はてなキーワード: アウトプットとは
あなたの言いたいことを整理しつつ、内容をわかりやすく伝える文章を提案します。
近年、生成AIの利用が急速に広がり、その可能性がさまざまな分野で注目されています。しかし、それと同時に、AIの仕組みを理解せずに利用した結果、無駄なトラブルや誤解が生まれている事例も少なくありません。生成AIを正しく活用するためには、以下のような基礎知識を持つことが重要です。
生成AIは、膨大なデータから学習して生成物を作り出します。この過程では、以下のような概念が関わります:
• 潜在空間:AIがデータの特徴を抽象化し、多次元の空間上で表現する領域。
• モデルのトレーニング:データを用いてAIに学習させる過程。
• ファインチューニングとマージ:特定のデータでモデルを調整・統合し、特定のスタイルや特徴を強調する技術。
• LoRA(Low-Rank Adaptation):既存モデルを効率的にカスタマイズする手法。
• ベクトル操作:プロンプトや設定によって生成結果を調整する方法。
これらの基本的な知識が不足していると、意図しない結果や誤解を招く可能性があります。
生成AIは、入力(プロンプト)に基づいて潜在空間からアウトプットを生成します。しかし、その過程には以下のような特性が伴います:
• 言葉が示す領域:自然言語は固定的な意味を持つわけではなく、複数の概念を内包します。例えば、「solid color, sharp edges, clean edges」というプロンプトは「Vector Style」に近いアウトプットを誘発します。
• バイアスの影響:モデルが特定のデータに偏っている場合、その影響が生成結果に現れます。たとえば、特定の絵師のデータで学習されたモデルでは、その絵師のスタイルが反映されやすくなります。
バイアスの例として、黒人がアフロヘアで生成されやすい、特定の職業が特定の性別と結びつきやすいなどがあります。これを回避するには、プロンプトを適切に設計し、結果を微調整するスキルが必要です。
AIが「必要なものだけを正確に出力する」ように進化する可能性はあります。しかし、それを実現するためには、以下の課題を解決する必要があります:
• 解釈の多様性:たとえば、「犬」と聞いて思い浮かべる犬種は人によって異なります。これは、個々の経験や背景に基づくものです。
• 知識と経験:生成AIを効果的に活用するには、ドメイン知識と目的を的確に伝える言語化力が求められます。
全ての人類が同じ解釈に至ることは現実的ではありません。そのため、必要な結果を得るためには、継続的な学びと試行錯誤が避けられないのです。
生成AIは強力なツールですが、その活用には正しい知識と責任が伴います。技術を正しく理解し、目的を適切に言語化する力を持つことで、トラブルを防ぎ、より良い結果を得ることができます。
結局のところ、「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」(日本橋ヨヲコ『少女ファイト』)という言葉が示すように、解釈や結果は主観的なものであり、全ての人が満足する解を得るのは難しいかもしれません。それでも、理解を深め、自らの力で「望む結果」に近づける努力を惜しまないことが、生成AIを最大限に活用する鍵となるのです。
画像生成AI、最初から金稼ぎのために悪用するつもりの奴はどうでもいいが、仕様が分かっていないせいで無駄なトラブルに巻き込まれてる人をよく見る
潜在空間の概念、モデルトレーニングの流れ、ファインチューン、マージ、LoRA、ベクトル操作くらいは勉強してから使ってほしい
わたしは特定絵師に寄せてないよ!と言っても、使ってるモデルがチューニングに特定絵師のデータばかり使ってたり、絵師LoRAがマージされてて特定の絵柄が標準で生成されるようになってるモデルを使っていると、ユーザーが寄せようとしなくても寄る
あと、スタイル指定に使われる「by 〇〇」とか「〇〇 Style」みたいな言葉は、所詮他のプロンプトと同様に「複数の概念が内包された言葉」でしかないので、組み合わせ次第では特定の画風に寄ることもあるわけだ
例えばVector Styleが「solid color, sharp edges, clean edges, minimalist, transparent background, high contrast」といった要素を持つ場合
「solid color, sharp edges, clean edges」というプロンプトを使うとVector Styleに近づく
要は、ある言葉が直接そこに結びつき、絵柄指定と同じ効果をもたらすということだ
今の生成AIにとっての自然言語とは、固有の意味を持つのではなく、ある「領域」を示すもの
生成AIは、言葉で誘導されて到着した領域を鷲掴み、一つの出力物をアウトプットする
例えば小魚が多い海域で網漁をすると、小魚だけ取れることもあるが、小魚と一緒にゴミが取れることもある
ゴミが取れても困るとはいえ、この仕組みが、アウトプットの多様性を生み出すために役立っている
人間は魚を手に入れるために網を投げるわけだが、漠然と「魚が欲しい」と網を投げた時に、特定の魚しか取れないのは多様性の欠如に繋がる
まぁ「"あの"魚が欲しい」と網を投げた時にも、狙っている魚以外のものまで取れてしまうのが難点だが、トレードオフだ
この現象の極端なケースは「教師データが特定絵師の作品ばかりに偏ったオブジェクトは、オブジェクトそのものと絵師の絵柄が結びついてしまう」問題
そのオブジェクトAと絵師Xの概念が非常に近いために、オブジェクトAを生成すると絵師Xの絵柄で生成されることがある
これはいわゆるバイアスであり、一般的な例を出すと、黒人がアフロで生成されやすかったり、白人が金髪になりがちだったり、特定の職業人を生成すると性別が偏るのと同じ
黒人とアフロの例では、それぞれの概念が結びついており、黒人はチリチリというバイアスがあるので黒人+ロングヘアー=チリチリロングになったりするしドレッドヘアーになることもある
白人+アフロ=浅黒アフロになる事もある そのAIにとってアフロといえば黒人であり、黒人といえば肌が黒い、白人に黒を足すと浅黒い、故に浅黒アフロが生まれる
とはいえAI側が過剰に適合していなければ、プロンプトの組み合わせで回避できる問題でもある
黒人をロングにするとチリチリになるなら、ストレートヘアーなどの言葉を追加していけばいい
白人アフロで浅黒くなるなら、白い肌などの言葉を追加していけばいい
ストレートヘアーを追加すると顔が変化したり、白い肌を追加すると目の色が変化したりする、なので現実的にはさらなる調整が必要となる
究極的には、「プロンプトで書かれている事を"正しく"」出力するAIも作られるかもしれない
だが、そのAIを活用するには結局のところ、ドメイン知識を持った上で自分が何を必要としているのかを相手に伝える力が必要となる
その理由は、ある物事に対しての解釈が、人それぞれである事と同様だ
"正しさ"とはなんだろうか?解釈の結果は一義的なのか?全人類共通の理解が得られるのか?
「犬」と言われて、ペットのミニチュアダックス以外が思い浮かばない人もいれば、秋田犬が思い浮かぶ人もいる
あいつが悪い!いやこいつが悪い!すまん俺が悪い!いやそんなことはない!・・・
お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな
あらゆる物事について、全ての人類が同じ解釈になる日がこない限り、知識と経験の獲得、そして言語化力からは逃げられないというわけだ
追記:
AIに校正させるのはいいけど、この文章で完成するわけでもなし、それを"ちゃんと"発展させるのは手間がかかるんよ
ゲーマー、特に音ゲーや格ゲーや弾幕ゲーみたいな、画面上でミリ秒単位でものを認識するゲームやってた人なら分かるけど、
音声の遅延とくらべたら、ワイヤレス程度の操作側の遅延はそこまでシビアにならなくていい。
そもそも脳が認識してから指が動いたりキーがアクチュエーションポイントに到達したりするまでに、ワイヤレス遅延の比じゃないほどの遅延があるから。人間目線でアウトプット側の遅延はもともと緩くていいの。
でもインプット側、つまり目や耳が脳に信号を送るのは爆速だから、そこにワイヤレスレベルの遅延があると有線比でゲームが成立しなくなるくらい、反応がおいつかなくなることがある。
そこでは個々人の責任のもと、緩いマネージメントで高いアウトプットを期待されている。
企業の利益を考えれば、手取り足取り教えなきゃ使い物にならない人より、最初から高いパフォーマンスを発揮する集団で構成するのは一理ある。
でも世の中の会社がみんな同じ考えをしたら、誰が人材を育てるの?ってここ最近モヤモヤしている。
新卒で入った会社は給料は安いし全然上がらなかったけど、研修制度は充実してた。
落ちこぼれのようなオジサンも多かったし、炎上プロジェクトも頻発してたけど、育ててもらった恩があるから嫌いにはなれない。
翻って今の会社は給料もいいし、同僚の能力も高いけど、でもそれって他の会社のリソースを奪った結果じゃないの、と思ってしまう。
あのさ、日本語として無茶苦茶になっている文章の正解を俺がわかるわけないだろ
おまえが考えておまえがアウトプットした文章が何を意図しているかは他人にはわからねえの
超能力者じゃねーんだよ
その自他境界のなさ、他人のおもわくのわからなさは発達障害そのものだけど、
そんな状態でよくもまあ、自分の文章を具体的に修正しろなんてわがまま言えたな
どんだけ甘えてるんだよふざけすぎなんだよ消えろゴキブリが!
・高校野球をしてたけど守備が下手で、毎日ゴロ捕り(基礎練習)を人の10倍くらいして人並みに守れるようになった
・英語が苦手で中学から全然分からなかったけど、単語のアウトプットを延々とやってセンターの英語は7割取れた
・歌が下手でカラオケは忌避してたけど、大学時代に一人カラオケで何度も練習して、今は人と行っても普通に歌えるようになった
ポジティブに言えば、素の能力が低かった事で努力する才能が磨かれて、方法論を身に付けたと言える
歳を取ると誰でも能力が衰えて、相対的に才能で何とかしてた人は苦労してる印象を受ける
仕事をしたりネット中毒になったりしていると、この世があたかも小さな世界に思えてくる。
俺は地元から出ることも無ければ、平日に外へ出かけることもない。
新しい集団をフォローすることもないし、仮にフォローじても彼らの情報になど見向きもしない。
ストア派の哲学によれば、コントロールできるのは俺の内面だけであり、外の世界はコントロールの範疇にはないという。
しかし関わる外の世界を広げていかなければ、内面を広げることもできない。
確かにインテリはそのような俺に対して「読書をしろ」というアドバイスをするだろう。
しかし俺はもっと物理的に広い世界を見たいと思うようになった。
つまり自然の中を散歩したり、海を見たり、そういうことをしたいと思うようになったのである。
ではそのような自由が存在するのに、実際にはその自由が感じられないと思うのはなぜなのか。
俺は確かに自然の中を散歩したいと思っている。しかし散歩は疲れる。めんどくさい。やーめよ、というわけだ。
俺はナマケモノのように、できるだけ体力を使わない生活をしてきた。
仮にインターネット上でしか探索の機会を広げないとしても、やり方は様々ある。
アラスカの写真家をフォローするのでもいいし、イスラエルのラビが書くブログを読むのでもいい。
小さい世界から一歩外に出れば、自由があり、知らないことがたくさんある。
たぶん、俺と近い人を探すより、俺とは全く異なる仕事をしている人を探すほうが良い。
建設、素材系の業界に勤めてる人は何となくわかると思うのだけど、この業界は高圧的な人が多い。
元請け特有の「舐められたら終わり」みたいな意識が強くて若手でも態度が大きくて他人を下に見る人が割といる。
そんな環境で新卒から育った自分はもれなく上下に厳しくて意味もなく高圧的な人間だった。
3.4年前に色々あって法律系の専門職に憧れて中小の事務所に転職した。
そしたら周りの人達が圧倒的に親切で腰の低い人だらけになった。
自分がイキった発言して周りが大人の対応してくれるから場が収まる事が多くて1人で反省会して死にたくなる、みたいな。
その中で何でこんな偉そうになっちゃうのかなって考えてみて、単純に人に対する敬意が足りないんだなって気がついた。
意識だけ変えてもすぐ元通りになりそうだから思い切ってアウトプットも変えることにした。
お客様対応用の言葉遣いを先輩、上司にも不自然になりすぎないように使うことにして、後輩にもさん付けと敬語を徹底するようにした。
不思議なんだけど、丁寧な言葉遣いを心がけているうちに言葉遣い見合いの振る舞いを心がけるようになった。
元々ガサツでイライラしやすかったのが言葉遣いに合わせて穏やかになったし、自信のなさから来る高圧的な態度も収まった。
山羊座は冥王星だかに囚われて今まで何年もの間、再生と破壊のサイクルにいたが、今年になってそれを脱するからやっとスタートを切れるらしい。
そんでさ、なにか新しいことをやってみたいんだけど、34才プログラマーという職業のスキルの足しになって新しいことといえば競技プログラミングぐらいしか思い浮かばなかったんだよね。
んで、競技プログラマーのランキング見ると、Topの連中は若い連中ばっかり。俺の年齢から始めて、レーティングを上げるなんてことは夢のまた夢、ってわけだ。
新しくないことでいいならブログを書くという選択肢もあるが、どうせ面倒くさくなってすぐに削除するのがオチだろう。Youtuberも同じだ、継続できるという未来が全く見えない。
だから俺は「足るを知る」じゃい!と諦めて、ネット上でアウトプットするようなこともせず、隠居生活を楽しむのが良いと思うわけ。
でもさ、人生それでいいの?って思っちゃってさ、なにか面白いことしてぇなーって刺激を求める自分もいるわけよ。
https://anond.hatelabo.jp/20250105165945
上の記事を読んで、ドワンゴの中の人として糸柳で思い出したこと、彼を雇ったドワンゴがどんな会社だったのかを書いてみようと思う。
糸柳を雇ったのは、ドワンゴのエンジニアのトップだったS君だ。ここでは鉄男(仮名)と呼ぶことにする。
糸柳を雇う少し前、僕は鉄男を叱責したことがある。「お前は自分の使いやすい人間しか採用してない。だからてめえは小物なんだ。自分にない能力をもった奴を採用しろ」みたいなことを言った。
鉄男は中卒だ。そう、ドワンゴのエンジニアのトップは中卒だった。いや、鉄男だけでなく、ドワンゴの幹部エンジニアの半分以上は中卒、あるいは高卒だった。
これは当たり前で、当時のドワンゴは天才エンジニアみたいなやつがゴロゴロいる職場だった。同じ天才エンジニアなら、高校も大学も行かずにずっとプログラミングをやっている中卒エンジニアが一番能力が高くなる。プログラムを書く速度が圧倒的に速い。実装力が桁違いだ。
だから、ドワンゴでは中卒高卒エンジニアが情報学部を出たような大卒エンジニアを見下す風潮があって、ぼくはそれを懸念していた。
天才中卒エンジニアは創業メンバーみたいな連中だけで、新卒で入ってきて補充されるようなことはない。インターネットはUNIXの文化で、ようするに大学などのアカデミックな世界からやってきた技術だ。
ドワンゴもコンピュータサイエンスを学んだ大卒エンジニア中心に変えていかないと将来的には戦えないと、ぼくは危機感をもっていた。
だが、ドワンゴでは実装力でエンジニアの格を判断する文化があって、そういう基準で新卒の採用も行われすぎているとぼくは思っていた。
自分にない能力をもったエンジニアを採用しろと鉄男を叱ったのは、個人技ではないチーム開発、スクラッチから全部自前でコードを書くんじゃなくて、世の中にあるライブラリを活用してソフトウェアを組み上げていくのに長けているような、つまりは今後主流になっていくだろうが、これまでの鉄男やドワンゴのスタンスとは違うエンジニアをイヤかもしれないけど積極的に採用しろ、という意味だ。
しかし、なにを勘違いしたのか、鉄男が連れてきたのが糸柳だった。
ぼくに叱責されて反省し、使いやすい社員じゃなく、圧倒的に使いづらいネットでも有名な頭のおかしい問題児を採用したのだという。
「凄いというわけではないですが・・・、まあ、ふつう、ぐらいですかね」
「ふつうで問題あったら普通以下ってことじゃん。なんで採用すんだよ」
ドワンゴはプログラミングの能力が高ければ、メンヘラだろうが、コミュ障だろうが、性格に問題があろうが、もちろん学歴があろうがなかろうが、採用するという方針だった。
これはベンチャー企業だと、そういう難ありの人間でないと優秀なエンジニアなんて採用できなかったからで、なにも難ありを好き好んでいるわけではない。
難ありはプラスじゃない。難ありでも優秀な社員であれば結果的に得をするから雇っているだけだ。
鉄男は自信ありげに答えた。
「ドワンゴの評判が上がります。いえ、世の中全部で上がるわけではないですが、ネットの中の一部で糸柳を雇うなんてドワンゴはなんて懐の深い会社だという評判になります」
「それってかなり偏ったネットの一部だよね。それって本当に得なのかな?」
ぼくは鉄男とその後もしばらく話したが、どうしても糸柳を雇いたいというので、その怪しげな理屈を一応は信じてみることにした。ただ、会社は慈善事業じゃないから、宣伝だけのために頭のおかしい社員を雇うわけにはいかない。ちゃんと普通のエンジニアとして仕事をさせることを条件として糸柳を雇うことを了承した。ちなみにぼくはドワンゴで糸柳を庇っている側の人間と思われていることが多いと思うが実際は違う。鉄男には早く糸柳はクビにしろとよく言っていた。ぼくが庇ったのは糸柳を庇おうとしているドワンゴ社員の気持ちであって、結果的に糸柳を庇うように見えてただけだ。
糸柳は本当に頭がおかしかったが、とにかく普通の社員として扱う、そう決めた。
例えば、当時、糸柳は毎日、twitterに世の中の全ての人間を自分は憎んでいて滅んでしまえとか、なんかおどろおどろしい呪いの言葉を連投して書き込むのが日課だった。
そういう書き込みを見かけたら「おはよー。今日も元気そうじゃん」とレスをつけることにした。返事はなかったが、やがて呪いのツイートは減っていった。糸柳と仲のいい社員から後から聞いたけど、彼はぼくのつけたレスを、さすがだと喜んでいたらしい。
糸柳の数々の奇行はどうせ構って欲しいだけの拗らせだと思っていたので無視して、興味も持たないことにした。なので、よくは知らない。ただ、文章が上手いのは本当だと思ったので、それだけ褒めた。彼は自分は昭和初期の私生活を晒す系の純文学者みたいな文章しか書けないんだと謙遜しながらも嬉しそうだった。
糸柳はドワンゴに入って自分の居場所と幸せを手に入れた。しかし、それはとても不安定なものだった。
糸柳にとって不幸だったのは当時のドワンゴのエンジニアの中では、彼の能力が足りてなかったことだと思う。少なくとも彼はドワンゴで技術力でマウントが取れないと判断したのだと思う。実際のところはともかく、彼が組織で仕事として安定したアウトプットを出すと言うことに向いてなかったのは間違いない。
だから、糸柳は自分がドワンゴに入れたのは、自分が狂っているからだという妄想にしがみつくことになり、一層の奇行に走った。
糸柳の周りの社員から聞いたところによると、ドワンゴ時代の糸柳は年に1回のペースで失踪し、警察から連絡があったという。定期的に暴れて、物を壊したり、他人に迷惑をかけた。会社の階段の壁を殴って穴を開けたのも彼だという。
また、糸柳を雇ったことで、ドワンゴに変な奴の応募が増えた。変だけど優秀な奴の応募もあったが、それ以上に、自分には能力ないですけどメンヘラです、とか謎のアピールをするような応募が増えた。糸柳の周りにはドワンゴの中でも変な社員が集まってきて、いろいろ変なことを始めた。
彼らは頼んでもいないのに糸柳の周辺の近況報告をぼくに教えたがった。
曰く、ネットでニートが集まって共同生活をするギークハウスという企画が話題になったことがあり、彼がいろいろ現代アートみたいなことをやりはじめて話題になり、テレビでも特集された。そこでニートとして紹介されたメンバーのうち半分は糸柳周辺のドワンゴ社員だった。ドワンゴ社員はニートじゃねーだろ。そして彼らが作った現代アートを村上隆が面白がって高額で買い取ってくれた。それらはガラクタの寄せ集めみたいな物なんだが、その中にある冷蔵庫の中身は糸柳が作ったものだ、等々。
糸柳は自分をドワンゴに救ってもらったという感謝の念から、自分も他の誰かを救いたがった。ある日、糸柳が地方から出てきて食べるものがないとネットカフェで呟いていた高校生を拾ってきた。
これは糸柳だけでなくドワンゴエンジニアの多くにいえる特徴だが、人生の進路に悩んでいる若者への助言はワンパターンだ。「なるほど、よくわかった。お前はプログラミングを覚えてエンジニアになれ」。プログラミングの腕だけあれば人生が変えるという神話を信じているのだ。
ネットカフェで拾ってきた高校生はドワンゴのバイトになり、優秀だったのでやがてエンジニアとして正社員になった。
しかし、糸柳は上野で浮浪者を拾ってきて自分の部屋に住まわせ始める。浮浪者がプログラミングを覚えてエンジニアになったという話は聞かなかった。
代わりに浮浪者の一人に女の子がいて、糸柳が恋をしたという話を聞いた。
糸柳に救われた元高校生のエンジニアが糸柳のためを思って、その恋を止めようとしたが、糸柳は逆上し殺害予告をした。糸柳は本当に刃物とかを振り回して実行しかねないので、元高校生をぼくの長野の別荘に匿った。
糸柳はぼくのところに怒鳴り込んできた。ぼくも糸柳と揉み合いになり怒鳴り返した。
半年後、もう大丈夫だから、そろそろ戻ってこいと長野に見に行くと元高校生は彼女を連れ込んで同棲していた。早く会社に戻れと追い出した。
そうこうしているうちに運命の東日本大震災が起こる。糸柳が悪ふざけで、サーバールームに閉じ込められたので助けてくれとかいう、デマツイートをして日本中のネットユーザーが彼のツイートを拡散するという事件が起こる。
冗談だったという事実が分かると、彼はあっという間にパブリックエネミーとなり猛烈な批判にさらされることになった。糸柳の脆い精神は極めて不安定になった。
ぼくは糸柳に金を渡して、すぐに被災地に支援物資を持ってボランティアに行けと言った。そして被災地に支援に行くことは絶対にネットで書くな。言い訳に使うなと厳命した。同時に、ぼくは絶対にネットでは会社の件で謝罪をしないというポリシーでTwitterを使っていたが、この件で、はじめて会社を代表して糸柳の代わりに謝罪をした。
こんなことで糸柳を辞めさせるわけにはいかないと思った。糸柳がやったのはただの悪ふざけだ。こんなので辞めさせるんだったら、糸柳はとっくに100回ぐらいはクビになっている。なんだかんだいって糸柳を雇ったのは善いことをしようとしたからで、そのためにこれまで散々な苦労をしてきたんだろう。糸柳を非難するネット世論からよく思われたいために糸柳をクビにするとしても、それはよく思われたいだけで善ではない。偽善だ。善とはそもそも人知れずにやるものだし、なんなら世界中から非難されても正しいと思うことを貫くことだ。今回の件では、糸柳はクビにしないと社内で宣言した。
しかし、もともと糸柳の存在を心良く思ってなかった人間は社内に多く、批判の声も大きかった。糸柳はドワンゴのエンジニアとして平均的なパフォーマンスを出していない。宣伝効果があるとか言っていたけど、デマツイートの件で、むしろマイナスの宣伝効果になった。糸柳はもう庇えないんじゃないか。理屈としては正しかった。
糸柳の代わりに自分がその分もっと働くからクビにしないでくれという社員が何人も現れた。そういうことを言って守ろうとする社員がいるのであれば、会社としてはやっぱり守るべきだという新しい理屈を、ぼくは社内に宣言した。
しかし糸柳の精神状態は不安定になっていて、仕事のパフォーマンスは出ないばかりか、周りに迷惑をかけ始めた。糸柳を守ろうとした社員が、糸柳の世話をするうちに次々とメンタルをやられ始めた。
もう糸柳を守る理屈はなかった。1人の社員を守るために2人以上の社員が犠牲になるなら、もう会社としては守れない。ぼくは最後の理屈を社内に宣言した。
糸柳が退職した時、鉄男は泣いていた。ぼくは「これに懲りちゃダメだ。もう、一回やろう」と鉄男に言った。「これで僕らが諦めたら、糸柳みたいな人間に関わるなという前例を世の中に残すことになる。そんなことになったら、僕らのこれまでの努力は無駄になるじゃん。絶対に懲りちゃダメだ。何度でもやろう」
鉄男は「正直、自信がない。でもやってみます」と言った。
しかし、その後、中卒の鉄男はドワンゴに増えた大卒エンジニアたちの突き上げにあって、エンジニアのトップを追われた。ドワンゴも大卒の優秀なエンジニアが中心の会社になった。その後、糸柳のような人間を雇ったという話は聞かない。
1年後だか2年後だか、風の噂で糸柳が真面目にエンジニアとして働いていてしかも優秀だという話を聞いた。なんだと思った。ドワンゴ以外ではやっていけないんじゃないかという、僕らの思い込みは傲慢な思い違いだったんだと思った。ドワンゴで奇人変人を無理に演じるより、そんなことでは許してもらえない実社会の荒波に揉まれた方が結局は良かったんだなと思った。
糸柳がよく言っていたのは、自分は糸柳家のエリートだ、という話だ。聞くところによると家族は全て精神病患者で自殺したり入院したりで、糸柳自身も障害者手帳を持っている精神病患者ではあるものの、ちゃんとまともに社会生活を送っているただ一人の人間なのだという。だから、自分は糸柳家に珍しく生まれたエリートなんだと自慢していた。
人間は誰しも与えられた環境で勝負している。遺伝子だったり家庭環境だったり、所属するコミュニティや経済的制約の中で生きていて、それによって人生の選択肢は決まってくる。
世の中の多くの失敗者と呼ばれる人たちは人生の最初からウルトラハードモードのゲームをプレイしているだけであって、彼らの失敗をイージーモードやノーマルモードのゲームプレイヤーが見下したり笑ったりする資格が本当にあるのだろうか。
ぼくにも子供が出来て思うのは、小さい子は全ての瞬間を一生懸命に生きているということだ。その健気な姿に感動するし、誇らしくなる。一生懸命に生きるということこそ、人間のもっとも美しい本来の姿ではないか。
人生をもっとも一生懸命に生きている人間とは、どういう人なのか?それは大谷翔平でもイーロンマスクでもないと思う。彼らは成功者であり、彼らの一生懸命は成功によって報われていて、本人の自覚としては、それほど苦労した努力をしているわけではないのではないかと思う。
生涯を一生懸命に生きている人とは、一生懸命に生きざるを得ないような人たちであり、それはいくら努力しても認められず、仲間はずれにされ、敗者の烙印を押されて、それでもなお生きようと足掻きながら死んでいくような人たち、なんなら自ら命を断つような人たちの中に存在しているに決まっていると、ぼくは思う。
冒頭のドワンゴ以降の糸柳の人生についての記事を読んだが、それでも糸柳は最後まで与えられた過酷な人生の中で一生懸命に戦って立派に死んでいったとぼくは思う。そして僕たちもドワンゴで短い間ではあるが糸柳に対して一生懸命に向き合った。それは良い思い出というにはいくばくかの悲しみを伴う思い出ではあるが、大切な思い出だ。
おしまい。合掌。
本当にそう。
アウトプットしなければ気が狂う。
ただ食べて寝て排泄すればいいと思うかもしれない。それが完全な生命の所業だと。
しかし、食べるためにもアウトプットが必要ということはあんまり世の中に知られていない。
アウトプットにも積極的入力という形のアウトプットがあるのだ。
入力なのにアウトプットとはなんぞや、と思うかもしれないが、入力するためのアウトプットが存在する。
例えば、「(捕)食スイッチ」のようなものを自分で押して「入力したいぞ」という意欲を外界に向けて自ら発信しなければ自分の肉体は動かない。これが自然に(意識しなくても)できる動物は健康だ。
しかしこういった積極的な入力を怠らなければならないほど疲労してしまうときもある。もちろん休憩が必要だから、不必要な機能として自動的に抑制されるのだが、これが慢性化すれば不健康だ。
だから言わなければならない。アウトプットは健康に生きていく上で必要だと。アウトプットには入力するためのアウトプットもあるのだと。
上記はあまりにも一般化しすぎた。自分で書いてみると、わけのわからん前書きってこういう風にできてるんだなと納得できる。学習するためにアウトプットが必要なのもこうやってわかるんだね。
アウトプットと捕食スイッチの関連性は置いといて、外向きに思考を吐き出さなければ気が狂うとはなんぞということについて書いておきたい。
こうやってインターネットに考えを向けて何が待っているのか?おそらく、失敗ではなく成功が多いからなのではなかろうか。外向きの思考を持つと、アウトプットすることによる「良いこと」が多いのかもしれない。水を得た魚から、水を取ったら可哀想という風に解釈もできる。ふむ。そうなのかもしれない。呼吸をするように自然なことなのだ。悔しい。このスキームは後付けだが納得しかない。他にないのだろうか。
他にあったら教えて。
小学生の頃:自分を見て欲しかった。うまく人と話せず、対等な関係を築けないで、自分の存在を人間関係の中で認めてほしいという思いがあった。ふざけて笑いを取ったり、奇行をしてみたりした。ある時期にはそれで人気者みたいになったが、その期待に応え続けるのも辛かった。人との仲良くなりかたがわからなくて、ほとんど放課後に友達と遊んだことがなかったが、それを恥じて隠したいと思っていた。
中学生の頃:他人になりたいという強い欲求があった。生きづらさやままならなさを感じていたけど、他人の心はのぞけないからそれが普通なのかどうかわからなかった。だから、一日だけ他人の体と心で過ごして、自分と他人の違いを明確にしたいと思っていた。他人の方が辛かったり、自分の悩みが一般的なものだったりしたら我慢して生きようと思っていた。相変わらず自分は変な人間だから、いつか引きこもり、友達も恋人もおらず、世界から隔絶されて自分で自分を軽蔑しながら生きることになるだろうと思っていた。
高校生の頃:自分が人とは違うということを受け入れた。他人と同じになるのではなく、うまく周囲を騙しながらまともな人生を送りたいと思うようになった。それと同時に、擬態が破れて普通の人生から転落するのが怖くなった。他人と自分の差を正しく測れるようになり、中学時代のような極端な悲観は無くなったが、それでも人生の多くの時間を孤独に過ごすだろうとは思っていた。
大学生の頃:それまで学校の勉強に困ったことがなかったから、大学に入って難しくなり、簡単についていけなくなって困った。周囲が苦痛を感じない勉強や作業に大きな苦痛を感じ、それでも一応真面目だから正面から向き合おうとして、大量の時間をかけて他人と同じくらいのアウトプットを出す。好きでもない勉強にこんなに苦しむのは、大切な時間を無駄にしているように思えた。精神的な余裕がなく、人間関係を大切にできなかったことを後悔している。趣味も遊びもまったくできなかった。たいていの人には他コミュニティや過去の人間関係があるが、自分にはそんなものがほとんどないことがコンプレックスだった。
仕事の内容が理解できない と仕事できないのでまずここで詰める
→仕事始めたら早い 超早い
ただし人口増加国の地元企業がその経済成長の恩恵を受けるわけではない。
人口増加国へ投資している世界中の企業にその恩恵のチャンスが有る。
最近はアメリカ企業がその経済成長の利益を掠め取っていってるよね。
また新興国のターンが来るとは思うけど、こういうのって20年とかかけて変化していく長期的なスパンの話。
なので、短期的な判断で売買する人には、最近の新興国のパフォーマンスでは継続して投資するのは難しいかもね・
AIについてはそうだよね。
国レベルでは、高度な研究者が流出しない程度の待遇と環境が用意できる国である必要があるし。
個人レベルでは、AIに高度なインプットが出来る頭脳や、AIのアウトプットを正確に判断できる高度な頭脳が必要になってきた。
最近AIの文句を言ってる人の話を聞くと、AIに適切なインプットが出来ていない上に、AIのアウトプットまともに判断できず、利用方法の改善もできてない事が多い。
診断ありオープンでやっている。専門雑誌にも特集組まれるようなでかめの案件だった。現場で誰もできないプログラミング言語を覚えろと突然言われ、1ヶ月後には実証実験で使うツールを作っていた。期待せずに入れたけどこいつ思ったより役に立つぞ!と思ったのか、まあたくさんタスクが降ってくる。超短納期で2日とか3日とか。自分がいなかったらめっちゃ作業遅延してたと思う。前任者よりアウトプットがいいと言われ、上司はインタビューも受けていたらしい。
仕事と並行して実家のトラブル解決もしていた。父が離婚前提別居済みの母のストーカーをしていて、警察やら裁判所やら巻き込んで大騒ぎ。年明けには文書警告が出る。一通でもメール送ったら父は逮捕される。DV保護命令申立書?を出すのに陳述書を夜中までかけて書いた。
父について流石に疲れて上手く仕事が回らなくなってきて、上司に日中も涙が出る、仕事ができないと話したら「俺はそう思わない」「俺はやり方を変える気はない」「入社時の技術への情熱が無くなってしまって残念」「俺は○○さんに配慮しようと思ってない」等まあ散々言われて、もうこいつとは二度と仕事しないと誓った。配慮は実際あまりしなくていいとは言っていたが、障害に関わらず介護だとか育児とかまあ色々誰にでもあると思う。実家の件は想定外のことで、仕事できなくなったのは申し訳ないが、そこまで言うことないだろと思った…。
自分は障害者だが、障害関係なく他の人にももちろん配慮するし、困っていることがあったらお互い関係なく助け合うものだと思っている。自分のやってることできるやつ他に現場にいなかったのに、なんだったんだろう、あれ……。