はてなキーワード: 公式ブログとは
登場アイドルが公式ブログをやってたらタイトルや内容はどんな感じなのか考えよういう、一部のネットオタクでいうところの「ない話(まったく存在しない小道具や展開なのに、やたらリアリティありげに考える遊び)」のコーナーで、芹沢あさひのブログの内容としてですます調で書かれたものを出してきて、俺のような意地悪な視聴者がそれあさひの口調ですらないじゃんちょっと浅すぎませんかと突っ込もうとした矢先に、「あさひさんのような○○っす口調は、本人は○○ですと丁寧語でしゃべろうとしてるけど発声の際に雑になってるものだから、文章を書かせたらちゃんとですます調になると思うんですよね」と言ったところ。
4日、初音ミクの公式Xにてピアプロのガイドラインについて触れる表明が出された。[ https://x.com/cfm_miku/status/1864128366720487608 ]
そのことについてユーザーの反応を見るために引用を見てみると、その中に「Deco*27のことか」、「最近のボカロ曲はひどい」とコメントしている人がいて驚いた。
なぜならボーカロイドに卑猥な歌詞を歌わせる歌なんて十年以上前から存在しているからだ。
世代が一巡したんだなとか、知名度があがった分色々な層の人の反応が見えるようになったんだな、とか感慨深くなるが、
私は今回は曲のことではないのではと考えている。
そもそも、ボーカロイドに性的な歌詞を歌わせて話題になるのは十年以上前からあったことだ。
詳細は省くが、歌詞が原因で権利者削除された曲は過去に存在している。
だが、無数にある性的な歌詞の曲全てが削除されているというわけではない。
この違い、匙加減はなんなのだろうか。
初音ミクの公式ブログにて、そういった曲に対し2008年に声明を出していた[ https://blog.piapro.net/2008/01/post-15.html ]
その時の声明の中では、
>> 特にVOCALOIDそのものや、VOCALOID製品のタイトル/キャラクター(「初音ミク」「鏡音リン」「鏡音レン」等)、バーチャルシンガーなどとクレジットされた作品において、それそのものが、いわゆるエロティックな表現や、バイオレンス、グロテスクな表現を、自ら発言/自己表現しているような見え方と捉えることが可能な場合、または視聴者がVOCALOIDやキャラクターのイメージを誤解し、困惑、嫌悪の感じをいだく可能性がある場合、VOCALOIDやキャラクターのイメージに悪影響があると判断させていただく事がございます。 <<
としている。また
>> ※"公序良俗"の判断基準については弊社では「TV放送できるか否か」をひとつの判断基準としています。例えば性的表現に関しては視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意しています。家族がそろって視聴した場合、露骨な表現描写をすることによって困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意をしています。(民放連の放送基準より一部参照) <<
とも書いている。
ここにそのヒントがあるように思う。
恐らくは「ボーカロイド本人が発信しているようにみえるか」、「直接的な表現をしているか」が主に判断基準になっていそうだ。
削除された曲はこれにひっかかっていた。(デッドボールPの『私は人間じゃないから』等)
Deco*27氏のそれが話題になりはじめたのは一年前のラビットホールあたりだろうか。
そこから『サッド・ガール・セックス』や、つい先日アップされた『モニタリング』の歌詞も言葉選びで言えば性的一面もあるだろう。
しかし、改めてMVを視聴すると上記の条件にはあたらないように思う。
まず上に挙げた削除された曲のように曲中で初音ミクを自称していない(ため、架空の女子の歌であるとすることができる)。
ではそもそもの直接的表現についてだが、これも対象外ではないかと思う。
サッド・ガール・セックスについては難しいところなのだが、恐らくピアプロが指す直接的表現ではない。
これが駄目ならアゴアニキPの『よっこらせっくす』も対象になるため私はそう考えている。
そして当然、気が付いていないという可能性もない。
ポケミクという大事なコラボにまで起用されるレベルのボカロPの話題曲が耳に入らないわけがないのだ。
例をみるに、有名なエロゲーの主題歌のような匂わせ程度の表現については見逃しているのではないだろうか。
性描写に重きを置いているかどうかも、判断材料として大事な要素かもしれない。
(想い人との別れや少女の感情が肝であるため直接表現とされていないのではないかという考え)
こういった根拠から、今回の件はDeco*27氏についてではないのではないかと私は思う。
>> 今般、主にソーシャルメディア・SNS を通じて発信される一部の当社キャラクターの利用、及びそれを取り上げたメディア報道について、ファンの皆様に多くのご心配のお声を頂戴しております。当社といたしましては誠に遺憾であり、大変心苦しくございます。<<
との一文もある。
過激な歌詞についての声明の時に、はっきりと公序良俗に反する歌詞を含む歌詞についてと書いてあることから、
だからこそ、今回は本当に単純にキャラクター利用についてを指しているのではないか。
(そもそもそう考えている人のほうが多いのだが)
あれは初音ミクに卑猥な言葉を喋らせたいという動機から生まれたらしいのだが、
それをそのままミクにやらせていたらきっと怒られていただろう。参考にしてみてほしい。
しかし、こういった色々な歴史を無視して今回Deco*27氏に対して攻撃的な声があがるのが残念でならない。
私も、他界隈でのグレーゾーンを面白半分で攻めるような行動を見れば思うところもあるが、
今一度、公式の規約、モラル、アーティストの熱意など含めて考えなければいけないと思う。
ちなみに、じゃあ何のことを指しているのかということには触れないでおく。
1年通った結果、不満たらたらになってしまったのでここに吐き出させてほしい。
私の場合、施術の効果は多少あった(横顔のバランスがよくなった)が、顔の左右差や顎関節症は改善しなかった。
私のように不信感と不満で苦しむ人が1人でも減りますように。
初回にセファロ撮影(両耳の穴に棒つっこんで正面左右の3方向から顔の写真撮るやつ)をしてもらい顔の歪みを分析するのだが、表参道院のみ、通院中にも撮影して経過分析してくれるらしい。
私は初回からしばらく広尾院へ、途中から渋谷院へ通っていたが初回以外一度も撮影してもらえなかった。
たまたま渋谷院の予約が取れず一度だけ表参道院に行ったところ、「うちは他の院と比べて混まないので経過観察もやってます」と説明された。
もちろんどの院に通っても料金は同じ。
「他の院も本来はやるべきなんですけどね」とのこと。
渋谷院or広尾院に通いたいが経過観察もしてほしい人は、自分から積極的にリクエストすべし!
ちなみに広尾院のみに導入されているらしい3Dスキャンの設備も、一度も案内されることはなかった。
公式ブログから察するに、どうやら自分から要求すればやってもらえたらしい。
求めよ、さらば与えられん
最初に担当してもらった若い男性スタッフは、初回から私にタメ口をきいてきて不快だった。
そのスタッフを避けて予約すると今度は年配の男性が担当してくれるようになった。
穏やかな接客で施術も丁寧だったが、施術内容や説明は毎回ほぼ同じ。
ちなみに通院回数が決まっているのだが、あと残り何回です、次が最後ですなどの説明もなかったので、最終回当日に「今日が最後です」と言われて驚いた。
最終回は表参道院で女性スタッフに担当してもらったのだが、現状確認や説明が細かく、施術も普段より20分ほど長くしっかりやってくれた。(さらに追加で通院させることが目的だったのかもしれないが)
経過観察の写真を送ってくれたり、個別で家でのセルフケアのアドバイスをしたりしてくれるらしい。
初回にまとめて大きいポイントを購入するほど割安になる。
初回のときは「期間限定で割引している。まもなく終了するので今日決めた方がお得」と説明された。
最終回に追加のポイント購入を勧められたときは「来月から値上がりするので今月中に決めたほうがいい」と急かされた。
今となってはどこまで本当か怪しいと感じてしまう。
数十万円規模の買い物なので、あせらず検討することをおすすめする。
初回に「コースの途中でマウスピースを作ります、タイミングが来たら改めて案内します」と言われ、いつ作るのだろうと楽しみにしていたが最後まで案内はなかった。
最後に「なぜ案内がなかったのか?」と質問すると「お客様の場合はオープンバイト(前歯が噛み合ってない状態)なので作成不要と判断したと思われる」と回答があった。
とにかく、マウスピースを作る意義やタイミングなどに不明点があればすぐに質問することを強くお薦めする。
本来は、最初に設定した期間内に歪みを矯正して後戻りしないところまで持ってって、あとはたまーにメンテナンスで通えばいいらしい。
そうなるように期間中に経過観察やセルフケアの指導もしてくれるらしい。
でも私にはそんなサービスはなかったので、期間内には中途半端な効果しか出なかった。
費用の一部返金、もしくは追加費用なしで継続対応してほしいくらいだったが、そこまで交渉することを考えただけでも精神的にきつかったのであきらめた。
107 名無しさん@恐縮です 2024/08/24(土) 07:35:28.87 ID:IIRhOSKV0
この都市伝説が広まるよりもずっと前の自分が中学生の時(25年前)、社会科の先生が「狭山事件についての勉強会に宮崎駿が来ていた」と教えてくれたのを今でもはっきり覚えてる。
(狭山事件は差別問題や冤罪の可能性など色々と問題があり授業で扱っていました)
だから後になってネットでトトロと狭山事件の話を読んだ時は納得したし、本当だと思う。
ジブリアニメが社会問題を暗にモチーフにする事があるのはよく知られた事実だし、
・狭山事件が起きたのが5/1
・メイとサツキは5月
というのも偶然とは思えない
124 名無しさん@恐縮です 2024/08/24(土) 07:41:28.33 ID:IIRhOSKV0
そうであるなら、
・少女とその姉の話
・妹が行方不明になる
まあするヤツはしてるんじゃない
https://bunshun.jp/articles/-/43892
「有岡担ボコボコにした」ジャニーズファン女性(28)2度目の逮捕《やり過ぎの関ジャニ動画撮影の中身》
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230929-OYT1T50324/
羽生結弦さん応援サイト運営の女、名誉棄損で書類送検…手芸趣味の女性を衣装制作者と誤認し中傷か
https://www.oricon.co.jp/news/2157967/full/
元AKB48でタレントの川崎希(32)が20日、公式ブログを更新。インターネット掲示板に自身や家族に対する誹謗中傷した投稿者である2人の女性が書類送検された件について、2人が深く反省している点などから、今回の刑事告訴を取り下げることを報告した。
新西国霊場会「霊場巡拝(おまいり)いこか」というのが2019年にやってる。
新西国霊場90周年記念で、ギャグマンガ日和とのコラボ迷路とかと合わせて、
”新西国霊場の札所38ヶ寺が一堂に会するのは40年ぶりという貴重な機会。
回廊には38ヶ寺の御朱印所がずらりと並び、各札所の御朱印を一気にいただけます。”
というわけで自前の御朱印帳にコンプできたし、記念法要もあったりした。
50周年、90周年でやってるから、100周年の2029でもなんかあってもおかしくないかも。
四天王寺公式ブログ:https://www.shitennoji.or.jp/report/%E6%96%B0%E8%A5%BF%E5%9B%BD%E9%9C%8A%E5%A0%B4-%E9%9C%8A%E5%A0%B4%E5%B7%A1%E6%8B%9D%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E6%97%A5%E5%92%8C%E3%81%A8%E3%82%B3/
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
新再刊『映画秘宝』における2021年DM問題の件についての不祥事謝罪ならびに今後の活動につきまして改めてのご報告 – オフィス秘宝 公式ブログ
https://l.pg1x.com/WuKFjFzFCB29eqjF6
あまりにも目が滑るので、要約してもらった上で、添削もしてもらったぞ。
これは謝罪文と読んで良いものでしょうか? それとも単に後悔を述べた感想文のようなものでしょうか?
ChatGPT
この文章は、一部謝罪の表現が含まれていますが、全体的には後悔や説明の要素が強く、純粋な謝罪文とは言い難いです。文章の中で謝罪が述べられている一方で、
事態に対する説明や経緯の報告が主であり、読者への直接的な謝罪や被害者への配慮が不足していると感じられます。
ChatGPT
皆様へ、
合同会社オフィス秘宝代表の田野辺尚人でございます。私どもの発行する雑誌「映画秘宝」において、過去の不祥事に起因する問題が発生し、
多くの皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。
2021年1月に発覚した前代表社員による悪質ダイレクトメッセージに関して、被害者の方々に対し十分なサポートと誠実な対応を行えなかったこと、
そしてその後の経緯や対応においても不十分な点が多く見受けられました。そのことに関しまして、心よりお詫び申し上げます。
このような事態が発生した背景として、私自身の健康上の問題や適切な判断が難しかったといった状況が挙げられますが、
それが原因であることを言い訳にすることはいたしかねます。私たちの責任であり、被害者の方々や読者の皆様にご心配とご不安をおかけしたことに対して、
深くお詫び申し上げます。
適切な対応ができなかったこと、十分な説明がなされなかったことにより、皆様に不信感を抱かせてしまったことを痛感しております。
今後はこのような問題が再発しないよう、十分な対策を講じてまいります。
被害者の方々に対して改めて深くお詫び申し上げ、今後も真摯な態度で問題に取り組んでまいります。何かご不明点やご質問がありましたら、
お気軽にお知らせください。
ありがとうございます。この添削された文章に、付録的に経緯も掲載したい場合はどのような文章になりますか?
ChatGPT
付録的に経緯を掲載する場合、謝罪文に続けて詳細な経緯を説明する文章を追加することが考えられます。以下はその例です:
【付録:経緯の詳細】
この度は、前述の謝罪文にて皆様に深くお詫び申し上げました不祥事に関し、その経緯についてより詳しくご説明させていただきます。
不祥事の発覚は2021年1月であり、当初は事態の深刻さを正確に把握できず、適切な対応ができませんでした。
岩田氏の関与が発覚した後、彼の行動が不適切であることを確認し、弊社として速やかに対処するべきでしたが、
その点での不備がありました。
被害者の方々に関しては、岩田氏のDMにより直接ご迷惑をおかけしたこと、そしてその後の岩田氏の行動によりさらなる不安や心配を引き起こしたことを理解しております。
これに対する適切なサポートや説明が不足していたことを認め、深くお詫び申し上げます。
また、岩田氏の退社についても、判断が迅速であるかどうか、そしてそれが適切であったかどうかについて、検証の余地がありました。
私自身が周囲の提案に過度に依存してしまったこと、それが結果的に不十分な対応につながったことを認識しております。
今回の不祥事により、私たちは適切なガバナンスと対応策を構築するための努力を更に強化してまいります。
日間ランキング制度について雑に書きすぎた気がしてきたので、1位になるには平均値以外の要素でめっちゃ稼ぐ必要あるよ(無理ゲー)という現役ランカーの解説を載せときます。
https://twitter.com/HamelnFilgaia/status/1691758710178345156
その理屈だと、なろうカクヨムどの小説投稿サイトでも規約違反BANが多数起きているので、すべての投稿サイトが脆弱です。というか実際そうです。
今回、炎上してやや大事になったのは、みんと氏と取り巻きが炎上の初期鎮火に失敗し続けたからであり、やらかしたことは本当に大したことありません。評価システムにもほぼ影響を及ぼしてません。
ハーメルン誕生期からの原住民じゃないから間違ってたらごめんだけど、それArcadiaと混同してない?
みんと氏の謝罪文の書き方が要領を得なさすぎて、混乱したブコメが散見されるので解説するよ
(俺を含めた)意味不明な人向けの説明:書籍化もしているラノベ作家が、自身も投稿しているWeb小説投稿サイトの、自著以外の小説に低評価爆撃してランキング操作しているのがバレて地味に炎上
トップブコメです。これ自体は正確な説明なんですが、ただまだいろいろ文脈が抜けててまだ「そのくらいで炎上する?」みたいな疑問が解けないと思うので、別の観点からこの炎上に光を当ててみましょう。
ハーメルンの評価システムについては別に解説したいので、1つ目は後回しにして2つ目から説明します。
月ノみんと氏は8作のランキング上位作品に低評価を付けました。
誰が評価付けたかは実は隠せるのですが、みんと氏はうっかり公開評価で低評価してしまったため、8作の作者8人全員、みんと氏の低評価は通知されています。
そのうちSNSで晒すという暴挙にでたのがリッチマン氏だったことは、Web小説界隈に馴染み深い人の中では何も意外性のないことで、彼は自分に舐めた対応取った人に対してなあなあで済ますことを許さないタイプの人間です。
例えば、
【更新】書籍化の打診→一度ならぬ全面改稿・分量半減を含む度々の直し→50日放置→企画立ち消え、という悲劇とその後 - Togetter
舐め腐った対応を取ったヒーロー文庫に対し、リッチマン氏がSNSで晒すことで炎上を引き起こし、「そんなことしたら出版社のブラックリストにのるよ?」「なあなあで収めてくれたら書籍化企画復活させるよ?」といった脅しや懐柔を「舐めとんのか」と突っ張り続けた事例。
しかも当時は「なろう通は知っている」程度の知名度だったのに対し、今ではハーメルン累計ランキング1位の作家で、なろうにも多くのファンがいます。
リッチマン氏は、みんと氏をSNSで晒したあとも、みんと氏がダメダメな炎上対応をするたびに、嘘や欺瞞を指摘して、炎上に火をくべ続けました。
喧嘩売ったのがリッチマン氏じゃなければ、おそらくいずれ低評価された作者の誰かが運営通報して、運営がみんと氏を処分する、そこまで話題にならない騒動程度で収まっていたことでしょう。
虎戸リア氏はリッチマン氏に対し、「お前がみんと氏を晒したせいで逆にみんと氏の作品が低評価爆撃されている。どっちもどっちだしDMで丸く収めるべきだった」などと主張しました。
もちろんそんなのリッチマン氏には関係のない話ですし、そこから犬も食わないレスバが勃発します。
また、「1人の悪意で崩壊するなんてハーメルンの評価システムは欠陥だ」などと一知半解の主張を繰り返し、ハーメルンを愛してやまないハーメルン民の怒りを買いました。ここでもレスバが起きました。
その果てには「ハーメルン民って地元最高って感じだね」などと、都会を知らず搾取される少女たちを描いた漫画を参照してハーメルン民を煽るなど、結局レスバは日が変わるまで続きました。
この虎戸リア氏の行動が致命的だったのは、月ノみんと氏がその時「沈黙」という悪くない炎上対応を取っていたにも関わらず、代理で油を注ぎ続けてしまったことです。「無能な味方は有能な敵より恐ろしい」とは言ったものですね。
リッチマン氏の晒し直後、「ちゃんと高評価も付けてるし印象操作やめろ」との趣旨の発言をみんと氏は行いました。当然リッチマン氏は公開評価全体のスクショを取っているので嘘はすぐに晒せます。低評価オンリーでした。
また、読んだ上での評価だとも最初は主張しました。後にハーメルン運営の調査により閲覧時間ほぼ0というログが残っていることが判明しました。
もちろんダウンローダーを使ったオフライン読書など、ログの残らない読み方というのはありますが、
なろう/カクヨムと違ってハーメルンでは低評価に実効性があることを強く意識していることがツイートから伺えたり、なろう/カクヨムでは低評価を行っていないのにハーメルンでは低評価しかしてなかったり、
その他様々な状況証拠も合わせると、読んだ上の評価というのが嘘であるのは明らかでした。
みんと氏を激しく非難していた層としては、リッチマン氏、ハーメルン民の他に、「本格ファンタジーワナビ界隈」があります(いまテキトーに名付けました。08/07追記「本格界隈」という名前があったらしい)。
みんと氏の作品はなろうカクヨムのランキング攻略用に特化し、流行りやテンプレを詰め込んだいかにもな作品です。みんと氏はその芸風で書籍化しプロになったことに強いプライドを持っていました。
一方で、プロ作家になりたいワナビの中には、「そんな低俗ななろう系は書けるか、俺は本格ファンタジーでプロになるぞ」という層があります。
炎上事件前のことなので、増田は生で見てないのですが、長年お互いをバカにしあってレスバしあってたようですね。
ただみんと氏は、書籍化作家という肩書があるだけワナビに対して優位を取れていた。そこに不正の暴露で一気に形勢は逆転、長年の屈辱を晴らすべく「本格ファンタジーワナビ界隈」は盛り上がりました。
ブコメに多く見受けられる誤解です。先の炎上理由1の解説も兼ねて説明します。
ハーメルンの日間は流動性が高くなるよう意図的に調整されてる、高得点や低得点数個の影響が大きい。全体的にとにかく目立てば得点になるなろうの加点法式を反面教師にしてる。利用者数は小説サイト中3位の大手。
この通りですね。なので月ノみんと氏の不正行為は攻撃だと言われるわけですが、「それでも欠陥では?」と思う人はまだいるでしょうから詳しく書きます。
結論を先に書くと、欠点を上回るほどの十分なメリットがあるし、月ノみんと氏の不正程度では大した攻撃にはならないのです。
ハーメルンの日間ランキングは、その日についた評価の平均に強い重みを起きます。事実上の平均ランキングです(日間以外のランキングは別計算式です)。
単純化してイメージで語ると、その日の評価者が1人だけでも、その人が満点を付けてくれたら日間1位になれるということになります。ランキングと言うよりピックアップです。
なろうの加点方式に対してこの方式にどういう利点があるのか。それはなろうの「ランキングが先か、読者数が先か」問題を解決できることです。
なろうではランキングに登らないと、読者に読んでもらえません。一方で、読者数が多くないとランキングにのりません。
富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる、なろうの膨大な作品投稿数も踏まえると埋もれる作品が大量に出てきてしまいます。
ハーメルンの場合、1人が推せば注目の場に上がれます、その代わり1人がけなせば別の作品に入れ替わります。流行りのジャンルでなくても、1人に刺さるものが書ければチャンスがある。
ハーメルンは二次創作の投稿サイトでもあるので、この性質はなろう以上に重要です。原作によって二次創作の潜在読者数は変わりますから。
原作が流行りの二次創作ばかりでない、展開が「なろう系」のテンプレばかりでない、多様性のあるランキングがハーメルンの日間ランキングの目指すところです。
それでも「1人の悪意で崩壊するなんて欠陥だ」みたいな意見があるかもしれません。しかしこれは日間ランキングなので1日しかその悪意は効果を持ちません。
「評価の付け直しで複数回低評価を入れる」なんて悪知恵を思いついた方もおられるかもしれませんが、ランキングに反映される評価は最初の1回のみであり実行不能です。
そして一日ランキングが下がったとしても、誰かが推してくれればすぐに復位できます。流動性の高さは、悪意に対する弱さでもあれば、すぐに元通りになる強さでもあるのです。
なお、ブコメにはありませんが「ハーメルンでは平均評価が8未満だと読まれなくなるから低評価は恐ろしい」という話を聞いたことがある人もいるかもしれません。これは実はハーメルン住民にありがちな誤解です。
平均評価が色で視覚化されていて、最上位の色、平均評価8以上の「赤」になるかならないかが、読者数増加を左右するというのは事実なのですが
ここでいう平均評価は上位下位それぞれ10%を除外した刈り込み平均です。現在ハーメルンでは高評価をつける人が圧倒的多数なので、低評価は下位10%に完全に収まります。
つまり高評価を付けた人の中での平均が視覚化されているわけで、低評価は計算式から完全に無視されます。
ただし、評価者が少ない連載初期の場合は例外です。刈り込み平均は機能せず低評価は極めて恐ろしい存在となります。ただし今回の月ノみんと氏の問題行為は「ランキング上位作品に対する低評価」なので無関係です。
上で述べたようにハーメルンのランキングシステムにはなろう・カクヨムと比較して大きなメリットがあります。一方で様々な緩和策が施されているとはいえ、相対的に性善説よりなのも確かです。
ただ、それで魔が差しやすくなるかは疑問です。日間ランキングには比較的容易に入れるという事実は、他サイトと比べ不正の魅力が薄いことを意味しますし、
それ以上にハーメルンは趣味の世界です。なろうやカクヨムと違ってプロ作家への登竜門ではありません。また実際問題として大した問題は起きていません。
むしろ、なろうのランキングは長らく相互評価クラスタで有名でしたし、最近でも、【注意喚起】不正に評価ポイントを増加させる外部のサービスに関して | 小説家になろうグループ公式ブログといった騒ぎがありました。
「ハックしやすいから魔が差す」なんて言説は、書籍化に命かけてるワナビたちのランキングハックに向ける根性を舐めてる気がします。
そんな背景もあってか、ハーメルン経由の書籍化については、ハーメルン運営はかなり否定的なメッセージを発信しています。
ただ、紳士協定以上の規制はないので、ハーメルンにもここ数年少しずつ書籍化の波が訪れているのも事実です。
もしこの流れが悪い風に働いてモラルハザードとなったらその時ランキングの計算式が変わるでしょうね。
ここまで書いたことから明らかでしょうが、ブコメに1人いるので一応回答します。月ノみんと氏はランキング操作目的で作品を読まずに低評価したことが、状況証拠とログから立証されたため非難されました。
面白くない作品に低評価をつけることは、何も責められることではありません。
評価は誰が何に付けたか非公開にすることもできるので、人間関係等も気にする必要もなく、正直につければいいのです。
ただし、評価傾向は非公開にすることができません。何を低評価してるかは隠せても、低評価しか付けていないことはバレバレですので、月ノみんと氏のような不正行為は評価非公開で行ったとしても風評リスクがあります。
月ノみんと氏がハーメルンでやったことは擁護のできない不正行為ではありますが、もたらした被害はそこまで大きなものではありません。
ハーメルン界隈の外にも伝わるような炎上をした理由は、彼が生きるのに下手くそな性分である(彼は発達障害診断済みの無職に近い専業作家です)ことに由来する部分が大きく、少し同情する気持ちもあります。
例えば、約1年前にハーメルンからBANされたエルトリア氏なんかは、嘘をついて不当な処分を受けたとハーメルンを貶めようと企てましたが、BAN理由が複垢による評価操作だとバレた瞬間にツイ消し沈黙し、いまでもなろうカクヨムで元気に活動しています。
彼は、月ノみんと氏と違って謝罪もありませんし、何ならなろうカクヨムでも一度BANされた過去のある、つまり再登録禁止という規約違反者であることも知られています。
オタクはいつまでもTwitterにしがみついてる場合ではない。分散型SNSにアカウントを作れ。現状は特にActivityPubに対応する分散型SNSだ。MisskeyでもMastodonでもいい。自分に合うサーバーに入れ。ノリが合うサーバーが見つからないならお一人様インスタンスを立てろ。もう何ならWordPressで個人サイト作ってActivityPub関係プラグイン入れるでもいい。
というのもThreadsはActivityPubと互換性を持たせる予定だからだ。
「Threads」では、分散型(非中央集権型)のソーシャル・ネットワーキング用のプロトコルである「ActivityPub」と互換性をもたせる予定。メタとして初めてオープンなSNSプロトコルとの互換性を想定したアプリになるという。
これにより、MastodonやWordPressなどActivityPubプロトコルをサポートするほかのアプリと相互運用できるようになる。公式では「ほとんどのSNSで不可能な、新しいタイプの接続が可能になる」としている。ほかのアプリでは、TumblrなどがActivityPubをサポートする意向を示しているという。
互換性があるアプリを使っていれば、Threadsのアカウントがなくとも、Threadsユーザーをフォローし交流できるようにする。
あわせて利用をやめる人に向けて投稿した内容をほかのサービスで使えるよう、コンテンツを転送するオプションの提供も計画されている。
公式ブログは「メールやWebを管理するプロトコルに似た分散型のアプローチがオンラインプラットフォームの将来に、重要な役割を果たすと信じている」とつづる。
つまりThreadsに推しコンテンツの公式アカウントが出来た場合、Misskey等のオタク向けインスタンスに住みながら公式アカウントをリモートフォローして公式の投稿を拡散する、みたいなことが今後出来る。
オタクはドブ川に沈みながら、公式は比較的キラキラした別の場所に住める。
公式アカウントだけでなく、他の分散型SNSにいる全ての自分がフォローした好むアカウントの投稿が口を開けてるだけでホームTL流れ込んでくる。
現状のTwitterが今から分散型に乗っかるとは思えない。ていうか後から乗っかれる金が無い。逆にメタは後からでもActivityPubだけじゃなく他の分散型プロトコルにだって(そっちがでかくなれば)乗っかってくる……と思われる。
公式が分散型SNSにアカウントを作った時、Twitterから余計な一言を足してそのリンクを張るのか? いいや分散型SNSのアカウントから一次情報の公式の投稿をそのまま拡散すべきだ。公式アカウントの投稿を正しく拡散できるのは、分散型SNSにアカウントを持つオタクなのだ。そういうわけでどこでもいいから分散型SNSに席を作るべきだ。最近は流入が多く、良いサーバーは新規登録停止してる場合も多い。
同じTwitterという場所に公式アカウントや関係者が居ながらエロBL二次創作の話がワンクッション無く流れてくる、そういう状況が嫌だと思う人は居るはずだ。その状況を今より軽減出来るのが分散型SNSなのだ。
サンは森で、私はタタラ場で暮らす。その場合、サンが森で投稿した絵を見るにはまず森に行くしかなかったが、分散型SNSではサンが森で投稿した絵がタタラ場で見れるし、タタラ場の人達に広めることも素早く出来るのだ。あとサンが自分で森以外のところに投稿する手間も省ける。
でもTwitter民は分散型SNSについて、キモいねー、ほらこんなこわいところもあるんだよー、Twitterがやっぱいいよねーって言い続けてる。なんでだよ。
「分散型って投稿を消そうと思っても完全に消せないんでしょ?」
→それはTwitterでも同じだ。魚拓を取られたりアーカイブ化されたり自動でTwitterの画像を無断転載しまくってるサイトがある状況で、Twitterの投稿は自分が削除すれば全部削除されるなんて幻想である。オープンなネットに公開した時点であらゆるものは取り消せないし自分の意志と関係なくネットに流れ続ける。Twitterであろうがどこであろうがそう思って投稿するべきだ。あとは投稿する際に連合に流さない設定にすればそのあたりの不満は多少は軽減されるかも。もちろん完全ではないけど。
→それはMisskeyのioサーバー限定のノリだ。別のサーバーに行け。オタク向けのMisskeyなら他ににじみす.moeやお絵かきすきーなどがある。Misskeyとはソフトウェアのことで単一のSNSのことではない。カスタム絵文字はサーバーによって登録されているものは全く違うし、サーバーの空気もそれぞれ違う。ローカルTLやソーシャルTLが無いサーバーもある。サーバーごとの雰囲気はハイライトを見るなどすれば掴みやすいはずだ(ログインしなくてもhttps://サーバードメイン/exploreのアドレスで見れる)。Misskeyのカスタム絵文字がギラギラしてて疲れるならCSS追加でカラムごと非表示にする(GitHub - kanade/misskey-css: Misskey用カスタムCSS)こともできるが、Mastodonに行くといいだろう。Pawooサーバーは企業が運営しているので個人サーバーよりはいくらか安心出来るかもしれない。合うところが無いと思ったなら自分しかいないインスタンスを立てればいい。単なるhtmlの個人サイトを作るよりもいい。どの連合サーバーでも、お一人様サーバーだとしても、他のサーバーや他のシステムにいる人をリモートフォローし合える、それが分散型なのだ。
「Twitterは色んなジャンル違いの人の話やドブみてぇな投稿やオタクの日常等が雑多に見れる、それはTwitterにしかない」
→そういう状況は分散型SNSのほうがよほど構築しやすい。構築しなくても日本人が多い分散型SNSの殆どのローカルTLはジャンル違いのオタクの話と日常とドブみてぇな投稿が雑多に流れている。Twitterにしか無いものがあるとするなら現状の日本人ユーザー数と日本企業日本行政アカウント数ぐらいなもので、後は寧ろマイナスだ。
→それはそう。Twitterにしか無いものといえば日本人ユーザー数と日本企業日本行政アカウント数だけだと言ったが、それこそが肝心要だと言われればその通りでしかない。
そんなわけでみんなでどこでもいいから分散型に行け。ていうかオタク向け企業は出来ればスレッズ等の大手にアカウント作って、オタクはミスキーやマストドンに行ってくれ。フォロワーがそれぞれのサーバーやシステムに散らばっていたとしてもフォローし合える、それが分散型の強みだから。いっせーので全員が同じSNSに移動することは無いだろうが、いっせーのでそれぞれに合う分散型SNSに移動することは可能なはずだ。
そして上記の記事にあるように、分散型SNSは別サーバーやシステム等にアカウントをうつす等の機能が実装される可能性が高い(ミスキーなどは実験版ではあるが既に実装している)。投稿やフォロワーを引き継いで他の場所に引っ越すことが出来る。Twitter上での長年の繋がりを断ちたくないという人は多いと思うが、分散型SNSに席を置いておけば今後は「そのSNSが気に入らなかったらフォロワーと投稿を引き継いで別の場所に引っ越す」が可能になるのである。
分散型SNSが主流になればTwitter以上の便利とゆるい繋がりと棲み分けが我々に待っているはずだ。そして時代の潮目は分散型SNSに来ているのである。とりあえずアカウント作って公式をリモートフォローする準備をしておけ。
「Threadsまだ分散型対応してないんでしょ? 対応してからでもよくね?」
→……まあ……正直そうかも……
(追記あり)Togetterの広告は女子中学生を手ごめにしようとする会社員のマンガを載せたりするのが嫌で、はてブがドメイン非表示の機能を追加したときには真っ先にTogetterを入れた。
その機能追加の記事へのブコメは「Togetterを入れた」の連続で、とぅぎゃったんは「広告は調整するから入れないで」みたいなブコメを書いていて担当者は大変だなと思ったものだ。
しかし今のTogetterはどうだろうか。BLの広告を堂々と載せている。多様性に配慮したのか? いやそういう「調整」を望んでいたわけではない。エロ広告は単価が高いのかもしれないが不快だからやめてくれ。
「そういうのを見てるからエロ広告が出るんだろう」…そう思う? Togetterでエロ以外の広告しか出たことがない人なんているの?
はてブトップを見たらホッテントリに入っていて驚いた。今日は5ch騒動で増田を見てる場合じゃなかったんよ…
いくつかのブコメに返信したいと思う。
それは考慮していなかった。なんか申し訳ない。無理に出てこなくていいですよ。
これofこれ。Togetterよりひどいモロな広告を出してくるところはなるべく早く閉じたい。有益な情報が書かれていても子供に見せたりできない。
セリフを引用しようとすると不快になるのでたしか「くみちゃん」とかなんとか。
その物言い、広告だけでなくそのまま「そういうコンテンツやめてくれ」になるやつやん。「姿慎めよ」論。それ、単に自分の好き嫌いの話してんの?それとも「正しさ」を語ってるの?
「不快なのでやめてくれ」で伝わらなかったようですが好き嫌いの話のつもりであり、TPOをわきまえてほしいと考えています。
はてブ→Togetterという導線は自分はなくなったのでよくわかりません。今はTwitterから行くことが多いです。
とぅぎゃったんははてブ常駐してて無難なまとめには即ブコメするくせに、個人への中傷レベルのまとめとかこういう批判がランキングに上がってきても顔も出さないし対策とかも一切しないから滅茶苦茶イメージ悪い。
いやそこまでとは思ってません本当に。中の人は単なる一従業員でたまたまとぅぎゃったんを担当しているだけでしょうし。とぅぎゃったんを名指しで批判したつもりはなかったのでなんか本当にすみません。
ブコメ、トゥギャったんがブコメするのってTogetterだけでしょ?他にブコメしてないのをどうこう言うのは違う話だと思う
はてなブックマーク公式ブログが「ドメイン単位で非表示にできるようになりました」と告知する記事で「広告は調整するから非表示にしないで」とコメントしていたんですよ。
今のところアプリでのみ設定できるそうです→「はてなブックマークアプリでミュート機能(β)の提供を開始しました - はてなブックマーク開発ブログ」 https://bookmark.hatenastaff.com/entry/mute
そうだそうだ。Togetterがエロマンガのサイトならエロマンガの広告が出てくるのはマッチングしているけれど実際はそうじゃないでしょ。
であればBL広告は出さないでもらいたい!!!こちらストレートの成人男性でBLには興味ありませんというか不快です。
えっそんなマンガがあるんですか? けしからん! 自分が見たのは中学生を相手にするマンガの広告でした。
yositosi 広告からの収入も厳しい中で、広告の量も貼り方も記事の途中に入れないなど他に比べれば配慮している方だし、悪質な広告事業者特定してブロックとかいろいろやってるんだけどなー
5chのスレが立ってて気付いたのだが有名なサイバーロッカー(昔の言い方だとアプロダ)サイトのZippyshareが今月末での閉鎖を発表したという。
Inofrmation about the closure of the project | Zippyshare.com
https://blog.zippyshare.com/?p=1211
BingAIに聞いてみるとZippyshareはポーランドの法人によって2006年に開設された。問題ある海賊版サイトとして西欧諸国では利用できないようにアクセス規制されていた。
公式の声明では閉鎖の原因として・新規の競合サイトが増えたことによるアクセス減少、・アドブロックで減った収入を広告を増やすことで補い更にユーザビリティが下がりアドブロック利用が増える→広告増やすという負の循環疲れ、・電気代が昨年から2.5倍に高騰、といった理由を挙げている。
「将棋棋士の平均寿命は、世の中の平均よりも短い」と言うのが、なかば定説のようになっている。プロ棋士と趣味の将棋では肉体的にも精神的にも負荷がまったく違うとはいえ、将棋を普及させようとする上では、将棋界にとって少し耳の痛い話だろう。
将棋棋士の平均的寿命について - おおた 葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい (2007年)
結果は・・67.51才である。短い!
棋士と年齢を分析する | 将棋ペンクラブログ (2014年)
全体の平均 68.5歳 (110人)
*最も長命だったのが加藤博二九段の90歳(2013年)、最も若かったのが村山聖九段の29歳(1998年)。
将棋棋士の平均寿命を調べてみた - 将棋ペンタゴン (2021年)
物故棋士は91人でその没年齢の平均は72.0歳となっています。
野月浩貴八段と藤森哲也五段の発言例も→ anond:20230124165248
しかし、これらの記事に書かれた棋士の平均寿命のようなものは、「既に死亡した棋士の死亡年齢を平均したもの」であって、いわゆる世の中で平均寿命として公表されている「今年生まれた0歳児が何歳まで生きるか」とは異なる。極端な話、江戸時代までさかのぼれば棋士の死亡年齢はもっと短くなるわけで、「過去400年間に死亡した棋士」と「今年生まれた0歳児」を比べるのは的を外している。(最初に挙げた記事のうち 将棋棋士の平均的寿命について にはいくつか但し書きも添えられているが、それでも不十分)
そこで、直接比較しやすい「死亡年齢」だけに着目して、5年ごとに区切って世の中の平均と比べてみた。
ただし、全男性の死亡年齢は、新生児の死亡なども含まれるので、特に古い時代ほど低くなりやすい。「棋士が0歳で死亡する」ことはありえないので、おおむね棋士の年齢に対応する「20歳以上」に絞った死亡年齢と比較するのがよいだろう。(棋士のプロ入り平均年齢は22.4歳)
(※1/24追記: 全男性と20歳+の計算に間違いがあり、すべて-0.5だけ下方修正しました。考察や結論に変わりはありません)
平均死亡年齢の推移:
年 | 全男性 | 20歳+ | 男性棋士 | 男性棋士の 誤差(95%) |
---|---|---|---|---|
1940年 | 54.7 | 5.2 | ||
1945年 | 61.5 | 16.9 | ||
1950年 | 41.1 | 57.8 | 61.0 | 22.0 |
1955年 | 50.0 | 61.1 | 48.5 | 10.1 |
1960年 | 55.5 | 63.3 | 43.0 | 6.0 |
1965年 | 59.3 | 64.7 | 67.8 | 6.9 |
1970年 | 61.0 | 65.3 | 64.8 | 19.5 |
1975年 | 63.1 | 66.6 | 64.6 | 8.5 |
1980年 | 65.7 | 68.1 | 69.3 | 7.0 |
1985年 | 67.4 | 69.1 | 73.5 | 6.1 |
1990年 | 69.2 | 70.5 | 72.4 | 8.8 |
1995年 | 70.4 | 71.4 | 71.3 | 6.4 |
2000年 | 71.4 | 72.1 | 68.2 | 16.4 |
2005年 | 73.3 | 73.7 | 66.1 | 10.1 |
2010年 | 75.1 | 75.5 | 73.8 | 8.8 |
2015年 | 76.9 | 77.2 | 81.3 | 6.4 |
2020年 | 78.4 | 78.6 | 78.9 | 6.9 |
グラフ:
こうしてみると、誤差は大きいものの、「将棋棋士の平均寿命は、世の中の平均よりも短い」という定説は、妥当ではないと言える。もっとも、1960年や2005年ごろにかけては世の中の推移に逆行して若くして亡くなる棋士が多かったため、誤った定説を生み出しやすい環境だったとは言えるかもしれない。
※ 政府の統計は5歳ずつの階級を中間値で平均して求めた(たとえば80-84歳での死亡を一律で82歳とみなしている)。新生児と高齢者は本来の死亡年齢より高く、それ以外は低く算出されやすいが、結果的にある程度相殺される。
※ 政府の統計は「その年」に死亡した男性だが、男性棋士の統計は「その年の前後5年(2020年なら2018-2022年)」に死亡した男性棋士である。
※ 政府も棋士も誕生日までは考慮していないので、「80歳と11ヵ月」で死亡しても80.0歳として計算される。(どうしても平均寿命と比べたいなら、+0.5するとよいが、本来は人口ピラミッドの影響も差し引かなくてはならない)
ちなみに囲碁棋士は女性も含んだリストしかなかったが、特に将棋棋士に比べて大差あるわけではなかった。
エルデンリングは優れたアクションゲームであるが、オープンワールドゲームとしては完全に失敗している。
どこが失敗しているのか、なぜ失敗しているのかを以下に述べる。
オープンワールドゲームにとって最も重要な問題は「壁に登れるかどうか」である。
この「壁」とは、建物の壁だけに限らず、崖、岩、草木、あるいは「見えない壁」まで、あらゆる障害物を指している。
「ここは通ってほしくないから壁を置いておこう」
そうしてゲームクリエイターがプレイヤーをコントロールしようとして設置されるものが「壁」である。
オープンワールドという「どこまでも自由に行けるゲーム」とはまったく正反対の性質のものであることがわかるだろう。
しかしその「壁」を登ることができるならば、障害物だった「壁」は、すべてが立体的な「道」へと変貌する。
たとえるなら、
お化け屋敷です、決められたルートを決まった順番に進んでください、
運営がそのルートに沿っていろんな怖い演出を用意しています、というのがリニア(一本道)なゲームだとしたら、
肝試しです、どの道を進んでも、あるいは道から外れても、崖を登っても、空を飛んでもいいので、
とにかく山の頂上の神社にある御札をとってきましょう、というのがオープンワールドなのである。
どちらのほうが「より良い」とか「正しい」とかいうわけではないが、この二つを両立することは難しい。
エルデンリングは、オープンワールドという仕組みを導入しながらも、リニアなゲームから脱却することができなかった。
見た目はオープンワールドでありながら、ゲームデザインは極めてリニアである、というアンバランスな作品だった。
屋根にのぼって高所から敵を倒すとか、城の裏手から侵入して敵の手薄なところを探すとか、そういった自由度はない。
あるとしてもそれは開発者があらかじめ用意しておいた「ルート」の一つでしかなく、
自由な移動を保証したオープンワールド化の結果として可能になったものではない。
またエルデンリングでは、マップ上に点在する特定のポイントでしかリスポーンできない。
非常に死にやすいにもかかわらず、「死んだところだけやりなおす」ことができず、「最初からまた順番にやりなおせ」と強制される。
これは単体の戦闘ではなく、リスポーンポイントから始まる「ルート」をゲーム体験の最小単位として意図しているからだろう。
リスポーン地点から遠く離れるほど、死んで元の地点に戻されたときの徒労感は大きくなる。
死んだときに落としたルーンは、リスポーン地点から離れているほどそれを回収するのが難しくなる。
というかフィールドは広くてもイベントやクエストはスカスカだし敵を倒してもロクなアイテムを落とさない。
「あちこち適当にボスだけ置いたんで、寄り道して倒しにいってもいいですよ。それってオープンワールドっぽいですよね?」
くらいにしか考えていないのだろう。
まあ開発陣はなんとなく流行りに乗っただけなんだろうが、
『ELDEN RING』ディレクターの宮崎英高氏にインタビュー! 著名な作家とのコラボレーションなどについて語っていただきました! – PlayStation.Blog 日本語
宮崎氏:プレイヤーには主に、今回私たちが注力した自由度の重要さを感じてほしいと思っています。ゲームをプレイヤーそれぞれの方法で楽しんでもらい、自分のペースで探索できるこの新しいオープンワールドで解放感を味わってほしいと思っています。
宮崎氏:はい、これは意図的なものですが、必ずしもゲームを明るくするためではありません。『ELDEN RING』では、広大なオープンワールドを探索することを考えると、鮮やかな色使いが必要でした。
フロム・ソフトウェアの宮崎英高氏が語る『ELDEN RING』開発の秘密 - Xbox Wire Japan
オープンワールドのデザインは、これまでの作品と創作のプロセスにおいてどのような違いがあったでしょうか。
宮崎氏:ゲーム全体のデザインで言えば、『DARK SOULS』などから変わらぬテーマである達成感に加え、未知と脅威に満ちた広大な世界に、自由に挑む「冒険感」を重視したことが大きかったと思います。
また、他オープンワールドゲームにインスパイアされた点はありますか?
宮崎氏:特定のゲームに特にインスパイアされた、ということはありませんが、ユーザーとしても、名作と呼ばれるオープンワールドゲームを多くプレイし、それぞれから素晴らしい刺激を受けました。
単なるゲームメディアではなくPS/Xboxの公式ブログにおいてもオープンワールドだと喧伝され、ディレクターもとい宮崎社長もオープンワールドだと言っているのに、「エルデンリングはオープンフィールドだからオープンワールドじゃない!プレイヤーが勝手に勘違いしただけ!」というのはさすがに詭弁ですね。
ロシア通で知られる日本維新の会の鈴木宗男参院議員が16日、自身の公式ブログを更新。ロシアによるウクライナ侵攻を念頭に「ゼレンスキー大統領は『武器を供与してくれ、少ない』と訴えている。欧米諸国は協力する姿勢を示しているが、それでは戦争が長引き、犠牲者が増えるだけではないか」とし、「自前で戦えないのなら潔く関係諸国に停戦の仲立ちをお願いするのが賢明な判断と思うのだが」と続けた。
2月24日に始まった侵攻から約4カ月が経過しようとしているが、まだ終結は見えない。鈴木氏は「名誉ある撤退は『人の命を守る』上で、極めて大事なことである。また、物価高で世界中が悲鳴を上げていることを考えるべきだ」とロシアではなくウクライナに訴えかけ、「『ウクライナは負けない』と強弁してきたが、国力からしてロシアと1対1の戦いでは、その差は明らかである。ここはゼレンスキー大統領の勇気ある決断を願ってやまない」とした。
一般人がブログで書くのは自由だが、参議院議員の立場ある人間が他国に降伏勧告するのはさすがにまずいのではないか
あとウクライナ人もゼレン大統領も、降伏したらもっと犠牲者が増えることがわかってるから降伏しない、
という赤子でもわかる論理に基づいているのはわかるはずだが
以下は、D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)公式ブログ 2021年10月4日付記事の和訳である。これに続く形で発表された。英語版のエラッタおよび注釈記事(https://dnd.wizards.com/dndstudioblog/sage-advice-book-updates)については有志による翻訳(https://blog.nekohaus.net/20211228.html#p01)が発表されているが、その前段として発表された記事となる。
ここ数日一部で物議をかもしている、2021年12月27日発表のD&D日本語版エラッタに関する(おおかたは不毛な)議論をいくらかでも建設的なものにするために資するところがあると考えて和訳した。
原文: https://dnd.wizards.com/articles/sage-advice/creature-evolutions
最新のD&D書籍である『ザ・ワイルド・ビヨンド・ザ・ウィッチライト』では、プレイヤーキャラクターとして使用できる種族が2つと、一群のフェイワイルドのモンスターとNPCたちが活躍します。今回のセージ・アドバイスでは、これらの新たな選択肢におけるルールの進歩について説明します。まずはデータ・ブロック、次に新種族についてです。
過去約1年ほどのあいだ、D&Dのデータ・ブロック記法を洗練させてきました。使いやすく、またDMがコントロールするクリーチャーをゲーム内でより効果的に動かせるようにするためです。以下の各項では我々が既に行なった主な変更を解説します。これらの変更は以下の書籍に見ることができます。すなわち『ザ・ワイルド・ビヨンド・ザ・ウィッチライト』『フィズバンズ・トレジャリィ・オヴ・ドラゴンズ』『ストリクスヘイヴン:ア・カリキュラム・オヴ・ケイオス』そしてモルデンカイネンのお送りする『モンスターズ・オヴ・ザ・マルチバース』です。
「図版(原文参照)」
(例として、ブリーワグ・ナイトのデータ・ブロックとイラスト)
クリーチャー種別は、常に頭文字を大文字で表記するようになりました。これは、ルールテキスト中で特定の種別に属する特定のモンスターの話をしているのか(例:a Giant と書いてあれば巨人種別のクリーチャーを指す)、それとも通常の意味でその言葉を使っているのか(「彼女はバードたちのコミュニティにおける巨人であった」という際には giant を使う)を識別しやすくするためです。
我々はまた、どのモンスターが「人型生物」種別を有するのかを厳密にしました。人型生物は、今では倫理と文化の幅において人間に似通った種族だけに限定されます。今後、以前の書籍をアップデートする際には一部の人型種族をほかの種別に変更する予定です。『モンスターズ・オヴ・マルチバース』が発売されれば、以前は人型に分類されていたものが怪物、フェイ、そのほかの種別になっていることがお分かりいただけるでしょう。
『キャンドルキープ・ミステリーズ』『ヴァン・リヒテンズ・ガイド・トゥ・レイヴンロフト』では、属性がデータ・ブロックに入っていません。この2冊では、将来的に属性をどのように扱うかを決めるための時間を稼ぐ一時的措置として、データ・ブロックから属性を抜いてみたのです。検討の結果、『ワイルド・ビヨンド・ウィッチライト』では属性がデータ・ブロックに復帰しました。以降の書籍でも同様です。
一時的に入れなかったのはなぜでしょうか? しばらくの間、コミュティ内部では属性の役割について混乱が見られました。プレイヤーズ・ハンドブックのルールではプレイヤーは自分のキャラクターの属性を選びます。モンスター・マニュアルのルールでは、DMがモンスターの属性を決めます。どの属性を選んだかに関わらず、クリーチャーの属性はそのクリーチャーが持つ倫理の概観を説明するものです。属性によって行動が決まるわけではありません。属性は本質的にはロールプレイを補助するものです。
上記の2冊は「プレイヤーとDMが最終的な属性に関しては決定権を持つ」ことを明確にしていますが、この2冊によって疑惑も生じます。プレイヤーズ・ハンドブックはD&D多元宇宙の様々な人々(folk)の属性についての示唆を掲載しています。モンスター・マニュアル掲載のデータ・ブロックには属性が含まれているものの、それが示唆に過ぎないという但し書きはないのです。
この疑惑を払拭しつつ、ロールプレイの道具として属性を役立てることができるように、以下の変更をおこないました。
・固有名のある個人すなわちミスター・ウィッチやミスター・ライトは属性を明記されます。
・種別が人型生物のクリーチャーは一般に「どの属性でもありうる」と記載されます。DMに、こうした人々の倫理観には極めて広い幅があることを思い出してもらうためです。
・強い倫理的傾向を持つ魔法的な種族(エンジェル、デーモン、デビル、アンデッドなど)に関しては、属性表記の前に「典型的には」の語が付きます。たとえばデーモンのデータ・ブロックには「典型的には混沌にして悪」と表記されます。D&Dのデーモンの典型的な属性は混沌して悪だからです。このひとこと――典型的――は、DMに対して属性は物語を語るための提案であって、絶対的な存在ではないことを思い出させます。聖なるものが堕落することもあり、邪悪なるものが昇天することもあります。特定の組織――献身的な騎士団や悪魔崇拝のカルト――に属する者も時として「典型的には」と表現されます。
・野獣の大半、それに粘体などのクリーチャーは倫理観を分類することができないため、これまで通り属性を持ちませんので、「無属性」という表記になります。
クリーチャーの中にはタグが付いているものもあります――エルフ、ゴブリン類、タイタンなど。これらのタグは、データ・ブロックのほかの部分では表現されない重要な細部を表現するものです。我々は、ルールが参照する新しいタグをいくつか導入し始めました[訳注:これまで、タグにはルール的な効果はなかった]。これらのタグによって、クリーチャーはゲームシステム上でより鮮やかに活躍することができます。たとえば、一部のクリーチャーは「クレリック」「ドルイド」「ウィザード」といった呪文発動可能なクラスのタグを持ちます。また『モンスターズ・オヴ・ザ・マルチバース』では、こうしたタグをもつクリーチャーはマジック・アイテムとの同調においてそのクラスの一員として扱われるというルールが収録されます。
データ・ブロックの数字の多くは習熟ボーナスを含んだ(計算済の)ものです。このことから、今ではクリーチャーの習熟ボーナスがデータ・ブロック内に記載されます。場所はクリーチャーの脅威度の右隣です。
クリーチャーがボーナス・アクションを使用可能な場合、今ではデータ・ブロック内の「ボーナス・アクション」の項に記載されます。この項は「アクション」の次に記載され、もしモンスターに「リアクション」の項があれば、「アクション」と「リアクション」の間に「ボーナス・アクション」の項が入ります。
新しく項目としたのは、DMがクリーチャーを動かす際にボーナス・アクションを簡単に探せるようにするためです。これまではデータ・ブロックの上端ちかく、クリーチャーの特性の中にあって見つけにくかったのです。
2014年以来、呪文発動可能なクリーチャーは「呪文発動能力」または「生得呪文発動能力」の特性(あるいはその両方)を持っていました。2021年から、我々はこの2つを「呪文発動」アクションに統合しました。このアクションはデータ・ブロック内の「アクション」の項に記載されます。加えて、いくつかの重要な性質を持ちます。
呪文発動アクションは呪文スロットを使用しません。クリーチャーはアクションに記載された呪文を一日に特定の回数だけ使用できます。
呪文発動アクションに記載される呪文は発動に1アクションが必要な呪文だけです。呪文の発動にボーナスアクションやリアクションが必要な場合、あるいは1分やそれ以上の時間がかかる場合には、データ・ブロックの他の場所に記載されます。これによってボーナス・アクションやリアクションを使用する呪文――たとえばミスティ・ステップ呪文やシールド呪文――が呪文リストに埋もれてしまうことがなくなります。
我々は、データ・ブロック内に記載する呪文の選択にはこれまでより注意して、非戦闘的な使用法に焦点をあてています。魔法を使うモンスターが持つ最強の火力は、今では呪文に頼るのではなく、特別な魔法的アクションによって表現されるのが普通になりました。
『ワイルド・ビヨンド・ザ・ウィッチライト』の新たなキャラクター用種族、フェアリーとヘレンゴンはいずれもアンアースド・アルカナで登場し、同書でその最終的な形を見ることができます。両種族が持ついくつかの特徴は同書限定というわけではなく、今後登場予定の書籍に収録される種族にも適用される予定です。以下でその特徴を見てみましょう。
[訳注:フェアリーは羽のある小妖精。ヘレンゴンはウサギ人間。アンアースド・アルカナは公式WEBサイトで紹介されるテストバージョンのルール]
かつては、キャラクター種族の種別は暗黙のうちに「人型種族」であるものとされていました。新種族においては、キャラクターのクリーチャー種別が明示されています。たとえば、フェアリーのクリーチャー種別は「フェイ」です。
クリーチャー種別それ自体にはルールがありませんが、ゲーム中のルールの一部は特定の種別のクリーチャーに異なる影響を与えます。たとえば、キュアー・ウーンズ呪文は人造あるいはアンデッドには効果を発揮しません。
新たなキャラクター種族は、プレイヤーズ・ハンドブック所収の種族が持っていた「能力値上昇」の特徴を持ちません。そのかわりに特殊なキャラクター作成ルールに従います。これによって、「キャラクターの好きな能力値をひとつを2点、好きな能力値もうひとつを1点上昇させる」もしくは「異なる3つの能力値を1てんづつ上昇させる」ことができます。「能力値上昇」がないので、種族とクラスを互いに独立して選択しやすくなり、各卓で見られるキャラクターがより多様なものになるでしょう。[訳注:種族による能力値の縛りがなくなるので、例えばハーフリングがほかのクラスよりローグを選択しやすいといった状況がなくなるわけです]
。
どの能力値を伸ばすかを選ぶのに迷う場合は、自分のクラスの「簡易作成法」の項を参照することをお勧めします。たとえば、バードの簡易作成法ではキャラクターの【魅力】と【敏捷力】を伸ばすことを勧めています。
新しいキャラクター種族には年齢に関する記載がありません。そのかわり、キャラクターの寿命については以下の文章で説明しています。「典型的には、D&D多元宇宙におけるプレイヤー・キャラクターの寿命は、冒険の途上で暴力的な死を迎えない限り約一世紀ほどである。ドワーフやエルフなど一部の種族は数世紀に渡って生きる可能性がある。」
以前は、キャラクター種族を説明する文章にはプレイヤー・キャラクターの属性についての提案が含まれていました。今後の新種族にはこうした属性についての提案は含まれていません。キャラクターの属性を決めるのは完全にプレイヤーに任されているからです。
サイズ SIZE
ヘレンゴンなどの一部の新種族はキャラクター作成時にプレイヤーが小型か中型かを選ぶことができます。これは、その種族は体格の個人差が特に大きいことを反映しています。この選択肢は今後ほかの種族でも見られることになるでしょう。
そしてまた、種族ごとに身長と体重を提案するのではなく、以下の文章で説明しています。「プレイヤーキャラクターは、種族にかかわらず、我々の世界の人間と同じ程度の身長・体重の範囲に収まる。自分のキャラクターの身長・体重をランダムに決定したい場合には、プレイヤーズ・ハンドブックの身長・体重ランダム決定表を参照し、あなたがイメージするキャラクターに一番ぴったり合う体格をあらわす列を選択すること。」
新しいキャラクター種族には純粋に文化的な特徴を欠いているので、言語に関する記載はありません。そのかわり、新しい種族は共通語と、それ以外にプレイヤーとDMが適切と考える言語をひとつ知っています。
[訳注:ラビット・ホップ/兎跳び は、新種族であるヘレンゴンの種族特殊能力]
ヘレンゴンがラビット・ホップを使うとき、この特徴による跳躍は移動距離を消費しますか?
いいえ。ラビット・ホップの特徴はボーナス・アクションでヘレンゴンをジャンプさせます。この跳躍は通常の移動距離を全く消費しません。この理由は、大休憩と大休憩の間に使える回数が限られているからです。ラビット・ホップのルール文言と、プレイヤーズ・ Permalink | 記事への反応(1) | 20:39
むかしむかし、ある村に、心のやさしい浦島太郎という若者がいました。浦島さんは、NSC東京27期生です。
浦島さんが海辺を通りかかると、子どもたちが大きなカメを捕まえていました。(※:専門家の指導の下、安全な方法で行っています)
そばによって見てみると、子どもたちがみんなでカメをいじめています。(※)
「おやおや、かわいそうに、逃がしておやりよ」
「いやだよ。おらたち新人ADが、演者が来る前にやっと捕まえたんだもの。どうしようと、おらたちの勝手だろ」
見るとカメは涙をハラハラとこぼしながら、浦島さんを見つめています。
これはバズる。浦島さんはお金を取り出すと、子どもたちに差し出して言いました。
「それでは、このお金をあげるから、おじさんにカメを売っておくれ」
「うん、それならいいよ。この金でYouTubeを使って一儲けしよう」
と、カメをそっと、海の中へ逃がしてやりました。その様子は番組公式Twitterでそこそこバズりました。
さて、それから二、三日たったある日の事(※この間の未公開映像は番組公式ブログで随時更新中!)、
浦島さんが海に出かけて魚を釣っていると、
と、誰かが呼ぶ声がします。
「おや? 誰が呼んでいるのだろう?」
「わたしですよ」
すると海の上に、ひょっこりとカメが頭を出して言いました。
「ああ、あの時(※2)のカメさん」(※2:2021/8/29放送回)
「はい、おかげで命が助かりました。ところで浦島さんは、竜宮へ行った事がありますか?」
「竜宮? さあ? 竜宮って、どこにあるんだい?」
「海の底です」
「はい。わたしがお連れしましょう。さあ、背中へ乗ってください」
カメは浦島さんを背中に乗せて、海の中をずんずんともぐっていきました。
海の中にはまっ青な光が差し込み、コンブがユラユラとゆれ、赤やピンクのサンゴの林がどこまでも続いています。
「わあ、きれいだな。番組オリジナルカレンダー9月の写真はコレで決まり!」
浦島さんがウットリしていると、やがて立派なご殿へ着きました。
「着きましたよ。このご殿が竜宮です。さあ、こちらへ」
(繋ぎのコメントもしっかりしてる。さすが人気施設、テレビようわかっとるやん)と浦島は思いながら、
カメに案内されるまま進んでいくと、この竜宮の主人の美しい乙姫さまが、色とりどりの魚たちと一緒に浦島さんを出迎えてくれました。
「ようこそ、浦島さん。わたしは、この竜宮の主人の乙姫です。このあいだはカメを助けてくださって、ありがとうございます。
お礼に、竜宮をご案内します。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」
浦島さんは、竜宮の広間ヘ案内されました。すかさず、照明さんと音声さんが準備を始めます。
浦島さんが用意された席に座り、養生テープでバミられた位置に椅子をセットすると、魚たちが次から次へと素晴らしいごちそうを運んできます。
この料理のセットメニューは、来週1週間に限り「アド街を見た」でお会計5%オフになります。
ふんわりと気持ちのよい音楽が流れて、タイやヒラメやクラゲたちの、それは見事な踊りが続きます。
ここはまるで、天国のようです。そして、
「もう一日、いてください。もう一日、いてください。空待ちさえしてもらえればもっといい画が撮れるんです」
と、乙姫さまに言われるまま竜宮で過ごすうちに、三年の月日がたってしまいました。
長期ロケは吉本の安い芸人にとって貴重な食い扶持だから、という面もありました。
ある時、浦島さんは、はっと思い出しました。
(家族や友だちは、どうしているだろう?同期はもう冠番組を持っているのもいるだろう)
そこで浦島さんは、乙姫さまに言いました。
「乙姫さま、今までありがとうございます。ですが、もうそろそろケツカッチンなので家へ帰らせていただきます」
「帰られるのですか? よろしければ、このままここで暮しては」
それに、テレビに出てるからとはいえ漫才をおろそかにすると他の芸人からの風当たりも気になります」
「・・・そうですか。それはおなごりおしいです。では、おみやげに玉手箱を差し上げましょう」
(『玉手箱』その衝撃の中身とは!?リモコンのdボタンを押してあなたも回答!)
「玉手箱?」
「はい。この中には、浦島さんが竜宮で過ごされた『時』が入っております。
これを開けずに持っている限り、浦島さんは年を取りません。
ですが一度開けてしまうと、今までの『時』が戻ってしまいますので、決して開けてはなりませんよ」
乙姫さまと別れた浦島さんは、上島さんならあの場で即開封しただろうかと思いながら、またカメに送られて地上へ帰りました。
地上にもどった浦島さんは、まわりを見回してびっくり。
確かにここは浦島さんが釣りをしていた場所ですが、何だか様子が違います。いま、そこにはFischer'sしかいませんでした。
浦島さんの家はどこにも見あたりませんし、出会う人も知らない人ばかりです。
「わたしの家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ、引っ越したのだろうか?
…あの、すみません。浦島の家を知りませんか?」
浦島さんが携帯でYouTubeを見ていた一人の老人に尋ねてみると、老人は少し首をかしげて言いました。
「浦島? …ああ、確か浦島という人なら七百年ほど前に昼の帯番組へ出たきりで、帰らないそうですよ」
「えっ!?」
老人の話しを聞いて、浦島さんはびっくり。竜宮業界の三年は、この世の七百年にあたるのでしょうか?
がっくりと肩を落とした浦島さんは、ふと、持っていた玉手箱を見つめました。
「そう言えば、乙姫さまは言っていたな。この玉手箱を開けると、『時』が戻ってしまうと。
…もしかしてこれを開けると、自分が暮らしていた時に戻るのでは」
そう思った浦島さんは、もはや炎上でもいいからバズりたいと思い、開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けてしまいました。
(このあと衝撃の展開!スタジオのみちょぱも驚愕の真相まであと[30]秒!)
すると中から、まっ白のけむりが出てきました。なんとか画映えするように、わざと顔に思いきりかかる形で位置を調整します。
「おおっ、これは」
けむりの中に、竜宮や美しい乙姫さまの姿がうつりました。そして楽しかった竜宮での三年が、次から次へとうつし出されます。
「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」
浦島さんは、喜びました。でも玉手箱から出てきたけむりは次第に薄れていき、その場に残ったのは髪の毛もひげもまっ白の、
ヨポヨポのおじいさんになった浦島さんだったのです。
「このオチはもう新喜劇くらいでしかウケんのよ!」と、スタジオのノブが言いました。
(※本日の放送内容をもう一度ご覧になりたい方は、民放公式配信サービスTVerから!)
底本:浦島太郎 <福娘童話集 きょうの日本昔話> http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/07/01.htm
hokke-ookamiさんの記事、そりゃまんだらけが悪質な店なのはそうなんだけど……という感じだ。
オタクって、まんだらけを笹寿司みたいな店と思ってないんだ?! - 法華狼の日記
そもそも地上げ目的なの? という点があるわけだけど(1.中野ブロードウェイは個別の区画が分譲されていて全体を管理する人がいないので「その場所しか空いてない」が事実である可能性がある、2.当該店舗の位置が奥まったところにあるので、奥まった場所に置いてゾーニングしようとした結果たまたまファンシーショップの目の前になってしまったという可能性がある)、仮にそういう邪な意図がまんだらけ側にあったとして、ファンシーショップ側(というかファンシーショップを擁護する側)の対応があまりにひどすぎる。
「# まんだらけ禁書房撤退しろ」 に至る理由 - Togetter
禁書房の客層をなんの根拠もなく性犯罪予備軍であるかのように侮蔑し、生理的嫌悪感をむき出しにして排除を主張する人たちが大勢参戦してきたら、そりゃオタクとしてはまんだらけ側に付くわ。
もちろんまんだらけ擁護側にも口コミ荒らしとかやってるどうしようもない連中はいるわけだけど、特定店舗に対して撤退しろというタグを作って「twitterデモ」なんてしてるのは明らかにファンシーショップ擁護側だけだよね。
「せめて暖簾をつけてくれないかとお願いしたのですが……」という話なら「まんだらけ酷いな」ってなるけど、「他にも場所はあるでしょ。こんなのstrong discomfortでuncomfortableだよ。合法なのかもしれないけど本当にこんなことがあっていいの?」って言われたら「何様だよ。出店の自由はあるに決まってんだろ。先に共存の可能性を蹴っ飛ばしたのはお前じゃねーか」ってなるよ。
一度もまんだらけ側はファンシーショップ側に出てけなんて言ってないし、まんだらけ擁護側も基本的にはファンシーショップが出ていくべきとは思ってない人がほとんどだろう(「雰囲気にそぐわないから出てけと言うのならお前が出てけば?」という論は見るけど、それって相手の主張を反転させた皮肉であって本当に出ていくべきと思ってるわけじゃないよね)。なのにファンシーショップ擁護側は平然と「お前たちは出てけ」と主張してる(cf. anond:20210902221354)。もうこの時点で非がどっちにあるか明白でしょ。
もちろんファンシーショップ側の行動は別に間違ってないよ。自由な行動をしている相手を無理やりどかそうとするんじゃなくて自由に耐えられない自分が引き下がるっていうのは理性的な対応ではあるだろう。でもその責任は基本自分で負うべきで(自由さに耐えられないので撤退します、ってことだよね、要するに)、まるで自分が被害者みたいな書きぶりでまんだらけ非難を扇動するのは違うでしょ。
そもそも、過去にSpank! の店主さんはこんなこと言ってるんだよね。
Tavuchi「中野ブロードウェイは、今は男性のお客様寄りの商業施設なんですけど、この4階をもっと女の子が買い物しやすい空間にしたいと思っております! ガンガン女の子来てください! よろしくお願いします!」
別に男が多いところに女向けの店を出すのは商売の自由だし、ここは男のための場所だから女は入ってくるなと言うやつがいるとしたら性差別だけど、男の多い場所だと認識して女向けの店を出店しておいて「向かいのお店はこの場にふさわしくないと思いまーす」って言われたら、「何様?」って話になるじゃん。場違いなのはお前の店の方やんけ! 場違いな店を出店する自由も権利もあるけど、そういう選択をしておきながら他人を場違いだと非難する権利はどこにもないだろ。
まんだらけがまあなんというかお行儀の悪い(婉曲表現)企業であることは別に否定してないし、お行儀の悪さを批判するだけなら賛同したかもしれない。でも、まんだらけと対立する側が、客層や「オタク」を侮蔑し排除を煽動し行政まで動かそうとしているに至っては、一介のオタクとしてはまんだらけ側を援護する以外の選択肢はないです。笹寿司よりもっと悪いものが目の前にあるなら、笹寿司批判の優先順位は下がるというだけ。
「2人のメンタリストDaiGo」その知られざる姿が明らかに~「ブレーン」8月号より #ブレーン | AdverTimes(アドタイ) by 宣伝会議 2012.07.02
https://www.advertimes.com/20120702/article74214/
これまで表舞台には姿を現さなかった2人目の「メンタリストDaiGo」が登場。リサーチとパフォーマンスを手がける「DaiGo」と、パフォーマンスの作成や構成、執筆、台本を手がける「むらやまじゅん」のユニット名義だったことが明らかになった。2人はメンタリズム研究会「スリーコール」のメンバーで、むらやま氏が代表を務めている。
※「むらやまじゅん」=眉村神也
DaiGoを超えた! メンタリズム界の最終兵器・眉村神也とは何者か? | 日刊SPA! 2014年10月10日
メンタリズムブームを作ったメンタリストDaiGoのプロジェクトでしたが、プロデュースしてる身としてはやりたくてできなかったことも多かったのも事実です。
DaiGoは元からパフォーマーをやりたくなかったため、あまり難しいことをやりたがらなかったというのも大きかったのですが、様々な要素で僕が考えていたパフォーマンスに辿り着かなかった部分も多かったのです。
テレビの裏側全部暴露します【編集ではなく捏造】(TBSのバラエティ番組『ピラミッド・ダービー』に出演して。メンタリストDaiGoさんのやらせ疑惑も) | 顔相鑑定士・顔研究家・顔面評論家:池袋絵意知 公式ブログ 2016.06.22
http://blog.ikebukuroh.com/?eid=1338
DaiGoがテレビ卒業する前に2人でバラエティ番組に出演していた舞台裏の様子
タイトルに反して、DaiGoのやらせが糾弾されてる記事ではなく適当なお笑いバラエティ番組でも思いのほか出演者は真剣に勝負していた点が分かる
ロンブー田村淳がYouTubeでした「共演した番組でマネージャーさんが指示出してるのを見た」との証言の「マネージャーさん」とは眉村さんのことですね
ただ(少なくとも当時は)2人で「メンタリストDaiGo」という建前なので指示があってもなくても「メンタリストがボールの色を当てた」ことは間違いない
宇多田ヒカルがクィア的であるというのは、コアなファンやクィアのファンの間ではかなり昔からの共通認識でありました。
もちろん、宇多田ヒカル本人がしばしば口にするように、宇多田ヒカルの歌詞というのは大衆の誰にでも伝わることについて大変真摯に考え抜かれており、決してクィア的な読みが介在しなくても成立するものがほとんどです。ですから、当事者の人間がひっかかりを覚えて、ある種の確信や疑念を抱いて聴き込むというような経験がなければ、宇多田ヒカルのクィア的な側面について、その通底する感触すら意識することがなくても不思議ではありません。そして、そういう構成である作品だからこそ、当事者にとっては強く胸を打ち、強く励まされるものでもあるわけです。『ブロークバック・マウンテン』や『ムーンライト』がちょうど、ゲイに限らない、誰にでも共感できる恋愛感情そのものを描いているといった具合で高く評されている、というのと似ています。
一方で、宇多田ヒカルが自身の内面を初めて強く出して制作したと語るアルバム『ULTRA BLUE』や、活動再開後に発表されている楽曲の数々において、勅裁にクィア的な表現の歌詞である楽曲や、クィア的な読みの方が自然と思える楽曲も増えつつあるように感じられます。以下では、そうした楽曲を見ていきましょう。
([ ]は収録アルバム、( )はシングルも含めた初出年です)
引っ越していく親友についての愛情を歌った歌です。愛情の対象として「友」が選択されているという状況は宇多田ヒカルの歌ではよくみられます。
「新しい部屋で君はもう Making Love」「ヤサシイカレトノケイザイガク」「ワタシガハジメテホレタオンナ」といった表現から、親友である女友達が彼氏と同棲を始めることについての喪失感といった情景が浮かんできます。
宇多田ヒカルの歌には「規範への疑念」「規範からの逸脱」を指向しているととれるような表現がしばしば現れます。たとえば、「不倫の恋」を想起させるような楽曲がちょくちょくあります(『誰かの願いが叶うころ』『One Night Magic』『二時間だけのバカンス』『誰にもいわない』)。『Passion』では、「昔からの決まり事」をどのように捉えるかというところに余白があるように感じられます。「ずっと前に好きだった人/冬に子供が生まれるそうだ」とある「好きだった人」は異性・同性どちらにも読むことができそうです。「わたしたちに出来なかったこと」という言葉は同性愛経験者には強い響きがあります(もちろん、失恋経験のある人にとっては、性指向に関わらず共感するところがあるでしょう)。
宇多田ヒカルのオリジナルキャラクターであるくまちゃん(チャン・くま)がゲイであるというのは、以前から公式ブログで発表されていました。それを念頭におくと、ゲイの男性がほんのり抱える困難がモチーフになっているように聞こえてきます。
「けんかはやだよ くま くま くま」
「冬は眠いよ くま くま くま」
どうでしょうか?
ドラマ『ラスト・フレンズ』の主題歌として、友達にたいする愛情や、性別を超えた愛憎のようなものを歌詞にしてほしいという依頼のもとで制作された歌詞です。それに応えるように、確定的にクィアな側面から見ることができるとはいえない構成が、ことさらに意識されていると感じられる楽曲です。しかし、裏を返すと、異性愛的でないという感覚がどれくらい読み取れるかというところに解釈の豊かさの入り口がありそうです。
「人知れず辛い道を選ぶ/私を応援してくれる/あなただけを友と呼ぶ」であるとか、「残酷な現実が二人を引き裂けば」といったバースはどうでしょうか? 異性愛的に読む、同性愛的に読む、どちらの方が、どれくらい可能でしょうか。そもそもそれぞれの読み方に違いはあるのでしょうか? 異性愛的視点と同性愛的視点というのは、線引きが必要なのでしょうか?
宇多田ヒカルと椎名林檎のデュエットであり、MVの印象も強いため、百合ソングとしての印象が初出から強く一般的に浸透していたと思います。また、冒頭の「クローゼット」というモチーフが、クィア界隈で「性指向をオープンにしていない状況」を表すのに用いられる言葉でもあったため、その点でも話題となっていました。
もちろん歌詞単体でみれば、家庭をもつ男女の不倫のような趣もあります。椎名林檎のパートでは一人称が「僕」となっているのも印象的です。
この歌詞でバカンスに繰り出す二人組を、どのようなペアであると想像するでしょうか?
個人的には、かつて親友で、いまは家庭をもつ主婦同士が、時間を縫って…という情景が浮かびます。
一方で、「ほら車飛ばして 一度きりの人生ですもの」「今日は授業サボって 二人きりで公園歩こう」といった並置からは、特定的な1組のカップルの情景ではないという余地をあえて作り出そうとしているのも感じ取れます。
宇多田ヒカル本人が「同性愛者の心情を歌っている曲だと気付いた」と語った楽曲です。
「君に触れるあいつ見てる/報われない想いばかりが募る夜更は/どうしたらいい?」
「気付かないフリとか/中途半端な優しさに 泣きたい」
など、全体を通して当事者的な感覚が非常につよい言葉で構成されている歌詞だと感じられます。
この楽曲が最初に発表されたのはNHKのSONGSで、楽曲の直前に宇多田ヒカルの上記の発言が挿入されたのですが、宇多田ヒカルがこの意図を隠し続けていたとしたらどのように受け取られていたのだろうというのは気になるポイントです。
「カレシにも家族にも言えない/いろんなこと/あなたが聞いてくれたから/どんな孤独にも運命にも耐えられた」
「大好きな人にフラれて泣くあなたを/慰められる only one である幸せよ/だけど/抱きしめて言いたかった、好きだと」
この楽曲も「友」が相手の曲ですが、その友に対する気持ちは「恋愛なんかの枠に収まる二人じゃない」と表現しています。この楽曲もまた、女性の友人同士の関係性についての情景が浮かぶのが自然であるような歌詞だと感じられるでしょう。異性愛的な恋愛・結婚よりもつよい愛情というのは『二時間だけのバカンス』と似ているところがあります。
先に、宇多田ヒカルは大衆の誰にでも伝わることを真摯に考えていると述べましたが、これは裏を返すと、クィア的な読みをする必要がないということでもあります。しかしながら、宇多田ヒカルの歌詞が全般的にクィア的であると当事者にとって感じることができるのは、ほとんどの歌詞において、巧妙に「異性同士」の歌であるとしか読めない状況を避けるような意識がこめられた言葉遣いがなされているからです。ポップスの歌詞における「あなたと私」という主題の問題や、女性シンガーが歌詞でつかう「僕」という一人称の問題など、ポップスの歌詞においてジェンダーを与えた解釈をするときに問題とすべきことは多々ありますが、それらは一度おいておきますと、宇多田ヒカルの歌詞は、とくに二人称において、特定の性に限定できるような状況が回避されているものが多いと感じられるわけです。こうしたものが通底している作家の楽曲は、当事者にとっては、異性愛的な恋愛を歌っているポップスとはやはりどこか感触が異なって聞こえるものです。
よく、「エヴァンゲリオンは鏡である」というようなことが言われます。エヴァンゲリオンについての解釈は、みた人自身の性質や考えがそのまま反映されてでてきたものでしかない、ということです。それは、製作者がつねに大衆に伝わるようにと心を砕く姿勢によってできあがった鏡なのだということが想像できます。宇多田ヒカルの歌についても同じことが言えるのでしょう。異性愛がベースがある人には異性愛的な歌に、同性愛的なベースがある人には同性愛的な歌に聞こえるというのは、「誰にでも伝わる」ということを目指した結果に他ならないと思います。庵野秀明と宇多田ヒカルの作家性が奇跡的に似通っているというのは、そういった点にも感じることができます。
このことからさらに思うのは、宇多田ヒカルとクィアを結びつけるような意見に対して人々がどのような反応を示すかというのをみると、その人が「『クィア』というものをどう捉えているのか」がよくわかるのではないか、ということです。
どうでしょうか? いろんな人の反応をみてみてください。異性愛者の人たちの反応も、クィアの人たちの反応も。どうしてその人は、そのように反応したのでしょうか?