兵庫県の斎藤元彦知事に関して、公職選挙法違反の疑いが取り沙汰されています。この件は、知事選挙中のSNS活用における問題が中心です。一部報道では、SNSの戦略に関与したPR会社が公職選挙法に違反するような活動をした可能性が指摘されていますが、斎藤知事側はPR会社への直接依頼を否定しています。また、この問題によりSNS活用の透明性や選挙運動との境界についての議論が続いています。
なぜこんなことに?
この問題の背景には、SNS活用の選挙運動における透明性と法的規範の曖昧さがあります。斎藤元彦知事陣営は、選挙活動の一環としてPR会社を通じたSNS運用を行ったとされていますが、その運用が公職選挙法の規定を逸脱した疑いがあると指摘されています。特に、選挙運動と一般的なPR活動の境界が曖昧であり、それが選挙法に触れる可能性を生んだようです。この事態は、SNS戦略の適法性や透明性への社会的関心を高めています。
曖昧さをついたのでは?
曖昧さが悪用された可能性も指摘されています。特にSNS戦略は、選挙活動か通常の情報発信かの線引きが不明確で、これを意図的に利用することで法のグレーゾーンを突いたのではないかとの批判があります。ただし、知事側はPR会社への依頼内容が法的に問題ないと主張しており、意図的な違反があったかどうかは不明です。このケースはSNS利用における選挙規制の課題を浮き彫りにしています。
なぜ危ない橋を渡ったのか?
兵庫県知事がSNSを活用した背景には、現代の選挙戦でSNSが大きな影響力を持つため、効率的に有権者へ情報を伝え、支持を得たいという意図があったと考えられます。しかし、公職選挙法の規制が複雑でSNS運用の透明性が求められる中で、ギリギリの戦略を選んだ結果、危険な橋を渡る状況になった可能性があります。このようなリスクを冒す必要があったかは、関係者の判断と責任が問われる点です。
このような疑惑が浮上することで、政治家としての資質が問われるのは避けられません。有権者の信頼を得るためには、法規制に対して慎重かつ誠実に対応することが求められます。しかし、今回の件では、規制の曖昧さや戦略の透明性に欠けた部分が問題視されています。特に、こうしたリスクを伴う行動が選ばれた背景には、結果を優先し過ぎた判断や倫理観の欠如があった可能性が考えられ、今後の説明責任が重視されます。
最初は違和感がある程度だったんだけど、夕方ぐらいになると明らかにムズムズするように
心当たりしかないので泣きながら検査キットをネットから申し込んだ
完全匿名配送みたいな形だったので妻にばれないようにこっそり受け取って
採尿して郵便で送りつけて待つこと1週間
結果が出て「全て陰性」とのこと
好き嫌いと善悪や良い悪いは別物だと言う人がいるけれど、あんまりそうとも思えなくて色々考えてた。
後者を構成する要素が様々にあるとしても、結局全て個人の快不快の集合に帰結しそう。
宗教・法・倫理等々の社会規範、文化、技術的方法論、色々な要素を基準とした善悪や良し悪しがあるけれど、その基準そのものがやっぱり根源を辿っていけば快不快をどれだけもたらすかを問題としてる。その形成過程が政治的なものであるにせよ、何らかの共感やナラティブによるものにせよ。
(道具的ではない)理性なる概念も、いまいちしっかりと定義(実証?)出来ない。定言的な義務なんて言っても、それを揺るぎないものとする根拠に欠ける。あったらあったで結局それは仮言的なものでしかないし、そんなメタ規範があるとしてもまた定言命法同様の矛盾を抱える。黄金律にはなり得ず、単なる主義主張にしか留まらない。それが普遍性を持ち効力を発するとしたら、政治的過程によってなんだろうな。自然法則は価値判断を行わないし、神は言葉を聞かせてくれない。政治なんて快不快原理の擦り合わせそのものだし、であれば「理性」なるものの根源も快不快感情に基づいた欲求以外のものが見当たらない。
個人の快不快は集団において相互に作用する。衝突が発生したり、強固に結束する事もある。その中で、快楽を最大化する手段として新たな規範なんかが生じる。宗教的信念なり功利主義なりの主義であったり、あるいはもっと具体的個別的な法であったり、美意識であったり。
それらが蓄積・継承されたり、更にそれら同士が相互作用を生じることで、個人の快不快原理に対しても影響を与える可能性があるのも事実かもしれない。
その後は女性が妥協したら残った男子のうちマシな奴からマッチングしていく
やっぱ脳に電極だよね
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:サンドイッチ。惣菜パン。ファミチキ。豆乳。夜:ギョニソ。キュウリ。目玉焼き。納豆冷奴。人参と玉ねぎとシメジの和風スープ。ヨーグルト。バナナ。間食:羊羹。
○調子
つよバハとアルバハだけ。
あれ?2度目?
電気グルーヴで言うとこの『虹』的な、
そのアーティストのファンに本当に深く愛されてて、夜に酒飲みながら聴くとジワーっときてもしかしたらちょっと泣いちゃったりもする、そんな感じの曲あったら教えてください!
【追記】
たくさん教えてくれてありがと!
https://open.spotify.com/playlist/0TLtWWo6JcdHmdGc1AouPp?si=k0xPeVArS4GZ9x5V_NVKoQ&pi=JLHRrm-YRWuuz
https://kokoro.squares.net/?p=13178
林先生の文章そのものにはなにも異論はない。「質問者は医療者ではない以上、労務・人事の問題として対処する責務があるのであって、医学・医療の問題として対処する責務はありません。」本当にその通りだと思う。自分もあの頃にこの文章を読みたかった。
自分の状況も質問者氏とあまり変わらないものだった。Aさんに該当する人物が本当に同じようなことをやってくれた。問題行動しかなかった。そこで自分もやっぱり思い当たった。この人、発達障害なんじゃないか。今にして思うと、そこで思い当たってしまったのが不運だったのかもしれない。気づかないでいたほうがましだったのかも。
相手が発達障害という「障害者」だと認識したとたん、相手が「自分の足を引っ張る無能なくそ野郎」じゃなくて「特性により不自由であり、ケアを必要とする障害者」になってしまった。その結果、どれほどトラブルに巻き込まれても自分の仕事を邪魔されても「相手は障害者なんだから」自分が適切に対応してあげるべきなのだと考えてしまった。できるわけがない。できるわけがないが、それをするべきなのだと思い込んだ結果、メンタルがどうなるか。
自分にひたすら迷惑をかけてくる相手に対する怒りや憎しみは、障害者へ適切な対応ができない自分への失望やそんな感情を抱くことへの罪悪感に変わる。自分の仕事を邪魔されるストレスや苛立ち、無力感ももちろんあるが、前者のほうが自分にはきつかった。自分の場合は上司に相談しても「大変そうだけど頑張ってよ」くらいで流されたので、これほど大変な思いをしているのに理解されないという落胆や悲しさもあった。これほど辛いのは自分が未熟で駄目な人間だからだろうかという更なる失望、なぜこんな思いをしなくてはいけないのかという困惑、原因となる相手への怒り、しかし相手は「障害者」なのだと思い至る、そうやって思考と感情が空回りして、自尊心がズタズタになる。少なくとも自分はそうなった。だから辞めた。というか辞めざるを得なかった。職場に行けなくなったので。あの人が今もあそこにいるかは知らない。
質問者氏が「お互いにとって良い関係を築くため、先生のお知恵をお借りできますと幸いです。」と結んでいて本当に痛ましい。良い関係なんてそんなもんが本当に可能なのだろうか。労務上の問題ではなく、質問者氏のメンタルの問題として。今の自分ははっきり言えるけど、私はもう二度とあの人と関わりたくないし、あの人に類する人達とも関わりたくない。おためごかしもきれいごとも聞きたくない。そんなもんは私を助けてくれなかった。文句がある奴はてめえでやれ。どうぞご遠慮なく心中しやがれよ。
質問者氏の質問に対する林先生の回答は本当にそのとおりだと思う。でも、質問者氏が本当に言いたいのはそんなことじゃない気がする。だとしても、それを今の質問者氏のメンタルでは書けないだろうが。そして、林先生だって質問されたこと以外に答えることはできない。