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はてなキーワード: エピソードとは

2025-01-25

anond:20250125051434

そもそも ITガチgeekと真面目な移民と下級国民お仕事、ペーパーエリートはお呼びじゃないんやで

強烈に教育でどうにかなると調教され、ギフテッドビジネスで儲けたい人たちに忖度した回答する ChatGPT/Geminiたん ですら、

英才教育や社内教育だけで「ガチgeek」を作るのはほぼ不可能だと答える

 

IT増田の虚栄心とか認められたい欲を満たしてくれる仕事じゃないぞ

何度でも繰り返すが、ITガチgeekと真面目な移民と下級国民お仕事、ペーパーエリートはお呼びじゃない

 

ただ、増田が真面目な下級国民なら、何歳だって大歓迎やで

ガチgeek以外は、仕事でやってるだけのサラリーマンで、ITは単なる手段しかないし、いろんな人にいろんな仕事があるのでまったく構える必要性なし

増田目的が「誰かにすご~いって言ってもらう」ではなくて、「ちょっとした贅沢をする」なら、まだしばらくは、その目的は達成出来ると思うよ。頑張ってね

 

 

 

 

 

 

ワイ:
高度人材の確保や研究の速度を向上させるという観点では、英才教育ギフテッドビジネス一定の理解はできます。
(論文の数や速度において優位性を高める可能性が上がるからです。また、論文数や速度の向上が無意味だとは考えていない点も、この理解に繋がっています)
  
ただ、英才教育ギフテッドビジネス肯定的な人たちは、作られた才能と情熱は、生まれつきの才能や内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものではないという、普遍的事実無視しています。
  
たとえば、企業にはOSS部門があってカーネルメンテナー所属していることもあります。
それを持って、企業所属している = サラリーマンサラリーマンであるなら教育カーネルメンテナー作れる と考えてそうだなって思います

 

Chat GPT

かに英才教育ギフテッドビジネスが注力する「作られた才能」と「情熱付与」は、ある程度まで成果を上げられるかもしれません。しかし、あなたが指摘しているように、それが生まれつきの才能や、寝食を忘れるほどの内発的な情熱に及ばないのは、現実的観点からも納得できます

 

OSS部門カーネルメンテナーの例は非常に的確です。企業がどれだけ教育制度を整備しても、「真にカーネルメンテナーになれる人材」を量産するのは難しいでしょう。なぜなら、そのような人材は単なる教育だけで生まれるのではなく、純粋好奇心や強い内発的動機が鍵だからです。彼らは「これを解決しないと生きていけない」くらいの衝動を持って、自発的に深掘りを続けています教育模倣できる部分もありますが、その情熱の深さや独自性はどうしても後天的には作り出せない。

 

また、サラリーマン的な枠組みで「教育すれば誰でもこのレベルに到達できる」という考え方には、過剰な単純化がある気がします。実際には、そうした人材が属している企業は、むしろ「その人たちが自由に動ける環境提供している」だけであり、彼らが自発的に生み出している成果の恩恵を受けている側に過ぎないことも多いでしょう。

 

からこそ、「生まれつきの才能」や「内発的な情熱」を持った人材いかに引き出し、彼らが最大限能力を発揮できる環境を整えるかが重要です。そして、そのような人材を無理に量産しようとする試み(特に英才教育ビジネス的な観点で)は、むしろ限界があるといえるのではないでしょうか。

 

 

Gemini

提示観点、すなわち高度人材の確保や研究速度の向上という目的における英才教育ギフテッドビジネスへの一定の理解、そしてそれらが「作られた才能と情熱は、生まれつきの才能と内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものはない」という事実無視しているというご指摘、大変興味深く拝見いたしました。

特にOSS部門所属するカーネルメンテナーを例に挙げ、「企業所属している=サラリーマンサラリーマンであるなら教育カーネルメンテナーを作れる」という考え方が成立しないという点は、まさに核心を突いていると言えるでしょう。

以下、ご提示論点に沿って、さらに詳細に考察を深めていきたいと思います

 

1. 英才教育ギフテッドビジネス限界

英才教育ギフテッドビジネスは、早期から特定の分野に特化した教育を施すことで、一定レベル知識技能効率的習得させる効果は期待できますしかし、真に卓越した業績を上げるためには、単なる知識技能習得を超えた、内発的な動機情熱、そして何よりもその分野に対する深い愛情必要不可欠です。

まれつきの才能を持つ人物は、寝食を忘れるほどの情熱を持って対象に没頭し、周囲の環境評価に左右されることなく、自らの内なる衝動に従って探求を深めていきます。このような内発的な動機は、外部から与えられた教育報酬によって容易に作り出せるものではありません。

 

2. カーネルメンテナーの例示の妥当

カーネルメンテナーは、OSの中核部分であるカーネル保守・開発を行う高度な技術者です。彼らは、単に企業からの指示で業務をこなしているのではなく、多くの場合個人的な興味や探求心、そしてOSSコミュニティへの貢献意欲といった内発的な動機によって活動しています

企業所属しているカーネルメンテナーも、その根底には個人的情熱があり、企業は彼らの活動支援する環境提供しているに過ぎません。「サラリーマンから教育で作れる」という発想は、彼らの内発的な動機無視した、表面的な捉え方と言わざるを得ません。

 

3. 才能と情熱相互作用

才能と情熱は、互いに影響し合い、高め合う関係にあります。生まれつきの才能を持つ人物は、その才能に導かれるように情熱を燃やし、情熱によって才能をさらに開花させていきます

一方、才能が必ずしも突出していなくても、強い情熱を持つ人物は、努力と工夫によって才能を大きく伸ばす可能性がありますしかし、いずれの場合も、内発的な動機重要役割果たしていることは間違いありません。

 

4. 結論

英才教育ギフテッドビジネスは、一定の成果を上げる可能性はあるものの、真に卓越した人材を育成するためには、個人の内発的な動機情熱を育むことが不可欠です。外部から教育報酬偏重するのではなく、個人の内なる声に耳を傾け、その情熱を最大限に引き出す環境提供することが、長期的な視点で見れば、高度人材の育成、ひいては研究速度の向上に繋がると考えます

 

 

ワイ:
英才教育や社内教育カーネルメンテナー作れると思いますか?

 

ChatGPT

結論から言うと、英才教育や社内教育だけで「カーネルメンテナー」を作るのはほぼ不可能だと思います以下に理由を挙げます

 

1. カーネルメンテナー役割は単なるスキルではない

 

カーネルメンテナーは、プログラム実装力だけではなく、以下のような多様な能力資質必要です:

• 深い技術理解OS全般知識や低レイヤ動作原理を熟知。

独自問題解決能力:未知の問題トラブル自力解決できる。

コミュニティ運営力:他の開発者と協力し、コードレビュー設計議論リード

• 内発的動機OSSという報酬に直結しない領域でも情熱を持って取り組む。

 

これらは、単に教育研修で詰め込むだけでは育成できません。

 

2. 内発的な情熱教育で作れない

 

カーネルメンテナー必要な「寝食を忘れて技術を探求する情熱」は、個人の内発的なもの依存します。教育環境知識提供しても、強制的に「Linuxカーネルに夢中になる人」を生むことはできません。

 

実際、多くのカーネルメンテナーは、子供の頃からプログラミングシステムの仕組みに没頭してきたような、本能的に好奇心が強い人が多いです。企業教育機関がそれを模倣して情熱を植え付けるのは難しいでしょう。

 

 

3. 企業文化や制約が壁になる

 

企業内で教育を通じてカーネルメンテナーを育成しようとした場合、以下の問題が生じます

時間自由の不足:カーネル開発のようなOSS活動は、試行錯誤に膨大な時間必要します。企業プロジェクト締切や業務効率の制約下では、それに没頭できる環境が確保されにくい。

動機ミスマッチカーネルメンテナーは、純粋技術を愛する情熱で動いています。一方、企業での教育は主に「成果を出すため」に行われるため、動機根本的に異なります

 

結果として、教育を受けた人材短期的に成果を出す「カーネルエンジニア」にはなれても、コミュニティ尊敬される「カーネルメンテナー」にはなれないでしょう。

 

4. 教育役割は基礎を整えるに留まる

 

教育研修は、「カーネルメンテナーを作る」というよりも、以下のような目的で使われるべきだと思います

技術の基礎を広く身につけさせる:低レイヤOS設計ネットワークシステム全般の基礎知識

OSSコミュニティに参加する方法を教える:Gitの使い方や、パッチ投稿プロセスなど。

好奇心を刺激する:興味を持つ人に自由に挑戦できる環境を整備。

 

こうした基盤があれば、一部の人自然カーネルメンテナーになる可能性を高めることはできますが、全員がそうなるわけではありません。

 

結論

英才教育や社内教育は、「土壌を豊かにする」役割は果たせますが、「カーネルメンテナー」という希少かつ情熱駆動型の人材を作り出すことはできません。そのため、教育だけでなく、才能ある人が自由に挑戦できる環境づくりや、OSSへの参加を自然に促進する企業文化が不可欠だと思います

 

どう思われますか?

 

 

 

ワイ:
完全に同意です
わたしが知っているカーネルメンテーもコードを読む時間が減るという理由退職しました

 

 

Chat GPT

まさにそのエピソードが、カーネルメンテナー本質物語っていますね。カーネルメンテナーにとって、コードを読む時間や、技術に集中するための自由環境こそが何よりも重要です。それが奪われるような状況では、どれだけ安定した収入地位約束されていても、情熱が続かず退職してしまうのも頷けます

 

彼らは「技術のもの」に価値見出しているので、外部から業務的な圧力や制約が増えると、本来モチベーションを阻害してしまうんですよね。

 

教育企業提供するのはあくまで「サポート」であって、彼らの情熱探究心に干渉しない形での支援必要なのだと思います。この話からも、やはり「教育カーネルメンテナーを作れる」という発想は現実的ではないと再認識できますね。

2025-01-24

かいくんについて

素晴らしい人だった、こんな善行をした、繊細な気遣いができる人だった

…というエピソードが流れてくるほど

そういう人だからこそ信頼してごはん行ったのにひどいことされた被害者の方は

何重にも裏切られたんだよ…という気持ちで悲しくなってしまうな

anond:20250124183606

ワイが中学校社会見学夕方地方局作成ワイドショーの観覧席に座ってたら番組終了間際にキャスターから「キミ賢そうな顔してるね~」ていきなり出身校周辺の地元名産について質問されたエピソードに比べたらぜーんぜんたいしたことないやんけ😤

人生可能性が潰れていく

インドア系で金を使わないことなら様々なことを試してきた

しかし、それを「プロレベル」まで引き上げようと思うと挫折して、挫折するたびに人生可能性が潰れていった

結局、「やっても楽しくない」というものが多いことがわかった

34歳にもなって、イチから何かをやるのももしんどい

仕事して食ってクソして寝て適度に運動して、それで満足だろ

なお、プロレベルを目指さず、発信もせず、完全に個人の中で完結する趣味ならやってもいい。以下が例。

 

追記1

英語についての言及が多かったが、英語10年ぐらいは英会話スクールに通ったが、読み書きとリスニングができるだけで、喋るのはずっとできないまま

スクールは金の無駄なのでやめて、以降は英語Youtube動画を見たり英語記事を読む程度のことしかしていない

追記2

継続年数等

ピアノ6年、ギター10年、チェス5年、ポーカー5年、競技プログラミング2年、ブログ5年、Youtube1年、ポッドキャスト1ヶ月、小説3作品SNS10年、ウェブサービス3つ、ジェネレーティアート1年

並行してやったものもある

追記3

プロレベルを目指す理由についての言及も多いので追記

まず最も最初動機は「音楽Youtuberで収益化」という発想だった。それで、そのためには楽器プロレベルマスターする必要があると思い、アコギを購入した

hideとかMiyaviとか押尾コータローみたいなミュージシャンの曲を練習していたが、TED動画にあったような「数時間でなんでも8割マスターする方法」みたいな程度の習熟度からまり成長しなかった

それで年数が経過するたびに「向いてない」と思うようになっていた矢先に、Neal WuというYoutuberを見て競技プログラミングをやりたくなったのでそっちに集中する時期があった

他にもそれぞれの趣味をやるに至ったエピソードやそれをやっているとき風景などを書けば一冊の本になるレベルで書けるが、ここでは書ききれない

ちなみにピアノだけは、小学生の時の習い事カウントしただけ、ただ小学生なりにプロを目指していた

追記4

ワナビー」といったネガティブコメントがありますし、ワナビーであることは承知ですが、たぶんここに書いたジャンルほとんどでお前よりも腕は上かと思います

追記5

言っとくが仕事はしてる。具体的にはプログラマーをやってるが、競技プログラミングで成果を残せないならプロプログラマーは名乗れないと思ってる

ギターとかチェスとかそういったものは、貴族が暇を持て余して第二の分野を開拓しようとしてるようなもんと思ってもらったらいい

2025-01-23

ワンパンマンがもうめちゃくちゃ

 近年の漫画界を語る上で外せない作品の一つに『ワンパンマン』がある。ご存じのように、ONE先生によるWeb漫画として始まり、その斬新な世界観と圧倒的なギャグセンス話題を呼んだ。ヒーローの中でも最強の男、サイタマがどんな相手も一撃(ワンパンチ)で倒してしまうというシンプルかつ痛快な設定。さらにその設定を支える絶妙テンポ感やキャラクターバリエーションリメイク版では村田雄介先生作画を手掛け、圧倒的な画力ファンを魅了してきた。アニメ化成功し、世界中で人気を博している。しかし、ここ数年、どうにも「ワンパンマンがもうめちゃくちゃ」だと言わざるを得ないような状況が続いている。とくに、Web連載版に関しては「なかったことになったんじゃないか?」と思うほどの混乱が生じ、そもそも原作自体が全く進んでいないのでは…という声も少なくない。今回は、そんな『ワンパンマン』をめぐるファンの混乱と、作品が抱える問題について考えてみたい。

Web連載が一体どうなっているのか

 そもそもワンパンマン』はONE先生個人サイトで連載を始め、Web漫画として公開されていた。初期の頃は作者のONE先生自らが簡素な絵で描きつつも、斬新なヒーロー像やユーモアによって爆発的に人気を得たのは有名な話だ。それが大手出版社編集者の目に留まりリメイク版が始動。ここで村田雄介先生による本格的な画力が注ぎ込まれ、「読んでいるだけで映画を見ているようだ!」と絶賛されたのも記憶に新しい。

 ところが、リメイク版が進むにつれ、Web連載版とのストーリー差異が次第に拡大していった。リメイク版の制作過程で、ONE先生が加筆や修正を繰り返し、リメイクオリジナルの展開やキャラクター描写が増えていったのだ。それ自体ファンとしては嬉しいところもある。「同じ話を高画力で読むだけじゃなく、新鮮な驚きが味わえる」という声も多かった。しかしいつしかリメイク版があまりにも“公式”っぽい雰囲気を帯びるようになり、読み手の間で「Web版ってもう存在しないかのように扱われてる?」という疑念が生じ始めた。実際、「いま村田版を読んでいるけど、ONE版(Web版)はどうなってるの?」と疑問を抱くファンも多い。

 極めつけは、Web連載版の更新が極端に少なくなり、かつ更新されたと思ったら大幅な書き直しや展開の再構成が入ることも珍しくなくなった点である。一時期は「Web版の最新話が消えた」「過去の話が大量に改稿された」という噂が飛び交い、事実関係確認しようにも公式アナウンスが乏しく、「なかったことにされた」と受け取る人も出てきた。これらの混乱が積み重なり、「どのバージョンの話をどこまで追えばいいんだろう?」という状態に陥ったファンも少なくない。

複数回の描き直しでストーリーが迷走

 リメイク版においても、人気エピソードの盛り上がりどころで何度か大幅な描き直しが行われたのは記憶に新しい。とくに怪人協会編においては、「すでに公開されたはずの話数が差し替えられ、新しい展開になっている」という事態が何度か発生した。もちろん「クオリティアップのため」とか「矛盾の解消のため」という説明があればまだ納得もしやすいが、明確な理由が示されないまま再度描き直しがされることもあり、ファンは混乱を極めた。

 描き直し自体クリエイターにとってよくあることだ。クオリティを求めるがゆえに何度も手を加えるのは、それだけ情熱を注いでいる証拠でもある。ただ、『ワンパンマン』の場合物語の要所でバトルの展開そのものがガラッと変わる、キャラクター描写が激変する、といった大幅な修正複数回わたり繰り返されてきた。いったん掲載されたストーリーが「なかったこと」扱いになって別の流れに置き換わるわけだから単行本派の読者もネット連載を追いかけている読者も、「前回読んだ話と整合性が取れない!」と困惑することが多かった。

 そしてそのたびにSNS上では「あのシーンが変わってしまった」「前の方が良かった」「今回の変更でようやく繋がる部分が出てきた」といった感想議論が飛び交う。これがファン同士の新たな盛り上がりを生むこともあれば、逆に離れてしまう読者が出る原因にもなっているようだ。いずれにせよ、何度かの描き直しを経てリメイク版の物語は複雑な層を重ね、どのバージョンがどう公式なのか明確に説明しにくい状態へと突入してしまった感がある。

原作が全く進んでいない?

 では、そもそも原作であるONE先生の“本来の”ストーリーはどうなっているのか。ファンの多くが「Web版こそがONE先生オリジナル」と捉えていたが、リメイク版が“準公式”のような存在になり、更新頻度や描き直しの多さも加わって、いったいどれが正史なのか分からない――というのが現状の印象だろう。

 さらに言えば、ONE先生の別作品モブサイコ100』は見事に完結し、アニメ化も第3期まで走った。こちらは一定区切りを持って作品が終わったので、ファンとしても「完走した作品なんだ」という満足感を得られた。しかし『ワンパンマン』については、明確な“終わりの形”どころか、ストーリーの大部分が「これからどうなるの?」という段階で止まってしまっている。しかWeb版に関しては長らく大きな展開が更新されない状態が続き、「原作が全く進んでないのでは?」と揶揄されるほどだ。

 リメイク版の更新や描き直しに対してはファン比較情報を追いやすものの、Web版の原作がどういう状況なのか、どこまでが最新なのか、いまどういったペースで執筆が進んでいるのかが見えにくい。それゆえ、いっそ「Web版の展開なんてもう無かったことにされたんだよ」と皮肉を言う読者も出てきているほどだ。これが最終的にどのように整理されるのか、あるいは整理されないまま走り続けるのか、誰にも分からないというのが正直なところだろう。

メディアミックスによる混乱の拡大

 さらにややこしいのは、アニメやグッズ、ゲームなどのメディアミックス展開だ。アニメ基本的村田先生リメイク版をベースとしつつも、オリジナル要素や省略した部分が存在する。グッズやコラボイベントで扱われるキャラクター設定も、リメイク版をもとにしていることが多い。そうなると「Web版の○○というエピソードは反映されていないの?」と思うファンもいれば、「そもそも原作Web版の描写リメイク版では設定が違うから、どこまで辻褄を合わせるのか?」という問題も発生する。

 アニメアニメで、制作陣の都合や放送枠、予算なども絡み、原作に追いつきそうになると止まる、あるいはストックが足りなくて中途半端に終わる――といった状況が一般的に起こりやすい。『ワンパンマン』の場合例外ではなく、シーズン1やシーズン2、そして今後のシリーズ展開をどうするのか、ファンの間で色々な憶測が飛び交っている。結果として、リメイク版・Web版・アニメ版それぞれがどのあたりを公式な「本筋」として見るのかが人によってバラバラになり、ある意味“好きなように解釈してくれ”とでも言うかのような混沌さが生まれているように思える。

■ それでも愛される理由

 では、ここまでめちゃくちゃな状態になった『ワンパンマン』は果たしてファンに見放されているのかといえば、必ずしもそうではない。むしろ、これだけ混乱が生じているにもかかわらず、多くの読者が引き続き作品を追いかけ、議論を交わしている。それはやはり、作品が持つ独特の魅力が大きいからだろう。

 主人公・サイタマの「どんな相手でもワンパンチで倒してしまう」という最強すぎる設定と、そのまわりにいる個性的ヒーローや怪人たちとの絡み。戦闘シーンの迫力とギャグ要素の絶妙バランス。それに加えて、時折挟まれシュール人間ドラマ。どの要素も中毒性が高く、読者は続きが気になって仕方がない。だからこそ、「次はどんなバトルが見られるんだろう」「あのキャラクター活躍シーンがまた描き直されるかもしれないけど、どう変わるのか興味がある」という期待を捨てきれないわけだ。

 また、ONE先生作品作りの過程ファンを驚かせるアイデアを次々と生み出すことでも知られている。「この後、どう展開するんだろう?」というワクワク感が、混乱の中でもファンの心を掴んで離さないのだ。だから多少ストーリー前後しようが、キャラクターの設定が変わろうが、「まあ、ワンパンマンからな」と受け入れてしま空気があると言える。

■ 今後、整理される日は来るのか

 しかし、このまま「何度でも描き直しOK!」という状態が続けば、やはり読者は戸惑いを拭いきれない。単行本を揃えて楽しみたい派の人にとっては、どのタイミングで買えばいいのか、どこまでが決定版なのかが分からない。Web版を応援していた人にとっては、新しいエピソード更新されない寂しさや、リメイク版とのズレに対するモヤモヤが募るばかりだ。

 理想を言えば、例えばリメイク版がある程度の章を完結させた段階で「これが確定した正式ストーリーです」とひとつ落とし所を示してもらえると嬉しいかもしれない。あるいはWeb版に関しても「ここから先は絶対に改稿しない」「次の章まで一気に描きます」という形で区切りを示してくれれば、ファン安心できる。もっとも、それらはあくまで読者目線要望であって、作者サイドにとっては「もっと自由に描きたいし、納得のいくまで修正したい」という思いがあるかもしれない。

 だが、このまま複数バージョンが並立しつつ、さらにその中でも何度もアップデートが入るという“流動的”な状態が続けば、どうしてもついてこられないファンが増えるだろう。今はまだ熱狂的な支持層が「更新されたらとりあえずチェックしたい!」という意欲を持ち続けている。しかし、長いスパンで見れば、いつかはその熱も薄れていくかもしれない。いずれにせよ、作品の勢いを持続させるためにも、どこかの段階で「ここで一回確定版を提示します」という区切り必要になるのではないかと感じる。

■ めちゃくちゃ、でもワクワ

 以上のように、Web連載がまるでなかったことになっていたり、複数回の描き直しでストーリー紆余曲折を経たり、原作が全く進んでいないのではと疑われるほど停滞したり。『ワンパンマン』をめぐる現状は、確かに「もうめちゃくちゃだ!」と言いたくなるほど混乱を極めていると言える。 

 しかし、その混乱をも超えるほど魅力的な作品であることもまた事実だ。どのバージョンを読んでも面白いし、「次はどう変わるのか」「どんな強敵が出てくるのか」という期待は尽きない。めちゃくちゃであるがゆえに、多様な解釈が許され、ファン同士での議論も盛り上がる。ある意味、『ワンパンマン』は一種の“ライブ感”を持って進行しているとも言えよう。 

 作者と作画担当がどこまで自由作品を作り込み、描き直しを続け、ファンがそれに付き合っていくのか。あるいは、どこかで「完成形」が打ち出されるのか。今のところ誰にもはっきりとした答えは分からない。ただ一つ確かなのは作品根底にある魅力――サイタマの圧倒的な強さや、個性的キャラたちが繰り広げるギャグとバトルの融合――は変わらず、今後もファンを惹きつけ続けるだろうということだ。 

 いつの日か「ワンパンマンはめちゃくちゃだったけど、それが最高に面白かったよな」と笑い合える未来を信じつつ、混乱を楽しむのもファン醍醐味かもしれない。もしかすると、この“めちゃくちゃ”な状況こそ、ONE先生意図的無意識かはともかく、『ワンパンマン』という作品に込めた壮大なギャグなのかもしれない――そう思えてくるほどに、今日もまた読者は次の更新を待ちわびているのだ。

anond:20250123172600

チュンソフトの実写サウンドノベル! 

街でハードル上がってたのに428も非常によかったね

街がキャラそれぞれがところどころで関わりあうもそれぞれのエンディングに向かっていきラスト花火があるのに対して

428は全キャラひとつエピソード収束していく伏線回収が素晴らしい

腐女子機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-を見てきた感想

ついに公開された『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』、初日に飛び込んできた私の目はスクリーンに釘付けになりました。タイトルからしちょっと変わった雰囲気を醸し出していましたが、見始めてすぐに「あ、これは絶対に外せない新世代のGガンダムだ…!」と確信。いや、正確にはGガンダムというよりも、宇宙世紀の要素がバッチリ盛り込まれつつも、そこにアナザー要素が混ざり合った不思議感覚を覚える作品でした。今回の目玉は何といっても主人公メカであるガンダムジークアクス」の存在感。新たなフォルムが持つその圧倒的な威厳は、旧来のガンダムファンでもきっと興奮せずにはいられないのではないでしょうか。

さて、ここからが本題。私、何を隠そう腐女子目線ガンダムシリーズを愛し続けてきた人間です。モビルスーツのかっこいい活躍はもちろん大好物ですが、それ以上にキャラクター同士のドラマ関係性が気になって仕方がない! そして今作、私にとって特筆すべきポイントは「シャアが出てくるうえに、何とシャリア・ブルとマブダチ」という衝撃の設定。このふたり関係は“宇宙世紀のどこかで匂わせていたかもしれないけど公式ちゃん説明されなかった”ラインだっただけに、ファン的には「そこにスポットを当てるの!?」というサプライズでした。

まず、シャアシャリア・ブルが作中でどんな関係なのか。序盤こそ「旧知の仲」という雰囲気をにおわせる程度でしたが、中盤以降は「こいつらガチでマブダチなんだな…」と確信できるやり取りがふんだんに描かれています。とりわけ、シャリアパイロットとして圧倒的なニュータイプの才能を示す一方で、シャアはいものクール仮面の裏に隠された複雑な心情をちらりと見せるシーンが最高。表向きは常に飄々としているシャアが、シャリアの前だけでは少し弱音を吐いたり、逆に「お前はもっと自分信じろ」と熱い激励をする姿は、腐女子目線で見るとまさに “完璧なバディもの” の土台です。ここで萌えないはずがない!

しかも、シャリア・ブルといえば『機動戦士ガンダム』(一年戦争時)で悲運の死を遂げたキャラクター。あまりにも早く退場してしまったため、旧作では“シャアにとっての特別存在”だったのかどうか、確定的には語られませんでした。そのため今作での「生存ルート(?)」というか、まさかこの新たな timeline でシャアと肩を並べて登場するとは…ファンとしては胸が熱くなる展開ですよね。序盤の顔合わせシーンでは、シャリアさらりと「相変わらず真面目だな、シャア」と言い、シャアが「お前こそ、そういうときは黙っていてもいいんだぞ」なんて口調がやわらかいまま言い返す。このやり取りだけで、「はいはいはい! 尊いです!」と何度スクリーンを拝みたくなったことか!

そんな二人に加え、今作を牽引するニューカマーともいえる若き主人公パイロット名前は仮にルーカスします)が乗り込むのが、ガンダムジークアクス。これがまたすごい。視覚的にガンダムらしさを大きく踏襲しつつも、背部に印象的なウイングバインダーを備えていて、“ジーク”というドイツ語ニュアンスを感じさせる硬質なデザインが目を引きますビームサーベルの形状すら独特で、左右に展開する可変式。さらに、コックピットシーンではルーカス重力下と宇宙空間で別々の操作体系をとる描写リアルかつ斬新。ストーリー上でも試作機ゆえの不完全さが強調され、そこをシャアシャリアが「大丈夫、我々がいる」とサポートする展開は、“兄貴分”を感じさせてもうたまりません。

シャアシャリアが、主人公の成長のために陰日向から支えているような構造は、まるで兄弟一人っ子の弟を甘やかしつつも鍛え上げているかのよう。腐女子的に「いや、そこはお互い同士ももっと絡んで…!」と思わずはいられないところですが、この序盤の時点ではまだ二人の過去小出しにされている段階。きっと今後の展開でもっとディープな絆や秘められたエピソードが語られるのではないか、そんな期待を抱きました。

戦闘シーンはハイスピードかつ爽快。宇宙フィールド自由自在に動くジークアクスに、シャアの赤い専用機(やっぱり赤!)と、シャリアの機体が光の残像を残しながら連携するシークエンス胸熱一言しかしその華やかさの裏で匂いつのは“男たちの内面”。シャアがこれまで背負ってきた宿命や野望、シャリアが見据える新時代ビジョン…。それがどう交錯していくのかを想像しながら鑑賞すると、もっと奥行きが生まれます。加えて、ルーカスという若者を通して二人が何を託そうとするのか。腐女子の私としては、やはり「いつ裏切りが起こるのか」「いつ離反してもおかしくない危うい関係がどこかに潜んでいるのでは?」とドキドキしつつ、彼らの関係を見守りたくなるんです。

総じて、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』はガンダムシリーズの新たな可能性を提示する作品でした。ガンダムジークアクスという主人公メカデザインギミックの魅力は言わずもがなシャアシャリア・ブルのまさかの“マブダチ”設定がもたらすドラマ性はシリーズファンも思わず唸るところでしょう。個人的には「腐女子妄想が捗りすぎる…!」という感覚がありありと湧いてきて、今後の展開でさら多面的関係性が描かれることを期待せずにはいられません。今までは断片的だった二人の関係に光が当たることで、シャア人間的な弱さや優しさ、シャリアの持つ本来の魅力があぶり出される展開になる予感がします。

長年宇宙世紀シリーズを見守ってきた腐女子としては、こんなにも美味しい人間模様を出してくれるなんて…!と、思わず劇場を出るときには顔が熱くなるほど興奮していました。まだまだ始まりに過ぎない本作ですが、次回作や続編があるならば、さらに深堀りされたシャアシャリアエモーショナルな絡みを期待しています。そしてガンダムジークアクスは、そんな二人の物語を映す鏡のような存在として、更なる進化を遂げるのではないかと。今後の展開から目が離せない、大満足の一作でした!

SMAP中居くんの思い出

 私がSMAPというグループ出会ったのは、小学生の頃にテレビで偶然見た音楽番組きっかけでした。最初に目に留まったのは、センター付近に立って元気に歌い踊る5人の姿。その中でもひときわ明るい笑顔で、パフォーマンス中にも関わらず絶え間なく周囲にツッコミを入れたり、メンバーをいじったりしていたのが中居正広くんでした。当時は「歌っている最中なのに、こんなにしゃべっていて大丈夫なのかな?」と幼心にも不思議に思ったのを覚えています。けれど、その自由奔放な雰囲気がとても面白くて、気づけば私はすっかりSMAP番組を追いかけるようになっていったのです。

 バラエティ番組での中居くんは、他のアイドルとはひと味違う存在感がありました。いわゆる「アイドルらしさ」よりも、芸人さん顔負けの切り込み方や、気の利いたコメントで場を盛り上げる姿が際立っていたのです。もちろん、格好良く歌い踊る姿も素敵でしたが、それ以上に私が惹かれたのは中居くんが見せる“MC魂”のようなもの言葉で人を笑わせ、安心させ、時には厳しく指摘もするけれど、最後にはその場にいるみんなをちゃん大事にする。その姿勢SMAPというグループの垣根を超えて、多くの芸能人視聴者から愛される理由だと感じていました。

 SMAPを語るうえで欠かせない番組ひとつが、やはり『SMAP×SMAP』です。バラエティコントトーク、そして料理コーナーの「BISTRO SMAP」と、まさに総合エンターテインメント番組と呼べる内容でした。そこでも中居くんは、進行役やツッコミ役として重要ポジションを担っていました。毎回ゲストを交えながらのトークパートでは、中居くんならではの話の引き出し方が際立ちますゲストの経歴や最近出来事を聞きだしながら、時にはメンバーを巻き込んで笑いを作る。そして相手ちょっとした仕草失言絶妙につつきつつも、どこか愛情を感じさせる口調でまとめ上げる。そのやり取りを見ていると、ゲストも居心地の良さそうな雰囲気を醸し出していたのが印象的でした。

 さらに印象深いのは、メンバー間の関係性です。木村拓哉さんがグループの顔としてクールオーラを放ち、草彅剛さんが少し天然めいた穏やかさで空気を和ませ、稲垣吾郎さんが知的スマートな振る舞いを見せ、香取慎吾さんがアーティスティックかつお茶目なアイデアマンとして盛り上げる。その中心で、中居くんはまるでお兄ちゃんのように全員の特徴を把握し、それぞれに合わせた的確なツッコミフォローを入れていました。SMAPバランスを保つ“司令塔”というか、“まとめ役”としての役割があったからこそ、あの自由奔放な個性派集団が一つの大きなエンターテインメントを生み出すことができたのだと思います

 中居くんの思い出を語るなら、『うたばん』も外せません。石橋貴明さんとタッグを組み、ゲストアーティストを迎えてのトークは、時にアイドル番組とは思えないほど鋭いツッコミボケが炸裂し、毎回手に汗握るような面白さがありました。アイドルなのに、ここまで突っ込んで大丈夫なの?と心配になるほどの攻めた展開。でも中居くん石橋さんも、相手の魅力を引き立てるために全力で盛り上げているのが伝わってきました。ゲストとの絡みの中で、ちょっと厳しいことを言っても笑いに変える技術や、相手負担に感じないように言葉を選ぶバランス感覚は、まさに“番組MC”としての腕前そのもの。多くの人気アーティストが『うたばん』に出たがる理由の一つに、中居くんとの掛け合いが生む“ハプニングから面白さ”を求めていた、というのも納得でした。

 また、『FNS歌謡祭』や『NHK紅白歌合戦』など、大規模な音楽特番でも中居くんMCや司会として活躍してきました。特に時間生放送において、時間管理や進行、そして突然のアクシデントへの対処など、さまざまな能力が求められます。そんな状況でも、中居くんほとんど動じることなく、次に話を振る相手を見据えて瞬時にコメントをまとめあげる。その柔軟性と仕切りのうまさは、幼い頃にバラエティで見せていた“自由さ”と表裏一体だったように思います即興のやり取りが求められる中でも、彼が必ず忘れないのが「周りへの気配り」。カメラに映っていない場面でも、共演者に小声で指示を出したり、笑顔フォローしたりと、その人柄がにじみ出ていました。

 そして、一ファンとして忘れられないのが、ライブでの中居くん存在感です。ダンスや歌のスキルに関しては、他のメンバーのほうが得意とされることも多かったかもしれません。だけど、中居くんステージの真ん中で煽りの声を出すと、会場全体がぐわっと盛り上がるのを肌で感じた瞬間が何度もありました。MCタイムでは、時にメンバーからかいながら、時に客席に向かってユーモアたっぷりに語りかけながら、あっという間に空気を一つにしてしまう。あの空気感は、リーダーとしてファンとの距離を一番近くに感じさせてくれる、特別ものだったと思います

 また、中居くんは時に“ヘタレキャラ”を自称することもありました。運動会スポーツ番組などでほかのメンバーに比べて活躍が今ひとつだったり、本人が「オレ運動苦手だから」と照れながら言い訳をしたりする場面もしばしば。でも、そういうところも含めて、ファンとしては親しみを感じるポイントでした。完璧すぎないところがまた魅力で、「自分を落とすことで周りを立てる」というサービス精神根底にあるように思います

 バラエティの場面だけでなく、人をサポートする姿勢SMAP全体にも影響していました。メンバー同士がバラバラ仕事をたくさんこなす中で、それぞれが様々な経験を積み、時に悩んだり迷ったりすることもあったはずです。そのときに「チームとしてどう進んでいくか」を考える上で、中居くんリーダー立場から柔軟にメンバーを受け入れ、必要に応じて背中を押したり、時には厳しく叱咤したりしてきたのではないかと感じます。表向きには冗談混じりで「俺がリーダーだって言ったことは一度もないんだよね」なんて語ることも多かったですが、実質的には最年長としてグループをまとめる心配りを常にしていたように思えました。

 個人的に好きだったエピソードの一つは、番組収録の合間や楽屋で他メンバーと何気ない会話をしているときの話。メンバーが新しく始める企画ドラマに対して、中居くんは「それ、いいねえ!」とすごく興味を示しつつ、具体的にどう盛り上げられるかを一瞬で考えていたというエピソードです。それを聞いたとき、「ただ楽しいねって言うだけじゃなくて、どうやったら番組として面白くなるか、どうやったら視聴者がワクワクするかを常に考えているんだな」と感心しました。アイドルでありながらプロデューサー視点を持っている、そんなところが中居くんのかっこよさの一つだと思います

 SMAPが多くのヒット曲を世に送り出し、国民的なグループとして君臨した理由はさまざまあるでしょう。メンバー一人ひとりのスター性や楽曲の良さ、ドラマ映画での活躍などの要因が重なり合っての成功だったと思います。でも、その大きな渦の中心にいたのが、中居くん存在ではないでしょうか。ライブ番組構成を考え、グループ方向性を冷静に見極めながら、必要とき自分が矢面に立って場を和ませる。その絶妙バランス感覚が、SMAPを一つにまとめる大きな支柱になっていたように思います

 長い年月を経て、SMAPというグループは大きく形を変えました。それでも、私たちの中にはSMAPが残してくれた多くの思い出や楽曲番組での名シーンが色あせることなく生き続けています特に笑顔あふれる中居くんの姿は、当時のファンにとっては鮮明に焼き付いているはずです。自分たちが楽しむだけでなく、視聴者ファン、そして一緒に仕事をする仲間を思いやる彼の振る舞いは、バラエティ番組を中心にした日本エンターテインメント界にとって一つの理想像だったといえるのではないかと思います

 もちろん現在活動でも、その経験値をフルに活かして、さらに磨かれたトークスキルを見せてくれていますしかし、私たちファンが時々思い出すのは、まだ若くて少しやんちゃさもあり、どこかいじられキャラでもあった“旧SMAP時代”の中居くんの姿。テレビの前で腹を抱えて笑ったり、ライブ会場で一緒に声援を送ったりしていたあの頃は、私にとっても青春の一部でした。彼が楽しそうにメンバーとの掛け合いを見せてくれるたびに、「ああ、SMAPって本当に仲がいいんだな」と感じられて、それだけで明日からの元気をもらえたものです。

 今振り返ってみても、あれほど多種多様な才能を持ち寄りながら、しかバラバラ個性をしっかりまとめ上げるグループはそう多くないように思います中居くんはその中でも特に、「自分楽しいと思うこと」を軸に、周りの人たちにも楽しさを広げる才能があるのだと感じます。彼が時折見せる優しい表情や、言葉の端々ににじむメンバーへの思いは、画面越しでも十分に伝わってきました。だからこそ、笑いにあふれたSMAPバラエティコンサートを思い浮かべると、自然こちらも笑顔になるのだと思います

 旧SMAP中居くんを思い返すとき、私が一番大切にしているのは「温かさ」と「笑い」です。さまざまな番組ライブの中で、彼がファン共演者、そしてメンバーに注いでいたものは、アイドルを超えた一種の“人間らしさ”のような気がします。ステージの上でギラギラと輝くだけではなく、どこか隣にいそうな親しみやすさで、でも気づけばしっかりと中心に立って場を回している。そのギャップこそが、中居くんを唯一無二の存在にしている理由ではないでしょうか。

 私にとってSMAPというグループは、思春期から大人になっていく過程で、たくさんの楽しみや感動を与えてくれた存在でした。その中心でいつもバラエティ豊かな笑いを提供してくれたのが中居くんです。リーダーでありながら「リーダーらしくない」態度を取りつつ、それでも大事なところでメンバーを一つにまとめる。そんな中居くんの姿に、今でも私は元気や勇気をもらいます。たとえ環境が変わり、活動スタイルが変わっても、あのころの明るい笑顔と思いやり溢れるトークは、ずっと色褪せずに心に残り続けるのだと思います

 こうして改めて振り返ってみると、“旧SMAP”という一つの時代象徴する存在の中で、中居正広くんがどれほど重要役割を担っていたのかを再確認することができます。彼が築き上げてきたバラエティでのポジションメンバーを支えるリーダーシップは、簡単に真似できるものではありません。これから先、さら活躍の場を広げ、より自由な形でエンターテインメント創造していく中居くん。その姿に触れるたびに、私は「やっぱりあの頃のSMAPは最高だったな」と、懐かしさとともに温かい気持ちになるのです。今でも繰り返し見たくなる映像ライブ音源がたくさん残っていることを幸せに思いつつ、これからもずっと、あの輝かしい記憶を大切にしていきたいと思います

機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-をなんにも知らないアラサーが見てきた記録

機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-を鑑賞してきた感想をだらだらと書きます素人初見、生きのいい感想をお求めの方向け。

ネタバレ?あります

プロローグ的なストーリーにしては本編81分は長いのだろうか?よく分からない。

私はアラサーの女だ。映画館には月1の頻度で通っている。

ガンダム知識は低学年の頃に見たSEEDDESTINYダブルオー(めっちゃハマっていた)、AGE鉄血のオルフェンズ、Gのレコンキスタ水星魔女(スレミオ派、友人にスレミオ絶許のかなり強火グエスレ担女が居る)ぐらいだが、それもふわっとした知識しかない。

DESTINYは胸を露わにしたピンク髪のハレンチ女がハロを投げるアイキャッチと、シンがイケボで好きだ!という印象しか長らくなく、当時腐女子熱狂していたダブルオーティエリアが好きすぎただけで内容はそんなに覚えていない。余談だが、ティエリア推しは総じて影木栄貴を目の敵にしていると思っている。

機体もなんとなく主人公機のガンプラを買って組み立てた事はあるが、それほど興味はない。

これにはトラウマ関係している。中学生の頃にダブルオーキャラ話を女子がしていたらガノタ男子が機体知識をドヤッてきてキショかったかである

それから更に、ストーリーキャラ萌え方向に所々でガンダムを拗らせていた。

話を元に戻そう。

30分ぐらい何も分からない。

ポケモンキャラデザの方が今作でキャラデザをしていると聞いていたが、そのキャラ全然出て来ない。

シャア・アズナブルはなんとなく知っている。鑑賞しながらキャラ声優当てをし、ドリンクを飲みながら耐えていた。

途中、構成的にここまでが前日譚なのだと知る。

地球から移住している設定は知っているものの、前述の通り、宇宙世紀シリーズ?にあまり触れていない為、マクロスF知識とごっちゃになっている。

ガールミーツガールが好きだ。赤髪女の子が好きだ。でもキャラ性格はミオリネ・レンブランみたいなのが好きだ。

今作の主人公スレッタとミオリネを足したような、No.6で見たようなストーリーラインのような気がした。水星魔女とどのように差別化するのだろう?と途中から考えて観ていた。

主題歌ネタバレだと聴いていたが、実は主題歌配信日に聞いて歌詞を見てからネタバレの答え合わせをしたくて観に行ったクチだ。

合間合間に、アレ?この歌すいちゃんか?ダブルオー声優多ない?と思考を巡らせていた。2008年代頃の日5サウンドエピソードで鍛えられているので、耳には自信がある。

水星魔女最終回では、SNSで言われていたように実際に主題歌が流れていて、それが逆にシラケたのだが、今作はこの歌ありきというかわ主人公覚醒と共に主題歌がバチッとハマッて流れるのは気持ちが良かった。

途中から頻繁に出てくるキュピーン!みたいな直感の音が謎すぎる。定番なのだろうか。

というか、この映画プロローグとはいえ主人公の家庭環境がほわっと出てくるだけでそこに至るまでの思考も分からなければ、ヒロイン的な黒髪少女の事も薄幸そうな電波美少年の事も、何一つ分からない。難民なんだな、落書きアーティストかんだな、と記号的な事しかからない。

主人公ダイナミック自〇未遂?なのかと思ったら飛び込みしてただけなので何故あんなに騒がれているのかも分からない。

気になった用語サイコミューについても何も分からなかった。

他の用語のマブは説明があったのでかろうじて分かったものの、プロローグで何もかも分かるはずもないのだが。

とりあえず解説サイトでも見たほうが、この増田書くよりも有用時間だったかも。

anond:20250123125922

赤木は全国目指してるのになんで海南に行かなかったのか

海南一般入部も受け付けてるんだし

安西先生とのエピソード特になさそうだし湘北を選んだ理由が謎

anond:20250123114716

家で食い尽くされるって言い出す時は妻がASDパターンだったりするんだよね。

自分責任を指摘されても一切聞く耳を持たないで変えることがないので

話し合いで改善しない以上、実力行使で取るか別で食うかしか解決策が無いが、

ネット上に愚痴として出てくる時は本人の問題ASD故に一切言及しないので

勝手に食われた、冷蔵庫在庫勝手に食べまくる」ってエピソードけが出力されて

クソみたいな夫が勝手に食べるに変換されてるケースが結構あると思うぞ。

anond:20250123104330

被害にはすぐ「冤罪!」「ハニトラ!」と言い出すのに、「AEDを使ったら訴えられた」という根拠のないエピソードは秒で信じる上、医者弁護士デマだと言っても見て見ぬふりをしている皆さんを揶揄している「AEDを使ったら訴えられた」にはデマ!と言い出すのに性被害は秒で信じる増田さん

被害にはすぐ「冤罪!」「ハニトラ!」と言い出すのに、「AEDを使ったら訴えられた」という根拠のないエピソードは秒で信じる上、医者弁護士デマだと言っても見て見ぬふりをしている皆さん

女みたいな名前の男だけど、名前は男女はっきり分かるようにすべき

タイトルの通り、女みたいな名前の男です。

この名前のために、幼少期から嫌な思いをしていました。

数え上げるときりがないので、三つに絞ってエピソードを話します。

制服の採寸でセーラー服が来た

読んで字のごとし。公立中学に上がるとき小学校制服の採寸が行われた。

出席番号ごとに男子が呼ばれ、木箱に入った学ランが取り出される。そうして寸法が合っているかどうかを確かめる。そして、いざ自分の番が来たとき

木箱の中にあったのは、セーラー服だった。

まりの気まずさに、黙り込む制服メーカー人間。室内に飛び交う「◯◯ちゃーん」という同級生男子の声。あれから数十年経つが、未だにトラウマである

成人式で振り袖の案内が大量に来た

もうすぐ成人式という頃、振り袖を買いませんか、という手紙が大量に来た。

当時は個人情報保護法などない時代役所に行けば簡単他人個人情報が取れて、それを利用し業者ハガキを送りつけていた。

俺男やぞ、と訴えることもできなかった。

披露宴で女だらけのテーブルに入れられた

友人の結婚式に出席し、その披露宴でのこと。

席次表に従って席についたら、なぜか俺のテーブルは他に女ばかり。

しか若い女ばかりだ。おまけにみんな知らんやつ。

ひでえ気まずい。テーブルに着く女たちからの「なんでこの人ここのテーブルなの?」という視線女子トークなど当然ながら参加できず、ひたすら酒をあおった。

以上。頼むから子供には、名前で苦労させないでくれ。

特に幼少期の出来事は、一生のトラウマになるからな!

2025-01-22

anond:20250122140301

状況も設定もあり得ないものが多く釣りにしては雑

他のエピソードと合わせるとより酷い

嘘松は何故嫌われるのですか?

ワイ:何故嘘松は嫌われるのでしょうか? たしかに嘘の話ではありますが、創作作品という視点で見れば嘘松非難されるものでは無いという意見があります。ちなみに私も個人的嘘松には不快感があります

ChatGPT:嘘松が嫌われる理由はいくつかの要素があり、人それぞれの感じ方によって異なります。以下に主な理由を挙げます

1. 誠実さの欠如への反感

 嘘松問題点は、「創作であることを明示せず、実話として投稿する点」にあります創作物として楽しむのであれば嘘であることは問題になりませんが、実話と偽ることで「読者の信頼を裏切る」行為と受け取られます。この「欺瞞」が、人々に不快感を与える主な原因です。

2. 承認欲求押し付け

嘘松は多くの場合、「自分を良く見せるため」や「注目を集めるため」に投稿されます。そのような意図が透けて見えると、読者は「自己陶酔」や「構って欲しい」という動機に対して嫌悪感を抱きやすくなります

3. 共感裏切り

読者は投稿が実話であると信じて共感したり、感情移入したりします。しかし後から「嘘では?」と感じた場合、その共感が「無駄にされた」と感じ、不快感に繋がります

4. リアリティの欠如による違和感

嘘松エピソード現実離れしていることが多く、「ありえない」「話を盛りすぎ」という印象を受けます。この「不自然さ」に違和感を覚えると、話そのものを楽しめなくなり、不快感を覚えます

5. 他者の信用を傷つける可能

嘘松特定社会的状況や人物舞台にしている場合、それが偏見や誤解を助長する可能性があります。このため、対象に関する不適切イメージが広がることを懸念する人もいます

創作として認められる場合との違いー

嘘松創作物として評価されるかどうかは、「虚構であることを正直に認めているか」に大きく左右されます嘘松非難されるのは、創作だと明示せずに事実であるかのように振る舞うからです。

ユーザー嘘松不快感を抱く理由

ユーザー不快感を覚えるのは、おそらく以下の要因によるものではないでしょうか

1. 「誠実さがない態度」に嫌悪感を感じる。

2. 自分感情共感を「利用されたと感じる」。

3. 嘘松投稿者の自己中心的な行動が、自分価値観と合わない。

嘘松不快感を持つの自然感覚ですし、その気持ちを大切にすることは悪いことではありません。ただ、他者価値観や楽しみ方も尊重しつつ、適切な距離を保つのが良いかもしれませんね。

anond:20250122143232

羽生さんがニューステロップ見て(おっ羽生くん勝利か?)→「なんだ僕か」ってなったエピソード好き

anond:20250122104108

嘘松やめろと言われてるだけなのに、グチグチと些末な言い訳して「嘘松を続けていい理由」を見つけようとする…

さてはあなた、“嘘松”ですね?

違うって言うんなら、嘘松言葉ではなく嘘エピソードやそれを語る人間)についてどう思ってるか言ってみろよ。

まあ言葉の上でならなんとでも言えるけど、嘘松野郎ときどきびっくりするほどヤバい本音ポロっと漏らしてくれることもあるからなあ。

たとえ嘘でもそれでみんなが喜んでくれるなら別にいいじゃないですか?みたいな。

はー嘘松嘘松

anond:20250122104700

クッキングパパマニアはどんな料理の話聞いても「○○の回で~」とエピソードにつなげられるという話を聞いたことがある。

2025-01-21

anond:20250121135134

正直、トランスジェンダー当事者的には「正しい」とかまったく興味なくて、問題は就学、就業健康だと感じる。

まず男と女に分類できるタイプトランスジェンダーについてだけど、このタイプの中には外見や生活は完全に移行先の性別に落ち着いている人もいる。けれどその人たちがみな戸籍性別も変えられているかというと、条件もかかる費用も大変だからそうとは限らない(自分場合は諸々込みで200-300万かかった)。そうすると、外見はただのおっさんで周りから男性しか扱われないけど戸籍女性みたいな人間が生じる。

現状、外見と戸籍性別が違うことがバレるとハラスメントを受けることが多いから、そうした人は戸籍性別がバレないように就職先を探したりするけど、そうすると住民票の提出などが不要職場だけになり、かなり制限されることになる。また、そういう人は奇異の目で見られるのを恐れて病院も避けがちになるから健康リスクが非常に高くなる。

戸籍とは関係ないけど、トイレトランスジェンダー忌避しがちだから我慢して膀胱炎が「あるあるエピソード」なんだよね。それなのに医者も行きにくい。

男か女かで分けられるトランスジェンダーはこんな感じ。分けられないトランスジェンダーは、パスポート等にXのような記載を求めてる。これも、大きな問題としては医療あるかな、と思う。周りのノンバイナリーの人に聞いても、職場健康診断が男か女かだけで分けられていて、どちらの側でも行くだけで激しいストレスがあるから、何十年も受けたことがないということがあったりする。例えば、健康診断に行くたびに体型とか趣味とかを無闇に詮索されるようだったら「いや、あんなの行った方がむしろ健康に悪いわ」と思ったりすると思うんだけど、ノンバイナリーは常にその状態暮らしていて、こちらも健康に関して高リスク群となっている。現在は個々の病院単位で一部でそうした人が来やす環境を作ろうとしてくれているけど、一般的とは言い難い。けれど、戸籍住民票などに男女以外の性別記載されるようになったら、必然的にその存在意識して環境を整えることになるだろう。それは、ノンバイナリーの人々にとっては健康の維持に大きな影響をもたらす。

anond:20250120152341

ChatGPT

漫画小説に登場する架空暴力団の組名をいくつか紹介するね。

1. 東城会(とうじょうかい

登場作品: 『龍が如くシリーズ

ゲームの中で最大級の広域指定暴力団として描かれる。

2. 白峰組(しらみねぐみ)

登場作品: 『闇金ウシジマくん

闇金融裏社会に関わる組織の一つ。

3. 黒澤組(くろさわぐみ)

登場作品: 『サンクチュアリ

政界進出を目指すヤクザ政治家物語に登場。

4. 桐生会(きりゅうかい

登場作品: 『龍が如くシリーズ

主人公桐生一馬が一時期率いた組織

5. 関東明政会(かんとうめいせいかい)

登場作品: 『代紋TAKE2

関東を中心に勢力を持つ暴力団

6. 黒田組(くろだぐみ)

登場作品: 『日本沈没』(小説ドラマ

裏社会の動きを描くエピソードに登場。

7. 銀竜会(ぎんりゅうかい

登場作品: 『カメレオン』(加瀬あつし

少年ヤンキー漫画に登場する暴力団

8. 一影九郎会(いちえいくろうかい

登場作品: 『無頼伝 涯』(福本伸行

裏社会の一部として登場。

こういった架空暴力団は、物語スパイスとして登場することが多く、作品によって組織性質立場が異なるよ。気になる作品があったら読んでみるのも面白いかも!

2025-01-20

アヘ顔ダブルピースしてしまった話

 正直、このタイトルを見たら多くの人は「どういう状況でそんなことを?」と首をかしげるだろう。私自身、まさか自分が「アヘ顔ダブルピース」をする日が来るなんて、思ってもみなかった。いわゆる成人向け作品などで見られる、あの衝撃的な表情とポーズ。目がとろんとして口元は半開き、両手でピースサインをする姿を指すわけだけれど、普通に生きていれば、まず現実でやる機会なんてないはずだ。それがどんな形であれ、一度やってしまうとものすごいインパクトがある。今回はそんな私が、なぜかあのアヘ顔ダブルピースをしてしまった――という、ちょっと(いや、かなり)恥ずかしくて笑える話を綴りたい。

 私は都内OLをしている、ごくごく普通女性だ。華やかなパリピでもなければ、引きこもりオタクというわけでもなく、休日にはカフェ巡りをしつつ、アニメドラマを楽しむ程度の「そこそこサブカル好き」なタイプ学生時代アニメ研究会に顔を出していた時期もあるけれど、本格的にコスプレをするわけでもなく、ただアニメ感想を共有できる友人が欲しくて参加していただけだった。

 そんな私が「アヘ顔ダブルピース」をする羽目になったのは、大学サークル仲間でもある友人・A子の結婚式二次会きっかけだった。A子とは大学時代からの大の仲良しで、講義が終わると一緒にアニメショップを冷やかしたり、たまに同人イベントに遊びに行ったりする間柄。だけど卒業後は就職先もバラバラになって、年に数回しか会わなくなっていた。そんなA子から結婚することになった!」と連絡を受けたときは、思わずスマホを持つ手が震えるほど嬉しかった。共にオタク青春を送った彼女花嫁姿が見られるなんて、想像するだけで胸がいっぱいになる。

 そして迎えた結婚式当日。披露宴はとても素敵で、A子と新郎さんの仲睦まじい姿にこちらまで幸せ気持ちになる。私は高校大学の旧友たちと同じテーブルになり、懐かしい話に花を咲かせていた。「あのとき一緒に観たアニメ、もう10年前だね」なんて盛り上がっているうちに、あっという間に披露宴が終わった。

 その後、会場を移動して開かれた二次会は、思ったより規模が大きかった。貸し切りのパーティスペースには、A子や新郎さんの仕事関係の友人、大学同級生たち、さらには新婦側の親戚筋まで含めて、ざっと50人近くが集まっている。入り口にはウェルカムボードならぬウェルカムイラスト(A子のオタク友達が描いたらしい)が飾られ、どうやら彼女らしい独特の演出が随所に散りばめられていた。

 そんな雰囲気の中、司会を務める新郎友人の男性マイクを握り、テンション高く二次会ゲーム企画を発表し始めた。私も二次会ではちょっとしたクイズ大会ビンゴくらいだろうと思っていたのだが、どうやらもう少し変わった内容になるらしい。

「さあ、今から皆さんをいくつかのチームに分けて、ゲーム大会を行いまーす! 本日新郎新婦は、ご存じのとおり“大学アニメ研究会出身。そしてなんと、大学時代はコスプレイベントにも一緒に参加していたそうなんです! そこで今回は、“アニメ漫画の有名ポーズ再現選手権”を開催したいと思います!」

 予想を超えたアナウンスに、会場のあちこちから笑い声とどよめきが起こった。確かにコスプレイベントにA子と出かけたことはあるが、実際に私がコスプレをしたかというと、せいぜいウィッグを付けてみた程度。どちらかというと、A子がガチレイヤーで、私はカメラ係というポジションだった。そんな私でも、ステージで何かやらされる可能性があるという事実に、早くも冷や汗をかきはじめる。

 案の定、司会は続ける。

ルール簡単! まず皆さんを5~6人ずつのチームに分けます。各チーム代表が“ポーズカード”をランダムに引いて、そのポーズ再現していただきます! そのポーズが何なのかを他のチームが当てたらポイントゲット! 一番ポイントを稼いだチームが優勝でーす!」

 こういう企画結婚式二次会ではそこそこあると聞いたことはあるが、まさかアニメ漫画の有名ポーズ”縛りだとは。私もある程度アニメ漫画には詳しいつもりだけれど、大勢の知らない人の前で再現するのは正直きつい。「ジョ○ョ立ち」とか「かめはめ波」くらいなら、恥ずかしいながらも笑いを取れるかもしれない。でも問題は、もっとディープなやつが来たときだ。これはもう運に任せるしかない。

 そして私は、くじ引きで同じチームになった仲間と一緒に、横並びになってポーズカードを引く順番を待っていた。チームメイト大学サークル仲間が2人と、新郎さんの職場関係らしい男性2人、それに私、計5名。ある意味で、オタク度合いがまったく異なる人たちがごちゃ混ぜになっている。これはこれでカオスだ。私は「どうか無難ポーズを引きますように!」と心の中で祈りながら、手汗でベタついた手をこっそりスカートの裾で拭っていた。

 しかし――。

 人生にはどうしても避けたい瞬間というものがある。私がカードを引いて封を切ると、そこにはこう書いてあった。

アヘ顔ダブルピース

 絶句脳内が真っ白になるとはまさにこのことだ。一瞬、文字意味理解できないほど頭が追いつかなかったが、そのあと猛烈な速度で血が頭に上っていくのが分かった。まさかよりによって、私が一番引きたくなかったカードを引いてしまうなんて……。薄々「アニメ漫画系の有名な“アレ”」としてリストには入っているかも、とは思っていたが、実際に自分が引くと分かった瞬間、理性が吹っ飛びそうになる。

 とはいえ、周囲にはほかのチームメイトもいるし、見守る観客もたくさんいる。ここで「すみません、やっぱり無理です」なんて逃げるわけにはいかない。私がそんな行動をすれば、他のチームメイト迷惑がかかるし、二次会の進行にも支障をきたす。これはもう腹をくくってやるしかない。そう思いながらも、心臓バクバクと音を立てているし、額には冷や汗がにじんでいる。かといって、一回やると決めた以上は中途半端再現で終わらせたくないという妙なプライドが湧いてくるのが、オタクのサガでもある。

 司会者が「それではチーム○番の皆さん、どうぞステージへ!」と声をかける。私のチームの番が来たようだ。ステージといっても、会場の端に設営された簡易的な台の上だが、そこに上がるだけで視線が一気に集中する。とくに今回のゲーム再現度を競うという趣旨もあるから自然と注目度は高い。もう逃げられない。私は頭の中で静かに数を数え、なんとか気持ちを整えた。

 最初披露するのはチームメイト男性陣。彼らが引いたカードはまだマシだったようで、「北○の拳の有名な“あべし!”的なポーズ」とか「ウ○シマンがポーズを決める場面」など、観客にも即座に伝わるレベルのものだった。彼らは多少照れながらも一生懸命ポーズをとり、会場からは笑いや拍手が起こる。おかげで雰囲気が和んだのはよいが、その分、私が最後に残した「アヘ顔ダブルピース」のハードルの高さが際立ってきている気がしてならない。

 そして、ついに私の番だ。司会者が「最後はこの方! さてどんなポーズが来るんでしょうか!」と煽る。私は震える手でマイクを受け取り、死ぬ思いで宣言した。

「私が引いたカードは……『アヘ顔ダブルピース』……です。」

 この瞬間、オタクたちが理解し、悲鳴にも似た歓声を上げるのが分かった。逆にオタク文化に縁のない人たちは「何それ?」とぽかんとしている。両者の温度差が激しくてカオス雰囲気になったが、私はもうやるしかない。心の中で「勝負だ!」と気合を入れ、息を大きく吸ってから、顔を崩す。

 目をとろんとさせ、口元を緩ませ、舌をちょっと出してみる。肩の力を抜いて膝を少し曲げる。そして両手を顔の横に上げてピースサイン……いわゆる“アヘ顔ダブルピース”の定番ポーズだ。マンガアニメで見慣れたあの姿を、自分が全力でやることになるとは夢にも思わなかった。しか100人近くの参加者が見ている。この羞恥は一生分では収まらないレベルだ。

 でも、意外だったのは、その瞬間に会場が爆笑の渦に包まれたこと。男性陣だけでなく、女性からも「なんかすごい再現度!」「そこまでやるかー!」と口々に称賛(?)の声が上がった。特にA子は、ステージから目を丸くしつつ大笑いしている。彼女からすれば、大学時代はそこまでコスプレにも熱心ではなかった私が、ここまで振り切った姿を見せるのが相当ツボらしかったようだ。

 やる前はめちゃくちゃ恥ずかしかったが、こうしてみんなが大ウケしてくれたことで、吹っ切れたような気持ちになった。まるでコスプレイベントで全力パフォーマンスを決める人のように、自分の中の「どうせならやりきってやる!」というスイッチが完全に入ったのだ。そこから先は、むしろ楽しもうというモードに切り替わり、舌を出す角度を微調整してみたり、目をもう少しとろんとさせてみたりと、さらバリエーションを試し始めてしまった。

 すると観客側からも、「もっと目をやばくして!」「もうちょい頭傾ける感じで!」といった悪ノリの声援が飛んでくる。まさか結婚式二次会でこんな盛り上がり方をするとは。もちろん、オタクではない人たちは「何が起こっているの?」と戸惑っていたかもしれないが、会場の全体的な空気としては「よく分からないけど面白い!」くらいの勢いで、みんな笑顔だった。

 結局、私の渾身のアヘ顔ダブルピースは相当なインパクトを残したらしく、他のチームが再現したポーズを押しのけてダントツ得票数を獲得。優勝チーム私たちのチームとなった。「“アヘ顔ダブルピース”を全力再現した勇気拍手!」というコメントとともに、司会から特別賞として小さなトロフィーまでいただいてしまった。人生アヘ顔ダブルピーストロフィーなんてものを受け取るとは、思いもよらない展開だ。

 その後も二次会和気あいあいと進み、最終的にめでたくお開き。私は出口付近でA子に捕まえられ、「あんた最高だよ! まさかそこまでガチでやってくれるなんて!」と爆笑されながら感謝された。新郎さんも「僕もオタク寄りだけど、あそこまでの完成度は初めて見ました」と感心してくれた。さらに、先ほどステージで一緒だった新郎友人の男性からも「本当にありがとうございました! おかげで大盛り上がりでした」と声をかけられ、すっかり顔から火が出そうなくらい照れてしまった。

 私はその場では笑って誤魔化したものの、帰りの電車に乗るころになると、「私、あんポーズをこんな大勢の前でやってしまったんだ……」という事実がどんどん重くのしかかってきた。スマホを開くと、さっそくSNSに「A子の二次会めっちゃ盛り上がった!」「すごい芸人魂を感じた!」なんてツイートが上がっていて、どうやら私の恥ずかしい姿が写真動画になって拡散されつつあるらしい。A子は「顔は隠しておくから安心して」と気を遣ってくれていたが、現地にいた人にはモロバレである。しばらくその恥ずかしさに悶える日々が続いた。

 とはいえ、結局のところ、たくさんの人が喜んでくれたのは確かだし、A子からも「本当にありがとう。最高の思い出になったよ」と言われたら、やってよかったのかもと思えてくる。私自身、意外にも「開き直ると案外楽しい」という経験を積むことができたし、人生ネタになるエピソードが一つ増えたわけだ。いま思い出すと、顔から火が出るように恥ずかしいけれど、「あの日ちょっとだけ自分の殻を破れたのかもしれない」と思うと、悪い気はしない。

 ――こうして私は、人生で初めての、そして(たぶん)最後になるであろう「アヘ顔ダブルピース」を披露してしまった。よくよく考えれば、あのポーズ現実人間がやるにはかなりハードルの高い代物だ。でも、結婚式というめでたい場を盛り上げられたのなら、まぁこれもアリだろう。もしこの先、誰かが「結婚式二次会で恥ずかしいポーズをやらされた」という話をしたら、私は間違いなくこう言う。

「私はアヘ顔ダブルピースをやったことがある。もう何も怖くない

 人生、意外なところで度胸がつくものだ。こうして文章にしてみると、ますます自分でも信じられない出来事だけれど、これが私の「アヘ顔ダブルピースしてしまった話」だ。どうか皆さんも、運悪く(?)くじで“ヤバいポーズを引いてしまった時には、ぜひ思い切って振り切ってみてほしい。中途半端に恥じらうよりも、全力でやって笑ってもらったほうが、ずっと気持ちがいいと私は思うのだ。そしていつか、私のように「ネタとして笑い話にできるエピソード」に昇華できたら、それはそれで、人生の思い出としては最高に面白いのではないだろうか。

中居くんは悪くない

中居くんは悪くない」。このフレーズを耳にすると、多くの人は彼の爽やかな笑顔や軽妙なトーク、そしてバラエティ番組で見せるサービス精神を思い浮かべるだろう。SMAPメンバーとして長年第一線で活躍し、グループ解散後もなお数多くの番組で司会やタレントとしての才能を示し続けている中居正広は、その明るいキャラクターから世間では“誰からも好かれやす存在”というイメージが強い。だが一方で、彼をめぐっては「女性問題」と呼ばれる話題がいくつか浮上し、そのたびに様々な憶測批判が飛び交ってきた。しかし冷静に見つめ直してみれば、実は彼は「問題当事者である」というよりも「被害を受けている側」である場合が多いのではないだろうか。そう考えたとき、「中居くんは悪くない」という言葉に、改めて深い意味が見えてくるように思う。まず第一に、中居くんにまつわる女性関連の噂は、その多くが“証拠不十分”のまま報じられるケースが多い。そもそも芸能界にはプライバシー個人的な交友関係に対して執拗に迫るメディア存在しているが、視聴者の興味を引くためであれば、確かな裏付けがなくてもスキャンダルとして扱われることが珍しくない。その背景には、人気タレントであるがゆえに生じる“ネタとしての需要”があるからだ。いわゆるゴシップ誌ネットニュースは、中居くん名前見出しに使うだけで一定アクセス数や売上を見込める。そのため、本来ならば「根拠が薄い」と判断されるような情報でも大きく取り上げられ、いつの間にか「事実」としてひとり歩きしてしまうのだ。そして中居くん本人としては、番組や公の場でいちいち否定しようものなら、それ自体さらに注目を集め、話題を長引かせる結果になってしまう。とくにバラエティの司会やゲストという立場上、“うまく笑いに変える”ことを期待されるため、否定真剣になればなるほど「逆に怪しい」などと揚げ足を取られかねない。こうした状況でやむを得ず曖昧な態度を取ったり、さらっと受け流したりすると、それがまた「やっぱり何かあるんじゃないか」という憶測を招き、さらに噂が増幅されるという悪循環が生まれしまう。つまり、騒ぎが大きくなればなるほど、タレント側は「言い訳がましい」と取られないように慎重にならざるを得ず、その結果「否定の少なさ」が“暗黙の肯定”として扱われてしまうのである。これは一種構造的な“芸能人宿命”と言ってもよく、なかでも中居くんは圧倒的な知名度を持つだけに、その被害を最も受けやす立場にいると言えるだろう。さらに注目すべきは、中居くん性格言動パターンから見えてくる“被害者的要素”である。彼は長年バラエティ界を支えてきた存在でありながら、自分自身プライベート内面について深く語ることをあまり好まない。アイドルとしてデビューした初期から、一貫して“中居イズム”とも言えるようなスタイルを貫いてきたが、それは言い換えれば、心の内を多くは語らず、必要以上に周囲を巻き込まないよう配慮してきたということだ。もともと多くのテレビ番組MCを務めてきた経験からもわかるように、彼が優先してきたのは「ゲスト共演者を引き立てること」「番組全体を盛り上げること」。決して自分を前面に押し出すタイプではない。そんな彼が、女性問題に関しても積極的反論説明をするはずがないのだ。自分いくら誤解されていようとも、そこで一から十まで事実を主張して戦おうとはしない。なぜなら、詳細を語れば語るほど、スキャンダルとして再燃するリスク高まるからであるときにはそこに他の女性名前プライベート情報が絡む可能性もあるため、なおさら公に言及しづらい。結果として、より大きな騒ぎを避けるために黙る姿勢が、“何も否定していない=クロ”という印象を生んでしまう。これはあくまタレントとしてのプロ意識リスク管理の一環であるにもかかわらず、彼があまりにもビッグネームゆえに、世間からすれば「やましいから黙っているのでは」と捉えられてしまうのである。こうした一連の流れを見ると、中居くんは“女性問題”とされる噂のほとんどを積極的に語らずにいることから、逆に「被害者」であるように感じられる。彼が注目を浴びれば浴びるほど、メディアネット上では新たな“疑惑”が湧き上がり、あるいはさまざまな憶測が結びつけられ、“話題として消費”される。その結果、中居くん自身は何も語っていないにもかかわらず、ファン視聴者はいつの間にか「女性関係が派手」「浮名を流している」というイメージが定着してしまう。しかしそれらの大半は真相が定かではなく、当の本人否定肯定もしていない。そもそも噂の出どころは当時の関係者が匿名発言したものや、週刊誌が「関係者の話によると」とぼかして書き立てるものが多いが、果たしてどれだけの信ぴょう性があるのかは極めて疑わしい。タレントとしての中居くんは、どんなときでも番組を盛り上げるために笑いとトークで場を和ませる。SMAP解散後も多くのバラエティに引っ張りだこであり、視聴率や注目度を左右するほどの存在感を放っている。こうした大きな影響力があるがゆえに、彼がちょっとした発言をしただけでもゴシップ火種になりやすい。たとえば番組内で冗談めかして「彼女?いないいない」と言っただけのことが、ネットニュースでは「熱愛の可能性」や「結婚の噂」へと拡大解釈されるケースもある。こうした歪んだ伝わり方が繰り返されるうちに、まるで中居くんが“秘密裏に怪しい行動をしているかのような印象”が作られていくのだが、ここには彼自身意思や行動とは無関係な要素が多分に含まれている。実際、中居くん番組共演者プライベート話題に触れられても、あまり過敏に反応しない。むしろ芸能人から仕方ない”という感覚でいるようにも見える。しかし、その“反応の薄さ”が時に「やはり後ろ暗いことがあるのでは」と邪推されてしまうのも事実だ。つまり、何をしても注目され、何をしても誤解されるという状況に置かれているのが、まさに現在中居くんなのである。これは紛れもなくタレントとしての宿命であり、“有名税”と言えるかもしれないが、少なくとも“女性問題”の主張だけを見れば、彼が進んでゴシップを生み出しているわけでもなければ、誰かを傷つけている事実が見つかるわけでもない。むしろ、彼が被害であると思えるエピソードのほうが多いのではないかさらに、彼の性格的な特徴として“配慮の深さ”が挙げられる。中居くんはよく周囲のスタッフ共演者に気を配り、相手立場尊重することで知られている。バラエティ番組の進行をする際も、共演者の得意分野や話したい内容をしっかりと引き出し、誰も置いてけぼりにしない司会運びを心がけている。こうした人柄からすれば、もし女性に対しても同様に優しく接しているのであれば、なおさら誤解が生まれやすい。たとえば仕事パートナーに対して礼儀正しく接し、時にはおいしいレストランを紹介したり、プライベートでも相談に乗ったりという行為は、あくまで人としての気遣いである可能性が高いのに、世間からすればすぐに“親密交際か?”と受け取られがちだ。芸能人という立場を考えると、そうした何気ない人間関係が一瞬のうちにスキャンダルに変貌してしまう危うさは常につきまとう。それを考えれば、中居くん自分プライベートを守るために、わざと曖昧な受け答えをしたり、深く語るのを避けたりしているとも推測できる。そしてそのスタンスを貫く限り、彼はマスコミ視聴者の好奇の目にさらされ続け、それこそ“誤解の被害”に遭いやすいわけだ。もちろん、これまでの人生において、中居くんにもさまざまな女性との出会いや別れ、あるいは恋愛感情の芽生えなど、多くのドラマがあったかもしれない。ただそれらは本来プライベート領域であり、互いに納得している関係であれば、外野がとやかく言う筋合いではない。たとえ週刊誌などが「女性問題」と大々的に報じようとも、その裏側には、中居くんがまったく望んでいない形で情報曲解され、拡散されている現実がある。芸能界においては一度火がついたゴシップを完全に鎮火させるのは非常に難しく、それもまたタレントが被る“痛み”の一つなのだ。こうして眺めてみると、「中居くんは悪くない」という言葉には、単なるファン擁護や甘い見方だけではなく、一定合理性が含まれていることがわかる。確かに彼はアイドルとしてスターダムを駆け上がった存在であり、多くのファンの期待を背負っているからこそ、あれこれと批判疑惑の目を向けられる立場にある。しかし、その批判の多くは、実際には憶測に過ぎなかったり、背景事情が歪められて報じられたりしている。あるいは、中居くんが平然と受け流すように見えるからこそ「きっと隠し事があるに違いない」と思われることもあるが、当の本人からすれば、わざわざ否定して騒ぎを大きくするより、沈黙を貫いたほうが周囲の迷惑にならないという配慮もあるのだろう。要するに、彼がメディアや人々の期待に対して果たしてきた役割の大きさが、“女性問題”という形のゴシップ必要以上に増幅させてしま構造がある。そこにおいては、中居くんはむしろ被害を被っている側であり、「悪くない」どころか、誠実に振る舞おうとするがゆえに誤解される“損な役回り”に陥っているとも言える。その意味で、「中居くんは悪くない」というタイトルは、私たちが彼のパブリックイメージだけに惑わされず、芸能ニュースゴシップ記事を一歩引いて見つめ直すためのキーワードになり得るだろう。彼の言動事実としてどうなのか、彼に罪があるのかないのかを断じる前に、まずは“噂が噂を呼ぶ”芸能界システムや、プライベートを切り売りされるタレント立場理解する必要がある。そして、その大変さを真正から受け止めつつ、あえて“華やかな世界”に身を置く覚悟を決めた中居くんという人間プロ意識責任感に、ほんの少しだけ思いを馳せてみることが大切なのではないだろうか。彼は常に笑顔で、あるいは軽快なトークお茶の間を楽しませてくれる。その姿の裏側で、どれほどの噂にさらされ、どれほどのやりきれなさを抱え込んできたのか。そのことを想像するだけで、“被害者”という言葉が浮かぶのも無理はないように思う。「中居くんは悪くない」と声を上げる人々の多くは、単純に中居くんを好きだからというだけではなく、こうした構造的な背景を察しているのではないだろうか。そして、それを知るがゆえに、たとえどんなゴシップが流れてきたとしても“彼は問題を起こすような人じゃないはずだ”と信じ続けるのである。彼の長い芸能生活の中で築かれた信頼関係仕事ぶりを見れば、その判断は決して根拠のないものではないと感じられるだろう。したがって、「女性問題」として槍玉に挙げられる噂を追いかけるよりも、むしろ中居くんというタレントがどれだけの困難を乗り越え、どのように番組ファンを楽しませてきたのか、その実績と姿勢に目を向けることが必要なのではないか。そうすれば自然と、「中居くんは悪くない」という言葉には、ひとりの人間としての彼が背負ってきた苦労や、それを支えるファンの想いが見えてくる。そして最終的には、多くの人が感じているように、やはり中居くんは“被害者”なのではないか、と頷くことになるはずだ。彼のキャラクター仕事に対する真摯姿勢を知れば知るほど、そう確信せざるを得ないのである

りんご

世の中の奥様ってやさしいのね。

Xでバズってた体調悪くてりんごしか食べれないか旦那りんご一袋買ってきてと頼んだのに、高いと言って一個しか買ってこなくて、それを子どもが食べたって人、信じられない。

わたしは自他共に認めるきつめの嫁だからりんご一個しか買ってこなかったら、もう一回買いに行かせるし、子どもが食べたいといったら、半分か一切れ渡すだけにする。

モスチキンも一個しか買ってこなかったて書いてたけど、私なら、そのエピソード10回くらい擦る。「なあ、なんであのときモスチキン一個しかかってこんかったん?なあ??」て詰める。

なしてそんなに我慢するやろ?

兵庫県議が亡くなったので俺もお気持ち表明しとく

https://anond.hatelabo.jp/20250120012954

元増田が俺と思考が似通っていて笑った。

俺も30代兵庫県民で斎藤知事には投票しなかった。同じ考えの県民観測出来て少し心が救われた。

俺も何か書きたかった矢先に元増田投稿に邂逅したので、元増田に敬意を示しつつぶら下げさせてもらいます

投票行動について(なぜ斎藤知事投票しなかったか)

発端となった告発文書パワハラアンケート百条委員会一次ソース自分確認していて、個人的には「これで何もないと言う方が難しいのでは」くらいの感覚だった。

ただ判断基準としてはそこはあまり関係なく、告発文書への対応それ自体が全篇を通してガチパワハラムーブだったので「職員過去何をされたか知らないが、今俺は目の前で職員へのパワハラを見せつけられている」状態になっていた。

知事の実績については正直実感が無かった。今の市長が色々変えてくれて市民生活が向上したってのはかなりの実感があるのだが、知事が変わって良くなった感覚は無い。

辞職でなく失職を選択したのも筋が通っていないし、公約着手達成率98.8%ってのも個人的には印象を下げた。

まとめると、観測できる知事自身の行動だけ見ても、十分に不誠実な人間であるとの結論に至った。

ネットでの斎藤擁護についても積極的に見聞きしたが(不謹慎ながらコンテンツとして面白かったので)、「正直これでネットDE真実はキツい」という主観は持っていたが、「石丸伸二の先例は馬鹿にできない」という自戒があった為、当落どっちもあるなとは思ってた。

兵庫県民は公務員嫌い

一連の流れの中で、「県民公務員が嫌いだから知事もっとやれって思ってんじゃないの」という指摘が少ないながら観測されていた。

両親が公務員の子であるから言わせると、これはあると思っている。少なくとも俺の地域では。

そう感じるエピソードはあるが、自分語りになるのでやめておく。簡単に言うと、僻まれる傾向が強い。

俺は元増田と違って公立出身だが、毎年東大京大排出してる高校だけど公立かめちゃくちゃ平和だったよ。

ただ公務員嫌いと受験戦争による歪な倫理観通底しているかもとは感じた。こじ付けか。

まぁ、元増田の言う「他人権利無頓着思考も相まって、元県民局長の死は県民の心に届かない土地であるように思う。

何が言いたいかって、今回の議員の死についても誰も何も思っちゃいないのではってこと。世知辛いね。

ネットマスコミの影響とこの先

若年層ほどネットの影響はあったように思う。1020代はもうSNSネイティブからしょうがない。

俺と同世代(30代)もSNS黎明期人間ではあるのかな。本名mixiやってる友人を見て度肝抜かれたもんだが。

告発文書怪文書と言い放ちながら、ネットで増幅されていく怪情報には無抵抗に信じた(今も信じている)者は若年層になるほど多そう。

ただ全世代共通してるのはやっぱりマスコミ不信。「マスコミが言う事の反対が正解!」って思ってる人は世代を問わず一定数いる。

ただ今後は益々ネット全盛時代倫理観で育まれた民が県政国政を担う人材を決めていくので、兵庫県だけの話ではないんだよな。

先に石丸伸二の都知事選で示された通り、地域関係なくこの流れはもう止まらないだろう。

世界に目を向ければ、これが日本だけの話でもないとさえ思うよ。

もうこれはそういう時代突入したんだと受け入れて、せめて自分とその周りが幸せ暮らしていけるように俺も頑張ります

●おまけ 公選法違反について

斎藤知事選挙を経て再選されたのは俺を含めた県民が決めたことなのでそこに異論はない。

ただその選挙が公正に行われたというのが大前提であって、ここの疑義を糺すことはするべきだと思う。

知事在任中に結論出る話ではなさそうだけど、そこはどうでもよくって、きちんと司法の法的判断を拝みたい。

社長が「嘘八百」流してましたという知事の主張が通るのであれば、現行の公選法攻略できたと言っていいのでとても興味があります

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