はてなキーワード: 年号とは
最近入院して手術したんだが、患者取り違え防止のためにことあるごとに生年月日と名前を言わされた。
当方いい年したおじさんのため、どうしてもこういうときに昭和XX年生まれって年号で答えてしまうんだな。
そのたびに西暦で答えてくださいって怒られたけれど、問診票は和暦で書くフォーマットになっていたからどういう管理になっているのかよくわからんね。
まあ利便性を考えると西暦で通した方が都合がいいんだろうけれどさ。
今じゃ役所とか公的な文書などお堅い場所でしか使う機会の無い年号だけれど昔はもっとカジュアルに使ってたな。
(昭和)58年のトレンドはなんとかだ!とか商業施設が55年4月2日にオープンみたいに俗世間的なイベントでも普通に年号を使っていた。
ノストラダムスの大予言がはやったときもあまり西暦が浸透していなかったからいまいち世紀末感が無かった覚えがある。
やっぱり昭和から平成に移ったのが転機だったのかな。不便だもんね。
90年代の10年間で一気に西暦表示が使われ出していってノストラダムスからミレニアムのあたりではすっかり西暦が浸透していた。
[前書き]
keepメモに残っていた呪物みたいな文章のお焚き上げです。n年前の文章なので今も通用するか分かりません。
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まず注意書きとしては別にこれを見て真似れば必ず偏差値70取れる訳ではありません。
ただ自分はこの方法で独学で勉強して河合塾の全統マークと記述模試でMAX71、アベレージ65-70、
ほかの教科の出来の悪さを抑えて、世界史が難問悪問で有名な四谷の私大に滑り込みました。
良ければ参考にしてください。
☆☆☆
5.実力をつける100題
☆☆☆
②一節ごとに教科書を読んでみる。
③一節読んだら書き込み教科書を赤シートで消えるペンで埋める。
④全て埋まったらまた節ごとに赤シートを隠して別紙に空欄の答えを書くことを暗記するまで繰り返す。
☆☆☆
①マンガを読む
歴史はぶつ切りで覚えても年号問題にやられるだけなのでハナから流れで覚えるべき。
ただ最初から教科書を読んでもワケワカメでつまんないはずである。
そこで小学館、集英社etc...どこが出しているのでもいいので、
「世界の歴史」みたいな名前の10巻くらいある漫画をとりあえず全巻読んでみる。
最初に世界史を掴むなら年号などない小学生向けの平易なやつの方が絶対ハマりやすく図書館にもあるのでそちらをオススメする。
一周読めばなんとなく世界史の流れやナポレオンのような著名な人物&エピソードは掴めるはずである。
万が一漫画を読んでもひとつも興味のある人物やエピソードがない場合は、
残念ながらあなたは世界史受験、もっと言えば恐らく日本史にも向いてないので政治経済あたりに転向した方がいい。
②③教科書を読み穴埋めする
高校世界史における最もスタンダードでありここからそのまま引用して問題文が作られることも多いバイブルだからである。
こんなに面白いことが簡潔にまとめられている書籍もないことに気がつく。
勿論、ただ教科書を読むだけでは特に単語が頭に入ってこない。そこで穴埋め教科書の出番である。
最初軽く教科書を読み流したあと、次は教科書を片手に赤ペンで穴埋めノートを埋めていく。
こうすることで教科書のセンテンスを流れで入れながら単語も手を動かすことによって自然と頭に入ってくる。
またこの時、対応する資料集のページを開いておくことも大切だ。
教科書で小さく表示された地図や作品も資料集では大きく表示されて視覚的に世界史を捉えるのにもたいへん向いている。
④穴埋めを周回する
400ページにも渡る教科書の重要事項のみとはいえ書き込みを終えただけでも、
余程記憶力の好い人以外偏差値70には遠い。ここからが周回するのが本番である。
これまで私は赤シートで隠れるペンで書き込めと言ったが、
この2週目からは赤シートで隠しながら何も無い状態で別紙に書き込み教科書の空欄を埋めていくわけである。
この2週目からスラスラと答えが埋まる人はそうそういないだろうが、それでいいのである。
思いつかない言葉があった節の教科書・書込み教科書・資料集の黄金トリオをまた傍らに読み込めばいい。
これを何周かするとあら不思議、教科書を見ずに書き込み教科書の空欄が埋められるようになる。
更に書き込み教科書の仕様上、一問一答のように単語だけを覚えるのではなく教科書の文脈も揃った上で単語を覚えている最強の状態になる。
注意としては例え苦手な分野があっても、覚え切るまで時代や地域を大規模に前後左右することはやってはいけない。
せっかく流れで覚えているのにごっちゃになってしまう。
ただ1周を順番通りにやり遂げることを覚えるまで何度も成すのが一番の近道である。
⑤実力をつける100題
正直書き込み教科書をマスターすれば早稲田の文化構想や慶應の文学部あたり、それからそもそも英語がめちゃくちゃ強い人ならこれ以上対策はあまり必要ないと思う。
過去問演習に入っていいだろう。そこで分からなかったことは追って学べばいいだけである。
ただ世界史で性格の悪い問題を出しやすい早稲田の社学や慶應の経済あたりを受ける人、
そして世界史で国語英語を補強したい人にオススメするのが実力をつける100題である。
書店で見ていただければわかるが実力をつける100題はテキスト穴埋め型の問題が多く、
これが書き込み教科書穴埋めに馴染んだ人には非常に適している。
またレベルは教科書では心もとない早慶レベルの世界史を補うにはちょうどいい。
教科書を読んでも分からないことも多いと思うので実力をつける100題までやるなら、
山川の世界史用語集は必須である(そうでなくても持っていると安心)
但し★マークのついた問題はこんなの誰も解けなくて当然なので余程の暇人以外は飛ばした方が賢明かもしれない。
これも何周でもやれるならやるべきだが、どこのどんな難化した世界史の問題でも9割以上取らないと死ぬ人以外は正直2-3周でいいと思う。
深くやるにしても正答率の低い単元だけ周回を増やすくらいの感覚でいい。
このテキストは難易度もそうだが量とそこから広がる引き出しが膨大なので、時間を費やすぎると沼って他の科目や過去問演習の時間を奪いかねない。
何より知的好奇心を持って世界史を勉強することを念頭に書き込み教科書をマスターして、実力をつける100題を数周するだけでも、
全統模試70はいけるポテンシャルと実力は得られるので、それ以上はもうお好きにどうぞの次元である。
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以上である。
最近はさすがに師は走ると書いて和尚がツー!と前のめりで行きたいところなんだけど、
ちょっと忙しい感じがするわ。
なんかみんなそわそわ年末年始を感じてしているみたい。
そのそわそわがイライラに変わるのを感じるわー。
そんな訳でお掃除したり
相まって年末大行進の状況で12月ってなんでこんなにあとでなにしてたっけ?って思い出せないぐらい忙しいのかしら?
実際何にもやってるようには思えないんだけど、
忙しいって気が逸るばかり。
いい加減私もデスク周りを綺麗にしようとは考えているのよ一応には。
でさ、
私昨年の今頃のスケジュールはなにしてたっけ?って振り返りの時間を設けて
昨年のノートスケジュール付けていたのを記していたものを開いてみていたの。
まって!
でね、
その昨年のノートの今年と同じ日付のページをめくっていると
なるほどふむふむ!
昨年の私は昨年やっていたことを行っていたのね!って仕事っぷりが分かるのよ!
今年もその昨年に見習って行う今年のことを!ってマイペット並みに今年のうちに終わらせよう!って思った矢先だったのよそれは。
あれ?
今日の日付のトゥードゥーリストにやってないことがチェック入ってる!?って
このリスト私今日やって実施してないのになんで?って思ってじっくり見てみたら
昨年のノートを見ていることをすっかり忘れていて今年のノートと勘違いしていたのよ。
すっかり
今年のノートだとそれを見ているのと錯覚してしまった暗示に掛かってしまって、
あれ?ってなったの。
冷静沈着にここは注意力アップして30000まで高めてよく見てみると、
まあさっきも言ったとおり
そりゃー昨年の今日の明日のやっているトゥードゥーリストのことにチャックついていて当然丸出航!って感じよね。
一瞬我ながらビックリしたわ。
そして安心したの。
年号の数字をしっかり目を見開いて刮目しなくては分からないぐらいそっくりで、
明日やることを書き記したの。
今年の昨日の今日とか。
時系列がこんがらがっちゃている、
なんとなくなにも成し遂げていないのに年が暮れるのに焦っていて
今のうちから年越しそばのどん兵衛を買っておくチャンスのタイミングを寸前に買ってしまうと、
店員さんにおまえの年越しそばはどん兵衛か準備万端ではりきってるな!って悟られるから、
今日のお昼に食べるような顔して今日中ぐらに買い物カゴに入れてレジを通過して帰ってしまえば、
店員さんも、
ああこの人は今日のお昼かにこのどん兵衛食べるのね!って思ってくれるから、
年越しそばをもの凄く今から楽しみにしている人と見透かされなくて安心なのよ。
年越しそばにはお手軽お湯を注ぐ、
新垣結衣ちゃんが言うところのチキンラーメンを作るのは非常に面倒臭いけれど
お湯を沸かすのはギリギリ面倒くさくないでお馴染みの面倒くさくささのギリギリ面倒くさくないじゃない。
美味しいしさ。
でもなにかそれを超える美味しい年越しそば体験をしてみたいものだわ。
たぶんお店に行くと特に混雑し始めるギリギリの日時を目指していくと
相まってまた年越しそばに対して凄い熱量で今日食べないと死ぬ!って勢いのぐらいの人だと思われたら恥ずかしいので、
今日辺りに行って普通の夜のスナック感覚でサクッとすすって食べて帰るぐらいの雰囲気いやイキフン?で食べる方が恥ずかしくないわよね。
だから、
駅そばそばチャンスもギリギリに差し迫ってくるスケジューリングはダメよ!
今のうちに食べておいて心を落ち着かせる安堵のそばの盛られたせいろの上に鎮座された蕎麦の麺の上にワサビをちょっと塗って食べるのが美味しいのよね!
この時期も
身体冷えちゃうから春菊天をトッピングにもうこれはまっしぐら必須必至でしょ!
春菊天美味しいじゃない!
慌ててスケジュール帳のノートを見間違えないようにここは心落ち着かせて、
そう、
これ書いてて思い出したけど、
蕎麦も最近行ってなかったわー!ってことを忘れるぐらい忘れていた食べ忘れていた蕎麦を求めて久しぶりに大将やってる?スタイルで暖簾に腕押し飛び込み前転で入店して、
まって!
ここは食券制のお店だった!
忘れてた!
食券を買ってから飛び込み前転で入店してお蕎麦でも温かいもの春菊天があればそれしか勝たん!って言うぐらいの、
でもしっかり寒くなってきている冬だから、
ザジェイウォークさんの「何も言えなくて…夏」文法で言うところの
「寒すぎて…冬」って感じ。
三点リーダに季節の春夏秋冬の言葉を付ければ何でもザジェイウォークさん文法になっちゃうからオススメよ!
「秋刀魚美味しくて…秋」とか
そういう感じ!
「て」で終わって三点リーダで結んで春夏秋冬のどれかの一文字の季節の漢字を加えたら出来上がりよ!
簡単でしょ?
「忙しすぎて…年末」っていうのはザジェイウォークさんの年末は季節の漢字に読み替えてもいいか歳時記を見て欲しいところよ。
載ってたらきっと使って良いんだと思うわ。
応用で
なんでもきっといいんだと思う。
そのぐらい寛容力に包容力があるのよこのザジェイウォークさん文法は。
便利過ぎるわね。
うふふ。
今日はこっちの囓ったら中心に鮭を感じるところまで気持ちはもう到達している真ん中に鮭の具が入っているおにぎりの鮭おにぎりね。
食べるのを忘れて鞄に入れたまま忘れないようにしないとね。
パックがいっぱいあるので
夏の水出しルイボスティーウォーラーのもの早く使い切っちゃわないとってところもあり、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
実家は田舎の山奥にあるので、寺とか共同墓地とかそういったものではなく、山に墓が設置されているタイプであった。
しかしその山に設置されている墓地の量がどうも尋常ではないようである、ということに、だいぶ大きくなってから気づいた。
墓参りの当日は、墓参りなのにちょっとした山登り並みの準備をしていた。といっても標高は50メートルくらいしかない。
まず墓の場所が3箇所に分かれていた。最初の場所には最新の墓が置かれていた。自分から見ると父方の祖母と祖父、父方の曽祖父とその妻である。
そこの墓参りを済ませると次の場所に移動した。次の場所は墓石が5個くらい置かれていた。墓石には江戸時代の年号が書かれていた自分との関係は誰もわからない。
その墓参りが終わったら三箇所めに移動した。最後の場所は墓石が20個くらい置かれていた。こちらも墓石には江戸時代のような年号が描かれていて、自分との関係は誰もわからない。墓石かどうか怪しいものもずいぶんあった。
そのような墓参りを、物心がついてからずっと続けていた。実家を離れて生活するようになって、どうもこれはおかしいのでは、と思い始めた。
別に実家は裕福なわけでもなく単に田舎なので田んぼとか山とか所有しているようである(というよりも経済的には中の下であった)。
どうも墓石を処分するにも随分と手間と費用がかかるようである。
(前半からの続きです。)
https://anond.hatelabo.jp/20240608093126
もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います。作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。
大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品はほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。
思い返せば2020年のトリエンナーレにあった「エビにSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビと水草の入っている閉じた水槽)の中でエビは酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草は二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビは生殖をしなくなる。そこでエビに生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品はエビにセクシーな格好をさせるとか、エビの秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶しています。しかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球の生態系の比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授の課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています。
2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号と出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家のメモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事が引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています。自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。
現代芸術の作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます。人文学、哲学、歴史学、経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。
かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家は自由に作品を作れるはずなのに、ただ社会の要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります。
しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。
トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島の原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品の面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。
しかし問題は受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケな作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります。
今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術を意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味を付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています。作品と意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います。
私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメの解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかしアニメ本編とはズレているから面白い。YOASOBI の歌はアニメのストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術も世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界をアートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います。
しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地を創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。
批判めいたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレを批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーションと環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感も理解できますが、それとは別に、芸術と資本の関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本の資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品が意味をもつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味を暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。
咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーターの解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身が作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義のマルボロの広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランスは果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーターが真剣に構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います。
要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます。
魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風のファンになり、富山妙子の画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号のオブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛けの作品が好きでした。
つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。
内容さえ理解してれば語呂合わせなんて必要ないんだぜ……って高校生の頃はかっこつけてたけど、他の事はあんまり思い出せなくても手腕だからシュワンが動物細胞、みたいなのは今でもパッと出てくるからバカに出来ないなって。
概念のパッケージ兼内容を表すラベルとして割り当てられる言葉も、それそのものは恣意的に決められるものだしそれ自体に意味はないしな。ソシュールか。
風や靴という言葉そのものには何の妥当性もないし、風車とか靴箱とかみたいな既存の無意味な言葉を組み合わせたものでない限り言葉からは何も分からない。ナポレオンという名前からも何をやった人間なのかは全く伝わってこない。年号だって出来事の流れを理解してれば時系列くらいは分かるだろうけど、そのものドンピシャは暗記するほかない。
じゃあなんで年号変わってんだよってゆう
こうなるとなにを書くことがある?
2ちゃんねるにある未来人のひとのように覚えてることや画期的なことで教えられることってなにかある?
・アップルとグーグルがスマートフォンを発売する。携帯電話位の大きさのネット端末をほぼ全員が持ち生活が大きく変わる(2010年ごろ?)
・コロナが流行している中東京オリンピックは開催される(2021年)
・ジャニーズと宝塚と松本人志と日テレがスキャンダルで壊滅的な打撃を受ける(2023年)
・統一教会が安倍総理暗殺をきっかけに打撃を受ける(2022年)
・全体的に値上げする(2024年)
・イチローも長かったけど流石に辞めてる
・任天堂はすごいまま
【追記】
・公衆トイレはほぼ洋式で公衆トイレですらウォシュレットが装備
・コンビニは淘汰されまくりでローソンファミマセブンがほとんどになる
・2001年にアメリカで旅客機をビルに突っ込ませるテロが起こる
・宮崎駿は何回も引退宣言しつつも映画を作り続けて海外でも賞をとる
・天皇陛下が上皇して年号が変わる(平成天皇も2024年現在は生存)
・パソコンはなんかすごいまま
・こち亀終了、ゴルゴ13やクレしんは作者が死んだけど連載続行、ガラスの仮面とHUNTER×HUNTERは作者健在だけど進行しないまま連載も継続
・ソニーが任天堂に対抗してゲーム機を出す今は5台目。一方残念ながらセガは、、、
(んー、書き込めることねえなあ)
世代間でどの世代がいかんとか言う話になるとき、年齢の認識が合ってないことがよくあるので、早見表を作ってみた。
【追記】スマートフォンなど、画面幅が狭い環境だと世代の名前が入っている表の1行目が崩れます。幅を広くできる環境(横にするなど)にするか、PC表示モードなどにしてみてください。
意図した表示だと、二行目の年号は、2つずつ、生誕年の開始と最後で2個ずつ対応してます。
【追追記】
<安保・全共闘世代 | 団塊の世代 | しらけ世代 | バブル世代 | 氷河期世代 | プレッシャー世代 | ゆとり世代 | Z世代 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1935 | 1946 | 1947 | 1949 | 1950 | 1964 | 1965 | 1971 | 1970 | 1984 | 1982 | 1987 | 1987 | 2004 | 1995 | 2015 | ||
プラザ合意・日米半導体協定 | 1985 | 50 | 39 | 38 | 36 | 35 | 21 | 20 | 14 | 15 | 1 | 3 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 |
バブル崩壊 | 1991 | 56 | 45 | 44 | 42 | 41 | 27 | 26 | 20 | 21 | 7 | 9 | 4 | 4 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 |
就職氷河期 | 1992 | 57 | 46 | 45 | 43 | 42 | 28 | 27 | 21 | 22 | 8 | 10 | 5 | 5 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 |
55年体制終・細川政権 | 1993 | 58 | 47 | 46 | 44 | 43 | 29 | 28 | 22 | 23 | 9 | 11 | 6 | 6 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 |
ウルグアイランド発効 | 1995 | 60 | 49 | 48 | 46 | 45 | 31 | 30 | 24 | 25 | 11 | 13 | 8 | 8 | 誕生前 | 0 | 誕生前 |
拓銀・山一崩壊 | 1997 | 62 | 51 | 50 | 48 | 47 | 33 | 32 | 26 | 27 | 13 | 15 | 10 | 10 | 誕生前 | 2 | 誕生前 |
自公連立政権成立 | 1999 | 64 | 53 | 52 | 50 | 49 | 35 | 34 | 28 | 29 | 15 | 17 | 12 | 12 | 誕生前 | 4 | 誕生前 |
米国同時多発テロ | 2001 | 66 | 55 | 54 | 52 | 51 | 37 | 36 | 30 | 31 | 17 | 19 | 14 | 14 | 誕生前 | 6 | 誕生前 |
就職氷河期終 | 2005 | 70 | 59 | 58 | 56 | 55 | 41 | 40 | 34 | 35 | 21 | 23 | 18 | 18 | 1 | 10 | 誕生前 |
リーマンショック | 2008 | 73 | 62 | 61 | 59 | 58 | 44 | 43 | 37 | 38 | 24 | 26 | 21 | 21 | 4 | 13 | 誕生前 |
自民→民主 政権交代 | 2009 | 74 | 63 | 62 | 60 | 59 | 45 | 44 | 38 | 39 | 25 | 27 | 22 | 22 | 5 | 14 | 誕生前 |
東日本大震災 | 2011 | 76 | 65 | 64 | 62 | 61 | 47 | 46 | 40 | 41 | 27 | 29 | 24 | 24 | 7 | 16 | 誕生前 |
民主→自民 政権交代 | 2012 | 77 | 66 | 65 | 63 | 62 | 48 | 47 | 41 | 42 | 28 | 30 | 25 | 25 | 8 | 17 | 誕生前 |
トランプ大統領爆☆誕 | 2017 | 82 | 71 | 70 | 68 | 67 | 53 | 52 | 46 | 47 | 33 | 35 | 30 | 30 | 13 | 22 | 2 |
戦後最長の景気回復宣言 | 2018 | 83 | 72 | 71 | 69 | 68 | 54 | 53 | 47 | 48 | 34 | 36 | 31 | 31 | 14 | 23 | 3 |
コロナ禍 | 2019 | 84 | 73 | 72 | 70 | 69 | 55 | 54 | 48 | 49 | 35 | 37 | 32 | 32 | 15 | 24 | 4 |
ウクライナ侵攻 | 2022 | 87 | 76 | 75 | 73 | 72 | 58 | 57 | 51 | 52 | 38 | 40 | 35 | 35 | 18 | 27 | 7 |
今ここ | 2024 | 89 | 78 | 77 | 75 | 74 | 60 | 59 | 53 | 54 | 40 | 42 | 37 | 37 | 20 | 29 | 9 |
確かに団塊の世代は終わり、その後の「しらけ世代」と言われる人々も引退の年齢になっているけれど、まだ企業の意思決定などをやってるのはバブル世代では?
氷河期世代と言うのは、実は10年以上ある。今54歳から40歳が氷河期世代。なので、バブル世代の指示のもと、氷河期世代が作り上げたのが今の株価ということになるだろう。そう言う点でみると
と言う形かなと思われる。
就職したころは日本中が明日は必ず今日より良い、と信じられていた時代。バブルを引きおこしたのは団塊世代ではなくてその前の世代(安保世代や全共闘世代)が起こしたが、その後、経営層として始末をやったのがこの世代。
ただしその対応は場当たり的で、不良債権と少子高齢化の両方を先送りし、既存の雇用を守ると言えば聞こえがいいが、保身のために就職氷河期を生み出し、非正規雇用を拡大した頃に中堅主力だったのはこの世代。
実は、これに該当する年限はそれほど長くはないが、とにかく人数が多く、青春時代は学校の教室が足りない、すぐ上の世代がやれ安保闘争だ、やれ全共闘だ、とやり合っており巻き込まれたりしていた。そして年をとると年金給付年齢が引き上げられ、介護の状況も悪くなるなどに直面している。
高度成長期に生まれ、前の世代の政治闘争をしらけた目で見ていた世代。バブルの一番華やかな時代を30台などで過ごし、就職氷河期時代を中堅で過ごした世代。定義上のバブル世代とはズレるけど、批判される対象としはこのあたりが遡上に上がってる気もする。
ただ団塊世代の失敗はよく見ており、リーマンショックの時の対応は諸外国に比べると上手くいったと評価されていて、その対応にあたった世代でもある。
ただし、それは団塊の世代が作った仕組みにひたすら乗っかっていると言え、学生運動にも巻き込まれず、バブル崩壊氷河期時代には就職し終えており、早期退職という名のリストラの嵐が吹き荒れる直前にターゲット世代から外れるなど、旨いこと社会変革に巻き込まれなかった幸運な世代と言えるかも。
逃げ切りやがってと言う時に「団塊の世代」とか出てくるけど、真実逃げ切ったのこいつらじゃねえかなって思うことも。
バブルのピーク時に就職した世代と言われる。この頃はとにかく経済が過熱しており、とんでもない売り手市場どころか乱獲状態、冷静に考えるとおかしなことが多かった。
しかし、就職直後にバブル崩壊を経験し、ひたすら悪化していく景気への対策を迫られ、ソルジャーとして使われた世代でもある。就職の時の景気が良かったたと言う一点以外は、それほど氷河期世代の初期とは差は無いはず。しかし、そこで大きな常識の断裂があって、下の世代と意識のずれがあると言われ続ける。
それは、青春時代の一番多感なころをバブルの社会で生きたからでは?
また、この世代と、次の世代との間には、ITの一般への急速な普及という大きな断絶もある。
バブル崩壊前に生まれ、不安定な経済情勢に巻き込まれた世代。氷河期世代前期はまだバブルの華やかな時代に青春を過ごしているが、氷河期世代の後半は経済などに興味を持つころに山一証券崩壊、同時多発テロなどを経験しており、達観のようなものがあって「さとり世代」という区分も存在する。
その世代は、小渕恵三内閣のあたりから景気対策として労働関連法制の緩和が始まり「フリーター」という言葉がもてあそばれ、リーマンショックの時にも大打撃を受けるなど踏んだり蹴ったりであると言える。この世代から一気に婚姻率や出生率がガクンと落ちている。
現在は労働力として中核的世代になってきているが、層が薄いために過重労働を強いられたりしている。また、ITの教育が貧弱だった割に、社会に出たらIT化の波に揉まれた世代でもある。
定義場はわずかに存在する世代で、簡単に言えば就職氷河期が終わったとされる年から、リーマンショックまでの世代を言う。この世代は近代の中で最も詰め込み教育が行われた世代で、その弊害が叫ばれた。(弊害を叫んだのはちょうどしらけ世代なんだよな)その反省から後に「ゆとり世代」がうまれることになる。
思春期をインターネットの急速な発展と共に過ごした世代で、ITネイティブと言われる人々が登場するのはこの世代以降。
しかし、生まれた直後にバブル崩壊しており、就職直後にはリーマンショックを経験して大規模リストラなど、この世代は就職する頃には、「景気が良かった時代」を経験した事が無いため、萎縮しがちで「プレッシャー世代」と名付けられた。
氷河期世代よりは正社員で就職できたため層が厚めではあるはあるが、これは団塊の世代の大量退職が始まると言う背景から、人材不足で売り手市場になったと言うもの。それほど内情は良くない一方で団塊世代の穴埋めや、氷河期世代で歪んだ社内の人材を補填する役割を期待されて、現在に至る。
ゆとり教育を受けたと言われる世代で、実は結構長く「Z世代」とも被る。現在就職している若手はみなこの「ゆとり世代」にあたる。
初期の世代は、ようやく不良債権処理が終わり、日本経済が上向きになったころに青春時代を経験した。リーマンショック直後に就職だが、リーマンショックは高齢者や非正規雇用、不採算部門のリストラを中心に対処されたため、新卒採用の絞り込みはそれほどではなかった。
そのため、この世代の先頭組でも氷河期世代ほど就職関係の指標は悪化は経験せず(社会不安が叫ばれる中での就職活動となった点はあるが)その後少子高齢化を背景に急激に売り手市場となった。
また、この世代の後期はリーマンショックや東日本大震災は子どもの頃の出来事で、青春時代は中国景気に起因する「いざなぎ景気超え」宣言が出るような緩やかな景気回復にあったため、社会情勢は比較的安定しており、景気が悪い時代しか知らない世代に比べると、前向きでふわっとしていると称されている。
これはオマケ(他の世代は新卒就職時機を基準にした世代の分け方だが、これだけ違う)
実はZ世代と言われている層ってゆとり教育世代と半分ぐらい被るって覚えておくと、ゆとり世代を腐してZ世代を持ち上げるような言動をする人に惑わされずに済む。
ただ、分類によると、ゆとり世代の最後の世代(2017年あたりで区切る)をZ世代とするものもある。ただこれだと別の「Z世代」の定義と被って面倒くさいんだよな。