私の小さなライフワーク。自分が撮った写真でカレンダーを作る。 毎年カレンダーを作ってます 2024年も残り10日。早いですね。年末になると、私はカレンダーを制作しています。自分が撮影した写真を選んで、翌年のカレンダーにするのですが、かれこれ10年以上続いています。2025年のカレンダーも無事(?)完成しました。 写真を選ん…
昨年10月の廃業後も、元従業員らが自主営業を続けている東京・JR品川駅前の「京品ホテル」を巡り、経営会社の「京品実業」(東京都港区)が、自主営業を支援している労働組合「東京ユニオン」を相手取り、ホテルの明け渡しを求めた仮処分申し立てで、東京地裁(蓮井俊治裁判官)は15日、「従業員に(営業の)再開を求める権限はなく、ホテル占有にも正当性はない」として明け渡しを命じる決定をした。 同労組側は同地裁に異議を申し立てる予定だが、異議が認められるケースは少なく、近く強制的に立ち退きが執行される可能性が高い。 同労組側は「強制執行されても、元従業員らによる座り込みで抵抗する」との姿勢を示している。
社民的なものが後退戦を続ける中で「自己批判せよ」みたいな話がよく聞かれる。戦略がバカげているから支持を集められないのだとか、正しいことを述べているだけではダメだとか、まぁ、そういう話。・・・もちろん、戦略は大事だ。しかし、僕が思うような意味での大事さは、巷でしばしば見聞きするところの戦略論とは全然違うものであるらしい。そのあたりのことを、少し整理してみる。 前提を整理しよう。私たちと彼らの目指すものは異なっている。単に方向が違うだけではない。私たちは一部の人たちに重荷を押し付けるようなやり方をやめよう、と言い、むしろその重荷を共に背負うこと、そうした重荷を減らすことを主張すると同時に、重荷を減らすための努力を求めるという意味においてさらなる重荷を背負うことを求める。一方、彼らは、相変わらず重荷を一部の人に押し付け続け、そうした負担から共謀して逃れ、安穏と暮らそう、と誘惑する。どちらの道も同
いろいろと混乱しているので、自分の整理のために。>追記あり 15日16:22>さらに追記 16日08:52>さらに追記 20日10:34 軍オタのいう「対人使用なんてありえない」ってのは 「わざわざ殺傷目的に白燐弾なんて使わない。榴弾より弱い弾撃つのは無駄だから。」って意味。 そら白燐弾自体はどこにだって打ち込むでしょ。マーカーなんだから。*1 http://anond.hatelabo.jp/20070602032025 なるほど。 要は、人口密集地に撃ち込む以上は、白燐弾(煙幕効果と焼夷効果の両方がある弾)と榴弾(目標を破壊する効果を持つ弾)、どちらもそこに住む市民を殺傷しているわけで、市民を殺傷しているという意味で既に「ジュネーブ条約違反」だわな。 で、白燐弾より榴弾の方が威力が大きいのだとすれば、軍事的な合理性から考えて、榴弾は「対人殺傷のために使われて、対人殺傷している」、白燐弾
すくらむ国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。 このブログの一昨日のエントリー「派遣村バッシングの死角 - 自分とは違う「溜め」のない人へダイレクトに突き刺さる痛みが見えない」 に、1日だけで6,714のアクセスがありました。内容についても様々な意見が他のサイトで飛びかっていて、とくに「溜め」という概念に関わっての意見が多いので、引き続き、湯浅誠さんが『「生きづらさ」の臨界~“溜め”のある社会へ』(旬報社。河添誠さんとの編著)の中で、「溜め」について別の観点で語っている部分を、いつものサマリーで紹介します。 自己責任論は自由な選択可能性を前提にしています。お金のある人は食事に際して、「トンカツもエビフライも」自己責任で選ぶことができます。しかし、お金のない人には、「コンビニのおにぎりか、マックのハンバーガーか」というよ
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