はてなキーワード: 試験とは
でもこんな資格とるまでもなくコンセントくらい交換できるよね?
資格があっても自分でやった工事が原因で火事とかになったら結局罰符は自分で払うことになるから何も変わんなくね?
そもそもブレーカーも導電遮断器もあるししかもスマートメーターだから事故なんて起こるわけないし
コンセント交換何回するかにもよるけど10回交換したとしても1万円くらいだろうから試験代金回収できることなんて一生訪れないよね…
揃いも揃って高学歴エリート(東大京大早慶→会計士or予備試験合格とか生涯賃金4.5億確定企業orBIG4内定とか。あと国公立医出た医師なんかも多い)だけど、
『俺達はここに至るまで、家庭環境とか教育虐待とか公立中の生存競争とかなんやかんやで、これでも心に闇を抱えてる弱者なんだぞー!笑』
という理由で、自分らに及ばない学歴や年収の人間を知恵遅れ、貧困層くらいに見なして鼻で嗤う
……という露悪芸しかしない界隈がXにはある。
恐ろしいことに、彼らの露悪的な鳴き声は全然炎上せずむしろ愛すべき芸風かのように周りから認められており、ファンがどんどんつく始末。
たまに、ツイート内容に対して外野から道徳的観点での苦言を呈されても、彼らは「許して🥺」みたいに余白のない反応をするだけで、煽り返しもせんし、詭弁も弄さない。
この点は淫夢厨に非常に似ている。
自称「闇を抱えている」ことを免罪符に、露悪芸を悲しき症状かのように演出し、炎上と無縁で上手く免罪してもらっている彼らだけど、
誰がなんといおうと現実では厳しめに見ても同世代100人に1人くらいの傷のない経歴のエリートなので、その露悪芸は単に余裕があるからこそのものであり、もっと言ってしまえば金持ちの子どもがホームレスに石投げているみたいな印象ですらある。
え、自分で掘った穴を自分で埋めたならそれってマイナスをゼロに戻しただけじゃないの?
発達障害だって生まれつきマイナスに振り切れてるけどそれを努力してゼロに戻しても誰も褒めたり尊敬したりしないよ?
むしろ自分がゼロに戻す努力をしてる間に周囲はもっと努力してるから「お前はなんでゼロなんだ」って叱られるまである
しかも戦争は生まれつきの障害じゃなくて自分たちで起こした悪さじゃん
受刑者が刑務所で「私はこんなに努力してるのに普通の人間は甘えてる」っていってたら「一理あるな」って働く人間は思うのかっていう
入社試験でもそうじゃん「私はこんなに苦労しました」ってつらつら言い続けてたらお祈りされるよ。確実に。
要するにさ甘えてんだよな。
例を挙げる。
今みた限りだと16程の星が付いていて注目コメント入りしている。
内容は回想で弟子入りした男性キャラが一級試験合格の特権に何が欲しいかと聞かれたときの応答の一部だ。
自分は「ん?ゼーリエの声優死んでたっけ?フランメの声優だけじゃなかったのか」
と思うくらいで特に何とも思わなかった。
勿論これは嘘だ。書いた奴は笑いが止まらないだろう。
確かに田中敦子が死んだのは知ってる。その訃報聞いたときは、最近の訃報の中で始めて心を動かされた。
にもかかわらずこんな嘘にも気づけなかった。
しかし、このような感情に訴えかけるエピソードは時として真実よりも、「本当のこと」として語られやすい。
自分も指摘入るまでボンヤリとそんなこともあるかと思い、検証すらしてなかった。
昨今流行りのSNSで煽動されて斎藤都知事を応援してる奴やトランプを応援してる奴を笑えない。
本当にバカだ。
地方に生まれ育ち、県内No.3(ノットイコール学区3番手)の県立高校に苦労せずに合格し、高校の授業と宿題とサテライト予備校と市販参考書だけを頼りにやはり地元国立大学に難なく現役で進学しました。
二次学力試験こそ科さない学科でしたが、共通テスト6科目65%を取得していたので難なく合格できました(進路指導の先生は「仮に小論文を白紙で出したとしても受かったはず」と太鼓判を押してくれました)。
また、県内NO.1の私立大学にも共通テスト利用で併願合格しています。
ところが、この前、
" 首都圏で生まれ育った人間はもうそれだけで地方の人間と比較して、大学受験に関してとんでもない下駄を履かせて貰ってる状態であり、地方で生まれ育つというハンデを背負いながら地元国立大やローカル私大に合格出来た層は、もし仮に東京で生まれ育っていたら一橋も東工大も早慶も簡単に合格できたはず、そのくらい不利なのだ"
色々ネットをあたってみると、
特に地方県トップ高校に進学するような層はこの程度がより強く、東京に生まれ育っていたら開成や筑波大駒場なんて軽く合格できるし、大手予備校の都心校に学校帰りにそのまま通える環境下にあれば理3以外の東大は相当な余力を残して合格できるものだと知りました。
地方県1位、2位の高校受かった人達は素材的に筑駒開成レベル。
つまり、我々が東京で生まれ育っていれば現実の首都圏民たちに椅子取りゲームで圧勝し、そっくりそのまま入れ替わるのではないかと。
英検一級とIELTSのリーディング、リスニングはテキスト読んだり音声聞けばわかる
TOEICの一部の文章と設問は英語で読んでも日本語で読んでも意味がわからない
単語はほぼわかるし熟語も句動詞も分かるけど、何を言わんとしてるのかわからないし回答も「は?」ってなる
これあれだ、いわゆる悪文って奴な気がする
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
職場と文化: 大阪と京都の職場文化の違いや、音楽・ラジオが職場環境に与える影響について議論。大阪では「オチ」を求められる文化があることが共有された。
吉原の話題: 吉原の文化と現代の状況、鬼滅の刃の影響について言及。
食文化とポイント制度: 鴫や鴨の食べ方の議論、肉の準備に関する話題が共有された。中本のポイント制度やスカジャンの話題も。
娯楽とワイン: ガクトに関する象徴的な議論や娯楽における真実性の必要性が話された。
年賀状と正月: 年賀状文化の減少について考察。ゴルフを始める宣言や、正月休みの過ごし方について共有。
青学とラーメン: 箱根駅伝での青学の活躍を称賛。ラーメン屋の厳しさについて議論。
副業と猫: 副業の需要や経験談、冬の猫の行動についての話題。
寿司と抱負: 寿司を楽しみながら新年の抱負を共有。花火の話題も。
音楽とサブカル: サブカルチャーとハイカルチャーの並列化について議論。音楽や湿度管理に関する生活知恵を共有。
映画と猫: 映画「ルックバック」「オッペンハイマー」への感想。猫の話題で締めくくり。
初詣と近鉄特急: 初詣の社会的意義や近鉄特急の快適さについての意見交換。
紅白と年越し: 紅白歌合戦や年越しそばに関する話題。B'zのパフォーマンスへの期待。
能楽とAI: 能楽や音楽の話題を中心に、AIアートや自由な解釈についての意見交換。
紅白と花火: 高見沢のギターや米津玄師のパフォーマンスに注目。年越しの花火や新年の挨拶が盛り上がる。
マーメイド像とナゲット: 過去の旅行の感想や冬限定アイス、義実家でのエピソードが共有された。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
兄の俊(しゅん)と妹のひかりは、物心ついた頃から常に寄り添って生きてきた。どこへ行くのも一緒、何をするのも一緒。そんな二人の姿を、両親は微笑ましく見守っていた。だが、ふたりが小学高学年になった頃、父が突然病に倒れ、わずか半年後に母までもがあとを追うように逝ってしまった。それから二人は、自然と「離れられない存在」になった。
両親を失った悲しみは大きかったが、幼いながらに俊は「ひかりを守らなくては」という強い責任感を抱くようになった。祖父母の家に引き取られることも検討されたが、当時すでに高齢であった祖母は、自分の介護を祖父に頼るような状況だった。親類たちが話し合った末、兄妹はそれぞれ違う親戚の家に預けられることになる――そんな話が出かかったとき、俊は拒否したのだ。
「ひかりと離れたくない」と何度も口にした。その言葉を聞いていたのは、親戚会議にかり出されていた母の妹、すなわちふたりにとっての叔母だった。叔母はまだ若く未婚だったが、かつて姉から「何かあったら子どもたちを頼むね」と言われていたこともあり、思い切って二人を引き取る決意をしてくれた。そして兄妹は、叔母と同居しながら暮らすことになった。
叔母の家はそれほど広くはなかったものの、兄妹にとっては心安らぐ唯一の場所だった。叔母は仕事を掛け持ちして大変そうではあったが、二人に温かい食事と布団のある生活を与えてくれた。それでも幼いふたりにとっての心の支えは、お互いの存在に尽きる。俊は「ひかりが心細くないように」と言い、勉強も生活も精一杯頑張った。ひかりは「俊兄(しゅんにい)が頑張るなら私も」と言って、家事を手伝ったり、叔母の負担を減らそうとした。
そんな生活のなかで、兄妹は互いを「大事な家族」としてさらに意識するようになった。もちろん血の繋がった兄妹である以上、それは当然かもしれない。だが、親を失ったという喪失感と同時に、兄妹の存在は「これからの人生を一緒に歩むパートナー」のような意味合いを帯びていた。俊は「どんなことがあっても、俺がひかりを守る」と胸に誓い、ひかりは「何があっても俊兄の味方」であり続けると決めていた。
高校に進学し、思春期を迎えたふたりは、それぞれに新しい友人関係や将来の夢を見つけはじめた。俊は社会科教師を目指し、ひかりはデザイン関係の仕事を志すようになる。学校行事や部活、アルバイトなどに忙しくなってくると、自然と二人で過ごす時間は減った。それでも家に帰れば、叔母とともに夕飯を囲む時間があり、「今日学校でこんなことがあった」「来週は文化祭で準備が大変」などと気軽に報告し合う。お互いに別々の道を歩むようでも、その根底には「兄妹は同じ屋根の下で生きている」という安心感があった。
ところが、俊が大学受験を迎えるころ、叔母が体調を崩して入院してしまった。無理を重ねていたのか、検査入院から長期入院に切り替わり、兄妹だけで生活を回さなければならなくなる。一人暮らしならまだしも、当時高校2年のひかりと浪人が決まってしまった俊に、家計を支える術は限られていた。バイトを増やしたい俊と、学業との両立に不安を抱えるひかり。そんなとき、親戚からは「一時的に親戚の家に預ける」という案がまたしても浮上した。
しかし俊は強くそれを拒否した。「自分たちでなんとか生活していくから、ひかりを勝手に離れ離れにしないでほしい」と。幸い、叔母が借りていたアパートの家賃は比較的安く、親戚からの援助とわずかながらの遺産で賄うことができるという見通しもあった。兄妹は何度も相談し合い、親戚たちを説得し、最終的には「ひとまず様子を見よう」という結論にこぎつけた。
そんな生活のなかで、兄妹は改めて「ずっと一緒に暮らしていこう」と誓い合う。血の繋がりがあるから離れたくない、という単純な話ではない。俊は「自分が大人になって、いずれ結婚して家族を持つことになったとしても、ひかりのことは最後まで見守りたい」と考えるし、ひかりも「自分が何をするようになっても、俊兄のことを支えたい」と思っていた。「夫婦になるわけでもないのに、一生一緒にいるなんて…」と世間からは不思議がられるかもしれない。でもそれがふたりの揺るぎない思いだった。
俊が大学に入り、ひかりが高校を卒業して社会に出る頃、叔母はようやく退院し、以前ほどではないが仕事に復帰できるまでに回復した。叔母は「これ以上はあなたたちに甘えてばかりいられない」と言い、少しずつ家事を手伝ってくれるようになる。そんな日常の中で、俊は大学で教職課程を取りながら塾講師のアルバイトをし、ひかりは専門学校で学んだデザインを生かして小さな会社に就職した。それぞれが忙しいながらも、帰る場所は同じ。アパートの一室に三人、それは決して余裕のある暮らしではなかったが、食卓に並ぶ料理と、暖かい団欒があった。
俊が成人を迎えた頃、ひかりも働き方を変え、在宅でのデザイン仕事ができるようになった。家にいる時間が増えたひかりは、叔母の身の回りの世話をしつつ、兄の帰りを待つ。そんな生活を続ける中で、二人は改めて「将来」に対して具体的な話をする機会が増えた。たとえば、もし叔母がいなくなってしまったら、自分たちはどんな家に住もうか。結婚したいと思うような相手ができたらどうするか。あるいは二人でお金を出し合って、もっと広い家を借りるか。口に出して話してみると、いろんな可能性と、それに伴う不安が見えてくる。
「でも、最終的にはやっぱり兄妹で暮らしていこう」と、ふたりとも同じ答えにたどり着くのだった。世間には「自立」の形がたくさんあるし、親元を離れ、パートナーを見つけて世帯を持つのがいわゆる一般的な生き方だとされている。でも兄妹にとっては、「二人で乗り越えてきた時間」こそが何よりも大切だった。あのとき、父も母もいなくなったのに二人で支え合った。その記憶があるからこそ、離れることの怖さをひしひしと感じてしまう。
俊は叔母の病室で過ごした幼い日の光景をよく思い出す。「困ったときはいつだってひかりと一緒だった」と。ひかりはそんな兄を見て、幼いころの俊を思い出す。「小さな体なのに、いつも盾になってくれた」。お互いに頼り合いながら、それでも相手のためならどこまででもがんばれる。それは兄妹という血の繋がりを超えた、まるで共依存とも言える深い結びつき。だが、二人にはそれが自然で、幸せだと感じられるのだから仕方ない。
兄妹のあいだには時折、遠慮がないからこそぶつかり合う喧嘩も生まれる。俊は几帳面でまじめだが、気が乗らないときは部屋を散らかすタイプでもある。一方のひかりはいつも明るく優しいが、締め切りが近づくとピリピリしがちで、料理や洗濯を後回しにしてしまう日も多い。そんなとき、俊はイライラを隠さず口調がきつくなるし、ひかりも負けじと口ごたえする。怒鳴り合いになり、時には涙がこぼれることもある。
「なんでこんなに疲れてるのに、あんたを気遣わなきゃいけないの!」 「俺だって好きでこんな生活してるわけじゃない!」
冷たい言葉が飛び交った後、ふたりは罪悪感に苛まれる。大事な存在にこそ、甘えやわがままをぶつけてしまう。それでも少し冷静になれば「お互い様だよね」と思える。家を飛び出してひとりになっても、結局は「兄妹が一緒にいる安心感」に惹かれて戻ってくる。それが二人にとっての日常だった。
そんな積み重ねの末、ある日の晩。アパートの小さなテーブルに向かい合って座り、お茶を飲みながら、改まって言葉を交わした。
「やっぱり、これから先もずっと一緒に暮らして行きたいよね」 「うん。私もそう思う」
少し先の将来を想像すると、不安も多い。収入の問題、進路の問題、万が一の病気や怪我。特に、家庭を持つ可能性がゼロとは言えない俊にとっては、パートナーになる女性が兄妹の特殊な関係をどう受け止めてくれるかもわからない。ただ、ふたりは「それならそれで、そのときに話し合おう」と割り切っていた。あらゆる困難は、一つひとつクリアしていけばいい。俊にもし大事な人ができたなら、それを受け入れたうえでひかりの居場所を守りたいし、ひかりに恋人ができて結婚したいと思うなら、それはそれで幸せを応援したい。けれど、どんな形であれ「兄妹」という存在はずっと続くのだから、それを否定する必要はない。むしろ心の支えとして大切にしていきたい、そう二人とも考えていた。
やがて大学を卒業した俊は教員採用試験に合格し、地元の公立中学校で働くことになる。社会人として一歩踏み出した俊は、多忙な日々に追われながらも、自分が中学生だったころのつらさや迷いを忘れずに生徒に向き合うようにしている。ひかりはフリーランスでのデザイン業に本腰を入れ、少しずつではあるが収入も安定してきた。アパートは狭いままだが、それでも二人にとっては十分に温かく、心地よい場所だ。叔母は退院後も通院やリハビリを続けていたが、今は別の場所に小さな部屋を借り、時々アパートに顔を出しに来る程度の距離感になった。
ある休日、兄妹はリビングで向かい合って座り、ふと笑みをこぼす。朝食を終えて食器を洗い、掃除をしたあと、コーヒーを飲みながらテレビを見る。気兼ねのない何気ない時間。「いつか、もっと広いところに引っ越して、二人の好きなものをたくさん置ける部屋にしたいね」「そうだね。自分で稼いだお金で、ちゃんと家具を買ったりしてね」。そう語り合いながら、「でも、今のところも結構気に入ってるんだよね」などと笑い合う。そこにはもう、かつてのような悲壮感はない。ただ、兄妹として互いを労わり、必要としているだけだ。
「ねえ、俊兄。いずれ結婚ってことになったら、どうなるの?」 「わからないなあ。…でも、ひかりとの暮らしを捨てる気はないよ。そこは絶対、譲れない」
きっと将来は予測不可能な出来事が起こるだろう。仕事がうまくいかないかもしれないし、思わぬ病気にかかるかもしれない。恋愛や結婚の縁があるのかもまだわからない。けれど、最終的にたどり着く答えは同じだ。「兄妹で一生暮らしていこう」と。周囲からどんな目で見られても、兄妹にとってはそれが一番自然で、一番落ち着く選択肢なのだ。
もしかすると、両親を失った幼いころの寂しさを埋めるために、こうして固く結びついてしまったのかもしれない。あるいは、自分たちなりに「家族の形」を再構築しようとする必死の想いが、長い年月を経てこういう形になったのかもしれない。でも、いま兄妹が互いに支え合って笑顔でいられるのなら、その理由なんてどうでもいいのだろう。
お互いがそれぞれに人生を歩み、その先にある未来で何があっても、手を取り合えばなんとかなる。ふたりはそう信じて、これからも生きていくのだ。一緒に暮らすことが、何よりの支えであり、かけがえのない幸せの形だと知っているから。
会社で資格取得が推奨されており、家でやることがないので、時間を見つけては資格取得に励んでいる。
業務にあまり関係ない資格もあるが、資格勉強をすると、しょうもないと思っていた社内の業務が実は法律に基づいたものであることがわかったり、合格後はその資格の技術委員会の裏方に参加できたりとなかなか面白い。
取った資格は以下の通り。工場系でオススメの資格あったら教えてほしい。
危険物取扱者(甲種)
エネルギー管理士(熱分野)
ボイラー技士(一級)
環境計量士(濃度)
ガス主任技術者(甲種)
品質管理検定(二級)
ファイナンシャルプランナー(二級)
会社で資格取得が推奨されており、家でやることがないので、時間を見つけては資格取得に励んでいる。
業務にあまり関係ない資格もあるが、資格勉強をすると、しょうもないと思っていた社内の業務が実は法律に基づいたものであることがわかったり、合格後はその資格の技術委員会の裏方に参加できたりとなかなか面白い。
取った資格は以下の通り。工場系でオススメの資格あったら教えてほしい。
危険物取扱者(甲種)
エネルギー管理士(熱分野)
ボイラー技士(一級)
環境計量士(濃度)
ガス主任技術者(甲種)
品質管理検定(二級)
ファイナンシャルプランナー(二級)
トラバありがとうございます。シコっていたので返答遅れてしまいました。申し訳ありません。
実際には、最後の試験終了の合図と共に射精していました。初めて射精した瞬間は流石に面くらいましたが、それ以降の試験終了日にはオムツを履いて臨みましたので、特に問題にはなりませんでした。(ザーメンによる異臭がしそうですが、射精直後にオムツは処理しましたし、私の体臭によるカモフラージュ効果もあったと思います)
試験後に何でシコってたのか教えろ