はてなキーワード: カタルシスとは
呪術廻戦を読んだ
本誌で完結してからはけっこう経っているけどコミックスが出てからはまだ一ヶ月経ってないので未読の人はいちおうネタバレ注意。
五条先生がちょんぱされてこのあとどうすんのかなーと思っていたら、味方総力(なんかモブかと思っていたキャラも出てきた)で蓄積ダメージ入れていってなんとか倒し切る、というラストだった
このパターンなんかちょっと前にもみたな気がする、と思ったら鬼滅の刃だった
鬼滅もラスボスの倒しかたは、ラスボスにデバフ入れたあと味方の残った総力を投入して削り切って倒していた
どちらも強大な敵を乗り越えていくことが表現されたよいラストだった
自分はジャンプ派のアラフォーだけど、昔は王道バトル漫画のラスボスって「主人公がタイマンで頑張って倒す」というものが多かった
聖闘士星矢とか北斗の拳とかは読んでないのだけど、ドラゴンボール(1995年完結)やダイの大冒険(1996年完結)など主人公が一対一で頑張ってボスを倒していた
当時は「正義の味方」がよってたかって一人の敵を攻撃するのは正々堂々としていない、ということだったのだろうか
ラスボスをタイマンで倒すため主人公は他と比べて突出した存在である必要があり、ダイ(竜の騎士)なんかはそれで悩んだこともある
この際、味方はラスボスにダメージを与えるのではなく、四天王クラスを引き受けて主人公を温存する役割になることが多い
反面、ドラゴンボールやゴメちゃんなど、強力なサポートアイテムがあった
これがひと世代変わると、ワンピースではこの流れをきっちり続けている(麦わらの一味には「一番強い敵はルフィが」という共通認識もある)ものの、
ナルト(2014年完結)では最後サスケとともにカグヤを倒す。ベジータがフリーザにもセルにもブゥにも有効打を入れられなかったこととは対照的だ。
BLEACHではやはり一護が頑張るものの、チートクラスの能力者二人の協力が大きかった。主人公が一人で頑張って倒す、という流れが少しづつ変わってきているように思う
ジャンプではないが、この間の2010年に鋼の錬金術師が完結している。個人的には完結が綺麗だったバトル漫画一位なのだが、これが「総力をあげてラスボスを倒す」パターンだった
ラスボスにデバフするための大規模な準備を行い、ラスボスとの先頭には主要キャラの他、モブ戦闘員まで参加している。
言わずとしれた人気作で、このラストが与えた影響があるのかもしれない
2020年代では最初にあげたように、鬼滅の刃や呪術廻戦といった大人気作が総力戦ラストになっていることを考えると、タイマンラストよりも総力戦ラストが主流になってきている
タイマンラストはカタルシスが大きくて個人的には好きなものの、最後は「気合い」でなんとかしたようにも見えてしまう。あと主人公がつらそう
これゲームだったなぁ。
メール読むのは町人からの情報収集、返すのはたまに戦略戦術、異議あり!
何度も同じことするしょうもない作業とかもあったけど、まさに作業ゲー感覚だったし
変なフォーマットの役に立たない仕様書書く時期だけが仕事やらされてるって感じだった
>ゲームシナリオはシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず
これとかは不同意で、クリアやアイテム収集のためにシナリオすっとばしてただステージ進めるとかもゲームだし(スマホゲーでありがち)
遠くの木を獲物に見立てて石(矢)を投げて当たるかどうかチャレンジから色んなスポーツが生まれたのだと思うが、的に当てるというルールだけが残ってる
なんか、かつてチーレム小説がカタルシスないとかノンストレスすぎて小説ではないって言われてたのと似てる
敵が強いから「でん(タッチ)」されてもアウトにならない鬼ごっことかと一緒で、ごまめ感覚でないとゲーム参加できないという人達への救済なのかな
自分はアクション苦手すぎたけど、マリオクリアしたかったから、
無敵だがスター状態ではなく(当たっても敵を弾けない)、減機してもペナルティが1~2秒のフリーズぐらいで、落ちてもぴょーんと跳ね返って元に戻る(とか借りゼルの落ちペナみたいなの)で
まずこの曲を挙げたい。
当時多くのプレイヤーにとって難関曲として練習された曲であり、
今でも音ゲー老人会の間では11月20日にこのハッシュタグで語り合っている歴史的名曲。
同じくビーマニシリーズからの選曲となるが、こちらも20,November同様高難易度楽曲かつ、
その楽曲の素晴らしさから多くのプレイヤーを魅了したのではなかろうか。
DDRがリリースされた当時、DDRプレイヤーは必ずこの曲をプレイしたはず。
いまだに筐体に足を踏み入れたら身体が覚えている、なんて人も多いのでは。
この「玉ねぎ先生のフルーシ道場」から音楽ゲームへ入った人も多いのでは。
苺を食らわば皿まで。
GoogleのCMにも使用された名曲。プレイした事が無くとも耳にした事のある人は多いだろう。
圧倒的な疾走感によりプレイヤーは文字通り激しく脳汁を分泌しながらプレイしたであろう。
個人的にはノスタルジアでのプレイをお勧めしたい。脳漿炸裂ガール以上に脳汁が分泌し、
東方Project関連楽曲としてはトップクラスの再生数を誇る有名曲。
音ゲーでプレイする人も相当数居た(今も居るかな?)と思われる。
最後に、普段音ゲーをプレイしない友人とプレイする際に第一選択肢として候補に上がることが多かったと思われる1曲を入れておきたい。
今回はかなり偏った選曲となってしまった事は自覚の上で書いてみた。
みなさんにとっての「忘れられない名曲」を是非教えて頂きたい。
他にもこんな増田を書いているので興味のある方は是非。
・屋敷は明らか力不足。ボケのシーンはもちろん、ツッコミとしても意図を汲みきれてないところが多かった。安易なメタに走るのも面白くはない。
・くるま、野田は真面目な若者だなあ、と。今の時代には一番適合し、こういう勝負に強いのはわかるが、もっと訳分からんものを見せて欲しかった。
・エンドロールで一番最初に企画・演出の名前が一人出るのが裏方の下心隠し切れてなくてダサさを感じた。サラッと流せ。
・お題によって面白さに差が激しい。比較的長尺のコントになったやつはとても面白かった。大喜利みたいなのは今回のコンセプトでやる必要性を感じなかった。コント軸で選ばれた秋山は可哀想。
・サーヤの多才さには驚いた。
・観客「フゥー」のノリは流石に寒かった。千鳥か誰かが止めようと牽制してたのは偉い。
・でも観客審査はまあまあ的確だった。人気そうなコンビでも滑ってたり力技に頼りすぎてたとこはちゃんと落とされてた。
・片岡鶴太郎はコメディアンとしてあの場で1〜2を争うレベルのセンスだと思う。
総じて、事前の期待が100としたら60くらいの面白さだった。ふつうの特番レベル。テレビマンの悪いところがたくさん出てた番組だった。もっと芸人さんの力を信じてあげられなかったのかあ、と。「最難関のお題」って、それを乗り越えるカタルシス要らないから、ちゃんと面白いことができる場を用意してやって欲しい。
Vtuber見るけど基本的に芸人だと思ってみてるから、ライブほとんど見たこと無いんだよね
ただ流石に5年推してて、ずっとやりたいって言ってたソロライブだから見るかーとなったんだけど(チケットは外れた)
完成度が異常に高くてビビった
ストーリーとしてほんとに綺麗なんだよね、よくできた漫画かアニメみたいな
シナリオライター居るわけでもないのに設定の伏線とかドラマがちゃんとしてる
「ソロライブやりたいといい続けてて6年かかって実現する話」とするとカタルシスがエグい
そりゃ皆泣くって
例えば「すいちゃんのステラステラを配信で女児みたいに歌い続けた」っていう伏線がずーっとあって
それで初ソロライブでゲストとして呼んで一緒に綺麗に歌うみたいな、これも伏線回収というか、その瞬間に色んな記憶が呼び起こされるんだよね
まるでアイドルに憧れた女児が同じ舞台に立つみたいなエモさ、マクロスか?(見たことないけど)
こういう、漫画とかで見る「繋がった瞬間のエモさ」がめっちゃあった、鳥肌立つやつ
35Pのピンクのハッピやサイリウムが、まるで桜の木のようになってる みたいなのも、後出しにしては出来すぎなんだよな
ライブ開始時に、初期設定の動画のリメイクを流すのもさ、アニメで見るよね、最終回で1話のシーンが出てくるやつ、シュタゲとか
それを6年越しだからね
初期3Dを登場させるとか、初期みこちからのメッセージとか、ライブ前の私からの手紙とか
あとはライブ告知前からの「最近レッスンで忙しい」という伏線からの、告知後の「ライブのためのレッスンで忙しい」からの、ハイクオリティなパフォーマンス、みたいなのも時間が意識される
この感覚もエグくない?毎日配信してるから裏で頑張ってるのが何となく分かるんだよね、家族見てる気分になるわけ
歌とダンスも異常に良かった、想像の上の上だった、よほど頑張ったんだろう
前からこうだったかなあ?今回異常に上手く見えたんだけど、会場もよかったのかもしれない、Vのソロライブ始めてみたけど面白いステージ構成だった
ライブ後の通常配信での撮影会は「かわいい」より徐々に「おもしろい」が勝ってきたから、やっぱあの会場がすごかったのかもしれん
あとライブを意識して作ったと思われるアルバムの新曲もどれもしっくり来た、これ配信活動のことを歌ってるからなんだと思う
個人的にアニソンが好きな理由と同じだ、バックグラウンドがある歌はエモさが段違いになる
一般アーティストにいい歌はたくさんあるけど、どうにもハマれないんだよね
あと3Dも異常によかった、ついにここまできたかっていうくらい
めちゃくちゃ存在感があった
初音ミクさんが初めて3Dでライブしたときはイロモノみたいに捉えられてたけど、ここまで来るとちょっと話変わってくると思う
これすごいエモいなって思ったんだけど
普通の歌手のライブだと、いうてファンがどういう人かなんてわからないし、普段から歌手とコミュニケーション取ってるわけじゃないから、他人と一緒に見るライブなんだよね、歌手+自分+その他大勢みたいな
でもVのライブの場合、いっつも配信でやり取りしてるファンなんだからファミリー感がかなり強い
つまりライブなんだけどほんとうに「いつも通り」なんだよね、ファンがどういう人かもだいたい知ってる、どういうノリでどういう笑いのセンス持っててどういう気持でライブ来てるか何となく分かる
これすごくね?1万人以上の「お前ら」なわけよ
Vにとっても安心安全空間すぎる、歌だって緊張せず「いつもどおりの歌枠配信」のつもりでもいいんだよね、皆100点出せとか思って無くて、いつもの延長線を求めてるんだから、おもろいわ
いつもの同接は3万人とかだから、それより少ない厳選された視聴者が、オフで集まって豪華な配信見てるだけなんよ言っちゃえば
よく体験型コンテンツって言うけど、これぞまさにって感じがした
みこちはバンド系の盛り上げ方も上手いんだよね、なんならカバーオンリーでライブあってもいいくらい
いやーほんとに良かった
ストーリー厨としては大満足と言うか、「近年見たアニメの中で一番おもしろかった」みたいな評価になってしまっている
プリパラは全部見たけど
____
室井さん、自分の庭みたいなところに死体埋められていたけど気が付かなかったん?
大人2人が頑張って掘り起こしてたけど、室井さんの安楽椅子での晩酌が終わった後に一生懸命掘ったのかしら犯人。あと、死体はすでに腐っていて頭蓋骨も見えていたのに、まだ形を保っていた洋梨ってなんなん。別に本物の洋梨使わなくてもよかったよね…。
杏、おまえ適当すぎるだろ。お前だよ杏。
あれだけ「田舎は監視の目が厳しい」ってのをアピールしておいてよく1ヶ月逃げ回ったね。というか、室井さんのところに預けられた経緯も手紙だけだし、たった2人1年だけ預かったのに「犯罪被害者の子供を育てている」有名になるもんなのかね。もろもろ適当すぎるんだよ。まぁ、この辺は後編でなのか。期待。
しかし、杏。
適当な室井さんdisはどうなんだよ。適当すぎるだろ。お前の母ちゃんもうちょっと上手くやっていたぞ。お金目当てと暴力ってそこが浅いんだよ。もうちょっとゾクっとくる感じでやってくれよ。まぁ、リクが信じちゃうのはわかる。まだ小さいし、父親に暴力振るわれてたような描画あったし。おめーだよタカ。ちょっと信じてただろ。でもその後に「あの子怖い」ってお前もう高校3年だろ。あと、彼女といい感じになったあとに杏に振り回されるのかと思ったらそうでもないんかい、進展ないのかよ。まぁ、東北大学目指して仙台行くんですかね。後半に期待。
弁護士。仕事適当すぎるだろ。容疑者にもちゃんと仕込んでおけよ。あれ面会にお前が参加したところで何も変わってないぞ。容疑者もちょっと高校生に諭されたくらいで折れるなよ。手紙の描画を一番最初に入れておいて、オチがしょぼい。全体的にしょぼい。前半だけでケリがついたのこの話だけなんだけど、しょぼいだろ。
あ、タカ繋がりで言うけどさ、キャラ弁の本を室井さんに頼まれて借りてきたのお前だろ?で、お弁当食べてるのお前だけだろ?そうしたら、俺の弁当キャラ弁にしようとしてるのかなー?とか思わない?高校3年生だよね。先に言っておけよ。やめろって。「キャラ弁を頑張って作る室井さんのシーン」っていう撮りたいものだけ先行してるんだよ。こっそり本を買うとかしろよ。せめて。
また杏の話に戻すけどさ、教室で「アンテナが立つ!」って盛り上がって、その上でスマホいらないってリクに言われせて(なぜか捜査が行われている山の中で栗を拾いながらそれを話す意味もわからんが)、スマホは都会の汚れたもの!純粋なリクとタカにスマホを渡して汚す…のかと思ったら特に何もないのかよ。何がしたかったんだよ杏。まぁ、電波届かないしな、室井さんの家。ゲームやらせてどうしたかったのか。
まぁ、ともかく。前半だから。後半に期待。
とりあえずカタルシスのために色々と種を蒔いた感じはあるよ。でも適当なんだよ。
なんだよ室井さんの狩りのシーンとか。意味あったのか?田舎の不安感を出してたのか?てか、よくキャリア組で忙しい中、狩猟免許取れたね。あと、室井さんが猟銃使ってる時になんでガンロッカー開けようとしたんだ杏。もう一丁入ってたの?あと鍋の肉を食うシーン。あれなんか関係あるの?食べ盛り?食べ盛りを表現したいの?
たかだか詐欺集団の容疑者が1人死んだだけで、そこまで大ごとになるのか?
秋田の室井さんを使いたかったけど、捜査は派手にしたいよね!みたいな感じなのか?
あと、捜査するだけでサイレン鳴らして緊急走行しないだろ、流石に牧場に嫌がらせと思われてもおかしくないぞ。監視カメラもわざわざつけないだろ、あれどこの管轄だよ。そう簡単に電柱に付けられるのか?知らんけど。
そもそも、元犯罪者がシャバに出たけど仕事がないからまた犯罪に手を染めるって、なんつーか、短絡すぎだろ。もうちょっと練れよ。いや、ここは後半に期待か。
最後の方ね。室井さんのDASH村はよかった、ずっと見ていたかった。あれで2時間でよかった。いいなーと思ったら火事かよ。あそこまで燃えるまに、声かけろよタカ。もう完全に手遅れじゃねーか。室井さんも消化器無駄なのわかってるだろ。てか、室井さんのコート、杏が掛けた後ずっとそのままだったのかよ。しまえよ。いや、刑務所に行った時に着てたか。てことは、またあそこに掛けたの?納屋に?納屋がタンスなの?結局、燃やしたかっただけだよねコートを。
まぁ、前半だし。
後半はスピード感あって一気にいきそうだよね!
てか、リクの父親でてくるのかよ!しかも加藤浩次かよ。どう考えても不安しかない。てか、1年ちょっとで父親が出所するような子供を預かったの?だったら、もともとどうするつもりか考えていたよね。揉めないよね?揉めるの?もしかして、出所した人みんなまた犯罪者になると思ってるの?
踊る大捜査線のWebサイトでネットワーク捜査員として活動して(エンドロールでmakiさんの名前があったね)コンピューターに興味を持ってシステムエンジニアになったし、何度もお台場のロケ地に行って楽しかったですよ20年以上前。今作はうーん、どうなんだろう。まぁ、まだ前半だし。
・あの人たちの今が見れた!
・あのシーンがスクリーンで見えて最高!
でもまぁ、まだ前半だし。うん。
前評判がしっちゃかめっちゃかになっているジョーカー2を観た。ジョーカー1とはほとんど別物だと言っていいような変な映画だった。
記憶がおぼろげで悪いけど、1ってたしか馬鹿にされて虐げられて抑圧されてギュッッッッッッッッッッッとなったアーサーがとうとう弾けて、あとはもう空想をヒュンヒュン加速させながらあちこちで殺しをやりまくるみたいな話じゃなかったっけ。
だとしたら、2はアーサーが看守や囚人からヌメッとチヤホヤされながらガチ恋女とヌメヌメ愛し合い、歌を覚え、歌いまくり、寝ながら歌い、空想の中で歌い、電話口で歌い、なんかもうあちこちで歌い、その合間に裁判台に立たされたり殴られたりする、そんな映画だった。
とにかく歌の挟まり方がすごい。映画一本の中に、阿漕なyoutuberの広告ぐらいギチギチに歌が挟まっている。ロバートのコント「柳田節」ぐらい歌う。歌が終わるとどうなる?知らんのか、次の歌が始まる。
でもホアキンもガチ恋女役のレディガガも歌がうまいから、評判より全然楽しめるもんだな、と思った。3曲目ぐらいまでは。なにせ1曲1曲の演出カロリーが高いので、すぐお腹いっぱいになるのだ。そもそも歌を見にきたわけじゃないし。それでも歌はお構いなしに出てくる。二郎ラーメンでわんこそばをやっているような気分だ。「もう歌の口じゃないんだけどな」と思っていても「アイヨ歌一丁!」と強制的に歌をねじ込まれる。アーサーの歌わんこそばにストップはない。
さらに1と違うのは、全体的にアーサーが受け身なことだ。感情はしっかり出す。けれど、行動はどこか後手に回っている。質問されたから答える、囚人にキスを頼まれたからする、ガチ恋女が火をつけたから一緒に逃げる、法廷に立たされたから喋る、というように起点が他者や状況に置かれがちなのだ。
頼みの空想も、今回はそこまで現実に干渉してこない。いっぺん法廷でキレて暴れたときはちょっと気持ちよかったが、それも所詮は空想の中だけの出来事だった。だから、観客はほとんどの時間を「様子がおかしいけれど害はない、等身大のアーサー」と過ごすことになる。そして、彼の行動が「アーサーってそういうもんだよな」という我々の予想を超えてくることはほぼなかったように思う。
つまり、ジョーカー1のようなムチャクチャな破滅が彼自身の手で引き起こされることはなく、代わりに本人は歌ってばっかりいる、そういう変な映画なのだ。
火をつけたのはガチ恋女だし、裁判所に突っ込んだ車は信者のものだ。インパクトのあるシーンはことごとくジョーカーの手を離れて始まっている。裁判が突然の爆弾カー突入で強制終了になったときは流石に「ウオーッ!これだこれ!ゴッサムシティに法律はねェーッ!」と客席から立ち上がりかけたけれど、その後の展開で「あっ普通に法律とかあるんすね」「失礼しました」「そっすか……」とすぐさま心を着席させることになった。ここまでくると製作側から意図的にカタルシスを取り上げられているような気さえしてくる。
そしてある意味、それは当たっていたのかもしれなかった。物語の終盤、別れに際して歌おうとするガチ恋女にアーサーが言うのだ。「歌はもういい!歌うな!話せ!」みたいなことを。
ここで初めてアレッ?と思った。なんとなくそれまで、ジョーカー(アーサー)になんも面白いことをさせず、ただ歌わせるだけの映画を撮った製作陣にある種の無邪気さを感じていた。このナンセンスさは彼らの読み違え、あるいは天然ボケなんだろうと、無意識に考えてしまっていたのだ。
けれどそれなら「もう歌うな!」なんて客席の9割の人間が思っていそうなことを台詞にするだろうか。まるでこっちの考えが読めているようにも見えてくる。もしかして彼らは、ジョーカーを暴れさせずに歌わせてもそこまで面白くないことを最初から分かっててこれを作ったんじゃないだろうか。
そう考え始めた途端にいろいろなことが腑に落ちてきた。作中、アーサーは恋愛に溺れる以外はほとんど何もしてないのに、周りが勝手に感化されて狂ったり崇めたりする。そして、ジョーカーがただの人間アーサーだったとわかると潮が引くように離れていく。その心の動きが、映画館の席についてからここまでの自分の心境といやにぴったり重なっているのだ。
勝手に期待して近づいて勝手に失望して帰っていく、ジョーカー2の大衆と今ここにいる自分とfilmarksの低評価レビュアーたちはきっとそう変わらない。そして、思い返せばこの映画はずっと「シラフのアーサーと狂った取り巻き」に焦点を当て続けていた。
結局のところ、「おもんない取り巻きばっか映して何がしたいねん、はよジョーカー暴れさせろや」とぼやきながら、自分はずっとスクリーンに大映しになった鏡を見つめ続けていたのだ。
ジョーカー1はいろんな人間に「自分はジョーカーかもしれない」と思わせた。けれど、ジョーカー2は「お前ジョーカーちゃうで」「自分をジョーカーやと思いたいただの取り巻きやで」「あとジョーカーも蓋開けたら多分そんな大したことないで」という常温の現実をバシャバシャと浴びせてくる。
そういうメタだと捉えれば、この映画は面白かったと思う。実際のところは知らんけど。ジョーカーは1も2も一回ずつしか観てないからうろ覚えだったり的外れだったりするかもしれないし、ひとまずこういう印象を受けたとだけ言いたい。他の感想も気になってきたな。
ミスコンだかなんだかで玉◯ティナが現れて他の参加者が気まずくしてた〜ってポストして本人たちから反論されてる奴見たけど、女さんってそういうS級美女登場でA級美女が気まずくなる展開好きだよね。
A級美女が悔しそうにしてる姿がなんかカタルシスでもあんのかな。そんなことにカタルシス感じても自分のランクが上がるわけでもないのに。
ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)は、差別や偏見の表現を避けて、マイノリティへの配慮を促すための概念です。しかし、この主張では、ポリコレに対する批判が「差別を書くことで得られるカタルシスがなくなったから」と述べられており、ポリコレの本質を誤解しているように見えます。ポリコレの目的は差別の再現ではなく、差別の解消です。
差別的な状況の描写が少ないことを批判していますが、それ自体が差別とされる場合もあるため、制約があるのは理解できます。しかし、フィクションで描かれる設定がすべて現実に準じる必要があると考えることもまた極端です。多様な設定が存在することが、フィクションの豊かさを支えているとも言えます。
作品が差別のない理想郷を描くことに不満を示していますが、これには創作の自由の問題が関わります。フィクションは必ずしも現実に忠実である必要はなく、理想郷や差別のない世界を描くこと自体も創作の一形態です。理想郷を描くことで、新しい視点や価値観を提供することもフィクションの目的の一つです。
「ムーンライト」や「マッドマックス 怒りのデス・ロード」などの作品が評価される理由として差別描写の存在を挙げていますが、差別が描かれていない作品に対する否定的な評価の基準が曖昧です。作品が必ずしも差別を描くことで成り立つ必要はなく、さまざまな物語の形が存在し得ることを考慮するべきでしょう。
悪を描くこと自体が許されないと感じているようですが、実際には悪役を描くことが禁じられているわけではなく、問題は差別や偏見に結びつく描写が不適切である場合に批判を受ける点です。悪役を描く際に、人権や倫理的な視点を考慮することは重要です。
個人的にはどちらかというとポリコレには賛成だったんだけど、最近は反対派の気持ちの方が分かるようになってきたんだよなー
以前のポリコレは現実に差別が存在する(した)以上、フィクション作品においてマイノリティを出すならその差別を描くのが普通だったけれど
例えば2017年のアカデミー賞作品賞の「ムーンライト」は黒人のゲイの半生を描いた映画だけど
これに関してポリコレがーという叩きは全然見掛けなかったんだよ
主人公がそのマイノリティ性によって虐げられ苦悩する様子が丁寧に描かれて、設定が物語上意味のあるものになっていたからだと思う
マッドマックス怒りのデスロードも、女性差別とそれに抗う様子が描かれ、設定が意味あるものになっていた
例えば同性愛者の人物がその事で差別されたり思い悩んだりする描写があると作品自体が差別的とされるので
異性愛と同じように扱われ、特に何の葛藤もなく幸せな話しか許されない
設定に意味を求める事はそれ自体が差別であるとのレッテルを貼られる
物語中に差別がないとしても、それならばそれでそういう架空の世界だとかの説明が欲しいものなんたが、あまりない
例えばディズニー最新作のウィッシュでは、中世のヨーロッパにおいて黒人もアジア人も障害者も差別されない理想郷が築かれていたが、登場人物がそれを得難い事として感謝する様子はなく、ごく当たり前の事として享受していた
前の朝ドラの虎に翼でも、当時には珍しく女性で法曹を目指す主人公が侮辱や虐待を受ける事はなく、もっぱら順風満帆にキャリアを重ねていき、それが社会から受け入れられる
このように、最近のポリコレで描かれるのは、当たり前のように差別のない理想郷ばかりだ
そういえば先日完結した僕のヒーローアカデミアでも、悪役の博士に現実の731部隊が行った人体実験に関連した名前を付けていたところ海外からクレームを受けて名前を変更したという
悪を悪と描いて出す事すら許されなくなってしまった
これがホッテントリに入ってるんだけどさ
>グーグルマップ、川口市役所を「クルド市役所」と表示 「寺院・礼拝所」と説明も 「移民」と日本人
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20241004-G4LDR4VDOVACFFQQV2PDHVPHLI/
このグーグルマップの項目いじりの悪さはずっと前からあって、日本でも恒心教やってる連中が逮捕されている。Wikipediaにも項目がある。
こんなもん昔からあるネットの悪戯なのに産経は恰もクルド人関係のような記事にしてるわけ。そしてそんな愚劣情弱向け記事を真に受けてブクマしてホッテントリ入りさせて拡散してるのがはてなーだ。いや、流石にバカじゃねーの?産経もはてなも。
そもそも産経は昔からこの手の特殊キャンペーン記事というのをずっとやってるんだがさ、普通の新聞読者はそんなおかしな記事を真に受けない。
例えば1997年には国立の小学校で児童が日の丸掲揚反対して校長と揉めるという騒動があった。背後で左翼教師が唆したのだろう。産経はこの騒動を何度も記事にして、国立には右翼の街宣車が溢れた。そういう人間にリーチする記事なんだな。
ところがある日、一面トップに「校長に土下座要求」というどデカい題字が踊ったのだ。ではその内容は?というと校長が国旗掲揚する隣で児童が騒ぎ、その一人が「土下座しろ」と調子こいて言った、と云うもの。余りのバカらしさに腰が抜けるな。「江ノ電並走自転車男性に「金だろ」と詰問」と云う記事が一面トップになるのと変わらねぇ。
その当時の産経は今みたいには程度低くなかったので呆れて購読取り止めた読者も多かったんじゃないかな。
まぁ要するにその手のキャンペーンを常にやっていてその記事群は新聞記事のクオリティでは全くないってことやな。この辺は紙の紙面で見れば一目瞭然。但しそのクオリティが本来の記事を浸食するのが産経なのだが。
だがネットで見るとフラットに見えちゃうわけよ。夕刊の特集記事の柔さとか日曜版の解説記事の掘下げ力と朝刊の堅さの対比とかが消えてしまう。それで流れてくる記事をそのまま堅い記事だと考えてしまう。
そしたらそんな錯誤が発生しやすい、増幅させるWEBサービスに問題があるって事だろ。この場合ははてなブックマークがそれに該る。
この川口とクルド人のやつも元々石井孝明が一人で流布してたもので、ブクマカはそれをせっせとブクマして拡散していた。石井の個人サイトを「報道機関」だと思ってたのだ。デザインがそれっぽいから。あほか。
コラボ批判と暇アノンの中心の一つもはてなだ。この件では尋常ではないデマと名誉棄損が垂れ流しされた。「○○弁護士は活動家」とか「〇〇はナニカグループの共産党員」とか、そういうのブコメした人責任取れんのかね?暇空との訴訟が一段落したらなるちゃんやらはてなーやらが被告になる日が来るかも知れんぞ。大丈夫か?
膨大なデマや誤認のうちの0.1%に理由がある(しかも解釈込み)から批判は合理なんて仲間内でしか通じんぞ。
コラボなどが東京都の支援事業になっていたのは行政のアウトソーシングでNPOを活用するのが流行だからだ。バスが撤退した地方ではオンデマンドタクシーが交通弱者住民の最後の足になっている。そのタクシーをやっているのはNPOの事が多い。78条バス(旧80条)ってやつだ。その他にも生活弱者向け「便利屋」的な業務委託が増えてきているのだ。
行政は横並びを好み流行に弱い。少し前にはPFIが流行した。施設管理を民間委託するスキームだ。TSUTAYA図書館とかもだし、刑務所をPFIで民営化したところもある。NPO委託はPFIのようにしっかりとした施設が無い、もっと小さな業務が充てられる。
というか、PFIが流行ればどこもPFI、NPO委託プロジェクトが流行ればどこもNPO委託なのだ。軽薄だな。プロポーザルで新規事業に金を出すというスキームはこのトレンドから来ている。
でもコラボ批判ではそんな話にはならなかったな。「共産党利権」だってさ。こんなのソーシャルブックマーク通じて賢くなるんじゃなくてバカになってるって事じゃん。
このコラボ批判の後は半年くらいホッテントリは女叩きだらけ。「性差別」と言ったら社会では女性差別の事だがはてなでは男性差別の事だwバカじゃね
弱者男子が辛くて鬱屈しているのは男性中心社会で下位ヒエラルキーに属しているからだ。だからいくら女を叩いても救われる訳がない。そんなの外部から見たら当たり前なのに本人らはトンチキな共同性を作り上げて儀式化によるカタルシスを繰り返すのだ。この半年でインセル以外のユーザーはかなり逃げたのでは?だって幾ら何でも気持ち悪いもんな。
その前はコロナの防疫デマだ。まずは医クラの「インフルより弱毒」「ゆっくり感染拡大して社会免疫」という話に飛びついた。そんな局面もデータも最初から一切無い。でも「SIモデルが証明しているから」と言って憚らなかった。でもそのSIモデルについて具体的に説明できる者は誰もいない。科学と鰯の頭の区別が付いてねぇ。
次は「PCR検査をすると医療崩壊する」で検査を受けた人間を探し出しては叩き炎上させていた。
これら全て「科学的」な側にいると考えていた。これはトンデモ科学業界やトンデモ医療業界でお馴染みの構図だ。更にWHOがそういう態度に関して警告を発していたにも拘らず「WHOは怪しい組織」とその時のはてなーは考えていた。すごいね。
こんな風に何か事が起きる度に悪質なデマの中心になっていてとにかく害悪が過ぎる。もう何年もずっとだ。川口クルドの問題も石井と産経の特殊記事しか書いてない事を本気にしてるのなんてXとはてなくらいなもんだ。程度が低すぎる。
しかも事故や事件が発生する度に「外人の犯行」とするブコメが蝟集してその解決策が「外国人の渡航禁止」「財産没収」「土地取引禁止」だと。これらの書き込み会社にばれたら肩叩きされるんじゃね?
はてなは建設的コメント順位付けモデルAPIとかを使っているが、これは罵倒や悪口で衆目を集める事には有効だろうが、知的に背伸びした文章で程度が低くトンデモない常識外れな集合意志が醸成される事には完全に無力なんじゃないの?
こんなの放っておいたらGoogle adとか単価の高い広告代理店から切られるんじゃね?
多数の人間が書き込んで、マニュアルとか基礎知識について調べる者、提示する者が常にゼロというのは尋常じゃない。
「ユーザー間の議論で解決」というのはコラボ問題でNPO委託を踏まえたり、コロナで検査マニュアルを読む者が一定数いる上で始めて成り立つ。いつまでも現状のまま毎度毎度デマの中心になるのを放っておくのは止めてくれ。マジで害悪過ぎる。
……という冗談はさておき、対策委員会編三章は先生の負傷による一時的退場、アツコ救出・列車砲の停止に並行してミカ・ホシノが精神的な問題で暴走する等と似通った部分がある。二番煎じであるがゆえ、後発の展開はまさに時代が許さなかった…と言える部分もある。しかし後先の問題ではない差異も存在する。
(そもそもここも実際何をしたか明言されていないのだが)地下生活者が先生の肉体の脆さを攻めるにあたって、シャーレの直接爆破を選択し、これはプラナによって防がれている。おそらく後にプレナパテスとなった先生はコレによる負傷でシロコ*テラー誕生まで昏睡しており、物語上の位置付けとしてはプラナがリベンジを果たしたシーンではある。
これに対してエデン条約編三章では調印式の会場にミサイルが撃ち込まれた際、シッテムの箱の防御に過負荷がかかったことで後のシーンでサオリに銃撃されるという流れになっている。
地下生活者の爆破とミサイルによる爆破は性質が違う攻撃(実際にヘイローを破壊する爆弾など、特殊な効果を持つ攻撃手段はあるので)という可能性もあるが、見た目上は先発の描写では爆破の後襲撃して排除しようとしているのに、後発の描写では爆破のみにとどめて追撃しておらず、一見すると詰めが甘いように思える。
これに関しては地下生活者の敗因として、多少の問題をチートによるアドリブで解決してしまう性質と初手でフランシスを排除してしまったせいで先生の情報を共有できなかった、というのがあり、手段の差異に限って言えば時間をかけて領地と手駒を用意したベアトリーチェと対極的なプレイングになっただけだとは言える。それでもどうしても後発である以上、シャーレ爆破によって危機感を煽るのは失敗している感が否めない。
エデン条約編三章では先生の不在にあたって、混迷する事態に立ち向かう補習授業部メンバーの姿が描かれる。アリウス出身であるアズサはサオリ達を止めるため単身立ち向かい、ヒフミはそんなアズサを止めようとするし、ハナコはサクラコに託された代行としてトリニティ内での事態収拾を図り、コハルも自分にできることを探し回った末にミカを助けようとする。
この補習授業部の努力は個々人の結果としては実を結ばず、アズサは一時的撤退を余儀なくされ、ヒフミは置いていかれてしまい、ハナコは拘束されかけ、コハルもまた先生の到着が遅れたら危ない状況だった。しかしあくまで直前まで個々人でこなしていた努力はまったく無意味なものではなく、先生のフォローによって歯車が噛み合い、反撃に転じていく。
対策委員会編三章ではどうか。単身突撃しようとするホシノに対してノノミを除く全員でかかって返り討ちに遭う。それだけである。補習授業部のメンバーがアリウス出身、行動力、知略、勇気と優しさと役割分担が為されているのと同様、肉体的に強いシロコ、ネフティスの人間であるノノミ、ブレーン役のアヤネ、情に厚いセリカという形になっているにもかかわらず、である。
その後先生が復帰した際には、先程まで先輩に対する反骨芯に燃えていたアヤネがポッと出てきた提案に飛びついて、そのまま全員先生配下の戦力として状況に振り回されているだけになってしまう。おまけにアヤネ生徒会長はプレジデントに一蹴されて自分でも向いてないと辞退し、ノノミの実家の件は執事の乱心がよくわからないまま処理されて流され、セリカに至ってはコハルのような見せ場のひとつも貰えていない。シロコが生徒会の谷で親越えを果たしかけるのが唯一活躍と呼べる活躍だ。
ベアトリーチェに囚われているアツコを救出する目的で動くアリウススクワッドと先生に並行し、ミカが暴走するのがエデン条約編四章である。アリウススクワッドは前章において敵対していた集団であり、物語の途中途中で彼女たちの過去が描写される。そこにセイアの件で暴走したミカが激突し、彼女の今に至るまでの足跡も開示されていく。
対して対策委員会編三章では、ホシノの後追いで後輩メンバーが追いかけるだけで、ホシノ側はバックボーンがよく分からないまま終わったスオウとの中身のないバトルをした後、後輩達と戦い、シロコに根負けした後地下生活者に話をひっくり返されてお流れになる。初期から実装済みのキャラクターであるがゆえ、アリウススクワッドやミカに比べて掘り下げ描写の余地が無いというのはそうなのだが、新キャラであるスオウに関しても意味不明のまま終わってしまい、いい雰囲気になりかけていた対話も結局キャンセルされてしまう等中身のない尺稼ぎパートのような印象が残る。
エデン条約編に比べてホシノ一人の描写に終始しており、対策委員会メンバーも列車砲の件よりも何よりホシノを止めたいという動機で動いている。結果として、ミカを止めたいけど今はそれどころではないというエデン条約編に対して、対策委員会編はホシノ一人が我慢すれば終わるし、一人を止める目的で一致しているのにどうしてここまで後手後手に回っているのかという印象になってくる。
アツコの救出に関してに限って言えばミカはシナリオ上のお邪魔キャラにはなるのだが、サオリとの対決は物語上重大な意味を持っている。サオリとの対話によってミカは自分の最初の動機を思い出し、他人を自分同様に尊重することを学び、それが他人を他人として拒絶する洗脳を行ってきたベアトリーチェへのカウンターとなり、キリエを歌うに至る。
ホシノとヒナのバトルは演出が豪華なだけで物語上の意味は何もない。一応、真実と事実の差異に関しての先生の台詞から推測するとホシノの真実とヒナの事実という対立軸はあるのだが、ホシノがぜんぜん正気ではない上真実がどうこうと言えるのはユメと邂逅した後の話であり、本当にミカとサオリのような対話は一切なく、ホシノがスオウやシロコと連戦した上で戦い、結局ヒナが列車を破壊して決着を濁すといった結果が分かり切った勝負でしかない。時計じかけのパヴァーヌにおけるネルVSトキのような、ギミックを用いた演出の熱さすらも無い。この後はセト討伐で協力するぐらいしか描写はないのだが、後輩やシロコ*テラーを差し置いてエピローグのスチルまで貰っている。
ホシノとヒナに関しては素材は良いのだから、もっとちゃんとした過程があるのならば応援したかったのが正直なところだ。しかしあまりに何も無いまま結果だけいい雰囲気になっているので、虚無度は顔カプに近くないかと思ってしまう。
ここに関しては本当に順序が悪いと思っている。後輩からの呼びかけを拒絶し、先輩と邂逅し別れて、いい感じの曲と共に先輩がいない後輩との二年間を思い出し戻ってくる……という流れなのだが、ユメと別れた後に後輩からの呼びかけが無いせいでなんか吐き出してスッキリしたから自力で帰って来たような様子になってしまっている。せめて先輩と別れた後、後輩のみんなと言葉を交わし合って、暴走して振り回した件もここで謝って、先輩に見送られながら復活する……というような流れであれば後輩の扱いに関して思う部分は薄かったように思う。
結局三章は何がしたかったのかというと、既に分かり切っている動かしようのない事実に向き合う話を延々やっていたのだが、それは結果の分からない物語に比べて丁寧さが要求される方向性のように思う。前提が覆るからカタルシスが生まれる。ホシノのテラー化をいくら死人を生き返らせるようなものと連呼したところで、急に出てきた説明でしかないし、ユメは普通の死因で死んでいて復活なんかはありえないけどホシノは帰って来たよ、と言われても事前に低くしたハードルを越えただけの話にしか思えない。こうなるぐらいであれば、ユメの死因は特殊なものにしてアビドスへ舞い戻らせ、ケイやアヤメも同様に帰還する可能性を示唆でもしていた方が良かったのではないだろうか。