はてなキーワード: ニチアサとは
テレビ見ない増田には不要な情報だろうけど、ほらよ(フジテレビ本人の関東は省いた)
都道府県 | 対象局 | 想定される移転先 | 備考 |
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北海道 | 北海道文化放送 | 独立局化(第6系列?) | 既に民放5局あるため |
青森県 | なし | - | |
岩手県 | 岩手めんこいテレビ | テレ東化 | |
宮城県 | 仙台放送 | テレ東化 | 資本関係の問題でそのまま廃局の恐れ有り |
秋田県 | 秋田テレビ | TBS化 | TBS無い県が解消される(Gガイド繋がり?) |
山形県 | さくらんぼテレビジョン | テレ東化 | |
福島県 | 福島テレビ | テレ東化 | |
山梨県 | なし | なし | |
新潟県 | NST新潟総合テレビ | テレ東化 | |
長野県 | 長野放送 | テレ東化 | |
富山県 | 富山テレビ放送 | テレ朝化 | ニチアサない県が解消される |
石川県 | 石川テレビ放送 | テレ東化 | |
福井県 | 福井テレビジョン放送 | TBS化 | TBS無い県が解消される(Gガイド繋がり?)、廃局すると1局しかなくなる |
静岡県 | テレビ静岡 | テレ東化 | |
中京広域圏 | 東海テレビ放送 | 独立局化 | 廃局の恐れ有り |
近畿広域圏 | 関西テレビ放送 | 独立局化 | 廃局の恐れ有り |
島根県・鳥取県 | 山陰中央テレビジョン放送 | テレ朝化 | ニチアサ遅れ放送が解消される |
岡山県・香川県 | 岡山放送 | 独立局化(第6系列?) | 既に民放5局あるため |
広島県 | テレビ新広島 | テレ東化 | |
山口県 | なし | なし | |
徳島県 | なし | なし | 同局の放送については関西テレビ放送などに依存する |
愛媛県 | テレビ愛媛 | テレ東化 | |
高知県 | 高知さんさんテレビ | テレ朝化 | ニチアサない県が解消される(よくプリキュア無い県のやり玉になりやすい場所でもある) |
福岡県 | テレビ西日本 | 独立局化(第6系列?) | 既に民放5局あるため |
佐賀県 | サガテレビ | 日テレ化? | TNCが独立局化した場合、サガテレビの立場が非常に危うい。一番苦境に立たされている |
長崎県 | テレビ長崎 | テレ東化 | |
熊本県 | テレビ熊本 | テレ東化 | |
大分県 | テレビ大分 | 完全日テレ化 | 実は今回の騒動を最も歓迎している局と言われている |
宮崎県 | テレビ宮崎 | 日テレとテレ朝化 | トリプルネットというクソ状況が無くなる |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ放送 | テレ東化 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ放送 | 日テレ化 | 24時間テレビや高校サッカーを放送している関係で拾ってくれる可能性濃厚 |
もちろん全部というわけではないが、恋愛系のすれ違いで喧嘩するような感情描写、オフィスものや社会派系などによくある人が追い詰められる描写、アクション系の人が過度に流血する描写などが心に負うダメージが大きくて敬遠しがちだった。
苦手になった主な原因は、ドラマ「嫌われ松子の一生」だと思う。親が見ているのを一緒に見てしまい、大人の世界怖いな……と怯えていた記憶がある。
ハリーポッターも一作目を観て怯えてしまったのでもともと実写耐性がなかったのはある。
アニメや漫画だと同じような描写でも、次元が違う分緩和されるのかある程度は平気。
唯一好きだったのは探偵ドラマ。あまり感情面で揺さぶってくることがないのであまり心にダメージを負うことがなく好んで見ていた。
そんな折、数年前ニチアサ(戦隊シリーズ)を見始めた。小さい頃は朝が起きれず通っていなかった。
見始めたきっかけはネットで話題になっており、気になったからだ。(わりとニチアサは定期的に話題になっているイメージがあるが)
最初は実写作品か……と身構えていたのだが、話数が進むうちどんどんとのめり込んでいった。
勿論単純に筋が面白かったのもあるが、ニチアサは子供がメインターゲットが故か役者の演技が少しオーバーでマンガっぽい。作風も私が見たものはコメディのような回も多かった。その上時間も30分なので、継続的に見やすかったのだ。
序盤は結成したてでキャラ同士がまだよそよそしかったり衝突したりして、そこは若干心にダメージを負いつつ見ていた。しかし、中盤以降キャラの関係性が固まりお遊び回みたいなのが増えたタイミングで一気に好きになる。
キャラに愛着が出たが故に、終盤のクライマックスによるハードな展開も夢中で見てしまった。
そして全話見終わる頃には「なんか実写平気だな」といつのまにか苦手意識が薄くなっていた。
そのおかげで最近は気軽に実写のドラマや映画を見られるようになった。
俺は元増田の意見には同意しないが、それはゲーム性に対する考え方が違うからだ。
選ばなければ良い、というブコメなど楽しみ方や仕様、マウンティングのブコメなどあまりにもひどい。
なので、簡潔に何がひどいのか、実際のところドラクエ3のかんたんモード(ゲーム中では"楽ちんプレイ")はゲーム性を損ねていないのかを書きなぐる。
冗長なので読み取れない人が居るのは仕方がない。
元増田はきちんと「勝ち負けの無いゲームがあるのはわかる」「ゲームシナリオが楽しめれば良いとは思わない」「開発者がゲームそのものを破壊するゲームモードを組み込むのは違う」という話をしている。
だから、選ばなければ良いというのは違うし(組み込まれていることそのものを問題視している)、楽しめれば良いというのも違う(シナリオはゲーム部分の没入ありきという前提がある)、マウンティングも違う(私は、と自分の話をしている)
つまりnot for meという話も芯をとらえていない。
突き詰めれば元増田にとって「ドラクエ3はそういうゲームじゃない」のを破壊された、という話をしているので。
これは、少し卑近な例になるが、ニチアサのような女児男児向けアニメや実写作品で、公式が成人アダルトすれすれグッズを出した時の拒否反応に近いと思う。
not for meではないし、選ばなければ良いという問題でも無いのだ。
公式がそんなことをするなんて、存在が生理的に受け付けない、という感覚に近いと思う。だから気持ちはわかる。
ここまで元増田の肩を持っておいてなんだが、俺は楽ちんプレイはゲーム性を棄損していないと思っている。
最初に言っておくと、ドラクエのロールプレイングゲームは、単一の「こういったものだ」というものでは無いと思っている。
ロールプレイ(なりきり)も重要な要素だが、セーブもできないようなダンジョン深くでのヒリついた攻防や、道具とMPとをにらめっこしながら渋い管理を強いられることや、誰から防具を揃えて武器をどうするかなど、それぞれに思い入れがあると思う。
あとで書き添えるが、そもそもドラクエ3のゲーム性の話をするのであれば、今作でもっと触れるところがあるだろうとは思う(元増田はライン越えの話をしているので、まあ蛇足なんだが)。
ドラクエ3は、そもそもで言うとキャラをロストしない。蘇生からの失敗で灰になったり、仲間を永遠に失うことは無い。
ドラクエ3では、戦闘不能は明確に死亡として描写されるが、蘇生は確実に行える。
ただ、これでもってRPGとしてのゲーム性がウィザードリィより劣るとは言えない。ゲームシステムの違いだからだ。
そして、ドラクエでは伝統的に全滅を利用したゲーム攻略があったことも忘れてはならない。デスルーラを筆頭とする、全滅時に戻される仕様はあまたの勇者たちに長く愛用されてきた。
どんな高難易度のダンジョンの奥深くで全滅しようが、装備もアイテムも失うことなく、ゴールドを減らすのみでほぼノーペナルティで復活できた。
全滅後にセーブポイントまで戻されるシステムは利用(許容)しておいて、いまさら戦闘時に死亡しなくなる点のみを論点にするのは違うと思う。
楽ちんプレイでの戦闘不能にならず全滅しないというのは、言い方を変えれば、全滅した後にまた同じ戦闘まで戻す作業をスキップした、ということだ。
(戦闘で全滅して街からまた戦闘まで戻す作業中の悔しさこそがドラクエ3でそれが根幹だ、というのは、ちょっといくら何でも偏っている)
ではなぜあまたのプレイヤーが あぶないみずぎ について言及するのだろうか。
ドラクエの防具が、頭防具+1、鎧+5などでないのはなぜだろうか。
ターバン や くろしょうぞく である理由がそこにないと言えるだろうか。
もちろん、慣れて周回するとそれが単なるデータであり専用装備のフレーバーテキスト(雰囲気のための記載)に過ぎないことも理解できるようになる。
ただドラクエのドラクエたるゲーム性は、そのフレーバーにこそ宿っていると思う。
防具ではあえて触れなかったが、そもそも戦闘不能にならないからと言ってずっと真っ赤なHP1のままゴリ押しするプレイヤーはほとんどいないだろう。
なぜならばクッソ面倒くさいからだ。
単位時間当たりのダメージ量(DPS)を気にしなくなると言うが、それはゲームに多大な時間をつぎ込める人間だけだ。
そりゃ、ダメージ量が上がり、ボスの自動回復が無くなれば、1ダメージの積み重ねでもいつかは倒せる。それは事実だろう。
でも、現実世界のプレイヤーには時間の制約があり、そんな苦行みたいなことはしたくないのだ。
そうすると、ちゃんとそのボスに見合った、周りのモンスターを倒すのに見合った装備品を身につけることになり、きちんと武器には意味が生まれる。
このあたりから、「ドラクエ3リメイクの話するならそこじゃなくね」という話になる。
そもそも、今作では序盤からアイテムが結構拾える。つぼや宝箱を丁寧に確認していくと、結構装備品が揃う。
セオリーを教えてくれる町民もいるにはいるが、古い防具を売っては買い足してとか、ちまちまと金策をする意義は薄い。
装備品の付け替えから、各種ステータス異常を含めても、今作はとても遊びやすい。
とはいえ、店売りの武器防具の性能を見れば、今の装備品に比べて楽になるな程度の想像はつき、全滅しないのであればより試しやすくもなっている。
昔ほど必死になって金策をしては武器防具を下取りに出して新しい装備品にして、という手間はなくなったが、それはゲーム性の本質的なところでは無い(と思う)。
さて、全滅しないことでどんなことが起こるだろうか。
ドラクエ3ぐらいになると、シャレで選べよと忠告される遊び人を何故か連れていきたがる勇者もいるが、基本仲間の職業なんか堅めにそろえるしかない。
殴ってくれる戦士、打撃が効かない相手への魔法使い、回復してくれる僧侶。
でも、今作ではキャラメイクで髪色が選べるし、仲間の見た目もある程度は選べる。
初心者がうっかり、戦士、武闘家、魔物使いにしてしまっても、ほぼ詰まることなく遊べる。
これはテンプレ構成を押し付けることなく、自由に遊んでもらいながら、(そのプレイヤーから見た)理不尽な死を回避できる良い方法だと思う。
全滅したらセーブデータを消して最初からやり直していたものだけが石を投げよ。
ボス戦で、無駄行動や良い乱数を引いてギリギリで勝てたという経験で興奮したプレイヤーも多いはずだ。
それは裏を返せば、運が悪ければ全滅してまたその戦闘まで戻す、もしくはレベル上げして再挑戦するという作業を強いられていたとも言える。
元増田が、新しい土地に踏み込んで知らないモンスターに出会って全滅したときに、黙ってセーブデータを消して最初からやり直すタイプであれば謝罪しよう。ゲーム性を棄損するという非難には正当性がある。
しかし、うっかり全滅してセーブポイントまで戻されて再挑戦したり、道具を大量に使ってなお負けたのでリセットした経験があるのであれば、そのやり直しのタイミングが戦闘中に限定された、という考え方にすることはできないだろうか。
ちょっとしたミスで膨大な時間が無駄になるという経験を無くすのが、楽ちんプレイの目的なのであれば、理にかなっている。
それはプレイヤーに寄り添う形にゲーム性がかわっただけであり、ゲーム性の棄損でもなければゲームの破壊でもない。
俺はドラクエのようにダンジョンの最奥から魔法一つでお手軽に帰ってこられるRPGがダンジョンを題材にしたゲームとして劣っているとは思わないし、死力を尽くして良い乱数を引く戦闘"だけ"がドラクエの醍醐味では無いと信じている。
(遊び方次第だが、全員真っ赤のHP1で戦闘を終えた後、ここは早かったなとキメラのつばさを使って街に戻るのであれば、ほぼ全滅時にゴールドを失わない程度の意味しかない)
ドラクエ3リメイクのゲーム性の話をするならさ、レベルアップ時にHPとMPとが全快する仕様について疑義を呈してくれよ。
キメラのつばさとルーラ(MP0)が天井があっても使えるようになったという点とかさ、ミニマップが右上に常に出てるとかさ、アイテムがもりもり拾える点とかさ。
難易度を いばらの道だぜ にしてても、この辺の仕様変更ってゲーム性を大きく変えてる(損なったとは思わないが)。
全体的に、現代にドラクエ3をリメイクして、ほとんど内容を変えずにお出しする際に遊びやすさがすごく考えられて調整されていると思う。装備変更するときも楽だし。
でも、手持ちのやくそうが尽きて、絶望的な気持ちで いのりのゆびわ を使って、リレミトとルーラで戻ってくるみたいなロールプレイはもうできなくなったと思うと少し寂しい気持ちもある。
が、じゃあマップもノートに書いてメモを大量にとってと言う体験を後の世代にこれこそがドラクエなり!とお出しして良いかと言われると、いやもう時代じゃないしな、という気持ちになる。
だからというわけじゃないが、時代に沿ったゲーム性の変更は許容すべきだと思うんだよね。
それは破壊じゃない、ゲームが苦手でもエンディングにたどり着く人を一人でも増やす救済なんだよ。
というわけで、めっちゃ良くできてるから食わず嫌いしてる人は買って遊ぶと良いよ!
ドラゴンクエストIII そして伝説へ… Nintendo Switch / PS5 / Xbox / Steam で絶賛発売中!
基本的には毎週楽しみにしているアニメではあるが、観ていてどうしても受け入れ難い箇所がいくつかあるのでここに書き捨てていく。
これがドアサやニチアサや夕方のEテレだったら全然アリのように思えるあたりTPOやパッケージの問題な気もするが、不思議な事にドアサでもニチアサでも夕方のEテレでもないアニメであの小学生が一生懸命書きましたみたいな歌を聴かされるのは結構しんどい。
当該アーティストの他の曲も聴いてみたところ割とそういう芸風のようなので、発注側としてもこれがやりたかったということなのだろうか。
アニメ業界はどうか知らないが、自分の所ではディレクターが下っ端根性から抜け出せていなかったりすると、「ダメなら上流(この場合プロデューサーやスポンサーだろうか)が何か言ってくるだろうし…」と甘え散らかしてデザイナーが叩き台のつもりで出したものをチェックバック無しでそのまま通してしまうケースがある。で上流もこれといったビジョンを持っていなかったりすると、叩き台がそのまま納品されてしまったりする。
のっぺりした屋内外の壁やつるんとした地面なんかはちょっと汚しを入れれば自然に見えるようになるのは誰の目にも明らかであるが、ラーメン赤猫でもそういうことか起こっていたりするのだろうか。
あるいはゼロ年代以降のシャフトアニメに見られるようなアート寄りの背景美術を目指していた可能性も考えられるが、どちらにせよ表現が中途半端で上のチェックがロクに機能していない様子が伺えてしまう。
実際はどうかは知らんが。
ちなみに止め絵でも一瞬でCGと分かってしまうあの悲惨なキャラモデルに関してはディレクターがどうこう以前の問題なのでドンマイ。
これが一番ダメ。
小粋なキャッチと共にオマケパートが始まるところまではいいが、場面が飛ぶ。時間が飛ぶ。急に終わる。
オチも何もないSNSの1コママンガをこれまた何のビジョンも持たずに漫然と引き伸ばしているせいでカット割りにメリハリが無く、目的を失った絵と台詞が只々垂れ流されるだけの虚無の時間になっている。
「○○の後」と言って始まるのに時系列が全然○○の後じゃなかったりするのもダメ。もはや足場を作ることすら放棄している。何でそのワードで縛ろうと思ったんだ。
毎週楽しみにしているとは言ったが書いててだんだん腹立ってきたきた。