はてなキーワード: 油そばとは
※追記
思いのほか注目されてるようでそれなりに他の人にとっても関心のあることだったんだなと再認識したよ。
肯定的な反応が多くて嬉しい反面、否定的な反応もかなり多くて改めて両者の意識の隔たりを感じた。
「スープを残す前提の食べ物」って考えてる人は感覚的にはざる蕎麦のつけ汁を飲み干すような感覚なのかな。
たしかに増田もそば屋のもりそばで残ったつけ汁を無理に飲み干そうとはあんまりしないわ。
でも後からそば湯を出してくれるような店ならつけ汁で割って飲むし、つけ麺の店もこのシステムはあるだろうと思うけど否定派の人はやっぱり飲まないの?
思うに、塩分を気にする以上にこれは感覚的な基準なんじゃないかと思う。
甘いものの話に飛び火しちゃうけど、ケーキとかパフェなんかも超大量の砂糖を入れてるけど、全部食べる派と半分残す派、なんて分かれてないよね。
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(原文)
このまま行くと2030年頃にはほぼすべてのラーメンスープが干上がり、ラーメン=油そばになってしまうのではないかと危惧している。
家系や背脂豚骨のようなどろどろのスープや、逆にお洒落で上品な創作系ラーメンのスープなどでその傾向は顕著に見られる。
そして従来の丸みのあるお椀型から底が深く縦方向に切り立ったシャープなシルエットの丼がやたらと目につくようになった。個人的にはアレがタチ悪いと思う。
アレはスープが少ないことがさも上品で洗練されているかのような面構えで、水たまりレベルのスープでさえさも当然と言わんばかりの顔で出てくる。
スープの少量化のカムフラージュのために作られた丼としか思えない、非常に狡猾な器である。
ただ問題の根っこはそこじゃない。
やはり根本的な問題はラーメンスープぜんぶ飲む / 飲まない問題である。体感的にざっくり客全体のおそよ半分は、スープの半分くらいを残しているように感じる。
飲まずに残す人に言いたいことは色々あるが、結局強制できるようなことじゃないのでそこは目を瞑る。
ただ考えてみてほしい。ラーメン屋にとってスープは命である。スープにこだわりのないラーメン屋はいない。あの味わい、あのコクの為にどの店でも膨大な量の材料と長時間の仕込みが必要になる。
その最もコストも手間暇もかけているものの半分くらいが毎日捨てられてしまうというのは、実はとんでもない矛盾であり構造的な問題と言わざるを得ない。
それでもスープはラーメンの命なので、これだけ原料が高騰している中でも材料の妥協は許されない。量においても質においてもである。
それを捨てないといけないラーメン屋が一番辛いだろう。本当は廃棄されるスープなんて一滴だって出したくないはずだが、客にそれを強いることはできない。
だから今はラーメン屋としてもスープの量は本当にギリギリでやっていることと思う。
これではスープが減るのも仕方がない。
ただスープを飲まない派の人は別段困らないだろうが、
スープをぜんぶ飲み干す派にとって「スープが足りない」と感じるのは実は相当に不足感があると声を大にして言いたい。
たとえ美味しいと感じるラーメンでも全体的な満足度は2~3割くらい減ると思ってもらいたい。
ここからは提言になるが、スープの量は注文時に選べるようにするべきである。
麺の大盛りが選べる事と同じくらいのスタンダードになってほしい。
そもそも半分は残されると分かっているものを、なぜ一律に同じ量で提供しているのか?これからはそんなことをする必要はない。
普通 / 少なめと選べるようにして料金も変えれば、店にとっても客にとっても環境的にも三方良しである。
ご当地ラーメンはたくさんあり、それらの発祥を書き出すとさすがにきりがないので、ここでは全国的に見掛ける、ないし影響を与えたと思われるラーメンに絞りました。
→書きました。現代ラーメン史上最も重要な店舗10選
1910年創業。醤油味のスープに小麦粉とかん水を使用した麺、具は支那竹、焼き豚、ネギと、いわゆる「昔ながらのラーメン」を提供し、日本最古のラーメン店とされる。1976年に閉店。
1937年創業。創業者の出身地である長崎のちゃんぽんからヒントを得て、スープに豚骨を使用したラーメンを提供。ただし、このスープは乳化させたものではなかった。屋台から始まり、現在は店舗を構えて営業を続けている。
1947年創業。仕込み中に意図せず煮込み過ぎてしまった豚骨スープを試しに飲んでみたところ、予期せぬ濃厚な味に驚いたという。「白濁した豚骨スープ」という特徴を持つ豚骨ラーメンの源流と言われる。こちらも発祥は屋台で、今は店舗で営業中。
1950年創業。味噌汁を元に工夫を重ねた末、味噌ラーメンを生み出す。ちなみに「客から要望があり、豚汁(ぶたじる・北海道なので)に麺を入れたのが最初」なる俗説は、二代目店主曰く「都市伝説」とのこと。現在も営業中。
1951年創業。「ラーメンの神様」こと山岸一雄が、中野店の店長時代、賄いとして食していたメニューをブラッシュアップし、麺とスープが分かれた「特製もりそば」を提供する。これがつけ麺の元祖とされる。
山岸一雄は、後に暖簾分けで東池袋に「大勝軒」を創業。晩年は多くの弟子を取り、暖簾分け・出身店も多数輩出。「東池袋大勝軒系」と呼ばれる系譜を築く。
1954年創業。スープがなく、丼の底に溜まったタレと油を麺と絡めて食べる、油そばの発祥店と言われる。ただし発祥は、国立市の「三幸」説もある(創業は1952年と二年早い)。現在も営業中。
正直さーせんでした。
ごめんなさい
「油そば?あぁ?油?意味わからん、真面目にスープ作れやボケ、手ぇ抜くな、言い訳すんな、つーか油って、もたれそう、ガキの食い物だろ」
このように評価していた。
腹が減って油そばの店を見かけても論外判定だった
とはいえ、食わず嫌いはイカン、一度は食った上で評価すべきである。
近所で美味いと評判の店で食うてみた、どうせギトギトでガキの食、、、
「う、美味いやん、なにこれ、考えたやつ天才?」
これまたウマい。
夜食、小腹がすいたときにちょうどよい、調理簡単、スープが無いので片付けも楽
冷凍庫に常備するようになった
そして9月末
どこにも無い
スーパー、ディスカウントストアを9軒はしごしたが見つからない。
終わった、俺の人生終わった
つーかまただよ
商品サイクルが早すぎるんだよ
なんで余計なことをするんだ?
ともかく、長く生きているとラーメンに限らず同じような経験を何度も繰り返す
そのたびに絶望し落胆し世の中を恨む
やがて諦めの境地に至る
精神の老化
つまり俺が言いたいのは
横綱が美味いのは判る、キライじゃない、だけど三列はいらなくね?
二列にして1列は油そばにしない?ね?
天一の2列を1列にするのでもよい
3種類にして1つは油そばにその座を譲らない?ね?
頼むよ
わかる。何のために生きてるんだろうってなるよね。後ろ向きとかってわけじゃなく、純粋な疑問として。
家族のためとか言うのが最もらしいお手本の答えなのかもしれないけど、もちろん家族が困らないように働いたり節約してるわけだけども、もうそれは当たり前の前提みたいな感覚だから「家族のため」って感じでもないんだよなもはや。
まぁじゃあ20年前とかにその「何のため」があったのかというと、その頃は意味があったように感じてたかもしれないけど、結果いま虚無になってることを考えるとそれも虚無だったかもしれんよなぁ、とか思ったりする。
毎日キツイけど、ちまちま小銭貯めてたまに油そば特盛ドカ食いしたりもつ焼き屋で1人で飲むのが最高の贅沢に感じて生きてるわ。
辛ラーメンってなんか辛いは辛いけどそればかり際立って、味に深み、いやもっと言うとうまみが足りないなと思ったわけ。
そんで原材料を見てみると、なんと動物性の材料が一切入ってないベジタリアンメニューみたいな構成だった。
しいたけの破片やみそは微量に入ってるんだけど、日本人が汁物に求めるうまみ量には達してない感じ。
うまみ成分としてはグアニル酸、グルタミン酸が入ってることになるが、動物性のイノシン酸が足りない。
これらは同時に使うと相乗作用が起きてよりうまみを強く感じるんだ。
なのでほんだしか、粉にした花かつおなんかをみそ汁作るとき並にガッツリ入れてやることがマストだと思う。
どうやら調べた感じ、韓国内で売られている辛ラーメンには牛ベースの材料も入っているらしいが、それはそうだろうと思う。
なのでダシダ(牛ベースの粉末だし調味料)とか持ってるならそっちを加えたほうが韓国らしくなるかもね。
日本のラーメンだと必ず油分が小袋で入っているんだが、それがないせいもあるかもな。