はてなキーワード: 醍醐味とは
彼女いない歴≒年齢の所感
・「おいしい?」って聞かれて「普通」みたいな相手が全然喜ばなさそうなリアクション返すことあるんだ。長く付き合ってるとそうなるのか?自分は人間はありのままで相手から受け入れられるほど、まともではないのでお互いの関係を長く良好に続けていくための弛まぬ努力がカップルには必要なのだろうと考えているんだけど、まあありのままの姿を見せられることがカップルの醍醐味なのかな…
・「お節に4000円払うか」といったお互いの金銭感覚とか価値観って普段行く店の相談とか日常の会話からなんとなく察せないもんなの?それがなくても「これでいい?」とか買う前に一応確認しない?
・お節に金を掛けるか否かは自由。人による。そこに正義も正解もない。私は全然掛ける派だけど、毎日牛丼食べてたって25歳ぐらいまで健康に生きられただろうし、人間としては必要最低限の栄養素さえ接種出来てれば何の問題もないから、金をかけてまで美味いものを必ずしも食う必要もなければ、興味をもたなくても特に不思議はない。
・自分と他人はまったく違う生き物だという認識が足りなくないですか?生きてきた環境も出会った人もかけられた言葉も食べてきたものも体の作りも何もかも違うんですよ?価値観や考え方が同じなわけなくない?自分の当たり前は他人にも当たり前だという考えは今日この場で捨てて彼氏との会話を通じて他者理解を深めた方がいいのでは。
年末年始はやっぱり年末年始らしい年末年始を過ごすことが大事だよね。
毎年、年末年始が近づくと「今年の年末年始はどんな年末年始にしようかな」と考えるんだけど、やっぱり年末年始は年末年始だから、年末年始らしく過ごしたいと思うんだ。
年末年始の予定を立てるのは毎回楽しいけど、年末年始の計画を立てる時間も年末年始らしさを感じられる瞬間だよね。
まず、年末年始の大掃除をして、年末年始に向けて部屋を年末年始仕様に整えるのが年末年始の基本だと思うんだ。
年末年始の前にスッキリした部屋にすると、年末年始を迎える気持ちも違ってくるし、次の年末年始までのいいスタートが切れるよね。
それから、年末年始といえば年末年始ならではの集まり、つまり年末年始の忘年会や年末年始の新年会だよね。
年末年始には年末年始の特別感があるから、年末年始の友達との会話も年末年始っぽくて楽しい。
年末年始のおせち料理や年末年始の年越しそばを食べることで、年末年始の雰囲気がより一層高まるから、年末年始がもっと特別に感じられるんだ。
それから年末年始ってやっぱり初詣が年末年始の一大イベントだと思うんだ。
年末年始に初詣へ行って、年末年始のおみくじを引いて運勢を占うと、「ああ、これが年末年始なんだ」って実感できるよね。
今年の年末年始はどんな年末年始にしようかと考えると、やっぱり年末年始のワクワクが止まらないし、年末年始が年末年始であることの幸せを感じるんだ。
次の年末年始のことを思うと、今の年末年始をどうやって過ごすかがさらに大事に思えてくるから、今年の年末年始は最高の年末年始にしたいなと思うよ。
やっぱり年末年始は年末年始なんだから、年末年始らしく年末年始を存分に満喫するのが年末年始の醍醐味だと思うんだ。
こうして年末年始を語っていると、さらに年末年始が楽しみになってきて、やっぱり年末年始って最高の年末年始だよね。
年末年始最高!
いや厳密にはまほよとかのほうがコアなのかもしれんが、なんにせよ型月が名をあげたのは月姫なので、古参は「月姫がコアだ」と思っているし、なんなら「Fateは月姫の派生作品」くらいの感覚だろう。なのでFGOに月姫・らっきょ・まほよのキャラが出てくるのは当然だし、それこそ型月ユニバースの醍醐味だとさえ思っている。しかし新規ファンにとっては当然、Fate(というかFGO)と月姫は別作品であり、FGOに月姫キャラが登場するのは「ゲスト参戦」に過ぎない、そんな「ゲスト」を内輪ノリで活躍させるな、というわけなのだろうな。
うむ!結婚とは人生において重要な選択の一つであり、その価値は測り知れないな!だが、その選択において何が本当に大切なのか、考えを巡らせることが必要だ。
条件を重視することも理解できるが、それだけに囚われるな!表面的なものに執着すると、心の通った関係は築けないかもしれない。互いの価値観や時間を大切にし、生涯の伴侶となる相手を見つけることが重要なのだ。
特に「スポーツ」や「趣味」を通じて築かれる関係は、自然であり、素晴らしいものだ。共通の興味があれば、それだけで強い絆が生まれる。そして、その絆こそが、未来を共に歩む力となるのだ!
言葉や条件に惑わされず、本当に信頼できる相手と共に、人生の旅を紡いでいくことが結婚の醍醐味である。大切なことを見失わず、自分の心に従い、幸せな関係を築いていけることを願っているぞ!
魔理沙:忘年会での小話ね。いやぁ、今年もいろんなことが流行ったから、何を話すか迷っちゃうな!
霊夢:そうね。でも、忘年会での小話なら、みんながリラックスできる話題がいいわよね。今年流行ったもので言えば、やっぱり生成モデルAIとか、SNSのいろんなトレンドとかかしら。
魔理沙:ああ、生成モデルAIって便利だよな!漫画の背景とか、ブログの記事とか、自動で作ってくれるんだぜ。まるで魔法みたいだ!
霊夢:でもその便利さに、逆に人間らしいユーモアが追いつけなかったりすることもあるわよね。それをネタに少し笑いを取るのもアリかもよ。「AIにお願いしたら、いつも言ってないことまで言われて困った」とか。
魔理沙:それいいな!ちょっとした失敗談とか、予想外の展開になった話を交えると、みんな笑ってくれるかもな。
霊夢:あとは、今年の新しいトレンド料理とか飲み物の話もいいわね。もし試したことがあるなら、その感想とか、どれくらい流行っていたかを話すのも面白いかも。
魔理沙:たしかに。あの辛いラーメンを食べて火を吹いた話とか、ちょっと大袈裟に話すのも忘年会の醍醐味だな!
FXの楽しさを語るなら、それは単なる言葉遊びではなく、魂を燃やす冒険そのものだ。市場という名の壮大な劇場に足を踏み入れた瞬間、全身を駆け巡る興奮と、計り知れない可能性に心を奪われる。その感覚は、誰もが一度は夢見る自由な生き方を、ほんの一瞬でも手にしたかのような錯覚を与えてくれる。そして、その一瞬が現実に変わる可能性があるのが、この世界の醍醐味だ。
相場が動き出す瞬間の緊張感、それは心臓が跳ねるような感覚だ。チャートを見つめながら、「ここだ!」と思うポイントにエントリーするその瞬間、全身の感覚が研ぎ澄まされる。その一方で、ミスをすれば大きな痛手を負うかもしれないというリスクが、まるで生きていることを実感させてくれるようだ。恐怖と歓喜が交錯するその刹那こそが、FXを特別なものにしている。
そして、何よりも魅力的なのは、FXが極めて個人的な戦場であるという点だ。他人の目を気にする必要もなければ、上司の顔色をうかがう必要もない。ただ自分自身の判断が全てを決める。その自由さは、現代社会において稀有なものであり、同時に恐ろしくもある。だからこそ、勝ったときの達成感は何にも代えがたい。
また、FXを通じて得られる学びもまた、計り知れない価値を持つ。テクニカル分析の奥深さや、経済指標の影響力、さらには心理戦の重要性など、市場で勝ち続けるために必要な知識は多岐にわたる。その過程で、自分の弱さや限界にも直面するだろう。しかし、それを乗り越えたとき、単なる「トレーダー」ではなく、自信に満ちた「戦士」としての自分がそこにいる。
もちろん、すべてが順風満帆ではない。連敗が続くとき、眠れない夜を過ごすこともあるだろう。しかし、その苦しみさえも、FXの本質を知るための重要な一部だと思える。なぜなら、それがあるからこそ、勝利の味がより甘くなるのだから。
最後に、FX 10万円チャレンジが楽しい理由を一言でまとめるのは難しい。それは、人生そのものが持つ複雑さや可能性、そして挑戦の全てが詰まっているからだ。勝つ喜びも、負ける悔しさも、すべてが自分の糧となり、新たな挑戦への原動力となる。そう、FXは単なる金儲けの手段ではなく、人生そのものを楽しむための究極の舞台なのだ。
参考文献
なんでかって言うと新品は開封できないから。新品を開けると価値が下がるじゃん?置いておけば値段が上がるのが確定してるのに開封なんてできるかよ。俺は他人がベタベタ触ってても全く気にならないから中古一択なわけ。わかる?ここまでオーケー?
それで中古で買うんだけど、そうすると組み立てた状態で届く事が多いのね。
そうするとそのまま飾ってるうちに飽きて売ってしまう事も多いんだよ。
だいたい売る時は値段が上がってるので全く損はしてないんだけど、一度も組み立てずに売ってしまうのが切ないんだよ。
「じゃあバラバラにして組み立ててから売れば良いじゃん」って思うよね?
俺も思う。
でも実際にそれができるかと言われると無理なんだよ。
でさLEGOの醍醐味ってやっぱり組み立てる時の「うほほー、ここ、こんなんなってんの?すげー!うひょー」感にあるんだよね。
こんな組み方よく思い付くな、とか、外から見えないのにここまで再現すんのかよ!とか、そういう感動が楽しいんだよ。
更に「ここはこんな風に改造したら俺好みになるんじゃないか」とか考えて、その為のパーツを買って改造したりするのも楽しいんだよ。
だから組み立てたいの。でも中古だから最初から組み上がってるの。
だからってバラバラにしてからまた組み立てるのはなんか無理なの。わかる、この感覚?
あれ?もしかしてわからない人居たりする?それどころか誰にも全く共感されてないなんて、、いや、それはないよね?いや、まさかね。
皆んな首がもげるほど首肯だよね?
でさ中古LEGOの神は何かと言うと「送る時はバラバラにして説明書の通りにパーツを番号分けして梱包しますね」って人これ神。あなたですかと、あなたが神ですかと。そうですかと。
で、今日もさっきまでLEGO姫路城を作ってたんだけど、これマジで最高なんよ。そして神から授かったものなのでパーツが順番通りに袋に入れられてて、説明書通りに組み立てる事ができるんよ。これ最高なんよ。
斉藤知事はこのLEGO姫路城を新品でもらって知事室で組み立てたのかな?そりゃもちろん中古より新品が良いに決まってるわな。開封できるならな。知事なら開封できるよな。いや知事じゃなくても、というか普通は開封して組み立てるんだよな。そもそもそういう人が居ないとおれが中古で買えないもんな。
え?おまえは新品でレゴを買わないのかって?いや普通に買うよ?エンデュアランス号ってイカした名前の船なんて見た瞬間にポチったよ。
ただ開封が出来ないので誰かが中古で出品してくれないと中身が見れないし組み立てる事もできないって話なんだよ。
どうするもこうするも永久保存に決まってるだろ。資産だよ資産。未開封のLEGOはな、永遠に価値が上がり続けるんだよ。つまり売ったら損をするんだよ。だってあと5年待てば更に値が上がるんだぜ?売ったら損だろうが!アホか。
ん?じゃあ中古も売れないだろって?いやいや、マジで言ってんの?え?いや、マジで??
あのね、中古のLEGOは値上がり確定じゃないんよ。上がる事が多いけど、袋から出してる時点で劣化が進むから必ずしも値上がるとは言えないってわけ。
わかるかなー。わかんねーか。
で、LEGO姫路城なんだが、これすげーよ?お前らも買え。買って組み立てろ。おまえら姫路城行った事ある?俺はあるんだけど、中まで完璧に再現されてて「この城を攻撃するときはここから侵入して、あ、ここの穴から狙われたらヤバいじゃん」とかまだ完成してないのにぐるんぐるん回しながら観察して妄想で組み立てが先に進まないんだよ。それぐらい最高of最高なんよ。
でも中古の宿命のパーツが足りない攻撃を喰らってるのもまた事実。しかしこれはパーツを袋にわざわざ順番通りに入れてくれた神からの授かり物なので、そんな事でいちいち怒ったりしない。粛々と手持ちのパーツ(ほぼどんなパーツでもだいたい倉庫にある)を探してきて組み付けてるよ。神に文句なんて言わない。というかかなり昔に買ったものなので今から文句を言う手段がない。
件のミュージシャンのライブは行ったことないけど、毎週のように趣味でいろんなライブに行く。30代の老害です。
ファンクラブに入るほど好きな大手ミュージシャンの大きな公演から、ちょっと気になったインディーズの小さなライブまで通っている。
それで思うのは、実際にライブ終演前に帰る人の割合は確実に増えていると思う。体感の問題で申し訳ないが。
数人とかじゃなく、客数比でいうと大勢の客がぞろぞろダラダラ帰るんですよ。
音楽ライブへ行かない人のために説明すると、大体のライブは本編の後にアンコールがあったりなかったりして、
演奏全部終わったら、メンバー紹介したり新情報の発表があったり、演者が出てきて客にお礼言ったり、まあいろいろする。(演者による)
で、演者がステージ袖にはけて会場の明かりが点灯して、退場アナウンスが流れたりすると「ライブ終演」だと考える人が多いと思う。
基本的に高いチケットを買っているのだから、客も基本的にその演者が好きか、ポジティブな興味がある人だと思うが、
演者たちがまだステージにいるのに帰るってなんで??と思うのが正直なところ。自分も初めてそういう人たちを見た時にはびっくりした。
終電のためかなと思いたいけど、連れとワイワイしゃべりながらゆっくり歩いて退場していて、特別帰路の心配をしているわけではない様子。
おそらく、単純に規制退場で帰宅が遅れることをいやがって、演者がまだいても帰るんだろうなとは思う。
実際、客としてライブ会場にいると、「終電や帰路を気にして途中抜けする客」って見るからに分かるんですよね。
同情するほど申し訳なさそうに小走りになって退場したり、ステージのほうを何度も振り返ったりしながら帰ったり、後ろ髪引かれてんだなって分かる。
演者の前で退場するのを避けるために、時間に余裕があってもアンコール前に帰る人たちも大勢いる。
だから、最後の曲が終わってダラダラ帰り始める客はすごく分かる。
まあ客はこっちだし、お金出してるんだから来るも帰るも自由でしょ、と言われたらその通りだしそれまでですが。
演者へのリスペクトがないというか、そこに無関心な客は増えてると思う。客だから何してもいいわけじゃないだろうに…
それに演者本人たちが来て、実際に目の前で演奏をして、MCの内容もふるまいもここだけのもの、
今日この時だけの時間を共有できるのがライブの醍醐味なのに、帰っちゃっていいの?というのが正直な感想。
演者がまだいるのに、規制退場を逃れて早く帰りたいの感情が勝つのか?
ライブの価値が変わってるんかな。ライブに来たという事実とインスタ用の写真があればいいとか?知らんけど。
ドリカムの人のお気持ちツイートに関しては、「なんでXで言うかな~FCか公式サイトで発信しなさいよ」という感想。
言いたいことは分かるが、あの言い方だと終電気にして帰る人への嫌味にもとられかねないし、案の定外野にフルボッコにされていた。
まあドリカムは「客にマナーを強く求めてモノ言う厳しいアーティスト」的な世間イメージはないだろうし、余計際立ったんだろうな。
でもさすがに、長年やっていて「終電気にして帰る人々」のことを知らないはずはないと思う。言葉足らずのツイートだったんだろう(と思いたい)。
だから、何も言い訳せずサクッと謝っておしまいにしてしまえばいいのに。
余談だけれど、最近のライブの客層を見ていると、ライブの楽しみ方自体が変容しているんだろうなと感じる。
FC選考で来ているはずのライブで、(ノリが分からないとかではなく)棒立ちで聴いて、演奏が終わるとあっさり帰るとか。
一緒に来たお友達や彼氏と演奏中もずっと大きな声でおしゃべりして演奏をちゃんと聴いていないとか。
撮影可能なライブとかで、もうずっとスマホで写真撮り続けてステージ上の実物を見ていないとか。
自分より若い世代に多いと感じるけど、年配の方でもたまにいる。
楽しみ方は人それぞれだから否定するつもりはないし、そういう楽しみ方をする人は昔からいたけれど、
最近のライブで「今日の客どうした?」って感じるくらい雰囲気が変わるときがある。最前近くの客が全員棒立ち、みたいな。
曲によっては演者側もノリ方(手拍子とか)促したり、「今日はシャイな人が多いのかな~」みたいなことを言うのを聞くかぎり、
ステージ上の人たちからも何か感じている違いがあるんだろうと思ったりする。
魔理沙: おお、なんかすごく盛り上がる話だね。確かにオリンピックの射撃って、シグルイみたいな迫力があるかもな。思わず「できる!!できるのだ!!」って叫びたくなる気持ち、分かるぜ。
霊夢: そうね、オリンピックって異形の集まりとも言えるわよね。それぞれの競技に特化した選手たちが、もう異次元って感じするもの。たてほこの対決みたいで見ててハラハラしちゃうわ。
魔理沙: ほんとだよな。装備をモリモリにして力を尽くすか、逆に装備なしでシンプルに戦うか、どっちが強いかなんて議論のしがいがあるってもんだよ。そうやって、どうしてそのスタイルに至ったのかを考えるのが面白いんだよな。
霊夢: そういったスタイルの変遷や歴史を感じるのが、本当にスポーツの醍醐味よね。それにしても、オリンピックの時にそんなこと言ってたらもっと盛り上がったかもしれないわね。
ただ目的もなくやるなら増田の言うように「下等な遊び」なのかもしんないけど、
ここはどうしてもわかってもらえないと先に進めんのよみたいなことは討論で白黒つけて推し進めるしかないこともあるとは思うんだなー。
議論はそこをもうちょっとお互いの立場から見て深掘りしてみましょう、何かお互いに見落としてることがるかも。みたいなイメージ。
対話はそういう討論とか議論とかに持っていく前に、一体そこに何があるのか?どんな問題があるのか?っていうことを知るために相手の言うことに耳を傾けてみましょう、みたいなことかな。
そういうことで言うと、
1. まず対話をして全体像を洗い出します。(そこで偏見や誤解といったものについても一旦フラットにします)
2. 共通認識ができたところで、解決策とかについて議論します。
3. そこまでを政局とかそういう異なった目的を持つグループごとにやって、最後にどれがいいか政局同士の討論で決着をつけます。
っていう手順のような気はしてる。
法改正の手続きとか公表されてるの読むと、大体その手順を年単位で時間かけてじっくりやってる。
だからあれか、インターネットでなんかやる時は自分が最終ゴールをどこに持ってるのか?なんのためのどういう決着を探してるのか?っていうのを意識するとわりかし建設的になるかもねしらんけど。
まあでも「下等な遊び」もインターネットの醍醐味だし、別にあってもいいんじゃねとは思う。
でもいきなり討論をするとなると相手が同じイシューを持ってることが前提になるけど、多分それ丁寧に擦り合わせとかないとお互いに何言ってるのかわかんない感じになる気はしてる。
インターネットの会話見てると「この人たちの話、共通のことについて話してるようで定義がなんか違うよな…」みたいなことは結構ある。
ごめん。タイトルがアホでしたので変えました。盆栽10選ではなくて樹種10選ですね。
盆栽10選となるとどうなるんだろ。ちょっとわかりません。まさか国風展じゃないだろうし、大宮のでもなさそうだし。
誰々の何ちゃら、っていう盆栽で指定できるんだろうか?誰かお願い。
盆栽は植木や観葉植物とは違う。ざっくり言うと、手間をかけて小さく育てるのが盆栽、手間をかけずに自由気ままに育てるのが植木。特になにもしないのが観葉植物。はっきり違うわけではなく、なだらかなグラデーションがある。でも実際に樹を「小さく育てる」ことを主眼に置くと、色々やることが出てくるわけで。朝に歯磨きするように、ペットに食事をあげるように、樹に水やりする習慣を持てない人にとっては大変。なので、観葉植物を選んでください。
鉢を合わせて楽しむのが盆栽の醍醐味という意見もあるが、それはフラワーアレンジメントやコーデックスやガーデニングの人たちも楽しそうにやってるし、まあそっちでもいいよね。しばらく植物に慣れたら盆栽、という感じなんでしょうかね。その点では、確かにジジイの趣味といわれるのもわかる気がする。
絵文字でも盆栽は松。波平さんがいじってるのも五葉松かな?五葉松は頑丈だから人気で、幼苗に多少の無理をしても大丈夫。
あと成長が早いので見守るのが楽しい。5年、10年でも日々が楽しみだし、持ち込んで20年も経ってくると、神々しくなってくる。
これが100年、400年だと、と想像すると、なるべく若い時期に始めた方がよかった、と後悔すること間違いなしです。
真柏も丈夫な樹。これも成長が早く、古木の風格を出しやすい。お分かりかと思うが、これはタイパがよいということでもある。
たいていの盆栽の展示会に必ずある樹種で、いろいろと参考にできる名樹がたくさんある。
シャリとかジンとかの、幹の一部を枯れさせて古い樹に見せる遊びも楽しめるし、盆栽の魅力が一番詰まっている樹種。
葉先を触ってチクチクする方の松。五葉松とはまったく趣が異なる。好みの問題もあるが両方持ってるとなお楽しい。
半懸崖や懸崖にすると、その葉の特徴もあって、自生樹のようなワイルドさが映える。
自然の風景を鉢の上に持ち込むことを盆栽の魅力と考えるなら黒松がぴったり。
樹形、幹肌、花と、一年中楽しみの多い樹。甲州野梅が有名(高いけどね)。
「桜切るバカ梅切らぬバカ」という言葉もあって、素人ながら手をかけてもどんどん成長してくれる。
失敗して手に負えなくなったとしてもやり直しが利く。
長寿梅はボケの矮性、ウメモドキはモチノキの一種で、どちらもまったく梅ではない。他にもオウバイ、ロウバイなどもある。
梅に風流を求めてきた日本の先輩諸氏の感性で、梅の名前が付けられているところが、なにか歴史を感じる。
梅買う前にこっちから始めるのもあり。それほど高くないし、きれいな花を咲かせることを目標に育てられる。
「実もの」と呼ばれる樹。実がでかいし普通に食べられるので、植木や庭木にして実を収穫することを楽しむ人も多いのでは?
盆栽だと花芽を限定してギュッと小さく締める。旺盛に育つので、中品以上にかっこよく育てるのは結構大変。
だからと言って小さく育てるのもなかなか。手のかかる子だけに、コロリとした実が成ると感動する。
カリンとかヒメリンゴとかのでかい実はダサい、という好みの問題もあり、小さい実のヤブコウジも良い。
いかにも「樹!」という雰囲気ではなく、一見すると草かな?というヒョロヒョロ〜とした細い佇まいがなんともかわいい。
部屋にこれが飾ってあったりすると、一気に品の良さが増すと思います!
とはいっても、ヤブコウジは落葉樹で、はっきり言うと渋い趣味。いかにも和室!っていう場所もいまどきないだろうし。
となると、常緑のピラカンサがよいかな? 白い小さな花が咲いたあと、秋には小さな赤い実がワーっとついて景気がよい。
鉢さえ変えれば、より観葉植物的に飾れるし。飾ることを考えたらピラカンサの方が無難なのかも。
ヤブコウジのヒョロヒョロ〜や、松柏類のウネウネ〜の情緒よりも、まっすぐ立つ樹の方がかっこいいよね!と思うならこれ。
街路樹にも多く見られるのでありがたみはないんだが、これが鉢の上に乗っかると非常に姿が良い。箒作りを目指したい。
また、根の張り方もかっこよく、植え替え時に修正できるのも楽しみ。
紅葉は文句なし。しかし本当は一年中、四季折々の姿がドラマチックで美しい。
映画を知っていますか?「ゴーン・ガール」という映画です。これは、結婚5周年記念日に妻が突然失踪することで起こる様々な出来事を描いた、サスペンス・ミステリーです。妻の失踪についてメディアや警察、そして世間の目が夫に向けられ、夫は疑いの目にさらされていくのです。しかし、真実はもっと複雑で、恐ろしいものが隠れている。実は妻は計画的に失踪し、自らの死を偽装して夫に罪を着せようとするのです。真実を知るにつれ、夫婦の間にある歪んだ関係や、巧妙な心理戦が明らかになっていきます。
増田が読んだ漫画のように、「ゴーン・ガール」でも表面上はうまくいっていると思われていた夫婦の間に潜む不信感や、計画された裏切りがスリリングに描かれていますね。人間の内面に潜む闇の部分が悪化した時に、どのような極端な行動に出るのかを描いているところが共通していますね。倫理的な葛藤や、登場人物たちの選択によって、物語は予想外の展開を見せ続けます。
増田が感じた苦悩や、登場人物の選択に対する苛立ちにも共通点があります。善悪が簡単に割り切れない状況で、観客や読者は何が正しいのかを考えさせられるようになっているのは、こうしたストーリーの醍醐味ですよね。
俺は元増田の意見には同意しないが、それはゲーム性に対する考え方が違うからだ。
選ばなければ良い、というブコメなど楽しみ方や仕様、マウンティングのブコメなどあまりにもひどい。
なので、簡潔に何がひどいのか、実際のところドラクエ3のかんたんモード(ゲーム中では"楽ちんプレイ")はゲーム性を損ねていないのかを書きなぐる。
冗長なので読み取れない人が居るのは仕方がない。
元増田はきちんと「勝ち負けの無いゲームがあるのはわかる」「ゲームシナリオが楽しめれば良いとは思わない」「開発者がゲームそのものを破壊するゲームモードを組み込むのは違う」という話をしている。
だから、選ばなければ良いというのは違うし(組み込まれていることそのものを問題視している)、楽しめれば良いというのも違う(シナリオはゲーム部分の没入ありきという前提がある)、マウンティングも違う(私は、と自分の話をしている)
つまりnot for meという話も芯をとらえていない。
突き詰めれば元増田にとって「ドラクエ3はそういうゲームじゃない」のを破壊された、という話をしているので。
これは、少し卑近な例になるが、ニチアサのような女児男児向けアニメや実写作品で、公式が成人アダルトすれすれグッズを出した時の拒否反応に近いと思う。
not for meではないし、選ばなければ良いという問題でも無いのだ。
公式がそんなことをするなんて、存在が生理的に受け付けない、という感覚に近いと思う。だから気持ちはわかる。
ここまで元増田の肩を持っておいてなんだが、俺は楽ちんプレイはゲーム性を棄損していないと思っている。
最初に言っておくと、ドラクエのロールプレイングゲームは、単一の「こういったものだ」というものでは無いと思っている。
ロールプレイ(なりきり)も重要な要素だが、セーブもできないようなダンジョン深くでのヒリついた攻防や、道具とMPとをにらめっこしながら渋い管理を強いられることや、誰から防具を揃えて武器をどうするかなど、それぞれに思い入れがあると思う。
あとで書き添えるが、そもそもドラクエ3のゲーム性の話をするのであれば、今作でもっと触れるところがあるだろうとは思う(元増田はライン越えの話をしているので、まあ蛇足なんだが)。
ドラクエ3は、そもそもで言うとキャラをロストしない。蘇生からの失敗で灰になったり、仲間を永遠に失うことは無い。
ドラクエ3では、戦闘不能は明確に死亡として描写されるが、蘇生は確実に行える。
ただ、これでもってRPGとしてのゲーム性がウィザードリィより劣るとは言えない。ゲームシステムの違いだからだ。
そして、ドラクエでは伝統的に全滅を利用したゲーム攻略があったことも忘れてはならない。デスルーラを筆頭とする、全滅時に戻される仕様はあまたの勇者たちに長く愛用されてきた。
どんな高難易度のダンジョンの奥深くで全滅しようが、装備もアイテムも失うことなく、ゴールドを減らすのみでほぼノーペナルティで復活できた。
全滅後にセーブポイントまで戻されるシステムは利用(許容)しておいて、いまさら戦闘時に死亡しなくなる点のみを論点にするのは違うと思う。
楽ちんプレイでの戦闘不能にならず全滅しないというのは、言い方を変えれば、全滅した後にまた同じ戦闘まで戻す作業をスキップした、ということだ。
(戦闘で全滅して街からまた戦闘まで戻す作業中の悔しさこそがドラクエ3でそれが根幹だ、というのは、ちょっといくら何でも偏っている)
ではなぜあまたのプレイヤーが あぶないみずぎ について言及するのだろうか。
ドラクエの防具が、頭防具+1、鎧+5などでないのはなぜだろうか。
ターバン や くろしょうぞく である理由がそこにないと言えるだろうか。
もちろん、慣れて周回するとそれが単なるデータであり専用装備のフレーバーテキスト(雰囲気のための記載)に過ぎないことも理解できるようになる。
ただドラクエのドラクエたるゲーム性は、そのフレーバーにこそ宿っていると思う。
防具ではあえて触れなかったが、そもそも戦闘不能にならないからと言ってずっと真っ赤なHP1のままゴリ押しするプレイヤーはほとんどいないだろう。
なぜならばクッソ面倒くさいからだ。
単位時間当たりのダメージ量(DPS)を気にしなくなると言うが、それはゲームに多大な時間をつぎ込める人間だけだ。
そりゃ、ダメージ量が上がり、ボスの自動回復が無くなれば、1ダメージの積み重ねでもいつかは倒せる。それは事実だろう。
でも、現実世界のプレイヤーには時間の制約があり、そんな苦行みたいなことはしたくないのだ。
そうすると、ちゃんとそのボスに見合った、周りのモンスターを倒すのに見合った装備品を身につけることになり、きちんと武器には意味が生まれる。
このあたりから、「ドラクエ3リメイクの話するならそこじゃなくね」という話になる。
そもそも、今作では序盤からアイテムが結構拾える。つぼや宝箱を丁寧に確認していくと、結構装備品が揃う。
セオリーを教えてくれる町民もいるにはいるが、古い防具を売っては買い足してとか、ちまちまと金策をする意義は薄い。
装備品の付け替えから、各種ステータス異常を含めても、今作はとても遊びやすい。
とはいえ、店売りの武器防具の性能を見れば、今の装備品に比べて楽になるな程度の想像はつき、全滅しないのであればより試しやすくもなっている。
昔ほど必死になって金策をしては武器防具を下取りに出して新しい装備品にして、という手間はなくなったが、それはゲーム性の本質的なところでは無い(と思う)。
さて、全滅しないことでどんなことが起こるだろうか。
ドラクエ3ぐらいになると、シャレで選べよと忠告される遊び人を何故か連れていきたがる勇者もいるが、基本仲間の職業なんか堅めにそろえるしかない。
殴ってくれる戦士、打撃が効かない相手への魔法使い、回復してくれる僧侶。
でも、今作ではキャラメイクで髪色が選べるし、仲間の見た目もある程度は選べる。
初心者がうっかり、戦士、武闘家、魔物使いにしてしまっても、ほぼ詰まることなく遊べる。
これはテンプレ構成を押し付けることなく、自由に遊んでもらいながら、(そのプレイヤーから見た)理不尽な死を回避できる良い方法だと思う。
全滅したらセーブデータを消して最初からやり直していたものだけが石を投げよ。
ボス戦で、無駄行動や良い乱数を引いてギリギリで勝てたという経験で興奮したプレイヤーも多いはずだ。
それは裏を返せば、運が悪ければ全滅してまたその戦闘まで戻す、もしくはレベル上げして再挑戦するという作業を強いられていたとも言える。
元増田が、新しい土地に踏み込んで知らないモンスターに出会って全滅したときに、黙ってセーブデータを消して最初からやり直すタイプであれば謝罪しよう。ゲーム性を棄損するという非難には正当性がある。
しかし、うっかり全滅してセーブポイントまで戻されて再挑戦したり、道具を大量に使ってなお負けたのでリセットした経験があるのであれば、そのやり直しのタイミングが戦闘中に限定された、という考え方にすることはできないだろうか。
ちょっとしたミスで膨大な時間が無駄になるという経験を無くすのが、楽ちんプレイの目的なのであれば、理にかなっている。
それはプレイヤーに寄り添う形にゲーム性がかわっただけであり、ゲーム性の棄損でもなければゲームの破壊でもない。
俺はドラクエのようにダンジョンの最奥から魔法一つでお手軽に帰ってこられるRPGがダンジョンを題材にしたゲームとして劣っているとは思わないし、死力を尽くして良い乱数を引く戦闘"だけ"がドラクエの醍醐味では無いと信じている。
(遊び方次第だが、全員真っ赤のHP1で戦闘を終えた後、ここは早かったなとキメラのつばさを使って街に戻るのであれば、ほぼ全滅時にゴールドを失わない程度の意味しかない)
ドラクエ3リメイクのゲーム性の話をするならさ、レベルアップ時にHPとMPとが全快する仕様について疑義を呈してくれよ。
キメラのつばさとルーラ(MP0)が天井があっても使えるようになったという点とかさ、ミニマップが右上に常に出てるとかさ、アイテムがもりもり拾える点とかさ。
難易度を いばらの道だぜ にしてても、この辺の仕様変更ってゲーム性を大きく変えてる(損なったとは思わないが)。
全体的に、現代にドラクエ3をリメイクして、ほとんど内容を変えずにお出しする際に遊びやすさがすごく考えられて調整されていると思う。装備変更するときも楽だし。
でも、手持ちのやくそうが尽きて、絶望的な気持ちで いのりのゆびわ を使って、リレミトとルーラで戻ってくるみたいなロールプレイはもうできなくなったと思うと少し寂しい気持ちもある。
が、じゃあマップもノートに書いてメモを大量にとってと言う体験を後の世代にこれこそがドラクエなり!とお出しして良いかと言われると、いやもう時代じゃないしな、という気持ちになる。
だからというわけじゃないが、時代に沿ったゲーム性の変更は許容すべきだと思うんだよね。
それは破壊じゃない、ゲームが苦手でもエンディングにたどり着く人を一人でも増やす救済なんだよ。
というわけで、めっちゃ良くできてるから食わず嫌いしてる人は買って遊ぶと良いよ!
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サブウェイってさ、ただのサンドイッチ屋だと思ってたけど、実は奥が深いんだよね。
まず、サブウェイって一時期マクドナルドよりも世界に店舗が多かったらしいんだけど、そんな大手が日本だと「え、ここにサブウェイあったんだ?」みたいな、ほぼ隠れ家スタイルで展開してるのが笑える。
しかも、健康志向に優しいってウリで野菜がたっぷり取れるんだけど、いつもレタスを「もうちょっと多めで」って頼むと店員さんの手がピタッと止まる。「ほんとに多め?」って顔で見てくるのもサブウェイあるある。
あとパンも実は店内で焼いてるらしくて、入った瞬間のあの香ばしい香りにテンションが上がるんだよね。
香りでお腹を満たすタイプの人なら、それだけで満足できるかも。
パンもハニーオーツとかセサミとか選べるんだけど、正直言って「どれでもいいから早く食べたい」って思うときもある。
でもサブウェイの本当の醍醐味はカスタマイズの自由度で、トマト多めとかピクルス抜きとか、まるで自分がサンドイッチのプロみたいな気分になれる。
そんな中、最近サブウェイがワタミに買収されて「大丈夫かよ」って思ってる人も多いと思うけど、もしかしたら「和風サンド」とか出てきちゃうかもね。