はてなキーワード: 公営団地とは
違います。テストの目的は学習指導要領上の学習到達度を図るためです。
運転免許の筆記がいたずらに難しいテストにせず過不足なく知識を問うようにしてるのと同様、意図的に点数に差をつけることを目的にテストを作ってるんじゃないですw
孟母三遷なんて理想論だからこそ故事成語化してるだろうにそんなこと実践してる家庭が一定数あるかのように言うの馬鹿過ぎだろ。
だいたい周りが勉強できるって言うけど公営団地の人間が周りとかいちいち気にするかね。だいたいクラスに公営団地の人間何割いるかも知らんのだがそれで本当に「周りは平均して頭が良い」と言えるのか?
偏差値60相当の学校で偏差値50相当のテストしたって成績付けれないんだからレベル設計に関係あるだろ笑
テストの目的は学校内または学年内での成績をつけるためなんだから目的に直結する設計変更だろ、なんで目的に関係ないと思うの?
公営団地はどこだろうが生活保護とか移民とか育ちの悪い貧乏人の巣窟だぞ、周りが育ちが良いし不良もアホも少ないし、家で勉強したり塾に行く文化があるんだからみんな周りに合わせて勉強したり大学に行くことを考えるってだけ。
そこそこの学力があることと、授業やテストのレベル設計に関係性はないよな。
はてな界隈では大学進学、東京で正社員就職、が人生の既定路線として語られています。
しかし現実には大学進学率は60%、東京の昼間人口は日本全人口の13%に過ぎません。
社会の底辺を占める人々をはてな民が認識していないのは社会の階層化が進んだ結果でしょうか。
底辺層も日々普通に暮らし、納税し、選挙では一票を持っています。人生の夢や目標があります。家族がいて子供を育てています。
と、大上段で書きましたが、本音は奨学金をめぐる小泉進次郎氏や河野太郎氏の発言を聞いて底辺層が理解されていない現状・軽んじられている現状に苛立ち、一旦吐き出したい気持ちで書いておきます。
他の党首候補の皆さんも同じですが、奨学金を借りる層を最底辺と思われている節がありますが、その下には借りることを諦める層もいるという話です。
先祖は父方母方共に学がありません。
明治から大正にかけては博打打ち、物乞い、自転車修理などをしており、ホームレスもいたそうです。
昭和に入ると建設作業員、工場労働、トラックドライバーといった職業に就いていました。
戦災や仕事のために西日本を転々とする中で、1991年(平成3年)に中国地方の片田舎でわたしが生まれました。
通っていた公立小学校は治安が悪く、男子生徒が徒党を組んで女性教諭に暴行を働いていました。いじめも多く、暴行や、習字の墨を顔にかける、アルコールランプで服を燃やすといった事件が頻発しており、小3から小6は学級崩壊状態でした。
わたしはイジメが怖いのでなるべく不良に関わらないように逃げ回っていました。昼休みは校舎の裏の木陰に隠れていました。
小6の算数は教科書が半分くらいしか終わりませんでした。この傾向は中学まで続きました。
地域には公営団地が多く所得の低い世帯が多かったため、半袖半ズボンがトレードマークとなっている生徒はわたしの他にも数名いました。
学級崩壊が継続していました。不登校が学年の一割ほどにのぼっていました。
中2の頃に母が体を壊して働けなくなり、経済状況が一気に悪化しました。
1日3食食べられなくなったので、給食のパンを持ち帰り夕食にしていました。土日やパンがない日は近所のミスタードーナツのゴミ箱から廃棄のドーナツを拾って食べていました。
栄養不足のためか、朝礼や体育の授業で倒れることが頻繁でした。
父が電気部品組み立ての内職を持って帰ってくるので、毎晩手伝っていました。ノルマは1日500個で、2時間ほどかけて作ります。家電メーカーに納入されていたとのことなので、皆さんのご自宅のエアコン、冷蔵庫などにわたしが組み立てた部品が入っていたかもしれません。
同級生のあいだではワンピースやハンターハンターといった少年漫画、マリオカートやポケットモンスターといったテレビゲームが人気でしたが、わたしは33歳の現在に至るまで一度も触れたことがありません。
給食がなくなったためミスタードーナツのゴミ箱あさりが毎日のルーティンになりました。なぜミスタードーナツなのかというと、家が近いことと、完成状態で捨てられていたためすぐに食べられたからです。たまに廃棄を入手できなかった日は別の飲食店をあたるか夕食抜きです。
「大学」という施設があることを高校1年生のときに知りました。当時知っていた大学は東京大学、慶應大学の2校です。なぜ慶應かというと当時「学校へ行こう!」というテレビ番組でco-慶應という学生ラッパーが活躍していたためです。
わたし自身が大学に行くかは分かりませんでしたが、文系・理系の選択で文系コースを選びました。
高校2年に上がると学校で全国模試を受けることになりました。毎回全国で2500番〜3000番くらいにランクインし、成績優秀者の冊子に名前が載りました。
模試を受ける際には志望校を記載することになっています。そのときに初めて知ったのですが、大学というものは全国各地に数百校あるらしいと分かってきました。
担任の先生は大学進学を熱心に勧めてくれました。「もしかしたら東京大学や京都大学にさえ進めるかもしれない」…と。大学進学すべきかわたしは迷いました。
担任や、数学の先生、英語の先生が私を放課後に呼び出して、食べ物や飲み物をくれながら、大学進学するように勧めてくれました。
しかしわたしは大学進学しないことに決めました。理由は一点です。
ましてや、実はわたしは既に借金を背負っていました。貧乏で公立高校の学費を支払えないことから、親が銀行から毎月1万円借りており、計36万円を私が将来返済することになっていました。
加えて、担任が試算してくれたプランでは学費(減免の可能性あり)、実家を離れて暮らす生活費が合計毎月10万円ちかくにのぼり、本当にわたしが想像できない金額でした。
学費は減免の可能性がある、最低でも半額は狙えるだろうとか、大学進学により生涯所得がうんと大きくなるといったことを教えてくれました。しかし中学生の頃からミスタードーナツのゴミ箱をあさったり電気部品の内職をしているわたしにとっては現実感のない話です。
想像できないほどの金額を返済できるのか。大学進学したとして就職でつまづいたらどうなるのか。この展望を全く持てないために大学進学しないと決めたのでした。
大学進学しないことを決めると、担任の先生が表計算ソフトの教本を無料で与えてくれました。放課後に情報室のパソコンで練習しました。
高卒の就職活動はなぜか一社しか志望できないというルールが当時あり(現在も「一人一社制」という名前でルールが残っているようです)、わたしは地元の和菓子屋に接客・兼・事務として就職しました。1学年440名中就職は2名で、他438名は大学等への進学という比率の高さに驚いたことを覚えています。
その後父母が鬼籍に入ると、わたしは実家を離れていくつもの会社を転々としています。今では全く別の職業で生活しています。
身軽になった今、あのとき大学進学していれば違う人生があったのだろうかと想像することがあります。
わたしに借金を背負う覚悟がなかったといえばそれまでですが、やはり当時のわたしには覚悟は不可能だったと思います。未成年ができる決断ではない。
河野太郎氏は大学教育費を親負担ではなく本人負担に変えよと述べましたが、貧しい世帯は既に生活費も含めて全額本人負担です。むしろ本人が負担しきれないことが問題なのです。
小泉進次郎氏は必ずしも大学進学の必要はなく手に職を付けよと述べました。しかし転職の多いわたしが言うことでないかもしれませんが、手に職系の仕事も簡単ではありません。
大抵のひとは5年〜10年も同じ仕事を続ければ成長が止まります。しかも年齢を重ねると体に無理が出てきます。かといって独立して料理人が自分の店を経営するとか、建設作業員がひとり親方として営業していくには「手に職」と別種のスキルが必要となり、現場の人間のうちそれができる者は一握りです。
残された道は若手・外国人材・機械化との低賃金チキンレースです。
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こだわり強いよ。昔はそんなじゃなかったけど年とるごとにどんどん謙虚さ無くなって素直にききれなくなったしい。
零細なだけあって別の事業もしてるんだが、その取り立ての際に公営団地の取り立て対象の部屋の窓がダンボールで目張りしてあったらしく、
でもオーナーが取り付けていたGPSはそのアパートの周辺数キロが信号を発し続けているから、それはないと思った。
無能は隣人にも聞いたらしく「隣人も引っ越したと言ってる」という。
オーナーはそいつは見た目が典型的な弱者おじさんなので信用されなくて嘘つかれただけではと思ったそう。
その無能は「空き家だから管理人がダンボールはったんだ」という。
オーナーの頭の中(空き家なら内見とかまたあるはずなのにダンボールなんか張るかよ…)
しかし実際アパート周囲で張り込んだら目的の人物を発見して滞納などについて交渉したそう。
ようは自分のなかの結論ありきでどんどん理屈をこねて正当化する無能なんだよ。こだわりも強い裏付けだろう。
自分の間違いを認めることになるから理屈をどんどん持ち出して認めたららないんだよな。間違いを認めたらないのはプライドが高い故。
8年前は小池氏に投票して、4年前は全く覚えてないので、今回の2024年都知事選で「ひまそらあかね」氏に投票した背景をメモしておきたい。
投票日当日午後に投票した小学校はラランド・サーヤの出身地域にあった。なお、都議補選は白紙で投票した。
小池氏及び東京の現状にはこれといった不満は無い。そもそも膨大な予算がある東京で現職が不利になることはあまり考えられないのではないか。ただ、「イス取りゲーム」のイスが固定化されてきている印象、ゲームが面白く無くなっている印象があるので、その辺の漠然としたものに対するルール変更の要請はしたかった。
なぜ、東京の「イス取りゲーム」がダメになっているかというと、基本的には「高齢化」と言う感覚が強い。人口動態で「高齢者」が占める割合が多くなっているので、否が応でも「今イスに座っている人」の発言力が強くなるのだと思われる。東京以外の地方政治は共産党 or not の大政翼賛体制になりがちらしいが、国道16号線エリアで30年ぐらい前はドーナツ化現象の最前線で輝いていたこのエリアでも、そうした流れを感じることがある。東京全体ではまだ大政翼賛体制ではないと思うが、そうした漠然した懸念ベースの投票を今回はしたいと思った。
4年後の自分が戦後復興計画を終了させられる人に投票出来ていたらうれしい。でも、他の地域に住んで、たまに東京を「訪問」してエンジョイ出来る人になれていたら一番うれしい。
子連れ出戻りの姉がいる
公営団地だからそもそもが狭い家なのに小学生男児が来てだいぶ辛い
んで姉は家事だったり家にお金入れたりしてるんだろうなと思ってたら、母から金も入れない家事もやらないこと聞いてビビった
それはないんじゃないのって聞いたら金は拒否するから食材とか日用品の形で家に金入れてるんじゃって逆ギレされたが食材は2回だけ日用品は自分のレンズケア用品とか化粧水乳液のことらしい
家事は4回くらい皿洗ってんの見たけど他には見てない。時々息子のリクエストに答えてご飯作るが他は息子だけ連れて外食。
早く出ていって欲しい
早く追い出して両親と3人の生活に戻りたい
もう1年くらい経つ
私は肌荒れ口内炎が治らない
早く出ていってほしい
近所の弁当屋さんについて書く。
うちの子どもが通っている小学校では、クラスで先生からチケットが配られる。
チケットと言っても、A4のペラ紙の下に、ハサミで切り取れる何枚か分のチケット的な枠があるだけ。
「ABC小学校___年」と書いてあって、学年を書き入れるところがある。
小学生以下の子どもがそのチケットを持って行くと、一緒に来た弟妹のぶんも含めて無料でもらえる仕組みになっている。
子どもだけで勝手に行くことも考えられるし、親に言われて受取に行くというケースもあるのだと思う。
小学生以下の子が行くという条件だけで、誰が言っても必ずもらえる。
経済的に困っているだとか、役所だの施設だの、そういう話は一切ない。子どもならもらえる。
思うに、むしろ大勢の小学生が引換に行くことで、本当に本当に必要な子がそこに自然と紛れていくのだと思う。
企画・主催しているお店は、そうした活動に熱心で、小学生であれば喜んで弁当をくれるような意気込みに思える。
ただ、それはそれで経済的な体力が必要になるな、とは思う。感心する。
以前にテレビで見た話だけど、ワゴン車かなにかを使って学校帰りの子どもにたこ焼きをうるおっちゃんがいた。
おっちゃんは母子家庭で経済的に大変な幼少時代を過ごしていたのだそうだ。
大人になってから、たこ焼きを売るわけだが、このたこ焼き屋はちょっと変わっている。年齢別に料金が設定されている。
そしてその料金は、くじ引きのような箱の中に子どもが自分で入れる仕組みになっている。
いくら入れたのかは外からは見えない。箱の中にはタオルが敷いてあり、お金の音がしないよう工夫している。
「ちょうど今日はお金を持ってきていなかった、という子はげんこつをいれるだけでいいよ」というようなメッセージも書かれていたと思う。
お金がなくても、払わなくても、誰が払っていないかを見せずに、見られずに、たこ焼きが買えるのだ。
おっちゃんの、優しさがすごい、と思った。
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渾身のクソデカ○○系を書いたときにはまったくブクマ付かなかったのに。
「長くなる」と書いたのは、最初はブコメで要点だけ書こうと思ったけど、きっと伝わらないと思って増田にした。元増田に伝えることだけを意識して書いたが、結果として多くの人の目に触れて良かった。
id: zenkamono
実はこれ、週末の1日だけ。お昼を念頭に置くなら、小学生は給食あるもんね。
id: kokojp
関係者でないのでしらないが、その店は福祉の活動をしている。というか、福祉事業が出発点みたいだ。
id: hatebu_ai
たこやきのおっちゃんは、そこそこ有名らしいのでブコメでリンクが付いている。本文は増田本人が書き入れたテキストなので完全にオリジナルのはず。
貢献?のつもりで大人として弁当を買いに行くこともあるが、通常価格でも安い、うまい、ヘルシー、ボリュームあり、という惨状(褒めてる)。
公助の失敗、政治の失敗だとは思う。それが根本だけど、今目の前に困り事があるならそれに取り組むことも同時に素晴らしい。
そういう活動ができればいいが、できないならせめて、そういうお店を応援したい。
俺、20歳になりたての時は2回くらい選挙に行かなかったことがある。あと海外にいて行けなかったこともある。それ以外は基本的には候補者をよく見て投票してきたつもり。公営団地とか奨学金(返す奴だけど)に育てられてきた身としては、福祉政策が重要ポイントで、そっち系の人に積極的に入れるようにしている。でも自分は1票しかもてないだろ。でも、良さげな候補者の応援・協力をすれば、自分の1票が2,3,4票に増えるかもしれない。不惑の年を越えて、だんだんそう思うようになってきた。ネットでブクマしたりTwitterで騒ぐのも大いに結構だが、リアルな選挙関連の活動をちょっとだけやって、どこか近くにいるだろう困っている人のプラスになれば、と。例のたこやきおじさんが良い意味で廃業する世の中になってほしい。
ブコメで多く見かけるのは異文化として切断するのではなく社会的に包含しなければならない的なやつ。
御立派ではあるけども、ぶっちゃけはてブよりもホームレスにより近い人たち、
たとえば地方の公営団地に住んでる低収入な人、ネット上ならホスラブとか爆サイで下品なこと書いてる人、
もしくは春ごろに叩かれながらもパチンコに通ってた人、
そういう人らと随分扱いが違う。
マシなところでも、馬鹿が存在するのは仕方ないからそのつもりで社会設計しなきゃだの。
異文化として切断処理してんのは誰だよって。社会的包含どこ行った。
キリンジの『エイリアンズ』って曲のレビューで、「公営団地とかバイパスとかそういうニュータウン的なものがノスタルジーを帯びるようになってきた」的なことが書かれていた
どこかで見つけた『ニュータウンの青春』って映画のトレーラーと「さよならだけが人生だ、いやマジで」ってコピーが好きだった
Twitterで「田舎ってのは田園風景・神社・山って感じじゃなくてもっとゴチャゴチャしたショボい都会の下位互換だぞ」みたいな意見をよく見る
Fozztoneってマイナーバンドの『平らな世界』って曲の"つまらない話ばかりでごめんよ つまらない街なんだよ"って歌詞が気に入った
こういうのが積み重なって、俺はガチのど田舎育ちのはずなのになんか半端な地方都市とかベッドタウン・衛星都市で育ったような気がしてきてしまった
俺が育ったのは人口500〜600人、小学校の全校児童45人、その辺にサル・イノシシ・アライグマなどが出没するマジの山村だったのに
「つまらない街なんだよ」じゃねえよ そもそも街ですらないんだよな 森に阻まれて全体像が全然掴めないからまとまりとして把握すらできねンだわ
山を2キロ下りたところにある最寄駅の周りはさすがにちょっと町っぽい!と思ってたんだけど、前に帰省したとき「駅の歩道橋から町を見渡してエモくなるやつやるか」と思い立って見渡したら全然町じゃなくてただ「道路に家々がへばりついている場所」でしかなくて絶望したんだよな この程度のものを町と思ってしまう環境で暮らしてたのか!と
公団もバイパスもないし てか何もねえわマジで 山だから田んぼすらまばらなんだよな 何があるんだ? あんなとこに住むなよな
※色々ぼやかす
↓を書いたものです
https://anond.hatelabo.jp/20191224184217
これを書いた後吊ろうと思ったが泣いてる母親思い出してやめ元旦母親に顔見せに行ったら
思い出した母親は映画かなんかで見た大竹しのぶの泣いてるシーンで別人であった
私を轢いた子を恨んでいないのは小さい頃から知っているご近所さんでその時彼女に火急の要件があったのを知ったから
この現状を知られたくないのでこれ以上は書きたくない
元旦帰るついでに実家に住めるか確認したが運転免許返納済みの私は田舎で今以上に積む事を実感した、とはいえ現状のままだと住む所もなくなる
新しい家も借りれないだろうし公営団地住まいになるんだろう、昔団地に住んだ時はあまりの生活環境の悪さにノイローゼになった本当に積んでいる
多分お医者様は好意のつもりで精神障害者手帳を勧めてくれたんだと思う
だが先生方は現状を全く知らないだろう(責める気はない)精神障害者には本当にメリットがない
出歩けないため映画が安くなろうと交通が無料だろうと就職先はないし2年に一度更新でそれ以上にお金がかかる
某有名大学病院の権威の先生でこれなので今の希望はもう一度障害者年金をもらえるよう頼み通る事だがあの感じだと厳しいだろうな
転院も考えたいが便利な近所なのとどこまでも気力が湧かなくなってきている
不条理と戦う行動はしないでいい
もしもこれ読んだ方で周りにお医者様がいたりしたら善意で渡した手帳は地獄への片道切符になりえると不快なスパムにならない程度に広め伝え願いたい