はてなキーワード: 軍隊とは
I will direct all members of my cabinet to marshal the vast powers at their disposal to defeat what was record inflation and rapidly bring down costs and prices.
の意味がよく分からなかったので、無料の Gemini 2.0 に聞いたら、AI の進歩にびっくりした。
ご質問ありがとうございます。この英文は、政府やそれに準ずる組織の長が、記録的なインフレと物価高騰に対処するために、閣僚(内閣のメンバー)に権限を行使するように指示する場面で使われる表現です。具体的には、以下のような意味になります。
「私は内閣の全メンバーに対し、記録的なインフレと急速なコストおよび物価の下落を阻止するために、彼らの権限下にあるあらゆる力を動員するよう指示する。」
もう少し噛み砕いて説明すると、
つまり、この発言は、政府がインフレと物価高騰に対して断固たる姿勢で臨み、あらゆる手段を講じてその解決に当たるという強い決意表明と言えるでしょう。
この発言が使われる状況としては、以下のような場面が考えられます。
この発言は、国民に対して政府の取り組みをアピールし、安心感を与える効果も期待できます。
また、この発言は比喩的な表現が多く含まれているため、直訳では意味が伝わりにくい部分があります。上記の解説で、より自然な日本語に意訳することで、発言の意図をより明確に伝えられるように努めました。
他に何かご不明な点がございましたら、お気軽にご質問ください。
ご質問ありがとうございます。一つずつ丁寧にご説明させていただきます。
まとめますと、ご提示の英文は、政府の長が内閣のメンバーに対し、彼らが持つあらゆる権限を最大限に活用して記録的なインフレを抑制するように指示する、という強い決意表明を表しています。
他に何かご不明な点がございましたら、ご遠慮なくお尋ねください。
to defeat the record inflation ではなく to defeat what was record inflation とされているのには理由がありますか?
ご質問ありがとうございます。"to defeat the record inflation" ではなく "to defeat what was record inflation" と表現されているのには、明確な理由があります。これは、インフレの状況に対する認識の違いを表しています。
つまり、ご提示の英文で "to defeat what was record inflation" と表現されているのは、演説者が、過去に記録的なインフレが存在したことを認識しており、現在はその状況から脱却しようとしている、あるいは脱却しつつある、という認識を示しているからです。
逆に、現在も記録的なインフレが進行している状況で "to defeat what was record inflation" と表現すると、現状認識が甘い、あるいは現実から目を背けている、という印象を与えてしまう可能性があります。
このように、"the record inflation" と "what was record inflation" の使い分けは、インフレの状況に対する認識の違いを明確に表す重要な要素となります。
他に何かご不明な点がございましたら、お気軽にご質問ください。
to defeat と bring が and で並列になっていると思うのですが、ちょっと読みにくいですよね。and rapidly まで読んだ時点では、defeat の目的語が続くのかと思ってしまいます。
この原稿はプロのスピーチライターが書いていると思うのですが、あえてこういう構文にするメリットはあるのでしょうか?
ご質問ありがとうございます。おっしゃる通り、"to defeat what was record inflation and rapidly bring down costs and prices" の構文は、"and rapidly" の部分で少し読みにくさを感じることがありますね。通常であれば、"to defeat the record inflation and bring down costs and prices" のように、動詞句を並列させる方が自然です。
プロのスピーチライターがこのような構文をあえて用いた理由については、いくつかの可能性が考えられます。
このように、"to defeat what was record inflation and rapidly bring down costs and prices" という構文は、単に文法的な正しさだけでなく、強調、意味の明確化、修辞的な効果、文脈との関連など、様々な要素を考慮して選択された可能性があります。プロのスピーチライターは、聴衆にメッセージを効果的に伝えるために、このような複雑な構文を意図的に用いることがあるのです。
ただし、おっしゃる通り、若干読みにくいと感じる人がいるのも事実です。完璧な構文というものはなく、文脈や目的によって最適な表現は異なります。この例では、上記のようなメリットを優先した結果、若干の読みにくさが生じた、と考えるのが妥当でしょう。
英文のプロの人から見たらデタラメも混じってるのかもしれないけど、素人が無料で気兼ねなくアクセスできる「先生」としては最高級のクオリティだと思いました。
結局のところ、あの手のDQNパリピ集団暴力礼賛コンテンツは、独裁体制の礼賛か犯罪組織のプロパガンダにしかならない。
皮肉なことに、そういったコンテンツから生まれたゲロ以下の集団の餌食になるのは、そうしたイケメンコンテンツを持ち上げてる女や、そういったコンテンツに金を出してるアホ投資家どもなのだ。
マスゴミがギャーギャー喚いて、こういった連中に被害者ヅラさせるのも、要するに今後もバカみたいに金を落とせというわけだ。
こうしたコンテンツを最初に押し付けるための最も悪質な洗脳コンテンツが、あの戦隊ものだ。
ああいうコンテンツの悪影響で、日本の糞ガキは子供のころから、そうしたパリピコンテンツを当然のものとして受け入れさせられる。
日本のクソガキは、所詮は大したこともできないビビりばかりだから、やれることと言えば精々が陰湿なイジメくらいだが、これがアメリカみたいな蛮族の国に輸入されると、破壊的な影響力を発揮する。
今のアメリカの産業の何割かは、戦隊ヒーローなんて輸入したツケともいえる。
いつまでもバットマンだのスパイダーマンだのだけ持ち上げていれば、あそこまでの惨状にはならなかったろう。
まあスパイダーマンは、晴れてパリピコンテンツの一部に吸収されたわけだし、バットマンは金持ち男礼賛映画で、要するに、自分たち権力者のクソガキだけ、ああいう悪影響のないコンテンツに誘導しているわけだ。
日本はチキン国民だから、大した悪影響が表面に出ないと騙されて、アメリカみたいな国に輸入すると、ああいうことになるわけである。
実際には、日本人の精神的環境は、最悪の状態にあるのだが、怖くて自殺もできないのが日本人だ。
それでも相当死にまくってるわけだが。
大体、イジメられて一番惨めな状態になるのも、そういうコンテンツが好きで洗脳され切ってるガキだ。
集団が正義と洗脳され切ってるから、その集団にどんな理不尽やダーティワークを押し付けられても従順に従うしかない。
そういう子供が、親から金を盗んでもカツアゲされたり、自分の彼女をDQNに差し出してレイプさせたりするのである。
そういえば、サッカー選手の学生がイジメられた挙句、自分の彼女をレイプさせた事件をマスゴミがいじめられっ子ディスのために拡散していたが、どうせイナズマイレブンだのベイブレードだのをありがたがってたガキに違いない。
そんな自分たちが作り出したクソガキを利用して、他のイジメを正当化し、イジメられた側に問題がーとやるのが連中の手口だ。
当然イジメのターゲットは、むしろ大人しくて気がやさしい連中から選ばれるか、連中が工作で無理やり生み出すのである。
孤独なヒーローが好きなロンリーボーイは、イジメられても一円だって渡さないのである。
まあ、それでもアメリカのそれが日本のそれよりもマシな点は、アメリカのウェイ系映画は、本気で仲間割れするところである。
あの手のプロパガンダでは、主人公たちは絶対的な正義で、みんな同じようなことを考えて同じような理想を持っていて当然、それを共有できない奴はみんな悪だとされる。
ジャンプ漫画とか、和気あいあいと仲間で慣れ合いをしていても、なんだか空気が張り詰めていて悪いのはそのせいだ。
あいつら、お互いの思想や理想や信念の違いとか一切認めず、普通に遊んでいてさえお互いの思想を監視しあう。
それでしょっちゅう疑念みたいなのを抱いては、誤解だったり、より思想性が強いことに感激して友情()を確かめ合う。
ああいうマンガに毒されてる奴らが、戦争とかになると、異常な思想警察になって、真っ当な批判も封殺し、滅亡に向かってひた走るのである。
そういう連中に限って、思想性という批判が好きだから、わざと使ったわけだが、大体、思想性思想性言ってる奴の方が、やたら不寛容で、価値観の違いを認めない。
というのも、自分とは違う思想の相手を全否定するための言葉になりやすく、この言葉自体が、アカの工作員のプロパガンダ言語レベルの代物になりやすい。
こういう言葉を連呼する輩の考えは、思想性が強いと思われたくなければ、世間(マスゴミ)が、その時その時の都合で持ち上げる思想以外の思想を語るな、ということである。
こういう風潮の結果が、実際は内心どうでもいい、むしろ不快にさえ思っている思想を、表向き支持して、称賛を得て、自分の都合で他人をけしかけようとする小独裁者が乱立し、小集団がたくさん生まれて、その行く末が、アメリカのような少数分裂の結果の、無政府寸前の治安状態だ。
アメリカ人は行動的だから、そうやって表向きに噴出しているわけだが、日本ではもうとっくの昔から、マスゴミのためにマスというものが消滅し、嗜好性の先鋭と多様化が起こっている。
集団というものを強くすると、全体においては、むしろ、一つの強力な組織なんてものは消滅し、無数の独裁者と小集団に別れるのである。
マスゴミのような、薄く広い情報媒体からの影響力が強いのは、むしろ小集団に属さないロンリーウルフなのだが、マスゴミというもの自体が、無数の小集団により利権の奪い合いであり、こうした連中が好き勝手に物を作ると、こうしたロンリーウルフを侮蔑し、排除することになる。
そうした独裁小集団のリアルにおいては、そうしたロンリーウルフこそ邪魔だし、結局のところ、ロンリーウルフは、他人の影響を受け難くて、盲目的には従わないからロンリーウルフなのであり、リアルにおいて他者からの情報が少ないために、マスゴミの情報に依存する傾向があっても、その情報は批判的に扱われやすく、洗脳され切らないからだ。
現実に小集団に所属する者は、あらゆるメディアからの情報より、現実に属している集団の情報と命令を優先する。
ネットで陰謀論がバカにされてるからって、自分の属しているグループ内での陰謀論の内容を否定する奴は、その集団から”お仕置き”の対象になるだけだ。
仲間とか集団という存在を大きくすればするほど、そのお仕置きへの恐怖は増大する。
身近な人間や身内でさえ信じるな、テレビだけ信じろ、という風に。
マザコンとか家族に従う子供というのは最悪の存在として描かれるし、マスゴミの報道する犯罪は、いつも家族のせいでおかしくなった犯罪者ばかりだが、現実の犯罪のほとんどは、むしろ家族に暴力などを振るって追い出され、ヤクザ以外に行くところがなくなった奴によって行われる。
片親や虐待など、家族側に問題があるパターンもあるが、たいていの場合は、マスゴミのプロパガンダに悪影響を受けまくって、家族を蔑ろにすることを覚えた不良である。
自分たちで叩きまくらせておいて、世間で叩かれるようになると見るや、途端に虐待してる母親も~みたいなドラマを作り出す。
母親が虐待するダメな存在という印象は、同情するように見せかけて植え付けまくってるわけだが。
現実に虐待する家族なんてのは、マスゴミ周辺には五万といても、他には殆どいないにも関わらずだ。
だが結局のところ、マスゴミも、人間の顔をして洗脳する以上、ある種の人間、マスゴミによく出る人種については美化しないとならない。
その結果、マスゴミがどんなに自分たち以外を信じるなと洗脳したところで、マスゴミによく出るような人間が、そいつの側にいると、途端に小集団が形成され、マスゴミの情報はシャットアウトされる。
結果、タレント的な人間は、タレント的な人間同士で徒党を組み、周囲の衆愚を扇動し、マスゴミの洗脳網から独立し、独裁小集団を形成する。
学校のヒエラルキーが、露骨にルックスによって形成されやすいのは、そのせいだ。
というのも、工作によって、わざと面白くなくさせることがある程度可能だからだ。
だから、連中の工作によって、連中以外に芸人みたいな奴らが生まれにくくなっているのである。
見てくれが良いだけの奴は、中身なんてない場合が多いため、大したことは出来ないわけだが、この工作を振り払って芸人みたいになれる奴というのは、相当頭が良いだろう。
一方でスポーツができるか否かという基準も作っているが、これは、いかにスポーツというものが、軍隊的でファシスト的で、簡単に人を操れる道具かということを示している。
彼女を提供させた奴らのように、連中がいかに醜悪でおぞましいかが、そこには表現されきっている。
あのスポーツの部活というものに入って、嫌な思いをしなかった者など居ないだろう。
そんなこともまともに見もせず、スポーツマンなんてものをチヤホヤするバカ女の末路が、肉便器だ。
少しでも人間性に目を向ければ、学校のスポーツマンなんてカスしかいない。
日本人がまともにスポーツをやれるようになるのは、成人してからで、学校の部活なんて、一番性格が最悪で暴力的な屑が占領している。
結局のところ、スポーツマンと付き合っていられる女というのは、人をブランドでしか判断せず、しかも現実に何が起ころうがすべて無視していられる自己満人形みたいな女だけだ。
一般ニュースのアナウンサーなんてのは、中身空っぽの人間ボイスロイドで、上っ面だけで良い印象を人に与える以外の何の才能もいらない職業だからだ。
大体、ちょっとでも考える知能があれば、無批判でニュースを垂れ流しにし続けることなんてできないわけで、アナウンサーというのは、積極的に頭の中身が空っぽであることが要求される職業なのである。
アメリカなんかでは、しょっちゅうアナウンサーがブチギレて放送事故を起こしており、向こうでは日本ほどサイボーグ化が進行してないのだろう。
まあ日本でも、思想性の強いアナウンサーは、ワイドショーとかには居るわけだが。
むしろあの連中というのは、放送事故も起こさずに、自分で言ったニュースに不満があれば、自分の意見を表明して、そのうえで場を取り繕って進行できるわけで、相当コミュ力も思考力も高い証拠だろう。
その真逆の存在が、ひたすらニュースを音読してるだけの普通のアナウンサーであり、アナウンサーというのは、全く真逆の二タイプが居るわけだ。
ワイドショーの、本当に頭のいいアナウンサーと、一般ニュース番組の肉人形を一緒くたにアナウンサーとして括るから、政治の世界で民主主義が崩壊しているのである。
中身空っぽのロボットみたいな奴に限って、都知事になって成功している。
あいつらは、全て少数権力者の指示通りに動いてるだけのマリオネットだ。
逆に、ワイドショーのアナウンサーが人気を得ることは殆どない。
彼らは、アナウンサーとして一括りにした肉人形を、同じアナウンサーだから頭が良いはずと騙すことに利用されるだけだ。
というのも、自分で読み上げたニュースを、自分で批判するという構図自体が、視聴者から反感を持たれやすい。
このアナウンサーは、自らの立場を利用して、自分の思想を宣伝している、卑怯だ! というわけだ。
実際に卑怯な宣伝工作をしてるのは、そのニュースを描いた奴だけなのだが。
こういう衆愚を騙して、一方的に洗脳するには、対立する意見を横に並べてはいけないのである。
横に並べて公平に扱っているかのように見せかけながら、相手の意見だけを誇張し、曲解し、誤解を与えるように切り抜きして書く新聞記事の書き方こそ正答なのである。
ワイドショーのアナウンサーは、本当にニュース原稿を公平に読むため、その後に自分の意見を開陳したところで、視聴者はその反論を真に受けない。
むしろ、ニュースを自分で読むというアドバンテージの上に、後で自分の意見だけを言って終わらせる形式に、反感を抱くだけなのだ。
だからテレビ局というのは、”思想性"の強いアナウンサーを自由にさせておける。
自分たちの原稿さえ読む仕事をさせれば、あとは問題にならないからだ。
そして、連中を自由にさせておくことで、自分たちの公平さを捏造し、アナウンサーという職業に、ちゃんと自分で考えられる頭のいい人たち、という誤った印象操作をすることができるのである。
むしろ、実は、原稿を棒読みしてるだけの肉人形は、自分の意見を押し殺して、仕事に没頭しているプロフェッショナルと思われている。
ちなみにビーフシチューは明治の中頃には代表的な西洋料理として庶民にも知られていた(田舎の貧民は知らん)
昭和13年(1938年)発行の料理本「海軍厨業管理教科書」を挙げている
しかし同市が公開している同じページに掲載の30年前の「海軍割烹術参考書」にビーフシチューがすでに載ってる
それが西洋料理の代名詞として認知されていたビーフシチューを知らんわけがない
先日、友人に勧められ『機動戦士ガンダム』をみた。
知らない人だったら、この名前を聞いて拒否反応がでるかもしれない。
でも、僕も始めこれを聞いて拒否反応がでたが、意外と可能性を感じるいい作品だった。
まず、僕の自己紹介をする。
サイド2 ハッテに住んでいる。
ジオンは戦後 スペースノイドの盟主を気取っているが、ご存じの通りハッテは地球連邦寄りだ。
それを兵器にするために皆殺しにしたジオンを許せるわけがない。
でも、人を殺さなかった。
今は自治権も与えず、税金も高く、さらには人を殺すジオンの独裁だ。
こんなことを本国で書いたら憲兵にマークされてしまうが、連邦ネットワーク内の増田なら安心だろう。
さて、『機動戦士ガンダム』はサイド7に住んでいるトミノとかいうアニメ監督が作った。
サイド7はジオンから最も遠く、戦前はルナ2にも近かったから連邦関連の人が多く、戦後も連邦寄りだ。
なによりもシャアによる空襲を経験しているから、多くの住人はジオンを恨んでいる。
このトミノ監督はレトロフューチャー系のロボットアニメが作風で、20世紀の古い感じのテイストなんだ。
『機動戦士ガンダム』は史実を下敷きにしたIF戦記物なんだが、リアリティよりもこのレトロフューチャーテイストを選んでいる。
スマホもないし、妙に四角張ったモビルスーツのデザイン、そして過剰な作画崩壊(20世紀はよくあったらしい)演出など見る人は選ぶと思う。
まず、史実では連邦のV作戦で作られたガンダムをシャア・アズナブルが強奪して、連邦のテクノロジーをリバースエンジニアリングしてジオンの勝利に貢献したでしょう。
ガンダムはジオンのシンボルみたいなもんだけど、この作品では連邦のシンボルになっているんだね。
ここは、シンボルを無力化する意味ですっきりした。タイトルにもガンダムと付けているが、ジオンは敵だという作品のタイトルにしていることで奪い返してやったという気持ちになる。
強奪に失敗してから、連邦が巻き返していく物語なんだが、多くの人物が実在の人物なんだけれども、主人公は架空なんだよね。
アムロ・レイという少年がガンダムに偶然乗り、何度もピンチを潜り抜けていく。
IF戦記物だけでなく、このアムロ少年の成長譚とだけみても面白い。
何で子どもなんだよ。とか、子どもがモビルスーツに乗ってシャアを撃退できるわけないだろっていうツッコミはわかるが、これは少年が主人公になるレトロフューチャーロボットアニメの様式だそうだ。
ここからは、もう少し突っ込んだネタバレになるので、ネタバレ避けたい人はここで回れ右をしてほしい。
そしてシャアもニュータイプとして覚醒をして、アムロとシャアの確執へと発展していくんだ。
君たちならニュータイプという言葉を聞くとガンダム以上に拒否反応を催すだろう
だか、『機動戦士ガンダム』ではこのニュータイプを新たな解釈をしているんだ。
アムロとシャアの間にララアという少女が登場するんだが、ララアとアムロは一瞬の間にお互いを理解をするんだ。
選民思想のためのニュータイプじゃなくて、宇宙に出て人は遠くの人と誤解なく差別なく分かりあえる。
そういう強いメッセージを感じた。
確かにジオンは人を殺したが、仮に連邦が勝利をして、連邦内でジオンを抑圧するような軍隊を作って、コロニーに毒ガスを撒くとか逆のことをしてやろうと思ってもそれは違うよね。
皆人間なんだよと。
だから、ジオン、反ジオンの二元論を越えた反戦アニメだと感じたよ。
あと、少々のツッコミはある。
シャアが目立ちすぎる。
メインキャラでは数少ない実在の人物なのだが、監督はシャアが好きなんじゃないかというくらい優遇されている。
まあ、シャアは死亡しているので(生存説を唱える陰謀論はあるがwww)好き勝手出来るということもあるんだろうけどね。
逆にシャアの盟友であるシャリア・ブルはちょい役ですぐ死ぬという冷遇っぷりだ。生死が現実と逆転してるのは意図的なのかな。
あと、連邦のエースパイロットのセイラ・マスも出てくるんだが、これがシャアとの兄妹ってことになっている。
実際陰謀論で、ジオン・ダイクンの遺児で生き別れた兄妹説みたいなのがあるけど、クソヤバ陰謀論を引用するのはちょっと萎えたかな。
ちょいちょい実在の人物が出てくるので、一年戦争史詳しい人なら唸るかもしれないね。
野蛮な子供時代を過ごしていたので、義務教育期間は子ども同士で平気で殴り合っていたし、教師にはボコボコにされた。
虐めることも虐められることもあった。
いまの社会ならまず受け入れられない環境だったけど、今にして思えば悪くない環境だった。
ぼくたちはひどく未熟で、知性や理性といったものは、ほとんど持ち合わせていなかった。
そのため、山のように失敗をしたし、中には犯罪行為もあった。
でも、それらを子供がやったこととして許してくれる環境がそこにはあった。
もしあそこで我々が失敗を経験しなければ、もっとロクでもない大人になっていただろう。
失敗を大人の基準で裁いて学校からはじき出されていたなら、少なくない生徒が義務教育から弾き出され、地域社会が崩壊していたことは容易に想像できる。
学校の聖域化は、今にして思えば、ぼく達のような野蛮な子供には本当に聖域であったし、それはとても有効に機能していた。
一方で、野蛮さとは無縁な、一部の賢明な子供が暴力に曝されて割りを食っていたのは事実だ。
地域の公立学校に迷い込んでしまったまともな子供には窮屈で馬鹿馬鹿しい子供時代を過ごさせてしまった。
その手の子供には大人からの暴力はなかったし、子供同士でも自分たちとは違うソトの世界の住人として認識されていたので、野蛮な暴力に無慈悲に晒されることも少なかったのだが、窮屈であったことは間違いないだろう。
現代では子供にも大人のような無謬性が求められ、聖域は解体されつつある。
いじめも暴力性も、その他の社会的逸脱も許されなくなりつつある。
その恩恵を受ける子供は少なくないと思うし、善良な子供は今の学校の方が居心地が良いだろう。
一方で、ぼくのことを思い出してみると、あの時代で本当に良かったと思っている。
自分の経験した世界以外は知らないが、ぼく達のような子供は当然法律も社会的な規範も理解していなかった。
なぜ暴力やいじめが駄目なのかも理解していないし、教えられても翌日には忘れていた。
ぼくたちの野蛮さや暴力性は、教師の暴力なくして、止められるようなものではなかった。
より強大な暴力性による抑止以外の、理性や道徳では、馬鹿の暴力は抑止できない。
そもそも、現代社会の国家の基盤である国家や法治制度も、警察や軍隊といったより強大な権力、言い換えると暴力や武力によって成り立っている。
未熟な子供を強大な大人の暴力性で抑止するというのは、最も直接的で明快な形で国家や社会を理解する方法のように思える。
他人のとばっちりで全く悪くないのに教師から殴られたこともあるが、振り返ってみると許せる。
当時のぼくは怒り心頭だったが、子供の失敗を許容する環境ならば、教師の失敗も同様に許容すべきだろう。
彼らもある程度は未熟な人間で、法律のような明確な判断基準や依りどころもなく、猿と人間の間の(だいぶ猿寄りの)生き物を人間に近づけるという困難な仕事を、到底見合わない待遇で引き受けていたのだ。
尊敬に値する。
他の動物や大人の社会でもいじめは存在しているし、集団ではいじめは自然発生的に生まれる。
生物の遺伝子に組み込まれたデフォルトの機能と捉えるほうが自然だ。
それを特殊で忌むべき行為として断罪され、弾き出される社会でなくて本当に良かった。
当時は毎日神にいじめを無くしてほしいと祈っていたことを考えると、それなりに堪えていたように思う。
後に神に祈ったのははじめて異性に告白する前と、株で百万単位の含み損を抱えたときくらいだ。
それほど辛かったけれど、それでもなお当時の環境で良かったと思える。
ストーリーも演出もキャラも非常にロジカルで、要らないシーンが1つもない
2の割に非常に上手かったと思う、なお前後編っぽいので2は途中で終わる
ギフンってそもそも帰る場所のない哀しき獣なんだよね、離婚してるし、親も死んだし
リアルに後ろ髪惹かれるみたいなのが無かったのは残念
投票要素はすごく上手く出来ていた
これは1でもあったけどね、イカゲームはゲームだけじゃなく場外乱闘も重要になる
1の001と親友が強すぎたんだよな
あと命がやっぱ軽くなっちゃうのも気になったのと
「ギフンはよ説明しろや」のイラつきも若干あった、でも他作品よりはちゃんと考えていたようだから良かった
外部班のドラマがちょっと薄いのも気になった、ほぼ島探してただけ、もう一捻りほしかった
それはまあ後編でやるんだろうけど
3で良い感じに終わらせて欲しい
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どうでもいいけど10億ウォン以上の債務者こんなに集めるのすごくね?w
カイジはもっと安かったと思うし、安いほうが絶望感増すと思うんだけどね、456億ウォンはリアルでも参加したい人山ほど居そう
題名そのまま。
「痩せればそこそこ可愛くなりそうなデブ」でいい奴見たことない。
具体的に言えば、自分にはめちゃくちゃ甘い癖に他人に際限なく労力を求める奴が多い。
自分が損することに関しては敏感ですぐ浮気するし、すぐ根を上げるくせに身分不相応な待遇を求めるやつばっか。
基本的に、そこそこ可愛ければ人生無双できる女という人生において、
・馬鹿
・怠惰で忍耐力が無い
ということが決定してる。
馬鹿で忍耐力が無い人間は、人間関係におけるトライアンドエラーが出来ない。
すぐ他人のせいにして保身に走るため、言い訳する脳だけ発達、人として成長できない。
そして「ちょうどいいブス」枠として扱われるため、言い寄る男も多く中途半端に自己肯定感が高い。
「痩せれば可愛いよね〜」と言われても、「私って可愛いんだ」と思ってしまう馬鹿で現在進行形でブスということをわかってない。
幼稚さが漏れ出てるので、結果的に「ちょうどいいブスを狙うブス男にヤリ捨てされる」経験が多く、他責思考なので男に対して偏見を持っている。
じゃあ解決策はなんなの?って言うと
こういう女はありのままの自分を愛してる人を探すため、イケメンで優しい男をゲットするために努力せず
対して痩せてもブスなデブは、軍隊に入るレベルで人格否定されて育ってるため自己肯定感低く人に優しい。
ちょっと優しくされると激感動する。ちょろい。
痩せてもメリット無いとわかって太ったままなので基本賢いし、ストイックな奴は性格や面白さ、恋愛テクニックで盛り返してる奴もいる。
題名そのまま。
「痩せればそこそこ可愛くなりそうなデブ」でいい奴見たことない。
具体的に言えば、自分にはめちゃくちゃ甘い癖に他人に際限なく労力を求める奴が多い。
自分が損することに関しては敏感ですぐ浮気するし、すぐ根を上げるくせに身分不相応な待遇を求めるやつばっか。
基本的に、そこそこ可愛ければ人生無双できる女という人生において、
・馬鹿
・怠惰で忍耐力が無い
ということが決定してる。
馬鹿で忍耐力が無い人間は、人間関係におけるトライアンドエラーが出来ない。
すぐ他人のせいにして保身に走るため、言い訳する脳だけ発達、人として成長できない。
そして「ちょうどいいブス」枠として扱われるため、言い寄る男も多く中途半端に自己肯定感が高い。
「痩せれば可愛いよね〜」と言われても、「私って可愛いんだ」と思ってしまう馬鹿で現在進行形でブスということをわかってない。
幼稚さが漏れ出てるので、結果的に「ちょうどいいブスを狙うブス男にヤリ捨てされる」経験が多く、他責思考なので男に対して偏見を持っている。
じゃあ解決策はなんなの?って言うと
明は当時末期状態で農民反乱が組織化されて易姓革命の危機にあった。
呉三桂は中国の国境近くでその頃勃興していた満州民族の押さえとして重要な要塞を守っていた。
ところが北京が反乱農民の組織によって占領されて皇帝は殺されてしまった。
反乱軍は新しい王朝を立て、呉三桂も服属するように求められた。
そこでの呉三桂の対応がふるっていて、なんと呉三桂は国境を開いて敵だった満州族の軍隊を招き入れともに北京に攻め上り新しい王朝を打ち破ってしまった。
呉三桂は清成立の勲功第一ともいえることから非常に優遇され太守として奉じられ半ばその領土は独立国家のごときであった。
しかし、清の三代目の皇帝はそのことをよしとせず、呉三桂が持っていた既得権益を次代には継承させないと決めてしまった。
異民族から中国を取り戻し、漢民族による王朝を復帰させよう!と呼びかけたもののうまくいかず自らはその乱の最中命を落とすことになる。