はてなキーワード: 日流とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230113180013
ゲーム好きなら社名を出せば「あぁ」と分かるくらいには有名な某ゲーム関係の会社をパワハラで退職しました。
在籍しててきつかったことをツラツラ書いてるだけなんで面白いかどうか分かりません。ただ、心のもやもやをぶちまけないと区切りがつかないので書きます。
平均的増田が在籍している富士通やNTTのような超大手ではないですが、あわよくばこれがバズっていろんな人に読んでもらえることを祈る。それで私を退職に追い込んだ品質部のハゲの目にも止まって少しでも嫌な気持ちになってもらえたらとても嬉しい。私に優しくしてくれた大多数の一般的良識を持った社員の方々、巻き込んでごめんなさい。
ちなみに転職会議でもボロクソに書かれてます。退職された先輩方、お疲れさまでした。
タイトルの通りです。ピリピリを通り越して死んでる。
ボスが癇癪持ちで自分が言ったやり方で出来ないとバチ切れるし成果を出せなくてもブチ切れる。ちょっと間違えてもキレる(当然か…?🤔)
以前、定時後に入社2年目をみんなの前で1時間以上説教した時は流石に居た堪れなさ過ぎてトイレに逃げたちゃった。勘弁してくださいよ社員のやる気削ぐだけですよ…。
私自身とある業務をマニュアル使ってやってたら、そのマニュアルが間違っててポカしちゃったんだけどそれが原因で机ぶっ叩かれるほどブチ切れられて泣いちゃった。ワァ・・・ア・・・・。
マニュアルが間違ってたんだからしょうがないでしょ…な態度が出てたらしく声張り上げられた。マニュアル作った人にも注意してくれよ何を信じればいいんだよマニュアル疑ったらなんも出来ないでしょ…
「あ、パワハラだ証拠取る為に録音しなきゃ…」と一瞬考えたけど行動に移せなかった自分が情けない。
「とりあえず謝っとけ」が出来なかったので大激怒させちゃいましたもちろんみんなの前で。それ以来そのボスと普通に話せなくなっちゃった。焦点が合わなくなって何も考えられない。会議の時地蔵になっちゃいましたよ怖すぎて。言うことすべてが「間違ってたらどうしよう」になってうまく言葉が出てこない。なにを言えば正解なんですか?
ちなみにそのボスは「仕事してる時は多少ピリっとしてた方がいい」と仰っていました。どこが多少なんだ。
専門知識がないしやる気もないので基本的に私にぶん投げてました。
それでいて文句しか言わない。文句言って具体的な指針は出してくれない。社員のやる気しか削がない。
2週間ほど「お前がダメな理由をこれから一つずつ挙げていく」と言わんばかりに私が提出した資料に関してくどくどネチネチ1時間以上じっくり挙げて頂いた結果めでたく鬱手前になって退職しました。ハゲは1言えばいいことを10に伸ばしてねちっこく説教してくるから嫌いだ。
この品質部のクソハゲは社内でも有名なねちっこさで、先輩に私がこのクソハゲの下でプロジェクト動かすことを伝えたら「あーあのねちっこい…」と同情されました。実際そのねちっこさが原因で退職しました。
このねちっこさで退職に追い込まれた人は割といるらしく、今の役職持ちの方も本気で辞めようとしたとか。その時は会社のトップに相談してクソハゲをプロジェクトから外してもらったらしい。
私は追い込まれ過ぎてたのと、直属の上司がこのプロジェクトに関わっちゃ駄目ってトップに言われたのでその選択値がありませんでした。せめて言うだけ言っておけばよかったと少し後悔してる。
「もうお手上げです。どうしたら出来るようになるの?」
「自己防衛で胸抑えてるんだったら止めた方がいいよ」
「君とやっていく自信がない」
「鬱になったら終わりだよ?」
全部品質部のハゲに言われたことです。世間一般で言うパワハラでいいの?これ。よく分かんないや。モラハラ?テメーのやる気のなさとイラつきをこっちにぶつけてくんじゃねぇよハゲ死ね。
こんなハゲが人の親だってことが信じられません。どういう人生歩んだら他人の子供に上記のような暴言吐けるんですかね。
苦しんで死んでほしい。
ちなみにこのハゲに遠回しで「俺はお前より1時間早く出社してお前より遅く退社してるが?」と言われた。だからなんだよ死ねハゲ。お前転職会議でも「かわいそうな髪の毛してる。陰湿でマイナス思考な質問をしてくる」って書かれてるぞ。やっぱ昔からじゃねーかハゲ。陰気陰鬱陰湿陰性。
役員会議で「お前の言ってる事がどう間違ってるか一つ一つ解説したいからお前が今言ったことをホワイトボードに書いて一から説明してくれ」と言わんばかりに社長自ら晒し上げた時は流石にドン引きしました。
なんというか「お前がどう間違ってるか一から説明するわ」を1:1でなく社員の前で平然とやるのが怖すぎる。文化が違い過ぎる。
今ってこういうのパワーハラスメントになるんじゃないんですか?私他所の会社の事よく分かんないんですが、昔の会社あるあるなんですか?
まぁ…いつもこうじゃないんですけどね……平時は普通なんですよ。普通なんですけどね……なんかDV受けてる彼女の気分だ。「時々こうなるだけで普段は優しい」。
以前先輩に「あの役職持ちのパワハラヤバくないですか?年上の人に『こんなことも出来ないんですね』って…ちょっと酷いと思います」と言ったら「それは期待の裏返しです。頑張ってほしいからああ言ってるんです…」とちょっと苦しい顔で返されました。そこは擁護しなくてもいいんじゃないかなぁ…。
上のような思考の人って「なんでこんな簡単なことも出来ないの?やればいいだけじゃん」な気持ちで仕事してるから怖いです。
全員アンタみたいに動くことが出来たらこんなに苦労しないですよ。出来ないから悩むのであって…って、これ言うと「出来ないじゃなくてやらないだけ」になるんですよ。サイコかお前は。
基本的に叩き上げしかいないから「俺はこれでここまで来れたからお前らもこれやればここまで来れる。別のやり方するなら倍努力しないと評価しないからな」な思考しかいない怖い。
ポジティブに捉えれば「自主的に動ける人」「協調性がある人」「向上心のある人」「推進力のある人」「行動力のある人」と、どの会社からも求められる人材です。
でもネガティブに言えば「押し付け」になるし「他人のことを考えられない」。「俺はこれで成功した」でしか教育が出来ないしそれも時代にそぐわないからガンガン辞めていく。
とある新卒が先輩社員に「なんでこれやってないの?」「こうすれば出来るよね?」「なんでやらなかったの?「明日まで/今すぐにやって」と毎日進捗確認という名のガン詰めされた結果半月ほど休職した時は頭抱えました。実際これが原因か聞いてないので分かりませんが、これぐらいしか思い浮かばない。
会社的には「後輩を指導している先輩」なんだろうけど、はたから見たら「新卒をガン詰めしてる先輩」なんですよ……助けてあげられなかった…あれで辞められてたらどうなってたんだろう。
昭和からある古い会社なのでこの令和の時代にも昭和の感覚で会社が動いています。
個人的に入社してドン引きしたのが「新卒向けの軍隊式研修がある」。
毎年3月に社外講師を招いて軍隊式の研修を行います。4月入社の、まだ入社してない新卒向けに。
何度か拝見する機会があったのですが、よく分からん精神論10条ほどを丸暗記させて一人ずつ大声で暗唱させてました。
もちろん一度でも間違えたらやり直しで、全員が終わるまで終わりません。
行う順番も自主的に手を挙げて前に出ないとダメです。少しでも遠慮すると講師から怒られます。
こんなクソ下らねぇ、うちはブラックなので未だに根性論重視で会社回してます^^と言ってるようなゴミカス研修
誰が自主的に受けたがんだよボケが。3月だから逃げられんし新卒可哀そう。
2010年後半まで山奥に連れてかれて一週間ぐらい軍隊式研修を受けていたらしいです。
こんなんやって帰属意識でも芽生えるとでも思ってんのかね。今日日流行らんですよ。
これやって「うおおおおおお!!うちの会社最高!!!!!!!!!!」ってなる奴います?何のためにやってんですかねほんと。
以前誰かが「なんで土曜出るの?」と上司に聞いたら「他の会社に差をつけるためです」と大真面目に返されたそうです。
ば~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っかじゃねぇの????????????????
差がついてるのが古参連中とそれ以下の意識の差だろが。なんで普通に休ませられないんだ?最近は出勤日を有給強制消化させられるしアホらしいわ。
これのせいで何度か行きたかったライブ見送りました会社死ね。TRFの30thライブ行きたかったよ。
うちの会社は割と始業時間が早いんですが、始業時間10分前に全社員が集まる「朝礼」なる儀式があります。
各部署や各社員持ち回りで事業内容や「私は今こんなことやってます!課題はこうです!」みたいなのを発表するんですが…それがまーキツイ。
運が悪ければ我が社のトップが長時間全社員の前で盛大に説教してきます。晒上げ吊し上げ状態です。
私も一度やられましたが完全に心折られました。他部署の部長からも「これ覚えるの1,2週間で出来ますよwなんでそんな時間取ってるんですか?」と煽られて泣きそうになりました。それ今言うか???
あと朝礼のせいで何だかんだ始業30分前に出社しないといけないのが嫌でした。
私が辞める前年、若手が4,5人辞めました。怖いねぇ。
20代後半~40代前半がいません。ほとんどいません。20代後半はマジにいなかったです。5年目前後が本当にいなかった
聞いた話では一時期大量離職されたみたいで若手とベテランしかおらず、技術の継承や教育がろくすぽ出来ていない状況。
なんで離職されたかはこの増田を読んで察してください。昔はもっと酷かったらしい。
そもそも社員を使い捨てにしか考えてないからどんどん辞められるんですよ。中堅がいなくて若手も結構な頻度で辞めていく会社に未来なんてあるんですかね。
役職持ちが鬱休職した方が出たため「鬱で休職しました」「ああいうところに行けば八割(鬱判定)貰える」「私は鬱になりませんから相談してください」と堂々と部内朝礼で報告した時は泡吹いて倒れちゃった。
個人的に休職自体結構センシティブであまり詳細に言ってほしくない事だと思うんですが、あろうことか鬱で休んでいる事、鬱休職は誰でも取れることを普通に報告しますかね……。
なんか言葉の節々に「鬱は甘え」と言いたげというか鬱で休むのは悪い事だと言いたげというか……人の心が分からない人に相談出来ないでしょ、無理ですよ相談できないです。気合で直せとか言われそうですもん。
実際に体調不良で休むと詰められる文化があったそうです。今でも月曜は休めませんし、休まないことが文化としてあります。分からんでもないけどそれを自信満々に文化として捉えてるのがちょっと面白い。自慢できるもんじゃないでしょ。
パワハラクソ上司に心をバッキバキにされて鬱退職する人結構いました。私もその一人。
正直「怒られない為に」仕事をしていた気がする。もう何が楽しくて仕事してたのか分からない。怒られたくないからビクビクしながら業務をこなしてた。下手なことするとガン詰めされて死ぬ。
「チャレンジ精神を持て」とはよく言われてましたが、環境が死んでるから委縮してなんも出来なかったです。そんなの関係ねぇやるぜやるぜ俺はやるぜな人なら上の方まで登り詰められます。それ以外は悪いこと言わないんで辞めましょう。
一族経営なので経営陣にたてつくと死にます。絶対に口答えはしないでください。「でもでもだって」なんて言い訳したらパワハラクソ上司に半日詰められます。とにかく謝ってください。
ちなみにトップはちょいちょい部署で決まったことをちゃぶ台返ししてきます。勘弁してくれさい。
当然っちゃ当然だし私もそう思います。ただ、この会社では放置プレイを意味します。放置したくて放置してるわけじゃなく一人ひとりの仕事量が多過ぎて他の人にまで手が回ってません。
若い子が先輩に仕事ぶん投げられすぎてキャパ崩壊した挙句飛びました。かわいそう。ぶん投げまくった先輩は反省してませんでした。お前人の人生潰してるんだぞもう少し反省した顔しろ。
「教えてくれるのを待つのではなく自分から学びに行く姿勢が重要」と言ってしまえば簡単です。物は言いよう。
・パワハラが横行してる
・社内の空気が死んでる(一部)
仕事自体は箇条書きマジックでやりがいあるし名も通ってるし一目置かれる有名会社なんですけど、内情はかなり死んでる。老舗で名前が結構売れてる会社でこれなのか…って結構ショックでした。
もちろん一部社員がゴミカスなだけでいい人も多くいました。私が辞めるとき悲しんでくれたり餞別くれたりパワハラで辞める事伝えたら「相談してくれたらよかったのに…」と心配してくれる方もいました。
最後の最後でゴミカスハゲ上司にボロボロにされたけど、本当にこの人の下で仕事できてよかったと言える上司にも出会えました。私の入社を推してくれた上司に挨拶に行くと本当に悲しそうな顔をされていたのが少し心残り。
上でちょっと悪く書いたトップも言ってることは分かるし結構話が面白い。叱責するにしても間違ったことは言ってない。言い方がキツイだけで。流石トップと思う。
ただもう限界でした。本気で上層部の意識と会社の空気を変えて欲しい。部長が率先してパワハラしちゃダメでしょ…いやハラスメントは誰がやってもダメですけど…。
外部講師呼んで一年ぐらいセミナー受けてくださいよ…もうこれ以上若いのがボロボロになって辞めていくのは見たくない。
正直品質武のハゲのパワハラが原因で辞めてなかったら退職エントリ書いてないしそもそも辞めてないですからね。
あのクソハゲが二週間で私を鬱寸前まで追い込んで頂いたおかげで逃げ出せましたし、こうして元気に退職エントリ書いてます。ありがとう品質部のハゲ。もう会うこともないので盛大にハゲハゲ言います。あいつは本当に苦しんでお亡くなりになって欲しい。お前のせいで辞めた人何人もいるんだろうな。いるって聞いたぞ。10年前からやること変わってないのな。
あと退職希望日伝えたら「トップが『キリがいいので今月までの方がいいんじゃない?』と仰っていたのでそうしてほしい(面倒事起こしたくないよね?)」と却下されました。そんな会社。
コロナ禍がはじまったあたりに名をあげて、今現在も知名度があるとある医師のTwitterアカウントのフォローをやめた。2回目接種あたりまでは、接種会場の選定や、ワクチンのメリットデメリット、コロナ対策など有益な情報が多くて、とても役に立っていたから、その点については感謝している(お陰で家族全員早めの2回目接種を終えられたし、今のところコロナ感染もない)。
が、オミクロン株が発見されたあたりから、現政権の批判、陰謀論やデマアカウントとの論戦、情報批判など、確かに公衆衛生を考えると正しいことをやってはいるのだけど、見ていて辛い状況になっていった。とどめはここ最近の塩野義の問題に関連して、問題点を連日流し始めたことだと思う。
正しい、とても正しいんだと思う。デマや非科学的な対応は批判されるべきだし、現政権の不策さも頭にくる。塩野義の件だって裏で何が動いているのやら…とイライラが募る日々を送っていて、ここ最近精神的に不安定になっていた。
この鬱屈とした日々から早く抜け出したい、早くコロナ終息してくれ、みんな正しい情報を仕入れてくれ、塩野義の件だってあかんでしょう…と思っていたときにふと気がついた。
この不安定さの原因は、その正しさを求める批判を見ることで発生していると。というかだ、その情報を知って、今すぐ自分に何か影響はあるのだろうかとか、塩野義とかの件だって本当に裏で何か蠢いているのだろうかとか、気がついたら自分の不安定さの原因は全て正しさを求める論戦を見たことがきっかけであった。
勿論、何が正しいのかを情報収集して判断するのは大事だが…常に晒されていた結果、一種の洗脳状態の様に、世の中を不安視していた気がする。
そして、自分はそのTwitterアカウントのフォローをやめた途端、タイムライン上に平和が訪れた。目についていた対陰謀論、対デマの論戦は消え、不安視する声もなくなった。自分の精神衛生を悪化させていた原因がはっきりとわかった。ついていけなくなったんだなと気がついた。
正しくあることには憧れるし、特に医療情報では間違いを犯したくないけれども、正しさの摂取のしすぎは時として自身の毒となることを学んだ機会でした。とはいえ、お世話になりました、猫様。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fefa242f48c3786bfbd232cec49484e6424dbe41
紅組がAwesome City Club、上白石萌音、BiSH、millennium parade×Belle(中村佳穂)の4組、白組がKAT-TUN、Snow Man、DISH//、平井大、布袋寅泰、まふまふの6組
だれ? だれ? のオンパレード。
俺も今年の紅白のラインナップ見ても一ミリもピンとこなかったけど、
俺みたいなアンチTVのクソオタクが「知らんww」ってイキってるのと違って、
一応プロのコラムニストが『上白石萌音』と『布袋寅泰』『KAT-TUN』知らずにドヤってるの最高にクソダサい。
そのレベルは流石に俺でも知ってるわ。
電波もネットも届かない山奥の原住民の村ででも過ごしてんのか。
ヤッホーニュースで芸能人の話題が出るたびに「知らんwwww」って言って許されるのって「私アンテナ低くやってますけどなにか?」っていうイタい素人さんだからであって、コラムニスト、しかも芸能関係のコラムを書いてる人間が「アンテナ低い私カッケー」はあまりに浅はか。
まぁ、NHK批判のために実際には「まぁ、名前くらいは知ってる」レベルのを誇張して書いてるんだろうけど、だとしてもアンテナ低い自慢なんか今日日流行らんやろと思ってしうわ。
俺の隣の席に、突如女の子が来ることになった。
仕事もクビにならない最低限度程度を低空飛行し続けてる、自他ともに認めるポンコツ。
だから長いこと俺の隣は空席だった。
そこに突如、女の子が座ることになった。
いざ本人が来たとき、咄嗟に「えっ?!」と思わず声を上げそうになった。
とにかくすんげぇ美人。
新垣結衣と石原さとみを6:4でブレンドした後に橋本環奈を隠し味に仕込んだような、今までに芸能人でも見たことのないような美人だった。
にわかに緊張が走った。
俺は聞いたことがある。
キモヲタが美人を目の前にして色々おかしくなっちゃった多々の実例を。
だからとにかく、"あたらず・からまず・かかわらず"を決め込む決意をした。
まず衣服。
正直、スーツを最後にクリーニングに出したのはいつなのか思い出せないほど着倒していた。
「(このキモヲタオジサン、マヂ臭ぇ…)」と思わせては一大事。
速攻で青山に走って新調した。
次に息。
過去に人から指摘されたことがあるんだけど、俺の息はなんか「んはぁ~ んはぁ~」って音出してるらしい。
「(このキモヲタオジサン、マヂ息きめぇ…)」と思わせては一大事。
一時は意識しすぎて息が何度か止まったが、何とか無音を保つように改善した。
次に物音。
過去に人から指摘されたことがあるんだけど、俺は動くだびに「ガターン」とか「タァァァーーーンッッッ」とか、そういう類の騒音を撒き散らしてるらしい。
一時は意識しすぎてトイレにも立てなくなりかけたが、何とか人並み程度のdBに抑え込んだ。
あとはあいさつ。
「あいさつくらいは元気よくしないとね!」と言われがちだが、キモヲタにはこれは適用されないことは俺はわかっている。
それさえもウザがられることはヒューリスティックから裏付けられている。
「…ぉ~~ぅっ~…(訳:おはようございます)」と、"何も言っていないわけではないが何かを言っているとは明確にできない"絶妙な声掛けを心掛けた。
それに対して美人さんは「おは…す…」と、これまた絶妙な返しをしてくれた。
そんな感じで「無視してるわけではない、でも意識してる素振りはない」言動を半年ほど続けたある日、フロア全体の大規模な席替えが一ヶ月後に行われることになって、件の美人さんは遥か遠くの席に移動することになった。
正直、「(ふぅ~ やれやれだぜ)」という心境だった。
なかなか気苦労が絶えない感じだったので、これでまた心穏やかな孤立生活が再開できるかと思ったら気が晴れる思いだった(新しい俺の席の隣はまた空席)。
すっ、と、俺の目の前に飴玉が3個、差し出された。
飴玉3個、俺にくれるらしい。
そしてその美人さんは実にか細い声で、こんなことを言ってきた。
「この席、気楽でよかったです。ありがとうございました。」
俺は「そう?それは良かっデュフフフフ」と言ったか言わずかのうちに飴玉を丁寧に、美人さんの手のひらに一切触れることなく細心の注意を払いながら受け取って
その場をおさめた。
席替えが終わった次の日に、年中小うるさく図々しいオバチャン社員がドタバタとやってきた。
そんで聞いてもないのにあれこれ話してきた。
何でも、あの美人さんの異動は急なことだったらしい。
前の部署でストーカーまがいの付きまといにあって、急きょ部署異動となったそうだ。
相手は"自己都合退職"したらしいけど、美人さんの心中はやはり穏やかになりきれず、異動の処置がされたらしい。
急な話だったものだから空いてる席が俺の隣にしかなく、"仕方なく"俺の隣に座らせたらしい。
でも、もし俺が美人に浮かれてあれこれと絡もうものなら、即、席替えをするつもりだったそうだ。
ところが意外(?こちとら心外Yeah!!)にも俺が当たらず触らずの対応だったから、そのままにしていたらしい。
「アンタだったら真っ先にいろいろ余計なコト言ったりやったりしそうって思ってたのにさ!紳士だったねー!エラい!」と、お褒めの言葉をオバチャン社員から頂いた。
俺は改めて思った。
それは元気な挨拶でも他人を気に掛けることでも爽やかに振舞うことでもなく、"何もしないこと"であることを。
無味無臭の空気になって、存在をアピールしないことこそ、唯一のできることであるのだ。
そんなこんなの出来事だったけど、ただ一つ、良いことはあった。
上記したとおり、他人(特に男)に対して人一倍警戒せざるを得ない状況の美人さんが、たまにたまたますれ違った俺にだけ、ごくごく軽く会釈してくれるのだ。
はは、
とにかく俺は、これで十分満足だ。
同じ内容を後日流したらそれなりに反応あったりするところもそれっぽい
はてな匿名ダイアリーというものの存在自体は割と昔から知っていたが、
時たま読むことはあれど書き手としては縁がないものだと思っていた。
ふと急に、今日一日考え事をしていてどうしてもどこかに書いておきたくなった。誰かに話したいのかも知れない。
文章を書くことは苦手で、ここ特有のルール(そんなものがあるのかすら知らないけど)もわからないので、
色々と不備があるかも知れないけれど、おぼろげな記憶をたどりながら思いのままに書いてみようと思う。
30年前、私は子供だった。
近所に1つ下の幼馴染が住んでいて、その家には正月や盆など毎年数回ずつ兵庫から九州へ親戚が里帰りに来ていた。
母親とその子どもたち3人。長男(以下、A太)と妹2人(B子、C美)という構成だ。
A太は私よりいくつか年上で、B子は1つ下、C美はさらに2つ下だったと思う。
歳が近いこともあり、こちらへ帰省してくる度によく一緒に遊んでいて、幼馴染も含めて全員とても仲がよかった。
こちらにいる間、その3人は知り合いが私たちしかいないのもあってとにかく同じ時間をともに過ごした。
鬼ごっこをしたり、缶蹴りやドロケイをしたり、おしゃべりをしたり、
とにかく何をしても楽しくて今思い返してみても幸せな時間だった。
数年間、そうやって過ごしていくうちにB子を好きになっていった。
もしかしたら年に数回しか会えない環境がそうさせたのかも知れない。
愛だ恋だなんてわかる歳ではなかったが、今振り返ればあれが私の初恋だった。
26年前の正月、いつものように帰省してきた3人と遊んでいるうちに、原因は思い出せないがA太と喧嘩になった。
喧嘩と言っても「お前の母ちゃんでべそ」的な稚拙な言い合いだったが、
A太の味方をしはじめたB子とC美にも矛先を向けた。
初めは稚拙な言い合いだった喧嘩が段々とエスカレートし言葉も荒くなっていった。
何を言ったのかほとんど覚えていないが、別れ際に吐き捨てるように
「○ねばいい」「お前ら○んだらみんな地獄行き」と言ったのだけははっきりと覚えている。
1995年1月17日、その日は私の親類の葬儀で前の日から福岡にいた。
こちらだけの風習なのか知らないけれど、私の親を含む大人たちは交替でロウソクの番をしていたり朝食の準備をしていたらしい。
私はぐっすりと眠っていたが、その大人たちの声で目が覚めた。
ぼんやりとしか覚えていないが「揺れた」というワードが聞こえたことは覚えている。そのまままたすぐ眠りに落ちたけれど。
朝になってテレビを見て映し出される光景に愕然とした。B子たちが住む街だった。
あの当時、今となっては考えられないことだけど死亡者の名前の羅列がテレビで流されていた。
それももしかしたら記憶違いかも知れない。(あるいは新聞?誰かによって何らかの方法でもたらされた情報?わからない)
だけどその羅列の中にB子たち3人とその母親の名前を見つけて震えた記憶がある。どうやら祖母の名もあったらしいが私は知らない。
要するに世帯全員だめだったということだ。
当時死というものへの認識は既に持っていたが、その時は混乱していたのかうまく理解ができなかった。
何もわからずただただとんでもないことが起きたことだけは、自分の体が震えたことで理解できた。
痛かっただろうな、怖かっただろうな、苦しかっただろうな。まず浮かんできたのはそういうものだった。
「大切な人をなくした」とか「愛するあの子をうしなった」とかそういう感情ではなかったが、
ただもう会えないことと最後に言ったあの言葉だけが月日を追うごとに重くなっていった。
最後に会ったとき、最後に言った言葉、やり直せない時間に悔いても悔やみきれない。
子供ながらに言ったこととは言え、なんてひどいことを言ったのだろうと。
あんなに仲良く遊んでいたのに、どうしてよりによってあれが最後なのだと怒りすら沸いた。
あの震災で起きた出来事で、トラウマというほどでもないが、人との別れ際がすごく怖くなった。
大切な人ならなおさら、そうでない人相手にも「さよなら」という言葉がどうしても言えない。
どれだけ喧嘩しても必ず別れ際には仲直りをしたい。仲直りができないままには電話も切ることができない。
「さよなら」という言葉の代わりに必ず「またね」というようになった。
私が高校生ぐらいになった頃から毎年1月17日に、よく一緒に遊んだあの公園へに花をそえに行っている。
本当はお墓に行くべきなのだけれど、さすがに兵庫まで行くわけにもいかないのと、行ったところであてもないので場所がわからない。
その場所に老人向けのグループホームが立ってからも、施設の人に事情を説明してお参りを続けていた。
月日流れて数年前の1月、私が生まれる前から散り散りになっていたという私の父のいとこが興信所やら何やらの調査を経て愛知から訪ねてきた。
数十年ぶりの再会とのことだ。長い長い思い出話の後にお墓参りがしたいということで、近くのお寺の納骨堂へ一緒に行くことになった。
納骨堂へ着いて一通りお参りしたあと、何気なしに周りの仏壇に目をやって驚いた。
目の前の仏壇にB子たちの名前と戒名が書かれた札が下がっていたのだ。
(法事が近くなった頃に「もうすぐ法事ですよ」ということでお札を貼られるお寺だった)
その納骨堂へは毎年お盆にしか来ていなかったからそれまでの約20年間気づけなかった。(ご先祖さまごめんなさい)
色んなことが重なり合わさって知ることができた事実だった。
まさか私の先祖と同じフロアに眠っているとは考えつきもしなかった。
こんなに近くにいたとは。毎年目の前を素通りしていたなんて。
それからは毎年1月にその納骨堂へお参りに行っている。(もちろんご先祖さまにも手を合わせている)
今日も花を添えてきた。お参りが済んだ別れ際に言うのはもちろん「またね」
まさかこうやって会うことができるようになるなんて、と今でも不思議に思うし、直接祈りを捧げられることに
誰へかはわからないが、何へかはわからないが、色んなことにとても感謝している。
人との別れ際、トラウマとしてじゃなく、これからもやっぱり大事にしていきたいと思う。
おわり。
酷い人生だったと思う。
母は毎日酒乱の父と祖父に殴られ怒鳴られていた。祖母は大事な長男を奪った母が憎かった。
母のあとは子供が殴られた。父に蹴られた妹がサッカーボールみたいに弾んでいた。
その母も私が小学生になった頃ガンで亡くなり、私達は父と祖父と祖母に殴られ家具を壊されランドセルを捨てられ拾った仔猫を川に流され、お前たちも母親のように悪い女になって早死にする、汚い、臭い、母親そっくり、1日中怒鳴られた。
それでも時々、父親は私達姉弟を連れて遊園地や外食に出かけたりして可愛がったので、少し乱暴だけど愛情深い良いお父さんなんだと私達は信じていた。
間違っていたが、それ間違ってるよと教えてくれる人はいなかった。
小学生のころ面白がって車や重機の運転もさせられた。父親は怖くて叫ぶ私を見て喜んでいた。大人になっても夢に見る。今でも運転免許は持っていない。
家で出たゴミは車で遠くに持って行って窓からポイ捨てさせられた。公共の場所でゴミをゴミ箱に捨てると「いい子ぶるな」と叩かれるような家庭だった。
高校生のころ祖父が死に祖母が認知症になり、私が家で介護した。父は「女が学校行ってもしょうがないだろう」と言った。
数年で祖母も亡くなったが父親が働かなくなった。借金とパチンコがやめられず、私と弟がかけ持ちで働いた給料で家族を養ったが借金はかさんだ。
父は「俺がこんな風になったのはお前達のせいだ」と毎日暴れた。私達は父親が壊したタンスや割れた食器を片付けながら自分を責めた。
やがて借金に限界がきて家を手放すしか無くなり、廃人のようになっていた私は父方の叔父に引き取られた。弟と妹はいつの間にか行方不明になっていた。妹とは数年後に連絡が取れたが、弟は今もどこにいるのか分からない。
叔父は殴らなかったがギャンブル依存症で、私を低学歴の肉体労働者と呼びお金を要求した。私は断らなかった。
断るという選択肢がある、断る選択をしてもいいのだということすら知らなかった。
それに我慢していれば周囲の大人に「我慢強くて偉いね」と褒めてもらえた。褒めてもらえるのは嬉しかったのでずっと我慢した。我慢していればうまく行くはずだと思っていた。うまく行かないのは私の我慢が足りないからだと自責した。
ほとんど休みもなく働き、得たお金をほとんど父親と叔父に渡した。監禁されていた訳では無いからいつでも逃げられるのに、逃げられなかった。逃げるという選択肢も思いつかなかった。
叔父の家ではキッチンや風呂トイレなどを使うことは許されず食事も自分で調達して部屋でこっそり食べていたので、寝る場所があるという事以外はほとんどホームレスの人と同じような生活だった。
そんな生活を6年も続けた。
2013年の冬、叔父は睡眠薬を飲んで深夜の線路に横たわり、電車に潰されて死んだ。
私のスマホには直前に「もうすぐ返すよ。ごめん」というメッセージが残されていた。
叔父の死後、無一文の私は別の親類に頼み込み半年ほど部屋に転がりこませてもらい、どうにか貯金して部屋を借り一人暮らしを始めた。
この親類の強い勧めで何度か心療内科にも行ったが、自分に治療を受ける価値があるとも思えず続かなかった。
我ながらろくでもない環境で生きてきたと思うが子供の頃から救いになっているものがあった。
二次元。
家ではアニメを見れたし学校に行けば漫画も読めた。学校にはオタク趣味の教師もいて色々な漫画を読ませてくれた。同人誌を出している人もいて、イラスト原稿を描かせてもらったりもした。
スマホを持ってからはボカロにのめり込み、ピアプロに登録して初めてネットに拙い絵を載せた。コメントをもらえた時は認められたような気になって嬉しかった。
叔父の家に引き取られてしばらく経ったころ、Twitterを始めた。
自分の境遇を話す勇気は無かったので普通に仕事をして普通に生活しながらオタク活動する普通の女子に見えるように無理しながらも、同じ趣味の人と語り合うのは楽しかった。
叔父が死んで翌2014年の冬、一人暮らしの部屋で相変わらずTwitterでオタク話をしながら私はもう死ぬしかないと感じていた。
ようやく自分で働いたお金を自分のために好きに使える環境になったのに、すぐに眠れなくなり食事の味も感じず好きな漫画も辛くて読めず、絵も描けなくなった。
父親とは離れて暮らしていたが、叔父が死んでも相変わらずお金をせびられていた。一生続くんだと思った。一生逃げられない。
Twitterの楽しそうなタイムラインに楽しげにリプライしながら死にたい死にたい死にたいと声に出していた。
というツイートを見たのはそのころだった。
2015年1月、サービス開始と同時にタイムラインは刀剣乱舞の話題で埋まり、ものすごいスピードで流れていった。
あまりの勢いに「私もやってみようかな」と呟いたら、オススメ刀をプレゼンしてくれたフォロワーさんがいた。
どうせ死ぬし、最後に流行ジャンルの空気味わってみるのもいいかも、どうせ死ぬし。と思っていた。
ゲームをやってるうちに新しい刀が来た。土方歳三の刀。新選組の羽織を着てる。歳さんみたいなきっぷの良い話し方。
もう一振りの土方さんの脇差くんと出陣してみたら回想が始まった。
びっくりした。
えっ?泣いた…?
泣くの、こんな人が、元の主を思って?
びっくりした。
かわいい。いじらしい。いとおしい。
感情が爆発して何か知らんが兼さんと一緒に私も泣いてた。
わんわん泣いた。もう号泣した。
ゲーム進めて、絶対にこの刀たちを幸せにしてやるからなと思った。
5月、刀剣乱舞が初めてご当地コラボイベントをするという。茨城県。行ける距離だ。当然行った。
こういうイベントに行くのも初めて。
綺羅びやかな他の男士に比べるとスッキリした出で立ちで本丸ではのんびりした口調、公式プロフィールの解説は「…良いヤツ!」。その頃は一部のユーザーに「一般人」なんて揶揄もされてた。
コラボ先の結城市には御手杵のレプリカがあり、普段は蔵を改装した小さな施設でこじんまりと無料展示されている。今日は蔵からおろして、実際に御手杵に触れるようにしているという。会場で御手杵のコラボ酒も販売するという。何それテンションあがる。
ソワソワしながら「握手会」の列に並ぼうとしたら、コラボ酒の列から「完売です!」と声があがった。同時にあちこちで拍手が起きた。皆口々に良かった!売れた!と感激していた。
御手杵は他の男士に比べるとちょっと地味…なところもあるので、売れ残るんじゃないかと心配されてたらしい。自分も欲しいのに買えなかったけど、嬉しくなって拍手した。
年配の男性グループが「うちの槍は人気者だね」とニコニコしていた。うちの槍。いいなうちの槍。
握手会で待ってる間に他の審神者さんと仲良くなって、初めてリアル審神者仲間ができた。
なんだかフワフワしながら帰って、久しぶりに絵を描きたいなと思って、御手杵の絵を描いた。
新しい刀が本丸に来るたびに来歴を調べ、歴史と刀そのものにも興味が湧いた。博物館に行き、初めて本物の刀を見た。綺麗で美しくてびっくりした。
体験会で持った刀の重さに背筋が伸びた。色々な所に行って色々な人と話した。初めて見るものがたくさんあった。
死にたいという気持ちはまだあるが、生きてもっと色々なものを見たいという気持ちも増えた。
運転免許を持てないので、コラボや博物館や展示を見に行くのも鉄道が頼りだった。仕事でも毎日電車通勤だ。
鉄道は好きだった。カッコいいので。
電車がスピードを落として通過していく時、車輪の下でひき潰されていく叔父を想像する。
これも一生治らないのかもしれないと思っていた。
2019年、刀剣乱舞のミュージカルに御手杵が出た。2.5次元というやつ。
Twitterのタイムラインでは御手杵役の役者さんを紹介するツイートやミュのレポートが連日流れてきた。役者さんの身長・年齢・どんだけ股下が長いか・どんな演技をするか・どんだけ可愛いか……楽しそうだなと思って楽しく見ていた。
その中で何人かが役者さんの出演作で「鉄ミュ」というものをオススメしていた。
「青春鉄道」という鉄道路線擬人化漫画の2.5次元ミュージカル。とにかく見れば分かるので見てほしい!原作もとても面白いので読んで!と熱く語られていて、気になった。
原作はweb連載で、無料ですぐ読めるという。リンクも貼ってくれてる。親切。
読みました。
めちゃめちゃ面白い。
びっくりした。
サクッと読める時事ネタ、見やすくてかわいい絵柄、全然知らない路線ネタでも面白く読ませるネーム、ツッコむ時のセリフの言葉選びのセンス……そしてそこに見え隠れするキャラクター同士の深い関係性。
めちゃめちゃ面白い。びっくりした。
青春鉄道は商業連載版(鉄道ネタ)の他に原作者様が自分で出してる同人誌版(鉄道ネタ以外・キャラクターの掘り下げ話など)があるという。すごい。
読めるだけ読み尽くした私はすっかり「東海道本線」推しになっていた。
刀剣乱舞でも何度もコラボしてくれている三島の佐野美術館や静岡の久能山東照宮に行くときに欠かせない路線。お世話になっております。
これからは「推しに会うために推しに乗って行く」事になるのか。楽しそうだな。
「鉄ミュ」もDVDを購入して見た。
とんでもなかったです。
詳細は省くがとんでもなかった。
こんな舞台初めて見ました。何これ?
何を見せられたのかよく分からないけど面白かったといことは分かりました。めちゃめちゃ面白い。びっくりした。いやびっくりした。
青春鉄道には通勤で毎日使っている路線のキャラクター(かわいい)も出ている。
原作漫画を読んですっかり「青春鉄道」にはまった翌日の帰り道、いつものように駅の改札を通った。
いつもはすぐにホーム階に降りず、構内のコンビニで特急電車の通過を待って落ち着いてから降りる。
すごいスピードで近付いて来た電車が轟音でホームを通過し、弾丸のように駆け抜けていった。
あっという間に小さくなる電車を見送りながら、私は(○○線さんめっちゃ速いな。かわいいな)と考えていた。
手足も震えなかったし汗も出ていない。呼吸は落ち着いていた。
そのまま後続の各停に乗って一人暮らしの部屋に帰って、コートも脱がずベッドにつっぷしてめちゃめちゃに泣いた。
いなくなった、と思った。
あの電車が追い出してくれた。
電車と刀が。
まあなんかそんな話です。
自分の中で気持ちに整理がついただけで現実はもう手遅れかもしれない。相変わらず車は苦手だし多分一生弟とも会えないし頼れる家族もいないし明日突然死ぬかもしれない、でもほんの少しでも前を向けたっていう事実があるだけで修復できる傷もある。と思う。
サークル内で煙たがられてる後輩を追い出したいけどどうしたらいいかわからない。
A:2回生(女)。大学進学で地方から上京。忙しい他サーに軸を置いてるからあまり活動には参加していないけど学年をまとめてくれるので助かってる。顔はまあ(察し)
B:2回生(女)実家暮らし。ヒラだけど活動は割と参加してくれてる。顔は普通〜そこそこ。こいつを追い出したい。
うちは音楽系のサークルで男女比はだいたい1:1。時々学内のイベントに参加して、メインイベントが学祭って感じ。
去年の夏頃からずっとBはAにいじめられてる(Bをハブにして悪口言ってる)んだけど、Bはちょっとアレな人だしぶっちゃけいじめられるのも仕方ないと思っている。
AとBの代が入った当初は女子が8人くらいいて、Bと特に仲良い女子が2人いたけどなんか2人とも早々に辞めた。(今は女子5人。Bは孤立している)(以下Bがハブられてる主な理由)
①空気が読めない
去年の夏に親睦会も兼ねて飲み会をした。1次会は参加必須、希望者のみ2次会に行くことになった(当日流れでやることになった)。でもせっかくの親睦の場だしAとBの代は全員2次会に来るように言った。
だけどBは「明日授業早いので……」とか言って22時過ぎくらいに帰った。(1限あるのは仕方ないけど空気くらい読めよとは思った)
1次会で先輩から気に入られてたAは「2次会出ないとかBはお嬢様ぶってる」とか「空気読めてない」とか飛ばしてて先輩もそれに同調してた。実際1次会でもBは話を振られてもぎこちない感じで話してたし自分のことをあまり話さないし、(ABの代の皆が酒を頼むなかでBは普通にソフドリ飲んでたし)誰もがBは空気読めないって思ってたと思う。
②協調性がない
外部の指導者の先生が交代するので、先生にプレゼントを贈ることになった。プレゼントは学年ごとで話し合って贈ることにした。
プレゼントを渡す会の1ヶ月前になって、Bがプレゼント選びに入れてもらえないと相談に来た。自分もちょうど忙しかったし、大学生になってまで小学生みたいなこと言ってんじゃねえと思ったので、Bの代のリーダー格のAに聞けって言って突き放しておいた。でも結局Bはプレゼント選びに参加できなかった。後でAが学年ぐるみでBをハブにしていたことがわかったけど、リーダー格のAに歩み寄れないのはまあ協調性のないBが悪い。(Aには後で軽く注意しておいた)
有志はサークルと並行して他大学の有志が集まってる楽団や社会人楽団に入っている。なお今のメンバーでは他のコミュニティに参加しているのは少数派。
Bはそこそこ上手いのもあって他大学の有志の楽団に参加している。もちろんうちの大学のサークルの練習には参加しているけど他大学の楽団の方に軸を置きつつある。うちのサークルに所属していなくてもその楽団に参加できるんだから、Bはサークルにいる意味があるんだろうかと思う。
長々と書いてきたけど要はBはうちのサークルに合っていないと思うから辞めてほしい。(やり方があまりよくないとは言え)Bは同期からハブられてるし、Bの同期のリーダー格のAをはじめサークル内のほとんどからよく思われていない。
ぶっちゃけBさえいなければサークル全体の雰囲気が良くなるし面倒事が減って楽ではある。Bが自発的に辞めてくれるのが一番だけど辞めろとは強く言えないし、どうしたらいいだろう。
3ヶ月後がどうなるかとかはわかんないんだけど、2週間後にどうなってるかは大体予測がつくじゃん?
今、街の人出がそんなに大人しくなってない中で、感染者が増加してて、感染者は一定数入院して、入院患者は2週遅れで一定数重症化する。
入院患者数を後ろに2週ずらせば重症患者数が増減をトレースしてる。
そうなると、2週間後は今の街の人出や感染の波が結果が反映されるから、入院患者も重症患者も増えそうだと。
で、さすがに8月頭には「医療体勢は逼迫しています」ってニュースが連日流れる。
それで慌てて街に出るのを控えたとして、その時点で8月5〜8日とかじゃん?
少し矢印が下に向き始めるとして、それが医療体勢に反映されるまで発症ラグ2週+重症化ラグ2週で4週間かかると。
8月にみんながちゃんと慌てて、いよいよ行動を控えても、鎮圧には1ヶ月かかるので、大人しくなるのは9月ってことになる。
そう考えると、今年の8月はピリピリした不穏なムードになりそうだなあ、というのが今の感想。
もちろん、そうならない方がいいに決まってるけども。
卵胞確認をしてHCG注射を打って排卵させ、排卵を確認しては着床安定のためまた着床を打つ。
薬も注射も使わずに卵胞は正常サイズに成長し、正常サイクル通りに排卵をして、妊娠した。
それでも2週間そわそわ不安になりながら待って、妊娠検査薬を使った。
初めて陽性になった検査薬を見て泣くよりも小躍りした。
よかった!よかった!バンザーイって。
小さく見える胎嚢の中は真っ黒だった。
この後くらいからつわりが始まり、ご飯が少しづつしか食べられなくなり、えづいては胃液を吐くようになった。
翌週また診察。
今度は歪んだ胎嚢が見えた。筋腫のせいだと言われ、今日も胎芽は見えなかった。
先生からは「来週もう一度来て。そこで心拍確認出来なかったらちょっと…」と言葉を濁された。
また翌週診察。もう8週目に入った心拍確認出来なくてはおかしい。
でも胎芽どころか胎嚢もはっきり見えずに終わった。その日流産の宣告をされるのかと覚悟したが、先生からは「また来週」とだけ言われた。
9週目に入った。この日の診察で初めて胎芽を見た。
小さく見える胎嚢の中に小さい白い胎芽。
でも小さすぎて心拍確認は出来なかった。先生は「また来週」と「覚悟もして」と言った。
本当なら、普通なら、もう心拍確認できて、赤ちゃんは2頭身になっててもおかしくない。
ただHCG値の結果が良かったので先生も期待を込めて待っていてくれている、というのを看護師さんから聞いた。
『心拍確認が出来てから両方の両親に伝えようね』と言っていたので、夫以外は誰も知らない。
常に吐き気があり、食べれるものは限られ、辛くてたまらないのにお腹に赤ちゃんがいるのかどうかさえ先週まで分からなかった。
クロミッドを使えばきちんと排卵するし、ホルモン値に問題は無いと言われていた。
夫も自主的に精液検査をしてくれて、そちらの結果も良好だった。
それでも妊娠までいくのに1年かかった。
そして私は陽性さえ出れば全て上手くいくと思っていた。
どんなにつわりが辛くても赤ちゃんのためなら頑張れると思っていた。
陽性が出たのに赤ちゃんがいるのかさえ分からないなんてことがあるなんて思いもしなかった。
今は病院でも心拍確認まで出来ないと「おめでとうございます」とは言ってくれないらしい。
私も言われてない。
来週の診察が怖い。最後まで信じる、なんてお花畑な精神でいたらダメだった時に耐えられない。
でもダメかもしれないと思いながら過ごすのも辛すぎる。
卵胞確認をしてHCG注射を打って排卵させ、排卵を確認しては着床安定のためまた着床を打つ。
薬も注射も使わずに卵胞は正常サイズに成長し、正常サイクル通りに排卵をして、妊娠した。
それでも2週間そわそわ不安になりながら待って、妊娠検査薬を使った。
初めて陽性になった検査薬を見て泣くよりも小躍りした。
よかった!よかった!バンザーイって。
小さく見える胎嚢の中は真っ黒だった。
この後くらいからつわりが始まり、ご飯が少しづつしか食べられなくなり、えづいては胃液を吐くようになった。
翌週また診察。
今度は歪んだ胎嚢が見えた。筋腫のせいだと言われ、今日も胎芽は見えなかった。
先生からは「来週もう一度来て。そこで心拍確認出来なかったらちょっと…」と言葉を濁された。
また翌週診察。もう8週目に入った心拍確認出来なくてはおかしい。
でも胎芽どころか胎嚢もはっきり見えずに終わった。その日流産の宣告をされるのかと覚悟したが、先生からは「また来週」とだけ言われた。
9週目に入った。この日の診察で初めて胎芽を見た。
小さく見える胎嚢の中に小さい白い胎芽。
でも小さすぎて心拍確認は出来なかった。先生は「また来週」と「覚悟もして」と言った。
本当なら、普通なら、もう心拍確認できて、赤ちゃんは2頭身になっててもおかしくない。
ただHCG値の結果が良かったので先生も期待を込めて待っていてくれている、というのを看護師さんから聞いた。
『心拍確認が出来てから両方の両親に伝えようね』と言っていたので、夫以外は誰も知らない。
常に吐き気があり、食べれるものは限られ、辛くてたまらないのにお腹に赤ちゃんがいるのかどうかさえ先週まで分からなかった。
クロミッドを使えばきちんと排卵するし、ホルモン値に問題は無いと言われていた。
夫も自主的に精液検査をしてくれて、そちらの結果も良好だった。
それでも妊娠までいくのに1年かかった。
そして私は陽性さえ出れば全て上手くいくと思っていた。
どんなにつわりが辛くても赤ちゃんのためなら頑張れると思っていた。
陽性が出たのに赤ちゃんがいるのかさえ分からないなんてことがあるなんて思いもしなかった。
今は病院でも心拍確認まで出来ないと「おめでとうございます」とは言ってくれないらしい。
私も言われてない。
来週の診察が怖い。最後まで信じる、なんてお花畑な精神でいたらダメだった時に耐えられない。
でもダメかもしれないと思いながら過ごすのも辛すぎる。