はてなキーワード: メロディとは
淫夢の歴史は今さら語ることでもないが、長年続いてるネットミームである。
これだけ長期間高い熱量で扱われるネットミームは淫夢の他に無いかもしれない。
しかしいよいよそれが終わりそう。
というのも、今若い女子の間で「野獣先輩ダンス」が流行っているのである。
キャッチーなメロディ、淫夢に関係する歌詞、そして可愛い女の子のダンス。
これが TikTok などで流行り、一部では X でも動画を見ることができる。
今までは淫夢厨以外の淫夢発言は「淫夢営業」といってネタにされる傾向があったが、
野獣先輩ダンスに関しては淫夢厨は全くおもしろいコメントをすることができず、タジタジなのである。
さながら男子校に可愛い女子高生が遊びに来て、男子高生たちがうまくコミュニケーションを取れていない光景だ。
良くも悪くも「女が関わったコンテンツは終わる」の例となるだろう。
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クリスマスはそれは素晴らしいイベントで、生徒はかわいらしい制服を着て、美しいチャペルに集う。
聖歌はどれも美しく、切ないようで温かかく、生徒たちの声変わり前の高い声が十字架の下に響く。
音楽の先生が奏でるパイプオルガンの荘厳な音の中、興奮しつつ私は友達とチャペルを後にする。
私たちは、冬休みへの期待と、友としばしあえなくなるさみしさを胸に、白亜の校舎の前で、「来年また会おう!」と明るく誓い合う。
この頃は何もかもが美しくて、私の周りにはいつも誰かがいた。
みんなの好きなものが私の好きなもので、私が美しいと思うものはみんなが美しいと思うものだった。
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あの日一緒に鬼ごっこをした友達は、異性や部活、英語、進学、ゲームなどそれぞれの話しかしなくなって、それぞれに友達を作っていった。
私だけが、いつまでも幼い日の幻影を追って、いつしか友達と呼べる人はいなくなっていた。
それでも、クリスマスの礼拝と、そこで歌う歌は変わらなかったし、その時ばかりはみんながまた同じ方向を向いているような気がして嬉しかったのだった。
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しかし、それは強制参加ではなかったし、私は一度も足を運ばなかった。高校の同級生だった彼らも、そうだったろう。
長く男子校で過ごした私にとって、同年代の女性によって取り仕切られるキラキラして楽しい式典はウソに思えた。
高校を出るまでの私が愛した、禁欲的で、退屈で、美しくて、正統なクリスマスは失われてしまった。
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だから私は、あの頃のクリスマスの面影をどうすれば再現できるかに腐心した。
大学でできた数少ない友人の一人と、夜の皇居外苑に行った年は成功だと思った。
2人で誰もいない二重橋前を走り回って、雪見大福とカップそばを慎ましく分けた。
私が楠木正成像の前で唐突に「ダビデの村里」を歌いだすと、彼はメロディを知りもしないくせに「下手だなあ」と言って笑った。
十字架も信仰もないけれど、私にとってのクリスマスはこうあるべきだったのだ。
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その友人とも、四年生の頃には疎遠になっていた。
昔は私がくだらないことや小さな発見を言えば何でも笑ってくれたのが、いつしか「つまらない」「やめて」とだけ返されるようになった。
代わりに彼はネットミームの話や、アイドルの話ばかりするようになったが、私がそれについて詳しく聞くと、面倒くさそうな顔をした。
大学最後のクリスマス、私は彼には連絡せず、荒川土手で夕日が沈み、町が暗くなるのをずっと見て物思いにふけっていた。
私にとってのクリスマスは何だろう。
それは、私が幼いままで構わなかった頃の虚像だろう。
垢抜けなかった同級生たちが、クリスマスの夜を女性と共に過ごすために心血を注いでいるとき、
私はどうすれば過去に戻れるか、どうすれば成長を拒否できるか、何も変わることのないものはどこにあるのかを考えていた。
しかし、そんなものはないし、そんなことはどうしても無理なのだ。
それに気づいた私は、荒川の水に別れを告げてクリスマスの装飾輝く赤羽駅へと向かい、家路についた。
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その醜い顔が夜の埼京線の窓に映っている。
そして、その目にうっすら涙をたたえながら、幼い自分と、その頃愛したクリスマスに別れを告げようと、「ダビデの村里」を心の中で歌っている…
を読んで、チャゲは本当に木根尚登とならぶ過小評価なソングライターだと長年思ってるので、個人的に感じる名曲でちょっと彼を見る目が変わりそうなのをいくつか紹介したい。
あくまで自分が好きな曲なのと、自分がちゃんとチャゲアスを聞いてたのは80年代終わりから90年代前半くらいまでのごく短い時間(つまりは流行ってた時代のミーハーファン)なので、コアなファンは「そんなカスみたいなのばかりあげんなよ」みたいな感想がでるかもしれないですが、まあ大目に見てほしいです。解散以降のソロ曲は一切知らないし。
これを読んで、チャゲにたいする「なんかアスカの隣でハモってるちょっと面白い人」くらいのイメージがちょっと変わったらうれしいです。
基本的にチャゲは凝った曲(メロディラインやアレンジが変な曲)や大きい曲(壮大なサウンドスケープを感じさせる曲)を作ったときに異様に力を発揮するタイプのソングライターです。それはたぶん彼の背景にビートルズやUKロックがあるのが要因かなと思う。そういうと「アスカのほうが大きい曲強いじゃん、「太陽と誇りの中で」とか「BIG TREE」」」とか」とファンは言いそうですが、アスカはJ-POP的な大きい曲に対して、チャゲはスタジアムロック的な大きい曲を作るのが得意な人です。本人のパブリックなキャラとだいぶ違って、それは木根とも共通すると思います。
今回は「大きい曲」 「変な曲」 「ふつうに良い曲」を2曲づつ挙げていきます。どの曲も今やサブスクで聞けるようになりましたので、ぜひ聞いてほしいです。
大きい曲その1。チャゲ曲でのファンの間で代表曲といえばこれだと思います。とにかくでかい。タイトルからしてでかい。イントロのアタックといいドラムといいでかい。そこからぐっと入るUKロックのようなAメロ。チャゲアスっぽいBメロという展開を繰り返しながら、ぐっとためてためて爆発するサビ。歌いやすくグッとくるこのサビのスケール感は、U2のWhere The Streets Have No NameとかOasisのLive Foreverとかとためをはれるんじゃないかとすら思う。間奏での掛け声がものすごくダサいがそのダサさも含めてスタジアムロックな名曲。ライブで聞くとなんとなくいいものを聞いたなと誰もが思うんじゃないでしょうか。それくらいのパワーがある曲。
大きい曲その2。これはチャゲのサイドユニット Multi Maxのもの。まあチャゲアスのライブでもけっこうやってた記憶があるのでここで取り上げたい。ロマンシングヤードがアッパーな感じの大きな曲なのに対して、こっちはミドルな大きな曲。まあほぼロマンシングヤードの兄弟曲なのだが、スケール感はこっちのほうが上。なんとなく環境問題を意識したっぽい歌詞はあの時代ですな。サビがとにかく気持ちいいのでカラオケで歌ってても楽しい曲。
変な曲その1。SAY YESが入っていてむちゃくちゃ大ヒットしたTREEに入っていたのでたぶん聞いたことある人もいそうな曲。JPOPによくあるファンクっぽい曲なのだが、エフェクトのつけ方とかすごく気持ち悪くてかっこいい。当時釣りに凝っていたチャゲが当時はまだあまり市民権のなかったCATCH & RELEASEというワードをもとに恋愛の歌詞にしたもの。Aメロのすっ飛ばしぐあいがすごくて、ちょっときれいな感じのBメロになったと思ったらドキャッチーなサビになる。全編でアスカとのボーカルコンビネーションが堪能できる。
変な曲その2。これもPRIDEに入ってるので知ってる人はそれなりにいそう。ちょっとエスニックな感じのイントロにやたらとエコーをかけたアスカの声が入ってくる。ところがサビで転調した瞬間に爽快なメロディになる。AメロBメロとサビの印象が全然違うので、サビの爽快さがさらに際立つ。歌詞とぴったりとあってるようにも思うしなんならアルバムジャケとぴったり合ってる。中学生のころに初めて聞いてなんだこれ!と聞き直したくらいインパクトのある曲。
ふつうに良い曲その1。普通に良い曲ももちろんある。これは元増田も言及していた曲でriverのカップリングなのでそこそこ知られてるかもしれない。こういうアーティストが自分の過去を振り返る曲はいい曲になりやすいよね。ちょっとサビの感じが長渕剛っぽいのが好き嫌い分かれそうだが僕は割と好み。というかチャゲも歌い方を長渕に寄せてる気がするし、何度か聞いてるとだんだん長渕っぽいなと思えてきて、長渕の声で脳内再生できてくる。歌の題材が福岡なせいだろうか。
ふつうに良い曲その2。チャゲ曲なのにほとんどをアスカが歌ってる不思議な曲。チャゲアスが得意なミディアムバラードだけどとにかく全部よい。メロディ、歌い方、歌詞、アレンジ、全部完璧。しいて言えば、間奏のアスカのモノローグがいらないくらい。渋谷のスクランブル交差点をテーマにしてるらしいがイメージがありありと想起できる。AメロがほぼサビなのだがこのAメロがものすごくよくできてる。歌詞と曲の一体感に、全然違うがTM NETWORKのStill Love Herと近さを感じるのはなぜだろうか。僕はいまだに渋谷のスクランブルで信号待ちをしているときにこの曲のサビが脳内で流れ出す。
陰謀論の話だ。
2016年の覚醒剤での逮捕から、2019年の解散、Chageへの批判、そして陰謀論への傾倒。
陰謀論を信奉する人々にとっては陰謀論こそが真実なのかもしれないが、「月は人工物」とまで言い出している。
私は90年代の後半、チャゲアスが全盛期を少し過ぎた、しかしそこにあった圧倒的な輝きがまだ感じられる頃にチャゲアスを聴いていた。
というか、姉がファンだったので、広く浅く当時の曲全体を聴く機会があった。
そして、その頃からどこかしら、こんな日が来ることを予感していた気がするのだ。
それについて少し書いてみたいと思う。
予め言っておくと、途轍もなく偏見まみれで客観性に欠けているので、その点ご了承されたい。異論は認めるけどスルー大推奨です。
ネットの掲示板にはAskaが圧倒的才能の持ち主で、Chageが凡庸のように書かれている。だが、当時の曲を聴いていた自分の見方からすると少し違う。二人の持ち歌やソロ曲はこんな感じだった。
<Aska>
・恋愛至上主義。
・ロマンチックなシチュエーションを好む女性や男性に対して強烈な訴求力がある。
・ソロ曲ではエッジはそこまで効いておらず、キレの良さがやや影を潜める。
・声がとにかく独特。一度聞いたら忘れない声。
・天然。高校時代、Chageの歌っていた井上陽水の「夢の中へ」を知らなかったという話があった気がする。
・案外Chageへの対抗意識が強い。ビートルズ的なサウンドを追求する人を否定する発言も。
・売れる。
<Chage>
・やや小賢しい。
・メロディラインが難解な曲を歌いこなすものの、ノリづらいこともある。
・エッジの効いた曲を作るが、本人の声は高音寄りで柔らかく、パンチ力はいまいちなことがある。
・稀にパンチ力極大になる。(ロマンシングヤード、NとLの野球帽など)
・冗談好きでトークが上手い。深夜ラジオのDJは相当人気があった。
・基本そんなに売れない。
とにかく、一般への訴求力という面からするとAskaの方が上回るが、ChageはAskaにない部分がある。
二人が揃うことで弱点を克服し長所を増幅させていたのだが、どうしてそれができたのかはなんとも説明しがたい、そんなデュオだった。
だがまあ、本題はAskaのことだ。
Askaの世界観は少女漫画とうちの母親は言っていた。少女漫画と呼ぶにはは多少の男っぽさもあるにせよ、テーマの中心は理想の恋愛と理想の自分、理想の「きみ」だ。
恋愛という場面において最高の自分を演じる、そのためのシチュエーションを紡ぎ出すことに凄まじく尖った才能を発揮していた。
ChageもAskaもイケメンではない、せいぜいフツメンだ。
どちらかというと面白い顔のChageと比べるとイケメン系ではあるAskaも造作が素晴らしいわけではない。そのイケメン性はもっぱら自己演出によるところが大きい。
ただしその自己演出も、当時ですらそんなに時代には合っていなかった。
いつか時代に完全に取り残された時に、イケメンでもなく最高の男でもなく、弱くなった自分と相対した時にこの人は音楽が作れるのだろうか。歌が歌えるのだろうか。
それから何十年も経った今がある。
彼の才能を輝かせるためには、「最高の恋愛」からインスピレーションを受け続けなければならない。
インスピレーションが枯渇すればなんとかしてそれを補わなければならない。
クスリでも不倫でも、許されることではないにせよ、それだけの刺激を得ていないと止まってしまう。泳ぐのを止めたら窒息して溺れる魚のように。
友達すらいるのだろうか。本当のところは曖昧ではあるにせよ、ヤクの売人に徹底的に漬け込まれたり、陰謀論者に取り込まれたりするところを見ると人間関係の頼りなさは明らかに気になるところだ。
そんな自分を支えて引き上げる手立てはおそらく彼にはない。井上陽水を知らなかったように、ビートルズ的なサウンドを否定したように、Askaの世界観は他の世界と切り離されている。Askaは奇妙に孤独で真空だ。
だから、今のAskaは、傍から見ると怪しげな陰謀論としか見えないそれを大事に抱えて生きて、未だに残るかもしれない才能の煌めきの残滓に火を灯し、その人生をその人生の通りに駆け抜けるしかないのだろう。
パソコンで何かをするとき、Youtubeで音楽をまとめた動画を聞いていることがある。最近、タイトルがない曲を大量にアップロードしている音楽動画がたくさんあることに気づいた。どうも調べてみると、生成AIで作った音楽をまとめて投稿しているらしい。私は何の気なしにAIで作った音楽集を聞いていた。それだけならどうということもない話だが・・・
実は私はイラストを描いてお小遣いを得ているような人間だ。イラストレーターとして独り立ちできるような根性も実力もないが、細々と副業程度で描いている。イラストと生成AIについてはX(Twitter)周辺でかなり紛糾する話題になっているし、はてな匿名に生成AIイラストの投稿もいくつか見かけるから見たことがある人も多いと思う。簡単に言うと、著作権無視してネットの画像を漁った上で生成したイラストの著作権はどうなっているのか?こうして生み出されるイラストで仕事が奪われるのではないか?というのが議論の骨子である。私はしがないながらもイラストレーターなのでイラスト関連の生成AIについてはかなり敏感になっていたのだが、音楽については完全に視野の外にあった。そんな私が生成AI音楽に出会ったのだった。
言いたいことは、見だしにある通りだ。音楽に疎い人は、生成AIで生み出された音楽と気づかない。例えばどこかの飲食店でBGMとして流れている音楽に、生成AI音楽が紛れていても、音楽オンチの私は絶対に気づかない。
世の中には音楽に救われる人もいる。音楽の歌詞やメロディをしっかりと味わう人もいる。しかし正直なところ、私は音楽なんてなくたってどうってこともない人間だ。音楽オンチで音楽については冷淡でいる。だから生成された音楽があっても気づかないし、見つけてもなんとも思わなかった。同じことはイラストにも言えるだろう。イラストに興味がない人ならば、いくら生成AIだかと言われてもピンとこない。だったらイラスト制作会社が生成AI使ったってなんの反発も受けないし、やるだろう。安くつくから。面倒な発注をせずにちゃちゃっと作っちゃえば、パッと見きれいなイラストが作れる。細部を見るとおかしなところがあっても、ほとんどの人は気にしない。
将来的に俳優、脚本、ユーザーサポート、医療などで生成AIを使う場面は増えてくる。そうなると有益だから使うという考え方と、著作権とお仕事を守らなければならない考えが今以上に激しくぶつかり合う場面が出てくるかもしれない。ユーザーサポートはAIで代行するのは楽だとしても、お仕事なくなるんじゃない?医療診断でAIを使うとお医者さんは間違いが減らせて患者さんも助かるけど、それって医者は治療方針を最終判断するだけの存在にならない?俳優は著作権があるけれど、そういう人を使うより文句も言わず何でもやってくれるAI俳優にCM出てもらったほうが安くつかない?
とまあ色々書いてきたけど、結論とかなにもないです。寝る前に布団の中でグルグル考えていたこと書いただけです。おやすみなさい。
昔々、宇宙の果てにセダカの星と呼ばれる美しい星がありました。その星は、音楽の魔法に満ちあふれていて、そよ風が吹くたびに優しいメロディが響きわたっていました。
その星には、ニール・セダカというとても優れた音楽家が住んでいました。ニールは星に存在するすべての楽器を操り、星を訪れた旅人たちを美しいメロディで迎えていました。星の住民たちは、毎晩彼の音楽に心を癒され、幸せな時を過ごしていました。
しかしある日、セダカの星に暗雲が立ち込め、星の光を失わせるほどの大きな嵐がやってきました。嵐は音楽の魔法を乱し、人々は不安と恐怖に包まれてしまいました。
ニール・セダカは、この混乱から星を救うために、魔法の音楽を奏でて嵐を鎮めようと決心しました。彼は心を込めてピアノを弾き始め、そのメロディは嵐の音をもかき消すほどの力となりました。しだいに暗雲は散り、星は再び光を取り戻していきました。
嵐が去った後、セダカの星にはかつて以上の輝きが戻ってきました。ニール・セダカの音楽は、再び人々を幸せにし、新たな希望をもたらしました。彼の音楽は星を支え、永遠にそのメロディが響き続けました。
教訓:真心を込めた行動は、困難を乗り越え、周囲を明るく照らす。
ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
最初はマッチングアプリでサクッといけるでしょ?って軽く考えてたけど、現実は甘くない。メッセージのやりとりはそこそこ進んでも、いざ会うと微妙な空気が漂って、毎回「またダメか…」って感じで帰ることばっかり。
この前も身長高めで優しい人が理想って子に会って、まあそれなりに自信あったんだけど、話すたびに「ふーん」「へぇ」くらいしか反応がなくて、完全に滑ってるなって思いながらも無理やり話題振り続けてた。
帰り道の虚しさがすごくて、もうどうしたらいいんだか。周りは婚活なんて数こなせばいいって軽く言うけど、数こなせばこなすほどどんどん消耗していく感じ。たまに、自分ってそんなに需要ないのかな…って落ち込みそうになる。
もうどん底の気分で帰ってたんだけど、ふと自分に「このままじゃダメだ!」って謎のスイッチが入っちゃってさ、酔って家に帰る途中で急にマツケンサンバⅡのメロディが頭に浮かんだんだよ。
で、気づいたら、通りの真ん中でサンバのステップ踏み始めてて、もう踊らずにはいられなくなってる自分がいた(笑)
最初はさすがに人目が気になったんだけど、意外と周りもスルーしてるし、こっちはすっかりハイになって、「俺は婚活戦士!負けない!」みたいな謎のテンションに上がってきて、心の中で「オーレ!」とか叫びながら全力で踊ってた。
最後はもうなんか、婚活とかどうでもよくなってきて、「俺、今、めちゃくちゃキラキラしてるやん!」って感じ。こんなふうに自分で自分を盛り上げるのもアリかもなって思ったわ!
もういい完全にハイになって、通りでマツケンサンバⅡを全力で踊り狂ってたら、気づいたらパトカーが止まってて、警察官がこっちに向かってきてたんだよ。「え、やば、マジかよ」って一瞬で正気に戻ったけど、もう遅い(笑)
警察官に「何やってるんですか?」って真顔で聞かれて、俺も「あ、いや…婚活でちょっと…」とか意味わからない言い訳しちゃってさ。そしたら「場所を考えてくださいね」って軽く注意されて、しょんぼりしながらその場を離れることに。
完全にテンション下がったけど、帰り道でじわじわ面白くなってきて、「これも増田のネタになるか」って思ったらちょっと救われた気がしたわ。
https://anond.hatelabo.jp/20241106140729
https://anond.hatelabo.jp/20241106183428
https://anond.hatelabo.jp/20241106112459
このへん見てたらなんとなく書きたくなったので。
2D時代のゲームから選出したけどだいぶ偏りが出ちゃったかも。海外のものは詳しくないのでパス。
ゲーム中にBGMがついた最初のビデオゲームとも言われる。楽曲としてはおそらく翌年発売のNEWラリーXのほうが有名で、大野木宜幸が手がけたメロディは当時のゲーマーに強烈な印象を残した。
たった2小節からなるメインBGMは作品の神秘性を高め、日本初のゲームサントラが制作されるきっかけにもなった。細野晴臣によるリミックスも発売され、最先端のサブカルチャーとして強く認知されることになった。
おそらく世界一有名なゲームミュージック。何度も作り直したというメインテーマは絶妙なテンポ感でゲームにマッチしている。ゲームサウンドとしてはじめてアメリカ議会図書館に登録された。
ファミコンの二〜三和音で見事にクラシックを表現し、オーケストラによるゲームミュージック演奏という道も切り開いた。また、洞窟の下層に行くほど音程が低くなるという、今でいうインタラクティブミュージックのようなアイデアも取り入れられている。
ハードの進歩とレースゲームというジャンルの特徴により、イントロからソロ、アウトロダクションまでを兼ね備えたおしゃれなフュージョンが表現可能になった。セガ体感シリーズの系譜は後にS.S.T.BANDを産み、ゲームミュージックバンドの先駆けとなった。また”Outrun”は80年代シンセを使った音楽ジャンルのひとつにもなっている。
Ⅱではなく2。ファミコンを含め、ROMカセットに拡張音源を載せたゲームは数あるが、知名度が高いこちらを選出した。透明感と重厚感を兼ね備えたSCC音源はMSXユーザーの自慢のタネであり、様々な方法を使い自作曲を鳴らす文化まで生み出した。
映画のような演出のアドベンチャーゲームは多数つくられたが、ゲームでしか実現できない仕掛けによってそれ以上のものになっているのが本作。作曲にあたっては難しい条件があったと思われるが、美しいメロディでそれに答えている。
FM音源の迫力あるドラム、うねるようなリード音が響くオープニングは当時のパソコンユーザーの度肝を抜き、以降のパソコンゲームの音のレベルを引き上げた。
PCエンジン版では米光亮によるアレンジ音源が使われ、CD-ROMの優位性を見せつけた。
企画段階から音楽をキーとしていたという本作は、ギターの奏法を再現するなど独自の手法も編み出し、ドラクエとはまた違ったタイプのRPGサントラを作り上げた。「エイト・メロディーズ」は特に有名で、音楽の教科書にも掲載された。
容量の厳しいスーパーファミコンの音源を最大限に活かし、オーケストラサウンドを実現して業界を震撼させた。植松伸夫がこの作品に衝撃を受け、完成間近だったファイナルファンタジーⅣの音色を全て作り直したという逸話が知られている。