ユージン・スミス氏の作品「網を持つ漁師たち」(写真集「水俣」より=アイリーン・アーカイブ提供)。スミス氏は1978年10月に亡くなった 1970年代に水俣病を世界に伝えた米国人写真家、ユージン・スミス氏(1918~78)が死去して40年。12月には生誕100年を迎え、生涯を描く映画「ミナマタ」(原題)の撮影もジョニー・デップさん主演で年明けから始まる。スミス氏の遺作となった写真集「水俣」について、共著者で、ともに熊本県水俣市の患者多発地区で暮らした元妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(68)=京都市=は「彼にとって最後の勝負だった」と振り返った。 71年9月、寝台特急「なは」で水俣駅に降り立った夫妻は、10日前に婚姻したばかり。スミス氏52歳、アイリーンさん21歳。前年の秋、東京の出版社経営者に水俣病の話を聞き、1年かけて準備を進めていた。 「彼の最後の仕事だというのは、暗黙の了解で分かっ
11月9日、シリアで40か月拘束され、解放されたジャーナリストの安田純平氏が日本外国特派員協会にて会見を行った。 安田氏は冒頭に次のように手短な発言を行ってから質疑応答に移った。 「本日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございます。今回、私の解放に向けてご尽力いただいた日本、トルコ、カタールをはじめとする多くの皆さま方、ご心配いただいた皆さまにおわびしますとともに、深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 そして、今も行方不明になっている多くのジャーナリストたちの1日も早い無事の解放を祈っています。今回、私自身の行動によって日本政府を当事者にしてしまったという点について、大変申し訳ないと思っています。今回、何があったか可能な限り説明することが私の責任であると思っています。よろしくお願いします」 最初に質問に立ったのはアメリカ人ジャーナリストで『新月通信』代表のマイケル=ペ
2013年の安田くんの取材。これが彼の実力。日本でこれだけのリポートが出たことはこれまでも、このあともなかった https://t.co/EN7t4ZkGxF
シリアでの拘束から解放された安田純平さん=2018年10月24日、トルコ南部ハタイ県のアンタキヤにある入国管理施設で ハタイ県提供 安田純平さん解放の背景と身代金支払い問題 フリージャーナリストの安田純平さんが救出された後、日本国内でまた「自己責任論」が出ている。「政府が渡航を禁止している地域に入って拘束されたのだから、政府が救出に向かう必要はない」「救出については政府と国民に迷惑をかけた」というような論調である。 シリア内戦は2011年の発生以来、50万人ともいわれる死者を出し、500万人の難民が流出し、混乱の中で「イスラム国(IS)」が一時、広大な支配地域を広げ、ISに呼応するテロが中東だけでなく、欧米、アジアで発生し、日本人も犠牲になった。世界中がシリア内戦の行方を注視し、世界中のジャーナリストがその紛争の実態を伝えるために、現地情報を集め、安全を確保しつつ、現地取材を行ってきた。
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