奈良市の平城宮跡で出土した木簡群から「天皇崩給(ほうじたまう)」「年八月」と記された木簡が見つかり、奈良文化財研究所(奈文研)が3日、発表した。「天皇」の文字が記された木簡の出土例は全国的にも珍しく、平城宮跡では初めて。奈文研は、宝亀元(770)年8月の称徳天皇崩御を示す木簡の可能性が高いとみている。 平城宮跡の役所エリア「東方官衙(かんが)」で平成20年1月〜21年2月に出土した木簡群の洗浄調査で判明した。このエリアからは宝亀年間(770〜780年)の年号が書かれた木簡が見つかっており、奈良時代後半の木簡群とされる。 今回の木簡(長さ6・3センチ、幅1・3センチ)は、表に「天皇崩給」とあり、裏側の文字は「年八月」と確認できた。称徳天皇は聖武天皇と光明皇后の皇女で、孝謙天皇となった後、再即位し、奈良時代の僧侶・道鏡を重用したことでも知られる。 奈文研史料研究室の渡辺晃宏室長は「東方官衙内で
奈良時代の官庁街だった平城宮跡・東方官衙(かんが)地区(奈良市)のごみ捨て穴から、天皇の権力の象徴だった「駅鈴(えきれい)」を守った「鈴守」について記述した木簡が初めて出土し、奈良文化財研究所が5日、明らかにした。駅鈴は駅馬利用を許可する鈴で、「天皇御璽(ぎょじ)」の印とともに争奪の対象ともなった。木簡は2時間交代だった担当兵士の名を記した名簿とみられ、厳重な警備の様子が伝わる貴重な資料という。 木簡には、「鈴守」と記された下に「神浄成」「大伴総道」などの人名が記載。人名は2人一組で書かれ、そばには「戌」(午後8時ごろ)「亥」(同10時ごろ)「子」(午前0時ごろ)といった時刻が記され、2時間交代で駅鈴の警備に当たっていたことがうかがえる。 鈴守の木簡は、平城宮を守った軍組織「衛府(えふ)」について記したらしい木簡群のうちの1点。縦約35センチ、幅約5センチで、表裏に文字が記載され、年号が記
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奈良時代の官庁街だった奈良市の平城宮跡・東方官衙(かんが)地区で大量の木簡が出土したごみ捨て穴が、宮跡内では最大級の規模だったことが奈良文化財研究所の発掘調査で13日、分かった。穴は東西約10メートル、南北7メートル。宮城を守った軍隊組織「衛府(えふ)」などに関する大量の木簡や木くず、桧扇(ひおうぎ)なども廃棄されていた。同研究所は、付近の施設の再整備で出た廃材などを焼いた可能性があると推測。宮内のごみ処理方法がうかがえる、初めての資料という。 穴は昨年の調査時点では直径約6メートルの部分しか確認していなかったが、今回さらに西側に広がる部分を掘った。 穴付近からはそれぞれ時期の異なる2つの建物の柱穴も見つかり、同研究所は、大規模な建物が壊された後に穴が掘られて埋められ、別の建物が建てられたと推測。穴には炭などが残り、木くずや廃材などを焼いた可能性があるという。 また今回、新たに約200点の
平城宮跡(奈良市)の東方官衙(かんが=役所)地区で、礎石建ちの倉庫群が見つかり、奈良文化財研究所が28日、発表した。発掘現場の東側区画の穴からは、宮城を守った軍隊組織「衛府(えふ)」に関係する奈良時代末期の木簡も大量に出土。役職名「近衛(このえ)」などと記されたものも複数出土し、天皇らを守った近衛府や兵衛府にかかわる貴重な資料となりそうだ。 見つかった木簡は、別の木簡を削って再利用した削りくずがほとんどで、これまでに1000点以上が見つかった。人名や役職名が記されたものが多く、奈良時代末期の年号「宝亀」と書かれたものもあった。 木簡の中には「金刺老」という名の近衛が、警備人員の配置について記したとみられる記述も含まれていた。また、警備対象とみられる「大宮」や「醫師」(医師)などと記された木簡も発見。木簡群は今後、洗浄して解読を進める。 同研究所の渡辺晃宏・史料研究室長は「近衛府や兵衛府にか
考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 慰労詔書を勉強してみなくては、と思ったら よろしくお願いします。 『延喜式』もっと勉強しろ!という激励を受けて??早速慰労詔書の研究状況を確認しました。本当にお恥ずかしい限りですが、あるはあるは山ほどあることが解りました。そしてもっとお恥ずかしいことに自分でその論文の載る雑誌を持っていたのであります。 『延喜式研究第10号』(延喜式研究会1995年3月15日)であります。 丸山裕美子「慰労詔書・論事勅書の受容について」という論文がありました。済みません丸山さん。いかに日頃勉強していないか、雑誌を取っていても積ん読だけかが露呈しました。 早速読みました。するとその引用に中野高行「慰労詔書の「結語」の変遷について」(『史学』55-11985年)という、そのものズバリの論文のあ
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