はてなキーワード: 詰将棋とは
リアルタイムとかAIとか3Dマップとかもいいけど、風雲録くらいの抽象度がちょうどええんよ。
オリジナルの風雲録にはなかった、戦闘中に発動する技とか、武将の兵科適正とか。
言われてみれば天翔記って要するに風雲録だよなあって気づきがあった。
どっちも人気作品だしね。
風雲録に天翔記風味を加えてさらにパワーアップしてるのすごい。
通常の遊びに加えて、詰将棋みたいに特定のシチュエーションで戦うモードも加わってて、手軽に遊べる感じになってた。
機動力上げて山地を一気に詰めたり、火力バフかけてモリモリ相手を削ったり、歩兵が弓兵に変身したり、メリハリがついて楽しい。
見事でも詰将棋でもありません。
見事な詰将棋でわろた
「“回復”はプレイヤーの時間を奪う要素だから要らない」──『サガ』生みの親・河津秋敏氏が語る、超鋭角な「攻める」ゲームデザイン論。最新作『サガ エメラルド ビヨンド』では短くかつヒリつくバトルを追求、「プレイヤーに同じような体験を何度もさせない」ことを目指した
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/240527t
そのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.denfaminicogamer.jp/interview/240527t
先に断っておくと、ギリギリのゲームバランスみたいな事に異を唱えるわけではない
だが限られたリソースの削り合いって意味ではヒリヒリする緊張感を味わえる
救援対象の操作可能キャラが砦に居て、リーダーがロードでユニットがソルジャー
敵に囲まれながら削られたユニットを下がらせ城壁に元気なユニットを回す
さてどうやって防衛してやろうか
RPGバトルで行動の最適解をシステムが押し付けてくると自由度は下がるんだが
「ギリギリで独壇場発動して勝利」をバランスがいいと有難がるのは違う
レベル(サガ系ならステータス)を上げて物理で殴っていい筈なんだよ
力こそパワーとばかりに、ビュッテン突破しても良い筈だ
だから「“回復”はプレイヤーの時間を奪う要素だから要らない」と選択肢を奪ってしまってはダメなんだ
そう思うプレイヤーがいるなら、勝手に制限プレイすればいいだけなんだよ
でも大概のシリーズは製作者のシステム的な思想がゲームに侵食していく
どんどんとプレイヤーの手からゲーム体験が離れてクリエイターの理想のリプレイになっていく
「敵のガードをブレイクしよう、一転攻勢だ」(ブレイクしないと満足にダメージ出ない)とかが典型で
これを有難がる人が増えると、シリーズが停滞していく
渡辺九段が「天彦さんや豊島さんは、(最前線の)研究合戦から降りた(12:48-)」と表現していたのが印象深かった。
しかし、「降りた」というのはネガティブな表現だけど、実際のところ、将棋は自由なゲームであって、相手に勝てるんなら当然何をやったっていいわけだよ。勝つために降りたんだと言ってもいい。
極端な話、藤井竜王名人が勉強時間の8割を序盤研究に充てていたとしたら、豊島九段が同じ8割を研究に充てても、差は縮まらないし、パソコンのスペックや研究効率でむしろ差は広がってしまうかもしれない。でも、研究が役に立たない力戦に持ち込めば、別のところで勝負ができる。だったら、研究以外のことに勉強時間を割いたほうが、結局は「地力が強くなって」勝ちやすい。プロ棋士レベルで地力が伸びる余地があるかは配信でも疑問が投げかけられていたけど(1:25:20-)、序盤研究も実戦対局も詰将棋も、将棋に関わる時間なら勝率にいくらかでも貢献するはずだ。そういう勝負環境のバランスがありうるし、実際にいまそれが起きている。
やがてそういう理由で仮に最前線が角換わりから振り飛車に移ってきたら、今度は振り飛車がAI研究で焼き尽くされるかもしれない。けど、幸いにして将棋はめちゃくちゃ広大なので、そもそも角換わりだってAIレベルでは焼き尽くしの途中だし、居飛車にも振り飛車にも枝葉に分かれた戦型は山ほどある。そして何より、AIがすべてを焼き尽くしても最終的には「人間にはすべてを覚えきれない」という絶対的な砦が残されている。
もちろん、もう一方には、増田康宏七段のように「相手の研究の隙を突いたり出し抜いたり、自分だけがもっと研究している局面に持ち込む」という方法で立ち向かう人もいる。
wikipediaの「最後の審判」の関連項目に「カードキャプターさくら」のリンクがあって何事?と不審に思った
リンクを踏んで「カードキャプターさくら」のwikipediaのページの記述を確認すると……
そしてクロウ・カードが全て集まった時、ケルベロスに対するもう1人の守護者にして審判者「月」(ユエ)が現れる。それは雪兎の真の姿であった。さくらは正式なカードの主となるため、「最後の審判」に挑む。最後の審判とは、さくらが主に相応しいか否かを見極める試練で、内容は封印したクロウカードを使って月と対決して勝つというものだった。さくらが月に負ければ、「この世の災い」が起こるという。この世の災いとは、クロウカードとクロウカードに関わった者全てから一番大切な者の記憶が消えるというものだった。
なるほど、作中で言葉が使われていたのか
ただ、こういうリンクを貼るなら「詰将棋の方の最後の審判」へのリンクも併せて関連項目に書いておいてほしいものだ
……おっと、「最後の審判 (曖昧さ回避)」のページの方に「最後の審判 (詰将棋)」のリンクがあるのか
しかしそうなると「カードキャプターさくら」のリンクが場にそぐわなくなってしまう
世の中にはおかしな人がいて「不思議のダンジョン系ゲームでないゲームが安易にローグライクを名乗るな。文化の簒奪であるぞ」みたいな事言うとるらしいんですよ。
「そうなんや。」
でもニューサイトや海外のフォーラムではローグライクって紹介されてるんや。
ローグライクやと思うてんけどな。チュンソフトが言うには「1000回遊べる不思議のダンジョン」らしいねん。
「ほなローグライクちゃうがな。ローグライクは何度でも遊べるゆうても10回ぐらい遊んで表ボス倒したら飽きる人や、100回ぐらい遊んで裏ボス倒した所で終わりにする人が大勢いるもんな」
俺もそう思ったんやけどな。海外の人らが言うには、風来のシレンは毎回入る度に装備もルートもリセットされて毎回プレイヤーが戦い方をアドリブで工夫する必要があるからローグライクなんやと。
「そらローグライクやないか。毎回ランダムで展開が変わるからアドリブを利かすのがローグライクの醍醐味やんけ」
だから俺もそう思ったんやけどな、シレンやトルネコには持ち込みがいくらでも可能なダンジョンや、詰将棋みたいなステージが沢山あんねん。
「それはローグライクやないな。ローグライクでいくらでも持ち込みが可能になったらもうアドリブなんて効かせることなくなるもんな。やっぱシレンやトルネコはローグライクと違うんとちゃうか?」
「いや、絶対ちゃうやろ!もうええわ。どうもありがとうございました。」
世界各国は金利高で円安、これを少しでも解消するには利上げは容認するしか無い。
それでもまだまだ低金利。日本の企業が有利子負債でこれで金利上がったらどうなるんだ?て意見あるけどこの程度の利上げで経営苦しくなるようならどっちみち先は長く無い。
そして今のこの低金利状態で景気良くならなけりゃいつなるんだ?これだけ緩和しても消費に回らない?
カネはあるんだけどそれが消費に回らない、貯蓄に走る、なぜか将来みな不安だから。
それがカネを使わない貧乏根性が国民全体に根付いてしまっている。
そしてこの超少子高齢化。