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長い!一行で:元増田、無理は禁物
とても興味深く読んだ。というのも、私自身も増田言うところの、「魂のない」ように見える人たちの存在を強く感じながら生きてきたので。
彼らはその瞬間の不快や怒られを回避するためなら嘘もごまかしも無理筋の言い訳も躊躇わない。その場しのぎの言い訳は短期間のうちにコロコロ内容が変わり、事に当たる際に仁徳やら規範やらの、自らの内にある判断基準を経由しているようには全く見えなかった。というかあまりに脊髄反射だけで生きているので、なんだか虫みたいだな……と思っていた。
「虫みたいな人たち」は、不思議と皆、行動原理の最上位に性欲を置いているらしかったので、それがまた、命尽きるまで鳴くのをやめないセミのようで、どうにも理解しがたかった。
また、もう一つ共通した特徴として、彼らは「関わらないでくれ」という言葉が通じなかった。
どんなに誠実に断ったつもりでも、女は「お前が私を寂しくさせた」「お前のせいで傷ついた」と泣き叫んだし、男は「俺にセックスさせないお前は極悪人だ」と喚き散らし、驚くほど必死に私を攻撃した。
ストーカー被害にも遭ったが、30代も半ばを過ぎた今では「私を特別な存在にしろ」という人からのオファーがぐんぐん減り、人生一番の安息を味わっている。
ここまででピンとくる人もいるだろうが、つい先日私は発達障害と診断された。どまんなかの孤立型ASD、知的に問題がなく擬態もそこそこ上手かったので診断が遅れたとのこと。
それについては特に驚きもない。それはそうだろう、「虫みたいな人たち」の方こそ動物としては正統の存在で、話の通じない障害者に傷つけられていたのであれば、申し訳ないことをした。というようなことを思ったぐらいだ。これから先も、「理解ある彼くん」という名の虫には現れてほしくない。
そのような立場から元増田の話を見ると、妹御とそのお子さんが困難な状況にあるのは間違いないが、それよりも増田の方に同情と共感を覚えた。
自分の経験を通して何か言うなら、妹さんとは、あまり正面から向き合わない方がいいかもしれない。絶対に理解できない相手を理解しようとしすぎると、人間は壊れる。
前述のストーカー被害に遭った大学生の頃、私は虫のように感じられる相手を対話を通して理解しようと努めた。努めて努めて適応障害を発症し、その結果2年留年した。分かり合えない相手が肉親であるという苦悩は察するに余りあるが、半身で向き合い、ある程度は受け流すことをお勧めして、この長文を終えたい。
夫に不満はない。収入は30代後半で800万台、大手企業勤務、義実家の援助でローンも組むことなく家を購入できて、私は前職を退職して無理なく働くことができている。ただ、夫は容姿は悪くはないけど学歴がMARCHで少し太った体型をしている。でも、精子提供のサービスを知らなければ、私は何も考えずに夫の子供を産んでいたと思う。
夫とは結婚相談所で知り合った。家庭環境が良さそうで育ちの良いお坊ちゃまという感じ。すごく好きでもないが嫌いでもなかった。デートをしたり共同作業をするうちに一緒に生活できそうな気がした。その直感はあたっていて、実際に生活自体は問題なくできている。子供に対する希望はお互い”すごく欲しい訳ではないけど出来たら嬉しいかもしれない”程度のふんわりしたものだった。最初、私は別に夫との間に子供ができてもいいと思っていたけど、結婚生活を送る中で徐々に不安になってきていた。
まず、夫はメンタルがそう強くない。すごく弱いわけでもないが、強くはない。そして昇進の意欲がない。役職は係長だけど入社年数があれば、大きな問題さえ起こさなければ誰でも昇進できる役職らしい。仕事が嫌いではないらしいが、意欲もそれほど強くなさそう。体力があるほうでもないし正直頼りない。性格はある程度後天的・環境に依るものだとは思うが遺伝的要素は無視できないから、この人の子供を産んで大丈夫かと不安になった。そんな時、精子提供サービスの存在を知った。
夫と私が出会ったのは30代半ばの時。子供を作ろうという話になったのは結婚して1年経った時だったと思う。挙式、新婚旅行など一通りを終え、次にまた新しいことをしたいとお互い思って話し合って出た結論だった。ただ、妊活は最初からクリニックで受診した後に不妊治療でしたかったから、夫にはそれは承諾してもらった。夫には素直に言えていないが夫とのセックスは正直何も感じず苦痛ですらある。そんな行為をして子供を産むよりは人工授精か体外受精で子供を授かった方が私としては身体面の負担が少ない。本当に子供を授かりたいなら漫然とタイミング法での性行為をするよりは医療的なケアがあったほうがいいと思う。
精子提供サービスを知ったのはネットでだった。不妊の原因の半数は男性にあるからニーズはあるのだろう。ドナー情報の閲覧(個人情報までは見れないが)くらいなら無料登録の範囲で可能だから、試しに見てみた。そのサービスではドナーは身元情報も登録されており、学歴は学歴証明書、性病の有無、精液検査まで実施されている。興味を惹かれたのを覚えている。
登録した時はほんの興味本位だったけれど、見ているうちに不安が芽生えてきた。大切な子供の人生なのに、遺伝的に不安のある夫の子供を産んで大丈夫か。どうせ産むならいい人の子供を産みたい。その方が子供も幸せでしょう。義両親にばれたらとも思った。でも後悔をしたくなかった気持ちが勝る。
夫との不妊治療は人工授精で行っていた(数回して後に体外受精に切り替えたが)が、夫の精液を持って行くのは私の役目で夫は最初の受診以外はクリニックに行かない。夫のほうが仕事が忙しいから私が持って行くと提案し、夫もすんなり受け入れてくれた。夫の労力を考えてのことでもあるし、特に訝しがられることもなかった。ちなみに、最初の受診で夫が行ったのも精液検査のためだ。夫から渡された精液は捨て、精子提供のドナーの精液をクリニックで渡していた。私が持って行くのだから、クリニックにも露見はしない。夫以外の子供を産むなら不妊治療はやりやすかったのは事実だ。
生まれた子の顔でばれるかもしれないと最初不安だったけど、そこは何とかなると思っている。夫よりは容姿が整っており、スタイルもよく、学歴も慶應卒。体型が父親と違っていても疑う要素にはならない。容姿もある程度はごまかすことができると思う。私の要素が入るのだから、夫と完全に一緒の顔立ちにはならない。ごまかせると思う。しらを切れば良い。ドナーの男性とはお互い精子提供で知り合っているから、クリニックに行く日にドナーの方に精子を提供してもらっていた。少ないが謝礼は多少お渡しし、交通費はこちらで負担させてもらっていた。血液型も夫と一緒だ。人工授精の時は実際の性行為をしたほうが妊娠の確率が上がるから、数回だけだけどドナー男性の許諾を得て性行為をしたこともある。夫より断然テクニックも上手だった。
そうして生まれた子供はもう2歳になる。私から見れば夫と子供は似ていないけど、夫は「自分に似ている」と言う。思い込みって怖いものだね。夫よりは母親に似ていると私が言っていることもあってか、義両親も特に疑う様子はない。正直不安はあるけれど、今のところ何も言われていない。でも、これで良かったと思っている。悪いことをした気持ちは多少はあるけれど、正直、今更後に引けない。
あと、同意書なんて私が代筆してやったけど……。
年始だから…というわけではないのですが、またやらかしてしまったので、自分の中で言語化して、書き散らしておく。
閲覧注意です。
人類皆なにかしらそういう面を含むとは思うが、自分はその度が過ぎているのが問題。
○よくない行動の具体例:
・他人からどう見られているのか気にしないので、身だしなみを整えない。
・待ち合わせに遅れる。
・LINEの返信が遅い。
・人の流れが激しい場所で急に立ち止まる。
・多少の汚れをほっておく。
・歩きスマホしがち。
マナー違反ビンゴがあったらビンゴどころかフルコンプする勢い。
自分がよければそれでいい態度を他人にとってしまうため、怒らせてしまう。特に、かなり親しい相手を怒らせがち。
そうならないよう自分を律しているつもりだが、親しい相手だとその意識が薄く、傍若無人な振る舞いになるため。
また、自分の不機嫌ラインがかなり低く、自分が同じことされても怒ることはないため。
(上記よくない行動の具体例について、他人にされたとしても自分は気にしないし、実際他人に怒ったことがほとんどない。)
○その結果:
・結局1人が一番楽だと感じてしまう。
・他人への興味が非常に薄い。
・誘われ待ち。受け身。
・歳の割に全く垢抜けてない。
ここまでが現状。まあひどい。
ここから先は、まだ明確な答えはない内容。
○こうなった原因:
・わからない。本性がそうであると言ってしまえばそれまでだが、強いて言うなら、周りの環境に恵まれたのだと思う。
・現状、何かしらの診断を受けたことはないですが絶対引っかかると思います。(詳しくない)
○これからどうするか:
・正直なところ、よくない具体例をひとつずつ気をつけていくしかないと思っている。
・1人ではないときは、オンモードとして、常に見られている意識を持つこと。オンモードが苦痛に感じないレベルに慣れること。オフモードにならないこと。
○ここまで書いて思ったこと:
・このような、他人への気遣いを常にされている周囲の人々のおかげで、私はこれまで楽〜に生きてこられたのかなと。
ここまで書いたからにはよいところも考えてみた。
○性格ゆえのよいところ:
・最終的にはやらないといけないことはやる。ただしギリギリ。→怒られるのはイヤなので…
・自分ひとりで頑張りがち。→他人に興味がなく他人に頼ろうとしないため。自分で全部やったほうがはやい。
・目に見えるトラブルは起こさない。→真の自己中は、あとあと面倒になることはしません。
・自分が楽になるための苦労は惜しまない。→仕事を楽にするツールを作るときは楽しい。
・自分で解決できそうな他人の悩みには親身。→感謝されたいから。
○最後に:
・こんな内容、チラシの裏にでも書けばいいのに、わざわざインターネットに晒すのは、どこかで慰めの言葉をもらえることを期待しているんじゃないか、ということを否定できない。承認欲求丸出し。
幼い頃から、私たちは“セット”として見られてきた。生まれた日も同じ、顔立ちもよく似ている――いわゆる“一卵性双生児”ではないけれど、それでも周りからは「双子っていいね、仲良しでしょ?」と言われ続けてきた。実際に仲が悪いわけではないし、ケンカらしいケンカをしたことも数える程度しかない。
私と兄は同じクラスに入ることが多くて、席替えのときにはいつも先生が「双子は離しておいたほうがいいわよね」と気をつかってくれたから、わざわざ離れた席にされたりもした。まあ、それはそれで気が楽だった。四六時中、兄の隣りにいるのはちょっと落ち着かないというか、どうも“完全なる一心同体”なんてことはありえないんだと、子どもながらにどこかで感じていたから。
けれど、周囲のイメージとは裏腹に、私たち姉弟――いや、厳密には数分だけ兄が早く生まれた、という関係性――は、「まるで違うタイプ」の人間だった。性格も、好きなものも、行動パターンも、何もかも対照的。
兄は昔から落ち着いていて、実に要領がいい。小学校の頃から自然とリーダー役を任されることが多くて、学級委員をやっていたこともある。友達は多いし、先生からの信頼も厚い。ふと気づけば彼を中心にグループができているような感じで、皆が「○○君に相談すれば大丈夫」「分からないことがあったら○○君に聞けばいい」と頼ってくる。本人はあまり偉ぶることもなく、いつも穏やかに笑いながらうまく場を収めていた。
一方の私は、人前でしゃべるのも苦手だし、控えめに言っても“引っ込み思案”な性格だ。自己主張しないタイプで、どちらかと言うと集団より一人でいるほうが落ち着く。そんな私の横に、なんでも器用にこなしてしまう兄がいる――それがどれほど大きなコンプレックスを生むか、たぶん兄自身は気づいていない。
双子の妹としては、兄のことを「尊敬している」という気持ちが確かにある。その一方で、「ああ、また兄が注目を集めてる」「私なんて何をしても目立たない」と思わず拗ねてしまう瞬間だって少なくない。
たとえば、小学生のとき、学習発表会の劇で主役を決めるオーディションがあった。私は勇気を出して立候補してみたのだが、結果的にみんなの前でうまくセリフを言えず、途中で声が震えてしまった。恥ずかしくなって固まっていると、「じゃあ代わりに○○君やってみて」と先生が兄を指名した。すると、兄はほとんど練習もしていないはずなのに、しっかりセリフを頭に入れていて、堂々と演じてしまったのだ。そこにいたクラスメイトの拍手と歓声の大きさを思い出すと、今でも胸が苦しくなる。「これだよ、これ」と、みんなが“求める”のはいつも兄の方。私という存在は、最初からオプション扱いなんだ、なんて気持ちになってしまった。
そうやって、「どうせ私は兄に敵わない」と思うと同時に、兄が称賛される姿を見て心のどこかで誇らしく思う自分もいた。この矛盾した感情を抱えながら成長していくうちに、私は自分がブラコンなのかもしれない、と思い始めた。
――ブラコン。そう、兄を強く慕う妹のことを、ネットや友達同士の会話なんかでは気軽に「ブラコン」と呼ぶ。でも“好き”と言っても、それが恋愛感情であるはずがない。一方で、ただの家族愛だけとも言い切れない。自分でも整理しきれない妙な感情を“ブラコン”という軽い言葉でごまかしている気もした。
中学生になってからも、この複雑な関係は続いた。中学校ではクラスが分かれることもあったし、部活動も別だった。兄はバスケ部、私は図書委員。これで少しは「双子セット」から解放されるかと思ったのに、周りの子にはすぐに「バスケ部の○○君の双子なんだ!」「あのイケメンの妹?」なんて言われる。兄が“イケメン”かどうかは正直私にはわからないけど、少なくともモテることは確かだった。
それを素直に「すごいね」って思えればよかったけれど、現実は違った。私の中にはまたしても“嫉妬”とも言えるような感情が生まれていたのだ。
兄が女子からチョコをもらってきた日、家に帰ったら「これ、好きな子から?」「気になってる子いるの?」と何気なく聞いてしまう自分がいる。いや、妹として話題にするくらいは普通だろう。それでも内心では妙なざわつきを感じる。兄の恋愛を想像するたびに、寂しいような、モヤモヤするような感情が胸のあたりで渦巻く。
私はどうしようもなく「兄を意識しすぎている」と思った。たとえば学校のテストの成績が出たとき。掲示板に学年順位が張り出されると、私は自分の順位より先に兄を探す。兄の成績が上位なら嬉しいし、誇らしい。だけど、いつも兄より下の順位の自分がなんだか情けなくもなる。
結局、私は兄の背中を追いかけているのか、それとも追い抜きたいと思っているのか、自分でもはっきりしない。そんな曖昧な気持ちを抱えてしまうせいか、勉強も部活も中途半端なまま、どんどん自分に自信をなくしていった。
高校受験が迫ったとき、先生には「同じ学校を受けることになるよね?」と当然のように言われた。両親も「双子なんだから同じ高校でいいじゃない」と笑っていた。だけど、私は少し反発心を抱いていた。いつまでも「兄の妹」として見られるのは嫌だったし、同じ進路を選ぶのが当たり前というのもなんだか癪に触った。
しかし、結局は同じ高校に通うことになった。兄の成績ならもっとレベルの高い私立や、他の選択肢もあったはずだけど、彼は家から一番近い、いわゆる“県立の進学校”を選んだ。私としては心の底でほっとしたのかもしれない。だって、違う学校に進んでしまったら、毎日どんな気分になるのか想像もつかなかったから。
高校に入り、部活も別々、クラスも別々になった。それなのに、噂はすぐに広まった。「あのイケメンの双子」だの「お兄さんと妹さん全然似てない」だの、また私は地味な存在として扱われ、兄だけが注目されているという図式が出来上がる。私はその“いつもの光景”に、慣れてしまったのだろうか。辛い、悔しい、というよりも、「ああ、またこれだ」と自分を納得させてしまっていた。
しかしその一方で、兄が自然とクラスでも中心的存在になるのを見て、どこか安心している自分がいる。それは確かにブラコン的な感情なのかもしれない。だって、「あ、また人気者になっちゃってる」「でも、なんだか誇らしいかも」と思ってしまうのだから。変だと思いながらも、これが私の素直な気持ちだった。
このまま大人になって、いつか兄が誰かと付き合ったり結婚したりすることになったら、私はどんなふうに感じるんだろう――そんな想像をすると、時々息苦しいような、不思議な寂しさが込み上げてくる。兄がいなくなるわけじゃないのに。「家族」だから、ずっと一緒に暮らすわけじゃないとわかっているのに、なんとなく孤独を感じずにはいられない自分がいる。兄がいなければ、私のアイデンティティはどうなるのか。自分ひとりで立っていられるのか、不安になる。
ある日の放課後、私は図書室で一人、本を読みながらうとうとしていた。すると、突然ガタガタと椅子が動く音がして、目の前に兄が座っていた。
「珍しいね。ここで何してんの?」
兄は私がよくいる場所をわかっていたみたいで、わざわざ探しに来たらしい。
「いや、ちょっと疲れちゃって……寝てた」
私が照れ隠しにそう言うと、兄は少し笑ってから、「今日は部活早めに終わったからさ、待たせちゃ悪いし。帰ろうと思って」とあっさり言った。
私が彼を待つなんて、そんなの当たり前じゃないのに。いつからか私たちは、自然と同じ時間に家を出て、同じ時間に帰るようになっていた。もちろん都合が合わない日は別行動だけど、兄はできるだけ合わせようとしてくれる。
私は不器用に本を閉じてバッグにしまいながら、少し早足で歩く兄の後ろ姿を見つめた。いつの間にか、背も私よりずっと高くなっていた。昔はほとんど同じ身長だったはずなのに。そんな変化ひとつひとつが、私の心をシクシクと痛めつけるような気がした。
高校二年のある夜、兄がふいに私の部屋のドアをノックした。ドアを開けると、彼が少し困ったような表情で立っている。いつも余裕たっぷりの顔をしている兄にしては珍しい。
そう言って兄は部屋に入ってきた。私は慌てて机の周りを片づけ、椅子を勧めた。何か深刻な話でもあるんだろうかと、胸が高鳴る。
「どうしたの?」と聞くと、兄は小さく息をついてから、「……おれ、告白されたんだ」と言った。
瞬間、私は心臓が大きく跳ねた。体温が上がるのを感じる。なんだ、その話。自慢でもしてるの?――そんな意地悪い言葉が頭をかすめる。けれど、兄が思いのほか真剣な表情をしていることに気づき、私は思わず黙り込んだ。
「その……同じクラスの子なんだけど、バスケの試合をよく応援してくれてて、この前の大会終わってから声をかけられた。ちゃんと考えて答えたいんだけど、自分はどうしたらいいのかわからなくて……」
兄はもともと人気者だし、告白くらい何度かされてもおかしくはない。けれど、彼がこんなふうに私に相談してくるのは初めてだった。
「どんな子なの?」と私は声を震わせないように気をつけながら尋ねる。
「明るくて、周りを盛り上げるのが得意な感じ。勉強も得意みたいだし、すごく……可愛いと思う」
そこまで言われて、私はなんとも言えない感情に襲われた。可愛い子。兄がそう表現する女の子。おそらく兄にふさわしい、そういうタイプなんだろう。私とはまるで正反対の…。
でも、私は笑顔を作って、「いいじゃない。付き合えば?」と返した。兄は意外そうな顔をして、「そっか……でも、なんだか変に緊張して気軽に返事できなくてさ」とさらに眉をひそめる。
「兄ちゃんがいいと思うなら、OKすればいいんだよ。あ、応援してるから」
声が上ずりそうなのをこらえながら、私は精一杯明るい口調を作った。兄は少し安心したように笑って、「そっか……ありがとう」と言い、私の部屋を出て行った。
扉が閉まった瞬間、私は椅子に崩れ落ちた。ああ、終わった。そんな意味のわからない言葉が頭に浮かんでくる。私にとっては“何かが終わった”気がした。兄がこのまま誰かと付き合って、どんどん私の知らないところで大人になっていく……。その未来を思い描くと、胸の奥に大きな穴が空いたように感じる。
あの夜から私は兄とどう接していいのかわからなくなった。どんな顔をすればいいのか、何を話せばいいのか。今まで自然と近かった距離が、一気に遠のいてしまったような気がする。
それでも朝になれば兄と顔を合わせるし、一緒に家を出る。兄は普段通りに私に接してくれる。時には「行ってきます」と頭をポンと叩いて笑ってみせたり、何気ない雑談を振ったり。でも、私は妙なぎこちなさを拭えないまま、まともに目を合わせられなくなってしまった。
兄のほうは私のそういう態度に気づいているのかいないのか、何も言わない。それが逆に辛かった。私が一方的に意識しすぎているだけなんだと思い知らされるようで。
しかし、数週間ほど経ったある日、兄はふと私の肩を掴んで、ぐるりと向かい合って言った。「お前、最近なんか変じゃない? 具合悪いのか?」と。私はドキッとして何も言えなくなり、目をそらそうとする。
「もしかして、あれ……おれが告白された話、嫌だった? ごめん、変な相談して」
兄はそう言って、気まずそうに視線を落とした。そのとき私は、頭の中がぐちゃぐちゃになったまま、「別に」と口走った。
「別に、嫌とかじゃないし。良かったじゃん、兄ちゃんが告白されて……」
「うん、でもなんかお前の態度が変だからさ。もしかして反対なのかと思って」
「なんで私が反対しなきゃいけないの。全然いいよ。早くOKすれば?」
自分でもわかるほどに、投げやりな声になってしまう。兄は少しむっとした様子で、「何だよその言い方」と眉をしかめた。
あ、もしかして今、兄がちょっと怒ってる? 珍しい。そんなことを考えた瞬間、私は突然涙がこぼれそうになって、慌てて目を閉じた。
「ごめん……」
小さな声で謝ると、兄はそれ以上は何も言わずに、ほっと息をついて「わかったよ。とりあえず……ごめんな、変な空気になっちゃって」と呟き、また歩き出した。私は動揺したまま、背中を見送るしかなかった。
私がブラコンなのかもしれない――そう意識し始めたのはいつの頃からだろう。ずっと昔から、兄は私の“特別”だった。それが家族愛だけなのか、別の感情が混ざっているのか、自分でもわからない。ただ一つ言えるのは、私は兄に強いコンプレックスを持ちながら、同時に強く惹かれているということ。
テストで負ければ悔しいし、兄が誰かに好意を寄せれば胸が痛い。それでも、兄が元気で笑っていてくれると嬉しい。それはまるで、一方的な片想いにも近いかもしれない――なんて考えるのは、やっぱりおかしいのかな。
あれから何日か経った頃、兄は告白してくれた女の子に対して「もう少し時間がほしい」と伝えたらしく、今も決断できずにいるようだった。どういうことなんだろう。私は聞きたいと思いつつも、なかなか話しかけられないでいる。兄も自分からその話題を振ってはこない。
でも、この中途半端な状態が続くうちに、私は少しだけ気持ちに整理がつきはじめた。もし兄がその子と付き合うことを選んだら、私は素直に応援したい。兄の幸せを喜んであげたい。それが「妹」として当然の気持ちかもしれないし、私が抱えているコンプレックスや嫉妬は、所詮は家族愛の延長にある“わがまま”なのかもしれない。
「おれさ、たぶん……その子と付き合うことになると思う」
思わずどきりとしたが、私はできるだけ自然な声で「そっか」と返事した。すると兄は少し笑って、「まあ、お前とはずっと一緒にいるし、いろいろ相談してくれてもいいのに、最近は離れちゃってるから寂しかったわ」とポツリと呟いた。
「別に離れてなんかないよ、兄ちゃんこそ勝手に決めつけないで」
私は思わずふてくされたような口調になってしまい、すぐに言い過ぎたかと後悔した。でも兄は、「そっか」と柔らかく微笑んで肩をすくめるだけだった。私の中で、何かがほっと緩むのを感じる。兄はいつも通りだ。大きな変化が起きる前の、最後の日常みたいにさえ思えた。
その週末、兄は正直に返事をしたようで、結果として女の子と正式に付き合うことになった。その報告を受けたとき、私は不思議と落ち着いていられた。ああ、本当に、兄に素敵な人が現れたんだな。良かった。きっとすごく似合う二人になるんだろうな。
だけど夜になって一人になったとき、妙に胸が苦しくなって、泣きそうになる自分がいた。まるで失恋でもしたような――いや、これは失恋なのかもしれない。私が心のどこかで抱いていた「一番近い異性としての兄」が、誰かに取られてしまったような気持ち。そうとしか説明できない。
ただ、それを口にするわけにはいかない。だって、そんなの兄にとっても彼女にとっても迷惑だし、何より自分自身が許せなかった。
それからは、少しずつだけど状況は変わっていった。兄は放課後に彼女と一緒に帰ることが増え、休日も部活の合間を縫ってデートに出かけるらしい。家にいる時間も減ってきたし、リビングで顔を合わせてもスマホを気にしていることが多くなった。
そんな姿を見るたびに、私は初めこそ「何それ」と拗ねそうになったけれど、次第に「ああ、これが普通なんだよね」と思えるようになった。いつまでも双子で一緒に行動して、べったりいられるわけじゃない。私たちはもう、高校生になって、少しずつ大人になる道を歩んでいる。兄が変わっていくように、私も自分自身で変わらなきゃいけない。コンプレックスに振り回されるだけじゃなくて、ちゃんと自分の人生を築く努力をしなくちゃ。
そうして意識を切り替えるようになってから、私は自分自身にもっと集中しようと考えた。成績を上げるために塾に通うことを決め、大学受験に向けて目標を明確にする。部活には入っていなかったけれど、放課後は図書室に残って勉強する習慣をつけた。
以前なら、兄と差を感じるたびに落ち込んでいたけれど、もうそれはやめよう。兄が私とは別の人生を歩むのは当然のことなんだ。私は私で、やるべきことに打ち込めばいい――そう思えるまでに時間はかかったけれど、兄が“誰かの彼氏”になることで、その覚悟ができた気がする。
ただ、正直に言えば、私はまだ「兄が好きなんだな」と感じる瞬間がある。家でふと兄の靴が脱ぎ散らかしてあるのを見たら、「もうちゃんと揃えてよ」と文句を言いながらも、心が温かくなる。彼がリビングでぼーっとテレビを見ていると、いつものように軽口を叩き合いたくなる。そんな些細な日常が、やっぱり私は好きだ。だからこそ、これからもずっと“兄の妹”であり続ける自分を大切にしたいと思う。
確かに、兄と比較して自分を卑下してしまうこともあるし、兄に対する“ブラコン”めいた気持ちがふとした瞬間に疼くこともある。けれど、それも私の一部なんだろう。
それに、コンプレックスを抱えながらも兄を慕っていた時間は、決して無駄ではなかった。兄を目標にしてきたから、こんな自分でも少しだけ頑張ることができたのかもしれない。だって、誰かを目標にしなければ、自分なんか何もせずに投げ出していただろうから。
将来、私たちが進む道はもっとバラバラになるだろう。大学へ行くのか、就職するのか、あるいは兄はさらに先の道を選ぶかもしれない。けれど、たとえどんな道を進もうと、私たちは双子でありきょうだい。そこに嘘はないし、その事実は変わらない。
――もしかしたら、私は一生「ブラコン」かもしれない。時々、兄のことを思い出して「あの人は今どうしてるんだろう」と胸を締めつけられるように感じるかもしれない。それでも、私には私の人生があるし、兄にも兄の人生がある。お互いが自分の道を歩いて、それでも時々振り返ったときに「相変わらず元気そうだね」と笑い合える。そんな関係が理想だ。
だから私は今、「ブラコンかもしれない」という自分を受け入れつつ、少しずつ前を向こうと思っている。コンプレックスごと受け止めたうえで、兄のことを好きでいるし、同時に自分の目標に向けて一歩ずつ前進していく。その先に待っているのがどんな未来なのかはわからない。でも、きっともう少し強くなった私なら、兄の存在に振り回されるばかりじゃなくなる――そんな期待を抱きながら、今日も図書室の机に向かう。
時々、顔を上げて窓の外を見つめると、校庭でバスケをしている兄の姿が見える。仲間と笑い合いながら走り回る姿は、いつも通りキラキラしていて、私の胸をかすかに痛めつける。それでも私は微笑んで、参考書に再び向き合う。
「大丈夫、大丈夫」と心でつぶやきながら。兄は兄で、私は私。二人で支え合い、時には離れて、それぞれの人生を歩んでいく。私のブラコンはきっと治らないかもしれない。でも、それでいい。そんな自分を認めてあげたら、少しだけ楽になれる気がする。
https://anond.hatelabo.jp/20250103215850
お前んとこの診断のない要介護くんの話を何も関係ない発達障害者全員に敷衍するな。
お前が辛かった話を突然「俺たち」とか抜かすな。
お前の会社の人事がアレでうんこだという話を、突然「俺たち」「お前たち」の権利の話にすり替えるな。
まずは会社にもっと訴えろ。お前ら健常者の大好きな自助共助公助だろうが。あ?
>こういうこと言うと、今時ネットじゃボロクソに燃えるんだろうけど。
>俺に石投げていいのは、俺と同じ目に遭って、それでも最後まで文句ひとつ湧いてこなかった奴だけだからね?
いいや、お前のような頭の悪い健常者どものケツを拭かされながら、発達障害だから弁えろなどと訳のわからん抑圧を喰らわされそうな私からも石を投げさせてもらう。
所謂「よく発達した発達障害」、診断はあるがクローズでやってる私からの石だ。
こだわりの強さを生かして思いついた指摘も遠慮なくガンガン入れたりなどしていたらいつのまにか職場で「デキる人」扱いされ、その結果チームの他のメンツが忘年会で飲めや歌えとやっている間、緊急対応と称して一人客先でバグ潰しながら怒ってるお客様を何とかするというお仕事を、朝から晩までつまり朝8時半から夜最短でも19時半最長で21時半までやるという日を、なぜか土日含む7日間も続けさせられた私からの石だ。
2日目ぐらいの時点で感染症の濃厚接触が疑われたので検査に行かせろ客先には代理を立てろと頼んだのに「まだ(病気に)かかったと決まったわけじゃないから」などとのらくらへらへらかわされ、結果4日目くらいの時点で喉が死んで咳が死ぬほど出て声が出なくなるなどしたが「他にできる人がいないから」で結局7日間やり通さざるを得なかった。
途中からは明らかに発熱もあったが上司はリモートで謝り倒しとけばこっちが折れると思ってやがる。
ここまでやっててもチームでは疎まれているのもあって昇給も昇進も特別手当も見込み薄、それどころか近場だから出張手当の対象にもならない。もらったものと言えばこのときの風邪ばかり、咳が治らなくてろくろく夜も眠れない。
そしてこの「緊急対応」に駆り出されたおかげで本来の仕事が玉突き事故になったままおめでたく年明けに待ち構えてるって寸法だ。やってられるかよ。
そもそもわしゃヒラだぜ。ここまでするほどの責任はないはずだろうが。
なのに同じチームの他のメンバーや上席者は「できる人」にカウントされず、定時帰りの果てに部署の忘年会と会社全体の忘年会両方でご馳走食って土日もしっかりお休みだ。
ここまでされといて、更にお前のような勘違い健常者くんには「発達障害だから」「弁えろ」とか言われなきゃなんないのか?
冗談じゃあない。
「アンタのようなのには言ってない」?
しっかり書いてるだろうが発達障害の診断を受けた方よ俺らの権利を阻害するなと。
俺らの権利って何だよ。客の要望のらくらかわして金だけ取って忘年会でローストビーフ食う権利か?
おめーの文章が人を不快にさせるのはおめーが不正確なことを書くからじゃねえのか?
他責志向で自分が何をやってるかをわかってねえ。お前んとこの要介護くんと目くそ鼻くそじゃねえか。笑わせよるわ。
私は幸い健常者じゃあないから常識だの良識だのにはごまかされないし相手を見誤ることもない。
年明けにはたまりにたまった仕事を何とかしながら会社相手に闘争を仕掛けるつもりだ。
昇進も昇級も特別手当もない、そもそも一昨年時点で二人も辞めてんだから人増やせよなと言ってきたのに無視ってこれ、更に年始からは他のお客様に対しても同じことをせよ、しかし玉突き事故の仕事も己で何とかせよと求めてくる。
そんなに人件費削減がお好きなら協力して差し上げましょうかね。さらに一人減ったらさぞお喜びなんじゃないすかね?
ヒラの発達障害者が一人辞めたところで大して効果はなかろうが、元増田の言うところでは発達障害は頭数にしてマイナス1らしいから、消えたらプラスに戻ってウィンウィンですな!
それくらいの年齢だと親と自分の関係性が一番大きいからそれでもなんとかなっちゃうからだろうけれど。
あ?他責されたときはお互いに自分の正当性を主張し合ってたから、増田の姉の対応とは全く違ったものだったけれど、他責思考がそれで修正されたことはない。
そんな子供もギャンググループを構成するようになると自分が正しいみたいなことに執着すると友人関係が破壊されて結果的に損をすることに気づいたのかそういうのは減った気がする。
というわけで、甥っ子が同年齢の子供たちとそれなりに交流をするなら問題ないと思うけれど、同年齢の子供たちとの交流を遮断されているなら気になるなって思った。
あと、結局は解決できない思いみたいなのもあったりするので、真っ向から対立するよりも気分をごまかしてうやむやにする系の対応で、自分の心の処し方を教えるのもあるかもしれない。
新幹線降りたら、一面の雪景色。しばらくポカンとしたまま立ち尽くしてた。独り身で周りから見たらそれなりかもしれないけど、貯金も少ないし将来が怖すぎてたまらん。
出張ついでに来たこの観光地も、仕事のこと忘れるための口実みたいなもんだ。でもせっかくだから、せめて腹くらいは満たそうと商店街に向かう。
「食うくらいしか楽しみねぇって、泣けてくるよな」
奥の方にある暖簾に「雪国の味」って書いてあったのを見つけて、ふらっと入ってみた。
「いらっしゃいませー!」
店に入った瞬間、元気な声が響いてびっくり。周りを見ると家族連れやカップルだらけ。そんな中、独りで飯食おうとしてる俺が場違いすぎて軽くテンパる。
「……まあいいや、俺は俺のペースで楽しむだけだし」
気を取り直してメニューを見る。で、気づいたらこんな注文になってた。
店主に「かなり頼まれますね」って笑われて、ちょっと照れくさくなって「せっかくなんで、たくさん食べたくて」ってごまかした。
次々に料理が運ばれてきて、テーブルがすぐに埋まる。「やばいな、これ……頼みすぎたかも」そう思ったけど、目の前の天ぷらを一口食べた瞬間、そんなことはどうでもよくなった。
「衣サクサク! これだよ、俺が求めてたのは!」
鴨南そばの出汁をすする。「染みるわ~……。こういうの、普段じゃ味わえねぇ」
でも、山盛りのおにぎりと追加天ぷらを見たとき、急に現実が襲ってきた。
「うわ……そばとおにぎりで炭水化物がダブっちゃったよ……やらかしたなぁ」
腹はもうパンパン。でも、残したくないから意地で食べる。「この最後のわらび餅を食い切ったら、俺の勝ちだ……!」
食べ終わった瞬間、変な達成感がこみ上げてきた。
「頼みすぎて失敗したけどさ、これも俺の生きがいだよな。食ってる間だけは、生きてる気がするし」
店を出たら、冷たい空気がじんわり体に染みてきた。雪の街並みを歩きながら、ぽつりと呟く。
「弱者男性の俺でも、こうやって腹満たしてるうちはまだ頑張れるんだな」
食いすぎて苦しいけど、なんか心がちょっと軽くなった気がする。雪道の先に続く明かりを見ながら、増田は静かに歩き出した。
今日、会社のランチタイムに上司が何気なく私に「最近のトレンドって何?」と聞いてきたんだけど、その瞬間、私は完全に頭が真っ白になってしまった。最近のトレンドって、AIの進化?SNSの新機能?それともエコなライフスタイル?とにかく、何も答えられずにただ笑顔でごまかした。
これって私だけの問題なのか?皆さんは会社でこんな質問にどう答えていますか?それとも、そんな質問自体が時代遅れなのでしょうか?
ちなみに、その後のランチはめちゃくちゃ気まずかったけど、後で上司が「面白い答えだったよ」と言ってくれたので、救われた気分になった。みなさんだったら、この場面でどんな答えを出しますか?
※嘘です※
みんながコメントしたくなるようなはてな匿名ダイアリーの文章を考えてください!
とXのAIのGrokに入れました。
前回↓
来年50歳のオバチャンだけど、25年間ずっと正社員として働いていた会社に、知らないうちに個人事業主扱いされていた。何を言っているのか分からないだろうが、わたしも何をされたのかわからなかった。
前提としてうちは夫婦で同じ会社に勤めていた。わたしの会社(もう違うのだが)は社会保険に入っていない。これまでずっと国保と国民年金を各々自分で払っていた。そこは納得してるので別にいい。
流石に税務署がどこかに追求されそうだったのか、一部の社員のみ今年の6月に、4月から遡った形で社会保険に加入させた。6月の中旬頃、わたしの旦那と子供名義の協会けんぽの保険証が突如届いた。面食らって問い合わせたら、上記のように説明された。わたしは未加入でも手続き上上手く行ったんだな、くらいにしか思わなかった。この時わたしは4月に遡って既に解雇されていたなんて夢にも思わなかった。
8月からわたしの給与が2万円多く振り込まれた。その月に、今年の地方税の納付通知が自治体から届いた。面食らって問い合わせたら、今年の税金の計算が煩雑になったので自分で払って欲しいとだけ言われた。そのような給与の形もあるのかと納得した。愚かなことに、増えた2万円で支払っても端数分得になると喜んでいた。とっくに解雇されていたなんて夢にも思わなかった。
夏の間に、旦那は病死した。育児手当も傷病手当もなかった我が家だったが遺族厚生年金というものが貰えると分かり、社保に入ってくれたおかげと会社に感謝した。まさか自分は解雇されていたなんて夢にも思わなかった。
12月も中旬になり、そういえばまだ年末調整の紙が配られてないと気付いた。問い合わせたら、初めてわたしはとうに社員ではないことを知らされた。
事態の把握に2日要した。わたしは憧れだった先輩と夫婦になりずっと一緒に仕事をして来れたことを大きな自信にして来た。彼と同じ会社の社員であることがわたしの誇りだった。それがあっさり奪われ、8か月もの間誤魔化され続けたことに大きなショックを受けた。
嘘の上に乗っかった、なんてチンケな自信!ごまかしきれなくなってから種明かししても別にどうともならない、なんてチョロい奴!しかも解雇済!
誇張表現ではなく涙が出続けるようになってしまい、社内で誰が知っているのかと疑心暗鬼にもなり、数日誰とも話せなかった。
その後は感情が悲しみに怒りが加わった。小1の壁も介護両立でも辞めるまいと頑張ったつもりだったのに、シングルマザーでも頑張ると意気込んでいた矢先でも辞めさせられる時はあまりにも呆気ない。虚しくもなった。
いくつも進行しているプロジェクトを突然放り出す勇気はない。正社員の時から変わらず毎月お金が振り込まれていることで生活が成り立っている。この年齢で転職も簡単ではないだろう。だから、今の状況を一旦でも受け入れるのが現実的だと思っている。しかしわたしはもう、今までのような自信と責任感を持って仕事に取り組むことはできないと思っている。
受け入れるにしたって、個人事業主だと知っていれば取れた領収書すら無い状況で、いきなり全く知識のない確定申告に独力で対応しないといけない。社員月給同額から、どれほど所得税で持っていかれるのか。全く納得できない。怒りと悲しみが交互に押し寄せて、自分がどうしたいのかも分からなくなっている。
# 追記
戦え一辺倒のレスで溢れると思っていたら、精神や生活が穏やかに着地するような方向を願ってくれる方も多くて、本当にありがたい。
まだ心は整理されていないが、みなさんのコメントが考えるヒントになっている。
仕事はSEなのだが、辞めたくない。という思いと、もう全部虚構、投げ出してしまえという思いとが交互に来る。
今の状況を受け入れるということはもっと食い物にしてくださいと言っているようなもの、というトラバも響いてる。
社内で同じ目にあった人はもう1人いる。わたしより歳が上で、トラバで女性差別って話が出てたので言うがこの方は男性。
現状を受け入れたうえで、給与と同じ額で業務委託はあり得ないから単価交渉すると言っていてもう精神は独立してる。
年末調整の紙を配れなかった事務員さんは「わたしだったら出るとこ出る」と怒ってくれた。
担当の営業さんは先週末にわたしが言うまで全く知らなかったので頭を抱えていた。
我々を正社員として出してるので出向先に知られたら単価交渉どころではないわけで。
あと3人ほど聞いたが皆社会保険に切り替えてもらっていた。良かった。
「旦那さんが退職手続きに関与した可能性」を指摘してくれたブコメがある。最初は「さすがにそれはない」と思った。でもそうだった「ことにされる」可能性があると思い至った。
営業さんに打ち明けた後、営業さんが経営者に話をしに行ってくれて、そこで経営者が「〇〇君(旦那)には説明したのになあ」と言っていたということを聞いた。
この期に及んでちょっとした行き違いを演出しようとする、しかも死者を利用するその魂胆に、このブコメのおかげで初めて気付いた。
税理士は伝聞だが「フリーになりたいと本人達が希望した」と聞いているらしい。税理士がグルなのか騙されているのかはわからない。しかし先の演出のこともあり、経営者は既にいろいろ手を回しており、戦えば必ず勝てるというものではないかもしれない。
会社制度はもとから大丈夫じゃないとわかってて25年やってきてしまった。雇用保険も退職金も失業保険もない。それでも良いと思っていた。会社としていよいよ終わりなら解散パーティーでも開きたかった。「経営が厳しいから50歳以上解雇な!」なんて話でも、あらかじめ言ってくれさえしたら前向きにどうするか考えられたと思う。それくらいの信頼関係はあると思ってた。無かったのが悲しい。本当に、8ヶ月間ごまかされ続けたことだけがとにかく悲しいし、悔しい。
でも、スタートから嘘とごまかしで成り立った会社なのだから、戻りたい状態なんてものもそもそもないのだなとも思う。
どんな選択肢があり、どんな結果が得られるのかを、知っておく必要があると思ったている。
雇用契約書がないのでそもそも労基が相手にしてくれない可能性も覚悟しつつ、年明けに総合労働相談コーナーというところに相談に行こうと思う。
最近さ、ニュースでiDeCoのことが話題になっててなんとなく気になったんだよね。
うちの会社では強制加入になってて毎月の給料から勝手に差し引かれてるわけ。まあ将来のための貯金だし、会社も推奨してるんだから良いことなんだろうって特に深く考えずにいたんだ。
で、この年末暇だから興味本位で初めてiDeCo調べてみたんだ。そしたら……いや、これ、制度として酷くない!?って衝撃を受けた。
iDeCoの最大のメリットは退職金所得控除なんだけど、それを受け取れるのが60歳以降なんだよ。はぁ!? 60歳って!!? いやいやいや、一番お金が必要なのって若いときじゃん。結婚するかもしれないし、子育てするかもしれないし、家も買いたいかもしれないし、趣味にだってお金をかけたい。そんな貴重なタイミングをすっ飛ばして、60歳にならないと恩恵が受けられないって、なんなん?
しかも、iDeCoは老後資金を作るための自助努力って位置づけられてるらしい。
これってさ、つまりこういうことでしょ? 年金だけじゃ足りないから、あとは自分たちでどうにかしといてね!
いやいや、それってさ、政府がこれまでの年金制度を破綻させてきた責任を国民に丸投げしてるだけじゃない?
冷静に考えてみると、これって完全にネズミ講じゃん。若い世代が払ったお金を高齢者に回してる仕組みなんだけど、少子化で若い世代が減っちゃってて、もはや成り立たない。
それでどうするかって? 新しい制度を作ってごまかすんだよ。年金だけでは厳しいから、iDeCoという形で自分たちで貯金してねって。これ、本来年金制度が機能してれば不要な話だろ?
結局、政府が少子化対策を本格的に進めるのが遅すぎたんだよ。だって、少子化の問題が言われ始めたのってもう何十年も前の話だよ? その間、具体的な対策を取るでもなく、何となく先送りにしてきて、気づいたらこんな事態。挙句の果てに、「もう年金制度だけじゃ無理だから自分たちでどうにかしてください」って。しかも、これを言ってる政治家たちが自分たちの失敗を認めるわけでもなく、涼しい顔してるのがまた腹立つ。
結局、今の日本って問題を根本的に解決するんじゃなくて、新しい仕組みや法律を作ってその場しのぎをするっていうのを繰り返してるだけだと思う。
それで表面的には何となく持ってるように見えるけど、実際は国民に負担を押しつけてるだけ。しかも、その負担が特に若い世代や働き盛りの世代に集中してるのが本当にひどい。
今の若い人たちは、少ない給料の中から高い税金や社会保険料を払わされて、その上で自分たちの老後資金まで自力でどうにかしなきゃいけない。それでいて少子化が進むから、結婚も子育てもハードルが高くなって、どんどん先送りになる。まさに悪循環。
2024-12-29
こう書くと他人をバカにしないと気が済まない暴走人間にしか聞こえないが
細かく言うと、「他人をバカにしようとする心が常に自分の中にあるので、それを内心にとどめて過ごすように頑張っている」
とでも言えばいいだろうか。
どっちにしろヤバい奴じゃないか?という気もするが、これが私のいつわりない本心である。
他人をバカにしたい!と思うときはどんなときか考えてみたことがある。また、なぜそうしたいのかも考えた。
箇条書きにするとだいたいこんな感じだ
・自分より知識、能力が劣っている相手を貶めて優越感に浸りたいから
・劣っている(と私が思っている)相手をあざ笑うことで自分を大きく見せたいから
・自分に自信がなく、逆に自分が対象にされるのを恐れて自分はバカにする側だと確認したいから
・安全圏から弱いものをいじめるのは楽しいぞい♪という攻撃的な快楽で気持ちよくなりたいから
・自分が劣っている存在であると勝手に思っているため、下に見れる相手を探さないと怖い
・物事がうまくいかないので自暴自棄になり、他社を思いやる余裕がなくなり、攻撃的になる
思いつくかぎり書いてみたが、自分の弱さを受け入れたり、認められずにごまかそうとするときに
他人をバカにしたい!という気持ちがわいてくるのだと思う。あとは単純に調子が悪いとき…
数年前から自分が人をバカにしたくなるときってどういうときだろう?と
ひたすら考え続けて最近やっと少し文章にできるようになったのでこれを書いている。
あと、ネット上でそんなふるまいをするようになったらもちろんたくさんの人に嫌われるだろうし
自分もどんどん手がつけられないモンスターになっていって…そんなんデメリットしかなくね?と思い
意識的に人を傷つけるような言葉を使うのはやめよう!と気を付けていた。時間割全部道徳か?
そんなグダグダ考えずともインターネット、SNS、はてなブックマーク、YouTubeのコメント欄を見るのすべてやめて生きろ!が正解っぽい気もするが
そうなるとコミュ障の私は孤独まっしぐらなので、ネットで友達や趣味の知人などと穏やかにコミュニケーションをとって生きていきたいので頑張って考えました。
歳をとったからなのか、他人とむやみにケンカしたくない…!なるべく穏やかにしたい…!という思いが最近強い。