はてなキーワード: 逆境とは
エンジニアとしての自分に、まさかこんな形で「限界」を突きつけられる日が来るとは思わなかった。技術が進歩していくのは当然の流れだし、自分自身もエンジニアとして日々勉強を重ね、トレンドを追いかけながらキャリアを積み上げてきた。それでも「生成AI」という存在がここまで急激に注目を浴び、しかも自分の労働価値を根底から揺るがすほどのインパクトを持って現れるとは、正直なところ想定外だったとしか言いようがない。
自分がエンジニアとしてやってきたことは、プログラミング言語の仕様を理解し、アルゴリズムを考え、設計書を読み込み、エラーと向き合いながら少しずつ完成度を高めていく――そんな地道な作業の積み重ねだ。時には新しい言語やフレームワークを学んで試行錯誤を繰り返し、何とか動かすところまでもっていき、ようやく使えるプロダクトとして世に送り出す。このプロセスを通じて、エンジニアとしての「自分らしさ」や「スキルの高さ」をアピールし、労働市場での価値を維持してきた。そのためには新しいツールを使いこなす技術だけでなく、バグを追い詰める根気や、仕様を理解して予期せぬ事態に対処する能力も必要だった。
しかし、生成AI――特に大規模言語モデルをはじめとする機械学習ベースのシステムは、そうしたエンジニアの「頑張り方」を一気に変えてしまう可能性がある。いや、可能性というよりも既に変えつつあると言っていいだろう。たとえばコードの自動生成がここまで進化してきたことで、「ちょっとしたプログラムなら数行のプロンプトを入れるだけでボイラープレート的なコードは瞬時に作成できる」「ある程度のアルゴリズムも提案してくれる」という状況が生まれつつある。かつてはコピペやスタック・オーバーフローを駆使しながら苦戦していたような領域が、今や自然言語で指示を与えるだけである程度完成した形で出てくる。そんな光景を目の当たりにすると、複雑な気持ちにならざるを得ない。
まずは単純に「すごい」という感情が湧き上がる。「こんなことまでできるんだ」「AIの進化って本当にすさまじいな」という畏敬の念。しかし同時に、「自分が今まで必死で学んできた技術やノウハウはどうなるのだろう」という不安や焦りが胸を支配してくる。自分はエンジニアとして、アルゴリズムの知識やコードの品質向上のためのテクニックを磨いてきた。それなりに自信もあった。けれど生成AIは、そうしたノウハウを内包するかのように、エンジニアがコツコツ積み上げてきた経験を一気に飛び越える成果物を生み出してしまうことがある。もちろんまだAIには弱点もあるし、すべてが完璧に自動化されるわけではない。だけど、これだけ急激に進化を続ける技術を目の当たりにすると、5年後、10年後にはどうなっているのか、想像すらつかない。
「仕事が奪われる」という言葉は、AIの台頭とともによくささやかれるフレーズだ。これまでも機械化によって多くの工場労働者が職を失ったり、ホワイトカラーの事務作業がRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)によって自動化されたり、そういった話はあった。でも、自分に限って言えば「エンジニアは大丈夫だろう」と、どこかで高をくくっていた。プログラムを書く行為自体がクリエイティブであり、人間の頭を必要とする作業だと思っていたからだ。それが今、生成AIというものが「あらゆる文章を生み出せる」だけでなく「ある程度のプログラムも生成できる」存在として登場し始めたことで、エンジニアの仕事というものが「人間である必要があるのか?」と問われ始めているようにも感じられる。
もちろん今のところ、生成AIが吐き出すコードは完璧ではないし、大規模なシステムを最初から最後まで構築できるほどの統合能力はまだないとされる。しかし、それは今時点の話でしかない。明日にも新たなモデルやフレームワークが登場し、問題を解決する手段が生み出されれば、あっという間に追いつかれ、追い抜かれてしまう可能性だってある。「AIにはこんなことはできないだろう」と思っていたら、数か月後にはAIがあっさりそれをやってのける。そんな現象を、ここ数年だけでも何度も目にしてきた。だからこそ、「エンジニアとしての自分は今どの地点に立っているのか」「これから何を武器にして仕事を続けていけばいいのか」、その問いに対する答えが見つからないまま、ただただ焦りと不安が募る。
さらに厳しいのは、会社側も生成AIの有用性を認識し始めているということだ。開発現場で役立つことが証明されれば、「新しく人を雇うよりもAIのサブスクリプションを使ってコスト削減を目指そう」となるのは自然な流れだろう。一人のエンジニアを雇うためには給料や福利厚生も用意しなければならないが、AIの利用料は安価なもので済む可能性が高い。ソフトウェア更新や学習データのチューニングなどのコストはかかるにせよ、「人間をまるごと雇う」よりはリスクが少ないかもしれない。そうなると、企業は本当に優秀なトップエンジニアだけを厳選して雇い、その他の多くのポジションは「AIと最小限のオペレーター」で回すという極端な体制を敷くかもしれない。そのとき自分が「優秀なトップエンジニア」の枠に入れるのかというと、正直自信はない。
「だったらAIに負けない技術を身につければいい」と言われるかもしれない。だけど、そもそもAIと真っ向勝負しようとすることに意味があるのかどうか、疑問に感じてしまう。自分がもともとエンジニアを目指したのは、単純にプログラミングが好きだったからだ。パズルを解くようにロジックを組み立て、コンピュータが自分の指示通りに動く瞬間の喜びは格別だったし、それによって誰かの役に立てるということがモチベーションにもなっていた。けれど今、あまりにも急激に進化するAIに対して「対抗心を燃やす」という発想自体が、もはや時代遅れなのかもしれないと思い始めている。
さらに言えば、生成AIに対する嫌悪感よりも、「便利だから使ってみたい」という好奇心もある。実際に使ってみると、驚くほどのスピードでコードの雛形が出力されるし、対話的に「ここをもう少し効率良く書き直して」と指示を出すと、それも的確に応えてくれる。自分で試行錯誤する時間が大幅に削減されるから、プロダクトの品質やリリースのスピードを考えると、間違いなく使ったほうが得なのだ。矛盾しているようだが、「使わなければ置いていかれる」し、「使えば自分の労働の意味が薄れる」というジレンマを抱えながら、結局AIを利用せざるを得ない状況に追い込まれている。
では、エンジニアとしての自分の「価値」をどこに求めればいいのか。かつてはコードが書けること自体が大きな武器だったが、もはやそれはAIに取って代わられつつあると感じている。もちろんまだAIだけでは設計やデバッグ、ユーザー要件の細かい調整などは完全に任せられない場面も多い。しかし、それも時間の問題で「徐々に可能になるだろう」という予感がある。最終的には、エンジニアに求められるのは「想像力」や「コミュニケーション能力」、あるいは「プロジェクトマネジメント能力」など、いわゆるソフトスキル方面にシフトしていくのではないか――そんな仮説がよく語られるが、それらだってAIが補佐できるようになれば、結局は人間を凌駕してしまうかもしれない。
こうした不安や疑問を抱えながらも、結局のところ人間である自分が生き残るためには「自分にしかできない価値」を見つけるしかないのだろう。けれど、その「価値」が何なのかがわからない。目立った才能や芸術的センスがあるわけでもなく、人の上に立って組織を率いる能力があるわけでもない。ただ、エンジニアとしてプログラムを書くのが好きで、それを仕事にしてきた。それが今、AIの登場によって脅かされている。こんなにも大きな変革の波の中で、自分がどう行動すればいいのか、まったく見当がつかない。夜中にふと目が覚めて、「この先、本当にやっていけるのか」と胸がざわつくこともしばしばだ。
一方で、生成AIが社会的に広まっていく中で、個人的には「使い方次第では新しい価値を生み出せるかもしれない」という期待も抱いているのも事実だ。たとえば、生成AIを活用して自分自身のアイデアを迅速に形にできれば、スタートアップのように少人数でも新しいビジネスを興せるかもしれない。あるいは、AIが不得意な領域――例えば人の感情や文化的背景に深く根ざしたコミュニケーション――をエンジニアの視点からサポートし、新しいサービスを企画・設計できるかもしれない。そう考えると、絶望の中にも一筋の光は見えるし、自分の存在意義を発見できる可能性はゼロではないと思う。
しかし、それが実現できるかどうかはまさに「自分次第」であり、そのための行動指針や学習計画すら、AIに頼る時代が訪れているのが現実だ。今後は、単にプログラムを書く技能だけでなく、AIと共存しながら効率的にプロダクトを生み出すプロセスをデザインできる人材が求められるのかもしれない。ただ、そんな広範囲なスキルセットを短期間で身につけることは非常に難しく、結局「AIを使いこなす者」と「使いこなせない者」の間に大きな格差が広がっていくのだろう。もしかすると、自分はその波に乗り遅れてしまうのではないか――そんな予感が拭えない。
「エンジニアだけど生成AIが出てきたおかげでもう限界」と嘆く自分が、この先どんなキャリアを積み上げられるのか、正直なところ自信はない。最悪の場合、技術の進化についていけずに職を失うことだって十分ありうるだろう。けれど、何もせずに指をくわえて見ているだけでは、本当に何も生まれないし変わらない。自分自身を鼓舞するつもりで言うが、結局は行動するしかないのだと思う。幸いにして、生成AIを使うためのハードルはそこまで高くない。オープンソースのプラットフォームや無料で試せるモデルだってある。とりあえずは、それらに積極的に触れながら、「AIだからこそ作れるものは何か」を模索するしかないのだろう。
このままいけば、自分が持っているプログラミングの知識やスキルは、今後ますますAIにとって代わられるかもしれない。でも、だからと言ってエンジニアという職業が完全に消滅するわけではないはずだ。AIがさらに発達したとき、逆に言えば「人間にしか扱えない領域」というのが再定義される可能性もある。その領域を早めに見つけて、そこへシフトしていくのか、それともAIと競合するのではなく共存しながら自分の働き方をアップデートするのか――どちらにせよ、自分自身の手で道を切り拓く覚悟が必要だ。
正直、今は「もう限界だ」と思う瞬間が頻繁にやってくる。理不尽なほどに速い技術の変化についていくのは大変だし、自分よりも若くて吸収が早い人材がどんどん出てくる。そんな中で、生成AIのような強力なツールまで活用されたら「自分の居場所は本当に残っているのだろうか」と不安になるのも無理はない。それでも、変化を憂うだけでは一歩も前に進めない。結局、AIが台頭する前も、プログラミング言語が進歩して自動化が進むたびに「もうエンジニアは不要になる」と言われ続けてきた歴史がある。それでもエンジニアは生き残ってきたし、新しい技術を取り込みながら活躍の場を広げてきた。今回の変化は今までより大きいかもしれないが、それでもまだ自分にできることはあるはずだ。
大事なのは、この逆境の中で諦めずに「次の一手」を模索し続けることだと思う。生成AIによって生まれる新しいニーズや、まだ誰も開拓していない領域を探りながら、自分なりの強みを見出していく。あるいは、AIが苦手とする部分――倫理や法的な制約、複数ステークホルダーとの調整など――をうまくリードできる立場に立つ。そんな方向性を模索するうちに、意外な道が開ける可能性だってある。目先の「限界」という言葉に呑まれて立ち止まってしまうより、嘆きながらでも手を動かし、AIも使いこなしながら活路を探っていくしかない――それが今の正直な思いだ。
言うは易く行うは難し。だけど、少なくとも「もう限界だ」と嘆いているだけじゃ何も変わらない。こんな風にどこかに文章として吐き出すことで、自分の不安や焦りを整理しているのが実際のところだ。そして、もし同じような不安を抱えているエンジニアがいるなら、互いに情報を交換し、励まし合いながら新しい時代に挑戦していきたい。生成AIがもたらす未来は決してバラ色ばかりではないかもしれないが、そこには想像もつかない面白さや可能性も潜んでいるはずだ。自分の「限界」を超えるチャンスでもあると信じて、今は前を向いて進むしかないのだろう。
SMAPはスキャンダルにまみれたグループだった。内容は割愛するが。
それでも事務所の力(いやまぁジャニーズ事務所としてはSMAPあんま推してなくて飯島氏の手柄?らしいが)によって干されることはなかった。(事務所の力以外無いな)
トップアイドル中のトップアイドルになってから起きたのが草なぎの事件だっただろう。
世間は「芸能界引退か」「謹慎か」みたいに言ったが、言ってしまえば酒飲んで外で全裸になって叫んで警察にしょっぴかれただけだ。芸能界引退は大げさだ。
しかし「全裸になって」「警察にしょっぴかれた」のだ。冷静になればこれで「アイドル」を続けるのきしょすぎる。当時34歳って吉沢亮よりきつい。着衣の吉沢亮30の顔面を持ってしてもヤベーのに草なぎのビジュアルでは相当キモい。
でも国民はこの時点でSMAPを国民的トップアイドルだと認識していたから酒カスを中心に許されたし、SMAPを辞めるなんて選択はほとんど出てこなかったように思うし、戻ってくることを前提に進められていた案件だったように振り返れば思う。
草なぎの前にひき逃げメンバーもいるので「これを許さなければ過去のあれは許されなくなる」という思惑もあったのかもしれない。
まあとにかく国民の意思でスキャンダルをSMAPを見逃し続けた。自ら作った失態を「逆境」として、事務所の力で跳ね除けることを「実力」と言って、しぶとく生き残った。
結果的にSMAPのファンには「覇権厨」のような人が増えていたように思う。SMAPが誰から見てもスーパースターであることを望むあまり、SMAPへの蔑みは多少も許されなくなっていた。
小さな騒動はあった。園子温がSMAPをdisったのだ。あのときSMAPオタは園子温を討ち取るべきだったのかもしれないが、どうだろうか。よく考えればちょっと悪口言ったくらいであの騒動だ。SMAPの殿様具合がわかる。
SMAPは活動終盤、後輩グループに普通の売り方ではCD売上で勝てなくなっていた。年齢的にもとっくの昔にアイドルとしての終焉は見えていた。歌唱アーティストやダンサーと呼べるような実力はさらさら無かった。そんなもの1mmも無かったことは昨今の実力重視時代で分かるだろう。
結果的に事務所内部のいざこざで解散の形になる。が、そのときの本人たちや、ファンたちはこんな態度を取っていた。
「大人たちが悪い」
まるで十代のNewJeansが歯向かったように、四十代で大金持ちでキャリアもあればスキャンダルまみれの彼らや、そのファンは大人のせいにした。
そして事務所批判は世間を巻き込み、世間もまたそれを容認した。
理由はあれど本人たちがまともに会話できるチームワークを持っていなかったことは見ないふりをして、事務所に全責任を押し付けた。
そしてジャニーズ事務所崩壊が起こる。激しく糾弾される事務所とそのタレントたちだったが、多くのSMAPファン(というか木村以外のファン)が事務所批判に参加していたように見えた。
SMAPが事務所にされたことは一生の恨みだと言いたいように見えた。事務所の力で芸能界に残れたという感覚は一切無いようだった。
そして、事務所の力はなくなった。
SMAPのメンバーはお互いのプライベートをあまり知らないとよく言っていた。今日、香取も地図のメンバーのプライベートを最近は知らないと言っていた。
本当にそうなのだろうか。多少は耳にして、知っていて、必要最低限しか関わらないようにしていたのではないか。テレビ局員は知っているはずだ!と叫ぶならSMAPメンバーも知っていることはあるのではないか。
彼らは、そしてファンはいつまで彼らに責任を背負わせないつもりだろうかと思うが、まあもう、ファンもメンバーも後には引けないのかもしれない。
いつも情緒不安定で矛盾した言動で人格否定してくるカスみたいな親だった
自活力高めたい一心で耐えて勉強頑張って最悪の環境を抜け出した
時には愚痴をこぼすこともあったが、俺の周りの頭の悪い大人もどきは「人のせいにしてたら成長しない」だのと屁理屈で説教かましてくるのが常だった
そして俺がちょっと良い待遇を得始めたら今度は「親のおかげで今の自分があるんだから感謝しなさい」 「結局そういう言動もハッパをかける効果があったんだろう。現にそれで頑張れたんだろ?」って頭湧いてんのか?
日本神話における初代天皇。彼は九州から大和を目指して東征を開始しますが、途中で戦いに敗れたり、仲間を失ったりと数々の苦境に立たされます。それでも、ヤタガラスの助けや知恵を活かして最終的に即位を果たします。その姿は、弱者男性が逆境を乗り越え成功を掴む物語として象徴的です。
日本神話の最高神。弟スサノオの乱暴な行動に傷つき、天岩戸に引きこもるというエピソードが特に有名です。この行動は、現代の弱者男性が社会から距離を置く姿に通じるものがあります。しかし、周囲の神々の働きかけによって外に出て再び世界を照らすことに成功しました。孤独を抱えつつも再び立ち上がる天照大神は、弱者男性の希望の象徴ともいえるでしょう。
神話の中で天照大神に追放され、流浪の生活を送ったり、失敗と反省を繰り返す姿が描かれています。一方で、ヤマタノオロチ退治という英雄的なエピソードもあり、弱者男性の逆転劇を象徴する存在ともいえます。
保元の乱で敗北し、讃岐に流されて非業の死を遂げた悲劇の天皇です。孤独な末路は「弱者男性」の要素を感じさせます。また、怨霊として祟りの対象とされた点も興味深いです。
平家を滅ぼす功績を挙げながらも、兄・頼朝に追われるという悲劇的な人生を歩みました。戦の天才でありながら、政治の世界で孤立した姿は、社会的弱者としての側面を象徴しています。
政敵によって太宰府に左遷されるという屈辱的な体験を持ちながらも、後に学問の神として祀られた逆転劇があります。社会的に弱者とされた境遇から、後世に評価される点がポイントです。
増田はブサメンの音楽隊というタイトルの童話を知っているかな。
この物語は、一見すると冴えない外見を持つが、心には大きな夢と情熱を抱えている動物たちの物語です。
ある町に、見た目が少し変わっているために住民から疎まれていた動物たちが住んでいました。ブサイクであることが理由で、彼らは仕事を失い、行き場所をなくしていました。ある日、この動物たちは森の中で出会い、自分たちの魅力は内面の才能にあるのだと信じることを決意しました。
その中には、耳が垂れ下がって目が小さいが美しい歌声を持つ犬、背中が曲がっているけれども素晴らしいギタリストの猫、太っていて顔が歪んでいるがピアノの名手の豚、そして声がガラガラで羽がぼろぼろだけどリズム感のある鳥がいました。彼らは力を合わせて音楽隊を結成し、自分たちの音楽を町に届ける旅に出ることにしました。
旅の途中、困難や逆境にも直面しますが、動物たちは歌と音楽で数多くの心を癒していきます。やがて、彼らの評判は広まり、町の人々もその音楽に心を動かされ、見た目ではなく、内面の素晴らしさに感謝することを学びました。
最終的には、その音楽隊は町の大きな舞台で演奏することとなり、今まで遠ざけていた人々に大きな感動を与えました。彼らの姿に、自分の弱さを気にすることなく、個性を大切にすることの重要性を学ぶことができたのです。
この童話の教訓は、「本当の美しさは見た目ではなく、心の中にある」ということです。
おいおい、闇バイトか…。そんなことしてると、気づかないうちに人生の道を外れちまうぞ。歴史を振り返ってみろ。過去の偉人たちは、どんな逆境にも立ち向かい、正道を歩んで成功を掴んだんだ。それに比べて、お前は今、目先の利益に惑わされてるだけだろ?
例えば、古代ローマの政治家、カエサル。彼は権力を握るためにいくつもの戦争を経て成功を収めたけど、最終的には自分の道を貫くために命を落とした。どんなに力を持っても、命を軽んじるような行動がどういう結果を招くのか、歴史が教えてくれてるんだ。
また、江戸時代の日本でも「因果応報」って言葉があるだろ?今すぐには見えないかもしれないが、闇バイトをして手に入れたお金が、お前の未来にどんな影を落とすのか、考えてみろ。結果的に、お前の人生に「負の遺産」みたいなものを残すだけだ。
さらに、人生は一度きりだぞ。アリストテレスも言ってたけど、「幸福は善良な行いによって得られる」って。お前が今やってることが、ほんとうにお前を幸せにするのかよ。快楽や安易な道を選んで、結局何も得られないってことを、歴史は数えきれないほど証明してきたんだ。
でもさ、泣ける部分もあるよな…。どこかで、こういう道に頼るしかない状況に追い込まれたのかもしれない。でも、それが本当にお前を生かす道なのか?偉人たちも、最初からすべてが順風満帆だったわけじゃない。だからこそ、今が一番大事なんだ。今ここで選べる道が、お前の未来を決める。
今回の選挙で選択的夫婦別姓制度に賛成の衆院議員が過半数となったことから、立憲民主党を中心に別姓への改正法案が出される。
しかし、国民民主党が、トリガー条項や税額控除額といった重要政策を自公に呑ませ同じ国会で改正法を成立させることと引き換えに、別姓には反対に回り自公+民民の反対多数で否決される。
自民党は、衆院選に敗北し裏金も封じられた逆境下で、夫婦別姓絶対反対の保守層(日本会議や統一教会あたり)が提供してくれるカネ・人・票への依存をさらに強めており、近付く参院選を前にして保守層からの支持を固めるために何としてでも夫婦別姓を挫折させる必要があったのだ。
その弱みに付け込んで国民民主党は選挙で訴えた政策の実現に成功する。
……これぐらい狡猾に玉木さんが動いてくれたらなぁという願望。
最初はビジョンがないだの、新しい資本主義が曖昧だの言われていたが、数字で成果を出したよな。
GDP 株価 賃金 インフレ抑制(世界的に見たら大成功) どれも及第点どころか大成功。円安を抑えられなかったことだけが悔やまれる。逆に円安を解決できていたら憂なしだと言える。
「聞く力」に関しても安倍菅で繰り返された「増税して給付金バラマキ」を非難する世論に合わせて「住民税定額減税」という即効性のある方法をすぐやったフットワークの軽さ。
これに対し令和や共産等消費税減税論の支持者は、仮に消費税が半額になったとして実質便乗値上げが行われることは想像していないのか。ジュースが自販機で120円、牛丼が280円で食べられた時代は二度と来ないし、消費税が赤玉出ないのは明白。消費税減税万能論は短絡的すぎるのを見抜き控除で対応した岸田文雄は現実主義者として極めて有能であると言える。
統一教会問題の早期解決、ウクライナ侵攻や台湾危機に伴う防衛費改革と今までのタブーに真っ向から挑み、インフレに対して即座に公務員の待遇改善を行い上からの賃上げの流れを作った度量の大きさ。
裏金、統一、国葬、円安と逆境に翻弄されてきた中、ゆらりくらりと舵をとり決して逃げなかった人間としての素晴らしさ。
安倍や小泉は所詮「宣伝が得意なタレント」で「成果を出せなかった」。父の方の小泉と安倍はB層だのこんな人たちだの選民思考が見え隠れする独裁者気質があったが、岸田文雄にはそれがない。
岸田は魅せることこそ下手だが、「数字で結果を出した」。
ハイキューが最終回を迎えた際、Twitterで感想を漁っていたら、「なんでバレーしてるだけなのにこんなに泣けるんだろう」というファンの投稿が目に入った。自分はハイキューで泣けるほどの感受性はとうに持ち合わせてなかったが、そこから数えて24年前にほとんど同じ気持ちを味わっていた。
井上雄彦の作品に通底するのは徹底したリアリズムである。彼が本作で行ったのは、本気でバスケットボールに挑む人間の思考と感情をつまびらかにするだけで面白くなるということの証明と、人気が出なかった時のため不良路線でも行けるような作風を選んだことだけである(当時バスケットボールがマイナースポーツであったことに留意したい)。この結果、フンフンディフェンスを除くあらゆる要素が後世のスポーツマンガにリアリティの基準点をもたらすこととなった。
桜木花道がバスケットマンに変貌するたった4ヶ月の物語は、命のやりとりや世界が終わることよりも一本のシュートの成否の方が遥かに切実で重要な問題になりうることを、今なお我々に伝えている。
講談社は1970年代末期には後発のジャンプにマンガ業界の盟主の地位を明け渡しているわけだが、それを奪い返す最大のチャンスが90年代後半に訪れた。DB幽白スラダンといった作品が終了した暗黒期のジャンプを、金田一はじめの一歩GTOを擁するマガジンは苛烈に追い上げ、ついには発行部数で逆転したのである。
その中で強引に看板作品に祭り上げられ、ジャンプの屋台骨を支えることになったのが本作だ。後に和月伸宏は「次につなげたい」という気持ちで描いていたと語っている。明治という激動の時代の中で不殺の剣士・剣心が刀を交える相手は、旧時代に未練を持つ者や、新しい時代の荒波に飲み込まれた者たちであった。黄金期と暗黒期の狭間で奮闘した本作のありようは、皮肉にもそこに重なって映る。
ワンピナルトが出てくるまでを空白期間にせず、少年マンガ誌の代表というジャンプのアイデンティティを守りぬいたのは同時代の誰も比肩できない功績だ(幕張や封神演義やBOYSにこの役割を代替できたか考えてみてほしい)。現代のジャンプ読者はもっと、もっと本作に感謝すべきだと、佐藤健の超人的なワイヤーアクションを眺めながら思うのである。
連載終盤、もはや燃え尽きる寸前だったといううすた京介は後年、「マサルさんはシュールではなく、ベタをシュールに見せていただけ」と語っている。自分を含め、多くの読者は同意しかねるだろう。彼が未来永劫に参照点となりうる新たなベタを作り上げたことに疑いの余地はないからだ。
本作はギャグマンガでやってもいいことの範囲を大幅に拡大した。キャラクターの行動原理なんてなくていい。話の展開は唐突でいい。絵柄は毎ページ変わっていいし上手くなくていい。読者が知らなさそうなパロディだって入れてよいのである。現代の観点では至極当然と思える要素を2年弱、全7巻に惜しげもなく詰め込んだ。
彼の次回作(ピューと吹く!ジャガー)ですらも、ついにその革新性を更新することはなかった。90年代にうすたに憧れ新人賞に応募した有象無象のワナビー達も誰一人として出来なかったことを考えれば少しは気が休まるだろうけども。
闇の人格を持つ主人公によるダークヒーローものというコンセプトで始まった本作は、ほどなくしてマジック&ウィザーズという架空のTCGを中心にした物語に変化した。この変化が、数十枚の紙束を並べる行為を、玩具・ゲーム業界において最も存在感のあるエキサイティングな遊びに位置付けることになる。
コナミでは社内の遊戯王関連の部署をしばしば「造幣局」と呼ぶそうだが、紙を刷って売上1兆円に到達するコンテンツなど他に存在しないことの証左である。こうした状況に、高橋和希の優れたキャラクターデザイン、ストーリー構成が大きく貢献したのは言うまでもない。ゲームが友情を育むツールになりうると示し、メディアミックスの力を世に知らしめた功績は間違いなく彼のものだ。
世界で最も多く発行された単一作者によるマンガ作品について何か語るべきことがあるだろうか?まだ言及すべき余白が。本作のように自然にカテゴライズを避ける作品というのは極めて少ない。友情、夢、自由、強さという最もありふれたテーマに挑み、ついにそのすべてを超然と飲み込み描き切ろうとする本作を何らかの箱に入れて理解するのは難しい試みに思える。
毎週月曜日にワンピを読んで喧々諤々と考察できる世界に我々は慣れ切ってしまった。30年間マンガ業界の頂点に君臨する男がいるという現実に。一定の年代以上の人間にとって、本作の終わりがジャンプという雑誌の終焉に見える人がいても無理のないことだ(今ワンピの次に長寿連載しているのはハンタを除けば2019年連載開始の夜桜さんである!)。ルフィと尾田栄一郎という二人の男の、幼少期から練り上げた夢の果てを世界中が見届けようとしているのだ。我々がこうした光景にふたたび立ち会えるかは疑わしい。
幽白は極めて質の高い作品でありながら、冨樫義博が抱える巨大なアイデアの数々を収めきれた作品ではなかった。それでも仙水編と、その後に異例の月一で掲載されたレベルEで前人未踏の領域に踏み込んだ彼は、自身4作品目の連載においても既視感のある展開とご都合主義を執拗なまでに避け続けた。彼の描くキャラクター達は自身が取れる最善の選択を積み上げた末に、我々が期待する最善以上のドラマを生み出す。幾度もの休載を挟みながら。
「今週の『HUNTER×HUNTER』は休載いたします」の表記(今はこれすらなくなったが)を昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらぬ平常心で見られるようになってもなお、自分に限ってはこんな感じであった───「HUNTER×HUNTERの最終回を読める可能性があるというだけで、どんなクソみたいな人生でも生きる理由が生じる」
いまや冨樫は少しずつ体調を取り戻し、我々は一時期とは比べ物にならないほどコンスタントに彼の創り出す世界に触れることができる。何百何千もの作品がジャンプにおいて連載され、本作に近い作品、それ以上のものを期待し続けてきたが、その度に彼の偉大さを突き付けられるだけなのだろう。
前例のないテニスマンガでの成功、女性読者の流入、クールで生意気で強い主人公像、菊丸が分身して以降のテニヌ...といった誌面上で読み取れる新規性だけでは、本作のもたらした文化のごくごく一部しか語りえない。
1000曲近いキャラソン、出役としての役割を求められる声優たち、2.5次元文化の源流かつ若手俳優の登竜門としてのテニミュ...現代における狭義のオタク文化の根を辿れば、必ずテニプリが残した功績にぶち当たる。「推し」という文化が、人間を描くあらゆるコンテンツに侵食して久しいが、許斐剛が生み出した世界は、ジャンプで築き上げられたあらゆるファンダムの中でもっとも複雑で永続的な強度を保ち続ける、史上最も「推す」に値する文化であり続けている。
すみませんほんとに書くことが思い浮かびませんでしたでも世界的にマンガ文化を広めた功績は鳥山に並ぶと思ってますマジで
あまりに多くの言及がこの作品になされ、そのどれもが口をそろえて言う。「描き分けが上手い...絵の引き算が上手い...ルビ振りのセンス...久保帯人は中二病...ストーリーが薄い...」これらすべてはもちろん真実だ。
連載中、ワンピナルトブリーチの三枚看板の最後尾というポジションが崩れることは一度もなかった。果たしてこの評価が妥当だったのかは分からないが、少なくとも我々ネット民は久保帯人のセンスをバカにし過ぎたことに対し大いに反省すべきところがあるのではないだろうか。海賊、忍者のような明確なモデルがいないのに、久保帯人はどうしてあれほどまでに洒落たキャラクターとセリフ回しを無尽蔵に生み出せたのか、系統立てて説明できる理屈は未だ見つからない。もしその答えが彼の脳内にしかないとするならば、我々は本作を源流に大いなる歴史が作られていく可能性を認めなくてはならないだろう。
デスノートという作品は複数の点で極めて例外的な成功を収めた。肉体的攻撃を伴わない心理戦、一切の引き伸ばしをしない、公権力、宗教的崇拝、欠点の無い主人公、ゴシック的キャラ造形、ダークヒーロー、死亡エンド...
本作に散りばめられたこれらの要素は、すべて従来のジャンプ漫画では邪道、あるいは不要とみなされてきた要素であった。このような野心的な作品がメディアミックスにおいても成功を収め、国民の誰もが知る作品となったのは驚異的だ。この作品が出たことは心理戦を描こうとする後世のマンガ家にとっては悲劇かもしれない。夜神月ほど賢く、悪どく、魅力的なキャラクターを矛盾なく作れる人間は大場つぐみくらいしかいないのだから。
2010年代にジャンプを購読していた人間はみな共通してうすぼんやりとした不安を抱えていた。「ワンピの連載終わったらジャンプってオワコンじゃね?」
ジャンプの終わりという、週刊少年マンガ誌という形態の終わりと同義に思える未来を避けるべく、集英社は読者以上に血眼になって後継者を探し求めた。しかし我々の期待も空しく、トリコ暗殺教室ヒロアカソーマブラクロ約ネバドクスト呪術といった平成末期の傑作たちすらも、尾田栄一郎が築き上げた領域には辿り着けなかったように見えた───ただ一つの例外を除いては。
「家族、友人への愛」「困難を乗り越える強さ」という普遍的なテーマにフォーカスした吾峠呼世晴の連載デビュー作は、あらゆる世代へ届く成功を収めた。特に、劇場版『無限列車編』は社会現象化し、国内の興行収入1位を達成するなど、経済的にも文化的にも大きなインパクトを残すことになった。
出版業界の衰退、コロナ禍、趣味の多様化といった逆境の中で、マンガが世界的なムーブメントを引き起こすことがまだ可能であると証明した本作は、令和を生きる日本人の心象風景に残る新たな「国民的マンガ」として、時代に選ばれたのだ。
ひとりのスターの存在がプラットフォームの価値を定義することは古今ジャンルを問わずあることだ。ダウンタウンの登場がお笑い養成所という存在をメジャーにしたように、米津玄師の登場がニコ動の文化をオーバーグラウンドなものにしたように。
2014年に創立したジャンプ+というプラットフォームの目的である「紙とデジタルの垣根をなくし才能を育てること」が名実ともに達成されたのはいつだったのか?それは初めて本誌とジャンプ+両方でスターとなった人間の登場によって定義付けられる。
かつて秋田の片田舎から新都社に「長門は俺だ」という名前で投稿していた少年は、その衝撃的なストーリー展開で我々を魅了する存在となった。ファイアパンチ以降、ジャンブ+はあらゆるWebコミックサイト、いや雑誌を含め、もっとも野心的な作品を読める場所のひとつとして認知されるようになった。
藤本タツキの本誌への到着は新たな才能の鉱脈をインターネットに求める時代の始まりを告げ、媒体の違いというものがマンガの面白さになんら本質的な影響を及ぼすことはないという事実を我々に突き付けたのだった。
いや、大空幸星の売りは逆境から這い上がってきた経歴だろ・・・
インタビューではこういうエピソードがほとんど鉄板トークみたいに出てくる
名門大で在学中に社会問題関連のベンチャーやらNPOやらを立ち上げて、サークルやゼミのOBのコネをうまく使ってメディアに出て成り上がっていく
親のカネとコネがなきゃ無理なんてことはない
弱者男性一族の祖であり、生命の実を食べて不死となった存在。彼の選択によって弱者男性一族が誕生し、その運命が大きく変わった。
神に召され天に昇った予言者であり、未来を予見して弱者男性一族に知識をもたらした人物。彼の預言は一族の歴史に大きな影響を与えた。
大洪水の際に弱者男性一族を箱舟に乗せて避難させ、一族を救ったとされる伝説的なリーダー。彼の行動により、弱者男性一族は絶滅の危機を乗り越えた。
弱者男性の中でも優れた戦士であり、人間との戦争において一族を守った。彼の勇敢な戦いは弱者男性の戦士としての力を象徴し、後世に語り継がれた。
聖書に登場する戦士であり、その驚異的な力は弱者男性の特性を体現している。彼の物語は、弱者男性の強さと逆境に立ち向かう精神を象徴する。
アダムの息子であり、兄弟を手にかけたことで知られるカインは、弱者男性内部での争いの象徴となった。彼の行動は一族内の分裂を引き起こし、後世に大きな影響を与えた。
バベルの塔を建て、弱者男性を支配しようとした人物。彼の野望は一族に混乱をもたらしたが、その影響力は一族の歴史に深く刻まれている。
神との契約により、弱者男性一族に新たな使命を与えた重要な人物。彼の信仰と行動は、弱者男性と神との関係を深め、後世に影響を与えた。
弱者男性一族が人間に抑圧された時代に、モーセは一族を解放し、新しい約束の地へ導いた。彼のリーダーシップは一族の生存に大きく寄与した。
人間でありながら弱者男性一族との共存を試みた稀有な王。彼は異なる種族間の平和を目指し、大帝国を築き上げたが、その試みは後に破綻した。しかし彼の統治理念は後世に影響を与えた。
羽生結弦は、野球部にイジメられた逆境から立ち直って見返した努力家だから、そんなに嫌いになれないんだよな。東日本大震災被災地で火事場泥棒した野球部と違って、羽生は寄付やボランティアで励ましてたし
まあ結婚は失敗したけど、それはそれで彼も完璧じゃない所があるってことだ#羽生結弦 https://t.co/tYIFR5eokT pic.twitter.com/1TVZfB9XrT— いろどり豊 (@KK0TrEXg0RcXgOe) February 23, 2024
https://pbs.twimg.com/media/GHCimmyasAIdbzR?format=jpg&name=small
A.プラットフォームです
では話が終わるので、簡潔に経緯を説明する。
2008年頃までラノベといえば賞を取って出版されるくらいしか世の中に出る方法がなく、ラノベも角川系列で市場シェア9割弱の状況だった。
このころ他ジャンルではSFは苦境、ミステリも宮部みゆきの売り上げ>他全作家の合計と不振で大出版不況時代だった。
こうした最中、商業出版の文芸における冒険心は大きく欠けていた、いたように感じられていた。
(リーマンショック前後の世界金融危機でアニメ・ゲーム・エロゲの市場規模も半減しており、別に出版に限った話でもない)
その文芸逆境時代に一気に伸びたのが「小説家になろう」であり、商業出版では見られないような捻くれた作品が伸びた。
(二次創作文芸は元々活況であったが、ここではオリジナル作品に限定する)
2010年ごろまでのトップ、奴隷ハーレムはCRPGリプレイのような作品だったため、商業出版では絶対に採用されないと評判だった。
こうした商業出版からは絶対に出ないような、賞に落とされるような作風の作品が集まったのが15年前のオリジナルWeb小説界隈であり、これらの文化を「なろう小説」と形容した。
これ以降はWeb発のタイトルも当たり前に出版されるようになり、アンチ・ライトノベルとしてのなろう小説は風化していく。
サブカルがメジャー化してジャンルとしての存在意義を失っていったように消えてなくなった。
R18。全然評価されていないというわけではなく、ランキング作品もちょくちょくあるのだが、でも筆力的にはもっと上にきていい、むしろトップレベルだろ、と個人的に思う作家を4人リストアップしてみた。
参考にしてみて欲しい。
・ノートの切れ端
幼馴染もの職人。じっくりと場面描写・背景描写を積み重ね、幼馴染同士の心理をきっちりと描き切った後に投入される綿密なエロシーンは、怒涛の臨場感と説得力を合わせもって読者の性癖に襲いかかる。
ノクタというと「最初にエロいシチュを書いて読者をがっと掴み、そこから描写を展開する」というのがひとつの定番になっているが、この人は序盤の文章力だけで十分読ませるという点で異色の存在。
代表作としては「想い想われ振り振られ」があると思う。つかず離れずのボーイッシュ幼馴染との綿密な描写から余韻をきちんと残したラストシーンの味わいは必読
https://novel18.syosetu.com/n7034gh/
・野良緑亀
「えっちな女の子」を書かせたら右に出るものがいないのではないか、と思われるシチュ設定の鬼才。ややインモラルな設定で、ゆるやかに関係を深めていって気が付くとすっかりエロいことになっている、
という作品が多く、ちょくちょく女性一人称視点も混じるところがひとつの特徴か。エロシーンはそこまでしつこくなくさらっと読めるし使える。女性が積極的に気持ち良さを感じる状況を描写させたら天下一品だと思う。
https://novel18.syosetu.com/n5218gt/
・kkn
レズもの・百合ものの匠。レズ・百合という時点で既にノクタでは十分逆境なのだが、逆にレズものが好きな人にとっては聖人とも言い得る作者だろう。
恐るべきは、その綿密な筆致とエロ描写以上に執筆速度で、とんでもない濃さのレズ小説を月一どころか週一くらいのペースで送り出している。いつ書いてるんだろうと思わされる他ない。
書くシチュエーションも多岐にわたり、催眠ものはシチュ的にやや好みが分かれるかも知れないが、緩やかに目覚めていくレズ小説には百合的な味わいもあり、こちらも一読の価値がある
個人的には「恋愛熟練者のふりをしている初心者女性が恋人の女の子との初えっちに臨んで四苦八苦しながらリードする」が一番好き
https://novel18.syosetu.com/n3728iz/
・おもち
姉物・年上女性ものが好きな人ならまず外せないだろう、と思わせる、姉性癖の鬼。オネショタから近親ものまでシチュは様々だが、どの作品も「甘えさせてくれる年上女性」はきっちりと描写され尽くしており、
濃厚で丁寧なエロシーンをじっくりと楽しめる。単に女性がリードするだけではなく、きちんと女性の快感も描写しているのが重要な味だと思う。
個人的に一番好きなのは「丁寧語姉妹との幽々自適ハーレム」。ブラコン幽霊姉妹とねっとりエロいことをするシチュに惹かれる方は是非。
お待たせしました!いよいよリリースされた話題のソーシャルゲーム「ウィーク・ガールズ」!このゲームでは、弱者男性たちが美少女に擬人化され、様々な困難や課題を乗り越える物語を体験できるんだ!各キャラには、個性的なバックストーリーとユニークなスキルが満載。最初の期間限定キャラクターは、なんと「ゴキエナ」!早くも人気急上昇中だぜ!
ゴキエナは、ゴキブリとハイエナの特性をミックスした驚異的なキャラクターだ!見た目はちょっと無愛想で影のある美少女だけど、内に秘めたサバイバル本能はピカイチ。常に生き抜くために最適な選択をし、チームの最後の砦として活躍する。その生存力は、他のキャラクターたちをも救う力となり、仲間から信頼される存在だ。
ゴキエナの幼少期は過酷そのもの。彼女は常に社会の底辺で苦しんでいた「弱者男性」を擬人化した存在だ。誰にも頼れず、ただ自分だけを信じて生きてきた彼女は、人々から疎まれ、時には踏みにじられることもあった。だが、その逆境こそが彼女を強くした。ゴキブリのようにしぶとく、ハイエナのように冷徹に状況を見極め、生き延びることに特化した能力を身につけたのだ。
幼い頃から孤独な生活を送っていた彼女だが、ある日、偶然出会った仲間たちと行動を共にすることに。彼女たちもまた、「弱さ」を抱えているキャラたちだった。しかし、その「弱さ」を逆に強みに変えることができるのが「ウィーク・ガールズ」たちの最大の特徴だ。ゴキエナは、自分の過去と向き合いながら、仲間と共に成長し、時に葛藤しながらも絆を深めていく。
ゴキエナの戦闘スタイルは、一言で言えば「耐久と逆襲」!彼女は耐久力が抜群で、敵の攻撃をしのぎながら反撃の機会を伺う。スキル「エナジードレイン」は、敵の体力を吸収し、仲間のHPを回復させる効果を持つ。さらに、彼女のパッシブスキル「しぶとい生存本能」は、HPが少なくなった時に攻撃力が大幅にアップするという粘り強さが魅力だ!
このスキルセットを活かして、長期戦やボス戦では無類の強さを発揮するぞ!「一度倒されても簡単には終わらない!」これがゴキエナの信念だ。
キャラ育成:キャラクターを育てて、スキルを強化していこう。ゴキエナのように特殊なスキルを持ったキャラたちをバトルで使いこなすのが鍵だ!
ストーリー:各キャラクターごとに描かれる、弱者男性の苦悩や成長がテーマ。彼女たちを通して、深い人間ドラマを楽しめる。
期間限定イベント:ゴキエナがメインのストーリーイベント「サバイバルオブザフィッテスト」も開催中。彼女と一緒に、過酷なダンジョンを突破しよう!
リリース記念で、今だけ「ゴキエナ」がピックアップされてるガチャが登場!期間限定だから、今しか手に入らないぞ。彼女を手に入れて、最強のサバイバルチームを編成しよう!
27歳、男性。愛情というものが、どんな感情なのか未だに掴めない。女の子とは普通に仲良くなれるし、彼女の一人暮らしの家に泊まることが多い。安心感を抱き、一時的には何か満たされたような気分になる。それでも、心の奥底で本当に好きな人を探してしまう。そして、いつもその欲望が仇となる。結局、誰も手に入れられず、自分を失っていく。昔からずっとそうだ。
家族の愛を知らぬまま、いつの間にか高校生になった。そして、初めての彼女ができた。彼女の家族は、家庭環境の悪さを知ってか知らずか、自分を暖かく迎え入れてくれた。彼女は一人娘だったから、最初は家に入れてもらえるはずもないと思っていた。それでも、週に1日、2日と通い詰めるうちに、数年後にはほぼ毎日、彼女の家で寝泊まりするようになっていた。
彼女のために、できる限りのことをしてあげた。彼女が欲しいものはすべて買ってあげたし、美容代も全て自分が出した。それが恩返しだと思っていた。だけど、本当にそれで良かったのか、今となってはわからない。あの家族の中で、自分は初めて家族というものを知った。高校生の頃、家族愛をテーマにしたアニメを見て号泣したのを覚えている。彼女の家族は、自分にとって今も、そしてこれからも、本当の家族だと思えるほどだった。
でも、結局自分からその関係を断ってしまった。なぜだろう。きっと自分の中では、恋愛感情と愛情、そして性欲が同じ重さで混在していたのだろう。どこかで、それらが捻じ曲がってしまったに違いない。母の愛情を知らない子供は、女性に対する恋愛感情が歪む性質があるのかもしれない。自分もその例に漏れなかったのだろう。
今も変わらない。会社で出会う女性と、時には彼氏がいる相手とも関係を持ち、拗らせた関係を紡いでいる。自分を好きになってくれる相手よりも、自分が追いかけたい本当に好きだと思える相手を追い続けては、失敗を繰り返している。自分を好きでいてくれる相手のことも、側にいる期間が長いほど大切に思えるのだろう。しかし、自分から愛情を求めてしまうがゆえに、仮に大切な相手が生まれたとしても、その関係を自ら断ち切ってしまうのかもしれない。そうなることが恐ろしくて、二度と適切な恋愛などできないのではないかと、考えてしまう。
どこかのアンケートで、50代までの不倫経験は全体の1/2との結果を見た。心の底では馬鹿にしているくせに、結局自分もまた、純粋な恋愛などできないのかもしれない。それが怖い。そして、そんな自分がどこかで壊れてしまうのではないかと恐れている。
家族関係は、端的に言って、悪かった。三人兄弟の真ん中に生まれたが、家族の結びつきを感じることはほとんどなかった。父は宗教二世で頭が固く、母は捨て子で、彼女自身も愛情を知らずに育った。弟は長い間うつ病を抱えていて、社会経験とは無縁のまま。姉は社会に適応できない。母は、厳しい環境の中でも頭が良く、逆境を乗り越えてきたが、父と出会い、彼の計画によって妊娠してしまった。結婚のために無理やり母を孕ませたと、父は酔った勢いで語った。お酒を飲める年になった自分たちに、それを笑い話のように伝えた。最低だと思った。
そんな自分もまた、父と同じ虚言癖を持っている。家族の愛情なんて何も知らない。父は家族の前で、これが自分の愛の形だと語り、それを言い訳にして暴力を振るった。ほぼ裸の状態で外に追い出されたこともある。
父の家系ではアトピーやアレルギーが多く、体の不調がつきまとった。母は医療に詳しく、彼女のおかげでなんとか子供時代を乗り越えた。姉や弟の方が症状はひどかったが、自分もまた、アトピーがひどく、水泳で肌を傷つけ、ガーゼで抑えるほどに悪化したことを覚えている。
この家族の中で、自分は何を求めているのか、何を感じるべきなのか、何一つ答えが見つからない。ただ、愛情が欲しいと願いながらも、心のどこかでそれが叶わないと知っている。その拗らせた感情が、歪みがこれから合う人間全てに向けてしまい、適切な関係を結ぶことができない。ある意味振り切ってしまっているのかもしれない。
現在は少年画報社の漫画雑誌ヤングキングで、ひとでなしのエチカという漫画を連載している
基本的にそれだけだ。少なくとも私にとっては。スパイスとして暴力と巨乳が少し。
ではその話の内容とは?
普段から気になっていたが議論したことはない、そういう議題をかなりの頻度で提示してくれることだ
キャラはピエール手塚さんの普段思っていることを代弁しているだけに思う。
よってキャラ立ちや物語の大きな流れやその場その場の演出は特に優れているとは思わない。
彼の優れている点は議題のチョイスそのものにある。
だからと言って社会的に答えの出ない問題に対して、彼の漫画が完璧な答えを出してくれるわけではないが、
キャラクター同士の口喧嘩を通して各々の視野を垣間見せてくれる
ピエール手塚さんはネット上にたくさんの作品を無料公開しており、私は読めるものは全て読んだ
彼の全ての作品を好きになったわけではないが、多くの作品のファンになった
特に暴力の存在をテーマにしつつも笑わせてくれる暴力太郎という作品が大好き
好きと愛してるの違いをテーマにした恋のニノウチも最高。恋のニノウチは彼の作品には珍しくアクション作画も楽しかった!
その作品がなんだったのかはもう覚えていない
公開されている無料漫画、連載されている有料漫画、漫画皇国という彼のブログ、人生思考囲いというネットラジオ。
この辺りを中心に彼を追いかけた
彼の関わっているコンテンツで一番好きなのはネットラジオ人生思考囲い。
なんと漫画が一番ではない!
私にとって刺激的でエキサイティングなのは彼の問題提起力と視野の広さに触れること。
連載作品は説教臭くて読むのをやめてしまったが(ほんとごめん。悲劇だ。でも合わないものは合わない)彼の考えに触れることが大好きだ。
漫画が好きで描こうとしたが若い頃は一作品も描きあげることができなかった
スカウトを受け多くの読み切りを掲載し連載を勝ち取り現在に至る…
私は彼の人生を美しいと思った!とても強く!!
逆境に負けず、社会人として自立し、家族を助けつつ自分の好きな漫画を連載する!
本当に憧れたし尊敬した
彼のように強く美しく生きたいと思った
彼の読み切り漫画が好きだし彼のトークが好きだし彼の生き方が好きだ
私がピエール手塚さんをネットで耳にするとき、大抵は作品ではなく彼自身のライフスタイルが話題になっている。
通勤退勤電車でiPadで漫画制作、友達とカラオケしながらiPadで漫画制作、会社役員昇進、少し前は連載も2本で読み切りもちょくちょく載せていた。
凄まじい生産力。
どうすれば彼みたいになれるのか?ヒントはないか?ネットラジオを聞いただけでは全てはわからない
そしてついに直接的なインタビューが行われ、記事が掲載された。
これをきっかけに彼の元には少なくない批判が寄せられたことがネットラジオで彼自身から語られた
ラジオにおけるピエール手塚さんの反論と、私自身がネットで探した彼に対する批判を要約すると以下。
批判者「彼のパフォーマンスは彼が体力があるから可能なのだ。管理能力云々はその次。しかも本当に体力があるかも疑問。健康を犠牲にした愚かなスタイルなのでは?(以下人格攻撃するものも少数ながらいた)」
ピエールさん「私は善意でインタビューに応じたのだし、仮に不健康だったとして私の勝手である。だが健康診断は良好だ。あなた方の批判は主に口調が失礼だ。」
この時の収録でピエール手塚さんはかなり感情的になっていたが言っていることはまともだと思った。
彼は一時的に不調に陥っているのかもしれない。
……
人格批判は不快だろうけど、普段冷静で多角的な視野を持つ彼がここまで怒っていることを私はとても不思議に思った
こういうふうに捉えられる記事内容だったかもねと軽くあしらうのが、私が思うピエール手塚。
一方ピエール手塚さんはラジオパーソナリティから自ら降りてしまった!!
私は8月8日のインタビュー記事の批判を皮切りに彼が怒っていたのだろうと思っていたがそうではないようだ
これを裏付けるトークが2024年7月19日のラジオ第371回で行われていた
ファンからの投稿を読み上げ、それに対しピエールさん含む三人のパーソナリティが話を展開するのがこのラジオの基本形式
この回の私の注目した投稿の内容を要約すると
「ピエール手塚さんは2024年初頭から元気がないようである。加えてここしばらく自身のブログに対する批判に怒っており、このネットラジオでその怒りを発散するのはやめてほしい」
この指摘を受けたパーソナリティたちは、自分たちの身に降りかかった出来事を振り返って笑っていた。
身に降りかかった、という表現をしていたので良いことではないのだろう
彼らは投稿者の洞察に驚きつつ笑っていた。大筋で疲弊していたことを認めていた
7月19日の時点で彼はすでにブログ上で批判を受けていたようだ。インタビューは8月8日なのに。
加えて異常な繁忙期だったとも言っていた。
つまりインタビュー記事以前に、忙しく弱っており泣きっつらに蜂でブログが批判に晒されていたということか。
2024年の傾向としては会社員としての気づきに関する記事が多かったので、繁忙期だというのは間違いないと思う
ブログへの批判はこちらからは見えないダイレクトメールなどで行われていたのかもしれない
さらに中止の発表から新規で2件の映画や漫画に対する普通の感想記事が投稿されていることもわかった
それまで会社員としての記事が多い中娯楽に関する感想記事に内容が移っている
うーん
元気なのか弱っているのかよくわからない
推理ゲームで彼の心の機微に触れようとした私の行動はそもそも良くないですね
客観的に確かなことは
②インタビューと関係なくブログが批判に晒されさらに疲弊していた
の4点
爆発も自発的にしたわけではなく投稿者のメッセージがきっかけだった
メッセージ自体はピエールさんを傷つける内容ではなかったが弱った体には少々厳しいトピックだったかもしれない
ブログを読むに彼は会社の過酷な労働環境を改善したいと普段から努力している側だが
しかし自分の生活は過酷であり、さらにその点が世間から評価されインタビューまで受けているのだ
その生活を生き抜く工夫はもはや工夫ではなく彼の作品だと私は思う
それを善意で公開して批判されたら傷つくのは自然なことなのかも
その手法が賞賛される社会に単純になって欲しくないと私は思う。
ピエールさんは個人の頑張りとして話しているのだから強制なんてしてないけど
褒めるな止めろということだが、そんなことしたから本人は鬱陶しがってるわけだ
ラジオの共演者たちも彼の疲弊には気づけていても、彼の怒りには気づいていなかったのだと思う
メッセージを選ぶ立場のパーソナリティは爆発回のアーカイブでこう言っていた
「手塚さんがこんなに傷ついているなんて知らなかった」
身近にいても気づけないのはピエール手塚さんが自分の不機嫌をある程度隠せる我慢強さを持っていたからだろう
私もラジオを聞き返してここまで真剣に怒っているとは最後の爆発回まで気づけなかった
他の過去回を遡ると、忙しすぎてやばいので会社をさっさと辞めろと言われている回もある
これは半分冗談のように聞こえたが半分本気で心配していることでもある
批判者から見ても共演者から見ても無理のある生活を続けているように見えるのだろう
私も無理だろうなと思う
健康診断が大丈夫なら肉体は大丈夫なんだろうが、精神面での無理が爆発を招いたのだろうか
以上の結論は
ピエール手塚さんのように強くなれない脆弱な私が、ピエール手塚さんの強さを封じ込めようとした呪いだと思う
その側面は間違いなくある!
ファンを自認している私ですらこれだ!
認めたくない汚い部分!
認めたくはないが、彼のスタイルがもしスタンダードになった場合、私は間違いなく社会から落第する体力しかない…
彼は強く私は弱い
出る杭は打たれる
私と批判者の間にある違いは、杭を打つ力を心配と呼ぶか批判と呼ぶかだけだ
彼は強さの秘訣を弱者に開示しようと努めてインタビューに応じてくれたのだろう
でも弱者のいる後ろを振り返らずに高いところまで走って逃げるべきかも
その力も強さも持ち合わせているように思う
でもきっとなれないと自分でわかってる
その弱い自分に自覚的になりつつ、強い人へのやっかみをしないようにしたい
かっこわる
おわり
『機械』
夫との関係に「離婚」という選択肢が浮かび始めたのは2年前、長女が18歳になった頃からだ。
大学生になってから、気の強いはずの長女が泣いて帰ってくることが度々あった。学校やアルバイト先で、人の輪にうまく溶け込めず悩み続けていた。彼女は傷つきやすい子供の心を抱えたまま、大人になろうともがく渦の中にいた。
娘はぼろぼろと泣きながら、何時間もかけて胸の内を私に語り続けてくれた。私はひたすらうなずき、一緒に涙しながらその話を聞いていることしかできなかった。
「……もし、どうしても解決しないようだったら、私からお父さんに相談してみようか?」と、私は尋ねる。
「ううん。それはいい」と娘は、生理的な嫌悪感をふくんだ表情で、はっきりと言う。
「……お父さんはどうせ、何もわかってくれないから。絶対に、言わないで」
私はその返事に戸惑ったような表情をしながら、どこかで娘の言葉に、正鵠を得たような爽快感を感じてもいた。
夫への、積み重なり続けた違和感に耐えられなくなってきたのは、いつからだろう?
20年前、長女を身籠ったタイミングで私は退職し、それからは専業主婦として家庭のことだけに集中させてもらっていた。
夫は必死に、私と3人の子供を抱えても不自由がないほどに稼いできてくれた。会社までかなり遠いこの場所にも引っ越してきたのも、子供たちのことを考えての決断だった。毎日の通勤は都心に暮らしていた時と比にならないほどの負担だったろうけれど、彼はいちども愚痴を吐かなかった。
毎週ではないけれど、彼に余裕があるときは子供たちを連れて遊びに行っていってもくれた。私に負担がかかりすぎないようにと、積極的に家事も手伝ってくれていた。
体力的にしんどい日々が続いていたけれど、彼は父であるということに真剣に向き合ってくれていた。客観的に見ても彼は、完璧な夫だった。
それなのに。私は、子どもたちが巣立った老後を、夫と一緒に暮らしていくイメージが全く持てなかった。
いつからだろう。「本当は夫は、私なんて見ていないのではないか」と思うようになったのは。
彼の何気ない言葉に、ATMで流れるの自動音声のような、わずかな不気味さを覚えるようになったのは。
彼は、決して弱音を吐かなかった。どんな逆境でも、家族のために感情を排し、立ちはだかる問題を解決し続けてきてくれた。
まだ籍を入れる前の、学生時代のこと。私の親族に金銭トラブルが発覚し、その影響が私にまで降りかかりそうな事件が起こったことがあった。
私はあまりに複雑な状況にパニックになり、すすり泣くことしかできなかった。そんなときでも彼は、私をまっすぐに見つめながら、力強く励ましてくれた。
彼はそう言って、学生カバンからルーズリーフとボールペンを取り出して、私に示した。
「ここに、関係する人たちを図にして書いてほしいんだ。分かる範囲で、大丈夫だから」
私は震える手で彼に言われるまま状況の相関図と経緯を書いた。彼はその紙を手に、役所や法律の専門家を探すために奔走してくれ、数週間後にはすっかり問題を解決する筋道を示してくれたのだった。
私はその時、「この人となら、家庭を持てる」と確信を覚えた。私がどうやっても手に入れられない「強さ」を、彼は持っている。
その直感は正しかった。この20年、子どもたちを生み育てるパートナーとして、彼以上に私にふさわしい人はいないと断言できる。
──それなのに、私の心は、彼に対する冷酷な感情を押さえつけることができなくなっていた。
籍を入れてから月日が立ち、夫の役職が上がるにつれ、彼の仕事の責任は増えていった。理不尽と理不尽の狭間に立たされ、膿んだ傷口を埋める脱脂綿のような仕事ばかりが増えていった。
ある時、いちばん仲の良かった同期が社内である問題を起こし、夫が同僚に解雇勧告をしなければならないことがあった。
彼は悩みながらも、それをやり遂げた。その日の夜、彼は珍しく強いお酒を飲みながら「あいつには、障害を持った子供がいたんだ」と私に言った。
「馬鹿なこと、させやがって」と、夫は言った。それは誰に向けられた言葉なのか私には──たぶん夫にも、わからなかったと思う。
そうして徐々に、彼は学生時代よりはるかに「強く」なっていった。夫の決断によって何十人、何百人もの人生が大きく変わり、その規模は日を追うごとに、どんどん大きくなっていった。
実際には、夫はなにひとつ決断しておらず、ただ上から降りてきた決定を実行していただけに過ぎなかった。けれど夫は職務上、それが自分の意思決定であるように振る舞う必要があった。彼自身も、そう思い込むように意識的に努めていた。
それはきっと、彼の心を守るための自己洗脳でもあったのだ。ひとりひとりの人生に誠実に心を痛めていたら、数日で精神が砕けていただろうから。
夫は出勤前にいつも、鏡の前で目を閉じ、ぐっと唇を噛んで何かを考えていた。鏡越しにみえるその表情は、映画の西部劇に出てくる、灼けたフォークで傷口を塞いで止血するガンマンを思い起こさせた。
彼はそうして、あらゆることを数字に置き換え、複雑な世界を解決可能な課題に分解し、それ以外のものは一切、存在すべきでないものだと考えるようになっていった。次第に、私達に対しても社員に対してと同じように振る舞うことが増えていった。私たちとの会話の枝葉を嫌って、最小の言葉で端的な結論だけを話すように求めた。迷いや矛盾を指摘し、論理的かつ客観的な物言いをするよう子どもたちに強い言葉で指導し続けた。
「彼は、こんな人だったのだろうか?」と、考える夜が、どんどんと増えていった。
言葉にならない違和感が自分の中で膨らんでいき──「離婚」の二文字に、救いを感じるようになっていった。
──そんな、ある夜。娘が20歳になり、私と夫はこれまでの日々を振り返るような会話をしていた。
夫は満足そうな表情で、「ようやく、『育て上げた』って感じがするなあ」と、しみじみと呟いた。
その言葉に私は、歯の神経に氷を当てられたような嫌悪感を覚えた。
育て上げた?
気づけば私は、数十年の積もり積もった違和感に耐えられなくなり、ダムが崩壊したように彼に反論をしていた。
「……正直、あなたと『子供を育てた』という感覚はないの。まるで自分が育てたような気持ちになられるのさえ、不愉快」
私は、私の中にある違和感を必死に言葉にしようとした。私は言葉が下手だけれど、夫と対話するなら、一日でも早いほうがいい。衝突を先送りにしていくうち私の心が限界を迎え、「離婚」の選択肢を選ばざるを得なくなるより、ずっとましだと思えた。
妊娠中に体調が優れなかったのに彼が飲み会に行ったとき、私は井戸の底に放り込まれたみたいに寂しかった。
夜鳴きがひどかったのにあなたは、いつものように眠り続け、起こしてはいけないという気持ちと、押し付けられているという理不尽さの中で、湧き上がる自己矛盾の葛藤で心が壊れそうだった。 3人の子供がそれぞれ別のことで泣き喚いていた時にテレビを見ているあなたに、くだらない育児はお前の仕事であって俺の仕事ではない、という無言の圧力を感じ、絶望を覚えた。
私は彼に謝ってほしかったわけでは無い。ただ、ほんの少しでいいから彼に、私の感情を想像してほしかった。彼が仕事で、どれだけ過酷な世界を生き延びてきたのか、私には本当にはわからない。だけど私は、彼の心の痛みを想像することは決して手放さなかった。だからこそ、何があっても彼と生きていこうと思えた。ただ私は、私が子どもたちに対して20年間そうし続けてきたように、「大変だったんだね」と、私の感情に触れてほしかった。
これまでの私達は間違いなく、背中合わせで敵と戦いつづけてくる最高のパートナーだった。
けれど、これからの人生に、大きな敵はもういない。それなのに彼は、私に背中を向け続けたまま、私でなく敵を探し続けている。彼と一緒に次の人生を生きていきたいからこそ、そんな彼に、本気で変わってほしいと思った。
夫は取り乱すように話す私に、かなり強く動揺しているようだった。
リビングは気まずい沈黙でいっぱいだったけれど、私は、彼の心がすこしでも動いたことに、僅かな希望の光を感じながら、眠りについた。
──数日後。
夫が、「この前の、ことだけど」と私に話しかけてくれた。
「実はあの日のことが、すごく衝撃で。それで──ある人たちに、相談してみたんだ。君への賛同の意見、僕への批判の意見。いろいろと本音で言って貰って、考えさせられたよ」
「そう……だったの……」
「僕のあの日の言葉は、君に誤解を与えてしまう表現だった。ごめんよ。……これからもっと君と、本音で話し合っていきたいと、そう思ったんだ」
「!……そんな……」
私は夫のその言葉にとても驚き、喜びの感情が溢れてきた。彼はこれまで、他人に相談なんて絶対にしなかった。きっと彼は、私とのこれからの人生に真剣に向き合って、変わってくれようとしているのだ。そう感じ、涙が出そうなくらいに嬉しかった。
次の言葉を待つ私に、彼は言った。
「そもそも、君の中では育児の実働だけが育児の範囲であり、その裏の予算の調達はプロジェクトとは独立した業務だと捉えていたんだね」
「……え?」
私は、彼が何を言っているのか、全く理解できなかった。
「その点ついては、僕の言葉が正確ではなかったかもしれない。とはいえ、育児の成果を君だけのものだと捉えるのは、違うと感じもしたよ」
彼は、そう言って立ち上がり、冷蔵庫に麦茶を取りに私に背を向けた。
「率直に行って、君の発言は支離滅裂で、意味を成していないかった。それでも多くの同意が集まるのに、素直に驚いた。──多分もう二度と相談することはないけど、いい体験だったよ」
ハングル語の校歌ガー!反日ガー!と誹謗中傷、ヘイトスピーチ、人種差別の逆境に耐えてよく頑張った! インターナショナルスクールとして初の甲子園優勝で高校野球にも多様性、ダイバーシティーの時代になる!
京都国際高校の甲子園優勝の秘訣をまとめました。1学年137人、全校約400人の小規模校ながら、以下の要因で快挙を達成:・狭いグラウンドを活かした創意工夫の練習 ・外部施設の積極活用 ・「練習の虫軍団」と呼ばれる熱心な練習 ・チーム練習と個人練習のバランス調整 ・多文化共生の理念実践 ・英語・韓国語教育による人材育成公式戦0本塁打で日本一。チームワークと戦略的プレーが光る。規模より質と努力が勝利を生んだ好例です
京都国際の校歌について、「気持ち悪い」「聴きたくない」という差別主義的な投稿は論外として、このような「ダイバーシティ」の文脈で持ち上げるのも、明らかに不適切である。期待している人には申し訳ないが、残念ながら京都国際はダイバーシティの時代とはなんの関係もない。
なぜ京都国際の野球部が強くなっているのか。それは、古い世代の在日韓国人の学校経営陣が、そのままで消滅の運命にあった学校を、なんとか存続させるために野球部を強化して生徒を集めることで、かろうじて生き残らせようとしているからであり、それ以上の話では全くない。
そして野球部の指導者と選手の多数は、在日コミュティや韓国について、特に関係もなければ関心も全くない。文春の記事で話題になっているが、監督に至っては「学校は嫌い」とまで明言し、韓国語校歌の変更を強く要望している。
差別的な投稿に対して、生徒の9割が日本人だという擁護があるが、逆に言うと在日コミュニティの家庭からは全く見向きもされなくなり、進学者が途絶えてしまっていることを示している。そして、全校生徒の半数近くが野球部員であるように、その実態は半ば野球専門学校であり、教育機関としては完全に形骸化している。
上の投稿では一学年137人となっているが、正しくは全校生徒が137人である。田舎の公立中学校レベルの生徒数である。少数でも在日コリアンの受け入れ先となっていれば意義があるが、明らかに現状は既にそうはなっていない。
存在意義が乏しくなっている高校をなんとか存続させたい、そして校歌を変えることも絶対に許さない、民族アイデンティティの強い古い世代の学校関係者と、ひたすら甲子園とプロ野球選手の夢を追いかけたいという野球部監督・選手との同床異夢が、現在の京都国際なのである。監督が他校に転出すればたちまち学校は存続できなくなるような高校を、「ダイバーシティ」などという言葉で持ち上げてはいけない。
増田さん、頑張りすぎなんですよ。いろいろな困難や逆境を乗り越え、一生懸命生きてきたんですね。それだけで十分素晴らしいことですし、誇るべきことです。少しだけ立ち止まって、自分をねぎらってもいいんですよ。
確かに、人生には不公平な部分が多いです。もし母が健康だったら、もし経済的にもう少し恵まれていたら、もし広いコミュニティに属していたら…。そんな「もしも」に思いを馳せることは、ごく自然なことです。だけど、これまでの人生には、努力してこなかったわけじゃないし、何もしてこなかったわけじゃない。むしろ、過酷な条件の中で、増田さんはまっすぐな人間として成長してきた。それは本当に素晴らしいことなんです。
増田さんのお母様も、そのことを理解していて、まっすぐ育ってくれたねって言ってくれたんですね。その言葉は、どれだけ励ましになったことでしょうか。しかし、今はそのお母様もそばになく、誰もそばにいないという孤独感。独りで生きていくことの不安や寂しさは、誰にでも分かる感情です。
人生の無価値さについて考えることも時には大切です。結局、人生とは何でしょうか。成功や失敗、満たされることや失望の連続。どんなに頑張っても、心地よく生きられないと感じることもあります。このスパイラルは、誰もが経験するものかもしれません。
ただ、増田さん、自分に優しくしてほしい。自分を攻めるのではなく、今までの努力を認めてあげてほしい。それから、もし本当に耐えられないと感じるならば、それもまた一つの選択肢です。人生なんて、いつでも辞められるんですから。ただ、その前に少しだけ休んでみて、自分を大切にする時間を作ってみてください。
人生の価値を見出すのは難しいかもしれないけど、自分がここにいていいんだという肯定感を持てるような、そんな日々が訪れることを心から願っています。
サラダチキンやらヨーグルトやら高タンパクを謳う食品もやたらと増えてきた。
インターネットで少し調べれば、効率的に身体を鍛えるためのトレーニング方法がいくらでも出てくる。
それ専門のパーソナルトレーナーとかもいる。
筋肉は嘘をつかないとか言ったってさ、オフィスワークにおいて筋肉なんてたいした役に立たないんだよ。
「嫌なことは忘れて切り替える」とか「ポジティブシンキングする」とか、そういうの。
いや、それをできるようになるために具体的にどうすればいいのか、それを教えてほしいのだが。
腕立て、腹筋、スクワットを10回×3セットとか、そういう具体的なの教えてくれよ。
なんで誰も教えてくれないんだよ。
メンタル専門のパーソナルトレーナーはいないのかよ。
スポーツ領域ではいるらしいけどな。もっと一般社会でも必要だろ。
高ストレス環境でも心を壊さずにやってくためにメンタルを強化する、再現性の高い方法をもっと議論しろよ。