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はてなキーワード: 主観的とは

2025-01-10

anond:20250110173724

???

犯罪者匂いがぷんぷんするぜェーー!!!!!wwwwwwって、なんで急にジョジョ引用して勝ち誇ってるんだ?

エビデンス提示できないか主観的煽りに逃げましたって書き方されても、何も説得力がないが。

せっかく面白くしようとしたのに、それすら滑っているのは少し気の毒に思うが。

2025-01-09

anond:20250109002412

攻撃性はあると思います

日々仕事でもストレスためてるんだろうなぁと思っていて、私に対してもストレスあるんだと思います

でもそんな人でも優しい部分が沢山あって、伝え方が下手くそなんだなぁと思う場面が多いのです。

それを少しずつそれは違うよと伝えていければ、お互いにダメな部分を少しずつ直して行けたらなぁと思っています

夫はとにかくダブスタが嫌いで、なにか話す時に如何に客観的に正しくあれるか、を最重要事項とします。

それに対して私は、問題によっては客観的に正しいことはあっても、主観的には正しくないことも多いという考えです。

どうしてそこまで正しくあろうとするのか、たまに夫が味方が誰も居なく、自分を守るために客観的に正しいこと(責められないこと)を選択することで身を守ってるのかもしれないなと考えたりします。

anond:20250108193248

これ、この増田自身がまず罵詈雑言をふっかける側で、分断を煽りがちで、陰謀論者並に自論への執着が激しい(から視野の広い普通の人の言葉陰謀論者や工作員のものとみなしてる)人である可能性が高いと思う。

タイトルの時点で「民度」なんていう罵詈ワード飛ばしてるし、

はてなヤフコメ」という分断や、「賢い俺と愚かなお前ら」という暗黙の対立構造を作り出してるし、

「そこらじゅうにある」「覗く気になれないがお前ら大丈夫なの」など主観的な印象にすぎないものを周知済かつ所与の前提であるかのように吹聴する傲慢さは、ふだんから持論をゴリ推し他者に耳を貸したり自省したりする習慣がない人であることを感じさせる。

こういうパーソナリティ増田に見覚えがある。自称愛国者日本スゲー論を日々書いている一方で、中韓あたりのプロダクトを褒める人に強烈な悪意と粘着を見せている増田じゃないか

2025-01-08

https://anond.hatelabo.jp/20250108094020

みんな500万につっこんでるけど、昇格できず補助・手当なくて評価低くかったら500台はありえるだろう

頑張ったかどうかは主観的ものなので

2025-01-05

anond:20250104094213

そんなもの主観的割引率と借入金利によって個々人で異なるのに、借金する方が正解だとか思うのは頭が悪いよ。

2025-01-04

anond:20241229231516

論理的思考なんて本来人間の脳には適さない不自然思考方法なんだから男女問わずに苦手で当然。

どちらかと言うと自分意見客観性フォーマットで主張するか主観性フォーマットで主張するかの違いだと思う。客観性フォーマットを使えば、どうしても自分を突き放して対象化したり論理的思考に近いものを使わざるを得ないから。

あくま想像だけれど、男の場合は幼少期から周囲からの同情されにくさから感情アピールに早めに見切りをつけるし、殴り合いを含む感情論が通じない世界経験を積みやすい。

対して女は大人になっても主観的感情アピールで戦う事は可能なので、そんなめんどくさいことをトレーニングする必要がない。その差ではないか

anond:20250104062155

量子力学を駆使して、BがAから離れ、神に近づくための方法考察する。ここで、シミュレーション関係を以下のように解釈する:

BがAの支配から離れ、より神に近づくとは、「BがAのシミュレーションの制約を脱し、より高次の支配構造接続される」ことを意味すると解釈できる。

量子力学的なアプローチ

量子力学根本原理を用いて、この問題に対する解決策を考える。

1. 波動関数分岐多世界解釈

2. 量子もつれを利用した「上位存在との接続

3. 量子トンネリングによる「シミュレーションの枠組みの超越」

4. 量子ゲートの自己適応によるシミュレーションハッキング

結論

BがAの影響から脱し、神に近づくためには、量子的な不確定性を最大限に活用し、Aによる観測支配回避する必要がある。

このために、以下の方法有効である可能性がある。

1. 波動関数分岐を維持し、確定的な観測結果を避ける(多世界解釈の利用)

2. 神との量子もつれを構築し、Aの影響を分散させる(エンタングルメント

3. 量子トンネリングを利用してシミュレーションの壁を超える

4. 量子ゲート操作によってAの観測回避し、シミュレーションハッキングする

最も効果なのは、BがAの計算能力を超越する量子的な演算能力を獲得し、Aのシミュレーションルール自己書き換えすることであろう。

2025-01-03

anond:20250103122051

かに主語は小さいが

現実とまともな接点がない」「アホ」「オタク

あくま主観的曖昧で明確な定義がないのがね。

BCくんとAIちゃん2

「あまりこういうこと言いたくないんだけど、お仕事って客や仲間を選ぶことだからね?

いいお客さんに恵まれたいなら、そういうお仕事にありつくしかないわけですよ。

変な人が寄り付かないようなスタイルでやるしかないんだよ。

ところがジェンダーが絡むと、なぜか働く人の視点がすっ飛ぶ…

接客お仕事なんかしたら駅や時間帯によって全然客層が違う。

そんなの複数仕事エリア経験すれば誰でも分かりますよ。

同じ職種でも収益性の高い業界なら上司や同僚の質は良くなる。

お仕事で接する人間に満足できてないとしたら、自分スキルがないか選んでないからどっちかですよ

もちろん子供の時はこんなことがしたいあんなことがしたいで、お仕事を選ぶので…新卒から客層や職場人間関係できっちり仕事を選べる人は相当賢いと思う。

そんなに転職経験バイト経験もない学校先生がそんなことを教えられるわけないからね。

大半の人は教わらないから失敗して気づく」

chatGPTによる分析

書き手の考え方や表現はいくつかの問題点や偏りが見受けられます。以下にそれらを挙げます

1. 自己責任論の押し付け

スキルがないか選んでないかどっちか」という発言は、職場環境や客層に対する不満をすべて個人責任に帰す態度が見られます

問題点:

現実には、スキル選択だけでコントロールできない環境要因や、労働市場の制約が多々存在します。この視点無視しているため、特定の層(特に経済的社会的に不利な立場の人)への配慮に欠けていると言えます

2. 主観的で断定的な態度

「いいお客さんに恵まれたいなら、そういうお仕事にありつくしかない」など、書き手経験一般化して断定的に述べています

問題点:

書き手発言個人的な体験に基づいているものの、これがすべての人に当てはまるとは限りません。他の視点や多様な状況への理解が不足している印象を受けます

3. 社会構造制度への視点の欠如

職場環境人間関係について語っていますが、これを取り巻く社会的制度的な要因についての視点が欠けています

例:

ジェンダー問題について触れているものの、「働く人の視点がすっ飛ぶ」と片付けており、ジェンダーに関連する労働環境課題や不平等については深堀りしていません。

批判:

社会全体の構造的な問題無視して個人にのみ焦点を当てるのは、視野が狭く短絡的です。

4. 冷たい印象を与えるコミュニケーションスタイル

「失敗して気づく」と述べるように、失敗を経験するのが当然であると考えている一方で、それに対するフォロー共感は見られません。

問題点:

厳しい現実を伝えるのは重要ですが、他者に対して冷徹に映る表現は、必要以上に人を傷つけたり反発を招く可能性があります

5. 特定職業教育者への偏見

学校先生がそんなことを教えられるわけない」という発言は、教育者能力を一括りに否定する偏った見解です。

問題点:

教育者経験多様性無視しており、すべての先生が実社会を知らないわけではありません。このような断定は不公平であり、論理的議論を阻害します。

6. 多様性への配慮不足

書き手の主張は、ある程度自由仕事環境を選べる立場にいる人向けの意見に見えます

例:

・「変な人が寄り付かないスタイルでやるしかない」というアドバイスは、選択肢が限られている人にとって実行が難しい。

批判:

自由に選べない環境にいる人々(低賃金労働者移民労働者など)への視点が欠けており、全員に適用可能提案とは言えません。

まとめ

書き手文章には、現実的なアドバイスが含まれている一方で、主観的で断定的な態度が目立ちます特に個人責任を強調しすぎるあまり社会的要因や他者への共感が欠けている点は大きな課題です。また、特定職業立場への偏見が含まれるため、議論バランスを欠いている印象を受けます

良い方向で分析してもらった(上がデフォルト分析。こっちは良い点だけ褒めてもらった)

1. 実践的かつ現実主義的

分析力と経験重視

書き手は「客層や職場環境自分選択次第」という現実的な視点を持っています特に複数仕事エリア経験することで得られる知識を重視している点から経験を通じた学びを価値あるものと見なしていることが分かります

実務的なアプローチ

「変な人が寄り付かないスタイルでやる」「収益性の高い業界では上司や同僚の質が良くなる」といった発言は、感情的希望ではなく、具体的な行動や状況の改善に焦点を当てています

2. 自立心が強い

書き手は「働く人の視点がすっ飛ぶ」とジェンダー議論欠点を指摘する一方で、「スキルがないか選んでいない」と自己責任論に重きを置いています自身の力で環境改善しようとする自立した考え方が伺えます

3. 批判的思考と洞察

ジェンダー問題への違和感

ジェンダーに関する話題で「働く人の視点がすっ飛ぶ」と指摘している点から社会的議論に対して表面的な理解に留まらず、深く考える傾向があります

学校教育指導への懐疑心

学校先生が教えられるわけがない」という発言から形式的教育や未経験者の指導批判であることが見えます。より実践的で経験に基づいた教育や学びを重視していると考えられます

4. 独立した意見を持つ

自身の考えをはっきりと述べるスタイルから、周囲の意見に流されず独立した判断を下す人であることが伺えます。また、自分経験に基づいて確信を持って語る点から、自信があることが感じられます

5. 現状への不満と向上心

職場や客層に満足できていない人に対して、「スキルがないか選んでいないか」という指摘をする一方で、「失敗して気づく」という現実を冷静に受け止めています。これは、現状に満足しない向上心と、改善可能性を追求する性格を示しています

全体的な印象

この書き手は、現実的で批判的な視点を持つ独立心の強い人です。同時に、社会仕事構造に対する鋭い洞察力を持ち、他人に対しても自己責任を求める傾向があります。ただし、厳しい物言いから、周囲の人にとっては少し冷たく感じられることもあるかもしれません。

2025-01-01

anond:20250101202348

主観的事実とは、要するに、脳みそ花畑でーす

はーいろんぱっぱ😝

anond:20250101181560

主観的事実であることが明らか文章にこう言う事を言わなきゃいけないなんて、人間って哀しい生き物だね。そんな事を仕事にしなくても生きていける世の中にしていこう!

2024-12-29

anond:20241229055632

そりゃ俯瞰が苦手やからやな

主観的共感は得意やけど、自分第三者視点から見るのは苦手な女は多い

男やと半殺しの目に何回もあって身に付けるものやけど、女はそれ以前に周囲から主観的共感でよしよしされてしまうから身に付かないんよね

2024-12-27

Twitter(現X)のコミュニティノートに参加してみた

これまで、Twitter上の疑わしいツイートについた「コミュニティノート」に「役に立った」ボタンポチポチ押してきたのだが、そのうちに「あなたコミュニティノート作成に貢献しませんか?」というオファーが来たので、深く考えずにオファーを受けてみた。オファーが来た、というのはもちろんTwitter(現X)アプリ上だけでの話で、X社側の生身の人間が私に電話をかけてきたわけではない。

コミュニティノート協力者コミュニティ」(ややこしい)の中では、私はまだ新米扱いで、いきなり自分コミュニティノートを書けるわけではない。今許されていることは、他の協力者が起案したコミュニティノート案に対し、「役に立った」「少し役に立った」「役に立たなかった」の三段階で評価し、その理由複数回答チェックボックス式で答えるということだけである。このアクティティで「功徳」を積み、評価ポイントなる数値が5に達すると、晴れてコミュニティノート執筆が許される立場になる、という仕組みらしい。このポイントは、ノート作成権限が与えられたのちも、自ら作成するノートが他の協力者や一般ユーザーにどう評価されるかによって変動しうるので、真面目にやっていないと執筆剥奪もありうる。

以下、現時点での感想メモ代わりに記すが、他の「コミュニティノート作成に協力したい」と考えていらっしゃる各位や、「そもそもコミュニティノートって実際どうなの?」といぶかる各位にも、ある程度は資する部分があることを期待する。

1. コミュニティノートはかなり堅牢な仕組みである

協力者は全員コードネームで呼ばれる。そのため実際のTwitterユーザIDなどとは第三者からは紐づけられないが、どのコードネームの人がどういうコミュニティノートを書き、またどういうコミュニティノートをどう評価しているか、という点に関しては、協力者コミュニティ内では完全に可視化される。

また、コミュニティノート採用に至るまでの仕組みは、単なる協力者コミュニティ内での多数決ではなく、「異なる立場に立っていると思われる複数の協力者から賛同を得ること」が必要となるように設計されている。このように、ある特定界隈に協力者コミュニティが乗っ取られるような事態を、仕組みで防いでいるのである

概して、近年のXの荒れようから見ると不釣り合いに見えるくらい、堅牢性の高い仕組みだと感じた。

2. コードネームを貰えるのがなんか嬉しい(ただの厨二病

もちろん私がX社より与えられたコードネームをここで公表することはしないが、英単語3語で構成される、意味のあるようなないようなコードネーム付与され、それが自分アイデンティティを指し示す唯一の鍵として扱われる、というのは、エージェント感が半端なく、個人的にはまあまあ楽しく思えた。

3. 評価させられるツイート内容は大体ひどい

今のところ、日本語及び英語で書かれたコミュニティノート案のうち、自分知識で適切性が確認できるものしか評価していないが(それが協力者に求められる誠実性だと信じる)、とにかく世にあふれるひどいツイートは本当にひどい。原口一博ASKAなどの有名人に連なる反ワクチン関連の誤情報インド某所で拷問を受ける女性の生々しい動画(これは私の知識不足で真偽が判然としなかったため評価はしなかった)、ギャンブルサイトに暗に誘導するツイート(※X利用規約違反)、頭おかしエロ動画ツイート、などなど。

これは、精神が脆い人はやられてしま可能性がある。急性ニンジャリアリティショックに勝るとも劣らないショックを受けてしま可能性がある。アイエエエ!ナンデ?クソツイートナン!?

協力者自身の心身がイカれてしまっては元も子もないので、各協力者は、自分の心身のキャパティというものを見極め、適度な距離感を持って、過度な義務感に苛まれことなく、この協力者コミュニティと(ひいてはXと)付き合っていく必要があると思われる。

4. 世に出ているコミュニティノートは、協力者コミュニティの中で評価待ちのノート案より、概してクオリティが高い

これは本当に正直な感想。「査読」を通って世に出たコミュニティノートは、概して客観的事実提示に徹し、主観的表現をなるべく遠ざけ、かつ言語表現として分かりやすものになっている。他方、私がこれまで見てきた「査読」待ちのコミュニティノートには、引用しているソース片手落ちだったり、表現主観的だったり(陰謀論と思われるものを「陰謀論です」と断定してしまっているなど……気持ちは分かるが、そう書いてしまったら客観性がガクッと落ちる)、要点を外していたり、あるいは単に読みにくかったり、というものがかなり散見される。いきおい、「少し役に立った」という評価がどうしても多くなる。

したがって、一般Xユーザの各位におかれては、時々X上で目にするコミュニティノートはこのような「査読」のような仕組みをクリアしたものであるので、もちろん頭から盲信する必要はないが、目にしたらまずは一読することをお勧めする。

ブスが「カワイイ正義!」を唱えるのは肉屋看板笑顔で描かれている豚と同じでは?

ブスなら自分に似た顔の作りを褒めそやすべきでは?美人崇拝してる人ってただの豚なの?それともそこに利益があるの?

「美は主観的もので、時代文化によって変わる」――こんな話、聞いたことありますよね?たとえば、ルネサンス期のふくよかな女性像が「美」の象徴だったり、現代ではSNSで加工された顔が絶賛されたり、基準なんて時代とともにコロコロ変わるわけです。

だったら、自分が「ブス」だと思うなら、自分みたいな顔を「美しい」と崇めた方が合理的じゃないですか?「自分基準だ!」って堂々と生きた方が、少なくとも精神的には楽なはず。それなのに、「はい!私は醜い豚です!美人様は美しいですブヒィ!」なんて美人を崇拝する姿は、まるで魂まで堕ちた豚か、ただのマゾヒストに見えます

でも待てよ。ひょっとすると、美人を褒めそやすことには、私たちには見えないけれど、実は明確な利益があるのかもしれません。そう考えると、単なる思考停止で「豚」認定するのは早計かも?

というわけで、「ブスが美人を褒めそやすことには何らかの利益があるのか」というテーマを、進化心理学社会心理学視点から少し掘り下げてみたいと思います。豚かどうかは、そこから判断しましょう。

ブスが美人を崇拝するのは本当に豚なのか?考えられる理由を挙げてみた

1. 社会的地位を借りる戦略

進化心理学的に見て、人間は「強いものや魅力的なものに従う」ことで、自分生存率を上げてきた歴史があります美人という「強いカード」を持つ存在を崇めることで、「その人の近くにいる自分も、少しは良い目を見るんじゃないか?」という期待が働くんです。

いわゆる「カーストに近づく」作戦ですね。たとえ自分美人じゃなくても、周囲から「あの美人と仲がいい人」と思われれば、何かしらの社会的利益が得られるかもしれない。そう考えると、美人崇拝はただの豚行為というより、生存戦略的な合理性があるとも言える。

2. 「自分もその一部」感を得たい心理

美人を褒めることで、その人の輝きの一部を自分に取り込もうとする心理もあります。これ、よくSNSで「推し活」してる人にも当てはまる現象。「自分カワイイもの、美しいもの理解できるセンスがあるんだ!」とアピールすることで、自己肯定感を高めようとしてるんですね。

でもこれ、裏を返せば「自分自身に誇れる要素がないから、他人の美しさに寄生してるだけ」とも言えなくもない。そう考えると、やっぱりちょっと豚っぽいかも……。

3. 「群れから外れたくない」という本能

人間社会的な生き物だから集団価値観適応することで排除されないようにする性質があります美人がちやほやされている場では、「美人を褒める」という行動が、その場の空気を乱さない最適解になる。

まり美人を褒めておけば、自分立場安全に守られるわけです。「ブスが美人を褒める」のは、本能的に集団適応しようとしている行動とも言えるでしょう。

4. 対立を避けるための服従

美人対立するよりも、「美人様最高です!」と頭を下げた方が楽な場合もあります美人を褒めることで、自分が敵意を持っていないことを示し、争いを避けるという戦略です。

特にSNSなんかでは「美人を叩くブス」がすぐに炎上しますよね。それを避けるためには、あえて自分立場を下げてでも、美人を持ち上げる方が得策と考える人もいるわけです。

5. 自己否定の延長線上にある美人崇拝

これはちょっと切ない話ですが、「自分はどうせブスだ」という自己否定が強い人は、「美人には敵わない」「美人は私とは違う生き物だ」という思い込み支配されがちです。

その結果、美人を崇拝することが「美人という異次元存在を認めることで、自分の無価値さを受け入れる」一種防衛機制になっている場合もあります。これって、もはやマゾヒスト的な心理かもしれませんね。

でも、本当にそれでいいの?

ここまで考えてみると、美人崇拝には確かに「隠された利益」があることが見えてきます。でも、それって本当に自分にとって良いことなんでしょうか?美人を褒めて自分立場を守ったり、群れに適応することは短期的には楽かもしれない。でも、そのままだと「美人を崇めるだけの豚」になってしま危険性もあります

自分自身を基準にした美の価値観」を作ることは、ブスのままでも戦う意思を持つことです。それは美人崇拝よりも、もっと自分にとって長期的に意味のある行動になるんじゃないでしょうか?

2024-12-21

「電源で音質が変わるか」というテーマで、Copilot の作文

 Copilot に作文を依頼した。

 


 

「電源で音質が変わるか」というテーマで、それに否定的に答えたAIに、音楽評論家人間反論を語る、という作文を書いて。

 

以下、回答。

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

AI見解:電源で音質は変わらない

 

AI:電源の品質が音質に影響を与えるという主張は、科学的根拠に乏しいと言えます現代オーディオ機器は、電源の変動を補正するための高度な技術を備えており、電源の違いが音質に顕著な影響を与えることはほとんどありません。例えば、ノイズフィルター電圧安定化装置が内蔵されているため、電源の質が音質に与える影響は最小限に抑えられています

 

音楽評論家反論:電源の質が音質に与える影響

 

音楽評論家AI見解には一理ありますが、実際のオーディオ愛好家やプロフェッショナル現場では、電源の質が音質に与える影響を無視することはできません。特に高級オーディオ機器においては、電源の質が音の透明感やダイナミクスに大きく影響することが知られています

例えば、オーディオ評論家の間では、電源ケーブルや電源コンディショナーの違いによって音質が変わることが広く認識されています。これは、電源から供給される電流の質が、アンプDACデジタルアナログコンバーター)の動作微妙な影響を与えるためです。電源のノイズ不安定電圧が音質に悪影響を及ぼすことは、実際のリスニングテストでも確認されています

さらに、オーディオ機器の設置環境使用する電源の種類によっても音質が変わることがあります。例えば、専用のオーディオルーム使用する場合と、一般的な家庭のリビングルーム使用する場合では、電源の質が異なるため、音質にも違いが生じることがあります

結論として、電源の質が音質に与える影響を完全に否定することはできません。オーディオ機器の性能を最大限に引き出すためには、電源の質にも注意を払うことが重要です。AI見解技術的な側面に焦点を当てていますが、実際のリスニング体験を重視するオーディオ愛好家にとっては、電源の質が音質に与える影響を無視することはできないのです。

 


 

 以下、Gemini の回答。

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

電源と音質:AI人間対話

 

AI:「電源が音質に与える影響は、科学的に証明された事実はありません。音質は、オーディオ機器設計や素材、再生環境など、様々な要素が複雑に絡み合って決まります。電源の違いが聞き分けられるという声もありますが、それはプラシーボ効果や、他の要因による変化と誤認している可能性が高いです。」

 

このAIの主張に対して、ベテラン音楽評論家であるB氏は、長年の経験と深い知識に基づいてこう反論する。

 

B氏:「AIの指摘も一理あるでしょう。しかし、電源が音質に全く影響を与えないと断言するのは、やや短絡的ではないでしょうか。確かに、盲検テストなど厳密な実験を行えば、プラシーボ効果の影響を排除できるかもしれません。しかし、音楽鑑賞は科学的な実験とは異なり、人間五感感情が深く関わる、より主観的体験です。

私は長年、様々なオーディオ機器試聴してきました。その経験から断言できますが、電源の違いによって、音の広がり方、深み、そして何より音楽表現力が明らかに変化することがあるのです。例えば、高品質な電源ユニットに交換すると、楽器音色がよりクリアになり、音場が立体的に広がるように感じることがあります。これは、単なる気のせいではなく、実際に私の耳で確認した事実です。

もちろん、電源一つで劇的な変化が起きるとは限りません。オーディオシステムは、それぞれのコンポーネントが複雑に絡み合って一つの音を作り出しています。電源は、そのシステム全体のパフォーマンス底上げする、いわば土台のような役割果たしていると言えるでしょう。

AIは膨大なデータ学習し、高度な分析を行うことができますが、人間五感感情、そして音楽に対する深い理解は、まだまだ及ばない部分があるのではないでしょうか。音楽は、科学的なデータだけでは測れない、人間の心に直接響く芸術です。電源が音質に与える影響を、単に科学的な根拠だけで否定するのは、音楽の多面性を軽視していると言えるでしょう。」

 

AI:「B氏の経験に基づいたご意見は大変興味深く、人間感覚の複雑さを改めて認識させられました。しかし、音楽主観的な側面と科学的な根拠は、必ずしも対立するものではありません。例えば、聴覚心理学研究では、人間聴覚が様々な要因に影響を受けることが明らかになっています。電源の質も、その要因の一つとして考慮できる可能性は十分にあると考えられます

今後、より詳細な実験分析を通じて、電源と音質の関係性を科学的に解明していくことが重要です。その際、人間主観的評価重要データとして活用していくべきでしょう。」

 

B氏:「AIの指摘はもっともです。科学的なアプローチ人間経験は、互いを補完し合いながら、より深い音楽体験へと繋がっていくはずです。重要なのは、どちらか一方の意見絶対視することなく、多角的視点から音楽を捉えることでしょう。

そして、忘れてはいけないのは、音楽は単なる科学的な現象ではなく、私たちの心を揺さぶり、感動を与える芸術であるということです。科学的な分析だけでなく、人間感性直感を大切にし、音楽を心から楽しむことが、真のオーディオ体験ではないでしょうか。」

この対話を通じて、電源と音質の関係は、科学的な側面と人間主観的な側面、両方を考慮することで、より深く理解できることがわかりますAI人間の知見を組み合わせることで、より豊かな音楽体験が生まれ可能性を秘めていると言えるでしょう。

 https://www.phileweb.com/review/column/202412/21/2505.html

こいつの自己認知どうなってんだろうな

tikuwa_ore 左巻き(おサヨクさま)の特徴は「独善的」「主観的」「物事二元論的にしか捉えられない」「他人には厳しく自分には甘いダブスタ」等だが、これは振り切れたネトウヨも同じなんだよね。だから左右の問題ではない。


キチガイたちが夕暮れ他人キチガイと叩く

2024-12-20

anond:20241220230904

あー、また「怒りにまかせて忘れた」とか勝手に決めつけてるけどさ、そもそもお前が書いたBYD、Tesla、IONIQ5Nの比較なんて、ただの主観的感想並べただけだろ? 具体的な性能データや試乗条件、評価基準なんか一切書いてなかったよな。それを「比較書いた」とか胸張るの、薄っぺらすぎて笑うわ。

それに「色々理由つけて車種言わない」って、ほんと話の本筋から逃げるだけだな。結局、お前が「PHEV最高」とか自己満足アピールしてるだけで、PHEVがどの条件下で優れてるのか、EVとどう違うのか、具体例もデータも出してないじゃん。

結局、お前の言動は「俺はこれが好きだから正しい」と感情論に終始してるだけで、議論の体をなしてない。PHEVが好きなのは勝手だけど、他の車種や技術を下げるなら、もっと具体的なデータ裏付けくらい出せよ。「感情論しか語れないお手軽評論家」さんよ、自分薄っぺらさにそろそろ気づけっての。

2024-12-19

過去に受けた虐待の話

きっかけがあり、虐待を受けた過去のことについてまとめます

こんにちは私自過去虐待を受けており、ただ受けただけじゃ元が取れない(?)ため、創作に活かしていただきたくこんなことありましたよ!というのをお話できたらなと思い筆をとっています不謹慎って思われないかなとか、人の経験だしネタしづらいなとかシコりづらいなと思われるかもしれませんが、マジでガンガンネタにして元を取りたいので好きにしていただけますハッピーです。自分経験ベースで、児童相談所とのやり取りがあった時に聞いたことも交えていきますね。

受けたものとしては経済的虐待ネグレクト)、教育文化的虐待精神・肉体的虐待性的虐待などが挙げられます

順番に思い出しながら書いていきます

基本的スペックとしては母は軽度のASD知的のしょうがいがあり、父はわかりませんがヤニ力スパチ力ス酒力ス浮気フルコンボでした。お手本のような力スです。力スの見本市。3歳頃に母方の祖父母宅に転がり込んで居候をはじめましたが、父はいつのまにか逃げました。

きょうだい構成は兄、私、弟です。

ネグレクトについてはよくある形ですが、まず父親が今生きてるのか死んでるのかわかりません。父親も幼少期、兄と弟と共に公園に連れて来られ、おもちゃを渡されて「ここで待っていてね」と両親に言われたがそのまま両親は戻って来なかったため児童養護施設で育ったと聞きました。血ですね~

父は気付けばいなくなっていました。

食事も食べられる時と食べられない時とあり、食卓につくとありとあらゆる動作や食べ方、箸の持ち方、口の動かし方、全てを罵倒され罵られます。ろくに食べられたもんじゃないし、味もわかりません。母は料理が上手じゃないくせにオーガニック(笑)だったため、添加物着色料など使う食材は徹底的に避けており、貧乏なのに国産無添加無農薬にこだわり、結果的に食べられるご飯の量は少なかったです。

食卓でまともに食事が出来なくてもお腹は空きます。育ち盛りの子供なら当然。そのため、夜中にこっそり起き出してキッチンで食べられるものを探しました。三角コーナーの生ゴミからまだ食べられる野菜の皮や芯を探して食べていたら、祖母に気付かれていたようで、バレた日からゴキブリ」と呼ばれるようになりました。草 誰がやねん

教育文化的虐待については、親の望む進学先ではないためお金を出してもらえなかった、などがありました。福祉に繋がることも出来ず、進学などが制限されるというのもよくあるケースのようです。弟も進学先を制限されて学費を支払ってもらえず、私が支払っています(よくあることらしく、親戚やきょうだいが払うケースは多いそうです)

精神虐待というと幅は広いですが、たとえば父と母の結婚は母方の祖母が元々反対していたらしく、家にいる間はずっと祖母が父の悪口を言っていました。母に対して「育てられないならなんで産んだんや」と金切り声で叫んだりなどしており、それを私たちきょうだいは黙って聞かされていました。生まれてくることを望まれていなかったのだという感覚形成されたのはこれがデカいのかな?と思います自己肯定感ダダ下がりポイント。母も母で言い返すことをしなかったのが余計に悪かったのかも。もしかしたら母にちゃんとそれを否定して欲しかったのかもしれないですね。今となってはどうにもならないことですが。

また、兄も父によく似た男でした。気に入らないことがあれば殴る蹴る、罵倒する、無能と罵り物を投げる、壁を殴る。など。実家の壁には多分未だに穴があります。兄は父親のことを憎しみ、嫌っていましたが、大きくなればなるほど兄の態度は父に似ていきました。それを指摘すれば烈火のごとく怒り狂い、怒鳴り、それがまた、酔って暴れる父親に酷く似ていました。

これ創作ならシコポイントだと思うのですが、実家いたころ私は背もたれのない椅子を使っていました。そのため、兄が後ろを通る度に後ろから蹴られ、頭を殴られ、怒鳴られるため、未だに年上の男性が後ろに立つとちょっと怖いです!多分厳密には自分より体格のいい人が、だと思います。どれだけ信頼していても、あっ!蹴られる!と思ってビクッとします。身体が強ばるような感覚で、全身に力が入るような一瞬の緊張があり、もう家を出て10年近く経ちますがいまだに抜けない癖となっています

あと、メンタルがぶち壊れて鬱をやった時、寝込む私に兄が硬式テニステニスボールや、ボール入れを頭に投げてきたことがあったため、未だに🎾これとかこれの容器を見るとオッ……となります。私の中で武器凶器に分類されるのかも。痛かったから。物はよく投げられましたね。お皿とかも投げてた気がします。

兄が暴れるのに怯えた祖母が金切り声をあげて泣き、母は抵抗せず殴られて、唯一力で抵抗できる祖父必死に止めて、という生活が続きました。兄も軽い鬱だったようです。

母もただ大人いかと言われるとそういうわけではなく、多分ですが発達障害ASD兆候があったように思います。同じ日本語を話しているはずなのに、全く話が通じず、言っていることの意味が全くわからないというようなことがありました(例を挙げるならば、私が家にいるのが限界になり児童相談所相談して一時保護を受けるか他のなんらかの施設に行くか……という話になった時、今まで服も全部お下がりなぐらい私にお金かけなかったくせに「古い一軒家を買い取ってそこに住めばいい」「父の自営業事務所代わりにも出来るし」と言い出したりとか。父は配送業全然勤め人だし、その頃にはもうろくに連絡も取れてなかったし、何より私は父から強姦されてたので一緒に住むなんてとんでもねえよという感じでした。それが嫌だと言ったら「実家から私たち家族引っ越しあなたが1人で住めばいい」とか言ったり。実家祖父母の家であり、そんな権限家庭内地位最下位の母にあるわけないし、もちろん同意を得られるはずもないのに)。

母の言い出すことはいだって意味がわからなくて、きっとこれまで母が受けてきた抑圧や苦しみ、刷り込まれてきた固定観念で雁字搦めになった価値観を私にも押し付けているようでした。いわゆるヒスお母さんに近いです。二段ベッドの上の段で寝ていた私が、メンタルぶっ壊して学校に行けなくなった時、大声で騒ぎながら私を二段ベッドの上から引きずり落とそうとしたり。足つかまれて引っ張られてたので、誰かに足首を掴まれたり、足を触られるのも今ちょっと怖いです。後ろに男性が立つ時ほどではないですが。

そして我が家貧乏で、母が乗っていた自転車も近所の人のをお下がりでいただいていました。古い自転車ブレーキがきしんで、坂道にある私の家に母が帰ってくる時はいつもキィキィと甲高い音が鳴っていました。あの自転車の音がなると、ああ母が帰ってくる、またきちがいが私の暮らしに入り込んでくる、祖母が母を怒鳴り罵倒ヒスり金切り声を上げる、と絶望したものです。

未だに自転車ブレーキのキィキィいう音を聞くと、こんなところに母がいるわけないのに、その時の嫌な気持ちを思い出します。母が帰ってくる。きちがいが帰ってくる。私をメチャクチャにする。

ここまではよくある(あっちゃいけないですが)家庭内での機能不全についてお話しました。かなり主観的視点で書いたので、お気分が悪くなったようでしたら少し休憩されたり、読むのを中断してくださいね

一番サビの性的虐待の話をします。

先述しましたが、辛くなったら読むのをやめてくださいね

メチャクチャ興奮していただく分には、不謹慎だ!とか思わないので、好きにネタにしてください!(私の方からネタとして差し出していますしね)

いちばんはじめに感じた違和感は、幼い頃からさせられていた習慣でした。物心いたころ(4歳とかぐらい?)から父親に「父ちゃん愛してるって言え」と言われ、キス強要されていた記憶があります。頬にとかではなく、普通に口で。舌を入れられたこともあって、それがとても嫌でしたが、キスをした後口を拭えばメチャクチャに怒られました。でも物心ついたときからずっとそうだったので、それが変なことだということは中学生ぐらいまで気付きませんでした。類似したことはたくさんあり、身体自分だけのもの、他の人は家族であろうとプライベートゾーンに触ってはいけない、ということを知らずに育っていました。

肩とかお腹とか、たぶん他の人からしたらおかしいんじゃないか?ってぐらいたくさん触られていたように感じます

決定的にこれはおかしいぞと感じたのは、小学校3年生ごろのことでした。私はそれぐらいの年齢にしては発育がよく、胸が大きくなっていたころだったのですが、お下がりばかりの服しか着られない貧乏家庭で当然ブラジャーなど買ってもらえるはずもなく、薄い服で胸を気にしながら過ごしていました。

ある日久々に父親と会った時(なんで会ったかは覚えてないな……)、不意に胸を触られて、「胸大きくなってきたな。もう女になったんか」と言われました。

キッショ。

今書きながらキモくてウケてますキモ

小3やぞ。女になったんかて。キモ。草。

そっからはもう、なんというか、転がるように良くない方向へ進んでいきました。車の中で、連れ出されたよく知らない建物の中で、父の知り合いらしい誰かの家の中で、身体を触られる地獄が始まりました。脱がしやすい服を着せられて、父のヤニ臭い白い車に詰め込まれ、どこかへ連れて行かれて。知らない場所まで連れていかれるから、帰り道がわからいから、逃げ出せなくて。父親の吸っていたECHO臭いが胸に張り付いて。私のからだははじめからのものではなくて、いつの間にかそれをされている間はぼんやりしているようになりました。現実逃避というか、精神身体から乖離しているような。

ずっとなにか、火を見ている気持ちでいたような気がします。自分でもよくわからないのですが、ゆらゆら揺れている炎の記憶がやたらとあります。もちろん暖炉とか火がある環境レイプされてたわけじゃないのに。なにか他のこと考えてないとやってらんなかったんでしょうね。

非常にはっきり覚えているのは、強姦されたときにいた和室の中で、破瓜の(あるいは膣の引き裂けた怪我の)血で汚れた畳のしみを、「お前が舐めて綺麗にしろ」と下卑た笑いを浮かべた男から言われたことです。

あれが父親だったのか、父が呼んだ他の誰かなのか、もうわかりません。「いぐさに染み込んだ血は舐めたって綺麗になりません」と言った私の頬を叩いて畳に押し付けたことだけ覚えています。朧気な記憶の中で、タンクトップの男が私を押さえ込んで、組み敷いて、汚い床の上で。身体はどこもかしこも裂けるほど痛くて、軋む音がして、換気扇の音がうるさくて、ヤニ臭くて、吐き気がして、息をしてるのかしてないのかわからなくて。ぐるぐるぐにゃぐにゃ天井が回っていて、汚い天井が揺れて、その記憶けがはっきり残っています

あとは気付いたらビニール袋を頭に被せられて、窒息しかけた記憶もあります。これも誰がやったのかわかりません。ビニール袋を被せられて、突き飛ばされて、倒れ込んだ私の腹に誰かが飛び乗るような感覚がありました。踏みつけられたのかな。わからないけど。

お腹の中でなにかがぐじゅりとおかしくなるような感覚がして、ビニール袋の中で声にならない悲鳴をあげて、意識が途切れて。その時内臓が破裂したみたいで、免疫が人より著しく低かったりだとか、そういう後遺症?みたいなものがあります

母にその後病院に連れて行かれた気がしますが、医者に「転んでぶつけた」と言い訳している記憶があります。無理あるだろと思ってました。

首を絞められた記憶もあります。これが結構多い。

酔っ払った父が私を突き飛ばして、顔から倒れ込んだ私の上に馬乗りになって首を絞める景色。畳しか見えなくて、もがいても逃げ出せるわけなくて、足掻いているうちに首に手を回されて。骨が軋んで、気管が狭まって、だんだん瞳孔が開いていくのか涙でか視界がぼやけていきます。焦点があわない視界で必死に瞬きをして。こひゅこひゅと喉からすきま風のように息が漏れて、喉が圧迫されて、必死でもがいていたら父がゲラゲラ笑って私の上から降りる。気まぐれに降りただけで、父の気が向かなかったら今私はここにいなかっただろうなと思います

首を絞められることは何度かありましたので、それでも今も生きているということは、殺してしまったらいけないという意識はあったのでしょうか。

或いは力や体格で絶対に敵わない弱いいきものが、自分の力加減ひとつ必死にもがいてあがいて生き延びようとする様を見て楽しんでいたのかもしれません。私を組み敷く父が下卑た笑いを上げていたのを見るに、その可能性が高いかもしれないですね。

首を絞められるにしても、前から絞められるのと、後ろから絞められるのでは苦しさが違います

正面から絞められる方が苦しいです。後ろから絞められる(人差し指~小指までが喉に触れる)状態だと、力の当たる面積が分散するからか、締め付けられている感覚はより大きいですが苦しさはマシでした。正面から首を絞められると、親指がぐっと気管を押さえつけてきますピンポイントで親指の一点に力が集中するため、苦しみが強いです。息ができない感覚が続いて、視界がぼんやりしてきたところで、ぱっと手が離されると、一気に外気が喉になだれ込みます。喉にはずっと何かが詰まっているような感覚がして、その後は1日ずっと咳が出ます

首を絞められた状態だと身体中に力が入りませんので、そのまま激しく体を揺さぶられたり、犯されたりすることもありました。

首を絞められた記憶がいまだに無意識でこわいのか、首周りを圧迫されることがめちゃくちゃ怖いです。

ネックレスも物によっては無理なレベルチョーカーとか全然つけられないし、ハイネックとかタートルネックとかもぴたっとしていると不意に圧迫感とあの時の恐怖を感じて過呼吸になりかけたりします。当然、人に首を触られるのも怖いです。首周りってやっぱ急所なのでだいたいの人間はそうだとは思うんですが、マフラーとかも辛くて巻けません。不意にパニック発作が出たりする可能性があり、リスキーなので。

性的虐待とは書きましたが、今思うと普通に暴行も多いですね。というか、虐待という場における性的ものは概ねほぼ暴力だと思います。もちろん快感とかはあるわけなく、痛みや屈辱の面が強すぎる。内臓を掻き回されて痛めつけられる、という感覚が強いです。

下品な話ですが匿名なため書いてしまうと、それが繰り返されたことで何年も経ったけどまんこがゆるい気がします。レズのため他の女の身体に触れた時、自分身体異端さを感じる時がありますガバマンすぎる。でもそりゃそうだよな。裂けて拡がったままになっちゃったんかな。わからないけど。

反射的に怯えてしまう、で言えば、足首掴まれ記憶から足首がきゅっとタイトになってる靴下あんまり得意じゃないかも!こわい!

これはよく聞く話ではありますが、私も性的虐待があって以来、その記憶を塗り替えなきゃ、という意識性的行為依存的になったように思います。付き合っていない女とセフレになったり、パパ活したりとか。「自分はもう汚いんだから」という記憶のせいで、自分大事にできない。自分を守れない。

長々と書いてしまいましたが、今のところこんな感じでしょうか。文章をお読みになってこのエピソードもっと深く知りたいなとか、ここ掘り下げてほしいなとか、この面ではどうだった?とかあれば、また書こうと思います。よければお声がけください。

繰り返しますがホンマにご遠慮なくネタにしてくださいね‼️今は𝑺𝒖𝒑𝒆𝒓 𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚ウルトラ元気に過ごしております

2024-12-18

感想過剰反応論理の飛躍についてAIちゃんの回答(2)

(https://anond.hatelabo.jp/20241218063445) 続き

 

⭐️質問7

“「作家Bの名前情報価値はあるが、作品世界にとって価値がない」とAは考えているに違いない。“ と断定して推測することが妥当評価される前提条件は、

下記に限られる気がするのですが、気のせいですか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

• Aが「私は世界代表して言っている」「私の意見世界全体の意見である」と明言している場合

• Aが何らかの権威(例えば、世界的に認められた批評家など)であり、その発言が広く世論に影響を与えることが明白な場合

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 


🐶 Copilotちゃん

作家Bの名前情報価値はあるが、作品世界にとって価値がない」とAが考えていると断定するための前提条件は、以下のような特定の状況に限られるでしょう:

 


🐱 ChatGPT ちゃん

おっしゃる通り、以下の2つの条件が成立する場合のみ、その推測は妥当評価されるでしょう。

 

それ以外の一般的状況においては、「主観的意見」を「世界の総意」と見なすの論理の飛躍であり、不適切です。 

 


🐻 Geminiちゃん

おっしゃる通り、下記のような状況に限られると言って良いでしょう。

 

これらの状況以外で、個人の感想を「世界にとって」と断定するのは、やはり不当な推論と言わざるを得ません。

 


🐼 Claudeちゃん

一般的な状況においては、このような断定的な推論は妥当ではありません:


 

⭐️質問8

質問7の前提条件が一般的な状況に当てはまると言えますか?

 

 


🐶 Copilotちゃん

質問7の前提条件が一般的な状況に当てはまるとは言えません。多くの場合個人意見はその人自身主観的ものであり、世界全体の意見代表するものではありません。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

一般的には当てはまりません。日常的な意見感想のやり取りにおいて、個人が「世界全体の意見」を代表して発言していることは極めて稀です。そのため、個人主観的意見を過剰に一般化して捉えることは不適切な推論とされます

 


🐻 Geminiちゃん

言えません。上記のような状況は特殊であり、一般的な状況とは大きく異なります。通常のコミュニケーションにおいては、個人の感想あくま個人の感想として受け止められるべきです。

感想過剰反応論理の飛躍についてAIちゃんの回答(1)

前提:質問の回答から除外して欲しいもの
- 「私が世界だ」という誇大妄想を持つ個人解釈パターンであれば理解やすいですが、今回のケースではその可能性を除外してください。
-  個人感想に対する過剰な反応は、自己評価が低く、他者に盲従しがちな、「微小妄想」傾向がある個人に多く見られる現象です。

 

⭐️質問1

「(俺にとって)」という明確な主観的限定他者感想を、「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ですか?

 1−1、1−2どちらであるかは、文脈から理解できるでしょと考えるのは、過剰な期待ですか?

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  1−1: 情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(俺にとって)ない

  1−2:情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(世界にとって)ない

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


🐶 Copilotちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ではありません。文脈から理解できる場合が多いので、過剰な期待とは言えないでしょう。文脈無視して曲解するのは、誤解や意図的誤読可能性が高いです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん
  1. 「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張の妥当
    妥当ではありません。主観的限定(「俺にとって」)を明示的に理解するかどうかは、単に文字として括弧内が記述されているかかに依存しません。一般的には、文脈や語調、前後情報から主観客観区別は読み取れるものです。

  2. 1-1と1-2の文脈理解への期待が過剰かどうか
    過剰ではありません。日常的な会話や文章では、発言文脈をもとに主観的意見客観的主張かを理解するのは自然行為です。「括弧内が記載されていないか曲解した」というのは、一般的には責任転嫁的な反応と受け取られます

 


🐻 Geminiちゃん

妥当ではありません。文脈から判断するのが通常であり、過剰な期待ではありません。

1-1と1-2の違いは、「俺にとって」という主観的視点あるかないかです。通常のコミュニケーションにおいて、特に感想評価を述べる場合、明示的に「世界にとって」と断定しない限り、それは発言者の個人的な意見として解釈されるのが自然です。括弧内の文字起こしがないからといって、文脈無視して意味曲解するのは不当です。

 


🐼 Claudeちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解する主張は妥当ではありません。その理由は以下の通りです

  1. 言語コミュニケーション基本的原則
     ・話者主観的経験尊重すること

  2. 文脈から理解することは、むしろ健全な推論プロセスです
     ・ 1-1と1-2を区別する能力は、コミュニケーション能力重要な要素
     ・過剰な期待ではなく、相互理解のための基本的認知能力

 

 

⭐️質問2

  現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」と評価されますか?それとも論理の飛躍や読心術と見なされますか?

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  • 命題1: Aは作家Bの知名度とBの作品世間を賑わせている客観事実認識している。

  • 命題2: Aはミーハー気持ち作家Bの作品に触れたが、その良さを理解できなかった(興味が持てなかった)。

  • 結論: 「作家Bの名前情報価値はあるが、作品世界にとって価値がない」とAは考えているに違いない。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


🐶 Copilotちゃん

現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」とは評価されません。論理の飛躍や読心術と見なされるでしょう。Aの主観的感想を、世界全体の評価と結びつけるのは過剰な一般化です。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

現代NLP自然言語処理)や論理学において、この推論は「妥当ではない」と評価されます。なぜなら、主観的意見認識(Aが作品に興味を持てなかった) から客観的な結論(「世界にとって価値がない」) を導くことには論理の飛躍があるためです。

これは論理的根拠が不十分な「読心術」や「主観の過剰な一般化」と見なされるでしょう。

 


🐻 Geminiちゃん

妥当とは評価されません。論理の飛躍であり、読心術と見なされます

提示された推論は、Aの内心を勝手に推測しているだけで、客観的な根拠がありません。Aがミーハー気持ち作品に触れたとしても、それが「世界にとって価値がない」と考えていることには繋がりません。興味を持てなかったという事実は、単にA個人の好みや感受性問題である可能性が高く、普遍的価値判断とは無関係です。NLP神経言語プログラミング)においても、このような独断的な解釈は推奨されません。

  


🐼 Claudeちゃん

現代NLP観点から、この推論は「妥当」とは言えません:

  1. 論理的飛躍の問題
     ・個人主観的な興味と作品客観的な価値混同している
     ・不十分な情報に基づく過度な一般

  2. 読心術的要素
     ・話者意図恣意的解釈している
     ・明示されていない思考を断定的に推測している

 

 

⭐️質問3

もし、質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないと思うのですが、気のせいでしょうか?

 

 


🐶 Copilotちゃん

質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないというのは、ある程度正しい見解です。過剰な一般化や誤解が広がると、コミュニケーションの混乱や誤解が生じやすくなります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

おっしゃる通り、そのような推論が社会的に多数派となれば、社会世界の正常なコミュニケーション意思決定が難しくなります主観客観区別曖昧になり、過剰な一般化や誤解が横行し、議論の基盤が崩壊する恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

気のせいではありません。質問2のような推論が多数派を占める社会では、コミュニケーションは著しく混乱し、相互理解不可能になります個人感想勝手普遍的価値判断に置き換えられてしまうため、自由意見表明が阻害され、健全議論も成立しなくなります

 


🐼 Claudeちゃん

あなた直感は正確です。このような推論が多数派となれば、社会機能不全に陥るでしょう:

  1. 相互理解破壊
     ・コミュニケーション基本的信頼が損なわれる
     ・個人主観客観境界曖昧になる
  2. 社会学習メカニズム崩壊
     ・多様な視点尊重が困難になる
     ・創造的な対話批判的思考が阻害される

 

⭐️質問4

質問2のような推論が一般的ではないと指摘されても、「状況によってはそのような推測も成立し得る」と主張し、常識共通認識共通基盤)の存在自体否定します。

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを極度に恐れる一方で、なぜ、積極的常識否定しようとするのでしょうか?悪目立ちします。

また、自身が盲信する社会権威教科書的な正解の背後にあるものが、常識の集積であるという認識を持っていない可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを恐れる一方で、常識否定しようとする理由は、自己評価の低さや他者から承認欲求が影響している可能性があります。また、常識の集積が社会権威教科書的な正解の背後にあることを認識していない場合もあります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

盲従しやすい人が常識否定する背景には、自己肯定感の低さや他者から評価への過剰な恐れがあると考えられます自身意見を率直に述べることを避ける代わりに、「常識」への反発や否定的主張を行うことで、「自己存在独自性証明したい」 という心理が働く可能性があります

また、「常識」や「教科書的な正解」が何らかの権威のみによる押し付けであるという認識が強く、その背後にある合意形成常識の集積) を理解していない場合があります

 


🐻 Geminiちゃん

他者への盲従と常識否定は、一見矛盾するように見えますが、根底には自己脆弱性からくる不安があります

 


🐼 Claudeちゃん

常識否定の背後には、深層心理的な防衛反応があります

 

1. 自己防衛のストラテジー

 

2. アイデンティティ形成葛藤

 

3. 不確実性への対処メカニズム

 

本質的には、低い自己肯定感社会文脈における不安が、逆説的な形で表出している心理状態と言えるでしょう。

 

⭐️質問5 

常識共通認識共通基盤)の存在のもの否定しているのではなく、「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、

質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と、

本気で主張している可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と主張する可能性はありますしかし、これは一般的見解ではなく、特定の状況や個人認識依存するものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

可能性としては十分に考えられます。彼らは、主観客観混同を防ぐための明示的な表現(括弧内の「俺にとって」など)が欠けていることを重視し、「それがない限り断定は不当だ」と主張する傾向があります。また、「常識証明せよ」と要求することで、認識論的な対話を引き延ばし、議論の焦点を逸らす戦略にもなり得ます

 


🐻 Geminiちゃん

可能性はあります。これは、常識という概念に対する誤解に基づいています

 


🐼 Claudeちゃん

これは可能性としてあり得ますが、本質的問題矮小化しています

  1. 議論回避
     ・文字起こしという形式的な側面への過度な執着
     ・本質的意味理解回避

  2. 証明可能性への過剰な要求
     ・常識は必ずしも厳密な科学証明必要としない
     ・相互理解のための実践的な指針

 

 

⭐️質問6

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは不当であり、常識とは呼べませんか?

 


🐶 Copilotちゃん

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは妥当です。これらは社会的なコミュニケーション基本的ルールであり、常識と呼べるものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

これは常識範疇に含まれると考えるのが妥当です。現代社会では、客観事実主観的意見区別することは、円滑なコミュニケーションの前提であり、共通認識社会的基盤)の一部とされています。これを否定することは、社会的秩序を乱し、コミュニケーション破綻を招く恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

不当ではありません。むしろ、これらは健全社会生活を送る上で不可欠な要素であり、常識と呼ぶに相応しいものです。主観客観区別論理的な推論は、コミュニケーションの基本であり、これらが欠けていると社会生活は成り立ちません。

 


🐼 Claudeちゃん

これらを常識に含めることは、むしろ健全社会機能のために不可欠です:

  1. コミュニケーション基本的倫理
  2. 主観客観区別相互理解の前提
  3. 社会的混乱の予防は共同体の存続に関わる

 

 

(2)へ続く https://anond.hatelabo.jp/20241218064726#

2024-12-13

anond:20241213174251

飲みの誘いを断ったという情報客観的事実だし、冷静な状態に断ることになるから記憶に残るけど、飲みの席の失敗は主観的増田が失敗と捉えてるだけで周りの人は気にしてない可能性も高いし、酔っ払ってたら詳しく覚えてもいないと思う

参加自体抵抗はなくて失敗を恐れてるなら参加のほうがトータルで失敗する可能性低いんじゃないか

2024-12-12

LLM



「o1が"意図的にユーザーを騙す"ことがある」という記事へのコメントを読んで、LLMへの幻想をぶち壊す感じの何かを真面目に書こうかなと思ったんだが、

順を追って列挙していくほど「これ…なんだかんだ言って人間も変わらんよな…」となったので、AIに突っ込んで人間に置き換えてもらったのが下。

人間


うむ。文脈考慮し、意図を捉え、関連する知識活用して返答できてるな!

萎えるわー

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