はてなキーワード: 配偶者とは
盗撮犯を逮捕するチャンネルを見ればわかるが、盗撮癖は覚醒剤中毒とかと同じで治らない。捕まったり露見して反省すると言っても、1-2年もするとまた再犯することが極めて多い。
一度犯罪に手を染めると、成功すると脳内麻薬が出るようになり、盗撮できるシチュエーションに遭遇すると盗撮の衝動が抑えられないんだよね。「やめたくてもやめられない」とみんな言う。
それを治すなら長期間のカウンセリングに通うなりしないといけないが、配偶者でもなし、あなたがそれに付き合う必要はない。つまり、別れる一択。相手は薬物中毒者と同じなんだという自覚を持つこと。薬物中毒者と家庭が持てますか?
夫が戸建てを欲しがっている
当然、貯金もない
「これから頑張って貯めたい!でも早く欲しい!」とのこと
完全にアテにされている
私は会社員だ
ローンが組める
私が頭金を出してローンを組めば家は手に入る
家を買う計画を立てるために、私の貯蓄をたまに聞かれるが、適当にごまかしている。といっても投信やら入れても1000万ほどしかない。
夫は年収1500くらいだと思う
私は450くらい
何コレ。
夫が戸建てを欲しがっている
当然、貯金もない
「これから頑張って貯めたい!でも早く欲しい!」とのこと
完全にアテにされている
私は会社員だ
ローンが組める
私が頭金を出してローンを組めば家は手に入る
家を買う計画を立てるために、私の貯蓄をたまに聞かれるが、適当にごまかしている。といっても投信やら入れても1000万ほどしかない。
夫は年収1500くらいだと思う
私は450くらい
何コレ。
夫が戸建てを欲しがっている
当然、貯金もない
「これから頑張って貯めたい!でも早く欲しい!」とのこと
完全にアテにされている
私は会社員だ
ローンが組める
私が頭金を出してローンを組めば家は手に入る
家を買う計画を立てるために、私の貯蓄をたまに聞かれるが、適当にごまかしている。といっても投信やら入れても1000万ほどしかない。
夫は年収1500くらいだと思う
私は450くらい
何コレ。
自分は喪女県喪女市出身のオタク女。現在27歳で既婚。(配偶者も救いようのないオタクである)
自分のことを少し話すと、中高一貫校出身で、学生時代は携帯に死ぬほどラバストをつけて痛いオタクアピールをしていた。
大学はオタクが高じてFランのサブカル学部に進学したキモオタである。
こんなにキモくてもいじめられなかったのは絵が多少描けてクラスの出し物の役に立ったことと、
偏差値60↑で勉強だけようやる陰キャやオタクも多かったこと、
オドオドするよりイキリたい痛いタイプだったため口が回ったからクラスメートとはすぐ打ち解けたことだと思う。
あと2010年代は多少オタクへの風当たりが微風になりかけていたこともあると思う。
放課後、その辺にいる奴らで身の回りのことやクラスの人間関係から哲学っぽいことまで喋りまくることが好きだった。
どっかの欧米のクォーターだとかで「細身のイケメン」ともてはやされ、事実モテていた男だ。
しかしもっぱら後輩にばかりモテ散らかしていて、ネチネチとした陰キャと親和性のあるビミョーな性格を知る同学年にはあまりモテなかった。
私も「田中は細マッチョっぽいし、顔が整ってるから、コイツに告られたら嬉しい子が多いだろう」とは思っていたが、
その時の私は同じクラスの折木奉太郎みたいな男に中高6年間ゾッコンだった。(のちにコイツにヤリ捨てられるがそれはまた別の話。)
あれからおよそ10年が経ち、何度か田中含めた数人で同窓飲み会を開いてきた。
毎回、田中から「修学旅行の時、増田とツーショットが撮りたかったのに断られたことが脳裏に焼きついている。」
という話をされる。
最初は(急にこんな話をして何のつもりだ?)(あわよくば、と思われている?)と怪しんで、
時は経ち、私は別の場所で出会ったオタクと結婚することになった。
一年半ぶりの結婚後初の同窓飲み会では、田中は付き合っては別れてを繰り返し、マチアプの王と化していた。
そして今回も田中から「修学旅行の時、増田とツーショットが撮りたかったのに断られたことが脳裏に焼きついている。」という話をされた。
今回は意を決して突っ込んで聞いてみると、
「当時、増田のことを良いと思っていた。」
「今は増田は結婚してるし、俺もマチアプの王だし、NTRするつもりなんて一切ないが、あの経験だけは忘れられない。」と言われた。
全く想定外の話だった。驚いた。
横で聞いてる仲間は「あー、そうだったねー」と言った風で、少しも驚いていない。
(解説する必要もないと思うが自分の容姿は最悪で、クラスでモテた親友A子と歩いていたら
A子狙いの男子たちから存在を無視られ、もみくちゃにされた経験がある。)
田中はナルシストで、確かに本人も自分をかっこいいと思っている節がある。
前回会った時は、帰路の電車の中で、反対側の窓に写る自分を常に見ながら、かっこいい角度を保って私と話していた。こっちなんて全然見ねえ。
(これは、おもしれー女パターンだ!!私は、おもしれー女として田中の記憶に留まり続けている!!)
そうなのだ。
私はキモいオタクで、当時なんて親の命令でおかっぱ寄りのベリーショートヘアだった。
そんな私なんて絶対言い寄れば落とせるはずなのに、運悪く(?)折木奉太郎みたいな男に熱を上げていたせいで、田中のことなんて眼中になかった。
その「満たされなかった」経験が、田中にとって今でも尾を引いている可能性がある。
田中のことはどう転んでも好きにはならないだろうが(たとえ過去に戻れたとしてもだ。)、
喪女でもこうして誰かの脳裏に焼きついて離れない、強い記憶になることができるんだなと知った。
当時オタクキャラをやってクラスに溶け込み、女子や男子からも笑いをとって居場所を作っても、心のどこかで感じていた、
「周りの子は付き合ったり立派に恋愛してるのに、自分は誰からも異性として見られないんだなあ」と泣いたあの日が少しだけ浮かばれるなと思った。
二次創作してる界隈でずっと旦那の話する人、マジで何?二次創作の話してもらっていい?旦那の話したいならリア垢作って旦那の話してる界隈と繋がってくれよ。
最近ではエロに厳しいのでエロは鍵垢内でやるようになってるんだけど、そのエロ用垢で旦那の話とキャラに犯される話してるやつ、旦那にやってもらったらええやん。キモい。他所でやれよ。エロの話するなら旦那の話すんなよ。お前の旦那の前でお前のエロツイート読み上げてやろうか。
女オタクの自我垢本当にキモい。大体鍵のR18用垢と自我垢を兼ねてるからそれ願望?ってなって気持ち悪くなる。本当に気持ち悪い。
ばあちゃんが死んだ。
僕の40の誕生日の前日に死んだ。
葬式など諸々終え、家に帰ってきて、やっと落ち着いたところ。
今の心情を自分自身でもいまいち掴みきれてないので、書いてみる。
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とにかく人が多かった。
子ども4人、孫12人、ひ孫19人、子どもや孫の配偶者、ばあちゃんの兄弟、その子、その孫。
サマーウォーズより多いんじゃね?
ばあちゃんは寺の娘だったので、親戚には坊さんがいる。
3人の坊さんが経を読む。
先頭で経を読んだのは、ばあちゃんの甥の中で一番下の甥。
ゆるい良い葬式だった。
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完全に場違いのフルートに、皆ポカーンとし、奏者も可哀想だな…と思いつつ聴いて、葬式を終えた。
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僕も火葬場に向かった。
普通と違ったのは、坊さんも参列者と同じように、最後に声をかけた。
一番下の甥の坊さんは泣いていた。
僕は泣けなかったからか、何か知らんがそれを見て僕自身が救われた気がした。
その後棺は焼くことになり、焼けるまで1時間程度待つことになった。
後で聞いたのだが、そのドサクサに紛れて義理の息子である親父は泣いていたらしい。
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孫の中で僕は上から2番目。
年長の孫であるいとこ、一番下の甥の坊さん、3人で話をした。
最初に、一番下の甥の坊さんに、フルートの時プルプルしてたから泣いてたかと思ってたらアレ笑いを堪えてなかった?とツッコむところから話は始まった。
ばあちゃんがいつからゲームやってたのか、とか、何故やってたのか、とか、どんなゲームをやってたのか、とか色々話した。
俺の初めてゲームはばあちゃんのお下がりでディスクシステムのやつだった、パチンコにハマってたから抜け出すために息子(僕から見ると伯父)が買った、そういえばパチンコにハマってた時期もあった気がする、その前はルービックキューブだったらしい、俺が持ってないPS4とか持ってたぞ、ゲーム好きだったけど上手いわけじゃなかったからレベルアップでのゴリ押しが結構多くて1セーブプレイ時間400時間とか700時間だったぞ、、、。
僕らは子どもの頃に話して以降30年近く話をしてなかったが、話題は尽きなかった。
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なんというか、あっけなかった。
色々終わって帰ってきた、子どもらも寝かしつけ、一息ついたのが今。
微妙に落ち着かずふわふわする感じがあったので、消化するために文章に残すことにした。
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ばあちゃんがどんな人だったのか。
性格、キャラ的なものを今風に言えば、天然系、不思議ちゃん、なのに、生命力強い、どんな環境でも楽しんで生きる、そんな感じ。
やたら印象に残る言動をする人だったので、ばあちゃんの話題には事欠かない。エピソード力が強い人だった。
何故か鞄を持ち歩かず、ショルダーバックくらいの袋に荷物を詰め、そして下着の胸の辺り、ちょうどブラのパッドのあたりに、その袋を縫いつけ、小太りというか巨乳に見える感じになっていた。
何かを出す時は胸元から出すことになるが、昔は服の中に手を突っ込みゴソゴソして荷物を取り出してたが、そのうち上手く取り出せないからと、半分脱いで取り出すようになった。
普通に外でもそれをやるようになったので、買い物行く時は子どもや孫の誰かが連れていき、事前に財布を預かって、ばあちゃんの財布から支払う、というのが慣習となった。
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そういえば、ばあちゃんから直接昔の話を聞いたことはほぼなかったことに気付いた。
年寄りは昔話が好きな印象あるけど、ばあちゃんから思い出話をほとんど聞いたことない。昔手に入れた意味の分からん謎のハックテクニック、を教えてもらえる程度。こちらの心配する、子どもや孫など周りのこと、ゲームのこと、とにかく今の話しかしなかったからかもれしない。
でも、ばあちゃんの周りからは、ばあちゃんの今まであったことはよく聞いた。
ここからのばあちゃんの昔の話は、皆の話の集合での話なので、何が本当なのかは分からない。
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ばあちゃんは、山奥の陸の孤島のような村にあるお寺の娘だった。
結果、じいちゃんが良いとこの人だと分かり、許してもらい帰ってきた。昔っぽい。
あとで聞いたのだが、じいちゃんはバツイチ?寡夫?だったらしく、ばあちゃんが結婚した当時、ばあちゃんは20、じいちゃんは44。そりゃ反対するわな。
それに加え、じいちゃんを知るであろう寺近くの老人達から稀にじいちゃんの話を聞いたことがあるのだが、どれも掴みどころがない。水墨画を描いてた、木こりだった、スキー板を作って売ってた、馬に乗って駆けてた、等々。皆のいうことが毎回違いすぎて何をしてた人なのかがマジで分からない。今で言うフリーターだったのでは、と思ってる。
その後、ばあちゃんは子どもを4人産んだが、3番目の子である僕の母が4,5歳のときに、じいちゃんが結核で死んだ。
生活ができないので、子どもらは、伝手のある寺が運営する児童養護施設で生活することに。
何年かそんな生活が続き、長男(僕から見れば伯父)が中学を卒業してすぐ働き始め、生活ができるようになったので、ばあちゃんや兄弟らを集め、また一緒に生活し始めた。なんという「ひとつ屋根の下」。(ひとつ屋根の下、当時母はめっちゃハマって見てた)
その後しばらく経ってから長男は僕の母を除いた兄弟とばあちゃんで自営業を始めた。
ここからの人生に関しては、ばあちゃんにとって比較的順風満帆な人生だったと思う。
たぶん。
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僕はばあちゃんに一番可愛がってもらった孫だったように思う。
ばあちゃんがファミコンをやるひざの上に乗ってたのが僕だった。
今思えば理由は単純で、高橋名人が名言「ゲームは1日1時間!!」を家では親が守らせようとするが、ばあちゃんの家では、朝から晩までゲームをやっていても怒られない。
ばあちゃんも、ゲームの攻略に詰まると、孫を積極的に呼んで、攻略方法を聞いたり、分からなくてもプレイしてやってみてくれとせがんだ。
僕が一番可愛がられたが、他の孫達も顔を出せば、同じように攻略をせがまれたので、孫らは皆ばあちゃんとみんなゲームをした経験が一度はあるように思う。
息子(僕から見て伯父)の自営業の職場とばあちゃんの家が一緒になっていて、ばあちゃんの生活は、昼間は働き、ご飯風呂、趣味の畑仕事、残った時間はほぼゲーム、が大半だった。
昔はマリオとかアクションをよくやっていたが、途中からドラクエやFFといったRPGが好きだった。
先にも書いたようにゲームやるからといって賢かったり上手かったりするわけじゃなかった、いわゆる下手の横好きだったので、とにかく朝から晩までゲームをし、攻略ノートを作ってメモをし、自分の攻略ノートを見ながらプレイしていた。
何度も何度も飽きずにトライ&エラーを繰り返しまくるので、ばあちゃんのセーブデータは、装備やアイテムが微妙なのに、レベルが異常に高いことが多かった。
おかげで、途中からやった僕ら孫たちは、ばあちゃんが説明するハマりポイントをひと通り振り返ったあと、装備を整え、ちゃんとゲーム内の説明みてやれば、案外すんなり先に進めた。
他の孫たちもゲームをプレイし終わったら、中古屋でなく、ばあちゃんにゲームを流した。
ばあちゃんが自分でゲームを買っていた印象がほぼないが、とにかくばあちゃんの家にはゲームがたくさんあった。
ベッドの下の収納ボックスには、ソフトがギッシリ詰まっていた、
初代ファミコン、スーパーファミコン、PS、PS2、64、ゲームキューブ、xbox…僕も大きくなるにつれ頻度が減り、就職で地元を離れてからはさらに頻度が減ったので、僕の知らないゲームハードもありそう。
見た記憶では、古いハードのソフトはなかった気がするので、時折捨ててたのかも。
孫らで集まって話をした際に出てきたゲームタイトルは皆違ってた。
FF、ドラクエ、テイルズ、スターオーシャン、ゼルダ、武蔵伝、等々。
ばあちゃんの妹の孫とかいう若い男の子も来てて、ばあちゃんとのゲームの思い出話をしてたのは驚いた。
それもあって、親族のみの家族葬だったのに、縁のある親戚までも集まり、やたら人数の多い通夜、葬式になった。
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義理の息子である親父もかなり溺愛してたので、本物の息子一堂から、本物の息子より息子してる、と親父も笑われていた。
ばあちゃんは、下駄が好きでよく履いてたのに、胸元に袋が入っていたから、ハキハキ歩くことができず、ペンギンみたいな歩き方になっていた。
不安定なゆっくりな歩き方だったので、当然荷物はまともに持てないし、隣を歩く僕の服の袖のあたりをつかんだりすることが多かった。
僕がいない時は、親父が並んで服の袖をつかまれていた。
僕や親父はその認識だったのだが、妹いわく、妹と一緒だと、不安定な歩きのままズカズカ先に歩いて荷物を持ってる妹に早く行くぞと先行してく、僕や親父の前だと猫を被ってる!!男尊女卑だ!!と愚痴っていた。
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孫らから流れてきたゲームで躓くと、当然元々ゲームの持ち主の孫に攻略を聞くことが多かった。
雷平原〜マカラーニャの森あたりにいて、攻略手伝って欲しいからと、泊まって欲しいと、ばあちゃんにせがまれ、泊まることになった。
一緒にプレイし、ご飯も食べ、風呂も入り、寝る前にもう1プレイ。
ちょうどそこで、マカラーニャの森の超ロマンティックなラブシーン。
当時、高校生だった僕は、真夜中に部屋を暗くして、ばあちゃんと並んで何観てるんだろう……と絶妙な気分になっていた。
ふと、横目でばあちゃんを観ると、キラキラした目で、★★素敵★★みたいなリアクションで、滅茶苦茶一生懸命みてたので、まぁいいか、と諦めにも近い気持ちになった。
その後少し経って、新しい孫がまた産まれ、ちょうどその孫の名前がFF10のヒロインと同じ名前だったので、滅茶苦茶喜んで良い名前だ、と褒めていた。
葬式の最後のフルートが、美空ひばりの「川の流れのように」だったので、「ザナルカンドにて」をかけてあげれば良かったのにな、とフルートの演奏を聴きながら、このことを思い出していた。
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葬式の参列者の話などを聞くに、僕がばあちゃんのところにあまり行けなくなった後も、他の親戚やゲームの関わりもあって、楽しくは過ごせていたようだった。
それが、6年前、真夏の早朝に、もうひとつの趣味であった畑仕事の途中で、脳卒中で倒れ、近くの通行人に発見され救急車で運ばれた。
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主治医や長年お世話になっているかかりつけ医によると、意識が回復する可能性は万に一つもない、そんな状態とのことだった。
ばあちゃんは、これまで大病患って、入院して死にかけたことは何度かあった。
入院のなか、どうしても回復傾向が見られない、という状況になってから、僕に連絡が来て、急遽地元に帰ってお見舞いに行くと、ばあちゃんとゲームの話になり、そういえばプレイ中だったあのゲームの続きがやりたい、早く治して退院せねば!!と急にやる気になって、そこから超回復、という展開があった。
今回は流石にダメそうだった。
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流石にばあちゃんももう90だったので、そういう覚悟をしておかなきゃ行けないことは分かっていた。
病院に見舞いに行った際、分かっていても、それがただ寝ているようにしか感じられなかった。
手術のあとに寝てます、みたいな感じで、ただ寝てるだけ。
もう起きることは無いのに、そんなふうにしか感じられなかった。
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僕がその後ばあちゃんの顔を見れたのは、少し経って、ばあちゃんの家で介護するようになってからだった。
病院よりも設備が簡素になったためか、ああ、これは本当にもう目覚めないんだな、と今さらながら実感した。
そんな中、母はばあちゃんの世話をしながら、前よりちょっと良くなったとか、こうやってやると反応する、など色々話をした。
もう目覚めない、と分かると同時に、まだ生きてる、とも感じられる。
死んでるのだが、生きてる。
ばあちゃんが死んだと聞いて、葬儀の一連の流れを終えた今、本当に死んだ今この時よりも、あの瞬間が正直しんどかった。
今、思い出すだけでも、心が重い。
死が突きつけられるのに、世話をすればちゃんと生を感じられる。
その中で世話をし続けられるのか。
母すごいな……と。
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あとは死ぬだけ。
それを受け入れるための有余の時間が与えられた感じだった。
ゲームができない、楽しみに一生懸命になれないばあちゃんは、ばあちゃんなのか。
身体なのか、脳なのか、心なのか、それとも人格なのか、習慣なのか。
生と死に対することをぼんやり思いにふける。
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そういえば、ばあちゃんは霊感が強い、というのがもっぱら周りの評価だった。
悪霊や死んだ人が見える、というより、死ぬ寸前の人が魂だけになって飛んでいるのを虫の知らせのような感じで分かるのだ、とか。
それで、遠方や疎遠になった知人の安否を確認し、それを当てることが多かったので、霊感が強いとされていた。
稀に、じいちゃんが迎えに来ると、まだやりたいことがあるから迎えに来んどいてくれーー!!と必死にお経を読むことがあるのだ、とか。
僕は実際にどの話にも立ち会ったことは無いが、確かにばあちゃんはその辺りの勘が冴えているような雰囲気があった。
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ばあちゃんの話を信じるとすると、脳死のばあちゃんには、ばあちゃんはいないことになる。
ばあちゃんがどこに行ったかは分からないが、ばあちゃんは生きているが死んだ。
幸い、受け入れるまでの時間を6年も貰ったので、ばあちゃんの死、葬儀はなんとか受け入れることができた。
コレがポックリいかれていたら、悲しすぎてどうなっていたかは想像できない。
正直助かった。
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心の準備は整えていたとはいえ、僕の誕生日の前日に亡くなり、僕の40歳の誕生日がばあちゃんの通夜になるとは、流石に予想つかなかった。
何もできないはずの死ぬ瞬間まで、印象を残す人だった。
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ばあちゃんの教え、みたいなのは、本当に全然覚えてないのに、ばあちゃんとの思い出はたくさん出てくる。
老人介護用おむつを買いに行った際には、コレ凄く便利でトイレに行かなくても良いからゲームができる!!とドヤ顔したり……
我が弟が母の付き添いでばあちゃんの買い物に付き合うため家に呼びに行ったら全裸でゲームしてたり……(前日夜風呂上がりに服着替える前にゲームをやり始めたら止まらなくて翌朝までやり続けていたのが真相)
僕がいとこと一緒に富士山近くに旅行した際、いとこに「富士山のかけらだ」と言って渡したそこら辺に落ちてた溶岩石が、何故か数年後ばあちゃんちの神棚に飾ってあり、いつの間にか凄い石だとして御神体みたいになってたり……
なんかあり過ぎて、もう思い出せない。
でも、何かあるたび、何気ない面白かった思い出が掘り返される。
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僕自身もばあちゃんと同じく、子どもが4人いるので、悲しみに暮れている暇はない。
悲しくてしんどい、みたいな感覚はないのだが、なんか気持ちがふわふわして落ち着かず、何かにつけてやる気が起きない。
この文章も、このままではいけないと思いを決して、何度かに書き分けながら、書き進めている。
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やる気がでないので、ぼーっと異世界転生もののアニメを観ても、ばあちゃんだったらマジで異世界にすら行きそうだな、行ってて欲しいな…と想像してしまう。
ココまで書いた文章を自分でも振り返ってみると、ばあちゃんの最大の教えは楽しむこと、それ自体のような気がしてきた。
昔から初七日とか四十九日とかに法要やるってことは、亡くなってからそれくらいの日数はこの感覚は抜けないのかもしれない、と諦めることにした。
とりあえず楽しめるようになるまで、このままぼーっとふわふわすることにしよう。
"地方は車が無いと生活できないは甘え"っていうのがXでクソ炎上してて、俺のアカウントにまで流れて来たからちょろっと反応を眺めてた
まあ田舎で生活するなら車は絶対要るだろうしそりゃそんなこと言ったら炎上するわな、とは思ったけど
ソイツへの反論ポストの中でちょくちょく見かけたのが「田舎から出られない人に喧嘩売ってんのか」的なコメント。
座敷牢か懲役刑でも喰らってない限り「出られない」にはならなくない?
田舎だろうと都会だろうと自分の意志で住んでるんだから、出られないは流石に嘘だろ。
インプレ稼ぎか知らんけど。
(追記)
さっき気づいてびっくりした
なんでこんなのが伸びたんだ。みんななんだかんだ言ってるくせに田舎ネタ好きね。
折角だし何個かコメントに返そう
Buchicat ブコメでは離婚しろだの家出ろだの親と縁切れだのいくらでも勇ましいこと言えんだよね。実際行動移すにはものすごい体力と精神力が要るしすぐ行動できるような人はとっくにやってるわけで。増田はできる自信あるん?
俺川崎市出身で今東京だから、本当の意味での地方からの上京は経験無い。だから自信があるかは分からない。ごめんね。
ただ実家出るだけで親と縁切れは流石に大げさ過ぎん?
同僚に地方出身者たくさん居るけど、親と縁切って上京したなんて聞いたことないわ。
tetsuya_m しがらみって日本語知らないかな?中島みゆきが歌詞にしてる位いろいろある「薄情もんが田舎の町に あと足で砂ばかけるって言われてさ 出てくんならお前の身内も住めんようにしちゃるって言われてさ」
ファイトを上げてる人が多いですね。いやでも正直流石に40年前の昭和の歌を根拠にされても困る。今令和よ。
heaco65 上京するなら実家はおろか親戚一同の門を二度と踏ませない戻ってくるなと暴力付きで脅されて誰がおいそれと出てくかね?自分でその呪い解いて出てくまで30年掛かったわ 釣りと分かってても腹立つ
本当なら毒親なんてレベルじゃないでしょ。増田に書いたら「早く逃げろ」ってコメントで埋め尽くされると思う。
この人は逃げられたみたいだけど。
Cat6 買い手のいない農地を大量に持ってて、耕作してないと固定資産税が大幅に増えるため逃げられない場合も。憲法に規定された転居・職業選択の自由を侵害してる訳で、使いようのない土地は国が買い取るか課税をやめろ。
農地法も詳しくないけど、自給率維持のためってんなら要らない農地はまとめて国が買い上げてほしいですね。
aoiyotsuba 「田舎から出られない人」は「家族(両親親戚)を残して出られない」とか、何かしらしがらみを捨てられない、優しい、あるいは気の弱い人だと思う。なんだかんだで移住にはエネルギー使うからね。
sunagi 要介護の親とか家族がいても縁を切れと? そっちの方が人間じゃねえ。引っ越すにも先立つ金がいるだろうし、他人の生活に対する想像力がないんだろうな。
You-me 今日NHKでリロケーションダメージの話してたんでちょうどいいのですると、歳を取ると「引っ越ししたりするとかえってボケる」人が出るのね。そういう人の世話をするので離れられないって人が一定数います。
想像力無くて申し訳ないけど、親の介護で人生棒にふるの勿体なくないかい?
「ボケるリスクを取っても都会に連れてきて、それなりに稼ぎながら各種サービスをフル活用して介護」じゃだめなの。
田舎で低賃金職に就いて同居介護、は共倒れのリスクが高過ぎて危険だと思うけど。
本当それ。救いが無さすぎる。
matone 「そんな男/女なんて別れればいいじゃん」「そんな会社辞めればいいじゃん」「そんな家族棄てればいいじゃん」こういう切断をためらいなくできる人には、できない人のことは本当に分からないんだろうな。
まじめに教えてほしいんだけど、友達がDVされてたら「そんな男/女なんて別れればいいじゃん」って言わないの?
richdad 総合的に判断して、そこに住むことを、「自分で決めた」ということ。「出られない」と被害者意識で自己正当化してもしかたない。奴隷根性。家の、介護の、土地の、家族のために残ると、あなたは自分で決めたのだ。
奴隷根性とか、叩かれそうなワードチョイスしてるけどまぁこれよね。
長いです。
中学1年生のとき、太ってて肌が汚いブスってことでいじめられて不登校になった。
派手で性格がキツい同じクラスの女子Aが主犯で、教師も誰も助けてくれなかった。
高校は通信制に行ったけど、2年からがんばって地方国立に進学して、今は税理士になって働いてる36歳です。
派手な復讐じゃないけど、Aを見返すことができてやっと人生を取り戻せた気がする。
昨年末、とある顧問先の企業の年末調整をチェックしていたら、Aを見つけた。
中学の同級生とは全く連絡をとっていないので、Aの近況は知らないんだけど、アルバイトとして働いているようである。
年収は200万円にも満たないから結婚して扶養に入っているのかと思ったが、苗字はそのままで配偶者なし、住所を検索してみると築40年の軽量鉄骨1DKアパート。
私を苛めて学生生活を壊した女が低年収で安アパート住まいなのかと思うと笑ってしまいそうだった。
Aと似た名前や容姿の人にまで怯えて生きてきたこれまでを思うと、この現実だけでもかなり爽快だった。
その会社は先輩税理士から引き継いだばかりで挨拶にすら行ってなかったので、事務員が持っていくはずだった年末調整書類を私が持っていくことにした。
スーツはセミナー講師をする時や壇上に立つ時用に作った一番良いセミオーダースーツを着て、一昨年買った中古のレクサスは洗車してピカピカにした。私自身はいまだにチビのデブなんだけど、身だしなみには気を遣っているから清潔感はあるつもりだ。
引き継ぎの挨拶も兼ねたいと事前に伝えていたからか、顧問先の社長は専務の奥さんと共に歓待してくれて、税理士である私がわざわざ年末調整ごときの書類を持参し挨拶してくれて嬉しいと言うので少し申し訳なさを感じる。
バイト込みで15名程度の大手下請け製造業なので、応接スペースに隣接する作業場で従業員さんたちが働いている。今年買った機械設備の確認と称して作業場にお邪魔してすぐにAが分かった。
Aは中学生の頃、別に美人ってわけではないがイケてる女子だった。しかしなんと今は女版チー牛としか言えない容姿で、更に私よりも太っていて汚らしい。さらにこちらをガン見している。
私の苗字は難読で珍しいので、顧問税理士として話題になった時にでも気づかれていたのかもしれない。Aを見分けたとき、私は気づかないふりをしようと瞬時に判断した。
これは無視するのが一番良いと思った。勝った、と思ったから。アラフォーで低年収アルバイトの汚らしい女。私の10代はこの女に壊されて鬱屈したものだった。通信制高校でも大学でも、怯えや卑屈さが先立ってしまって友達なんかできなかった。なんとか生きていきたかったから税理士資格をがんばって取って、お前の雇用主から丁重なおもてなしを受けているよ。
Aの表情からして私に気づいていることは確実だったけど、顧客企業の初対面の従業員に微笑んで会釈するポーズを上手くやれてたと思う。
なんでAがそんな状況にいるのか経緯を知りたい気もしたけど、客観的に見て私の方が何もかも「上」の人間だと感じた。Aは私に再会したことにすら気づけてもらえず、歯牙にもかけられなかったと思っているはずだ。
事務所への帰り道、これまでの人生で味わったことがないくらい心が晴れやかで、雨が降っていたのに景色が明るく見えた。
事務所に帰ると1月から産休に入る年下の事務員さんが出迎えてくれて、彼女のことが突然心配になった。うちの事務所は古くて段差が多い。いまさらだけどつまずいたりして怖くはなかっただろうか。工事するには遅すぎるけど、不安なところがあったら教えてほしいと言うととても喜んでくれた。社長が持たせてくれたお土産のシュークリームを一緒に食べたら、それもおいしいと喜んでくれてとても可愛かった。
年末の税理士事務所は繁忙期で、みんな疲れきっていたから、初めて使うUberでスタバのドリンクとおやつを頼んだ。私がそんなことをするのは初めてだったので、事務員さんも先輩税理士もとても驚いていた。シュークリームを食べた人たちも含めてみんな喜んで飲み食いしてくれて、楽しい気持ちになった。
この時からなんだかとても人の役に立ちたいと思えるようになった。
私の人生を壊しかけた女の惨めさを見て、そいつを取るに足らないものとして扱った程度のささやかな復讐だったけれど、私のことを凝視していたあの醜い顔はとても胸のすくものだった。
尊厳の回復ってこういうことなのかな、と思った。自己肯定感を取り戻したことで、自分の部下である事務員さんにも思いやりをかけられるようになれて、やっとマシな人間になれそうな気がする。
苛められている私を抱きしめて何度も謝って泣いた母は税理士試験に合格する前に死んでしまったし、父は若年性認知症でかなり前から施設にいる。
孤独な一人暮らしだけれど、新築マンションに住んでレクサスに乗れているし、顧客からの信頼を得られていると思う。従業員さんたちとはシュークリーム・スタバ以降、なんとなく関係性が改善できできたように思う。
中学生の頃からきっとずっと固まり切っていた感情がやっと解けて、初めて人に思いやりをかけられるようになったんだと思う。
ボス税理士にも最近変わった、彼氏ができたか?と聞かれたので、とりあえずすごく良いことがあった、仕事のおかげだから感謝しているし頑張って働くと伝えた。
来週から産休に入る事務員さんが今日、私だけに挨拶のお菓子をくれた。産休クッキーか?とゲスな好奇心を持ったが、地元の有名洋菓子店の美味しいガナッシュだった。産休中に日商簿記2級を勉強するのだと言うが、3級取得に2年かかった彼女がそんな短期間で2級を取れるようになるはずもない。それはそのまま言えないので、産休中は体を労って、復帰してから一緒にがんばろうと伝えたら泣いて感動していた。ずっとバカなギャルだと思っていた彼女がなんだかとても可愛くて、来週から一年会えないのは悲しい。
昨年末、人生2回目の自業自得のことをしでかしてしまって(うっかりミスというよりは自分の認識の甘さと規範意識の緩さからやってしまった完全なる自業自得。40過ぎてやることじゃないと自分でも思うし、なんでそんなことしちゃったのと落ち着いた自分でもそう思う内容なので本当に情けなさすぎる)、いつバレるか、バレたらどうなるかをwebで検索しつつビクビクして過ごしているんだけど、そっちで胃を痛めすぎてて他の手続きをすっかり勘違いしててリカバリが効かない状態になってしまった。
周囲に知られて呆れられるのが一番怖いし、少なくとも直接影響がありうる配偶者には言うべきなんだろうけどそれすら言えてなくて、胃が痛くて吐きそうで仕方ない。
損したくない手抜きしたいという卑怯な性根が一番の問題なんだと思うけど、その割に小心者すぎて他の人と違うことをすることが怖くてしかたなくて(別にそれがやりたいわけでもないのに)、そして年齢を重ねても同じことをやってしまい、色々調べたりしているくせに肝心なところで大ポカをやらかしてもはや詰んでしまうって本当に馬鹿すぎる。他人がやってたら「なんでそんなことやっちゃったの」とはっきりと呆れた視線を送るレベル。
ルール違反をしてバレるのが怖くてビクビクしてるのに、そんな状態で子供を叱ったりしていてどの面がって自分でも思うし、性格と考え方を少しでも変えたいけどカウンセリングでどうにかなるんだろうか。
昨年末、人生2回目の自業自得のことをしでかしてしまって(うっかりミスというよりは自分の認識の甘さと規範意識の緩さからやってしまった完全なる自業自得。40過ぎてやることじゃないと自分でも思うし、なんでそんなことしちゃったのと落ち着いた自分でもそう思う内容なので本当に情けなさすぎる)、いつバレるか、バレたらどうなるかをwebで検索しつつビクビクして過ごしているんだけど、そっちで胃を痛めすぎてて他の手続きをすっかり勘違いしててリカバリが効かない状態になってしまった。
周囲に知られて呆れられるのが一番怖いし、少なくとも直接影響がありうる配偶者には言うべきなんだろうけどそれすら言えてなくて、胃が痛くて吐きそうで仕方ない。
損したくない手抜きしたいという卑怯な性根が一番の問題なんだと思うけど、その割に小心者すぎて他の人と違うことをすることが怖くてしかたなくて(別にそれがやりたいわけでもないのに)、そして年齢を重ねても同じことをやってしまい、色々調べたりしているくせに肝心なところで大ポカをやらかしてもはや詰んでしまうって本当に馬鹿すぎる。他人がやってたら「なんでそんなことやっちゃったの」とはっきりと呆れた視線を送るレベル。
ルール違反をしてバレるのが怖くてビクビクしてるのに、そんな状態で子供を叱ったりしていてどの面がって自分でも思うし、性格と考え方を少しでも変えたいけどカウンセリングでどうにかなるんだろうか。