はてなキーワード: 窃盗とは
それで車を避けたとして、道交法違反を肯定することにはならないよな?
外出する時、泥棒に入られたりしたら嫌だからドアの鍵を閉めてから行くよな?
ドアの鍵を閉めたとして、窃盗や住居不法侵入を肯定することにはならないよな?
こんなの当然だよな?
「君達は昔からずっと見た目のことについて人から文句を言われて嫌な気分になっているのに、どうしてその見た目を変えようとはしないんだい?」
って聞いたんだよ。
そしたら、
とか言い出すわけ。
何言ってんだよ。
車に轢かれるのがわかってて避けない奴がいるかよ。
家に泥棒に入られるのがわかってて鍵開けっ放しで外出する奴がいるかよ。
相手がどんなに悪かろうが、殴られることがわかってるのにノーガードで殴られてたらそんなのただの馬鹿じゃん。
相手が自分に一方的に危害を加えてきたとして、その対策を取ることがどうして相手の加害の肯定になるんだよ。
じゃあお前らは信号無視の車避けた奴を見たら道交法違反を肯定してると思ってるわけ?
正しいとか正しくないとか関係なく、その発想はただ頭おかしい人のそれじゃん。
って言い返したら全員ポカーンとしてんの。
今までそんなこと考えてもみなかったって。
たとえば殺人なら、死んだ人を生き返らせることが償いの最低ラインでは?
いや人を生き返らせないことは分かるよ
でも「人を生き返らせることはできない」→「じゃあ禁固刑ね」は意味分からん。
たとえば30年禁固刑だとして、それで死んだ人が浮かばれるのか?
「じゃあ死刑にすればいい」ってなるかもだけど、それもおかしい。死刑になっても死んだ人は生き返らないよね?
他にも、窃盗なら、「盗んだものを返す+慰謝料払う」で済むはずで、禁固刑なんていらないはず。
何が言いたいかっていうと、禁固刑や死刑は、単にルールを破った罰のことであり、決して罪の償いにはならないってことだよ。
殺人を犯したら、永遠に罪は償いないよ。だって死んだ人は生き返らないんだから。
一方窃盗なら、盗んだものを返して、慰謝料払えば償えてるかな。
才覚でナチスと共産主義の嵐を生きぬいた給仕のお話。経験から相手の本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国の悲惨な歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者だからいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーをネタにしたアメリカの風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワードで検索しても新しい価値観についていけないで炎上しちゃう六十代教授の出てくるアベル・カンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。
関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプ、ヌーディストの楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶違いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者や異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設的議論にとっては有害だが、人間の原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治は感情で動く。
話を戻せば、この作品は映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品が結構あるらしいのだが、全然見ていない。
ポーランドとアフリカって接点があると普段はほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。
しかし、出来事は基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨の連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家の状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。
ところで、ヘミングウェイはよくアフリカに狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポール・セロー「ダーク・スター・サファリ」だった。著者はマラウイとウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ。
遅延する電車、かつての豊かな文化と個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率、飢餓、地元民のやる気を削ぐ支援、窃盗や強盗と犯人へのリンチ、放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。
今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方の市場では窃盗が起きると犯人がリンチされると書いていた。
沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。
試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物の独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議な構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちはほとんどよみがえってこなかった。
この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリのタイトルは「理系が池澤夏樹の世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀の汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪を自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。
こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争か事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代の日本の子どもの(それとも自分と同世代の人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。
僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語と文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。
今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然わからなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである。
フリオ・コルタサル「南部高速道路」は東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサルの作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判」は前提となる知識をほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」はわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近の村上春樹は一つの権威になっちゃってとうとう早稲田の名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制な村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹の小説は男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョだとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタルの病気で苦しむ人の描写の解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者の文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学の課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランスに移住したアラブ系の青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノをのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。
余談だが、自分は恋人の嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験が豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。
閑話休題、しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せは結婚だ」という社会の独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場でサバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。
目取真俊「面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件の犯人と関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。
前項は南北アメリカ・アジア・アフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパの作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。
記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料のラジオ」で、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的な舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパートの管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。
あとはミシェル・ウエルベック「ランサローテ」だけれど、ウエルベックはどの作品も人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明の進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類は所詮性本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマンに進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどい。もっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。
ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色で印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?
以上。
あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。
完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑
池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線
余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い。
岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
同時に収録されている狂言には視覚障害者をおちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから、近江絵みたいに風刺の対象ともなっているんだろうか。
おしまい。
あくまで自分の中でのベストなので、一般的にはマイナーなやつが多いかも。
さっそく見ていき松SHOW。
公園でドールの撮影をしてたら、母子二人がかりで持っていかれてしまった…
という話。
そしてその後も、
と刺激的な展開が続き、最後には、
犯人は犯行現場に舞い戻る!何食わぬ顔で再び公園に現れた泥ママを、都合よくその場にいた語り手の友人が拘束!警察呼んで逮捕!
泥棒親子は窃盗の常習犯だったそうで、逮捕後も被害届の取り下げを要求するなど非常識な言動が続いたそうだ。
まったく許せない奴らだぜ。
妹にプレゼントしたウルトラマンかなんかのソフビが、公園にて親子二人がかりで持っていかれてしまった…
という話。
5位の件とはまったく無関係のはずなのに、ここまでそっくりな事件が起こるとは…
いま全国的に、公園親子人形窃盗団が多発している模様。公園に人形を連れ出す人たちはくれぐれもご注意を!
盗まれたと言い張ることで、自分の好きなもの(人形)に他人がほしがるだけの価値がある証明としたいのかもしれない。知らんけど。
ちなみにソフビの方は、差別化のためか(こっちが後発)泥棒親子の設定が盛り過ぎで、
過ぎたるはなお及ばざるが如し、という言葉を贈りたい。
緊急手術(悪性リンパ腫?)を受けたVTuberが死亡したことを、本人のアカウントで父親を名乗る人物が報告。
しかしその数時間後に本人が再びアカウントに現れ、今まで意識を失っていたが、どうやら死亡診断(実際に死んでいた?)後に蘇生したらしいと語った…
という話。
生死にかかわる大事件、それも極めて珍しいケースだったためバズりまくった。
だが、
死亡確認から父親?による報告までの時間が20分程度と短すぎる(自分の子供が死んだ直後に子供のアカウントで報告を?)
逆に、「死亡」から蘇生までの時間は長すぎる(脳への影響は?)
など気になる点も多く指摘されている。
その後、配信の中で謝罪はしたようだが、具体的に何についての謝罪なのかはあいまいに誤魔化してる模様。
また、死亡診断書は破った、手術を受けたのは未認可の闇病院、騒いだのは実の親ではなく義父(?)など、追加設定も多数あるとのこと。
まさに往生際が悪い。
コンビニ店内(レジ前)で二人組の女性から突然後ろから羽交い絞めにされた(バッグを奪うのが目的?)ので、「バックドロップ」で振りほどき必死に逃げた…
という話。
といった疑問点や、
など、いかにも女性らしいハイテンションな文体が若干引っかかるぐらい。
ただ、この語り手がプロ作家だったことから、事態が少々こじれることに。
一部の同業者は小説家が現実で嘘をつくなんて言語道断と批判し、また別の同業者は、むしろ小説家は仕事以外では雑に嘘をつくものだと擁護。議論の副産物として、各作家の倫理観が示されることになった。
語り手自身はポストを消し一時的に鍵垢に移行していたが、事件が実話であるという点についてはあくまで譲らない姿勢らしい。
フィクションと事実の狭間、そこにこそ人間の真実が宿るのですわ(はての文体)
台風の時に車に乗ってたら、道路の向こうから火のついた丸太が転がってきた…
…どういう状況?
前後がない単発ポストなので、「野焼き」の結果らしいということ以外、詳細不明。
しかし、読者に話を信じさせる努力を放棄したとしか思えない投げやりじみた適当さが評価されてみごと優勝。
ちなみにこの語り手アカウントは、ことあるごとに地元の治安の悪さを吹聴している。このエピソードもその一環のつもりらしいのだが、火のついた丸太が転がってくるのは治安どうこうの問題じゃねえだろ。
少しは真面目に考えてもらいたい。
しかもこれを、一度削除した上で時間を置いて再投稿してるのがまたすごい。
再投稿は甘えとか以前に、いったん頭冷やした上で、やはりこのネタなら…イケる!と判断できる神経の太さがうらやましい。
ランクインした語り手さんたちには、舌をひっこぬくのに最適な「やっとこ」を贈っときます。
実は貸金庫の中身の窃盗は彼女の権限以上の人の間では横行していた
彼女はそれを告発するにあたり自分がやったように見せかけ、逮捕された
捜査の段階で「一人でできる量ではない」「一人でやるにしては行動のブレが多い」などとして複数の実行犯ーー真犯人ーーが検挙される目論見だったが、当の上層部はこれ幸いと権力をフルに使い、彼女を生贄に捧げることで逃げ切ろうとしている
嫌なことがあった時に嫌だと思った側こそ立ち振る舞いを考えないといけないのが苦しい
悲しいって言えばそんなこと言わせてしまって悲しいと言われ(悲しいのはこっちだよ)
怒ればめんどくさいやつだと言われて
黙っていれば好き勝手するくせに
窃盗犯が盗んだ方が得って言ってるのと一緒
嫌だと思う自分が悪いのか、嫌な事をする相手が悪いのかとかそういう事にも悩みたくないし
嫌だと思ったことも嫌だ、いちいち嫌だと逃げてたらキリがない
嫌だと思わず柔軟に受け止めたり話の流れを選びたい。
でも向こうは呑気に生きて嫌な思いさせられた側が立ち振る舞いに慎重にならないといけないのもなんか癪なんで感情踏み躙られてお前らの感情大事にしなきゃならんのだ
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知人女性の自宅のカギを盗み侵入したとして神戸拘置所の看守の男が逮捕されました。
住居侵入・窃盗の疑いで逮捕されたのは神戸市北区に住む神戸拘置所看守の浜中海都容疑者(26)です。
警察によりますと浜中容疑者は今年9月1日から10月18日までの間に神戸市北区に住む20代の知人女性の自宅に侵入してカギを盗み、今月23日にも自宅に侵入した疑いが持たれています。
女性が自宅に設置していた防犯カメラに映る男に気づき警察に相談したことで発覚。
警察が男の身元を捜査していたところ、今月25日に浜中容疑者が警察署に出頭してきたということです。
浜中容疑者は取り調べに対し「カギは盗んでいない。自分の家のポストに入っていたカギを使って侵入したことは間違いない」と容疑を一部否認しています。
あの話、変な風に歪んでるように思える
例えば検察が強盗で起訴して、強盗の構成要件を満たさなければ、相手が店を廃業に追い込んで店主を自殺させた極悪非道の窃盗犯でも無罪なんだよ
危険運転致死で立件されることが少ないのは、危険運転致死の構成要件が非常に厳しいから
これを、「やっぱり女は嘘ついて冤罪を作る」だの「ジャップランドの司法は腐ってる」だの言うのは歪みが酷すぎる
「女性ならこれを有罪にするに違いない」と世間が認知するのなら、こういう事件からは女性が外されることになるだろう
そもそも責めるべきは有罪が揺らぐような隙を作った検察であるべきなのに
裁判官に「女子学生は自身に不利な行動を隠す供述をしていた」と言わしめたのは検察の責任だ
今回の話は、ただただ(今現在の時点で)立件した罪状の構成要件を満たすに足る材料は揃わなかった、だけであり
それ以上でもそれ以下でもない
田淵検事がどこにいるか知らないけど、 検察なめんなよ、というときに、 言い方をわざとださくしてたでしょ、あんた
あれって、平成31年12月8日のことですよね、私その頃、微妙に実家に帰ってて何もしてなかったんですよね、寒かったしね
平成31年12月8日って言えばさ、 延岡で、トラックでゴミ捨てやっていた時期になるんですよね、12月12日には、みくちゃんを利用してさ
そんな時代なんですよ、もうはるか昔の話、なんですよね、平成31年12月って
そういう時代にさ、大阪地検特捜部でしょ、大阪の事件でしょ、しかも、プレサンスの横領事件で、そんなね、平成31年12月の、大阪の事件なんか知りませんから
なんでそんな時代のね、細かいのを持ち出して来て、そこだけで恫喝するのかってね、誰も知りませんから、田淵検事の扱った事件なんて
今、令和6年ですよ、もう本当にさ、へたくそ、なんですよね、あなたって 私が35歳の頃ですよ、もう、私もう、41歳になったんですから、その時代とは違うんです、
はるか昔なんです、黒羽を出たのなんてもう、気が遠くなるほど昔の話だし、今回も窃盗で起訴されたわけでね、いつの話をしてるのかって、とにかく、それだけ、うっとおしいんですよね
・うちは特段シングルマザーでもないが、4歳の時期は父親に単身赴任(1年時限)で祖父母と母と暮らしていた。頭は良い子だった。
・4歳で父親と同居する前に最後にハワイにいったとき、保育園の友人にお土産としてあげるためにキーホルダーを窃盗した。エアメール郵送で返した。届いたかはわからないが、サンタへの手紙と同様、子供の目の前で封をした。お土産は別の買ってあったもの(ハンカチだったか)を渡した。
・その後、小学生中学校のころはお互いに忘れていた。ただ、警察官につれていかれることがあるといったため、警察官は大嫌いになったようだ。その後、警察をたよるべき場面(中学生、駅前で体調不良でしゃがむ)でも警察が近寄ってくると助けを求めず這ってでも逃げたそうだ。
・高校でクラスルームにおいて「担任から返してもらった小銭を目を離した隙に窃盗された」事件が起こった。そのとき、4歳の窃盗をおもいだして「あなたがしたことはこういうことだ」といった。父親にもいい機会だから本人のいないところで告げた。あとから、あなただけは泥棒をしてほしくない、するにしても家族からとりなさいといった(他人からとったらやはり警察が来ることがある)。友達とのプレゼントやりとりはだいたい親もち。服も外出時の飯代も親もち。
・大学で家族というか家計財布から盗みをするようになった。主にオンライン遊興費(いわゆるガチャ)。お年玉や帰郷じじばば小遣いをつかいはたした時期、バイトができない状況だったため。
・ばれても複数回家計財布から盗みをした。父親にガチャ代を強請ると怒られるとおもったため。母親が現金決済のみのスーパーで買い物をすることがほぼ毎回残額違いに気づくのになぜやるのか。
・今は財布を廊下などに放置せず書斎に鍵をかけて置くことで一応解決している。 母親がかえってきてすぐ忙しくて廊下に家計財布のある鞄があるとなにかいいたそうにしている。
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闇バイトなんて言葉を作るのがいかん。万引きは窃盗、闇バイトは強盗致死、殺人の共同正犯または幇助罪。言葉は正しく日本語で。
takoswka 2024/12/22 14:53
これは完全に誤解というか、もうちょっと考えてから発言してほしい。
「マイルドな言葉に置き換えて罪悪感を薄める」みたいな手法はあるけども、闇バイトについてはそうではない。
「闇バイトというマイルドな言葉でターゲットの罪悪感を薄めて誘ってる」ではなく「犯罪行為を隠して普通の求人のふりでターゲットを募集する」のだ。
ターゲットはそもそもそれが闇バイトだということに気づいていないのだから、闇バイトの言い方を変えたところで「これは闇バイトじゃなくて普通の求人だろう」が「これは強盗殺人じゃなくて普通の求人だろう」に変わるだけ。
闇バイトはマイルド化ワードではなく、オレオレ詐欺や霊感商法のような防犯情報ワード(闇バイトの場合、危険なバイトが存在することの周知)なので無くしても無意味どころか逆効果。
takoswkaの提案は「オレオレ詐欺なんてマイルドな言葉でごまかすのがいかん。詐欺罪と正しく言えば引っかかる人が減るだろう」くらい無意味なもの。