はてなキーワード: 風呂とは
実家を出たときのことを、今でもはっきりと思い出す。僕は兄で、妹とは四つ違い。いつも穏やかで優しい妹が、自分の親に対して泣き叫ぶ姿を見るなんて、想像もしなかった。だけど、あのとき妹は限界だったんだと思う。むしろ、僕も同じように限界だったのだ。子どもの頃から「毒親」と呼ばれる環境の中で育った僕たちは、お互いが互いを気遣い合いながら、なんとか生きてきた。
僕たちの両親は世間体を気にしすぎるタイプだった。外から見れば、「教育熱心で厳格な家」という印象だったかもしれない。でも、その内側は違った。どんな小さなミスでも、親にとって“都合の悪いこと”になれば、怒鳴られたり、無視されたり、ひどいときには暴力まがいのこともあった。宿題をやっていないときは「怠け者」、テストで思うような点が取れないときは「努力が足りない」。どれだけ勉強しても「もっと上を目指せ」と追い詰められる。休みの日に友達と遊びに行けば「そんな暇があるなら勉強しろ」と怒鳴られる。僕も妹も、いつしか心の底から親の顔色を伺うようになった。
中でもつらかったのは、「進路」をめぐってだった。僕が高校に進学するとき、両親は有名進学校に合格するよう強く迫ってきた。そのプレッシャーに耐えられず、実は僕は一度だけ家出をしようとしたことがある。しかし、妹を置いていくわけにはいかないと思い直し、結局断念した。でも、そのとき妹はまだ中学生で、家に残るしかなかった。そんな妹が「お兄ちゃんと一緒にいたい」と僕に打ち明けたとき、何もしてやれない自分が情けなくて仕方がなかった。
その後、僕はなんとか高校を卒業し、アルバイトや派遣の仕事を掛け持ちして過ごすようになった。大学に行く気力はなかったというのが正直なところだ。親は「大学に行けないのなら家を出ろ」と言い放ったが、いざ出て行こうとすると「親不孝者が」と怒鳴る。言うこととやることが矛盾している。だけど、その矛盾に気づいたところで僕にはどうすることもできなかった。やがて妹も高校へ進学。成績は良く、周りからは「優等生」と見られていたが、その裏で妹は必死に呼吸をするように親の目を気にしていた。
妹が高校二年になった頃、ある深夜のことだった。バイトから帰ってきた僕は、リビングで一人泣き崩れている妹を見つけた。理由を聞くと、学校で一度だけテストの点が下がったことをきっかけに、親からひどく責め立てられたらしい。妹は「こんな家、もう嫌だ。お兄ちゃん、一緒に出て行こう」と震える声で言った。その言葉を聞いたとき、僕はある意味“覚悟”ができた。「もう逃げよう。二人でここを出よう」と。夜明けが来る前に、僕と妹は荷物をまとめはじめた。最低限の服や通帳、学校の教科書などをリュックに詰め込んで、親に見つかる前に家を出た。
両親には当然「勝手なことをするな」と言われると思ったが、そのときはもう恐れよりも先に「自由になりたい」という気持ちが勝っていた。妹が通う高校に相談してみると、事情をある程度汲み取ってくれて、転校という形で新しい学校を紹介してくれることになった。あまり詳しい事情は言えなかったものの、「家の事情で逃げたい」という妹の言葉が切実に聞こえたようで、比較的スムーズに話が進んだ。僕も収入が不安定だったが、とにかく二人で暮らすために、急いで安いアパートを探し始めた。物件情報を見て回り、実際に不動産屋をいくつもまわる。田舎の方へ移っても良かったが、妹が通う高校への距離を考え、都心からは少し離れた町のアパートを選んだ。
そうして、妹と二人暮らしを始めることになった。間取りは1DK。狭いけれど、二人で暮らすにはどうにかなる広さ。壁は少し薄く、隣の部屋のテレビの音が聞こえてくることもあったが、実家にいた頃の息が詰まるような苦しさに比べれば、天国のように感じた。お互いに遠慮はいらないはずなのに、最初はそれでも気を使い合った。お風呂の順番、寝る場所、部屋の整理整頓。兄妹とはいえ、二人暮らしのルールを決めるのは思った以上に大変だった。だけど、自由な空気がそこにあるだけで、胸の中にぽっかりと温かい火が灯ったように感じられた。
僕は早朝からコンビニでバイトし、昼間は派遣の倉庫作業に行くことが多かった。妹は平日は学校、土日は単発のバイトを探して働くことを始めた。毒親の元では許されなかった「アルバイト」だったが、今は誰からも怒られない。いつか二人で、もう少し広い部屋に引っ越したいと夢見ながら、僕たちは少しずつ貯金を始めた。最初は本当にギリギリの生活だったけれど、安心して眠れる空間、自由に会話ができる空間が何よりも大切だと感じた。
そんなある日のこと。妹が学校から帰る途中、カフェでアルバイト募集の張り紙を見つけてきた。時給はそこまで高くないが、交通費支給やシフトの融通など条件は悪くなさそうだ。「お兄ちゃん、私、ここで働いてみたい」と目を輝かせる妹を見ていると、僕も自然と笑みがこぼれた。毒親のもとにいたら許されなかったことを、いま妹は自分の意思で選び、そして始めようとしている。その一歩が、僕にはとても大きく見えた。
実際に妹がカフェの面接を受けに行くことになり、僕は帰りが夜遅くなるかもしれない妹のことが気がかりで、一緒に最寄り駅まで迎えに行くことにした。面接は上々だったらしく、店長もとても優しそうな人だったようだ。「採用されたら頑張るね!」と妹は嬉しそうに言う。その笑顔を見て、僕も心から「よかったな」と思った。
駅からアパートへ向かう夜道は、人通りが少ない。僕は自然と妹の少し前を歩き、周囲を気にしながら帰宅する。すると、近所の商店街にある個人経営らしい居酒屋の前で、通りすがりの中年男性に声をかけられた。「こんな夜遅くに、仲いいなあ、新婚さん?」と言うのだ。妹と顔を見合わせて、思わず吹き出してしまった。「いえ、兄妹なんです」と答えると、「そうなの? いや、雰囲気がいいからてっきり夫婦かと思ったよ」と笑われた。妹は「全然違うのにね」と顔を赤らめていたが、その後「でも、夫婦みたいだなんて、ちょっと面白いよね」とクスクス笑っていた。
実は、こうやって夫婦やカップルと間違えられることは、これが初めてではない。引っ越しのときにも、不動産屋の担当者に「同棲ですか?」と何度か確認されたり、スーパーで買い物をしているときに「ご夫婦ですか? 新婚さん向けフェアの案内ですが……」と声をかけられたりした。僕としては妹を守る立場でもあるし、多少の誤解は軽く受け流しているつもりだけれど、妹のほうは毎回、「兄妹なんですけど……」ときちんと訂正してしまう。それでも、今となってはこの勘違いもほほえましく感じられるようになった。実家にいるときには考えられなかった、なんでもない日常の一コマ。僕たちには、そういう穏やかな時間がなかったのだと思う。
それから少し経って、妹はカフェでのバイトが正式に決まり、僕たちの生活はさらに忙しくなった。ただ、不思議と疲れよりも充実感のほうが大きい。帰ってきてからリビングに二人で座り、一日の出来事をおしゃべりする。妹はカフェでの接客で経験したちょっとしたトラブルや、お客さんとの面白いやり取りを楽しそうに話してくれる。「昔はこんなふうに話をしても、どうせ親に全部ダメ出しされるんだろうなって思ってたけど、今は好きなだけ話せるから、すっごく楽しい」と笑う妹。その様子を見ていると、あのとき家を出た選択は間違いじゃなかったと心から思える。
もちろん、二人暮らしを始めてからも問題はたくさんある。親からの連絡は「許さない」という罵倒や、一方的な怒りのメッセージばかりで、話し合いができる状況ではない。時折、僕たちの住まいを突き止めようとしたのか、知人から連絡が入ることもある。「両親が連絡先を知りたがっている」とか「お前たちがわがままを言っているんじゃないのか」とか。だけど、僕はもう振り回されるのはやめようと決めた。妹も「返事しなくていいよ」と、毅然とした態度をとってくれている。親と離れても、今は生きているだけでありがたいと心から思えるのだから。
そんな僕たちだけれど、将来のことを考えないわけにはいかない。妹はあと一年ちょっとで高校を卒業する。大学に行きたいと言う気持ちもあるらしいが、学費をどうするか、奨学金は借りられるのか、僕の収入だけで妹を支えられるのか……問題はいくらでも出てくる。でも、妹が「やりたいことがあるなら挑戦したい」と言うなら、僕は全力で応援しようと思う。自分の大学進学の夢を諦めたのは僕自身の判断だった。あの頃はそれしかできなかったのかもしれないけれど、妹には後悔してほしくない。正直、不安は尽きない。それでも、毒親の支配から離れた今、僕たちにはお互いを思い合う時間と心の余裕がある。まずは二人でしっかり話し合い、可能性を探っていこうと思っている。
夜遅く、妹がアルバイトから帰ってくると、決まってキッチンから香ばしい匂いが漂ってくる。僕が先に帰っている日は、ごく簡単な料理だけど、妹の分の夕飯を用意するようにしているのだ。チャーハンとか、野菜炒め程度だけど、「ただいま」と玄関を開ける妹の「いい匂い……」という一言を聞くと、やってよかったと思う。妹も翌日が休みのときなどは、代わりに僕のためにパスタを作ってくれたりもする。兄妹が同じ食卓で笑いながらご飯を食べる姿は、誰がどう見ても“家族”のはずなのに、不思議と「本当の家族」という実感が生まれてくるのは、ここ最近のことだ。
妹の存在は、僕にとって唯一無二の支えになっている。たとえ夫婦や恋人と勘違いされたっていい。僕にとって妹は妹であり、しかし同時にかけがえのない同居人でもある。実家にいた頃は、僕たちの間にいつも両親という“大きな壁”があった。それが今はなくなり、ようやく素直に向き合えるようになった気がする。僕たちはお互い助け合い、励まし合いながら生きていく。親の呪縛にとらわれることなく、自分たちの人生を、自分たちなりに歩んでいこうと思っている。
時には外食をして、隣りの席のカップルと間違えられることもあるだろう。時には夜道で「まさか兄妹じゃないよね?」なんて声をかけられるかもしれない。だけど、もうそれは構わない。二人暮らしを始めてから知ったのだけれど、人は他人の生活を結構なペースで勘違いしてくるものらしい。誤解されても、二人でいれば楽しいし、互いに隣にいられる安心感がある。それが分かるだけで、昔のように人の目を気にして呼吸を浅くすることはなくなった。
この先、僕たちが歩む道に何が待っているのかは分からない。経済的にもまだまだ不安定だし、妹がこれからやりたいことを見つけたとしても、すぐに実現できるかどうかは定かではない。それでも、「あの家に帰るよりずっとマシだ」という気持ちは揺るがない。毒親との関係を絶ったことで、ようやく手に入れた自由と、そして兄妹だけの小さな生活を、僕は何より大切にしていきたいと思っている。
考えてみれば、僕と妹がこうして一緒に暮らすということ自体、実家では到底許されなかったはずだ。親にとっては「恥」だったのかもしれない。長男が家を出るなんて、妹まで連れ出すなんて、とんでもないと。だけど、そんな言葉にはもう縛られない。妹と二人で暮らすことは、僕たちにとって自由と希望を取り戻す第一歩だったのだ。
ときどき思い出す。リビングの机にしがみつきながら、両親に泣き叫んでいた妹の姿を。あの光景は僕のなかで、いつまで経っても消えないかもしれない。でも、あの瞬間こそが僕たちに“逃げ出す勇気”をくれたのだ。だから今は、その記憶を大切に噛みしめている。もし同じように苦しんでいる人がいたら、声を大にして伝えたい。「逃げてもいい」と。誰だって、自分の人生を自分のために生きる権利があるのだと。
帰宅した妹の「ただいま」の声。台所から漂う料理の匂い。二人でテーブルを囲むときの、なんでもない会話と、小さな笑い声。そんな当たり前の生活の一つひとつが、僕たちにとっては宝物みたいに尊い。これから先もきっと悩むこと、苦しむことはたくさんあるだろう。だけど、どんなに傷つくことがあっても、もうあの家には戻らない。僕たち兄妹は、お互いを支え合いながら、一歩ずつ前に進んでいく。その道の途中で、夫婦や恋人と勘違いされることがあったって、それは微笑ましいエピソードとして受け止めていくつもりだ。
「毒親から逃げ出すために妹と二人暮らしを始めた」というこの事実は、僕たちが生きていくうえでの大きな分岐点だった。親の期待や束縛、暴言に押しつぶされそうになっていた僕たちが、やっと呼吸できるようになった場所。それが今のこの狭い1DKのアパートだ。床は古くて所々ミシミシと音がするし、壁は薄いし、エアコンの調子もいまいちなことがあるけれど、それでもここは僕と妹の大切な居場所だ。誰にも邪魔されない、僕たちだけの“小さな世界”。そして、この世界で、僕はずっと妹と一緒に笑っていたいと思う。あの家ではできなかったことを、少しずつ取り戻すように、毎日を噛みしめながら過ごしていこう。
「もうすぐご飯できるよ!」とキッチンから妹が声をかけてくる。僕はテーブルに箸とお皿を並べながら、その声に返事をする。この空間が、僕たちにとっての本当の“家”だ。例えどんなに些細なことでも、ここでの出来事はきっと僕たちの思い出になる。毒親から逃げ出すために始めた二人暮らしは、逃避行なんかじゃない。僕たち兄妹が「生きる」ということを取り戻すための、そして笑顔で日々を送るための、新しいスタートラインなのだ。
理由は以下の通り。
でもそんな時美味しいコーヒーを飲んだら?
辛さと美味しさの幅が大きいので、とっても美味しく感じるのだ
サウナでいえば、サウナから出て水風呂に入る時みたいな、その落差がたまらないのだ。
ワイって可愛かったらしくて家族はもちろん
親戚からもめちゃくちゃ可愛がられてたんだよ
帰省すると誰が俺の隣で寝るか争いになるような状況
欲しいものは何でも買ってくれたし、身の回りの世話もやってくれるのが当たり前だった
姉2人もおかんも服着せることから歯磨きや風呂まで全部やってくれてた
大学入って一人暮らし始めてからも、家事やるためにわざわざ1時間半かけて通ってくれてた
大学に入って女の子と関わるようになったら、最初のひと月で4人から告白された
良さげな子とデートしてみたんだが、まず店選びとかデートコースとか自分で考えなきゃいけないのがめんどくさかった
しかも、相手が自分のこと好きで告白してきたのに、俺が考えなきゃいかんのかよってのがしんどいし、なんなら金も出さなきゃいけないのがなんか嫌だった
好きで誘ってきたなら出してくれていいだろって感じ
頭が悪いんはワイのこと
週末に気合い入れて風呂掃除しようと思い、YouTubeを見てた
イスやタライに真っ黒になってこびり付いた水垢を落とす方法を知りたかったからだ
そこで、クエン酸ペーストを使う方法が紹介されていたのだが、動画で粉末状のクエン酸を容器に取ったあと「他の動画だと中性洗剤を使っているのですが、それだと酸が薄まってしまいそうな気がするんですよね~」とか言ってペースト状にするのに水を使いだしたので( ゚д゚)ポカーンとしてしまった
少し歳の離れた兄がいる。
ずっと兄は快活で優秀だった。
当時まだブラック企業という名がない頃、
彼は使い潰され壊され、結果、酒に逃げた。
浴びるように飲む毎日。荒れに荒れ家庭はめちゃくちゃになった。
飲酒時の家庭内暴力と彼の心身の健康不良にほとほと困り果て母はアラノン等自助グループの助けを借り、彼を説得し依存症回復支援施設入れた。アルコールを抜く段階での離脱症状、せん妄などに対する隔離や投薬による苦痛を彼は母がここへ入れたからだと転嫁することで逃れようとした。
もともと依存症に懐疑的であった父を抱き込みあらゆる手段を駆使して強引に退院、母の元へ戻り前にも増して暴れるようになった。繰り返される暴言暴力にPTSD症状を発した母親が離れた。
1人では何もできない彼のそばにいなければと父だけが彼と共に生活の面倒を見ていた。
そして年末父が倒れた。
父が入院後何日かして私のところに情けを乞うような電話やメールが山のように送られてきたが基本無視した。
死にそうになったら救急車を呼べば良い、隣のひとでいいから他人に助けを求めたらとだけ伝えたら音信不通になった。
今日で1週間。私のところにも父のところにも連絡はなくLINEも既読がつかない。
県を跨いで様子を見に行くべきだろうか。
まあ多分そうなんでしょうな、と思う。それでいいんじゃないって思う。
増田自身の立場を明らかにしておくと、公立小卒→中高は私立→大学は国立だから、だいたい公私半々で育ってる。で、できれば私立小に行きたかったな、子供は私立小に入れたいなって思ってるクチ。
小学生って、まだ「この物事はこう捉えるべき」という規範が確立していないし、平気で残酷なことを言えたりするじゃん。増田自身は傍観してるだけだったけど、学年が上がってくると支援級の子や、長らく風呂入ってなさそうな子を侮蔑するジョークを言う子がいた。たまに心の中で共感したこともあった。
そういう発言の雨を浴びず、ある程度将来を見据えて真面目に勉強しようという雰囲気の中で初めてその概念に触れることができるなら、そっちの方がいいんじゃないかな、と思う。障害については医学的に見た時の病理だとか、ネグレクト家庭については公的支援の手法だとか。専攻しようと決めた人たちが集まる、茶化し冷やかしが少ない環境で。
仕事をするのに個人的な経験ってそんなに必要なのかなあと思う。経験云々よりも、職業に通じる「こう考えましょう」の規範をどれだけ純粋に信じ、実行できるかの方が大事なんじゃないかと思う。
これは増田の言い訳でもあるけど、名のついた相手を直接知ってしまったことで、よくない偏見を持つきっかけができてしまった気がする。直接知る・個人的に経験するということは、決して理解とイコールじゃない。
今の増田は、諸々の社会問題について「理解していないのに知っていることはある」という最悪の状態になってしまっている。何か語れと言われたら、何個かエピソードを語れてしまう。何も理解してないくせに。
まあ多少世間知らずなのかもしれないけど、私立小出身の子の方が人間的にできた人が多いと増田は個人的に感じている。
増田は今、それなりにたくさんの人と関わり、少なくない御託を並べる仕事をしている。大学でもまあ真面目にやってきて、関連のある資格試験に合格し、内定後の職業研修でもコンプラを厳しく指導された。それでもたまに自分個人の差別意識に気づいてしまう。元々個人として持っている意識を変えられない。小学校が公立じゃなければもうちょっとマシだったのかな、と思っちゃう。
あと、普通に勉強する人をバカにする風潮とかも嫌いだった。子供は私立に入れたいな。日本語、結構ぐちゃぐちゃだな。吐き出し失礼しました。
まあ多分そうなんでしょうな、と思う。それでいいんじゃないって思う。
増田自身の立場を明らかにしておくと、公立小卒→中高は私立→大学は国立だから、だいたい公私半々で育ってる。で、できれば私立小に行きたかったな、子供は私立小に入れたいなって思ってるクチ。
小学生って、まだ「この物事はこう捉えるべき」という規範が確立していないし、平気で残酷なことを言えたりするじゃん。増田自身は傍観してるだけだったけど、学年が上がってくると支援級の子や、長らく風呂入ってなさそうな子を侮蔑するジョークを言う子がいた。たまに心の中で共感したこともあった。
そういう発言の雨を浴びず、ある程度将来を見据えて真面目に勉強しようという雰囲気の中で初めてその概念に触れることができるなら、そっちの方がいいんじゃないかな、と思う。障害については医学的に見た時の病理だとか、ネグレクト家庭については公的支援の手法だとか。専攻しようと決めた人たちが集まる、茶化し冷やかしが少ない環境で。
仕事をするのに個人的な経験ってそんなに必要なのかなあと思う。経験云々よりも、職業に通じる「こう考えましょう」の規範をどれだけ純粋に信じ、実行できるかの方が大事なんじゃないかと思う。
これは増田の言い訳でもあるけど、名のついた相手を直接知ってしまったことで、よくない偏見を持つきっかけができてしまった気がする。直接知る・個人的に経験するということは、決して理解とイコールじゃない。
今の増田は、諸々の社会問題について「理解していないのに知っていることはある」という最悪の状態になってしまっている。何か語れと言われたら、何個かエピソードを語れてしまう。何も理解してないくせに。
まあ多少世間知らずなのかもしれないけど、私立小出身の子の方が人間的にできた人が多いと増田は個人的に感じている。
増田は今、それなりにたくさんの人と関わり、少なくない御託を並べる仕事をしている。大学でもまあ真面目にやってきて、関連のある資格試験に合格し、内定後の職業研修でもコンプラを厳しく指導された。それでもたまに自分個人の差別意識に気づいてしまう。元々個人として持っている意識を変えられない。小学校が公立じゃなければもうちょっとマシだったのかな、と思っちゃう。
あと、普通に勉強する人をバカにする風潮とかも嫌いだった。子供は私立に入れたいな。日本語、結構ぐちゃぐちゃだな。吐き出し失礼しました。
ギャッッッッハハハハハ!!!お前、今さら「はだかの王様」擁護するやついるの!?!?!?😂😂😂😂やめろやめろ!水差しどころか、お前の頭に風呂桶ごとぶっかけてやるわ!!!💦💦なぁ、真実は一つとか思ってるん?子どもが「こいつ裸やんw」って叫んだ瞬間、オマエの脳内に崩壊音したろ??パリーンて!!王様バカだけどイイやつとか言ってるお前が一番裸だろがよ!?!?!?👕💥👑
いやいや、「栄えてる国」ってお前何をもって栄えてる判断してんの?城下町ワッショイワッショイてwww江戸時代の露店商かwww唐揚げ串でも食ってんのかよ!?!?祭り気分でお前も一緒に「まぁまぁ喜んでるしいいかーw」ってイエスマンになってんじゃねぇ!!その祭りの裏で税金むしり取られて青い顔してる農民が田んぼで土食ってるかもしれねぇだろ!!🌾💸🦗
あと「水差す必要なくない??」って何だよ!?!?真実が見えちゃって声に出ちゃった子どもを「お前マジ空気読めよ~w」って叱るタイプか!?なぁ、言えよ正直に!!お前その場にいたら「いやいやでも裸に見えるのはお前が間違ってるよね~?(震え声)」って言いながら祭りのヨーヨー釣りに全力投球してんだろ!?!?!🎈🐟ヨーヨーが破裂したら「王様の呪いかも!!!」とか言って真っ青になって逃げ出すタイプだな、絶対!!!
てかそもそもあの子どもが叫んだ「裸だーーー!」って言葉、そんなに破壊力ある???王様だって「あっ、確かに裸やんwww」って気づいて「まぁええわ!俺のカラダすげぇだろ!」って言い出せばいいじゃん!?!?むしろ裸で堂々としてたら新しい文化始まるだろが!!!裸祭りとかトレンドにできたかもしんねぇのに!👀🔥👘
それにさ、「王様バカだけどイイ奴」って、お前さぁ……お前が勝手に王様に甘いシナリオ作ってるだけじゃん。実際は「この服見えない奴はアホです」って言われた瞬間、全力で服買ったんだぜ!?金払いすぎて国の財政やばいとか誰も考えないの?裸だけでなく金もスッカラカンだったらどうすんの!?💰❌💀
お前がその時代に生まれてたら「俺には裸に見えない!!すごい服だ!!(目逸らし)」って言いながら、王様の前で土下座してる未来しか見えねぇよ!!お前の虚栄心も肥大化してんだよ!!!鏡見ろ!!!そして叫べ!!!「俺が本当の裸だーーーー!!!!!」って!!!🪞👀🔥
⚪︎一緒に2階に行くあそび
1階のリビングにいると一緒に2階に行きたがってめーめーなく。一緒に2階に行くことが目的で、2階に行ったからと言って特別何もしない。階段を一緒に登っている時がピーク。
⚪︎キャットタワーで逆さまになるあそび
キャットタワー最上段ののバスケットに入って、首だけ出して逆さまになる。コウモリごっこ。しばらくするとそのまま寝てる。
ペットシーツにおしっこして、砂かけ仕草でしたところを内側にたたむ。やめてほしい。
⚪︎ボールを投げさせるあそび
人間にふわふわのちっちゃいボールを投げさせてそれをながめる遊び。ボールは人間がとりにいく。
あたかもヒーターに当たっているようにみえる。ヒーターつけるとどっか行く。
思い出したら書く。
(追記)
はてなの人間って猫好きじゃないと思っていた。子猫の時のことも思い出して書く。
⚪︎みずあそび
・お風呂場に入る。床が濡れているところをわざと歩く。浴槽に入る。
危ないので、人間はお風呂に入り終わったらお湯を抜いて床をワイプする癖がついた。
・水飲み皿に手をつっこむ。ひっくりかえして床をびしょびしょにする。びしょびしょの足で歩き回る。
・人間が飲んでいる水に手を突っ込む。
⚪︎そとを眺めるあそび
窓の外を眺める。何見てるの?と聞くといろいろさえずって教えてくれるが、あんまりわからない。木の葉とか鳥とかを見ているように思う。
人間が猫じゃらしで「メン、コテ、ドウ」をやるので、猫は口か手で白刃取りをする。
ぬいぐるみの青いねずみちゃんを運搬するあそび。おもちゃ箱から誘拐して、いろいろなところにつれていく。ねずみちゃんが一番よくいるのは大きい窓のそば。
本棚の棚と本のサイズがぴったりじゃないところに入り込んで、本の山を登山するあそび。どんづまりに行きつくと動けなくなってしまい、危険。カラーボックスならマスが小さいので危険はそこまでない。
⚪︎運搬されるあそび
病院に行くキャリーバッグの中に入り込んで昼寝をするあそび。病院に行きたいらしいな、と思って連れて行って肛門腺を絞ってもらった。ずっと大声でないてけど、帰ったらまたキャリーバッグで寝ていた。
プリンターが「ガッwwwwガッwwwwガッwwwwシューwwwwww」ていうのにあわせてだるまさんがころんだ状にうごく遊び。
思い出したのここまで。