はてなキーワード: 治療とは
うさぎ大量に殺した人、どうせすぐシャバに出てくるわけで、戻ってきたとき人を殺さないか怖すぎる
うさぎ大量に殺せるメンタルの時点で素質(?)あるのに顔も割れて住所もほぼ晒されて、もうこれシャバに出たとてほとんど無敵の人だよね
簡単に言うなら縁を切るべきだけど、本当にそれ以外の人格がまともなら、性に関してのみ本人自身が抗えない状況にあるのかもしれないので病院に行って一緒に治療するというのもアリかもしれない。
⬛︎趣旨
混乱して大変な時だと思うけど、動けるなら今すぐクリニックに連れて行って性依存の治療プログラムを受けさせた方がいいと思う。
増田がどこ住みかは知らんけど、ググると都会にはこういった専門プログラムを組んでるクリニックがある。
https://www.enomoto-clinic.jp/care/sexual/
ただ薬物やアルコール依存と同じで、完治にはとても長い時間がかかるらしい(現実には完治は無くて、一生我慢し続ける訓練をするという感じらしい)し、再発のリスクもあると覚悟しといた方がいい。
増田にまだ愛情が残ってて向き合う覚悟があるなら、こういうプログラムをググって調べると良い(ただ身内もこれから大変だとは思う)
性犯罪者って性依存症だから、家族や身内に対して人格者なのは嘘でも仮面でも無いと思うよ。その面と、外で性犯罪を起こすクズ野郎ってのは普通に両立する。
実際、性犯罪者が収監されると高確率でソイツには奥さんも子供もいて、しかも愛想尽かされる事もなく家族が面会に来るらしい。普通に家族に愛されてて「彼は家ではまともな人なんです!」って奥さんが涙ながらに訴えるケースが多いと聞く(その後長い時間をかけて向き合った結果疲弊してしまい離散する事も多いっぽいけど)
悪人に家族が騙されてるとかじゃなくて、1人の人間の中にどっちの面も両立するって話。
⬛︎逃げる/向き合うの選択
そこまで向き合う覚悟や愛情が残って無いなら逃げた方がいいかもね。
いま混乱して大変だと思うけど、ご自分の心の平穏も大事にして欲しい。
こんなの誰にも相談できないという気持ちは分かるし、ネットで意見をつのるしか選択肢が無かったんだと思うけど、とりあえず「性依存症治療」でググって、症例の特徴とか治療機関の存在がある事を知って具体的な判断材料を増やしてから改めて自分で考えてみるのも悪くないと思う。
勿論そのまま警察に突き出してあなたは速やかに逃げてもう二度と人生で関わらないという選択もアリ。
ただ、彼が治療に繋がる事なくただ逮捕されても性依存症って治らないから、恐らく彼は今後も再犯するだろうし、症例が進めばもっと酷い犯罪も起こしてしまうかも。
夏目漱石も「人間は腹が減るからイカン、せっかく高尚な考証をしていても続かない」といって胃癌療養のために腹にのせられた温熱治療用の板蒟蒻を食べてしまい治らなかったぐらいだ
盗撮癖のある人は、二度としないよう誓約させても必ずその誓いを破る。
盗撮する瞬間の緊張感や恐怖感の様なものを感じながら撮影する事が悦びという性癖なので、
注意したからと言って治るものでもなく、無くなるものでもない。
「窃視症」で検索。
一緒に治療する覚悟が有るのならそのままでも良いのだろうけど、
そんな覚悟が無いのであれば、今すぐ別れるべき。
既に犯罪者になっているようなので、警察のお世話になるのは時間の問題かも。
https://www.daylight-law.jp/criminal/sei/tosatsu/psychology/
あー、できそうな状況だとやらないと損だと思うやつな気がする。病気なので治療しないと変わらないと思う。
遠距離になるのがちょうどいいから、彼が引っ越したら自分も引っ越して、できれば転職もして、盗撮趣味の人とは無理と送るといいよ。情があるなら、通院して治療するなら今後の付き合いも考えるとも。
いざという時のために盗撮映像の映ってるスマホ画面の写真は撮っておいた方がいいよ。そんなのを手元に置いておくこと自体が嫌だとは思うけど。
そうだね、死期の比喩は的外れ。国家は征服されない限り存続する。金融緩和という「治療」をやめたら死ぬという論理は成り立たない。
日銀の多角的レビューで彼らも認めている。金融緩和は一時的な効果しかなく、構造的な問題は解決できないと。市場の自然な調整を阻害しているだけ。
財政再建か、インフレか、デフォルトか、誰かが必ず苦い薬を飲まなければならない。今の体制を維持するのは不可能であり、問題は誰がその負担を負うことになるのか、というババ抜きゲームになっている。
政策の選択肢は見えている。ただ、既得権益層が抵抗するから実行できないだけ。インスリン注射の比喩で言えば、注射を続けているのは患者の命を救うためじゃなく、製薬会社の利益を守るためだ。
https://natrom.hatenablog.com/entry/2025/01/22/110000
本筋で反論はない。おっしゃる通りだと思います。いやーいい記事ですね。
別の視点で一つ。
一般的な健康診断では、健康であることの確認はするが、がんの検査はしない。せいぜいわかるものはうんこだけだ。うんこにどれだけ血が混ざっているかで、どの辺から出血しているのかを推測する。それにしたってがんに限った話でもない。あとはバリウム?
とはいえ、健康診断を受けていれば、一般的な人は十分健康管理を気にしている気になる。
がんなんて自覚症状が出るころには進行していることがままある。
つまりは健康診断だけ受けている人は、がんに気がつくことなく、気づいたら手遅れということは珍しくない。
マーカーのいいところは、陽性になったら後の精密検査が保険診療になることである。
がんかどうかわからないのに、医者は必要性を説明できない、自分の不安をかき消すための検査に
その結果はみんながんである。
なにがいいんだろうね。
らしいというか、診断されたからそうなんだけど。SNSでは重いしここに。
最初に、まあ当然だろうなと思った。高齢者に分けられる年齢で、タバコも酒も手放さない時がなかったから。健康には気を遣っているようだったけど、禁煙も禁酒もしなかったし、あるいはできなかったから、本人にとっても気休めなのだと思う。
全く良い父親でないという訳でもない。と思う。ろくでなしではあると信じている。高齢出産だった。だからかわからないけど自分が生まれてから一度も両親は一緒に暮らしたことがないし、父は恐らく養育費なんて出してなかった。二年に一度ぐらいのペースで気紛れに家へ来てお小遣いを置いていったりしたから、なぜか家族から身内扱いされているおじさんという印象の方が強い。誕生日プレゼントとかも全部お金で、札を一枚ぺらっと渡される感じだった。いや会って直接渡される方がレアケースで、ほとんど振込だったような気もする。いらない物よりは便利でいいやと思っていたけど、母からもらった皿を乗せられる新幹線のおもちゃとか、当時大好きだった戦隊もののファンブックみたいなやつの方が印象に残っているし、嬉しかったのだと思う。実際もう物はないけど、ケーキの箱と並んだ新幹線の絵は鮮明に思い出せるし、お気に入りのページ番号は今も咄嗟に答えられる。渡された五千円札で何を買ったのかはもう覚えていない。砂山を削るみたいにちょっとずつお菓子でも買ってたのかもしれないけど、いちいちそんなの記憶してないし、自分のお金と混ざってすぐに見分けなんてつかなくなったと思う。最初の内は「父さんからもらったお金だから」って取っておいてたような覚えもあるようなないような、でも衝動性の人間みたいなものだから、結構すぐに小銭と数枚に崩れていた確率の方が高い。
悪い思い出は枚挙に暇がないほどある。書いてる今も次から次に浮かんでくる。受験期に母との関係が最悪になって、友達からもなぜか突き放されて、でも塾の先生も学校の先生も忙しい時期だったから、誰にも何も相談できず一人でずっと同じ思考ルートをぐるぐるしていたころがあった。塾に向かうホームで飛び込みを考えたことが何回もあって、それがとうとう限界になった日にひたすら遠くまで歩いた。塾の最寄り駅から訳が分からなくほどめちゃくちゃに歩いて、道中、塾講師からの電話で無断欠席を咎められた。よく知らない橋の上で、きったないフェンスが傍にあって、その下に小指の先ぐらいの水量で流れる川があった場所だった。学校終わりだから当然夕方で、象牙みたいな真っ白じゃない色の街灯が頭上にあったから、立ち止まると目立つなあと思ったことを覚えてる。当然母にも叱られた。電話越しに少し歪んだ溜息の音は今でも思い出せるし、その後の喉を絞ったみたいな「金の無駄」という金切り声を、今も夢に見る。お金があれば、私立の選択肢はもっとあっただろうし、そうなれば余裕もあっただろうし、塾だってサボりぐらいなんてことなかったのかもしれない。
この時、この一年間、父親は何もしなかった。当然相談なんてしない、というか親戚のおじさん程度の距離感の人に話せるほどフレンドリーな質じゃないし、向こうも関わりたくないと思っているようにも見えた。受験の話題なんてしないし、ただ例年通り家に来て数日泊まって、それだけで帰っていく。その間の食費とか、生活費とか、入学金だとか、塾の費用だとか、そういったことは何もない。何もなかった。当時はほとんど他人みたいな印象を抱いていた部分もあったから、求めすぎてはいけないとすら思ってた。今思えばそんなことはない、どうして母一人で自分を育てなければならなかったのか。もしも父から自分の養育費が半分でも出ていたなら、きっと母はあそこまで追い詰められなかったのだろうと思う。あの時は自分も母も少し異常だった。貧困は何よりもまず心を削っていく。そこに加えて受験のプレッシャーまでもがあったのだから、母の苦労とはいかほどのものだったか。母は毎日のように声を張り上げて自分へ怒鳴ってから仕事へ行っていたし、自分も自分で不眠気味になり、一日一本のエナジーゼリーのうち半分だけを口にする生活で廊下にぶっ倒れながら、体力やら気力やら諸々の事情で不登校になっていた。当然志望校は落ちて、滑り止めの私立に行った。
自分が小さい頃からちょくちょく両親の言い争いみたいなのはあって、時期によって母がかわいそうだと思ったり、父がかわいそうだと思ったりして、その時々で自分の信条に合う方へ味方というか、話を合わせていた。当然母とは一緒に暮らしているので、その後のことを考えて母の味方をすることの方が多かったが、どうかと思った部分は伝えたりたしなめたりもして、ずっとどちらかの味方という感じではなかった。兄はずっと母の味方だった。
ここ数年で、自分は言い争いに加わらなくなった。と、今書きながら気が付いた。昔は「そういう言い方をしたら相手が激昂するのは当然なのだから、少し言い方を変えるべきだ」と伝えてみたり、「以前にもこの話題でこうなったのだから」とも言ったりしたけど、もう無視をするようになっていた。黙ってスマホで映画とか見ながら、適当な返事をする父と声を荒らげる母の姿をちらちらと見る程度に。また始まったな、といつも思う。
何度も「もう来ない」と言いながら、家のある地域に用があるとき、体のいい無料宿泊所として使っていく。自分が成長する過程で何をも残していないのに、父親面をして物事を言う。いつもいつもその様を滑稽だと思う。人の世話を押し付ける。父が帰った後はいつも父の愚痴に満ちていた。
それでも母づてにガンだと聞いたとき、少しだけ困惑した。一瞬思考停止して、でも、真っ先に浮かんだのは「どの返事をすれば一番角が立たないか」だった。次に「母たちはきっとあれでいて動揺するだろうから、あまり何も思ってない風に相槌打つのがいいかもしれない」。薄情だなと自分で自分のことを思って、あまり関わりのない親戚みたいなものだから仕方ないと自己弁護もした。
母が安心できるように「まあ思っているより大したことないかもしれない」という話をそれらしい聞きかじりのネットニュースとかだけで補って寝室へ見送って、今、やっと一人になってこれを書きながら恐怖を感じている。
幸いなことに、親しい人を失った経験がない。だから、もしも父がどうしようもなく手も尽くせなくて最期だとなった時、想像もできないぐらいショックを受けるのではないかという想像が胸の中にうまれはじめた。きっと嫌な記憶から忘れていく。そうしてごくごく僅かな楽しかった思い出だけが残ってしまうのが恐ろしくて仕方がない。自分は父親を美化したくない。自分が苦しんでいた時に手を差し伸べなかった、自分を育ててくれなかった父であってほしい。多分それぐらいの距離感じゃないと、父の父親たる面を知っている兄や母が悲しむであろう家の中は、あまりにも苦しすぎると思うので。
自分が支えなくてはいけないと思うほど強いメンタルは持ってないし、自分のことを良い人間だとも思ってはいないけど、多分家族の中で一番父といた時間が短いのは自分で、それは兄弟の年齢差とかでは及びもつかないほど、徹底的に少ない。だからきっと、もしも治療にしたってその後にしたってある程度の冷静さを持ちうるのは自分で、ガンについて話していた時の母の震えるような沈黙を思えば、何かがあった時主導せねばならない、というよりもそうあるべきかな、と思う。そうなったとき、治療の過程で見る父のことがやはり残っていく記憶になるのかもしれないと思うと、すごく悔しくて少し怖い。