はてなキーワード: 帰宅とは
実家を出たときのことを、今でもはっきりと思い出す。僕は兄で、妹とは四つ違い。いつも穏やかで優しい妹が、自分の親に対して泣き叫ぶ姿を見るなんて、想像もしなかった。だけど、あのとき妹は限界だったんだと思う。むしろ、僕も同じように限界だったのだ。子どもの頃から「毒親」と呼ばれる環境の中で育った僕たちは、お互いが互いを気遣い合いながら、なんとか生きてきた。
僕たちの両親は世間体を気にしすぎるタイプだった。外から見れば、「教育熱心で厳格な家」という印象だったかもしれない。でも、その内側は違った。どんな小さなミスでも、親にとって“都合の悪いこと”になれば、怒鳴られたり、無視されたり、ひどいときには暴力まがいのこともあった。宿題をやっていないときは「怠け者」、テストで思うような点が取れないときは「努力が足りない」。どれだけ勉強しても「もっと上を目指せ」と追い詰められる。休みの日に友達と遊びに行けば「そんな暇があるなら勉強しろ」と怒鳴られる。僕も妹も、いつしか心の底から親の顔色を伺うようになった。
中でもつらかったのは、「進路」をめぐってだった。僕が高校に進学するとき、両親は有名進学校に合格するよう強く迫ってきた。そのプレッシャーに耐えられず、実は僕は一度だけ家出をしようとしたことがある。しかし、妹を置いていくわけにはいかないと思い直し、結局断念した。でも、そのとき妹はまだ中学生で、家に残るしかなかった。そんな妹が「お兄ちゃんと一緒にいたい」と僕に打ち明けたとき、何もしてやれない自分が情けなくて仕方がなかった。
その後、僕はなんとか高校を卒業し、アルバイトや派遣の仕事を掛け持ちして過ごすようになった。大学に行く気力はなかったというのが正直なところだ。親は「大学に行けないのなら家を出ろ」と言い放ったが、いざ出て行こうとすると「親不孝者が」と怒鳴る。言うこととやることが矛盾している。だけど、その矛盾に気づいたところで僕にはどうすることもできなかった。やがて妹も高校へ進学。成績は良く、周りからは「優等生」と見られていたが、その裏で妹は必死に呼吸をするように親の目を気にしていた。
妹が高校二年になった頃、ある深夜のことだった。バイトから帰ってきた僕は、リビングで一人泣き崩れている妹を見つけた。理由を聞くと、学校で一度だけテストの点が下がったことをきっかけに、親からひどく責め立てられたらしい。妹は「こんな家、もう嫌だ。お兄ちゃん、一緒に出て行こう」と震える声で言った。その言葉を聞いたとき、僕はある意味“覚悟”ができた。「もう逃げよう。二人でここを出よう」と。夜明けが来る前に、僕と妹は荷物をまとめはじめた。最低限の服や通帳、学校の教科書などをリュックに詰め込んで、親に見つかる前に家を出た。
両親には当然「勝手なことをするな」と言われると思ったが、そのときはもう恐れよりも先に「自由になりたい」という気持ちが勝っていた。妹が通う高校に相談してみると、事情をある程度汲み取ってくれて、転校という形で新しい学校を紹介してくれることになった。あまり詳しい事情は言えなかったものの、「家の事情で逃げたい」という妹の言葉が切実に聞こえたようで、比較的スムーズに話が進んだ。僕も収入が不安定だったが、とにかく二人で暮らすために、急いで安いアパートを探し始めた。物件情報を見て回り、実際に不動産屋をいくつもまわる。田舎の方へ移っても良かったが、妹が通う高校への距離を考え、都心からは少し離れた町のアパートを選んだ。
そうして、妹と二人暮らしを始めることになった。間取りは1DK。狭いけれど、二人で暮らすにはどうにかなる広さ。壁は少し薄く、隣の部屋のテレビの音が聞こえてくることもあったが、実家にいた頃の息が詰まるような苦しさに比べれば、天国のように感じた。お互いに遠慮はいらないはずなのに、最初はそれでも気を使い合った。お風呂の順番、寝る場所、部屋の整理整頓。兄妹とはいえ、二人暮らしのルールを決めるのは思った以上に大変だった。だけど、自由な空気がそこにあるだけで、胸の中にぽっかりと温かい火が灯ったように感じられた。
僕は早朝からコンビニでバイトし、昼間は派遣の倉庫作業に行くことが多かった。妹は平日は学校、土日は単発のバイトを探して働くことを始めた。毒親の元では許されなかった「アルバイト」だったが、今は誰からも怒られない。いつか二人で、もう少し広い部屋に引っ越したいと夢見ながら、僕たちは少しずつ貯金を始めた。最初は本当にギリギリの生活だったけれど、安心して眠れる空間、自由に会話ができる空間が何よりも大切だと感じた。
そんなある日のこと。妹が学校から帰る途中、カフェでアルバイト募集の張り紙を見つけてきた。時給はそこまで高くないが、交通費支給やシフトの融通など条件は悪くなさそうだ。「お兄ちゃん、私、ここで働いてみたい」と目を輝かせる妹を見ていると、僕も自然と笑みがこぼれた。毒親のもとにいたら許されなかったことを、いま妹は自分の意思で選び、そして始めようとしている。その一歩が、僕にはとても大きく見えた。
実際に妹がカフェの面接を受けに行くことになり、僕は帰りが夜遅くなるかもしれない妹のことが気がかりで、一緒に最寄り駅まで迎えに行くことにした。面接は上々だったらしく、店長もとても優しそうな人だったようだ。「採用されたら頑張るね!」と妹は嬉しそうに言う。その笑顔を見て、僕も心から「よかったな」と思った。
駅からアパートへ向かう夜道は、人通りが少ない。僕は自然と妹の少し前を歩き、周囲を気にしながら帰宅する。すると、近所の商店街にある個人経営らしい居酒屋の前で、通りすがりの中年男性に声をかけられた。「こんな夜遅くに、仲いいなあ、新婚さん?」と言うのだ。妹と顔を見合わせて、思わず吹き出してしまった。「いえ、兄妹なんです」と答えると、「そうなの? いや、雰囲気がいいからてっきり夫婦かと思ったよ」と笑われた。妹は「全然違うのにね」と顔を赤らめていたが、その後「でも、夫婦みたいだなんて、ちょっと面白いよね」とクスクス笑っていた。
実は、こうやって夫婦やカップルと間違えられることは、これが初めてではない。引っ越しのときにも、不動産屋の担当者に「同棲ですか?」と何度か確認されたり、スーパーで買い物をしているときに「ご夫婦ですか? 新婚さん向けフェアの案内ですが……」と声をかけられたりした。僕としては妹を守る立場でもあるし、多少の誤解は軽く受け流しているつもりだけれど、妹のほうは毎回、「兄妹なんですけど……」ときちんと訂正してしまう。それでも、今となってはこの勘違いもほほえましく感じられるようになった。実家にいるときには考えられなかった、なんでもない日常の一コマ。僕たちには、そういう穏やかな時間がなかったのだと思う。
それから少し経って、妹はカフェでのバイトが正式に決まり、僕たちの生活はさらに忙しくなった。ただ、不思議と疲れよりも充実感のほうが大きい。帰ってきてからリビングに二人で座り、一日の出来事をおしゃべりする。妹はカフェでの接客で経験したちょっとしたトラブルや、お客さんとの面白いやり取りを楽しそうに話してくれる。「昔はこんなふうに話をしても、どうせ親に全部ダメ出しされるんだろうなって思ってたけど、今は好きなだけ話せるから、すっごく楽しい」と笑う妹。その様子を見ていると、あのとき家を出た選択は間違いじゃなかったと心から思える。
もちろん、二人暮らしを始めてからも問題はたくさんある。親からの連絡は「許さない」という罵倒や、一方的な怒りのメッセージばかりで、話し合いができる状況ではない。時折、僕たちの住まいを突き止めようとしたのか、知人から連絡が入ることもある。「両親が連絡先を知りたがっている」とか「お前たちがわがままを言っているんじゃないのか」とか。だけど、僕はもう振り回されるのはやめようと決めた。妹も「返事しなくていいよ」と、毅然とした態度をとってくれている。親と離れても、今は生きているだけでありがたいと心から思えるのだから。
そんな僕たちだけれど、将来のことを考えないわけにはいかない。妹はあと一年ちょっとで高校を卒業する。大学に行きたいと言う気持ちもあるらしいが、学費をどうするか、奨学金は借りられるのか、僕の収入だけで妹を支えられるのか……問題はいくらでも出てくる。でも、妹が「やりたいことがあるなら挑戦したい」と言うなら、僕は全力で応援しようと思う。自分の大学進学の夢を諦めたのは僕自身の判断だった。あの頃はそれしかできなかったのかもしれないけれど、妹には後悔してほしくない。正直、不安は尽きない。それでも、毒親の支配から離れた今、僕たちにはお互いを思い合う時間と心の余裕がある。まずは二人でしっかり話し合い、可能性を探っていこうと思っている。
夜遅く、妹がアルバイトから帰ってくると、決まってキッチンから香ばしい匂いが漂ってくる。僕が先に帰っている日は、ごく簡単な料理だけど、妹の分の夕飯を用意するようにしているのだ。チャーハンとか、野菜炒め程度だけど、「ただいま」と玄関を開ける妹の「いい匂い……」という一言を聞くと、やってよかったと思う。妹も翌日が休みのときなどは、代わりに僕のためにパスタを作ってくれたりもする。兄妹が同じ食卓で笑いながらご飯を食べる姿は、誰がどう見ても“家族”のはずなのに、不思議と「本当の家族」という実感が生まれてくるのは、ここ最近のことだ。
妹の存在は、僕にとって唯一無二の支えになっている。たとえ夫婦や恋人と勘違いされたっていい。僕にとって妹は妹であり、しかし同時にかけがえのない同居人でもある。実家にいた頃は、僕たちの間にいつも両親という“大きな壁”があった。それが今はなくなり、ようやく素直に向き合えるようになった気がする。僕たちはお互い助け合い、励まし合いながら生きていく。親の呪縛にとらわれることなく、自分たちの人生を、自分たちなりに歩んでいこうと思っている。
時には外食をして、隣りの席のカップルと間違えられることもあるだろう。時には夜道で「まさか兄妹じゃないよね?」なんて声をかけられるかもしれない。だけど、もうそれは構わない。二人暮らしを始めてから知ったのだけれど、人は他人の生活を結構なペースで勘違いしてくるものらしい。誤解されても、二人でいれば楽しいし、互いに隣にいられる安心感がある。それが分かるだけで、昔のように人の目を気にして呼吸を浅くすることはなくなった。
この先、僕たちが歩む道に何が待っているのかは分からない。経済的にもまだまだ不安定だし、妹がこれからやりたいことを見つけたとしても、すぐに実現できるかどうかは定かではない。それでも、「あの家に帰るよりずっとマシだ」という気持ちは揺るがない。毒親との関係を絶ったことで、ようやく手に入れた自由と、そして兄妹だけの小さな生活を、僕は何より大切にしていきたいと思っている。
考えてみれば、僕と妹がこうして一緒に暮らすということ自体、実家では到底許されなかったはずだ。親にとっては「恥」だったのかもしれない。長男が家を出るなんて、妹まで連れ出すなんて、とんでもないと。だけど、そんな言葉にはもう縛られない。妹と二人で暮らすことは、僕たちにとって自由と希望を取り戻す第一歩だったのだ。
ときどき思い出す。リビングの机にしがみつきながら、両親に泣き叫んでいた妹の姿を。あの光景は僕のなかで、いつまで経っても消えないかもしれない。でも、あの瞬間こそが僕たちに“逃げ出す勇気”をくれたのだ。だから今は、その記憶を大切に噛みしめている。もし同じように苦しんでいる人がいたら、声を大にして伝えたい。「逃げてもいい」と。誰だって、自分の人生を自分のために生きる権利があるのだと。
帰宅した妹の「ただいま」の声。台所から漂う料理の匂い。二人でテーブルを囲むときの、なんでもない会話と、小さな笑い声。そんな当たり前の生活の一つひとつが、僕たちにとっては宝物みたいに尊い。これから先もきっと悩むこと、苦しむことはたくさんあるだろう。だけど、どんなに傷つくことがあっても、もうあの家には戻らない。僕たち兄妹は、お互いを支え合いながら、一歩ずつ前に進んでいく。その道の途中で、夫婦や恋人と勘違いされることがあったって、それは微笑ましいエピソードとして受け止めていくつもりだ。
「毒親から逃げ出すために妹と二人暮らしを始めた」というこの事実は、僕たちが生きていくうえでの大きな分岐点だった。親の期待や束縛、暴言に押しつぶされそうになっていた僕たちが、やっと呼吸できるようになった場所。それが今のこの狭い1DKのアパートだ。床は古くて所々ミシミシと音がするし、壁は薄いし、エアコンの調子もいまいちなことがあるけれど、それでもここは僕と妹の大切な居場所だ。誰にも邪魔されない、僕たちだけの“小さな世界”。そして、この世界で、僕はずっと妹と一緒に笑っていたいと思う。あの家ではできなかったことを、少しずつ取り戻すように、毎日を噛みしめながら過ごしていこう。
「もうすぐご飯できるよ!」とキッチンから妹が声をかけてくる。僕はテーブルに箸とお皿を並べながら、その声に返事をする。この空間が、僕たちにとっての本当の“家”だ。例えどんなに些細なことでも、ここでの出来事はきっと僕たちの思い出になる。毒親から逃げ出すために始めた二人暮らしは、逃避行なんかじゃない。僕たち兄妹が「生きる」ということを取り戻すための、そして笑顔で日々を送るための、新しいスタートラインなのだ。
家族の一人が近所の温泉施設にハマったらしく仕事帰りに足繁く通っている
寄り道してくる日は帰宅が22時過ぎになるので、夜ご飯を用意していても汁物は食べる、サラダは食べる、サラダと汁物は食べるといった具合で、お米とおかずを食べない点を除くと何を食べるかはまちまちである
ご飯を用意する側としては困るので先に連絡してと伝えたものの、ちゃんと連絡してもらったことは数えるほどしかない
こちらから尋ねても返事が来なかったり、返事(寄り道する=食べない)が来る頃には食事の準備を終えている時間であることが多い
そんなことが続き疲れてしまったので、最近は朝の荷物(温泉グッズ用バッグの有無)で判断しているのだが、時々荷物を持って出勤しておいて気まぐれに(当然連絡はない)普通の時間に帰ってくることがある
それでいて夜ご飯のおかずがないことがわかると一方的に機嫌を悪くされ、ドアを無駄にうるさく閉められたり露骨にため息をつかれたりする
コロナや台風、直近では寒波などの度に、「不要不急の外出を控えて」といった旨の報道を目にする。特にコロナ禍以降、「不要不急の外出」というワードは増えたように思う。
しかし、「不要不急な外出」とは何なのか、外出の可否に迷わされる。
そこで、おそらく「不要不急な外出」という意味はかなり緩いものと考えつつ調べていたところ、国会の質問主意書と答弁書が見つかった。
参議院第204回国会第8号" 「不要不急の外出・移動」の定義と解釈に関する質問"まさにドンピシャ。
これはコロナ禍において定義を山東議員が質問したもので、これによると、以下のような記載が出てくる。
””(前略) 「医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要なものについては外出の自粛要請の対象外とする。」との考え方を示しているところであるが、お尋ねの行為が「不要不急の外出・移動」に該当するか否かについては、国民の皆様において、それぞれの生活状況等に応じて適切に判断いただくものと考えており、一概にお答えすることは困難である。 ””
具体性を控えて保険を打った答弁になっている点は置いておいて、通院から通勤は勿論のこと、屋外の運動・散歩までもがコロナ禍において自粛要請の対象外、となっている。
ということは、「不要不急の外出」というものは殆どあってないようなものとしか言いようがない。しいて言うなら乱痴気騒ぎに混ざる、祭り・ライブに行く、などの行為を除けば出勤し帰宅する通常の生活を送ることに何も制限をかけないものだということが分かる。
そもそも、デスクワーカーとノンデスクワーカーの比率がおおよそ1:2であるから、まず仕事に行くのに外出が必要な層が労働者の2/3になるから、日本を回すためには当然の答弁ともいえるが。
結論として、国会のこの答弁に照らし合わせて「不要不急の外出」を解釈するなら、「仕事終わりに寄り道するなよ」程度の意味にしかならないわけだ。当然、報道機関が伝えるべきメッセージとしては弱い。それより、大雪ならもっと気を付けなければいけないことが、路面凍結・落雪・雪崩その他あるはずだ。何でもかんでも「不要不急の外出」というコロナ禍以来のバズワードに纏めて雑に報道する姿勢がマスゴミと言われる所以なんじゃないか、とつくづく思う小一時間だった。
これがもうしんどくて仕方がない。働きたくないとかじゃなく、もう生活にかかる全ての工程が面倒くさい。
■初夜失敗した
相手は20代後半女性。処女ではないけど経験は乏しい。当方はアラサー男性。
単刀直入にいうと、入れる段階になって自分が萎えてしまった。たぶん緊張からかな……?
その夜は何度かトライしてみたものの、ゴムが無くなってしまい添い寝で終了。
帰宅後にもう一度トライしたけど、やっぱり入れる直前に萎えてしまって未達成。
お決まりの「疲れてるし、仕方ないよ〜」で流してくれたんだけど、これからどうすればいいんだろう?
当方は道程なので勝手がよくわからないがやっぱり不完全燃焼で意欲がある。個人的には楽しく過ごせれば別に行為はなくてもいい派だって彼女はいうけど…
どうすれば、今後も良い関係が続けられるだろうか?
相手はアラサー童貞男性。当方は少し年下で、処女ではないけど経験は乏しい。
単刀直入にいうと、入れる段階になって彼が萎えてしまった。たぶん緊張からかな……?
その夜は何度かトライしてみたものの、ゴムが無くなってしまい添い寝で終了。
帰宅後にもう一度トライしたけど、やっぱり入れる直前に萎えてしまって未達成。
お決まりの「疲れてるし、仕方ないよ〜」で流してしまったんだけど、これからどうすればいいんだろう?
今まではこういうことはお相手に任せきりで、私も勝手がよくわからない。個人的には楽しく過ごせれば別に行為はなくてもいい派なんだけど、彼はやっぱり不完全燃焼で意欲があるっぽい。
どうすれば、今後も良い関係が続けられるだろうか?
年末年始は帰省してダラダラ過ごして今日から仕事始めなのだが、すこぶる調子が良い。
まず、日中全然眠くならない。普段なら午後4時以降はぼんやりしてほぼ開店休業みたいな有り様だったのが、今日は勤務時間中はほぼ100%の出力で働いていた。
退勤後もなお元気があり、今日は帰宅してから筋トレしてごはんを作って食べてシャワーを浴びて食器を洗ってduolingoで英語を勉強したのだが、まだ増田を書くくらい元気がある。
ふだんなら筋トレとシャワーと食器洗いと英語勉強のうちどれか1つか2つくらいが限界で、あとはダラダラyoutubeを見ていたところだ。
1月6日午後4時ころ、福岡市南区三宅3丁目付近の路上において、帰宅途中の小学生女児が見知らぬ男から
「座って話そうよ」「怪しくないから安心して」等と声をかけられる事案が発生しました。
男は、年齢20歳から30歳くらい、身長160センチメートルくらい、黒髪センター分け、黒色トレーナー、黒系カーゴパンツを着用しています。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-1416969
https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1416/1416969/1416969_avatar_detail_1736157011336.png
ある日のことだった。私は仕事帰りに最寄りの駅から自宅へと向かっていた。疲れた体を引きずりながら、早く家で休みたいという一心で足を進めていた。その日は特に長い会議が続き、頭も体もクタクタだった。
駅の改札を出ると、前方に小さな子どもとその母親らしき女性が見えた。子どもは興奮気味に大声を出しながら、周囲を走り回っていた。母親は必死に子どもを追いかけ、「〇〇ちゃん、危ないからやめなさい!」と声をかけていたが、なかなか言うことを聞かない様子だった。
その子どもは私の方へと一直線に走ってきた。避けようとしたが間に合わず、ぶつかってしまった。「痛っ!」と思わず声を上げると、子どもは笑いながらまた走り去っていった。母親が駆け寄ってきて、「すみません、本当にごめんなさい」と何度も頭を下げた。私は苛立ちを隠せず、「ちゃんと子どもを見ていてください」と少し厳しい口調で返した。
家に帰ってもその出来事が頭から離れなかった。疲れているところにあのようなことが起き、ますます気分が沈んだ。なぜあの母親は子どもをしっかり見ていないのか、なぜ子どもはあんなに騒ぐのかと、もやもやと考えていた。
数日後、同じ時間帯に駅を利用すると、またあの親子に遭遇した。今度は子どもが駅のベンチに座り、大声で歌を歌っていた。周囲の人々は少し距離を置きながら、その様子をちらちらと見ていた。母親は優しく子どもに話しかけていたが、子どもは夢中で歌い続けていた。
その時、私はふと立ち止まり、その母親の顔をよく見た。疲れと困惑が混じった表情であったが、どこか愛おしげに子どもを見つめていた。その姿を見て、何か胸に引っかかるものを感じた。
帰宅後、発達障害についてインターネットで調べてみることにした。子どもの中には、周囲の状況を認識するのが難しかったり、自分の感情をコントロールするのが難しい子がいることを知った。また、親も日々大変な思いをしながら子育てをしていることが書かれていた。
私は自分の無知を恥じた。あの日、私は自分の苛立ちをあの母親にぶつけてしまったが、きっと彼女も毎日懸命に頑張っているのだと気づいた。
それからは、駅であの親子を見かけるたびに、少し離れた場所から見守るようになった。子どもが楽しそうに歌っているとき、母親がほっとした表情を浮かべる瞬間を何度も目にした。
ある日、子どもが私の方に駆け寄ってきた。前回のこともあり、一瞬身構えたが、子どもは手に持っていた小さな花を私に差し出した。「これ、あげる!」と無邪気な笑顔で言った。驚きとともに、「ありがとう」と受け取ると、子どもは満足げに母親の元へ戻っていった。
母親は少し戸惑いながらも、「すみません、この子が急に…」と声をかけてきた。私は微笑んで、「いえ、素敵な贈り物をいただきました」と答えた。母親はほっとした様子で、「ありがとうございます」と頭を下げた。
その瞬間、私は自分の心の中にあった偏見や誤解が解けていくのを感じた。人はそれぞれ違う背景や事情を抱えて生きている。自分の知らない世界があり、そこには自分が想像もしない苦労や喜びがあるのだと実感した。
それ以来、私は周囲の人々に対して少しだけ優しくなれた気がする。迷惑だと思っていた出来事も、見方を変えれば新たな気づきや学びに繋がるのだと感じた。
今日は久々の雨だったのだけど急いでいたため家を出るときについ傘を忘れてしまった。
大学に向かう時はまだ小雨だから良かったものの午後になり講義を終えた後でも雨はまだ弱い。これは助かったと思い自宅に向けて歩き始めてすぐのことだった。
途端に雨模様は変容し、雨は表情も変えずに強さを増していった。流石にこれは不味い、とセブンによるも傘は1本700円以上もした。
はっきり言って700円はでかい。でかすぎる。
外は中降りで、かといって何もささずに行けばびしょ濡れになるのは間違いない。
10分ほど悩んだ末、俺は鞄から透明なゴミ袋(45L)を取り出すと手で底を破り、頭からかぶってカッパにした。
簡易的なものながら、我ながら悪くないアイデアだと思ったのだ。そのときは。
しかしいざゴミ袋を纏って歩くと東京民は指を指さして俺を嘲笑し、挙げ句ゴミ袋かぶって歩いてる!と笑われる始末。それでも仕方がなく、俺は恥を忍んで歩くしかなかった。
これも全て不況のせいであり、若者にお金が循環しない政治のせいだとは分かりつつも、やはり東京は若者に冷たい。
だがそれ以上に心の方は、もっと冷えきっていた。
私は35歳のサラリーマンです。毎朝満員電車に揺られ、昼はデスクワークに追われ、夜は疲れて眠りにつく。休日も特に予定はなく、テレビやスマホを見て時間をつぶすだけの毎日。友人たちがそれぞれ趣味を楽しんでいるのを見ていると、自分には「何もない」と感じることが多かった。
そんなある日、職場の同僚から「今週末に街の写真展があるんだけど、一緒に行かない?」と誘われました。正直なところ、写真なんて自分には無理だと思い、断ろうとしましたが、同僚の熱心な誘いに押されて参加することにしました。会場に足を運んでみると、さまざまな写真が展示されており、初めて見る視点や技法に興味を引かれました。特に、一枚の風景写真に心を打たれました。それは、夕焼けに染まる街並みを切り取ったもので、見るだけで心が落ち着くような気持ちになりました。
帰宅後、ふとスマホで写真撮影について調べ始めました。初めはカメラの使い方や基本的な技術について学ぶことからスタートしました。インターネットには多くの情報が溢れており、初心者向けのチュートリアルやフォーラムでのアドバイスが参考になりました。徐々に自分でも撮影に挑戦したくなり、週末にはカメラを持って近所の公園や街を歩き回るようになりました。最初はスマホのカメラで十分だと思っていましたが、本格的なカメラを購入することで、さらに深く写真の世界に入り込んでいきました。
写真を撮ることで、日常の中に新たな発見を見つけるようになりました。以前は見過ごしていた風景や、人々の表情、小さな出来事に目を向けることで、生活が豊かになったと感じるようになりました。また、撮った写真をSNSに投稿することで、同じ趣味を持つ人たちと交流する機会も増え、友人の輪も広がりました。コメントや「いいね」をもらうことで、自分の作品に対する自信もついてきました。
さらに、写真を通じて自己表現の楽しさを知り、自分の感性や視点を大切にするようになりました。風景写真だけでなく、ポートレートやストリートフォトにも挑戦するようになり、多様なジャンルに興味を持つようになりました。撮影を続けるうちに技術も向上し、写真展に出品するまでに成長することができました。
ある日、自分の撮った写真をまとめて展示する機会を得ました。友人や同僚、家族が訪れる中、自分の作品を誇らしげに見せる姿は、以前の自分とは違っていました。写真を通じて得た経験は、新たな視点や価値観をもたらし、人生に彩りを加える大きな要因となりました。展示会では、多くの人々から感想をもらい、さらなる励みとなりました。
趣味を持つことで、ストレス解消やリフレッシュの方法を見つけることができ、心身ともに健康になったと感じています。仕事に対する姿勢も変わり、より前向きに取り組むことができるようになりました。趣味の写真撮影は、生活に新たな目的と喜びをもたらしてくれました。
かつて「趣味なんて自分にはない」と思っていた私が、趣味を持つことで得た喜びや成長は計り知れないものです。趣味を始めることは、誰にでも新たな可能性を開く扉となり得ます。一歩踏み出す勇気が、人生を豊かにする鍵となるのだと実感しています。今では、写真撮影は生活に欠かせない大切な一部となり、これからも新しい挑戦を続けていきたいと思っています。
先日、夫の直人(なおと)と私は、休日を利用して都心の大規模タワーマンションの内覧会に足を運んだ。結婚して3年目を迎え、二人暮らしにもだいぶ慣れてきた。これまでずっと賃貸マンション暮らしだった私たちだが、そろそろ「マイホームを持つ」という選択肢が現実味を帯びてきたのだ。周囲の友人が中古マンションを購入したり、一軒家を建てたりしている話を聞くたびに、「私たちもそろそろ動かなきゃね」と軽くは考えていた。しかし、都心に住むならば家賃並みに高額なローンが必要になるし、これからのライフプランをどう描くべきかは、なかなか決断が難しい問題だった。
都心部のタワマンは、おしゃれな外観や洗練された共有設備、そして何より抜群の立地が魅力的だ。通勤時間を短縮できるし、買い物やレストランなど、生活全般が快適になるだろう。高層階からは夜景がきれいに見えるかもしれない。私が子どもの頃から憧れていた“空に近い場所”に住むという夢は、いつかは叶えてみたいものだった。一方で、タワマンは管理費や修繕積立金も高額になりがちで、家計を圧迫する心配がつきまとうのも事実である。
私と直人は、現在ともに都心の会社へ電車で通勤している。賃貸マンションは駅からやや離れた場所にあり、通勤時間はそれぞれ30~40分ほど。決して不便というわけではないが、残業が多い日は帰宅が遅く、そこから買い物や食事の準備をするとなると、平日の夜はかなりバタバタしてしまうのが常だ。タワマンのパンフレットには、最寄り駅まで徒歩5分、会社まではドア・トゥ・ドアで20分以内と書かれている。もしそこに住めば、今よりだいぶ時間に余裕ができるのではないか、と期待が膨らむ。浮いた時間で趣味を楽しむこともできるし、夫婦の時間をもう少し充実させられるかもしれない。
とはいえ、当然ながら価格は安くはない。私たちが興味をもっているのは中層階の3LDKで、価格は1億円近い。想像をはるかに超える額だ。いくら低金利とはいえ、二人の収入を合算した共同ローンを組んでも、月々の返済額は現在の家賃の2倍以上になる見込みだ。ボーナス払いを併用するとしても、いったいどれだけ家計に負担がかかるだろう。私は今の職場で働き続ける意欲はあるが、将来的に子どもを授かったときには、時短勤務や育児休業などで収入が下がるかもしれない。また、直人がもし転職を考えたり、予想外のリストラなどがあったりしたらどうするのだろう。そういった不確定要素をすべて踏まえたうえで「大丈夫」と言い切れるのか。正直、私の心にはまだ迷いがある。
一方で、直人はタワマンへの興味を強めているようだ。内覧会で目にしたゴージャスなエントランス、大きな窓から広がる都心の景色、そして各階に備え付けられたゴミステーションやフィットネスルームなど、共用設備の便利さや高級感にかなり惹かれているらしい。共有スペースにはカフェラウンジやキッズルームもあるので、子どもが生まれたときにも重宝すると思われる。直人は「子どもができたら、ここで楽しく遊べるんじゃない? それにタワマンは防犯面もしっかりしてるから、安心できるよ」と目を輝かせる。そう言われると、確かに育児のことを考えてもメリットは大きい。24時間有人管理のセキュリティがあるし、近くには大きな公園や図書館もある。子育て環境としては理想に近い環境だろう。
しかし、共同ローンを組む際の不安はどうしても拭えない。私がもし退職することになったらどうなるのか、家事と育児の負担をどう分担するのか。夫婦共働きが前提の大きなローンを組む場合、「どちらかが働けなくなるリスク」は常に頭をよぎる。しかも、タワマンのように都市の一等地にある物件は、資産価値こそ下がりにくいと言われているが、定期的にアップグレードされる設備や厳重なセキュリティの維持には、相応の管理費と修繕積立金が必要になる。それらのランニングコストが決して低くない点を考慮すると、ローンを完済するまでの長い道のりは、かなり堅実に家計を管理しなければならない。
それでもタワマン暮らしへの憧れは大きい。職場から近い立地に住めば、通勤ストレスが軽減されて日々の疲れも溜まりにくくなり、その分だけ時間と気持ちの余裕を手に入れられるだろう。共用施設を使えば、休日にわざわざジムやカフェに出かけなくても自宅内である程度完結できる。さらに、住民同士のコミュニティが活発で、イベントなどが定期的に開かれているタワマンも多いようだ。それが煩わしいと感じる人もいるかもしれないが、私たち夫婦はそこそこ社交的なタイプ。新しい知り合いができるのも楽しそうだ。
最近では、ネットやSNSでも「タワマン購入記」や「タワマン暮らしのメリット・デメリット」といった記事がたくさん見つかる。中には“タワマンマウント”という言葉もちらほら見かけ、タワマン住民同士の上下関係やコミュニティの複雑さが取り沙汰される場合もあるらしい。そういった空気感が苦手な人にはなかなかきつい環境かもしれないが、実際のところは住んでみないと分からない部分が大きいとも聞く。私たちはそこまで他人の目を気にするタイプではないが、子育てや老後など長期的な暮らしを考えたとき、人間関係のストレスは少ないに越したことはない。
先日、私の両親にもタワマン購入の検討を話してみた。母は「いいじゃない、若いうちに買ったほうがローンも払い終わるの早いしね。でも無理はしないでね」と背中を押してくれた。一方で父は「タワマンは眺望や設備はいいだろうが、やっぱり長期的なローンは怖いぞ。中古でもいいから、もう少し手頃なところを探してみれば?」と慎重な意見を述べた。どちらの言葉ももっともで、私はますます迷ってしまった。
私たちは、もうしばらく情報収集を続けることにした。今度の週末にも別のタワマンの見学予約を入れているし、不動産会社と詳細な資金計画についても打ち合わせをする予定だ。ネットに出ている情報だけでなく、実際に足を運んで比較検討してみれば、自ずと「本当に自分たちに合った住まい」が見えてくるのではないかと思う。それでも、まったく不安がなくなることはないだろう。大きな買い物をするのだから、最後まで悩むのは当然だ。
いっそ、一生に一度の大勝負として思い切って購入に踏み切るのもありだし、もう少し落ち着いた郊外の物件を探すのも手かもしれない。二人で慎重に話し合いながら、最終的に後悔のない選択をしたいと強く思う。どちらにせよ、私たち夫婦が力を合わせて幸せに暮らしていくための大切な一歩となるはずだ。二人の人生、そして将来生まれてくるかもしれない家族の人生を考えて、なるべく良いスタートを切りたい。
今夜もまた直人と遅い夕食をとりながら、あれこれとシミュレーションをすることになるだろう。毎月の返済額や管理費、修繕積立金、子どもが生まれた場合の教育費、老後の資金……一度考え出すと尽きない不安はあるが、同時に「新生活への希望」も大きく膨らんでいる。都心のタワマンを購入するのか、あるいは別の選択肢を探すのか――どんな道を選ぼうとも、私たちは二人で協力し合い、納得のいく結論を見つけたいと思うのだ。
去年購入した都区内新築マンション。
もちろん億超えてますよ。
共同ローンですよ。
そんなまだ新築のにおいがするマンションの壁を殴り、穴をあけた。
きっかけは息子がわーっと騒いでいたことに夫が怒り、押さえつけて怒鳴っていたので、私が止めたこと。
私が「何もそんなに怒らなくても」と言ったことにキレて、壁を殴った。
夫はこれまでもカッとなってはキレることはあった。
物を投げたり殴ったりもあった。
人(私や息子)を押さえつけて殴るぞ、と脅すことはあったが、やってみなよと言うと離れていた。
今日は手から血を流しながらへらへら笑って「あ?お前が煽ったんだろ?」「あ?」「あ?」と挑発?してきてた。
この行動の原因は夫の心にある、キレてこうゆう行動にでるのは問題なんだと話しても
「お前が言うなよ」「まずは自分の問題をなおせ」と取り合ってもらえない。
何度か言ったら「あいあーいww」とばかにした風でちゃかして終わり。
普段から、共感性が低いというか、ひとのつらさに無頓着ではある。
お互いフルタイムの共働きだが、夫は在宅でフレックスなので融通が効く、が、子供の学童や保育園の送迎は全て私。
家事は全て私。
土日にこどもを連れて出かけるのも全て私。
それでも「お疲れ様」のひとこともないし、こどもに「今日どこでかけたの?楽しかった?」とかもない。
ひとりで好きなように出かけて、疲れたらソファに寝転び、私たちが帰宅して騒がしくしているとイライラしだす。
私が疲れてイライラしていると、なんでそんな疲れてんだよw ほらお前はすぐ感情的になるw 情緒w とばかにする。
夫に手伝いをお願いもできない状況で、頼れる家族も近くに住んでいない、疲れることすら否定されるのかとめちゃくちゃムカつく。
話し合いは何度も何度も繰り返し、いかに私が大変か、夫の協力を求めているか、を伝えてきた。
機嫌さえ良ければ俺が悪かった、わかった、とは言うが、別にそれを信じていたわけでない。
何度も裏切られてきたし、ただキレる頻度が少しずつ減っているから、これからも少しずつ改善していければと向き合ってきた。
でも夫はやっぱり根本的なところはなおらない、キレる人間なんだと
息子はもうケロッとしている
夜の帳(とばり)がすっかり落ちた頃、私は駅前の小さなコンビニでのアルバイトを終え、自宅へ向かっていた。帰り道は商店街の明かりが消えかけていて、平日の遅い時間ともなれば、人通りはほとんどない。いつもは自転車で帰るのだが、その日はパンクをしてしまい、修理に出していた。仕方なく、徒歩で家までの十五分ほどの道のりを歩いていたのだ。
肌寒い季節だったので、ロングコートの襟を立てて、鞄をぎゅっと抱え込みながら足早に歩く。家に帰り着くまではできるだけ人通りのある道を選びたかったが、少しでも早く帰りたい気持ちに押され、結局、人影の薄い路地をまっすぐ抜けるルートを選んでしまった。
いつもなら、行き交う車のエンジン音や、住宅街から漏れるテレビの音などが微かに耳に入り、寂しさを感じることはあまりない。しかし、その日は異様なくらい静かだった。遠くで犬が吠える声が聞こえるだけで、風の音までもが不気味な空気をまとっているように感じた。誰もいない細い路地の曲がり角を一つ二つとやり過ごすたびに、「早く家に帰りたい」という焦燥感が大きくなっていく。
気を紛らわせるために、スマートフォンの音楽アプリを立ち上げ、イヤホンを片耳だけ挿して好きな曲をかけた。両耳をふさいでしまうと、周囲の音に気づきにくくなるからだ。曲のテンポに合わせて自然に足が速まる。もう少し、もう少しで家に着く。そう言い聞かせながら、早足で歩いていたとき、後ろで何かが動く気配を感じた。
ふと振り返ると、数メートルほど離れた場所に男性が立っている。暗がりの中で顔ははっきり見えないが、背丈は私よりずっと大きそうだ。すぐに「気のせいだ」とは思えない空気を感じた。そもそも、こんな人気のない路地で他の人間と出くわすこと自体が珍しい。偶然かもしれない――そう考えようとしたが、私の心臓は警鐘を鳴らすようにドクドクと早打ちになっていた。
それとなく歩調をゆるめ、相手の出方をうかがう。すると、その男性も少し速度を落としたのか、距離は変わらない。むしろ私が歩みを早めると、相手も同じように早めるように感じる。意識していなくても、肌で分かる危険な気配。誰かに見張られている、狙われている、そんな恐怖が一気に押し寄せてきた。
「まずい」
そう思ったときには、すぐ先の角を曲がればもう大通りに出る、という場所まで来ていた。そこまで行けば交番があるし、タクシーや人の往来もまだ期待できる。あと少し、もう本当にあと数十メートルでいい。私は心の中で「走るか?」と自問自答した。しかし、走り出したら相手を刺激してしまうかもしれない。とはいえ、歩いていても追いつかれるかもしれない。迷う時間が惜しくて、私は思い切って走り出すことにした。
――ダッ!
小走りから全速力へと加速する。鞄の中身が揺れて大きな音を立てた。かけていたイヤホンが外れて地面に落ちるのが見えたが、拾っている暇などない。そのまま先の角を目指して駆け出す。息が切れそうになるのをこらえ、足だけを動かす。
しかし、その瞬間。後ろから荒い息遣いとともに、男が一気に距離を詰めてくる気配を感じた。やはり、向こうも走ってきたのだ。強く握られた手が私の腕を掴んだ。ほとんど反射的に「やめて!」と叫んだが、男の力は予想以上に強く、私は足を止めざるを得なかった。
低く、威圧的な声が耳元で響く。振り返りたいが、後ろから片腕をつかまれているので体の自由がきかない。心臓が喉元まで飛び出そうなくらいバクバクしている。必死に振りほどこうとするが、男の手はびくともしない。恐怖で声が裏返るのを感じながら、「離して! 離してよ!」と喚く。だが、返事はなかった。
男はそのまま私を路地の脇へと強引に引きずった。そこは街灯の光が届かない、しかも建物の影になってさらに薄暗い場所だった。人気がないどころか、道路から少し奥に入った死角である。もし声を上げたとしても、夜遅くのこの時間では誰かが助けに来てくれる確率は低いだろう。そう思うと、恐怖が身体を凍らせていく。私の声はかすれて出なくなり、必死にもがいているうちに、上着の裾が乱れはじめた。
「やだ……やめて……」
悲鳴でも、叫び声でもない、か細い声しか出てこない。パニックで頭の中が真っ白になりかけたとき、ふと携帯していた鍵の束の存在を思い出した。家の鍵やらロッカーの鍵やらを一緒にしているので、そこそこじゃらじゃらとした塊になっている。普段は気にならなかったその束が、今は唯一手元にある、反撃できるかもしれない「道具」に思えた。
必死に腕を振り回し、何とか鍵束を握っている手を男の顔の方へ向けるように動かす。私の動きに気づいたのか、「大人しくしろ!」という男の声が響いたが、ちょうどその隙に、鍵束が男の頬か耳あたりに当たったようだった。けたたましい金属音が空気を裂き、男は「くそっ」という小さな声を上げて、一瞬だけ腕の力を緩めた。
その一瞬を逃さずに、私は思い切り男の腕を振りほどき、かろうじて身体を路地の奥から引き離すことができた。男の様子を確認する余裕などなく、再び全速力で走り始める。うしろからは「待て!」という怒号が聞こえたが、私はただ必死に足を動かした。角を曲がり、大通りへ抜けたときには、涙と汗で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
――そこで、運良く通りかかったタクシーがいたのだ。
私は手を振って必死に合図を送り、タクシーを止めると、そのまま乗り込んだ。運転手さんは暗い表情をした私を見て事情を察したのか、何も聞かずに「どちらへ?」と声をかけてくれた。声がうまく出ず、震える指先でスマートフォンの地図を見せながらなんとか自宅の住所を伝えると、運転手さんは急いで車を発進させてくれた。
後部座席に身を沈めると、ようやく少しずつ自分の呼吸音がはっきりと耳に入ってくる。無意識に肩で呼吸していたようで、胸は痛いし頭もクラクラしていたが、あの男の手から逃れられた安堵感がどっと押し寄せ、思わず涙が溢れ出した。運転手さんはバックミラー越しに私を気遣うように見ていたが、私は「大丈夫です」と言うのが精一杯だった。
やがてタクシーが自宅付近に差し掛かり、私は近くのコンビニで停めてもらった。家の場所を正確に知られるのが少し怖かったのと、いまは誰にも知られずに静かに落ち着きたかったからだ。お金を支払って車を降り、少し歩いて家の扉を開けると、息を潜めるようにして部屋へ上がり込んだ。玄関のドアを閉めると、電気をつけることも忘れ、床に崩れ落ちてしまった。あの男の荒い呼吸やつかまれた腕の感触が、身体からまったく離れていかない。しばらく泣き声も漏れないまま、膝を抱えて身体を震わせていた。
数分、あるいは数十分が経ったのだろうか。ようやく少しだけ気持ちが落ち着き、リビングの電気をつけた。乱れた服を整え、つかまれた腕に手を当てると、ジンジンと鈍い痛みが残っている。腫れあがるほどではないものの、指の形に沿うように赤くなっていて、その場面がまざまざと思い出される。もし私が鍵束に気づかなかったら、もしあのときタクシーが通りかからなかったら――そんな「もし」ばかりが頭を駆け巡り、恐怖と安堵が混ざった涙が再び溢れた。
数日はまともに眠ることができず、外に出るのも怖くて仕方がなかった。アルバイト先のシフトを変えてもらい、夜遅くまで働かなくてもいいように事情を説明した。上司は心配そうに事情を聞いてくれて、できるだけ早い時間に上がれるように配慮してくれたのが救いだった。
また、両親や親しい友人たちに話すかどうか、正直かなり迷った。打ち明けたところで何かが解決するわけではないだろうし、むしろ心配と混乱を広げてしまうかもしれないと思ったからだ。でも、誰にも話さずに抱え込むには、あの夜の恐怖はあまりにも大きかった。結局、私は親友のひとりに泣きながら打ち明けた。すると、彼女は静かに話を聞いて、「言いにくかっただろうけど、話してくれてありがとう」と言ってくれた。誰かに受け止めてもらえたという安心感は、私の中でわずかに残っていた罪悪感や不安を少しだけ和らげてくれた。
それでも、事件として警察に届けるまでには至らなかった。夜の暗がりで相手の顔をはっきり見ていないし、あのとき身につけていた服だって洗濯してしまった。何より私自身が「もうあんな怖い思い出を思い返したくない」という気持ちが強かった。もし仮に警察に相談したとしても、細かい聴取や再現などでまたあのときの状況を克明に語らねばならず、それに耐えられそうにないと感じたのだ。
それからは夜道を歩くことが極度に怖くなり、できるだけ早い時間に帰宅する努力をするようになった。どうしても夜遅くなるときはタクシーかバスを利用し、経費はかかるが背に腹は代えられない。護身用のアラームやスプレーを鞄に入れることも検討した。用心しすぎだと言われるかもしれないが、あの夜の出来事以来、「自分の身は自分で守らなくては」という意識が強くなったのだ。
たまにあの夜のことを思い出し、「もし鍵束を持っていなかったら?」と考えると、背筋が凍る思いがする。あのとき本当に私は“運がよかった”だけかもしれない。逃げられたからこそ今こうして日常に戻れているが、運が悪ければもっとひどい結末になっていたかもしれない。今でも思い出すだけで手が震えるし、暗い路地を一人で歩くのは怖い。だけど、私にできることは同じ被害に遭わないよう、そしてまわりの人たちにも同じ経験をさせないよう、注意し合うことしかない。
ひとつだけ確かなことは、どんなに気をつけていても事件に巻き込まれるときは巻き込まれてしまう、という残酷な現実だ。それでも、周囲に相談したり、準備をしたり、危険を予感したときに思いきって逃げ出すことは、絶対に無駄ではないと思う。私はあの夜、走り出した自分を後悔していない。むしろ、少しでも「おかしい」と思ったら即座に逃げる。それがどれほど大切か痛感している。無事に逃げられたからこそ、今の生活を続けられているのだ。
あの夜を忘れることはできない。身体に直接の傷は残らなかったものの、心には消えない恐怖が刻まれた。それでも、私は前を向いて生きるしかない。時間が経てば、感情は少しずつ癒えるのかもしれない。けれど、私の中にある警戒心は今後もずっと消えないだろう。あんな思いは二度としたくないし、これからは自分を守るためにできることはすべてやっていく。それが、あの夜に“偶然”助かった私だからこそ出せる答えなのだと思う。
続き
兄として
夜、今日の夕飯は外で済ませたものの、家に帰ると咲がリビングのテーブルで宿題を広げていた。どうやら英語の長文読解がうまくいかないらしい。
「ねえ、あんた。帰ってくるの遅い」
妙な言いがかりだ。事前に遅くなるとメモをくれたのは咲自身なのに。
「そうだけど。…いつもより遅い気がしただけ」
まるで僕が何か悪いことをしていたかのような口調だが、心配してくれてるんだろうと勝手に解釈しておく。
「英語、わかんないんだろ? 手伝おうか?」
「いらない。どうせあんたでも正解わかんないし」
「またまた、そんなツンケンして。じゃあちょっとだけ見せてみろよ。もし僕にもわかんなかったら、一緒に解説書を読もう」
「……別に、いいよ」
一応は了承してくれたらしい。咲はツンとした顔で長文読解のプリントを差し出す。僕は椅子を彼女の隣にずらして、問題を一緒に眺め始めた。
「ここの単語の意味さえ把握してれば、あとは前後の文脈で答えがわかるかも」
「うーん…」
咲も真剣になって考えている。こんな風に妹と同じ机を囲んで勉強するのは、かなり久しぶりだ。小学生のころまでは一緒に漢字ドリルをやったりしていたけれど、中学生になってからはほとんどこういう時間はなかった気がする。
なんだかんだで一時間近く、僕らは問題と格闘した。咲の目がしょぼしょぼしてきたので、「今日はここまでにしようか」と僕が提案すると、彼女は素直にプリントを閉じた。
「それはよかった。お役に立てて光栄です」
「…ふん」
一瞬だけ、咲が目を合わせて笑う。ほんの少しだったけれど、確かに笑顔が見えたのだ。
“ツンデレ妹”とのすれ違い?
翌週の月曜日、ちょっとした事件が起きた。僕が風邪をひいて学校を休んだのだ。朝、熱を測ったら三十八度近くあったので、母が無理せず休むようにと布団で寝かせてくれた。
咲は「学校は休まないけど、あんたうるさいし家にいるの嫌なんだよね」と言い放ちつつ、「保険証はここにあるから病院行きたくなったら行きなよ」とテーブルに置いていった。ツンデレ感全開だが、まあ気遣ってはくれている。
ところが昼前、微熱に下がってきたのでそろそろ大丈夫かとスマホを見ていると、咲からLINEが届いた。
「調子どう? 熱は? 買い物して帰るから必要なものがあれば言って」
短い文章ながら、妹がわざわざ学校からこんな連絡をするなんてなかなかない。僕は「だいぶ良くなったから何もいらないよ」と返した。するとすぐに既読がつき、「わかった。ゆっくり寝てて」という返信が。
一言ずつに愛想のない文字ばかりなのに、その中にしっかり優しさがあるような気がする。いや、確実に優しい。
ところが、その日の夕方、咲は中途半端な怒りを抱えて帰宅した。
「なんで電話出なかったの?」
「え? 気づかなかったけど…」
「昼休みにかけたんだけど。もしかしたら倒れてるかもって思ったのに!」
考えてみれば、僕がスマホを確認したのはLINEの通知のみ。電話の着信は見逃していたらしい。
咲は顔を赤くして、「あんたが心配で仕方なかったわけじゃないからね」とか言いながら、早足で自分の部屋に引っ込んでしまった。それでも「スープ用に野菜買ってきたから食べたいなら言えよ!」とドア越しに怒鳴っているのだから、やっぱり気遣いがにじみ出ている。
知られざる妹の心理
夜、少し体調が回復した僕は、リビングでぼうっとテレビを観ていた。母は遅番の仕事らしく、家には咲と僕の二人。しばらくすると、咲がこちらへ顔を出す。手には何やら小鍋を持っていた。
「食べる?」
妹が作ったと思しきスープ。湯気がほんのり漂い、鼻をくすぐるいい香りがする。
「いいの? わざわざ作ったのか?」
「冷蔵庫に野菜が余ってたからね。あんたが風邪引いてるのに放っておくと、治りが遅くてまたうるさいから」
「…ありがとう」
と、そっけなく言いつつもテーブルに小鍋を置き、スープ皿にきれいによそってくれる。味も美味しく、僕は思わず「うまい!」と声を上げた。すると咲は、そっぽを向きながら少し嬉しそうに口元を緩ませる。
「そ、そりゃまあ、いちおうネットのレシピくらいは調べたから」
それでも照れくさいのか、すぐにリビングを出ようとする。
「待って、俺に何か手伝えることある?」
「は? …いらない。あんたはさっさと食べてさっさと寝て。無理してぶり返したら迷惑だから」
彼女なりのやさしさというのは、なかなかストレートに受け取りにくい。でも、それがツンデレ妹の魅力といえばそうなのかもしれない。
兄としての悩みと期待
正直、彼女のツンデレ対応に翻弄される日々は疲れなくもない。けれど、妹がどうやら僕のことをちゃんと気にかけてくれているのは、なんだかんだで嬉しい。
ただ、ひとつ気になることがある。咲は僕とふたりでいるときは少しだけ甘えてくるような雰囲気になるときがあるが、家族や友達がいるときは徹底して素っ気ない。まるで僕と二人きりになるまで“ツン”を貫き通し、“デレ”の面を一切見せないのだ。
もしかしたら「兄と仲良し」というのを周囲に知られるのが恥ずかしいのかもしれない。年頃の女の子にはありがちな話だし、それは仕方ない。けれど一方で、妹としてちゃんと頼りにされている兄になりたいという思いも少しある。
そんなある日、咲がヘアアクセサリーを探していて慌てていたことがあった。デパートで買ったお気に入りのシュシュが見当たらないらしい。
普段はツンツンしているくせに、「あんた、私のシュシュ知らない?」と部屋を覗いてくる。僕は「いや見てないよ。もしかして洗濯物と一緒に紛れてるんじゃない?」と提案してみた。
「え、それどこにあるかわからない」
咲は少しもじもじしながら、「一緒に探してくれない?」と恥ずかしそうにお願いしてきた。
「…うん」
咲は滅多に「お願いする」「手伝ってもらう」といったことを言わない性格だ。僕は少し驚きつつも一緒に洗面所を探し、ラックやバスケットの中を確認した。すると奥底に埋もれていたそのシュシュを発見することができた。
「あった、これ?」
「そう、それ。よかった…ありがとう。まあ別にあんたがいなくても見つかっただろうけど」
「それでも、手伝えたならよかったよ」
「…うん、ありがとね」
咲は小さくお礼を言い、そのまま洗面所を出ようとする。照れてしまったのかもしれない。僕はすぐ後を追いかけて、「咲、よかったら次は一緒に買い物でも行こう。シュシュがなくなるほどお気に入りなら、予備を買っておくのもいいんじゃない?」と声をかけてみる。
「はあ? どうして私があんたと買い物に…いや、行かないわけじゃないけど、別にあんたと行きたいわけじゃないんだから」
「どっちだよ」
「うるさい。まあ予定が合えば、考えとく」
ツンデレの中に「嫌じゃない」という気持ちが混ざっているのが、もう手に取るようにわかる。何度も繰り返しになるが、妹のそういうところがなんだか愛おしくもあるのだ。
千切れかかった薄曇りの空の下、木造の古いアパートの部屋で、川端賢介(かわばた・けんすけ)は頭を抱えていた。狭い部屋の隅には紙くずが散らばり、机の上にはペットボトルとカップ麺の空容器が乱雑に転がっている。アルバイトのシフトを週に四回こなすだけでも精一杯で、残りの日は家に引きこもって何もしない。部屋のカーテンは閉め切られ、部屋の中はやや薄暗い。壁の向こうからは近所の子供が走り回る音や、誰かがテレビを大音量でつけている様子が聞こえてくる。その些細な音ですら、賢介には自分の存在を嘲笑する響きに思えてくる。
かつては夢があった。大学に入った当初は、弁護士になりたいと思ったのだ。しかし理想と現実のギャップにすぐ打ちのめされ、受験勉強も中途半端なまま途中退学。就職活動もうまく行かず、今のアルバイト暮らしをしている。自分が「社会の落ちこぼれ」になってしまったことは認めざるを得ない。一方で、大学時代に同じサークルで出会った女性がいる。彼女の名は比嘉優里子(ひが・ゆりこ)。彼女はサークルの中でもリーダー的存在で、いつも自信に満ち溢れ、まるで何でも手に入れることができるかのようなオーラを放っていた。
優里子は、その明るい性格と優れたコミュニケーション能力を武器に、大企業の総合職に入社し、今や順調にキャリアを積んでいるらしい。SNSを覗くと、華やかなパーティーに参加したり、出張で海外を飛び回ったりしている写真がいくつも投稿されている。彼女の姿を見るたびに、賢介は胸の奥に黒い感情が渦巻くのを感じていた。「なんで俺ばかり……」という思いが、日に日に大きくなっていく。かつてサークルでほんの少し仲良くなった時期があったため、彼女の成功が余計に妬ましく思えた。
そんな折、ひょんなことから賢介は、SNSに投稿された優里子の写真を見て、あることを思い出した。大学2年の頃、サークルの新人歓迎会で二次会のカラオケにみんなが行くときに、なぜか自分だけが「ごめんね、席もう埋まっちゃったみたい」と断られたことがあった。当時は「仕方ないか」と思っていたが、あのとき中心になっていたのが優里子だった。後日、別のメンバーから「あのとき、優里子が“あの人いると空気が重くなるから外していい?”って言ってたよ」と、笑い話のように聞かされた。そのときは、ただ恥ずかしさと悔しさで頭が真っ白になり、「そうなんだ」と笑って流すしかなかった。その記憶が、今になって鮮明に蘇る。
――人の心を踏みにじり、自分の快楽や満足のためだけに周囲を利用している。
――だけど表面上は、誰にでも優しく礼儀正しく接する。だから多くの人が騙される。
自分もその一人だったのかもしれない。無邪気に笑う彼女の姿が、いつの間にか脳裏で黒く塗り替えられていく。嫌悪感と羨望、そして劣等感が入り混じったやるせない感情。それが「復讐」という形で凝縮されていくまで、そう時間はかからなかった。
その日もいつものようにアルバイトのシフトを終え、コンビニで半額弁当と缶チューハイを買って帰宅した賢介は、スマートフォンの画面に映る優里子のSNSを眺めながらひとり考え込んでいた。
「どうやって復讐すればいい……?」
彼女に危害を加えるなど現実的には難しいし、そもそも暴力を振るう勇気すらない。だが、何らかの方法で“彼女から大切なものを奪う”ことができないか。彼女に対して「仕返し」をする手段はないだろうか。
そのとき、ある記事が目に入った。ある企業のSNS炎上に関するニュースだった。社員のプライベートな発言が切り取られ、誹謗中傷が集中して、当事者が退職に追い込まれたという事件。SNSを使えば、世論を簡単に操作できる。もし優里子のスキャンダルを世に広めることができれば……と、賢介は思いついた。
しかし、彼女のスキャンダルなど何も知らない。そもそも本当に「悪いこと」をしている保証もない。しかし、賢介にはひとつだけ心当たりがあった。大学3年の頃、仲の良かった友人から、あの優里子がゼミの教授と不倫関係にあるらしいという噂を聞いたのだ。証拠もない、ただの噂話だった。だがもしそれを“事実”としてでっちあげることができたら……。
その日は深夜まで、賢介はインターネット上での炎上事例やフェイクニュース、SNSの拡散の手法などを徹底的に調べ上げた。何度も缶チューハイを口に運びながら、脳内で“彼女を社会的に抹殺する”シナリオを組み立てていく。いつしか空が白み始め、鳥のさえずりが聞こえるころになってようやく、賢介は“準備”を整える決心をした。
翌週、賢介はまず複数のSNSアカウントを作成した。男でも女でもない、あるいはビジネスマンを装ったり、女性OLを装ったり、学生を装ったりと、プロフィールを細かく設定した。次に、大学時代のサークルやゼミの仲間をフォローし、タイムラインに溶け込めるように少しずつ発言を増やしていった。彼らがシェアしている記事に対してコメントを残したり、ニュースや流行りのトピックに無難な意見を書き込んだり。
一方で、別のSNSでは大学の裏アカウントを探し回った。そこには学生時代のうわさ話や、卒業後の同窓会の噂などが色々と書き込まれていた。優里子のフルネームで検索すれば、過去に撮られた写真や些細な情報が断片的に出てくる。その断片を拾い集め、賢介は少しずつ“フェイクの積み木”を組み上げていった。
そしてタイミングを見計らって、複数のアカウントから「あの優里子って、大学時代に教授と不倫して単位もらってたって噂あったの知ってる?」と囁くように書き込み始めた。直接的な断定は避け、「らしいよ」「誰かが言ってた」「本当かは知らないけど」という曖昧な言い回しで、火種をポツリポツリと落としていく。最初は誰も相手にしなかったが、何度か同じような書き込みが異なるアカウントから行われるうちに、少しずつ噂が広がり始めた。
さらに、賢介は裏アカウントを使って、まるで「元ゼミ生」を名乗る人物が優里子と教授の決定的な写真を持っているかのようにほのめかした。もちろん実際にはそんな写真など存在しない。しかし曖昧な文章で「以前、優里子さんが教授とふたりで深夜に研究室を出てきたところを見た」という“目撃情報”を投稿したり、他のアカウントから「そういえば卒業旅行をキャンセルしてたのは、教授と旅行に行ったとか?」とコメントをつけたりして、複数の証言があるように見せかけるのだ。
噂というのは恐ろしいもので、火種を絶やさない限り、どこかで燃え広がる。次第に、フォローの数が少ない裏アカウントでも、その書き込みを目にした人がリツイートやスクリーンショットで拡散していく。やがては大学のOB・OGグループにも届き、少しずつ「あの優秀な比嘉優里子が、実は……?」という疑惑が生まれていった。
数週間後、賢介は満足感に浸りながら、アパートの部屋でSNSのタイムラインを追っていた。匿名掲示板でも「比嘉優里子は不倫で単位を取った最低女」というスレッドが立ち、心ない言葉が書き連ねられている。その勢いはとどまるところを知らず、“噂が噂を呼ぶ”状態が加速していた。
「ざまあみろ……」
内心でほくそ笑んだ。かつてパーティーでもSNS上でも脚光を浴びていた彼女が、今や不名誉な噂の的になっている。それは賢介にとって、大学時代に味わった屈辱を晴らすささやかな“仕返し”だった。優里子の正義感あふれる投稿に、「説得力ゼロ」「偽善者」「自分のことは棚に上げて」などとコメントがつく様を見て、賢介は自分が強くなったような錯覚を覚える。
しかし、いくら噂が拡散しても、実害がなければ彼女は痛くも痒くもないだろう。気の強い彼女なら、「そんなデマに動じないわ」と宣言し、むしろ毅然と反論するかもしれない。実際、優里子のSNSアカウントはしばらく更新が止まっていたが、新しい投稿が上がったときには、たくさんの応援コメントも寄せられていた。結局、噂に踊らされず彼女を信じるファンも多かったのだ。
「このままじゃ、まだ足りない……」
賢介は次なる一手を考え始める。実害――たとえば、会社での信用や顧客との関係に亀裂が入るように仕向ければ、彼女のキャリアは深刻な痛手を負うだろう。そこまでやるのかと自問しながらも、頭の中には「どうせやるなら徹底的に」という声が沸き上がっていた。
それからというもの、賢介は優里子の会社名を調べ上げ、その会社の名前とともに「以前、不倫スキャンダルが噂されていた社員がいる」という書き込みを、ビジネス系SNSや就職活動系の掲示板に投下した。もちろん優里子の名前は直接出さない。あくまで「ヒント」をばらまき、興味を持った人たちが「調べてみよう」と思うように誘導する。
さらに巧妙なのは、賢介がわざと別の人物を示唆するようなフェイク情報も織り交ぜたことだった。「〇〇商事の女性社員でM・Hという人だ」など、デタラメな名前をいくつか挙げる。その後になって「あれは誤情報らしい。本当は比嘉優里子という社員」という流れを作ることで、最初にあった偽情報が訂正される形になり、逆に“本当の情報”だという信頼感を高めるのだ。
噂はSNSからまとめサイトへ、まとめサイトから大手ニュース風の匿名ブログへと伝播していく。その過程で誇張や憶測が混ざり、いつの間にか「社内不倫で昇進している」「上層部を篭絡した悪女」などと書き立てられていた。もはや当初の大学教授との噂すら混線し、「彼女は昔から男を利用してのし上がってきた」という筋書きまで付け足されている。
賢介はその様子を見届けながら、もはや半ば狂喜に近い感情を抱いていた。自分の言葉が誰かを巻き込み、誰かがそれを信じ、さらに多くの人に伝えている。“弱者”だった自分が、こうして“強者”に打撃を与えられるという実感。それが彼の孤独な心を満たす唯一の悦びになっていた。
やがて、SNS上では優里子を名指しする投稿が急激に増え始める。誹謗中傷のコメントが飛び交い、会社にも問い合わせが相次ぐようになったらしい。それを示すように、優里子の個人アカウントには「会社に電話したけど?」「逃げんなよ」「暴露してやるからな」といった執拗なメッセージが送りつけられていた。賢介は「ここまで来たか」と、どこか他人事のように画面を見つめる。
するとある日、優里子のSNSアカウントが非公開になった。続いて、彼女の友人たちが「優里子が精神的に追い詰められてるらしい」「病院に行った方がいいかもしれない」と心配する投稿をしているのを発見した。ここで初めて、賢介は自分がやっていることの重大さを痛感した。もはや噂を広めるとかいうレベルではなく、ひとりの人生を破壊する行為に手を染めているのだ、と。
しかし同時に、賢介の心の奥には「彼女が苦しんでいる」という事実への暗い快感が芽生えていた。「俺があの強気な彼女を追い詰めているんだ」という優越感が、胸の中をぐつぐつと煮え立たせる。
――俺にだって、これくらいの力があるんだ。
――ずっと惨めだったけど、今は違う。俺の言葉ひとつで、あいつは奈落に落ちていくんだ。
ある晩、賢介がいつものようにネットの反応をチェックしていると、見覚えのある名前を見つけた。大学時代に同じサークルだった友人・小峰だ。小峰はSNS上で「これはさすがに酷い。優里子に直接連絡を取って確認したけど、全部事実無根らしい。彼女は名誉毀損で訴えることを検討している」とコメントしていた。
名誉毀損――訴えられたらどうなるのだろうか。賢介の背筋に冷たいものが走る。自分がやってきたことは当然、罪に問われる可能性がある。しかし同時に、「誰がやったか特定できるはずがない」という妙な自信もあった。複数のアカウントを使い分け、匿名で投稿してきたのだ。しかも、あくまで「らしいよ」とか「噂だよ」と書いたにすぎない。そこまで簡単には追跡できないだろう、と。
しかし、万が一ということもある。さらに、優里子が法的手段に出るとなれば、彼女の上司や会社も本気で調査に乗り出すかもしれない。「疑わしきアカウント」に対して情報開示請求がなされれば、IPアドレスから身元が割り出されることもありうる。
賢介は不安に駆られながらも、嘘だろう、そんなの上手くやり過ごせる――と自分に言い聞かせた。だが、なぜかスマートフォンを握る手が震えた。こんな気持ちは初めてだった。いつもならアルコールを摂取すれば薄れる不安が、今回ばかりは煽られて大きくなるばかりだ。
数日後、小峰から「久しぶりに話したいことがある」というメッセージが来た。学生時代はそこそこ仲が良かったが、卒業後はほとんど交流がなかった相手だ。どうやら、賢介が今どこで何をしているかは、小峰のほうも把握していないらしい。
「このタイミングで俺に連絡してくるってことは、もしかして……」
不安と警戒を抱えつつも、賢介は小峰の誘いに応じ、駅前の喫茶店で会うことにした。平日の昼間だったため、人影はまばらだった。カフェの奥の席につき、ぎこちない様子で向かい合う二人。
小峰は当初、大学時代の思い出話をするふりをしながら、少しずつ近況に話を移していった。どうやら彼は一般企業で働きながら、サークルのOB会などを取りまとめる役をしているらしい。しばらく雑談が続いた後、小峰は急に真顔になって切り出した。
「優里子の件、知ってるか?」
「……ああ、SNSで色々言われてるみたいだな」
「正直、今までもちょっとした誹謗中傷なんかはあったけど、今回のはあまりにも悪質なんだ。で、優里子が精神的に参ってる。裁判も視野に入れて動き始めてるんだよ」
そう言いながら、小峰はじっと賢介の目を見つめる。まるで「お前がやってることだろう?」と問い詰めるように。だが小峰はそれ以上は何も言わず、ただ「何か心当たりはないか?」と探るように続けた。
賢介は動揺を抑えつつ、わざと素っ気なく答えた。
「いや、俺は知らないな。そもそも優里子に昔からいい感情ないし、SNSもほとんど見てないし……。そんな嫌がらせみたいなこと、わざわざやる動機もないよ」
自分で言っていて、嘘臭さを感じた。しかし、小峰はそれ以上深追いしなかった。ただ、「そうか、もし知ってることがあったら教えてほしい。俺は、誤解や嘘で人が傷つくのは嫌だからさ」と言って、曖昧に微笑んだだけだった。
小峰と別れたあと、賢介は駅前のコンコースをぶらぶらと歩きながら、頭の中で考えを巡らせる。小峰がわざわざ自分に接触してきたのは、やはり“犯人”を探っているからではないか。しかし決定的な証拠がなければ、自分を追及することはできないだろう。そう思う一方で、不安は拭えない。
「このまま、俺は逃げられるんだろうか……」
後ろめたさと、復讐を達成するために奔走してきた興奮が入り混じり、心が不安定になっていく。
結局、賢介はその夜からパソコンを開いても、優里子関連の情報収集や書き込みをする気が起きなかった。代わりにアルバイトを休んで酒量が増え、明け方まで起きては昼間に寝るという、ますます不健康な生活に陥っていく。何もかもが嫌になった。自分でも止められないままここまで来てしまったが、“復讐”という言葉は、もはや虚ろに響くだけだった。
するとある日、いつもどおりアパートの狭い部屋にこもって缶ビールをあおっていると、スマートフォンが鳴った。画面には「小峰」の文字。嫌な予感がしたが、出ないわけにもいかない。
「もしもし……」
「俺だ。突然で悪いんだけど、優里子が入院した。心が限界だったらしい。……正直、原因を作った奴が許せない」
小峰の声は怒りで震えていた。賢介は何も言えずに黙り込む。
「でな、俺はこのままじゃ黙ってられないと思うんだ。警察に相談して、サイバー犯罪対策なんかも含めて捜査を依頼しようって話が出てる。会社も動いてるらしいから、情報開示請求なんかも時間の問題だろう」
脳がぐらぐら揺れるような感覚とともに、賢介は息が詰まりそうになった。ついに、もう逃げられなくなる。そう思った瞬間、彼は全身の力が抜けて床にへたり込んだ。
「……そうか」
それだけ呟くと、小峰は最後に低い声で「もし、何か知ってるなら、今のうちにやめておけ」とだけ言って電話を切った。
やめておけ――もう、やり続けること自体が無理だ。もはや罪悪感が勝っていて、賢介はこれ以上フェイクを撒くこともできなかった。だが、今さら何をどうすればいい? 彼女に直接謝って許しを乞う? そんなことをしても彼女はますます憎むだけだろう。
翌朝、賢介は警察からではなく、思いがけない相手から連絡を受けた。なんと、優里子本人からのメッセージだった。非公開になっていたSNSのアカウントから、突然「直接会って話したい」という短文が送られてきたのである。
「……どういうことだ……?」
半信半疑のまま、賢介は指定された場所――大学近くの駅前のカフェへ向かった。指定された時刻は夜の8時過ぎ。混雑する時間帯を外したのか、店内には数組の客しかいない。
席に着いてしばらくすると、店の入口から見覚えのある女性が姿を現した。比嘉優里子――かつてのサークル仲間で、今や“噂”の被害者。その顔には明らかに疲労の色がにじみ、かつての凛とした雰囲気は薄れていた。
「……久しぶり」
少しかすれた声で言う。賢介はどう反応すればいいか分からず、黙って会釈した。二人がテーブルを挟んで向かい合う。彼女は沈黙を破るようにゆっくりと口を開いた。
「私も気づいてた。あの噂、あなたがやってるんじゃないかって」
「……どうして」
「大学のとき、あまり話したことはなかったけど、あなたが私に抱いてた感情は分かってた。私のことをよく思ってなかったのは感じてた。今になって急にこんな悪質な噂が広がって、あのサークル関係の裏アカや書き込みを見ると、文章の癖とか表現が、なんとなくあなたに似てる気がして……。確信まではいかないけど、ね」
賢介は言葉を失った。彼女がここまで鋭く察していたとは思わなかった。冷静に考えれば、自分しか知らないような細かいエピソードが混ざっていたのだから、勘づかれても不思議ではない。
「……申し訳ない」
それ以外、言葉が出てこない。どんな理屈も通用しない。ただ自分が虚勢を張り、彼女を傷つけようと目論んだ事実は消えないのだから。
「一つ聞かせて欲しいの。どうしてここま
・緊急入院のせいで前々から楽しみにしていたアーティストのライブを断念
・彼氏がEDになる
・1年前から予定していた手術(前記とは別)が諸事情により中止。延期になるも1年以上予約待ちで絶望
・デートで乗った手漕ぎボートのオールが池の真ん中で真っ二つに折れる
・新年早々有名な神社で祈祷してもらった御神酒の瓶が割れてお札とか全部だめになった ←New
ライブは半年以上前に奮発して2万円ぐらいするチケットを買ってウッキウキで準備しており、また高齢アーティストのため来日するのもこれが最後っぽかったので本当に残念。
チケットはもったいないので暇そうな友人に譲って観てきてもらった。
予定していた手術の中断・延期が一番ツラく、今もこのことで毎日落ち込んでおり立ち直れていない。
手術の準備に2年かけ、やっとゴーサインが出たと思ったら1年の順番待ち。待ちに待ってようやくこの日が来た!と思ったら手術当日にアナフィラキシーショックを起こして死にかけた。
手術台の上でふと目が覚めて、「手術できませんでした」と言われた時のあの瞬間がトラウマ。
仕切り直しで次回の手術を予約するもまたまた順番待ちで1年以上先になると言われた。病院のルールで優先はできないそうだ。
後遺症は無かったものの、原因究明するのに色んな病院たらいまわしにされたり医者の説明や対応が不十分だったりと、体も精神もボロボロに疲れた。
社会人なので仕事の予定調整はもちろん、病院通いのせいで大事に取っておいた有給休暇の日数がみるみる減っていくのもツライ。もちろんお金も。
心に余裕がないので、数少ない友達との連絡もここ数か月とってない。
そんで今年こそは何もありませんように・・!と張り切って神様にお願いしてみたのだが、帰りに寄った駅ビルのトイレで神社からもらった紙袋を落としてしまった。
落としたと言っても自分の脛ぐらいの高さからで、垂直に落としたので大丈夫だろうと思ったら箱に入った御神酒(清酒?)の瓶が割れたらしく、みるみるうちにすべてが酒浸しになってしまった。
もう泣く元気もなくてフラフラの足取りで帰宅。あんまり信じてないけど、こんなことばかり続くとなんか憑いてるんじゃないかと思ってしまう。
今年はもう何もせず、ひっそりと息をひそめるように生きるしかない。
2年前、当時30歳ニートだった俺は長年のニート生活から脱却すべくバイトを始めることにした。
年齢的に落ちるかと思ったから意外だった。
面接ではできうる限りの笑顔で応じたから好印象だったのかも! と少し嬉しかった。
俺は今までバイトすらしたことがなく、これが生まれて初めての仕事となる。
もちろん緊張はしたが、それ以上に俺は期待に胸を膨らませていた。
俺は当時、社会復帰に向けて、温かみのある人間関係のある職場を求めていた。
この居酒屋は客として何度か利用したことがあり店の雰囲気は把握していた。
従業員は大学生などの若年層中心だが、みんな仲が良さそうで、忙しいながらもアットホームな雰囲気で働いていた。
だから、「俺もああいう和気あいあいとした輪の中に入れたら楽しいだろうな」と年甲斐もなく期待していたのだった。
支給された仕事着に着替えると、社員に連れられ仕事場に入った。
初日だから自己紹介でもするのかと思ってやや緊張していたのだが、他のバイト達と言葉を交わす機会はなく、すぐに仕事は始まった。
まるで初めから俺がそこにいたかのようで、軽いカルチャーショックを受けた。
俺はホール担当で、主に料理提供、空いたテーブルの食器下げが仕事だった。
居酒屋なだけあってかなり忙しく、手を休める暇もなく動き回ったが、覚えること自体はシンプルで、覚えてしまえばこの忙しさがむしろ心地よく感じた。
客の賑やかな声とせわしなく動き回る若いバイト達の瑞々しい姿。
そして今、自分は客ではなく従業員としてこの場に能動的に参画している。
それは長年ニートだった俺にとって誇らしいことだった。
あぁ、働くっていいなぁと思った。
初日の勤務が終わった。
社員と一緒にバックヤードに戻ると、中には2人のバイトがいた。
ついに自己紹介タイムがあるのかな、と思ったのだが、社員は特にそのような時間を設けることもなく、「じゃ、お疲れ様でした」と淡泊だった。
このまま一言もなく帰るのはあまりにも寂しいと思い、俺はバックヤードで談笑していた2人に挨拶した。
すると大学生と思われる2人の女の子はニコリと微笑みながらそれぞれ自分の名前を名乗ってくれた。
俺は彼女らと話しながら、「30歳ニートだけど、普通に若い女の子と会話できてる! 俺、やるじゃん!」なんて浮かれていた。
初日から休む間もなく動き回り身体は大分疲れていたが、初めての仕事の充実感と若い女の子と雑談した高揚感に包まれながら俺は帰宅した。
仕事は忙しい飲食なだけあって「現場で覚えろ」というのが職場のスタンスで、もちろんまだ分からないことも多く社員やバイトにその都度聞いていたものの、即戦力として早くも現場に貢献した。
仕事に慣れてくると余裕が出てくるのでちょっとしたタイミングで他のバイトの子と軽く会話をすることもあった。
こんな感じで少しずつ他のバイトの子達ともコミュニケーションを取っていった。
ある日には、締め作業が終わり、暇になったからかこの日初めて仕事が一緒になった大学生の女の子から話しかけられもした。
なんのことはない、当たり障りのない雑談だったが、向こうから声を掛けてくれたのが嬉しかった。
「俺、案外女子ウケがいいのかも?」 などと思ったりもした。
しかし、順調だったのは最初の1カ月で、2カ月目から陰りが見えてきた。
1カ月も過ぎると仕事はもうほぼ滞りなく行えるようになり、社員や他のバイトの子に分からないことを聞くこともほとんどなくなっていた。
この1カ月、女子や新入りのバイトとはまずまず良好な関係を築けていたのだが、「男子大学生の集団」との折り合いが良くなかった。
彼らは結束力が強く、それゆえ発言力もある、バイトの主力部隊だった。
彼らの士気が高いか低いかによってその日、その時間の現場のパフォーマンスが変わると言われるくらいだった。
実質的に、この男子大学生達が現場を回していたといっても過言ではない。
それは彼らの排他性にあった。
今も昔も「群れる男子大学生」には共通の特徴なのかもしれないが、彼らは「ウチとソト」をはっきりと区別する傾向にあった。
つまり、「仲間かそうでないか」によって態度を大きく変えていた。
多分、彼らは大学や地元が同じだったりと、何らかの共通点があり繋がっていたのだと思う。
逆に言えばそれ以外の人たちとはあまり関わろうとはしなかった。
もちろん俺も例外ではなく、男子大学生達からはほとんど無視されていた。
仕事中は必要上、会話はしたが、余裕のある時間帯やバックヤードなどではほとんど関わりがなかった。
俺としては女子や新入りだけでなく、バイトの主力部隊である男子大学生達とも仲良くしておきたかったから、最初はこちらから友好的に声を掛けた。
しかし、彼らは驚くほどそっけなかった。
挨拶をしてもロクに返さないし、こっちが敬語を使って丁寧に話しているのに、ぶっきらぼうなタメ口。
これは何も俺に対してだけというわけではなく、バックボーンを共有していない新入りに対してはみんなそうらしい(たとえば同世代でもフリーターは仲間に入れないなど)。
俺は男子大学生達のそうした排他性に少しずつストレスを溜めていた。
極めつけは、ある日の締め作業でのこと。
男子大学生二人が「……あれはあいつにやらせとけ」と話しているのが聞こえたのだが、その直後にそのうちの一人から「〇〇作業、よろしく」と言われたのである。
その会話、聞こえてるし。
なんなんだコイツら、と思った。
俺は温かみのある人間関係があると思ってこの居酒屋でバイトを始めたのに、蓋を開けてみたらハブられて舐められながら面倒な仕事を押し付けられる日々。
確かに一部の女子や新入りとはたまに雑談するくらいの関係性は作れたが、それ以上に男子大学生達へのヘイト感情が高まり過ぎて我慢の限界を迎えた。
こうして俺は、3カ月でバイトを辞めた。
俺より少し前に入った新入りのフリーター(大学生達と同世代)は、「ここは高校生は良い子ばかりだけど大学生はうるさい」と愚痴っていたから、当人たち以外からは疎ましく思われていたのだろう。
「大学生達の結束が強い」という社員の発言は、裏を返せば「大学生以外は排除される」ということだ。
それでもしっかり現場が回っていれば店としてはいいのかもしれないが、どうもそういうわけでもないらしい。
男子大学生達はサボるわ勝手にキッチンで料理作って金払わず喰うわで店長からも悪評だという。
飲食バイトは声のデカい男子大学生が幅を利かせているし、万年人手不足だからやめといたほうがいい。