はてなキーワード: 努力とは
実家を出たときのことを、今でもはっきりと思い出す。僕は兄で、妹とは四つ違い。いつも穏やかで優しい妹が、自分の親に対して泣き叫ぶ姿を見るなんて、想像もしなかった。だけど、あのとき妹は限界だったんだと思う。むしろ、僕も同じように限界だったのだ。子どもの頃から「毒親」と呼ばれる環境の中で育った僕たちは、お互いが互いを気遣い合いながら、なんとか生きてきた。
僕たちの両親は世間体を気にしすぎるタイプだった。外から見れば、「教育熱心で厳格な家」という印象だったかもしれない。でも、その内側は違った。どんな小さなミスでも、親にとって“都合の悪いこと”になれば、怒鳴られたり、無視されたり、ひどいときには暴力まがいのこともあった。宿題をやっていないときは「怠け者」、テストで思うような点が取れないときは「努力が足りない」。どれだけ勉強しても「もっと上を目指せ」と追い詰められる。休みの日に友達と遊びに行けば「そんな暇があるなら勉強しろ」と怒鳴られる。僕も妹も、いつしか心の底から親の顔色を伺うようになった。
中でもつらかったのは、「進路」をめぐってだった。僕が高校に進学するとき、両親は有名進学校に合格するよう強く迫ってきた。そのプレッシャーに耐えられず、実は僕は一度だけ家出をしようとしたことがある。しかし、妹を置いていくわけにはいかないと思い直し、結局断念した。でも、そのとき妹はまだ中学生で、家に残るしかなかった。そんな妹が「お兄ちゃんと一緒にいたい」と僕に打ち明けたとき、何もしてやれない自分が情けなくて仕方がなかった。
その後、僕はなんとか高校を卒業し、アルバイトや派遣の仕事を掛け持ちして過ごすようになった。大学に行く気力はなかったというのが正直なところだ。親は「大学に行けないのなら家を出ろ」と言い放ったが、いざ出て行こうとすると「親不孝者が」と怒鳴る。言うこととやることが矛盾している。だけど、その矛盾に気づいたところで僕にはどうすることもできなかった。やがて妹も高校へ進学。成績は良く、周りからは「優等生」と見られていたが、その裏で妹は必死に呼吸をするように親の目を気にしていた。
妹が高校二年になった頃、ある深夜のことだった。バイトから帰ってきた僕は、リビングで一人泣き崩れている妹を見つけた。理由を聞くと、学校で一度だけテストの点が下がったことをきっかけに、親からひどく責め立てられたらしい。妹は「こんな家、もう嫌だ。お兄ちゃん、一緒に出て行こう」と震える声で言った。その言葉を聞いたとき、僕はある意味“覚悟”ができた。「もう逃げよう。二人でここを出よう」と。夜明けが来る前に、僕と妹は荷物をまとめはじめた。最低限の服や通帳、学校の教科書などをリュックに詰め込んで、親に見つかる前に家を出た。
両親には当然「勝手なことをするな」と言われると思ったが、そのときはもう恐れよりも先に「自由になりたい」という気持ちが勝っていた。妹が通う高校に相談してみると、事情をある程度汲み取ってくれて、転校という形で新しい学校を紹介してくれることになった。あまり詳しい事情は言えなかったものの、「家の事情で逃げたい」という妹の言葉が切実に聞こえたようで、比較的スムーズに話が進んだ。僕も収入が不安定だったが、とにかく二人で暮らすために、急いで安いアパートを探し始めた。物件情報を見て回り、実際に不動産屋をいくつもまわる。田舎の方へ移っても良かったが、妹が通う高校への距離を考え、都心からは少し離れた町のアパートを選んだ。
そうして、妹と二人暮らしを始めることになった。間取りは1DK。狭いけれど、二人で暮らすにはどうにかなる広さ。壁は少し薄く、隣の部屋のテレビの音が聞こえてくることもあったが、実家にいた頃の息が詰まるような苦しさに比べれば、天国のように感じた。お互いに遠慮はいらないはずなのに、最初はそれでも気を使い合った。お風呂の順番、寝る場所、部屋の整理整頓。兄妹とはいえ、二人暮らしのルールを決めるのは思った以上に大変だった。だけど、自由な空気がそこにあるだけで、胸の中にぽっかりと温かい火が灯ったように感じられた。
僕は早朝からコンビニでバイトし、昼間は派遣の倉庫作業に行くことが多かった。妹は平日は学校、土日は単発のバイトを探して働くことを始めた。毒親の元では許されなかった「アルバイト」だったが、今は誰からも怒られない。いつか二人で、もう少し広い部屋に引っ越したいと夢見ながら、僕たちは少しずつ貯金を始めた。最初は本当にギリギリの生活だったけれど、安心して眠れる空間、自由に会話ができる空間が何よりも大切だと感じた。
そんなある日のこと。妹が学校から帰る途中、カフェでアルバイト募集の張り紙を見つけてきた。時給はそこまで高くないが、交通費支給やシフトの融通など条件は悪くなさそうだ。「お兄ちゃん、私、ここで働いてみたい」と目を輝かせる妹を見ていると、僕も自然と笑みがこぼれた。毒親のもとにいたら許されなかったことを、いま妹は自分の意思で選び、そして始めようとしている。その一歩が、僕にはとても大きく見えた。
実際に妹がカフェの面接を受けに行くことになり、僕は帰りが夜遅くなるかもしれない妹のことが気がかりで、一緒に最寄り駅まで迎えに行くことにした。面接は上々だったらしく、店長もとても優しそうな人だったようだ。「採用されたら頑張るね!」と妹は嬉しそうに言う。その笑顔を見て、僕も心から「よかったな」と思った。
駅からアパートへ向かう夜道は、人通りが少ない。僕は自然と妹の少し前を歩き、周囲を気にしながら帰宅する。すると、近所の商店街にある個人経営らしい居酒屋の前で、通りすがりの中年男性に声をかけられた。「こんな夜遅くに、仲いいなあ、新婚さん?」と言うのだ。妹と顔を見合わせて、思わず吹き出してしまった。「いえ、兄妹なんです」と答えると、「そうなの? いや、雰囲気がいいからてっきり夫婦かと思ったよ」と笑われた。妹は「全然違うのにね」と顔を赤らめていたが、その後「でも、夫婦みたいだなんて、ちょっと面白いよね」とクスクス笑っていた。
実は、こうやって夫婦やカップルと間違えられることは、これが初めてではない。引っ越しのときにも、不動産屋の担当者に「同棲ですか?」と何度か確認されたり、スーパーで買い物をしているときに「ご夫婦ですか? 新婚さん向けフェアの案内ですが……」と声をかけられたりした。僕としては妹を守る立場でもあるし、多少の誤解は軽く受け流しているつもりだけれど、妹のほうは毎回、「兄妹なんですけど……」ときちんと訂正してしまう。それでも、今となってはこの勘違いもほほえましく感じられるようになった。実家にいるときには考えられなかった、なんでもない日常の一コマ。僕たちには、そういう穏やかな時間がなかったのだと思う。
それから少し経って、妹はカフェでのバイトが正式に決まり、僕たちの生活はさらに忙しくなった。ただ、不思議と疲れよりも充実感のほうが大きい。帰ってきてからリビングに二人で座り、一日の出来事をおしゃべりする。妹はカフェでの接客で経験したちょっとしたトラブルや、お客さんとの面白いやり取りを楽しそうに話してくれる。「昔はこんなふうに話をしても、どうせ親に全部ダメ出しされるんだろうなって思ってたけど、今は好きなだけ話せるから、すっごく楽しい」と笑う妹。その様子を見ていると、あのとき家を出た選択は間違いじゃなかったと心から思える。
もちろん、二人暮らしを始めてからも問題はたくさんある。親からの連絡は「許さない」という罵倒や、一方的な怒りのメッセージばかりで、話し合いができる状況ではない。時折、僕たちの住まいを突き止めようとしたのか、知人から連絡が入ることもある。「両親が連絡先を知りたがっている」とか「お前たちがわがままを言っているんじゃないのか」とか。だけど、僕はもう振り回されるのはやめようと決めた。妹も「返事しなくていいよ」と、毅然とした態度をとってくれている。親と離れても、今は生きているだけでありがたいと心から思えるのだから。
そんな僕たちだけれど、将来のことを考えないわけにはいかない。妹はあと一年ちょっとで高校を卒業する。大学に行きたいと言う気持ちもあるらしいが、学費をどうするか、奨学金は借りられるのか、僕の収入だけで妹を支えられるのか……問題はいくらでも出てくる。でも、妹が「やりたいことがあるなら挑戦したい」と言うなら、僕は全力で応援しようと思う。自分の大学進学の夢を諦めたのは僕自身の判断だった。あの頃はそれしかできなかったのかもしれないけれど、妹には後悔してほしくない。正直、不安は尽きない。それでも、毒親の支配から離れた今、僕たちにはお互いを思い合う時間と心の余裕がある。まずは二人でしっかり話し合い、可能性を探っていこうと思っている。
夜遅く、妹がアルバイトから帰ってくると、決まってキッチンから香ばしい匂いが漂ってくる。僕が先に帰っている日は、ごく簡単な料理だけど、妹の分の夕飯を用意するようにしているのだ。チャーハンとか、野菜炒め程度だけど、「ただいま」と玄関を開ける妹の「いい匂い……」という一言を聞くと、やってよかったと思う。妹も翌日が休みのときなどは、代わりに僕のためにパスタを作ってくれたりもする。兄妹が同じ食卓で笑いながらご飯を食べる姿は、誰がどう見ても“家族”のはずなのに、不思議と「本当の家族」という実感が生まれてくるのは、ここ最近のことだ。
妹の存在は、僕にとって唯一無二の支えになっている。たとえ夫婦や恋人と勘違いされたっていい。僕にとって妹は妹であり、しかし同時にかけがえのない同居人でもある。実家にいた頃は、僕たちの間にいつも両親という“大きな壁”があった。それが今はなくなり、ようやく素直に向き合えるようになった気がする。僕たちはお互い助け合い、励まし合いながら生きていく。親の呪縛にとらわれることなく、自分たちの人生を、自分たちなりに歩んでいこうと思っている。
時には外食をして、隣りの席のカップルと間違えられることもあるだろう。時には夜道で「まさか兄妹じゃないよね?」なんて声をかけられるかもしれない。だけど、もうそれは構わない。二人暮らしを始めてから知ったのだけれど、人は他人の生活を結構なペースで勘違いしてくるものらしい。誤解されても、二人でいれば楽しいし、互いに隣にいられる安心感がある。それが分かるだけで、昔のように人の目を気にして呼吸を浅くすることはなくなった。
この先、僕たちが歩む道に何が待っているのかは分からない。経済的にもまだまだ不安定だし、妹がこれからやりたいことを見つけたとしても、すぐに実現できるかどうかは定かではない。それでも、「あの家に帰るよりずっとマシだ」という気持ちは揺るがない。毒親との関係を絶ったことで、ようやく手に入れた自由と、そして兄妹だけの小さな生活を、僕は何より大切にしていきたいと思っている。
考えてみれば、僕と妹がこうして一緒に暮らすということ自体、実家では到底許されなかったはずだ。親にとっては「恥」だったのかもしれない。長男が家を出るなんて、妹まで連れ出すなんて、とんでもないと。だけど、そんな言葉にはもう縛られない。妹と二人で暮らすことは、僕たちにとって自由と希望を取り戻す第一歩だったのだ。
ときどき思い出す。リビングの机にしがみつきながら、両親に泣き叫んでいた妹の姿を。あの光景は僕のなかで、いつまで経っても消えないかもしれない。でも、あの瞬間こそが僕たちに“逃げ出す勇気”をくれたのだ。だから今は、その記憶を大切に噛みしめている。もし同じように苦しんでいる人がいたら、声を大にして伝えたい。「逃げてもいい」と。誰だって、自分の人生を自分のために生きる権利があるのだと。
帰宅した妹の「ただいま」の声。台所から漂う料理の匂い。二人でテーブルを囲むときの、なんでもない会話と、小さな笑い声。そんな当たり前の生活の一つひとつが、僕たちにとっては宝物みたいに尊い。これから先もきっと悩むこと、苦しむことはたくさんあるだろう。だけど、どんなに傷つくことがあっても、もうあの家には戻らない。僕たち兄妹は、お互いを支え合いながら、一歩ずつ前に進んでいく。その道の途中で、夫婦や恋人と勘違いされることがあったって、それは微笑ましいエピソードとして受け止めていくつもりだ。
「毒親から逃げ出すために妹と二人暮らしを始めた」というこの事実は、僕たちが生きていくうえでの大きな分岐点だった。親の期待や束縛、暴言に押しつぶされそうになっていた僕たちが、やっと呼吸できるようになった場所。それが今のこの狭い1DKのアパートだ。床は古くて所々ミシミシと音がするし、壁は薄いし、エアコンの調子もいまいちなことがあるけれど、それでもここは僕と妹の大切な居場所だ。誰にも邪魔されない、僕たちだけの“小さな世界”。そして、この世界で、僕はずっと妹と一緒に笑っていたいと思う。あの家ではできなかったことを、少しずつ取り戻すように、毎日を噛みしめながら過ごしていこう。
「もうすぐご飯できるよ!」とキッチンから妹が声をかけてくる。僕はテーブルに箸とお皿を並べながら、その声に返事をする。この空間が、僕たちにとっての本当の“家”だ。例えどんなに些細なことでも、ここでの出来事はきっと僕たちの思い出になる。毒親から逃げ出すために始めた二人暮らしは、逃避行なんかじゃない。僕たち兄妹が「生きる」ということを取り戻すための、そして笑顔で日々を送るための、新しいスタートラインなのだ。
近年、AIやロボットなどの先端技術が目覚ましい勢いで進歩するなかで、人間の定義や“権利”という概念そのものについての再考が求められる機会が増えている。そんな社会情勢の中で一部の人々が提唱するアイデアに、「動物に人間同様の権利を与えるべきかどうか」という問題がある。動物愛護の観点からは、ペットとしての犬や猫、あるいはイルカやチンパンジーなどの高い知能を持つ動物に対して人道的な扱いを求める声は以前からあった。しかし、法律や倫理の観点で「人権」を動物に適用するという議論はまだ広く受け入れられているとは言い難い。そこで今回は、ある種の極論ともいえる「一定の能力を持つ猫に人権を与える」という仮説を取り上げ、その可能性や問題点、そして私たちが学べる示唆について考えてみたい。
1.“人権”とは何か?
「人権」とは、一般的に「人として生まれながらにして持つ権利」を指す概念である。自由権や平等権など、国や社会によってさまざまに解釈や範囲の違いがあるものの、人間を人間たらしめるための基本的な権利という共通理解が広く受け入れられている。
一方、「人権」という言葉を動物に適用することの是非は長年議論の対象となってきた。かつては「ヒト以外の生物に人権など存在しない」というのが主流の考え方だったが、動物愛護の観点が強まった現代では、動物にも生命や自由の尊重が求められるべきだという意見が増えてきた。ただし、多くの場合、それを“人間と同等の権利”とは呼ばず、「アニマルライツ(動物の権利)」や「アニマルウェルフェア(動物福祉)」といった別のフレーズを用いて区別している。
では、なぜわざわざ「人権」と同じ言葉を使う必要があるのか。そこには、単なる愛護の枠を超えて、「生き物としての尊厳をどこまで拡大できるか」「法的にどのように動物を扱うか」という踏み込んだ議論が関わってくる。人間の法律を基盤として動物を守りたいという主張もある一方で、それによって生じる多くの矛盾や新たな課題も浮き彫りになる。
2.猫の特徴と知能
ここで焦点を当てているのは「猫」である。猫は犬と並んで古くから人間と深く関わりを持つ動物だが、その特性や知能はしばしば誤解されがちである。
一般に犬は飼い主の指示に従順で、さまざまな訓練に適応しやすい動物とされる。一方、猫は独立心が強く、気まぐれな一面を持つため、「犬よりも知能が劣るのではないか」と思われがちだ。しかし近年の研究によって、猫も飼い主や環境への適応能力が高く、犬とは異なるかたちでの学習能力やコミュニケーション力を備えていることが示唆されている。
さらに、一部の猫は“特殊な芸”や“問題解決能力”を持つことがある。例えば、特定の動作を学習して繰り返す猫や、飼い主が使う簡単な道具を模倣する猫が報告されている。また、飼い主が示す表情や声色を読み取って自分の行動を変化させる例も観察されている。そうした高い学習能力や社会的コミュニケーション能力を有する猫を指して、「一定の能力を持つ猫」と呼ぶことができるかもしれない。
仮に「知能テスト」や「行動特性の検証」を行い、その結果として“人間社会において最低限のコミュニケーションを成立させられる”と判断される猫がいたとしよう。そのような猫を対象に、人間と同等の権利――言い換えれば、「人権」に準ずる権利を付与しようとするのが、今回の仮説である。
具体的には、以下のような権利を想定してみるとわかりやすいかもしれない。
もちろん、これらを文字どおり猫に適用するのは現行の社会制度とは大きなズレがある。しかし「高いコミュニケーション能力が証明された」という前提を置けば、少なくとも議論の余地は生まれる。
4.想定されるメリット
猫に限らず、動物虐待が社会的な問題として繰り返し取り沙汰されてきた。「アニマルウェルフェア」の観点からも、虐待や劣悪な飼育環境が後を絶たない現状には胸を痛める人も多いだろう。もし“人権”という強い法的保護を特定の猫に与えることができれば、それが心理的・社会的な抑止力として機能する可能性がある。人権を侵害した行為として“犯罪”の扱いがより明確になり、違反者に対して厳しい罰則を課すことができるかもしれない。
人間以外の生物に人権を認めることは、社会的秩序を新たに再構築する大きなチャレンジともいえる。これをきっかけに、倫理や法、そして共同体としての在り方を深く考え直す機会が生まれるだろう。近年、ジェンダーや人種・国籍を超えた多様性の重視が進んでいるが、それを動物へ拡大するというのは、ある意味で論理的な延長線上とも考えられる。人間中心主義的な世界観から一歩離れ、より多様な存在が尊重される社会のヒントが見えてくるかもしれない。
私たちは古くから猫を可愛がり、時には神秘的な存在として崇拝してきた歴史がある。もし猫が法的に「人権」を持つ存在として扱われるならば、これまで以上に彼らの行動や感情表現が注目されるだろう。猫側も“人間社会での権利行使”のために、さらに学習やコミュニケーションを深める可能性がある。これは純粋に文化・芸術の発展にも寄与するかもしれない。映画や小説、漫画などで、猫が人間と同等に会話し、生活に溶け込む物語は多くの人の想像力を刺激する。そこに実際の法的保障が加わると、ファンタジーとリアルの境界があいまいになる新しい時代が訪れるとも言えるだろう。
最大の懸念は「人権の乱用」である。仮に一定の基準を満たした猫が人権を手に入れた場合、その適用範囲はどこまで広がるのだろうか。ほかの動物にも同じように権利を与えなければ不平等だという声が上がるのは必至であり、それが連鎖的にエスカレートする可能性もある。「猿にも、豚にも、魚にも同じ権利を」と議論が拡大していくと、社会の制度や経済活動は大きな混乱を招くことになるだろう。
権利を行使することは、同時に責任や義務を伴う。人間の場合は、法的な責任を負う自覚や社会生活上のルールを学習し、破った場合には罰を受ける仕組みが整っている。しかし、猫にそれをどのように適用するかは極めて難しい問題だ。たとえコミュニケーション能力が高い猫であっても、“法律を理解し遵守する”という意味では、人間社会のルールとの齟齬が生じやすい。万が一、猫が誤って人を傷つけたり器物を損壊してしまった場合、どのように責任をとらせるのか。権利を与えた以上、猫自身が賠償責任を負うことになるのか。その背後で管理する人間に責任が転嫁されるのか。こうした問題は容易には解決しない。
さらに、根本的に「猫は猫としての幸せを望んでいるのか?」という点にも立ち戻るべきだ。人間同様の権利を押し付けること自体が、猫の本来の生態や自由を奪う可能性もある。猫は群れを形成する動物でもなければ、複雑な社会システムを構築する動物でもない。彼らは日々の暮らしの中で狩りをし、寝て、遊び、時に仲間とのんびり過ごす生き物である。人間の法律に基づく複雑な権利関係に巻き込むことが、彼らの幸福に直結するとは限らない。
このように、「一定の能力を持つ猫に人権を与える」というアイデアは、実際の社会に導入するには数多くのハードルが存在する。しかし、この提案が示唆する本質的な問題は、「私たちは人間以外の存在をどこまで尊重できるのか」という問いにあるのではないだろうか。
動物虐待、環境破壊、家畜としての過剰な搾取など、人間が引き起こしている数多くの問題は、私たちが人間という種を優先して他の生き物を蔑ろにしてきた歴史の副産物だともいえる。一方で、動物たちが持つ豊かな感情やコミュニケーション能力に光が当たるようになり、いまや彼らを単なる“所有物”や“資源”として扱う時代は終わりを告げようとしている。
それでもなお、「人間が特別」であり、「人間のみが人権を有する」という考え方は根強い。もし、猫をはじめとする動物が人権を獲得するとしたら、それは私たちの価値観に大きな変革をもたらすだろう。生物学的にも、倫理的にも、法的にも極めて大きなパラダイムシフトを伴う。しかし、そうした急激な変化には当然、摩擦や混乱がつきまとい、実現性は高くはない。
今後、私たちの社会がどう変化していくかは未知数だが、テクノロジーの進歩が動物との共生に新たな可能性をもたらすかもしれない。たとえば、動物とコミュニケーションをとるための音声・脳波解析技術がいずれ実用化されれば、猫が感じている感情や意志をより正確に理解できるようになるかもしれない。猫側も同様に、人間の意図を理解して自分の意思を伝えるツールを持つ可能性は否定できない。
そのとき、もし猫たちが「自分たちにも尊厳を認めてほしい」「苦しい治療や劣悪な飼育環境を押し付けられたくない」と主張し始めたら――私たちはどう応えるのだろうか。声なき声がテクノロジーを通じて可視化されたとき、議論はさらに白熱し、“人間だけの特権”と思われていたものを再定義せざるを得なくなるだろう。
「一定の能力を持つ猫に人権を与える」という仮説は、まさに極論の域にある。実行のハードルや法的・倫理的問題点は膨大であり、現実的にはすぐに導入できるものではないだろう。それでも私たちは、この議論が問いかけるテーマから学ぶことができる。
つまり、動物をどれほど尊重し、社会の一員として扱うことができるのかという視点だ。猫や他の動物が持つ感情や能力を可能な限り正しく理解し、必要とされる環境や保護を整えることは、私たち人間社会の責務である。人権という言葉を用いるかどうかは別として、動物の「生きる権利」や「苦しまない権利」を法的にも社会的にも守っていく道筋を探る必要があるだろう。
また、「人間と動物」という二分法ではなく、「それぞれの生き物が互いを尊重し合う社会」というビジョンを思い描くことはできないか。もし猫がさらに進化し、意思疎通がより深くなったとき、私たちは“同じ地球上に生きる存在”として彼らとの関係性をアップデートすべきだろう。言い換えれば、本当に必要なのは、私たち人間が持つ特権や傲慢さを見直すことである。
最後に、私たちが猫たちにどのような“権利”を与えるかという話は、結局は人間側の問題に他ならない。権利を与えるという行為そのものが、すでに人間視点の押し付けの可能性を含んでいるからだ。本当に必要なのは、私たちが自然や生き物をどれだけ尊重できるか、あるいはそれぞれの生き物の“幸せ”の在り方をどれだけ理解し、そのための環境づくりができるかということだろう。人権というフレーズが象徴する大きなテーマを通じて、猫や他の生き物たちとの未来について、深く考えてみるきっかけになれば幸いである。
以上の考察を総合すると、「一定の能力を持つ猫に人権を与える」というアイデアは、現実的には多くの困難を伴うものの、動物の尊厳や生きる権利をより積極的に認めていくうえで、私たちに鋭い問いを投げかける存在であると言えるだろう。それが真に実行されるかどうかは別としても、私たちの社会が抱えるヒト中心主義や生物多様性の問題について改めて考える入り口になるのではないだろうか。権利と義務の関係をどこまで動物に適用できるのかという議論は、決して簡単に結論の出るものではないが、人間と動物が真に共生していく未来を描くためには避けて通れない問題である。
結局のところ、どんなに議論を重ねても、猫が自ら望む幸せと人間社会が用意できるシステムとの間には大なり小なりギャップが生じる。そのギャップを埋める努力こそが、私たちが“ヒト以外の生き物と共存する社会”へ近づく第一歩なのだろう。猫に人権を与えるか否か――その問いが投げかけるのは、私たち自身が持つ“人間であることの特権”や、他者(他生物)を排除する無意識的な態度への揺さぶりにほかならないのである。今こそ、一歩踏み込んだ思考の余地を持ち、猫を含む多様な生き物たちにとっての幸せを見つめ直す時期が来ているのかもしれない。
わたし「今日は女性はどのぐらい人生イージーモードなのか、女性に話を聞いてみたいと思います。脳内女性さん、よろしくお願いします」
脳内女性「よろしくお願いします。本日はお招きいただきありがとうございます」
わたし「早速ですが、女性が人生イージーモードと言われる理由について教えていただけますか?」
脳内女性「もちろんです。女性は社会からの期待が比較的低いにもかかわらず、評価や称賛を受けやすいという特権があります。例えば、仕事や学業で男性と同じ成果を出した場合、女性の方が『よくやった』と褒められることが多いのです」
わたし「なるほど、それは女性が努力を過小評価されているとも言えませんか?」
脳内女性「そう捉えることもできますが、重要なのは結果です。どちらにせよ、称賛を得られるのは女性にとって有利な状況ですから」
脳内女性「もちろんです。例えば、公共の場で困っているとき、助けを得られる確率が高いのは女性です。社会は女性を守るべき存在として認識しており、それを自然に享受できるのが女性の強みです」
わたし「それでは、なぜ女性は人生がイージーモードであるにもかかわらず、『かわいそうアピール』をするのでしょうか?」
脳内女性「簡単な話です。弱者の立場をアピールすることで、さらに周囲からの支援や同情を得られるからです。社会は『助けるべき弱者』を手厚く扱う傾向がありますので、女性にとっては戦略的に有効なのです」
わたし「その戦略は計算されたものなのでしょうか?それとも無意識に行っているのですか?」
脳内女性「どちらの場合もあります。ただ、多くの女性は感情に訴えることが効果的であると知っています。それを意識的に使うか無意識に使うかの違いです」
わたし「感情に訴えることで得られるものとは具体的に何ですか?」
脳内女性「主に人間関係の優位性ですね。例えば、職場でのトラブルや人間関係のもつれにおいて、感情的な訴えが通じるのは女性の方が圧倒的に多いです」
わたし「しかし、こうした状況は男性に不満を与えることになりませんか?」
脳内女性「その不満こそ、女性がさらに優位に立つための要素です。男性が不平を口にすると、社会から『器が小さい』と思われるのは男性の方です。女性はその状況すらも利用できます」
わたし「それは不公平だという声もありますが、そうした声にどう対応されますか?」
脳内女性「『女性は特権を持つ性別ではない』と主張すればいいのです。少し自己憐憫を交えるとさらに効果的ですね。それに、批判の声を真に受ける必要もありません。私たちは最終的に得をする側ですから」
わたし「ですが、それでは男性の不満は蓄積するばかりではないでしょうか?」
脳内女性「その不満をどう処理するかは男性自身の課題です。私たちが気にする必要はありません」
わたし「うわあああああああああああああああああああああああああああああずるいずるいずるい!!!」
わたしは怒り狂って脳内女性に蹴りを入れようとした。しかし、それもあっさり受け止められてしまう。
なんか世の中物価高だとか言いながらバンバン値上げしてるでしょ?
全く仕入れ価格は変わってないのに申し訳ない風情の「値上げのお知らせ」をすると何の努力もしないで収入が増える!嬉しい!
増田の妻も進行形で不倫しているor不倫願望があるから疑心暗鬼になってるだけだよ。奇跡的に今は不倫してなくても時間の問題。
増田が他に挙げたことも全部看護師だからじゃなくて奥さんの資質だよ。そんで増田自身も子供過ぎる。「ぼくちんにやさしくして」じゃねーんだよ。だったら自分のママ呼び出しておっぱいでもしゃぶってろ。
増田は離婚を切り出すことが夫婦生活の切り札だと思ってるだろうがやめたほうがいいぞ。奥さんは「いいよ離婚しよう」って確実に乗り気になるから。
奢り奢られ論争なんてまだ自分が関与する歳でもなく
当然港区女子なんて言葉もないし昔はプロ彼女なんて言葉も流行ったりしたけど
そういう類いの女性に対する個人的な嫌悪感を持っててそれを最初に感じたのは男子部の女子マネージャーだったとふと思った
なにが気に入らないって自分で努力して何かの目標を目指すのではなく
当然協力はするにしても誰かの努力や成果に乗っかろうとするのがすっごい嫌だった
自分もプレーヤーとして目指してて怪我で断念した男子マネージャーとかはもちろん大切な仲間だと思ってたけどね
現実的な組織の話で言えばみんながプレーヤーじゃなくてそれをサポートする役割ってのはもちろん大事で
アスペルガー男性かつブルーカラー系の職場など女性と接する機会がないから
「ジャニやホストというラベルがあれば何しても世の全ての女に許される」「顔や金などこの一点さえあれば女は群がる」「チンポ入れたら女を所有できる、女の容姿を貶せば自己評価が下がり妥協してもらえる」みたいな「これ一発でイージーに解決できる」という言説に飛びつく
長期的な営業努力を怠り楽して利益を手に入れたいという時点で詐欺師のターゲットと同じ
世の女が自分の伴侶と息子以外の男に無関心なのと同様に、ジャニヲタも推し以外のジャニタレもイケメンタレントもジャニー喜多川もどうでもいいのよ
ジャニヲタの殆どが「ジジイ地獄から戻って後始末しろ、用が済んだら帰れ」という認識なのはいいねリポスト数で視覚化されてる
少数の陰謀論ジャニヲタも「権力勾配で何も言えない推しがスポンサーや出演番組や仕事を奪われた」から性加害の存在を否定してるだけ
被害者に賠償してタレントはノーペナルティなら終わりなら陰謀論者にならなかった
アスペルガー男性かつブルーカラー系の職場など女性と接する機会がないから
「ジャニやホストというラベルがあれば何しても世の全ての女に許される」「顔や金などこの一点さえあれば女は群がる」「チンポ入れたら女を所有できる、女の容姿を貶せば自己評価が下がり妥協してもらえる」みたいな「これ一発でイージーに解決できる」という言説に飛びつく
長期的な営業努力を怠り楽して利益を手に入れたいという時点で詐欺師のターゲットと同じ
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被害者に賠償してタレントはノーペナルティなら終わりなら陰謀論者にならなかった
ちょっと解像度も想像力も貧弱すぎるぞ。遊女はトップの花魁からそもそも遊郭の中でもない夜鷹たちんぼまでランクが全然違うのを一緒くたにしている。もちろん下位の遊女は食べるものにも苦労しただろう。太客をつかんで食事をご相伴するためにいろいろ努力をするんだろう。痩せすぎで健康に問題の出るレベルの遊女は勿論良くないだろうが、金のないKKOだって独り寝が寂しい夜もあって、安い遊女は福祉でもある
え、自分で掘った穴を自分で埋めたならそれってマイナスをゼロに戻しただけじゃないの?
発達障害だって生まれつきマイナスに振り切れてるけどそれを努力してゼロに戻しても誰も褒めたり尊敬したりしないよ?
むしろ自分がゼロに戻す努力をしてる間に周囲はもっと努力してるから「お前はなんでゼロなんだ」って叱られるまである
しかも戦争は生まれつきの障害じゃなくて自分たちで起こした悪さじゃん
受刑者が刑務所で「私はこんなに努力してるのに普通の人間は甘えてる」っていってたら「一理あるな」って働く人間は思うのかっていう
入社試験でもそうじゃん「私はこんなに苦労しました」ってつらつら言い続けてたらお祈りされるよ。確実に。
要するにさ甘えてんだよな。
部屋は動線が保たれていればいい。ゴミは虫が湧いていなければいい。料理はまずくなければいい。食器は紙皿や紙コップでいい。ある程度家事をやって快適に過ごすよりも、家事をサボってレベルの低い生活をする方がストレスが少ない。
彼氏には「同棲する日のためにある程度生活できるようになってほしい」と言われている。彼は「普通は一日三食摂る」「シンクに食器が溜まっているのは不快」「床に髪の毛が落ちているのはイヤ」みたいな感覚を持っている(彼が普通で私がずぼらなのはわかっている)ので、私と共同生活をしたら彼は良く言っても家政夫、悪く言えば幼児を育てる親みたいになってしまうと思う。
私は彼が好きだし彼が正しいと思うのでどうにか合わせていきたいのだけれど、「あなたが生活の及第点を下げるという選択肢はないのか?」「共同生活の素質の無い側だけが適応する努力をしなくちゃいけないのか?」「私の生活が肯定されることはないのか?」という気持ちもある。
何より「今困ってるからこれを直して」というなら直す気も起こるのだけれど、「将来困りたくないから今のうちから練習してできるようになっておいて」というのは難しい。私一人しか困らない環境で、将来の困っている彼を想像して、その彼のために正しい生活をしろとおっしゃる。
これを読んでしまったので、メンヘラ界隈卒業した元メンヘラ(笑)がちょっとだけ自分語りするよ
書き慣れてないし、感情のままに書きなぐってるだけだからあとで消すかも。
私は増田の妹と同じ、いわゆる"ファッションメンヘラ"だった。
正直今思い出しても居心地が良かったと思えるぐらい、私にとっては過ごしやすい界隈だった。でも過ごしやすいなんて思う時点でダメなんだよね、そしてどんどん引っ張られる。
みんな飽きずに毎日死にたいって言い続けてるし、傷口を舐めあって馴れ合いをしている。
ヘラる割には回復する努力もせず、ひたすら平行線かちょっと悪化する感じ。そして界隈の誰かが死ぬと「がんばったね」なんて肯定しあう。
あの界隈で"死"は日常だし、近い存在だからなんとなく自分も手が届くもののような気がしてくる。そして、死後は皆一斉に自分に対して何らかのアクションを起こしてくれる。今まで満たされなかった承認欲求を満たしてくれる。まぁ、死んだら本人は見れないけどね。
何となくそんな幻想を抱いて、自分を生きづらさからも解き放ってくれる"死"が最善のように感じる。そんなわけないのに。
じゃあここから抜けるにはどうしたらいいか?簡単な話、根気強く自分に向き合ってくれる"居場所"を作ることである。そしてこれに当てはまるのが所謂"理解のある彼くん"になる。
あの界隈に入り浸るような人間は往々にして依存体質であり、恋人なんて依存対象としてはうってつけのものだ。だから、真っ当な恋人を作ることが最短かつ最善の解決策になりやすい。
彼くんから繰り返し「その界隈から足を洗った方がいい」と伝えて、あの界隈を否定してもらい、自分でもなんでもいいからとにかく他のものに目を向けてもらう。
界隈で馴れ合わなくても、傷口が開いたら彼くんが慰めてくれる。界隈で承認欲求を満たさなくても、彼くんが満たしてくれる。そういう環境に置くとそれなりには回復し、メンヘラ(笑)からは早めに脱却できる。
とまぁこれが"理解のある彼くん"療法なんだけど、手っ取り早いのが恋人なだけで別に恋人じゃなくてもいい。とにかく別のコミュニティ(依存先)を作ることが解決策になる。
……間違ってもあの界隈同士で付き合ってはいけない。「1人なら怖くても恋人となら」と簡単に死ぬからだ。あの界隈での命はそれほどまでに軽く、儚く、脆い。エンターテインメントの1つとして扱われる。
もし今もあの界隈にいる人間がいて、これを読んで思うところがあったら早々に別の依存先を作り、足を洗った方が死なずに済む。なんでもいい、ちなみに増田は出会い系アプリをn個駆使し、片っ端から異性と会うことで"理解のある彼くん"を作り、界隈から離れました。
それぐらいしないと抜け出すことは出来ないぐらいには居心地がよかったし、今もそう思う。それと同時に抜け出せて良かったし、二度と戻らないとも思う。戻ったら、次は無いだろうし。
1: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 12:02:47.93 ID:abcd1234
そもそも親ガチャって糞親のせいにして自分の不幸を正当化したいだけだろ。そんなもん年齢いけば自己責任だっつーの。
2: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 12:10:22.57 ID:wxyz5678
儒教関係ないわ。親ガチャ叩かれるのは、親に責任転嫁して何もしないヤツが多いからだろ。なんでもポチッと選べるガチャじゃないっつーの。
3: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 12:15:58.19 ID:efgh9012
子ガチャ?それもいい歳して言ってたらただの甘えだろ。結局、自分の都合のいいように解釈してるだけじゃん。
4: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 12:23:41.10 ID:ijkl3456
親ガチャが叩かれるってことは、親としても当たり前に頑張ってる人が多いってことじゃね?お前だけが不幸の塊だと思うなっていうメッセージかもな。
5: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 12:31:19.75 ID:mnop7890
親ガチャとか子ガチャとか、単なる流行語で片付けちゃいけないだろうが、結局は努力次第っしょ?そう言うと怒るヤツ多そうだけどw
6: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 12:38:44.80 ID:qrst4321
まぁなんでも親のせいにしてる奴が多すぎるんだけどな。そんなに言うならお前が親になってマシなガチャ振れんのかって話だよな。
7: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 12:45:20.67 ID:uvwx8765
ガチャって言うと、まるで親選びも運ゲー感あるけど、現実は運ゲーなんて考えちゃ進まないんだよな。自分でなんとかするしかないわ。
8: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 12:52:37.83 ID:zabc1239
親ガチャとか言ってるヤツに限って怠惰な生活してるんだよ。親のせいです、で止まってるヤツは何かと理由つけて自分が動かないだけ。
9: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 13:05:43.99 ID:bcde4567
精一杯自分が変わろうとしてる人は親ガチャなんて使わないしな。そういう人は黙って努力してんだわ。
10: 名無しさん@実況で名無し2024/05/17(木) 13:13:58.87 ID:defg6789
親ガチャの被害者は確かにいるかもだが、いつまでもゲーゲー文句言っても何も変わらんて。それこそガチャ結果で自分を育てるしかないだろ。
そうならないように努力すればいいだけだろ
ギャル:「オタクくんさぁ、優しくされたいからって弱いフリするの、マジやめたほうがいいって話なんよ~!」
オタク:「えっ!?でも弱かったら優しくしてもらえるじゃないですか?そういうもんじゃないんですか?」
ギャル:「それが違うんよ!だってさ、ほんまに弱い人って、めっちゃ厳しい世界で戦ってるんよ?弱いフリするってことは、その人たちに失礼やし、その世界なめすぎなんよね。」
オタク:「えっ、弱い人ってそんな戦ってるんですか?もっと守られてるイメージだったんですけど…」
ギャル:「違う違う!ほんまの弱者の世界って、超バチバチのサバイバルやで!?もう攻撃しあわんと生きていけへん、みたいな。」
オタク:「えっ、じゃあ強い人のほうが大変じゃないですか?だってずっと戦わなきゃいけないんでしょ?」
ギャル:「それがちゃうんよ~!強い人って、お互い攻撃しあわんでも生きていけるんよ。ただ、今の地位を守るために努力はするけど、弱者ほど『これやらんと死ぬ』みたいな追い詰められ方じゃないの。」
オタク:「あー、なるほど。じゃあ弱い人は、助けてもらうためにもっと攻撃的になるってことですか?」
ギャル:「まあ、そんな感じやね。でもね、オタクくんが言いたいこともわかる。だからこそ、優しさが欲しいならまず自分が他の人に優しくするのが大事なんよ!」
オタク:「優しくしてもらうために優しくする…なんかループしてる気がするけど、それが正解なんですね。」
ギャル:「そうそう!結局さ、弱いフリして甘えるんじゃなくて、自分から優しさを出していくのが、一番お互い幸せになれる方法やと思うで~💖」
オタク:「わかった気がします!ギャルさん、優しいですね…!」
ギャル:「あはは、オタクくんが話聞いてくれるからやん~!ありがと~💖」
いのりさんが本当に立派な子で好感が持てます。
自分にも「もっと早く始めていれば」という後悔から動き出せずに諦めてしまったものが沢山あるので、自己主張・挑戦・努力といったことが出来て本当に凄いなと感じました。
U149ぐらいしかアイマスは知らないんですけど、この子が好きになるってことはえっと……つまり……ナボコフ先生の薫陶を受けた特殊な趣味の持ち主ということでしょうか?
そういう人がいるのも仕方ないと思いますし、別の脳の病気とは思いません。
豊臣秀吉が立派な人だったのかは置いといて歴史的な事実としてそういうのが普通の時期はありましたもんね。
でも今の時代にそういう性癖を前面に押し出して生きているというのはキモいと思いました。
立派な人だと思いますよ。
やっぱキモいですね。
おまえがそういうおこぼれなんとか拾って女体を手に入れることが不幸じゃないって価値観だとしてさ
そういうときですら、相手の女性を幸せにしたいとかせめて良い思い出になるような何かの努力をするとかさ、
そういうことは一切言えないんだね
行間でにおわせることすらしない
【1:無名の愚者】2023/10/15(日) 10:22:18.54 ID:z5xA3dlK0
奥さん、完全に墓穴掘ったな。趣味を無理やり取り上げたら人間壊れるってわからなかったのか?これは信頼の問題だよ。
【2:名無しさん@お腹いっぱい。】2023/10/15(日) 10:25:47.87 ID:j8Rl1nVZ0
しかも、その趣味で稼いでたわけでもないのに、なぜ売る...完全にアウト。84万が泣いてるわ。
【3:無名の愚者】2023/10/15(日) 10:28:05.66 ID:e7dBw9oQ0
物以上に大事な物を捨てたって自覚ある?夫が戻るには、相当な時間と信頼の修復が必要。でも、まずは距離を置いて頭冷やしな。
【4:名無しさん@お腹いっぱい。】2023/10/15(日) 10:32:14.22 ID:w3kF2kHs0
こんなことされたら普通の男でも立ち直りにくいわ。趣味って自己アイデンティティの一部だから。衝動的な行動に謝罪だけじゃ済まないよ。
【5:名無し募集中。。。】2023/10/15(日) 10:38:43.29 ID:m2eF0vBv0
ミニ四駆をプレゼント?そんな簡単な話じゃないだろう。84万円を懺悔のつもりで全額使いなって。
【6:無名の愚者】2023/10/15(日) 10:45:21.77 ID:6qZVpF7f0
友人の話はもっとダメだな…夫からすれば裏切りどころじゃない。どうせ許してもらえないから、誤解を解く努力を続けるしかないと思う。
【7:名無しさん@お腹いっぱい。】2023/10/15(日) 10:52:05.12 ID:u2uL3sEr0
夫が再び趣味に戻るためには時間もかかるし、あんたがどれだけ支えてあげられるかが勝負。根気よく頑張るしかない。
【8:名無し募集中。。。】2023/10/15(日) 10:59:22.58 ID:co3f8sZV0
積み上げたものを簡単に崩しちゃダメだよな。もっと夫の気持ちを考えろと。元に戻したいなら、しっかり反省し続けるしかない。
【9:名無しさん@お腹いっぱい。】2023/10/15(日) 11:05:45.71 ID:7sYmFpGJ0
そもそも、そんなにミニ四駆が嫌だったの?夫婦の時間云々は後付けにしか聞こえん。ちゃんと話し合ったのか?
お前らのことが書いてあるぞ
自己愛性パーソナリティ障害の人は、深く関わってこようとしたり、頻繁に世話を焼くなどして、周りの評価を求めようとする傾向にあります。そして「あのときやってやったんだから、こうしろ」などと後に支配下に置こうとしたり、反発すると周囲に吹聴するケースも。感謝の意を表すのみにして、あまり頼らないようにしましょう。
3.「勝ち負け」「優位性」に乗っからない
自己愛性パーソナリティ障害があると、「自分と他人のどちらが上でどちらが下か」という物差しで判断しがちです。正常な努力による「勝ち」ではなく、学歴、持ち物、プライベートなど、相手を貶したりからかう行為によって「優っている」という意識を持ちたがる傾向にあります。このため、詮索されてもはぐらかす、「勝ち負け」で人を判断しない心構えを持つことが大切です。