連載は2021年で止まり、作者はとうとう中傷者の一人である女性を訴えた


訴訟中でも他の人による中傷は止まらず、またネットに強い有名弁護士を雇ったが弁護士とも対立していくようになった

中傷書き込みをできるだけ見たくなかったのに、証拠集めや反論文書などに目を通さなければいけずますます病んでいく

一人だけが叩いているのではなく、集団悪口言って盛り上がっているので、書き込みを読みながら泣いていたという

相手女性は「いいねですら3件しかつかずRTは0なので作者の名誉は低下していない」と反論

だが、弁護士に依頼して証拠提出した段階では確かに3件だったが、開示請求して削除される寸前の時にはもっといいねが多かったしRTもあった

作者は「相手女性が嘘をついている」としていいね数の多いスクショを更に証拠として提出したがったが、

弁護士は「次回期日も迫っており、主張立証はすでにし尽くしているので更に証拠提出する必要はない」と返答

相手女性は泡沫アカウントなので、いいねRTが多少増えたところで影響がないと弁護士判断したようだが、作者は納得がいかない

メールで言い合いを続けた末に、弁護士は「信頼関係が損なわれた」として代理人から降りた

他の弁護士に変わり、出したがっていたいいねが多い証拠スクショも提出

結局最初弁護士から通算して2年かけたのに、200万円の請求に対しわずかな額の支払い命令しか出なかった

途中で相手女性は50万円での和解を求めてきたが、それで折れたほうがまだマシなぐらいに安かった

最初弁護士ダメなせいだったのではと作者は途中から女性よりも弁護士の方に怒り、

弁護士実名を挙げて「最悪の弁護士」「無能」と批判する漫画掲載

個人叩き漫画は危ういと判断され運営側に削除された

そんで今回の刑事告訴書類送検

2024-10-10

ヘッドライナーとかコメンテーターみたいな情報社会風刺ゲーム

今だったら、「SNSのリコメンドアルゴリズムの調整」辺りで作るのも良さそう

2024-10-05

プラットフォーム2」は100分かけて伝える風刺

タイトルままです。

この風刺伝えるだけに100分か。と言った感想

グロ多すぎ。

風刺+サイドストリーと言った感じでした。

ファイナルデッドコースターの方が面白い

解散

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