はてなキーワード: 中二病とは
俺個人としては釣りになんのメリットがあるのか理解すら出来ないからたたよくわからんレッテル貼られたにしか見えない
神のお達しがきたとか思ったり蛇は邪悪でここにはマムシが出るという看板があるから(看板自体はほんとにある)追い払わなければならないと川沿いの道を巡回して木の枝を下に向けて振り回して追い払う仕草をする程度にはいかれてた
神のお達しで柄にもなく近所の公園掃除とか都内への塾帰りでも掃除で交番の警察が栄養剤とブラックサンダーくれる程度には殊勝な人間に見えてしまう程度には人格が変わってた
寺のチャイム鳴らして神がどうのこうの、なにしろ今思えば支離滅裂夢を見ているときのような状態の故思い出せないようなことを言っていた。坊さんにも迷惑だったろう
思えばすすき野事件の首切りした女がジェフザキラーが彼氏と言ってたのが今は「理解できる」
自分もなんか十六夜咲夜が乗り移ったみたいなこと言ってて女みたいな口調をしていたから。
今思えば「意味不明だけど理解はできる」んだよ。経験したことない人によるまとめコメ欄には中二病だとか書いてあるけど、俺から見たら確かに俺と同類の症状に見えて精神病だろうなって思える
なんで知ってる架空のキャラを恋人にしたりなりきりたがるんだろうね。まったくオリジナルの何かが妄想されるほうがまだ精神病っぽいのにこれだとほんと厨二臭いから病気の発見が遅れて困るわけだよ
神のお達しがきたとか思ったり蛇は邪悪でここにはマムシが出るという看板があるから(看板自体はほんとにある)追い払わなければならないと川沿いの道を巡回して木の枝を下に向けて振り回して追い払う仕草をする程度にはいかれてた
神のお達しで柄にもなく近所の公園掃除とか都内への塾帰りでも掃除で交番の警察が栄養剤とブラックサンダーくれる程度には殊勝な人間に見えてしまう程度には人格が変わってた
寺のチャイム鳴らして神がどうのこうの、なにしろ今思えば支離滅裂夢を見ているときのような状態の故思い出せないようなことを言っていた。坊さんにも迷惑だったろう
思えばすすき野事件の首切りした女がジェフザキラーが彼氏と言ってたのが今は「理解できる」
自分もなんか十六夜咲夜が乗り移ったみたいなこと言ってて女みたいな口調をしていたから。
今思えば「意味不明だけど理解はできる」んだよ。経験したことない人によるまとめコメ欄には中二病だとか書いてあるけど、俺から見たら確かに俺と同類の症状に見えて精神病だろうなって思える
なんで知ってる架空のキャラを恋人にしたりなりきりたがるんだろうね。まったくオリジナルの何かが妄想されるほうがまだ精神病っぽいのにこれだとほんと厨二臭いから病気の発見が遅れて困るわけだよ
「インターネット教養」と嘲笑されるものの一つに中島敦の『山月記』があることは、インターネットばかり見ている皆さんはご存知だろう。
教科書に掲載されているという普遍性、中二病心をくすぐる文体、人が虎になるというファンタジー性、そして何より繊細な青年の挫折譚への共感、どれをとっても「インターネット教養」として共有される理由にふさわしいし、もちろん文学作品として完成されている。
しかし、無教養で意地の悪い私はどうしてもそれが気に入らない。
なぜか。それは、インターネット民にとってこの作品のイメージが「虎」として共有されているからだ。
もちろん、「それは中国説話に由来していて~」、「文学的表現として~」とかいう話をしている訳ではない。
「『山月記』に出てくる「虎」は美しい。だからこそ、良くないのだ。
『山月記』が優れているのは、若者の自意識やナルシズムを美しく描き、それらからの解放も描いていることだ。
しかし、それでも「虎」のイメージや漢文調の文体は、最後まで李徴を悲劇の中に美しく取り残す。
結果的に、授業を聞き何となく感動した我々は、いつしかインターネットの中で、自分を李徴に例える。
「俺もこんな時期があったなあ…李徴は若いころの俺だよ」
違うだろ。
お前は今も新たなナルシズムを生きている。
そして、お前は何もなしていないし、何にもぶつかっていない。
そして、李徴は友人袁傪が聞き手になったが、お前の話は誰も聞き手にならない。
お前は虎でもないし、山に帰って一人で生きていくこともできない。
お前は過剰な自意識を過去のもののように言っているが、それは今も同じだろう。
『山月記』を悲劇ポルノとして消化して、ナルシズムオナニーに使うのをやめろ!!!
やめてくれ!!
★★★
中学校で『山月記』並みにメジャーな題材に魯迅の『故郷』がある。
その魯迅の短編『孔乙己』は、中国では教科書にも載っている有名な作品だ。
日本語訳が青空文庫にあるが、訳が古すぎてよくないので、岩波文庫や光文社古典新訳に収録されたものを本屋か図書館で立ち読みしてほしい。10分とかからないはずだ。
「孔乙己」は、汚いおっさんだ。しかし、この時代には珍しく読み書きができる。
それもそのはず、おっさんは科挙のために学問をし、何十年も勉強していた読書人なのだ。
しかし、おっさん、いや、青年孔乙己は科挙の入口の最下級試験にすら受かることはなかった…
それでも、彼にはプライドがある。他人とは違う、俺は勉強もした。読書人だ!
だから知識人の服装をして居酒屋に出向くが、通されるのは労働者が集うカウンターだ。
そこで仰々しく喋る彼は、支払いこそまじめにするものの、周りの労働者、子供、番頭みなに馬鹿にされる。
本を盗むことは読書階級のなせる業で犯罪ではない!というのだ。
しかし世間には通用しない。彼は最終的に袋叩きにされ町を去り、人々から忘れ去られてしまう・・・
冷徹な描写の美しさはあるが、自意識過剰でプライドの高い孔乙己と言う人格は醜く、滑稽で、寂しく、情けないものとして描かれる。
★★★
それは体系的な知識も持たず、ただインターネットの内輪の中で義務教育レベルのものを教養とありがたがるのが滑稽だからだろう。
そうした何者でもないインターネット民は、『山月記』をイメージとして消費し、「自嘲する虎」になったつもりになる。
そして、誰にも顧みられない自分の物語を、袁傪ではなくそこらの関係ない人に押し付けて話す。
実際は、型通りでここにでもいる自尊心の高い汚いおっさんでしかないのに。
誰にも顧みられなく、醜い。
ただ、自分を美化するのはやめよう。これ以上自意識を肥大化させるのはやめよう。
等身大の自分を、等身大に生きて、判で押したようなインターネット教養を離れて自分の人生を生きよう。
自嘲風の自慢をやめよう。こじらせるのもやめよう。
我々は、いや、僕らはこじらせても虎にはなれないし、帰る山もない。盗人になるだけだろう...
ここまで、偉そうに長々と書いたが、ここで私が話しかけていた「お前」は私自身だ。
私の文章に、私の気持ち悪い自意識やナルシズムを感じた人は『孔乙己』を読まなくてもいい。
ただ、それを感じなかった人は、ぜひ、明日にでも読んでほしい。
多めについて!「何と比較して?!!!」日経平均!!「そんな指標ないよっ!」ん"お"っプライム市場なのっ!
中二病、小二で消費
・後衛でやることなくなったら自分が前に突っ込んで相手の後衛(相手が【く】の字の陣形だった場合の曲がり角)を無力化する。自分の背後を取らせてしまった相手が2人いたとしても旧前線のやつらが対処する。自身のいるところを新前線の後衛にすべく支援体制の構築を始める。
・自律行動するユニットを作るには脳を擬似的に作る必要があるが、それを避けたいなら小動物の脳ミソとナイフを合体するだけでよいぞい
旧世代の魔法使いは前線にもでる必要があり、精進料理と筋肉の相性が悪く、柔術や経絡のような効率の良い体術に精通している。前線も魔法を扱えたり、敵後衛に届く魔法が開発されるなど底上げされてその必要もなくなってきている。
トランスジェンダーの性自認に関しては世間で散々疑われてるけど、個人的には解離性同一性障害もなかなか胡散臭いと思ってる。
多重人格とかただの中二病としか思えないし、犯罪を犯しても「別の人格がやった犯行で〜」とか言い訳してるのを見ると「は?」ってなる、責任能力がないとかふざけんな。
記憶を共有してない()とかいうのも嘘っぽい。どんな人格がいるか質問するのもタブーって、結局思い込みでしかないから辻褄が合わなくなるってだけでしょ。
幼少期のトラウマとか言ってるけど、本当にそんなのある?誰しも幼少期にショックな出来事の一つや二つあると思うけど、多重人格になんてならないんだわ。
トランスジェンダーもそうだけど「私は体は男だけど心は女なの!」とか「俺の中には何人もの人格があるんだ!」とか、統合失調症の集団ストーカー妄想と同じただの病気なんだから、真面目に取り合っちゃダメなんだって。
統失の妄想を真に受けて「それじゃあSPを雇いましょう!」って言う奴がいるか? お前のそれはただの病気で思い込みだと切り捨てる方が、絶対その人のためになるんだよなぁ…。
あんまり言いたくないのですが・・・DLチャンネル以外でまともに稼げていない人が
「変な仕様が続くようだったら個人ブログメインでやることも視野に入れないと」みたいなことを言ってるのは虚勢だとしても良くないですね。
そんなことをして運営から譲歩してもらえるとでも思っているのならひどい勘違いです。思慮が浅いと言わざるを得ません。
そういう人は、DLチャンネルさんに稼がせてもらっているのにそれを自分の実力だと勘違いしてるイタい人です。
まず大前提として運営に対しては感謝の気持をちゃんと持つべきかなと。今の状況が当たり前だと思ってはいけないでしょう。
それでも受け入れがたいのであれば、礼儀正しく問題点を指摘したうえで、それでも変わらないなら立ち去るような大人の立ち回りをしてほしい。
TL;DR : 自分にとってエヴァの呪縛は終わったようで終わってない。どちらかというと庵野の呪縛。それはそれとして久々に見たいアニメができたので、見る
幼少期はエレメントハンターと00の1期を見ていた(00はロックオンのハロが必死になってるシーンのせいでそのシーンしか覚えてない)。
小4にもなろうという頃にはインターネットに足を突っ込んで、TVは見なくなってしまった。
庵野に脳を焼かれたのはその頃だったと思う。アニメを見なくなったとはいえ、まだまだガキだった増田は金曜ロードショーは欠かさず見ていた。
Q. 当時の金ローといえば?
結局Qは2回見に行ったと思う(1回か2回かわからなくなるぐらいには衝撃だった)。
増田は運の悪いことにシンジと一つ違いだった。そして同じ部活の後輩(シンジと同い年)に同じく脳を焼かれた奴がいた。
そして運の悪いことに学校の帰り道も徒歩で30分ぐらい同じだった。
毎日毎日インターネットから拾ってきた考察を二人でこねくり回して(リナレイの話ばっかりしていた)
が、結局卒業して、高校に進んでからはあんまりエヴァの話はしなくなった。
しなくなっただけだったのかもしれない。
シン・ゴジラは見に行かなかった。ゴジラに興味が無かったから。
進学してしばらくたって、2021年に遂にシンエヴァが公開になった。
最初は「週末にでも(9年ぶりに)映画館に出向こうか」と思っていたが(その時点でアレだったかもしれないが)、いつの間にか飯を食った後親に直談判していて、
20時過ぎ(そもそもこんな時間に出かけるのが人生初)、映画館でチケットを握っている自分がいた。
(余談:これの前に映画を見に来たときはまだお姉さんが窓口でチケットを売っていたのもあって、大層恥ずかしい思いをした。詳しくは書かない)
エヴァの呪縛だと思った。5年も絶っていたエヴァは1度摂るだけでフラッシュバックした。
良い映画だった。増田がVoyagerが流れだしてからエヴァが終わってしまうことに泣いていた。(人生の9/20がエヴァに焼かれてきたのだ)。
良い終わり方だと思った。エヴァの呪縛からは解かれたと思っていた。
シン・ウルトラマンは見に行かなかった。ウルトラマンに興味が無かったから。
シン・仮面ライダーは見に行かなかった。初期仮面ライダーに興味が無かったから。
して、今である。
水星の魔女は興味がわかなかったし、見なかった。だが、GQuuuuuuXは庵野脚本と聞いて絶対に見たいと思った。
たぶん幼少期に00を見ていたり、大阪に行くたびに深夜枠のガンダムをホテルで見ていたりして、興味がないわけではなかったから。
今はMFゴースト(これは怖いもの見たさで視聴を決意したタイプ。けもフレ2もニコ生で毎週見ていた)を録り終わって解体した録画鯖を復活させている。
キャプチャカードを掘り出し、recfsusb2nをビルドしなおし、B-CASの端子に消しゴムを掛けた。
かといってアレをエヴァなんかに重ねてみているわけではない。エヴァと重ねて見てるやつは薄いやつだとさえ思っている。
でも見たいと思った。面白い話が見れるはずだと確信している自分がいる。
増田を麻薬のようにアニメに引きつけて、少しのトッピングだけでもフラッシュバックさせる。
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増田は
行き場のない思いを文にして
増田に投げることにした。
中二病とか言って笑い物にしない事だよ
気持ち悪い。
学生時代に尖れなかった反動で、常識ある奴は直接指摘せず距離を置く対応が普通になる社会人になってから奇抜な格好をするようになり周りから嘲笑の対象になっている事にも気付かず「他人と違う自己表現で一目置かれる私!」みたいな思い込みに陥る痛い女って居るよね。ただの中二病でしかないのに本人は「自分は変われた!自己表現ができるようになった!これが私らしさ!」みたいに勘違いしてる奴。
新社会人の頃の自分個人の事で精一杯だった状態から皆それぞれがチーム全体で仕事をしているという意識を明確に持つようになっていく中で、いい歳していつまでも自分個人を見てもらいたがる段階から抜けれていない女ってなんであんな幼稚で気持ち悪いんだろう。こういうの男性にはいないよね。
そういう社会性や協調性の終わり方してるのって大抵女なのに「狩猟メインだった男性に比べ調和や社会性が発達した生き物」的な言説とか笑わせんなって感じだわ。
政治への関心が失われることを「悟り」と捉えていますが、政治無関心が長期的に社会に与える影響は深刻です。たとえば、無関心が広がれば、少数の利害団体や特定の層が政治を左右することになり、民主主義の健全性が失われる可能性があります。また、「どの党が勝とうが大差がない」という認識にはリスクがあります。実際には、政党や政策によって社会保障、経済、教育などの政策が大きく変わり得ます。
意見の中で「政党を推す人は比較せずインプリンティングで支持している」「ネトウヨが嫌いだから反ジミン」という態度が批判されていますが、これは他者の意見を過度に否定し、「中二病」として片付ける傾向があります。人々が様々な視点から政治を評価するのは自然であり、異なる意見をもつ人々を「中二病」的な一括りにするのは不適切です。
「与党が勝つか野党が勝つかは景気次第」としていますが、景気の動向が選挙に影響を与えることは事実でも、逆に政治も景気や社会の多方面に影響を及ぼします。経済政策、税制、雇用政策などは各政党の政策によって異なり、その差が人々の生活に直接的な影響を及ぼします。このような影響を無視して政治の効果を過小評価するのはバランスを欠いた見方といえます。
この意見は、政治への関心が自己満足に留まるものとして極端に軽視していますが、実際には政治の影響は個人や社会に多大な影響を及ぼします。政治への関心を「中二病」と断じるのではなく、成熟した観点から他者の意見に耳を傾け、社会全体を考慮した行動を意識することが、民主主義において重要です。
昔は気づかなかったんだけど
20代あたりで政治に傾倒するのって、中二病や説教おじさんと同じようにその世代特有の何かだよな
そうすると、自分と世間の考え方のズレにイライラすることが多かった
でもようやく今に至って「どの党が勝とうがどうでもいい」まで至った
嬉しい、すごく晴れやかな気分だ
もちろん日本だからできることだと思う、どこが勝っても負けても言うほど大差がない、政治の力がよわよわで、流されるままに流れてるような国だ
あるいは、変な法案が出たときだけSNSでわめき散らかせば良いんだ(政治厨が騒いでるようなネタじゃないぞ)
政党を推してる人ってぶっちゃけさ、ちゃんと比較せずインプリンティングで推してるだけだよね
俺が見た中で最悪だったのは「ネトウヨが嫌いだから反ジミン」みたいなやつね、こんなやつが投票してるんだなと
与党が勝つか野党が勝つかなんて、日本でもアメリカでもどこでも結局景気が良いか悪いかでしかないんだよね
アホくさ