はてなキーワード: 薬学とは
言及先を書いた本人だ
自分もこの「自分の出る幕なんかないのに居ても立っても居られない」感覚は娘やペットのほうが強く発動される
風邪やちょっとした胃腸炎で、大事にはまずならんとわかっていてもだ
妻は経験を積んだ大人というだけじゃなく、職種は医療系じゃないが医学・薬学の知識が自分よりあるし冷静に的確な対処ができるという点でも俺より上だ
だがしかし、だからといって病気でつらい思いをしていることを知りながら楽しむ気持ちにはなれないかな
やっぱり気が気じゃない
そして楽しむ気持ちになれないだけでなく、
>病気で妻が辛いのは分かるよ、-100だとしよう。で、俺が遊びに行ったら俺は楽しいから+100だよね。夫婦で合わせたら+-0
>で、俺が遊びに行くのを我慢して妻のそばにいたとして、まぁ-100とまでは言わずまでも、-30くらいだよね。
これ。
趣味で楽しかったら+100(罪悪感加味されて+70)だとして、
じゃあだからといって妻の看病…の控えの補佐まあごくつぶしだな俺は、
やったからって-30にはならんのよ
趣味の外出で得られたはずの楽しみとはベクトルが違うだけでマイナスではないのよ
それに自宅にいてもできる趣味はたくさんあるしね、積読してる本が山ほどあるとか
娘が今夢中になってるキャラクターの絵柄でパンケーキ焼くとかね
>俺が熱出してる時。ゲームする気すら起きないから寝るしかできない。
>そういう場合でも、妻の行動は制限したくないというか、普通に仕事してもいいし休みなら外に遊びに行っていいし、好きに過ごして欲しい。
この感覚を持っている
特に娘には強く感じる、親の体調不良なんかで子どもの貴重な体験の機会をつぶしたくないだろ?
高熱でぶっ倒れてた時に、母がつかず離れずの距離でいてくれて、その母の立てる音に安心感を持てた気持ちだ
だからなんて言われようと、側にいることで安心感を感じているようなら側にいることにしている
人間じゃない犬や猫ですら体調不良時には群れの仲間に寄り添うという行動の変化があるぐらいなんだぞ
なんで自分の行動パターンを変えないうえ、べつにそんときじゃなくていい趣味の外出しないとマイナスという感覚になるのかわからん
とはいえ、個人的には諦めた趣味の外出が長い間待ち望んでいた垂涎の機会で、
残念な気持ちを今でも引きずってることもある
抽選だった伝統芸能の舞台で、その週しか上演がなかったので心底残念ではある
でも家族が弱っている時に何事もなかったかのように出かけるのはありえないから後悔はしていない
つらつら書いてきたが
善し悪しの評価とは分けてほしいが
だから自分はこう考える、そして正しい、その自分軸でしか考えられていないんだ
薬は値段下がって色々問題がでてそうだけど、それ以外の薬局のコストは何故下げられないんだろう。
薬局のコストが下がって、最終的に社会保険料が下がれば大きなメリットがあると思うんだけどなあ。
この前病院で処方箋もらって、薬局で薬もらったんだけど明細を見たら、薬代以外に、調剤技術料と薬学管理料だけで約4000円かかってた。
実際にはその3割が患者に請求されて7割は国が払ってくれるわけだけど。
薬を袋に詰めて数十秒説明するだけで4000円って価格設定バグってない?
薬は値段下げすぎたデメリットが色々出ているようだけど、それ以外の薬局の運営コストは下げらるように思うんだけどなあ。
人を減らしてシステムでの処理を増やすことで、低コストに出来ないのかな。
数十年前の、粉薬や塗り薬を精密はかりで測って混ぜて作ったりしてた時代は薬剤師の価値があったと思うんだけど、今って何故必要なんだろ。
そりゃ特殊な薬もわ一部には残ってると思うけど、成人向けなら大半は1日1回朝食後に飲んだり、1日3回食前に飲むような錠剤とかカプセルがほとんどじゃないの?
薬剤師さんは処方間違いや、複数の薬の相性のチェックをしてくれるって聞くんだけど、
それって人の仕事なのかな。ITを使ってできるだけ機械的に判定・処理したほうが安心じゃない?
薬の飲み合わせなんて、マイナンバーカードにお薬情報が載るようになったしそろそろ自動化出来そうな気がする。
処方の間違いも、電子処方箋が始まったみたいだし、処方されたら国が一括して即座にチェックで良いんじゃない?
重複した処方をチェックするのは直ぐにできそうだよね。
無駄に高い薬使っている場合は即座にチェックして、数分後には病院に警告して処方を見直すように指導するとかも自動でできそうじゃない?
効ていないのにずっと長期間処方されている薬をチェックして、処方している病院に見直しを依頼したり。
マイナや電子処方箋のシステムを使って効率化すれば、全体としての処方される薬の量が減って、医療費が削減できそう。
高度な資格って色々責任があるもんだと思うんだけど、処方が変だった場合の責任って医師だよね。
薬剤師って何の責任を撮ってくれるんだろ。処方が変だったのをスルーして患者が飲んだ場合、一定の責任を取ってくれるのかな。
病名と薬のチェックだけなら、大規模データベースを元にITで合理化したほうが良さそうだし、必要性がわからないなあ。
6年も大学で勉強するほどの資格が必要なのかな。 危険物取扱者くらいの難易度でも良いんじゃないかな。
危険物取扱者もかなり勉強が必要だとは思いますが、高卒+200時間の勉強位で良いんじゃない?
調剤基本料ってのを調べたら、小さな個人経営の薬局の方は高い請求ができるけど、大手チェーン店だと数百円安い金額しか請求できない雰囲気。
逆にいうと、消費者は地元の薬局には行くより大手チェーンドラッグストアで薬をもらったほうが安くで済むのかな。
今回、薬局での明細を見たら薬代以外の費用が意外と高いけど、もっと下げられるんじゃないの?って思って書いてみました。
薬局の仕組みは詳しく知らないので変な事言ってたら教えて。
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(追記)
社会保険料はやっぱり高すぎるので、医療費は下げられるなら下げてほしいなあと思います。
ただし、微量を計測して混合して調剤するような複雑な処方は薬剤師がしたほうが良いかなと思いました。
ただ多くの成人での処方は錠剤やカプセルを単に袋に入れたり、個包装したりするだけかなと思います。
そういった比較的容易な処方については、医薬品の登録販売者資格くらい持っていれば行えるように規制緩和しても良いんじゃないかなと思いました。
薬自体の値段は下げれそうにないけど、処方に当たる人の制限を緩和することで、ある程度薬に関するコストを低減できるんじゃないかなと思いました。
夏目漱石の「月が綺麗ですね」論は漱石の結婚生活を垣間見ることができます
坪内逍遥はシェイクスピアやイプセンなど戯曲の研究家であり、弟子に二葉亭四迷、妻は宝塚女優、新劇の普及に努めました
ロミオとヂュリエットの「愛されないならいっそ死にたい」となど登場人物の激しいセリフも訳しています
一方、夏目漱石は英語教師でしたが妻の父はドイツ語翻訳家の官僚中根重一で、獨逸学協会幹部です
当時ドイツ語と言えば医学薬学書など質実剛な実用書か法学哲学書の類で、文芸派とは真逆の世界です
そのような義父がいればI love youなど女子供が見る芝居のセリフがサラっと言えるとは思えません
夏場、まいとしの事だけど死にたくなる。ここ数年の夏場は、ほとんど入院してた。今年は、イベントが重なったこともあって、入院せずにここまで来た。
用事が終わったら入院したいとずっと思ってた。もう、死にたくてしょうがない。
通院するたび、自分の病気について関心がなくなっていることが分かる。ODから薬に興味をもったころは、まだ真剣だった。試したことのない薬や何やらを、主治医と相談して処方してもらって、進んで薬学の論文を読んでた。
いまはもう、どうあがいても、どうにもならないとしか思ってない。
どうなっても、どうでもいい。
早く、死にたい。まいにち、なんもしてないのに。なんもできなくて。
もういやです。
薬学基礎の授業で出そうな例
やはり休日は暇つぶしが必要だと思い、Kaggleでmovielensデータセットで実験を行った。
最もシンプルなモデルとして、ユーザー×アイテムの行列に対する類似度を算出する方法で、類似ユーザーTop n人のレートの平均値を算出し、Top mのアイテムを出す。
これでNDCG@100で0.36ぐらいなので、ベースラインとしてはまあそのぐらいだろう。
実際、SOTAモデルを見ても、NDCG@100=0.4253ぐらいしか達成していない。
https://paperswithcode.com/sota/collaborative-filtering-on-movielens-1m?metric=nDCG%40100
Kaggleでのコンペは、精神を疲弊しそうだし、自信もないので参加する気はない。
こう、なんというか、それなりの精度のベースラインモデルをササッと作るぐらいで丁度いい。
ところで、自分の7年の業務経験のスキルセットがどの程度なのかというのを視覚化してみたら、多分以下のようになると思う。
genre | level |
コーディング | ★★★★ |
アルゴリズム | ★★★ |
インフラ | ★★ |
機械学習 | ★★★ |
コミュニケーション | ★★ |
ビジネス理解 | ★ |
データ視覚化 | ★★ |
統計学 | ★★ |
実のところ「機能要件をどう実現するか」というエンジニア思考なので、あまり統計科学的な思考は身についていない。
といっても薬学研究の発表があれば「薬の作用・副作用の効果なのか、病気の症状によるものなのか区別がついていない」ということを指摘できる程度の批判的思考は持っているので、
「科学」と名のつくところに科学とは程遠い政治が存在することは知っている。
つまりエンジニアリングが好きで、科学が嫌いなのは、その政治性である。エンジニアリングは、作って見せればそれで実証できるのが好きである。
気になるねえ
何故気になったのか
「自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある
「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい
調べましょうね
なるほど、西洋からいわゆる「ハート」概念が伝来する以前から土器や織物にハート形の文様が存在する、と
神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と
なるほどねえ
じゃあ昔の日本で自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~
……とはならない
「西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様が存在した」イコール「自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない
芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語を日常的に使用するか?という点を疑う
農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?
勘だけど逆なんだろうな
すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘
その場合、
の問いの答えは「自然薯や山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる
農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?
さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか
いろいろぐぐってみるか
1911年(明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理用菓子用蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種中第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。
キリスト教伝来から300年以上経過しているからハート形という概念が浸透していても不思議じゃない
いや、リンネの分類学の著作が日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?
西洋の植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……
『日葡辞書』になんか自然薯の記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線の記述だから意味ないか……
園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ
時間切れ、また夜に調べるか……
三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……
これは日記です
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Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い
自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている
その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている
きっと西洋でメジャーなハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう
ヨーロッパでメジャーなハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ
知らんけど~
おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている
色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆
葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある
ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉は不要だった……とか
その場合、
に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」
となる
そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)
市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか
それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフでハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか
検証できるかどうか
うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか
博物学と医学薬学の中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい
ただなぁ~、学者先生が使う言葉や認識と、市井の人々の使う言葉や認識って別だろうからな……
とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑を国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう
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面積を求める和算の問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな
もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも
一応調べること
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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう
・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
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メモ:
こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある
また、現代語訳された古辞書が書籍として売ってあるなら購入も検討すること
また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない
ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる
神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別
例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか
似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットしやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ
トランプのハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説
それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか
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・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる
しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた
(余談だがアサガオはヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ式階層分類体系は偉大っすなあ)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
芋って家紋のモチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)
♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念は存在しない……か?
猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)
だからこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html
昔の化学者のエピソードを見ると「合成した物質を舐めた」みたいな話がたまに出てくる
1965年、アメリカの製薬会社G.D.サール社の化学者ジェームズ・M・シュラッターが、ガストリンの合成に取り組んでいたときに偶然発見した[113]。シュラッターは、抗潰瘍薬の研究をして、ホルモンであるガストリンのテトラペプチドを生成する中間段階としてアスパルテームを合成した[113]。シュラッターは、薬包紙を持ち上げようとして、アスパルテームがついた指をなめて、その甘味を発見した[8][114][115]。トルン・アテラス・ガリンは、アスパルテームの開発を監督した[116]。
うん年前は私も大学で学生実験をやっていたわけだが、生成物を舐めるなんて発想はとてもじゃないが出てこなかった
まあ、私の場合は重金属を扱ってたので舐めたらヤバいと知っていたわけだが
アスパルテームの場合は製薬会社内の出来事、つまり薬学系なのでそこらへんの肌感覚が異なるのだろうか?そんなことないと思うがな……
Sucralose was discovered in 1976 by scientists from Tate & Lyle, working with researchers Leslie Hough and Shashikant Phadnis at Queen Elizabeth College (now part of King's College London).[21] While researching novel uses of sucrose and its synthetic derivatives, Phadnis was told to "test" a chlorinated sugar compound. According to an anecdotal account, Phadnis thought Hough asked him to "taste" it, so he did and found the compound to be exceptionally sweet.[22]
スクラロースは1976年、テート&ライルの科学者が、クィーン・エリザベス・カレッジ(現在はキングス・カレッジ・ロンドンの一部)の研究者レスリー・ハフ(Leslie Hough)とシャシカント・ファドニス(Shashikant Phadnis)と共同で発見した[21]。スクロースとその合成誘導体の新規用途を研究していたとき、ファドニスは塩素化された糖化合物を「テスト」するように言われた。逸話によると、ファドニスはハフから「味見」するように言われたと思い、実際に味見をしてみたところ、その化合物は非常に甘かったという[22]。
testをtasteと聞き間違えたからといって舐めるか?そうか、舐めたのか……
スクロースのヒドロキシ基を塩素で置換したものなので、まあ舐めても危険ではないくらいの認識はあったってことなんだろうか
Tate and Lyleは食品系の会社でそこの研究室での出来事なのか、なら味を確かめろって言われたら舐めるか……
科学者の倫理感の移り変わりが気になるので『世にも奇妙な人体実験の歴史』という本を買って読んでいる
少なくとも20世紀初頭くらい最近になっても現代基準で見ると危険な実験やりまくっていたようだ
自己実験とは違う話になるがデーモンコアの実験も1945年くらいか
前述の本を読んでいると「申請すると許可が下りるわけないので自分の体で実験して事後報告した」みたいなエピソードが出てきて笑う(笑えない)
シェーレが若死にしたのは同時代の化学者の例に漏れず、危険な実験条件のもとで研究を進めたためだと考えられている。また彼には物質を舐める癖があったため、毒性のある物質の毒にあたったのではともされる。
18世紀とかだと「まあ舐めて確認する人がいても不思議じゃないわな」と思うのだが
イギリスのとある医師がニトログリセリン舐めて心臓止まりそうになって死にかけたのが19世紀の出来事
舐めて死んだとか、舐めて大発見に気付いたみたいになっていないから記録に残らないだけで
有機系をやってた大学の頃の同期に「実験生成物を舐めるって発想あった?」と聞いてみたが「ありえん」の一言が返ってきた
現代日本の大学の研究室で、教授が学生に向けて「生成物を舐めて確認してみよう」なんて指導するところなんてありえるのだろうか?
流石にないだろう……あるのか?生成物がアミノ酸とかならありえるのか?有毒なものだってもちろんあるが生成物はだいたいこんな感じの物質って元素の内訳も構造もある程度予想ついてるなら舐めても多分大丈夫みたいな肌感覚が育つのだろうか?わからん世界だ
でも薬学系とか食品会社の研究所でも一度動物に摂取させるとかやると思ってたんだがな、きっと普通はやるのかもしれないが一部の人がいきなり舐めたのかもな……
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医学者による自己犠牲的とも勇敢ともいえる自分の体を使った研究ではなく
ある種の迂闊さでペロッと舐める科学者が今でも一定の割合でいるんじゃないか?という疑問を書いた日記
ペトリ皿に鼻水垂らしたのがきっかけでペニシリンを発見したという出来事は幸運な結果に終わった迂闊な出来事だったわけで
そういった種類のおおらかさは現代だとあまり許されないはずなんだよな~
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耳寄りな心臓の話(第2話)『爆薬が心臓病を癒す』 |はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団
なぜニトログリセリンを舐めようという発想が出てきたのか?を伺い知ることが出来そうなエピソードもぐぐったらでてきた
20世紀初頭にイギリスの火薬工場で、週日の作業中は何も起こらないのに休みが終わって月曜日の仕事が始まると決まって胸痛を訴える工員が何人もいることが話題になりました。最初は工場で扱っている爆薬が原因で起こる病気を疑ったのですが、もともと持病に狭心症のあることがわかりました。
それというのも、原料であるニトログリセリンの粉塵が工場内に舞い、露出した皮膚や粘膜からある成分が吸収されて狭心症が抑えられていたものが、週末に休みをとることで粉塵にふれることもなく薬がきれて、月曜日に力仕事を始めることで狭心痛が起こったと推理されたのです。
痛む胸を押さえて、それこそ青息吐息の月曜日になったことから、「ブルーマンディ」という言葉が生まれたようです。今日では休日明けで、仕事や学校に行くのが億劫になる月曜日の憂鬱、月曜病の走りとなりました。
blue Mondayの語源がニトログリセリン説はかなーり怪しい気がする、勘だけど
これを調べるのも面白そうだ
『世にも奇妙な人体実験の歴史』によると1858年にフィールドという名のイギリスの医師がニトロを舐めたとある
その後1878年にウィリアム・マレルという医師が再度ニトロを舐めて効果を確認し、狭心症の治療薬として自分の患者に試した
火薬工場のエピソードは20世紀初頭……1901年頃ということになる