はてなキーワード: ジャッジとは
ブラックながらもなんだかんだやれていたが、経営者が変わり、輪をかけてブラックになった
いつパワハラの火の粉が飛んできてもおかしくないという雰囲気だし、斜陽産業なので業績を求められてもどうしようもない
俺はどうしても面接を突破できないのだ。今の会社は、スポーツ紙に載ってた中途採用の募集に新卒カードを切って入ったものであって、まともに面接を勝ち抜いたわけではない
ぶっちゃけ、地方駅弁でもこういう会社からすれば国立大の新卒がやってきた!となり、俺の人となりとか志望動機なんかはジャッジされることなく就職できたわけだ。つまり面接での成功体験がない
なので、今更転職しようにも、ただでさえ面接に通らないのに年齢も重ねているので、無理。つまり詰んでいるわけ
で、なぜこうにも追い詰められているかというと、親が悪いんだよね
俺は喘息もちで、体を鍛えろということで無理やり柔道をさせられてて、辞めさせてももらえず、そこの体育会的な指導で性格がねじ曲がった。理不尽に怒られたり怒鳴られたりすることをたぶん人よりも怖がってたし、故にそもそも就職したくなかった。だから志望動機が思い浮かばない。
漏斗胸で、体力もなく運動神経もない。そもそも社会である程度の地位にいる人はまず、性格とか頭の良さとか以前にそれらの土壌として体がタフだ。俺はそうじゃない。運動が嫌いだし、今更体力づくりなんてしたくない。運動が好きな個体であればせっせと運動してただろうね
3月生まれで4月生まれと比べると明らかなディスアドバンテージを背負わされた。生まれるのが一週間遅ければ東北大くらいには行けただろう
弟が実際に発達障害なんだが、その腐った遺伝子の影響は俺にも表れていて、精神科に行ったとき、失念したが何らかのコミュニケーションの値が一般の人より高かった。ニュアンスで言うなら、発達障害のボーダーが80くらいで一般の人が20が平均のところ、俺は60とか
俺は学生時代からちょっと変わった奴と言われていて、結局それは医学的に正しかったわけだ。障碍者みたいな滑舌でしゃべる変な奴なんて面接に通るわけないよね。最初から、もしくは公務員でも、ホワイトに入れてたら人生こうはなってなかったかもしれないけどね
親ガチャというが、これは言葉としてはちょっとおかしいので、俺ら世代でネットに転がってたスヌーピーの名言(笑)の「配られたカードで勝負するしかないのさ」を元に話を続けるが
カード配るのは親なんだよね。俺はこれらのクソカードを親に押し付けられたわけ。「実力も運のうち」ってハーバード大の教授も言ってるわけだが、実際に俺はそういう意味ではまったく運がなかったね
こういうのを他責思考とかって言ってくる奴いると思うんだけど、逆。矢印を自分に向けて、向け続けて、結局自分を突き抜けて親にまで向かったって話。遺伝子レベルでの、究極の自己否定だから、これ。
俺は別に虐待されたわけじゃない。まあ今のポリコレ社会からしたら怪しい部分は少々あったが、両親は俺に愛情を注いでたと思う。彼らは彼らなりにベストを尽くしたと、赦そうとした時もあった。けど、結局人生の苦境に立たされると、配られたカードがクソという事実に向き合わないといけないわけ
子育ては結果だから。仕事も試験も試合も、結局は過程がどうあれ結果がすべて。子育てもそう。そして、それをジャッジするのは子自身なんだよね。
「僕は両親から虐待されてたけど東大入れましたあ~親ガチャなんてありません~」とか言ってる若者いたけど、親はお前を東大に行かせるためにあえて虐待してたんだよ?って話。これをどう否定するの?このケースは過程に愛がなかっただけ。結果がすべてだから。虐待してくれてありがとうって言えや
精神が幼稚だとか、努力してないとか、意志が弱いとか、人生の選択を誤ったとか。これらって全部俺のお脳が発するものであって、お脳が悪いんだったら結果として出力されるものも悪いものになるに決まってるだろ。で、ハッタショ気味の俺のお脳の良し悪しは結局俺の親が配ったものなんだよね
で、俺は親のせいで人生苦しいことだらけな訳。「結局悪いのは親じゃん」って理解したのは大学生で就活に失敗しまくってた時。その時に、死のうかなって思って、包丁持って腹に充てて30分くらい突っ立ってたことあるんだよね。
あれから約20年、死ななくてよかった幸せな人生だったかって言うと、NOなんだわ。もちろんいいこともあったが、苦しいことの方が圧倒的に多かったなって思うね
俺は産まれてきたくなかったし、死にたい。そもそも俺を出生させた時点で親はクソなんだわ。産むならせめてまともなカード配れや。これは今から産む奴にも言うけど、まともなカード配れないんなら産むな
とはいえ死ぬのは怖いんだよね。生物なんだし生存本能があるんだから仕方ないね。なので「じゃあ死ねよ」で話は終わりませーん簡単に使える安楽死施設あるんなら話別だけどね。首吊り失敗してもう二度と自殺企図できない体になったらどうするの?お前が養ってくれるの?
というわけで、八方塞がりな訳だが、今の会社に居続けるのももう限界がきたなという感じなので、すべてをかけて転職しようかなと思ってる。デイトレード等も当然だめだったしな
とはいえ、失敗する可能性の方が大。だから、この転職が失敗に終わったら、苦しみに満ちた俺の人生を「親に返す」しかないかなって思ってるね
そのぐらいの覚悟をもって転職活動をしないといけないんだろうなって思ってるね
フェミニストの人達はどうしてにわかにルッキズムを叫び出したの?
大河ドラマ「べらぼう」の2話を見て、フェミニストの人達が突然ルッキズムルッキズム騒いでいるのを見て、冷めた目で見ている。
ルッキズムなんてこの世の中にとっくに蔓延していて女性達を苦しめているのに、なんで今更?
あんたらこれまでルッキズムなんて一向に気にしてなかったじゃん。それどころか気にする女が馬鹿と言わんばかりの態度だったじゃん。
小顔じゃなきゃ駄目、平行二重じゃなきゃ駄目、涙袋がなきゃ駄目、ブルベ色白じゃなきゃ駄目、骨格ストレートでは駄目と
現代の女性達はとっくに白人や韓国由来の厳しすぎる美の基準でがんじがらめになっているのに、今より遥かに甘かった江戸時代の基準を目にして今更ルッキズム?
去年の国際ガールズデイに合わせて渋谷駅に掲載されたダヴの公告についても、フェミニストではない女性達がルッキズムを強く批判する一方で、
Xの有名フェミニスト達はそんな公告気にしなければいいで済まして軽く流してたよね。
これまでルッキズムやエイジズムに言及するのって大体は男で、女であってもフェミニストではないタイプの女ばかり。
フェミニストの人達が言うのは美人でも男にセクハラや性加害されるから何も良い事ないとか、年を取った方が楽になるとかそういう事ばかりで
おそらくフェミニスト視点からは男からの性加害だけが最大の問題であってルッキズムの頂点たる若い美人こそが一番の弱者という認識なんだろうが
女性同士であっても若くて美人な方がちやほやされるし友達も多い事や、
就活の顔採用の残酷さやそれによって女性の生涯賃金が大きく左右される現実を無視していると思う。フェミニストの人達がそういう問題を話題にするのを見た記憶がない。
大河ドラマに出ている女優達は、良くない方の容姿とされた方も含めて、自ら好き好んで出ているんでしょう?女がただ日常を生きているだけでも容姿を厳しくジャッジされる現実を今までスルーしてきたくせに今更騒がれても、って思う。
聞いた話ですよ、聞いた話。
自分の子供が可愛すぎるのはわかるけど、倫理観かなぐり捨ててる義母…。
家計の主たる担い手が自分の子供なら、もう主権は子にあり義母にあり。
少しでも気に入らないところがあれば(容姿、仕事、家計のやりくりなどなど)もう態度に出まくり。
子供なんか作ったらどうなるんでしょう。
あー、こわいこわい。
ま、聞いた話なんですけどね…。
女の人生イージーモード!って騒ぐ弱男、女は被害にあってる!と騒ぐクソフェミ、どちらの"女"にもブサイク喪女の私は入ってない
主語がでけえよ〜
この世の中、弱者女性<弱者男性<強者男性<強者女性 だと思う
女に産まれた恩恵は全部容姿や社会性に恵まれた強者女性が持って行ってる
弱男どもにも容姿をジャッジされてバカにされるし、一人で生きていくにも男ほど稼げないし、誰も買わないから体売るって選択肢もない弱者女性つら〜〜
性被害にあってよしよしされてえ〜〜
性加害を自慢げに話す女どもくたばれ〜〜
女としてみられて承認欲求満たされてひとしきり満足したら今度は被害者面!!
万個二毛作ずるい
僕は都内のIT企業で働いていて、役職こそ管理職ではないものの、年収はおおむね750万円ほどある。正直、一般的にはそれなりに悪くない水準だと思っていたし、実際に自分自身も贅沢さえしなければ生活には十分ゆとりを感じている。しかし、いざ婚活を始めてみると、なぜか自分が思っていたほど女性からの評価が芳しくなく、「それしか稼げないの?」という冷たい反応をされることもあった。いわゆる“ハイスペ”には遠く及ばずとも、平均以上だと思っていた僕からすればかなりのショックだった。どうやら都市部の婚活市場では年収750万円では決して高収入に分類されるわけではなく、下手をすれば“弱者男性”扱いされてしまうらしいのだ。僕はこの現実を知ったとき、一体何が原因なのかと自問自答するようになった。そもそも750万円という金額が本当に低いのか、あるいは僕自身が何か別の面で期待外れなのか。自分が誇りに思ってきた数字が、婚活においては必ずしもアドバンテージになっていない現実に戸惑いを感じた。だが、これが現代の婚活市場の厳しい実態の一端なのだろう。多くの女性は男性を条件で仕分けする際、年収1000万円以上を理想に掲げることが少なくない。僕の750万円は、それらの女性にとっては妥協ラインにすら満たない場合がある。自分の中では“そこそこ頑張っている”つもりでも、市場のルールに照らし合わせると弱者認定されるなんて、複雑な思いだ。もちろん、全ての女性がそうではないとわかってはいても、やはり婚活で不利を感じる場面があるのは事実である。
僕なりに分析すると、婚活では「条件ありき」の人が多く、感情や相性以前にフィルタリングされる傾向が強いと感じる。大まかな目安として、相手を探すときに女性は年収や職業で手っ取り早く候補を絞り込むことが多い。その結果、僕のプロフィールを見た女性のうち、高収入を望む層からすれば750万円は魅力に欠ける数字になってしまうのだ。実際にやりとりの中で「実家はお金持ちなの?」とか「昇給の見込みはある?」などと探りを入れられたり、「将来は家を買えそうですか?」と露骨に経済的基盤を問われたりすることもある。もちろん結婚生活にはお金が必要なのは百も承知だし、将来設計を真剣に考えるからこその質問だというのもわかる。ただ、そのハードルが想像以上に高い。30代後半にさしかかっている今、さらに年収が跳ね上がる見通しが自分の中ではそこまで描けていないとなると、どうしても結婚相手の理想から外れがちになるようだ。共働きでいっしょに頑張ればいいのに、と思う僕の感覚と、婚活をしている女性たちの感覚にはまだまだギャップがあるのだろう。
一方で、僕自身にも問題がないわけではない。見た目は中の中くらいで、特別おしゃれに気を使うタイプではない。どちらかというと社内では地味な存在で、人付き合いもそこまで広くはない。婚活という場では、やはり外見やコミュニケーションスキルも強力な武器になる。女性に対してガンガンとアピールできるタイプではない僕は、収入にそこまで突出した魅力を加えられない場合、選ばれにくくなるのも仕方ないのかもしれない。実際にマッチングアプリなどを利用しても、プロフィール写真や職業・年収を公開している状態であまり興味を示されないこともある。もしかしたら、僕よりもう少し年収は低くても、トーク力があって積極的な男性のほうが人気が高い場合だってあるのだろう。結局は総合的な魅力が婚活市場ではものを言う。年収一つだけでは足りず、雰囲気や会話のテンポ、そして容姿への最低限の気配りといった部分も軽視できない。そこで僕が“地味”な自分を変えようと、服装や髪型に気を配り、エステに行って肌の手入れまで始めたのは、婚活において少しでも有利になりたいからだ。
ただ、こうして自分磨きをしても、いざ会話に入ればやはり「年収1000万円以上の人を探しているんですよね」というストレートな言葉を聞くこともある。それが悪いわけではなく、それぞれが自分の理想を追い求めるのは自由だと思う。でも、僕にとっては大きな壁だ。女性からすれば当たり前かもしれないが、「自分より年収が高い人で、なおかつ家事や育児を分担してほしい」「余裕ある暮らしをしたいから、最低でも1000万円台の年収は欲しい」といった希望を堂々と掲げているのを見ていると、僕の年収750万円はやはり埒外なのだろうかと感じざるを得ない。自分の仕事は手に職があって、ある程度安定しているが、爆発的に収入が上がる職種でもない。となれば、将来的に1000万円のラインを突破できる自信は今のところ薄い。そこを理解してくれる人を探すしかないのだが、そもそも高収入志向が強い層には見向きもされないのが現状だ。
僕は実際、結婚相談所でも「年収○○万円以上」のように検索条件を設定されてしまうとひっかからないこともしばしばだ。だからこそ年収を軸に選ぶ女性とは最初から相性が悪いのかもしれないし、むしろ早い段階で合わないと判明するのはお互いにとっていいことかもしれない。ただ、問題はそこに留まらず、年収軸が合わない女性を外したとしても、次の壁として年齢や容姿、コミュ力など、さまざまな要素でふるいにかけられるのだ。僕は30代後半になっており、相手の女性は同年代か少し年下を希望するが、彼女たちは往々にして“もっと条件のいい男性”を探していることが多い。この“条件のいい男性”の定義は幅広いが、やはり年収や学歴、職歴、ルックスまで総合的に見られることが多く、僕が唯一そこそこ自信を持っていた年収も、望まれる条件に届かないケースが少なくない。「750万円では不満」という声は直接的に聞かなくても、相手のリアクションやプロフィールの希望条件を見ていると察することがある。
また、自分が“弱者男性”扱いされるのを痛感するときは、女性側が「一般的にはそこそこの年収」と理解しながらも、なお「もっと上がいい」と言ってくることだ。しかも、そういう女性がなぜか“ちょっと高飛車な態度”を取りがちなことも多い。上から目線でジャッジされる感覚があるのは、婚活をする男性としてはやはり居心地が良くない。もちろん、全ての女性がそうではないし、中には一緒に働きながら共に家庭を支えていく意欲を示してくれる人もいる。でも、婚活市場全体を見渡すと、「さらに上、さらに上」という条件のインフレが起きていて、僕程度の収入では“もっとがんばってよ”と背中を押される立場になってしまう。ネットなどでは「750万円なら十分高収入だ」と言う人もいるが、それは会社や業界、地域によって価値観が異なるからだろう。少なくとも都会の結婚相談所やハイスペ志向の女性が多い場では“あと一歩及ばない男性”という扱いが現実にあるのだ。
実際のところ、僕はこれまでの仕事人生で必死に努力してきたつもりだ。年収750万円に到達するまで残業や休日出勤も多かったし、役職に就くことを目標に自己啓発もしてきた。それでも婚活においては、もっと若い時期から違う職種や外資系企業に転職し、バリバリ稼げる道を選ばなかった自分を後悔するような瞬間がある。なぜなら、そこに大きな差が生まれてしまうからだ。同年代でも外資系やベンチャーで成功して1000万円超を稼いでいる人たちは、婚活市場で女性から“勝ち組”として扱われがちだ。あるいは医師や弁護士、コンサルなど、資格や肩書きでわかりやすく高収入を証明できる男性が一気に目立つ。その陰で、僕のような「努力してようやく平均以上」に到達した層は埋もれがちになるように思う。自分では弱者とは思っていなくても、婚活市場のメガネで見られたときに、僕はあっさりと“弱者男性”に分類される。
もちろん、こうした状況に不満を抱くだけでは前に進めないし、自分の理想の相手にも巡り合えない。だからこそ、婚活の仕方をもう少し工夫する必要があるとも思っている。年収を最重視する女性ばかりを相手にすると疲れてしまうから、同じように共働きを希望している女性や、年収よりも性格の相性を重視してくれる女性が多い場を探すべきだと感じる。実際、そのような女性たちと話してみると、僕の現在の年収を大きな問題と捉えず、むしろ「安定していていいですね」と評価してくれることもある。ただ、それでも容姿やコミュニケーション能力がある程度高い男性がモテるのは変わらないらしく、根本的には世の中の風潮として“強者男性”が注目されがちなのは避けられないようだ。
また、年収に対する女性側の感覚を変えることは僕にはできないのだから、自分がさらにスキルアップして収入を上げる道を探るのも手だろう。現時点で750万円が限界と思っていたが、もしかしたら資格取得や副業、転職などでキャリアアップすることができるかもしれないし、5年後には年収1000万円を目指せる可能性もゼロではない。そうなれば婚活市場での立場も変わるだろうが、あくまでお金目的で近づいてくる女性を求めているわけではない。それでも、経済的な安心感を大切にする女性が多いのも事実だから、“努力次第で大台を狙える存在”になることで、多少は評価が変わるかもしれない。
何にせよ、「年収750万円」という数字は世間一般で見れば決して低いわけではないものの、都会の婚活市場では“中の上”にも届かず、むしろ“中の中”程度か、それ以下に認識されることがあるという厳しい現実がある。僕はそれを実感しているからこそ、理想だけを追いかける女性を恨むのではなく、自分が本当に必要とするパートナーとはどのような人なのかを改めて考え直す時期に来ているのだろう。いくら条件が整っていたとしても、結局は二人で過ごす時間が楽しく、困難を乗り越えられる相性が大切だ。
今は、条件重視の婚活に疲れた女性たちと出会える場を探しながら、自分自身もステップアップを図るという二正面作戦で進めている。その中で、年収以外の僕の魅力に気づいてくれる人と出会えたら最高だと思うし、さらには「あなたとなら共に頑張れる」と言ってくれる女性がいれば、年収750万円の現状でも十分に幸せな家庭を築ける自信がある。むしろ、結婚後にパートナーと力を合わせて世帯収入を増やすという方法だってあるのだから。最終的には、自分を“弱者男性”と決めつけるかどうかは他人の評価による部分が大きいのは確かだが、自分が本当に何を望んでいるのか、どんなパートナーと人生を共に歩みたいのかを明確にすることでしか、理想の未来は手に入らないのだと思う。僕は今の年収を出発点として、相手を条件で選り好みせず、地道に活動していくつもりだ。自分に合った女性は必ずいると信じて、これからも婚活を続けていこうと心に決めている。結局、結婚とはお互いの価値観や人生観を共有していくもの。スタートラインで少し不利に感じようとも、それを自分の武器に変える努力をすることで、幸せにたどり着けると信じたい。そう思いながら、僕は今日も婚活の場に足を運ぶのだ。
あのさあ
仮にも人様に金を出させながら「どうでもいい」はねえだろ?
俺も若い頃から数限りなく先輩や上司に奢らせてきたしたかりまくったタイプだけど
ありがとうございます!ごちそうさまです!
俺は一緒に奢られてる後輩がお前みたいなことほざいたらイジメる。
半泣きになるまでイジメるわ。それは躾けだから。道義に沿ってイジメる。
お前みたいなバカなメスは誰にも躾けてもらわずにきちゃったんだろうな。
親にも先輩にも男にも。
なあ。
お前みたいなのがどういう了見か見透かせねえと思う?
お前は要するに人に何かさせたいのに、それに対して「ありがとうございます!」も言いたくないわけ。
そういう了見、そういう性格。
人の財布には浅ましい興味を寄せる癖して
「これこれをしていただいてありがとうございました」の関係は持ちたくない。
「どうでもよくて」だの「見極めてる」だの自分が格上であるってことにしたい。
こんな奴の「透ける」も笑わせてくれる言い回しであって
この短い文章でも躾のなってなさ・間違った了見・知能の低さがめくれるようなバカなメスが
人様の精神の何をどう洞察出来るのか実演して見せてほしいもんなんだよな。
それで、
その洞察力は飯を奢らせないと発動しないの?
それどんなシステムなの?
同類のバカ女以外は口で黙ってても腹の中では笑ってるよおめーみてーな脳無しの乞食の言い草なんてさ。
その程度の相手の心すら読めないんだろ?
なのに人の価値観が「透ける」っていうのは、それはただの妄想じゃねーか?
俺は態度のデカい自信家は好きだよ。
「これだけのことをやってきました、この程度の実績や能力があります、まあこの分野においては相当デキますよ」
そういう人間は好き。
でもこいつのようなバカ女って変に態度デカいだけで何の能力も無くておまけに乞食な訳じゃん。
こういう女は問い詰めたくなるわけよ。
「お前は何か知的な分野で人をリードしたとか、ものごとの分析で人に抜きんでたとか、そういう経験はどれぐらいあるんだ?」と。
ねーだろ?
お前みたいなバカ女がデカい口を利くのは男女関係に関してばっかりなんだよ。
それを自分の力量だと思ってんだよな。
お前の首から上なんてその辺の一番頭悪くて人格終わってるカスな男にも劣るわ。
ちょっと書いたもの読んだだけでそんぐらいわかるの。飯なんか奢られなくてもね。
そもそもの話、きちんとした男なら相手の器量力量なんて普通に測れるんだよな。簡単とまでは言わないけど。
ぼんやりしたタイプでも仕事とか真面目にやってりゃまあ30ぐらいになったらそういう力がついてくる。
面と向かって会話をすれば相手がどんな奴でどの程度の人物かなんかわかるよ。
頭のキレとか度量とか、自分より格上か格下かとか。
「飯をおごってもらうことで価値観が透ける」とか言ってるバカは要するに相手から何も読み取れないだけ。
だって「奢ってくれたらこう」 「奢ってくれなかったらこう」とか
気前良さそうに振る舞ってるけどこいつは胡乱だなとか
一見かわりもんだけどしっかりした考えがある男だなとか
そういうのは向き合って話して声で目で仕草で頭で全身で感じ取ることなのにな。
面と向かって相手を感じ取って見極める能力がいかに低いか自白してるようなものなんだけど
それすらわかんねえんだろ?
男同士ならそんな浅はかなパターンの話をしだした時点で「ああこいつはボンクラだ」ってなるよ。
Xにいるような安手のインフルエンサーがそういう話ばっかするのは
やってる奴も知能が底辺&そういう話で食い突いてくるぐらいのカモを探してんの。
お前がそういうことすらわからないのは何故かって、
元から頭が悪いのと、誰もお前にそういう厳しいこと言ってくれなかったからだろ。
誰もお前を真面目に相手してない。
いまはもう男相手でも奢れるなら奢る。
逆に俺が奢ってもらう時ってのは
「ありがとうございます!ごちそうさまです!」という関係を持つことに同意してるわけ。
それのどっちもわかんねえ、
奢ってもらいながら自分がジャッジするような上の立場に立ちたいっていうのは
もう本当にバカなメスとしか言いようがないんだよな。道理が通じない。
このバカにかしずくほどどうしょもない小者か、他人のバカさを便利だと考えてる人間かだよ。
でも当人は自分に洞察力があると思ってて、得々とメシ占いの話をしてるんだよな。
みぃちゃん見てるような気分になるわ。
結局奢るか奢られるかはどうでもよくて、そ
奢られることに繰り返し執着して
「奢るか奢られるか」だの「どうでもよくて」だの
どうしてこういうカスみたいな見栄や取り繕いしか出来ないんだろうな?
ここがこういう女の一番の問題で、頭が悪いだけじゃなくて根性が汚いんだよな。
どうでもいいなんてとんでもない、奢られる立場であることはお前にとって超重要。
だろ?
要は、
奢ってもらうと色んな欲求が一度に満たされて気持ちいんだよお前みてーなのは。
ケチで近視眼的な損得勘定と、チンケな見栄と、メスの性欲のために。
鳥でもサルでも勿体ぶって甘えて番のオスに食い物持ってこさせてからファックするから、それは動物の本能なんじゃね?
それはそれでいいじゃんよ。
自分にそういう性格や欲望があると自覚して「奢られるの大好き!ありがとう!」って言ってりゃ幸せになれんじゃね?
逆に、
奢られに拘ってるくせに「どうでもい」とかほざく、
これは頭も悪いし根性も汚いしあさまさしいしもうどうしようもないんだわ。猿のメス以下。
どっちかだけならまだ拾い上げてくれる人間もいるもんだけど、
どっちも完備となるとなるとそれは処置の無いアバズレってことで
長文の正直でウェットでキモい語りが出てくる方が、良いことだと思うけどね。正直でオープンになったということだから
パートナーに対しても、キモくてウェットな語りをしているか?お互いキモい話を話せる関係が理想だけど。性の話なんてどう転んでもキモくてウェットだからな。
それと、パートナーの話を決して遮ったり、否定したりジャッジしたりしないで、一度まずは相手の「話したい」「こう思ってる」「こういう感情がある」をじっくり聞いて、受け入れて、肯定しているか?俺の気持ちを一度脇に置いて、パートナーの気持ちの側に立って、パートナーの味方で、パートナーに寄り添って話を聞いているか?
まずは相手の思考、原体験、意思、別の遺伝子から形作られれた反応を、肯定しているか?
話したらどんなキモい話でも喜んで聞いてくれるという信頼関係がお互いに築けていれば、性欲の話だっておどおどしないで普通に話せるのでは?
世代によっては自分の意見を話す練習をしてきてない可能性もあるね。その場合は、すこしずつ話す練習をさせなければならない。
セックスは恥ずかしいとかはしたないとか思ってるかもしれない。
性の話をあけすけに話せる雰囲気は作った方がいいな。つまりどんな話でも相手は優しく聞いてくれて話すと心地いいという安心感。
喋り方や声がめちゃくちゃ下品だし
まあジャニーズほぼ全部嫌いなんだけどね。
だいたいチビだし歌も下手。
SMAPの他のやつも全部嫌い。
なんの芸もないゴミども。
だからどんな理由であれ中居が抹殺されるのは大歓迎なんだけど、
今激しく中居を嫌ってる奴らって今まではオーケーとしてた奴らがほとんどでしょ?
ああいうニュースが出たから急に大嫌いになったって、なにそれ?
おれは中居の私生活が慎ましくて人に迷惑かけてなくても嫌いなんだよ。
あの醜い男を人前に出るタレントとしてこれまで許容出来てたやつらが
許せんとか嫌いとか言い出してもその感性を一ミリも信じられないんだよな。
中居は全てが汚い。
「三大~」「教えて系」「ネタがすぎるやつ」「挙げてけ系」「政治」みたいなのは除外
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