「アニメ作品」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アニメ作品とは

2024-12-26

水星魔女 ラウダ・ニールクィア・ベイティング問題

機動戦士ガンダム 水星魔女』の最終回において、ラウダ・ニール地球移住し「ペトラそばにいたいんだ」と発言さら公式ガイドブックで「ペトラとの関係:周囲に知られないようにしていた」「ペトラに寄り添いながら自分の道を探している」と書かれていたことに対し、これまでラウダとその兄であるグエル・ジェタークとのカップリングを支持していたファンが、制作側によるクィア・ベイティングQueer-Baiting)である激怒する事態が発生しました。

以下にその事件の経緯とファンの主張をまとめます

事の経緯

グエル×ラウダ支持派の怒りとクィア・ベイティング主張

最終回の展開と公式ガイドブックの内容を受け、グエル×ラウダのカップリングを支持していたファン制作側の行為を「クィア・ベイティングであると強く非難しました。彼女らの主張は主に以下の点に集約されます

結論

この事件は、アニメ作品におけるキャラクター間の関係性に対するファンの期待と、制作側の意図との間に乖離が生じた結果と言えます。グエルとラウダの関係性を特別ものとして見ていたファンにとって、最終回の展開と公式ガイドブック記述は、制作側による突然の裏切り行為であり、クィア・ベイティングであると強く感じられたようです。この一件は、今後のアニメ制作において、LGBTQ+の要素を扱う際の慎重な配慮と、ファンとのコミュニケーション重要性を示唆する出来事となりました。

2024-12-06

吐き出し

映画間で上映中にしゃべっている人がいることにかなり嫌悪感がある。

1度、幼少期に好きだったアニメ作品リバイバル上映に行ったが、同じ回を見ていた子どもが上映中ずっとしゃべり続け、親も一切注意しない。

上映後、同行者と「さすがにうるさすぎる」と不満を共有しながら帰路についたが、おそらく同じ映画館の同じ回を見ていたであろう人のXで

子ども向け作品から子どもが声を上げるほど楽しんでいてよかった」「上映後文句を言ってる人がいたけど、子育てしたことがないのかな?」という

内容のポストがされており、なんともいえない気持ちになった。

もう映画館に行かない方がいいんだろうとは思っているけれど、どうしても映画館で見たいと感じる作品もあるし、そもそもなんでこっちが

我慢しないといけないのかという憤りもある。

もっと他人に寛容になるべきだろうけれど、なかなかうまくいかない。自分が嫌になる。

anond:20241204221719

既に過去アニメ作品がやった通過点を劣化版の焼き直しした作品

マジレスすると何年もアニメ見続けて飽きる理由の8割はこれ。

なんならその過去アニメ古典SFや名作映画のパクりだったりする。

例えばシュタインズ・ゲートとか要はバタフライエフェクトだし

2024-12-04

今のアニメがつまらなくなったのか、俺がつまらなくなったのか

20年以上アニメオタクとして生きてきたが、最近アニメは本当につまらない。

テーマが何なのか意味が分からない軸のない作品

テーマがあっても世界観の大きさに比べてしょうもないスケール作品

既に過去アニメ作品がやった通過点を劣化版の焼き直しした作品

ライブ感で視聴者繋ぎとめることやバズれば勝ちだと叫んでるかのような作品

限られた予算の中で限られた頑張りで作った予定調和作品

スポンサー意向を聞きすぎて空中分解していく作品

そんなのばかりで、もういい加減ウンザリしてきた。

 

日本という国自体が活気があったころは、アニメ実験的な作品文学寄りの作品に溢れていたと思う。

今、新しくアニメを作ろう、となると何をするにしてもとにかく売れることが目的

世間を驚かせよう、作品を作ろう、という情熱が働き甲斐搾取で消費尽くされて、

人手不足になった現代では、自爆覚悟のような異形な作品も出て来なくなってしまった。

既に何が売れるのか過去データで分かるようになってしまものの、

売ることばかりが目的になってしまっているせいで、王道すら使いこなせずに墜落していく滑りアニメたち。

売れるのはあくまで結果であることは、原作に多用しがちな漫画から学ぶことはいくらでもできるはずなのに、

自分たちは芋を引くのが嫌で冒険せずに、

過去作の続編で中年たちの財布に頼ったり、別のコンテンツや有名監督に頼るばかり。

完全なる腑抜け業界になってしまったのが日本アニメ業界だと思った。

腑抜けになるだけならまだマシだがスポンサーたちが失敗から学ばないせいで、

製作側も諦めて金だけもらって金の分だけ仕事するような作品だらけになった。

そのバカみたいな循環に付き合うことをやめない視聴者たちのせいで更に悪化していく。

 

アニメの1分1秒に衝撃を受けていた時代に戻りたい。

2024-12-02

anond:20241202145706

428にぶち込まれCANAANきのこ批判したことをごめんないしたくなるような酷いWEB作品

酷いWEB作品を元にしたアニメ作品はあるし、ソシャゲならいくらでもFGO以下はたくさんあるけど、

下記の増田みたいなの製造してたりほんと罪深いと思ってるよ、きのこのせいじゃあないけどな

歴史に詳しくなれて因縁話をたのしめる

https://anond.hatelabo.jp/20241202144335

anond:20241202185028

2024-11-26

anond:20241124212136

(この増田での「ガンダム」は、外伝SDビルド系を含まない、アニメ作品本編を指すものとする)

こんな条件ががなければもうぶっ壊せてるってことじゃん

2024-11-25

anond:20241125130449

(この増田での「ガンダム」は、外伝SDビルド系を含まない、アニメ作品本編を指すものとする)

なのでビルド系(プラモ関係のやつ)は除外されているのだ

まあビルド系も死人が出る作品はあるけどな……

anond:20241125121134

(この増田での「ガンダム」は、外伝SDビルド系を含まない、アニメ作品本編を指すものとする)

2024-11-24

ガンダムじゃない!」って言いたい

ガンダム関連の新作・新企画が発表されるたびに、古参系のガンオタから「こんなのガンダムじゃない!」的な鳴き声が上がるのが恒例行事となっているが、増田感覚では2000年以後の新作に「ガンダムではない」と感じたことは一度もない。

実際、TVシリーズ最新作である水星魔女は、女性主人公、学園ものなど、新機軸を多数取り入れた野心的な内容ではあったが、それでも「ガンダムじゃない」とまでは言えなかった。最終的にはお約束宇宙要塞なんかも出てきて、全体としてはふつうガンダム範囲内という印象だ。

79年の初代から既に45周年までにもなるガンダムシリーズ。その中では本編シリーズだけでも様々な挑戦がなされてきた。

世界設定全体ではGガン

デザイン面ではターンエー。

作品雰囲気(軽さ)ではZZ(前半)。

と、それぞれ「 アニメ ガンダムじゃない」の極北と言えるガンダムが既に存在しており、この壁を打ち破ることは容易ではないだろう。

過去シリーズの膨大な蓄積がある現在のこの状況からガンダム」の外側に出るにはどうしたらよいのか。過去ガンダム共通点否定逆張り)、という観点から考えてみたい。

(この増田での「ガンダム」は、外伝SDビルド系を含まない、アニメ作品本編を指すものとする)

宇宙に出ないガンダム(実現可能性:★★★)

これまでのガンダムは全て、宇宙移民可能技術レベルを前提とした世界舞台にしている。スペースコロニーガンダム代名詞と言ってもいいだろう。

これを削除することはできるだろうか。恐らく可能だろう。

ニュータイプの設定(宇宙に出て進化した人類)など、宇宙ガンダム重要な要素ではあるが、それ無しでは絶対に成立しないというほどでもない。宇宙時代以前の近未来舞台にして(純地球産の)巨大ロボットが登場するアニメは、パトレイバーフルメタルパニックなどの実例複数ある。

これから宇宙抜きのガンダムが出てくる可能性は十分にあるだろう。そのぶん「ガンダムじゃない」度は比較的低いともいえるが。

搭乗型巨大ロボットが登場しないガンダム(実現可能性:★★)

ガンダムロボットものアニメの一シリーズであり、多くの作品では主人公機(ガンダム)はモビルスーツと呼ばれる巨大人兵器の一つという扱いになっている。

このアイデンティティと言っていい部分を変えるのは一見無理があるように思えるが、少し考えてみればそうでもないかもしれない。

もともとガンダムモビルスーツ宇宙の戦士に着想を得たもので、パワードスーツタイプ兵器になっていたかもしれない、というのはオタクの間ではそれなりに知られた話だ。

(3ページ目)「着込むスーツ」から「18メートルのロボ」へ 企画初期から支えたアニメーターが語る「ガンダムのはじまり」 | 文春オンライン

 ただ、当初は完全に人間が着込むやつで、身長も2メートルちょっとだった。あの頃のアニメロボットは、身長も100メートルかになっているのもいて、そんなものレイアウトができない。民家を入れて描けなんて言われても小さすぎちゃう

 そんな中で、2メートルという案が出るんだけど、それもかなり極端だから、最終的には18メートルになった。あれは、5~6メートルに収まっていればもっとリアリティがあったのかもしれないよね。

また、コードギアスコミカライズの一つでは、原作の巨大ロボット兵器に相当する存在として、等身大パワードスーツが登場している。この二者は意外と簡単に変換可能なのかもしれない。

なんなら、「巨大」の部分は残して主人公ガンダムに変身する、という形にしてもいいだろう(ULTRAMANの逆バージョン?)

戦争がない(人が死なない)ガンダム(実現可能性:★)

これまでの全てのガンダムは「戦争」を描いている(「スポーツマンシップにあふれた戦争」のGガンも含めて)。主人公戦争に直接参加することはなくても、物語の背景には必ず戦争があった。

恐らくここを変更することが、ファンにとっては最も抵抗感を覚えるのではないだろうか。

ファーストガンダムが当時高い評価を受けた大きな理由の一つは、アニメ人間同士の戦争を描いたことだ。最近では、戦争自体主題ではないという論調が主流になってきたものの、ファースト以降ガンダムからの脱却を常に模索してきた富野由悠季ですら、戦闘による人死にのない作品ガンダム以外でも作ることができていない。作り手・受け手双方にとって、戦争呪縛はそれほどに強い。

戦争のないガンダム果たして可能なのか?

その問いの答えが、そして答えが出る時が来るのかどうかが気になってしょうがない。

あとがき ふわふわ増田のあと! に

上で、これまでのガンダムでは「様々な挑戦がなされてきた」と書いた。それは紛れもない事実ではあるが、たとえば初代の仮面ライダー平成・令和のライダーの別物感に比べれば、ガンダム45年の変化は全然ヌルいともいえる。

ガンダムには、ぶっ壊せるところがまだあるのだ。

作品制作にかかわる人々には、心の底から「こんなのガンダムじゃない!」と言えるようなガンダムをこそ期待したい。無茶なお願いは承知の上で。

2024-11-23

十年ほど前にとあるアニメ作品に沼落ちして同人誌活動を始めた。

友人やジャンルに恵まれ、とても楽しい十年間だった。

このジャンル出会ったすばらしい相棒(友人)の存在が大きい。

数十冊の同人誌を発行したわけだが、満足したのでジャンルを離れることを決意した。

現在在庫の本を整理して廃棄する作業を進めている。

一種類あたり十冊から数十冊の余剰在庫というのは同人活動がうまく回っていたことの証左だが、ちょっと大変だ。

最初はそれほどでもなかったけれど、積み重なればいつの間にか段ボールで部屋が圧迫されていた。

甥っ子が年末に遊びに来ることになったので、いい機会だから在庫とはお別れ。

活動規模は身の丈にあっていて、読者にも恵まれた。

コロナ禍で気の狂ったようなアンソロを出したのも今はいい思い出。

手元に一冊ずつ残して残りの在庫はすべて廃棄する予定。

すべての本に思い入れがあって、なかなか作業が進まない。

年内に作業が終わるといいな。

在庫は整理するけれど、また心に余裕ができたら同人やりたい。

2024-10-18

anond:20241018134120

スタジオカラーなんか残した日には、あらゆるアニメ作品に 「シン・」ってつけられてしまうぞ

2024-10-12

国連日本アニメ産業労働環境を「労働搾取」と批判しているとの報告があり、アニメーターの過重労働低賃金国際的人権問題として認識されています

この問題アニメ業界内部に留まらず、国際社会からも注目され、改善が求められている状況です。

ストリーミングサービス大手ネットフリックスを含む企業日本アニメ作品を扱う際、これらの労働問題が影響を及ぼす可能性があるとされています現在のところ、ネットフリックス日本アニメ作品を排除する動きは確認されていませんが、労働環境問題は将来的にコンテンツ選定に影響を与える可能性があります

日本政府アニメ産業労働環境改善に介入していない理由複数考えられますアニメ産業フリーランス個人事業主が多く関わる複雑な構造を持ち、労働基準法の適用が困難な面があります。また、アニメ産業日本の文化産業として高い地位を占めているため、その取り扱いには慎重な姿勢が求められています

政府が直接介入することには慎重な姿勢を取っているのはなぜですか?

2024-09-23

呂布カルマさんとフォロワーのみなさまへ

https://x.com/Yakamashiwa/status/1837679208489013407

恋山形駅宣伝してくれてありがとう

この駅はかれこれ10年以上前からこんな感じです

駅名の「恋」にかけて縁結び神社のような取り組みをしています

色のセンスがあれなのはそれはそうですが、10年も経っちゃうと「ああ、あの町おこししてる駅ね」くらいの感じで、「あの駅はそういうもの」という認識なっちゃっています

鳥取県のいわゆる「秘境駅」みたいなものなので(Wikipediaによると一日の利用者数は2人ほどらしいです)、東京にお住まいのみなさんが通勤で使うことはないか安心してください

地元民の移動手段は「車に乗る」以外にないと言ってもよく、近くに高校大学もないので学生が通学に利用することもないので、もしあなたが近くに住んでいても乗り降りすることはないと思います

隣の駅も隣の駅もその隣の駅も、鳥取県内の駅はほとんど似たようなつくりの無人駅ばかりなので、そのうちのひとつピンク色に塗られていても鳥取から田舎らしさ」が失われることはありません

写真女の子キャラクターは「アニメコラボ」ではなく、「鉄道むすめ」という鉄道PRキャラだそうです

仮にアニメ作品だったとしても、鳥取県鬼太郎コナンFree!ひなビタ孤独のグルメなどアニメ漫画作品にはずいぶん助けてもらっているので、誰も使わない駅のはしっこに二次元キャラクターイラストがあっても気にする人は少ないと思います

とにかく、心配しなくても大丈夫ですよ

2024-09-11

anond:20240911074458

温泉むすめは30秒ぐらいのショートアニメも作ってはいもの主体アニメ作品ではないぞ

議員会館借りるのって違法なの?

コネがあれば借りられるだけで合法なんじゃないの?

からバックに議員つけやがってという批判に発展したのであって別に違法ではなくね?

2024-08-24

anond:20240824080739

VIVANTだろ

ドラマ全く見ないで長年アニメすらも見てない俺が偶然見かけただけで引き込まれ

1話から全部見たら2010年前後アニメ黄金期のアニメ作品とか007映画より面白かったわ

どっかの配信サイトでもイカゲーム抜いて1位とってたんだろ?

2024-08-05

女性性的搾取プラモデルキモすぎる

Joshinエディオンなどの玩具売り場を訪れたら驚いたのだが子供の目にも付くであろう場所に堂々と女性モチーフにしたプラモデルが売られていた。

バンダイ30minutes sistersやコトブキヤメガデバイスといった所謂美少女プラモデルという商品だがデザインがどれもこれも女性性的に強調された物ばかりかつ、パッケージに使われているイラストも非常に気味が悪かった。

https://www.1999.co.jp/m/image/11059001

一例としてこのコトブキヤの最新商品「朱羅 忍者 枢」だが見ての通りパッケージに使われているイラスト女性の尻を強調しておりこの様な物がゾーニングもなく店舗に置かれているのは如何な物であろうか?

https://www.kotobukiya.co.jp/blog1/labo/article/detail/314/

またコトブキヤから発売されている物に関しては「マガツキ」と呼ばれるシリーズにおいても後ろ姿は尻がほぼ丸出しとなっておりメーカーもそれを特徴として推している面があり、女性性的しか見ていない証と言え非常に気持ちが悪い。

https://www.kotobukiya.co.jp/product/detail/p4934054054107/

https://www.kotobukiya.co.jp/product/detail/p4934054042319/

更に同メーカー商品に関しては女児連想させる物まで存在おり、こういった物を野放しにして果たして良いのだろうか?

https://bandai-hobby.net/item/5961/

そしてバンダイからは信じられない物が発売されていた。

ふみなシリーズと呼ばれている物だがこれはアニメ作品中において「女子学生ホシノ・フミナを元に性的アレンジが施されたプラモデルが無断で作成された」という展開が発端となっており、架空キャラとは言えども明確な被害者存在している設定となっており驚愕した。

この様な気持ちの悪いプラモデルの数々が一般の目にも付くような店頭に売られている。これは果たして本当に良いのだろうか?

それについては議論必要だと思われる。

2024-07-27

ゼンレスゾーンゼロプレイしてびっくりした。

これはちょっと凄い。

時間がかかるタイプゲームから、多分やらなくなるだろうけど、そうでなければプレイしていただろう。

ゲーム部分もしっかりしているけど、何よりびっくりしたのはCGアニメーション技術がすごいレベルになっている。

中国アニメの伸び率は、アニメ作品よりもゲームのほうがすごいんじゃないかって考えるぐらい凄い。

いや、国がどうとかそういう話ではないなこれ。この会社がすごいんだろう。

いわゆるCGだけでなく、手書きアニメ作法を分かった上での形なんだろう。プロじゃないから詳しいことは言えないけれども。

っていうか、多分プロがざわついているレベルじゃないかなこれ。

ただ、これは技術的な側面で、アニメとしてだとまた別かもしれないが、そのうち何かできるのかなぁ。

結構楽しみだったりする。

anond:20240726112514

教科書に乗せたいレベル文化盗用だなって感想

その文化に関心もリスペクトもないが金になりそうだから自分に都合の好さそうな要素だけ拾って商売にする感じ。

アニメ作品好きが高じて二次創作を始める人と、アニメなんて興味ないけど金になるからエロ同人売ってる奴の違いみたいな感じ。

別にそれでもいいっちゃいいんだけど、文化盗用をしてることを認めるとこれまたポリコレと食い合わせが悪いか絶対認めないだろうな

2024-07-23

やっと、しかのこしたんを見始める

疲れたので今期はアニメを見る生活をしようと思う。笑える作品があると良いんだが

毎日辛いので何かを見て笑わないとやっていられない

(そう思ってバラエティを見ているのだがあまり笑えない。芸人純粋ネタを見ればいいのだろうが、集中して見ちゃうので「ながら見」が出来ず日常とは合わない)

笑えなくても何かカタルシスになる様なアニメ作品希望。グリムガルみたいなやつがいいなあ

2024-07-08

アニメ放送枠の関係上むずかしいのかな

今の半分の尺でアニメ作品もっとやす かつ、アニメテンポを速くしてほしーんだけど

そーすりゃ短い時間でたくさんのアニメ見れるから

2024-07-05

anond:20240704182707

宮崎駿作品の完成度が一番高いのは絵コンテなんだよね

最終成果物アニメ作品じゃなくて

あの絵コンテもっと宮崎駿脳内再現したものであって、アニメになると他人の手が加えられてしまう、

というか、長編アニメをひとりで作る体力は流石の御大にもないし、

絵コンテ以上のもの御大以外のアニメーターが、庵野のドロドロ巨神兵とか、魔女の宅急便ラストのスピーダーバイクとか、宮崎以外がやってるわけで、

アニメ作品としての完成度は上がっても、宮崎駿脳内のものではなくなってしまうわけで、

問題宮崎駿絵コンテ業界内でも悪い例になっていて、

まり指示書であるべき絵コンテが、最終的な正解となってしまって、そうなると宮崎氏以下アニメーターは宮崎脳内再現するための装置に過ぎなくなってしま

俺の脳内通りに原画を描け、正解は絵コンテにある、みたいになってしまって、アニメーターそれぞれの自主性とか、機械設計かに敢えて含む余裕みたいなのがなくなってしま

その結果なのか、庵野氏は逆に走ってしまって、俳優女子高生たちに適当に喋らせたりアドリブ演技させたものを撮りためて編集するとか、

シンゴジラ、シンエヴァプリプロ、プリビズが重視されて、絵コンテはなくなり、その場その場で変更もできる簡易的なCGになったり、

仮面ライダーも偶然性みたいなものまで重視するようになって、NHKドキュメンタリーでは現場を困らせていた?みたいになってたけど、

なんか、宮崎駿というか、アニメ制作こうあるべし、みたいな世界にどっぷりいたことへの反動なんだろうね

脚本こそがアニメ監督の脳内を一番再現できてるというパターンもあるんだろうな

富野ガンダムとかの小説あんま読んだことないんだけど、富野小説作品本来意図が分かったという人は多いので、読んでみるべきなんだろうな

大分前にイデオン小説買ってた気がするけど、探せたら読んでみるかな

小林誠イデオンが不評だったけど、個人的にはジム神も好きだけど、あのイデオンも嫌いじゃないんだよなぁ

2024-07-03

神様否定する奴なんなん!?

親がキリスト教に入信していたので俺も一応はキリスト教頭なわけで。

そんで神様は居るって思ってる。

でもそう言うとたまに「居るわけないじゃん」と全否定してくる輩が居るわけで。そういう時はいつも「なんなんこいつ!!?」と心の中では思ってる。

例えば好きなアニメ作品があるとして、「○○好きなんだよね~」と言った後に「いや、ありえないからw」なんて本人を目の前にして否定するなんてありえないけどこれが神様の話となると否定してもいいし何なら否定する自分リアリストで賢いなんていう風情まで醸してくるもんだからウザいことこの上ない。

かに信仰自由はあって然るべきだと思う。でも本人の前で堂々と否定するのは、違うんじゃないかなぁと思うのだ。

2024-06-27

響け!ユーフォニアム 3期12話の原作改変に対する原作ファン達の反応

原作およびアニメ最新話のネタバレ含みます。次回のアニメで描かされそうな部分はたぶん触れてないはず)

思ったより長くなったので簡単なまとめ

・一部原作ファン界隈の反応をずっと追いながら、ユーフォ3期を見てきた

・彼らは12話よりむしろ、それ以前の話の細かな変化に対する不満を募らせていた

・ところが12話の最大規模改編(勝敗の変更)については大好評で、この一手で一気に評価が逆転する現象が起きていた



前置き

ユーフォ3期最新話の改編回りがまあまあ話題になっていたので、Twitterの一部原作ファン界隈の反応を観察し続けてきた自分の見てきた光景について、ちょっと書いてみたいなと思った。

ここで書く原作ファン界隈(以下、「原作組」表記)は、原作・作者に対する熱心なファンで、思い入れの強さが「原作>>>アニメ」ってスタンスに見える人たち。

原作既読ファンの中でも濃度や比重はそれぞれだと思うので、あくまで一部界隈に限った反応ということでよろしく

ちなみに、なんでそんな界隈の反応を観察していたかというと、

自分個人としてもアニメユーフォの2年生編(劇場版「誓いのフィナーレ」 )が原作の良さを台無ししまくった残念作品だったことで、アニメ版を見る目が以前よりも少ししらけてしまって、比較共感出来そうな層の感想摂取たかたからという経緯から

自分も、おそらく原作組もほとんどが、アニメユーフォ1期の大傑作ぶりに魅了されたのがきっかけで作品ファンになったはずだし、

自分としては今でも、1年生編の範囲に関してはアニメの方が原作より好きなくらいなのだけど、

そんな素晴らしいアニメ1期2期を作ってくれたスタッフなだけに、2年生編の劇場版ホントがっかりしたのよね・・・。

「誓いのフィナーレ」に関する個人的な不満(本題じゃないので、読み飛ばして良いところ)

まず、1~3年生編の中で、2年編が一番群像劇感強くてTVアニメ向けっぽいのに、劇場版の短い尺に押し込めたせいで構成が歪になり、大事なシーンもカットされまくったこと全体がとにかく残念だった。

それに、尺が短い中でやらなきゃいけないという前提を汲んでもなお、省略されたことや改変されたことが許容できないシーンが数点あった。

特に一番大きいのが、秀一と久美子の交際停止タイミング関西大会前に変えて、理由もなんかふわっとした感じにしちゃったこと。

原作だと、タイミングラスト関西大会敗北後。気丈に振る舞っていた優子前部長が影で涙していたことを知り、しかもその優子・夏紀から直々に次期部長を託された久美子が、部活に全てを賭ける決意の証として別れを切り出す。秀一もそれを受け入れ、”恋人”じゃなく”部長”の久美子を支える決意をする・・・というめちゃくちゃドラマチックで大好きなシーンだったので、映画改悪されたこのシーン見たとき呆然とした。

そもそも原作のこのシーンから取って「誓いのフィナーレ」ってタイトルにしたもんだと思ってたからね。

他にも、原作の2年生編は続く3年編への布石をいっぱい打っている作品で、

●久美子が下級生の指導係としてお悩み相談に奮闘→翌年部長として慕われまくり、それがかえって真由を疎外してしま根拠

集団退部の苦い経験から、部の融和を何より重んじてきた優子前部長が、その反動で部の空気が緩んだことを敗因と分析→翌年、高坂ドラムメジャーの元でスパルタ改革する理由作りに

●優子や夏紀達が身を削って最後の1年部に尽くしてきた姿を描く→それを部長として受け継いだ久美子の重みが増す

・・・等々、3年編を盛り上げたり説得力を出したりするための「つなぎの一作」として非常に優れた作品だったのに、そういう要素がアニメ2年編では省略されまくり、そのせいでアニメ3年編にもそうした文脈が引き継がれなかったのがとにかく残念だった。

そんなこんなで2年編で一気に原作アニメ評価が逆転してしまい、待望のアニメ3年編開始にも以前ほどの熱量の湧いてこず、少し冷めた目線を共有するスタンスくらいの方が心地よいかなと思った次第。

一方で、2年編と違って、3年編に関しては個人的に原作に対しても不満・消化不良に感じた点が多かったりして。実は、「そのままアニメ化するより、なんか良い具合にアレンジしてくれないかな・・・」という本音を持ち合わせてたのも面もあったりした。

ユーフォ3期 11話までの原作組の反応

原作で全編に散らばらせていた月永求のエピソードを、1話ギュッ圧縮した改変は比較的好評で、

後は、アニメで謎に求×奏の絡みが盛られまくったことなんかは面白がられていたが、

それ以外は全体的に、「ここ原作の方が良かった」みたいにチクチク言われてることの方が多かった印象。

特に、不評が一気に顕著になっていたのが、直近の10話・11話の描写

一番多かった批判としては、アニメ麗奈原作に比べてブレすぎ、ナヨナヨしすぎ、久美子に依存しすぎに見える、というものだったと思う。

かに原作麗奈は良くも悪くももっと自分を貫き通し続けて、久美子への態度もドライだったと記憶している(あんなに繰り返し「久美子とソリを吹きたい」と言うのはアニメだけ。なんなら原作麗奈は真由とも仲良くしていたりする)

他は、以下のような不満点が挙がっていたかと。

・秀一の原作での見せ場が何点かカットされている

説明不足や改変で滝先生や奏辺りが原作より頭悪そうに見える

黒江真由の不気味さ、異物感が原作より薄い

原作であった「部活コンクール音楽とは」みたいな多様な観点が薄れて、「努力して全国大会で勝つ!」みたいな単純なスポ根ものに見えちゃう

石原監督)と花田脚本家)は全然原作理解できてない


特にアニメ原作より久美子×麗奈のイチャつき重視、久美子×秀一の要素は薄め・・・というのは以前からの流れだけど、

直近ではプラスして、麗奈キャラ自体原作より変わっちゃった感があったのも相まって、1011話辺りの久美子×麗奈描写はかなり冷めた目で見られていたように感じた。

ただ、自分もその感想に全て同調していたかというとそうではなく、

なにせ根っから判官贔屓体質なので、こうも「原作の方が良かった」という小言を見ていると、「いやここはアニメの方が良くないか」という点を探しがちになっていた。

例えば、10話で久美子が部をまとめるために演説する内容、タイミング原作から変更されていたが、「北宇治の仲間に話しかけるシーン」としては、自分アニメの方が良いなと思った。

原作では名無しの3年生達も、皆名前と顔を描き続けてきたアニメからこそ、「北宇治のみんなと最高の演奏をしたい! みんななら出来る!」というアニメ演説シーンは、全然陳腐とか思わず素直にぐっときた。黒沢ともよさんの演技が最高なのは言わずもがな、それを聞いてる皆の表情で泣けるんだ。この子達にも皆、部活に全力投球してきた3年間があったんだよなあと思いをはせてしま

一番批判されていた麗奈描写も、確かに原作の方が孤高な感じでカッコいいなと思う一方で、原作麗奈スパルタ指導や滝先生への批判を精力的に取り締まる描写はやり過ぎに感じた部分もあったので、アニメの描き方もこれはこれでアリかな・・・くらいの印象だった。

そんなこんなで、多少残念な点もありつつ、2年編と違ってそんなにアニメ版が悪いとも思えなかったので、原作組に対して、「そんなに悪く言わんでも・・・」「ここからアニメ版がめちゃくちゃ凄い描写をして、ギャフンと言わせてくれないかな」みたいな反骨心をどこか抱きながら、12話の放送を迎えることになった。

12話で起きた大逆転劇

確か11話の放送が割とすぐ後くらいに、12話のあらすじと一枚絵が掲載されて、

どうやら、12話では久美子と真由がソリをかけて公開オーディションするアニオリ展開になりそうだ・・ということが分かった。

その瞬間からもう、「これはヤバいんじゃないか」という、悪い意味でザワザワした空気が漂っていた。

原作を読んでいる人からしたら、最後オーディションで久美子がソリを奪い返すという結末を当然前提に入れている。

そのうえで、部員投票の対決という舞台を使って、「皆に肩入れされる側の」久美子が勝つ・・・という展開をどうすれば納得いく形で描けるのか、非常に想像するのが難しい。

11話までの描写アニメスタッフに不信感を抱いていた層からは「これ、『1期(麗奈vs香織先輩)のオマージュやったらエモいっしょ』くらいの感覚でやってないか? 」みたいに言われてたり。正直自分も、この展開に関しては不安の方がだいぶ大きかった。

そして迎えた、12放送当日。

からリアルタイムツイートを見てみると、オーディションが始まるまでは相変わらず不満の声が多かった。

「まーた麗奈が『最後絶対久美子とソリ吹きたい』とか言ってるよ。原作と別人じゃん」とか、

「真由にとってつけたような悲しい過去付与すんなよ。原作と別人じゃん」とか。

しかしそこから

久美子が敗北するというオリジナル展開、しかも決定的な一票を投じるのが麗奈・・・という大規模改編展開に突入した瞬間、空気が一変していた。

「うおおおおお!」 「まじかあああ!」 「やりやがった!」

みたいな、ポジティブよりの興奮した反応が一気にあふれ出していたのだ。

そして放送終了直後には、

「今回は素晴らしかった」 「こういうのでいいんだよ」 「今までの改変も腑に落ちた」 「石原花田見直した。すいませんでした」

みたいな手のひらクルクル感想投稿されていて、ある意味こっちの流れもカタルシスがあった。

ではなぜ、この展開が彼ら原作から絶賛されたかというと、

単に1期のオーディション大吉山の名シーンをなぞる演出が良かったとかそういう表面的なところだけじゃなく、この方が物語説得力がある、作品に筋が通った・・・と思わせてくれる作りなっていたからだと思う。

象徴的なのが、これまで批判されていた、「麗奈が久美子にベタベタしすぎ」 「やたらと繰り返す、久美子とソリ吹きたい発言」という要素が、「それでも、『演奏の上手さが絶対』という信念や、2年前オーディションの時の久美子との誓いを貫いて、真由とのソリを選ぶ」という、原作とは違う形で麗奈の気高さを描く展開の前振りとして機能していたこと。

これがやりたかったのなら、なるほど今までの改変描写理解出来る・・・と見直されたわけだ。

というか実は、11話の放送直後くらいから、

「ここから巻き返すには、もうアニオリ展開で真由に勝たせるしかないのでは」

「これで真由に勝たせたら手のひら返すわ」

みたいな、この改変展開になったら良いんじゃないかって予言していた人もちらほらいたのだ。

まさか本当にそこまで攻めた手を打ってくるとは思ってなかっただろうけど)

原作至上主義みたいな人からもそういう発想が出てくるあたり、少なくともアニメ版は最初からこの結末を正解とする前提で、そこに向かっていろんな描写を積み上げてきていたのだと思う。原作と目指すゴールが違うから、その過程違和感が生じることにもなるよねと。

そもそも原作アニメ両方通っている人は周知のことだけど、

アニメユーフォ最初の1期が原作にないオリジナル要素盛りまくりで、

麗奈と香織が部員投票オーディションで対決するくだりも、その際に久美子と「裏切ったら殺していい」と誓い合うくだりも、久美子が上手くなりたいと叫びながら橋を疾走するくだりも、全部原作には全くないシーン。

これらのシーンがあるかないかによって、初期の時点からもう原作アニメの久美子・麗奈パーソナリティは分かれてきているのではないかと。

アニメスタッフ別に原作理解出来てないわけじゃなくて、スタートの時点から違う解釈のものを描き続けてきて、それを貫き通したんだというのが自分の印象。

アニメ版では原作よりも、中3麗奈の「悔しくて死にそう」発言が久美子の原点であると度々主張していたり、

「上手くなりたい」 「特別になりたい」という価値観を強調し続けてきた。

からこそ今回の大一番で、久美子と麗奈に徹底した上手さ至上主義を貫き通し、

最後に改めて久美子の「死ぬほど悔しい」発言で決着させたことで、

アニメ版ならこの結末が正解だ」 「アニメ版でのテーマをやり通した」と納得させて、

これまで不満を表明していた原作ファンからも、「自分はそれでも原作の方が好きだけど、アニメ解釈もこれはこれで一つの形としてアリだ」みたいな声を引き出すまでに一気に挽回できた・・・のだと思う。

あとは、単純に今、「原作改変」に向けられる目が史上かつて無いほどシビアであり、

しかアニメユーフォといえば「くみれい」 「演奏シーン」が代名詞になってる節があるのに、

最後最後で、「久美子と麗奈全国大会でソリを吹く」という、無難にやれば3期最大の見せ場になっただろうシーンを、あえて外す。

その決断力、勇気に感服したという人もいたと思う。

もちろん、同じ原作既読者の中でも、

原作通り久美子に勝って欲しかった、普通に久美子麗奈の全国ソリを見せて欲しかったって意見の人もいるだろうし、その価値観否定されるべきでは無いと思う。

ただ、少なくともアニメ版の改変はちゃん意図のある、信念に基づく行為だったと思うし、

原作ファンの中にもそれを理解している、評価している人は少なからずいるよ・・・という話でした。

個人的にも、12話の展開は凄く好みだったし、納得したし、感動した。

ユーフォの1期2期は自分の生涯No.1アニメ作品になるほど心揺さぶられた作品だったので、これ作った人たちはやっぱり凄かったんだって、改めて3期でも感じられて良かったです。

あーほんと、2年生編だけもう1回アニメリーズで作り直してくれ無いかなー。

からリセットは無理でも、せめて夏紀先輩主役のスピンオフ小説と混ぜて、なかよし視点で2年編を描き直す・・・みたいな感じとかでなんとかなりませんかね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん