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ディラントーマス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ディラントーマス
ディラントーマス(右)2007年香港ヴァーズ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2003年4月23日
Danehill
Lagrion
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Tower Bloodstock
馬主 Mrs.John Magnier
調教師 Aidan Patrick O'Brienアイルランド
競走成績
生涯成績 18戦10勝
獲得賞金 3,330,647ポンド
勝ち鞍
G1 愛ダービー 2006年
G1 愛チャンピオンS 2006年・2007年
G1 ガネー賞 2007年
G1 KGVI & QES 2007年
G1 凱旋門賞 2007年
G2 愛ダービーTRS 2006年
Listed アレッジドS 2007年
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ディラントーマス (Dylan Thomas) はアイルランド競走馬である。芝の中長距離を得意とし、アイリッシュダービーキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス凱旋門賞に優勝するなど活躍した。2007年度カルティエ賞年度代表馬、最優秀古馬。

半姉チェヴァリーパークステークスを勝ったクイーンズロジック (Queen's Logic) 、半妹にイギリス1000ギニーを勝ったホームカミングクイーン (Homecoming Queen) がいる。

概要

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2歳・3歳時(2005年・2006年)

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デビューから2連勝で初重賞挑戦となったオータムステークス(G3)では単勝1番人気になるも勝ち馬からクビ差の2着と惜敗。初G1挑戦となったレーシングポストトロフィーも6着と惨敗した。

しかし距離を伸ばした翌2006年初戦のダービートライアルステークス (G2) で初重賞制覇すると、ダービーステークス3着をはさんで挑んだアイリッシュダービーで初G1制覇を挙げる。インターナショナルステークスでは4着と凡走したが続くアイリッシュチャンピオンステークスでも女傑・ウィジャボードを破りG1勝ち数を2に伸ばした。この後陣営はアメリカ遠征を行い、ブリーダーズカップ・クラシック参戦を視野に入れその前哨戦としてジョッキークラブゴールドカップに出走したが、初のダート戦であったこの競走では勝ち馬・バーナーディニらに全く付いていけず、32馬身1/4差も離された最下位の4着に大敗してしまう。この結果からブリーダーズカップ・クラシックへの出走は断念され、帰国して休養に入ることとなった。

4歳時(2007年)

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体勢を立て直した2007年は初戦のリステッド競走・アレッジドステークスで圧倒的な1番人気に応え3馬身差の快勝。続くガネー賞 (G1) でも勝利した。その後はタタソールズゴールドカッププリンスオブウェールズステークスで共に2着に敗れたが、イギリスの最高峰の競走であるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは4馬身差の快勝。改めて実力を示した。次走のインターナショナルステークスでは当年のエプソムダービー勝ち馬のオーソライズドに1馬身差届かず2着に敗戦したが、アイリッシュチャンピオンステークスでは史上初の連覇を達成した。

続いて第86回凱旋門賞に出走する。当レースは3歳馬が有利とあって、レース前にはオーソライズド圧倒的に有利と言われていた。そのレースでは、最後の直線で馬群中団から力強く抜け出すが、最後に失速してユームザインに頭差まで詰め寄られるが何とか押し切ってゴール板を駆け抜けた。しかし、斜行したことによりソルジャーオブフォーチュンの進路を妨害し30分近く審議が行われたが、最後は着順通り決まり晴れて優勝が決まった。エイダン・オブライエン調教師に初の凱旋門賞勝利をもたらした。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと凱旋門賞の同一年制覇は1995年のラムタラ以来、古馬としては1958年のバリーモス以来のことであった。しかし、同馬が降着にならなかったことに対しては、問題になり、国によって異なる制裁に対して、見直しを求める声も多かった。

次走はブリーダーズカップ・ターフに出走。しかし、イングリッシュチャンネルの5着と敗れた。これを最後に引退を予定されていたが、第27回ジャパンカップの招待を受諾し、11月15日に来日した。来日後は競馬学校で調整が続けられていたが、11月20日馬ウイルス性動脈炎 (EVA) の陰性が確認できなかったため[1]、日本とアイルランド両国間の衛生条件上の規定により、日本への入国が許可されず、同競走に出走できなくなった。そのため代わりとして香港ヴァーズに急遽出走することとなり、11月26日に香港へ向けて出発した。12月9日に行われた香港ヴァーズでは1番人気に推されたが、レースではやや出遅れて道中後方に待機するも直線での不利もあって全く伸びず、ドクターディーノの7着と大敗した。

競走成績

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出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
2005.06.30 ティペラリー 未勝利 芝7f100y 1着 K.ファロン 1馬身 (Galantas)
2005.09.10 レパーズタウン レヴィS 芝7f 1着 K.ファロン 3/4馬身 (Royal Power)
2005.09.10 ソールスベリー オータムS G3 芝8f 2着 J.ムルタ クビ Blitzkrieg
2005.10.22 ドンカスター レーシングポストトロフィー G1 芝8f 6着 J.ムルタ 6 3/4馬身 Palace Episode
2006.05.14 レパーズタウン ダービートライアルS G2 芝10f 1着 J.ヘファーナン 1 1/2馬身 (Mountain)
2006.06.03 エプソム ダービーS G1 芝12f10y 3着 J.ムルタ クビ (Sir Percy)
2006.07.02 カラ 愛ダービー G1 芝12f 1着 K.ファロン 3 1/2馬身 (Gentlewave)
2006.08.22 ヨーク 英国際S G1 芝10f88y 4着 M.キネーン 3馬身 Notnowcato
2006.09.09 レパーズタウン 愛チャンピオンS G1 芝10f 1着 K.ファロン クビ Ouija board
2006.10.07 ベルモントパーク ジョッキークラブGC G1 D10f 4着 J.ヴェラスケス 32 1/4馬身 Bernardini
2007.04.15 カラ アレッジドS L 芝10f 1着 J.ヘファーナン 3馬身 (Fracas)
2007.04.29 ロンシャン ガネー賞 G1 芝2100m 1着 C.スミヨン 2馬身 (Irish Wells)
2007.05.27 カラ タタソールズGC G1 芝10f110y 2着 J.ヘファーナン アタマ Notnowcato
2007.06.20 アスコット プリンスオブウェールズS G1 芝10f 2着 C.スミヨン 1 1/4馬身 Manduro
2007.07.28 アスコット KGVI&QES G1 芝12F 1着 J.ムルタ 4馬身 (Youmzain)
2007.08.19 ヨーク 英国際S G1 芝10f88y 2着 J.ムルタ 1馬身 Authorized
2007.09.08 レパーズタウン 愛チャンピオンS G1 芝10f 1着 K.ファロン 1 1/2馬身 (Duke of Marmalade)
2007.10.07 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m 1着 K.ファロン アタマ (Youmzain)
2007.10.27 モンマスパーク BCターフ GI 芝12f 5着 J.ムルタ 8 1/2馬身 English Channel
2007.12.09 沙田 香港ヴァーズ G1 芝2400m 7着 J.ムルタ 4 3/4馬身 Doctor Dino

f: furlong (ハロン) 201.168 m
y: yard (ヤード) 0.9144 m

種牡馬時代

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2008年からアイルランドのクールモアスタッドで種牡馬入りした。初年度の種付料は5万ユーロ。初年度産駒は2011年デビュー。

代表産駒

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※馬名はアルファベット順で表記、斜体はローカルグレード

※カタカナ馬名に付された*は、本邦輸入馬であることを示す。

ブルードメアサイアーとしての主な産駒

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血統表

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ディラントーマス血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ダンジグ系デインヒル系
[§ 2]

*デインヒル
1986 鹿毛
父の父
Danzig
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
父の母
Razy Ana
1981 黒鹿毛
His Majesty Ribot
Flower Bowl
Spring Adieu Buckpasser
Natalma

Lagrion
1989 黒鹿毛
Diesis
1980 栗毛
Sharpen Up *エタン
Rocchetta
Doubly Sure Reliance
Soft Angels
母の母
Wrap It Up
1979
Mount Hagen Bold Bidder
Moonmadness
Doc Nan Francis S.
Betty W.
母系(F-No.) (FN:9-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Native dancer 5・5×5、Tom Fool 5×5、Natalma 4・4(父内) [§ 4]
出典
  1. ^ [3]
  2. ^ [4]
  3. ^ [3]
  4. ^ [3]

脚注

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  1. ^ 欧州では種牡馬入りする際にEVAのワクチン接種が義務付けられており、ディラントーマスもブリーダーズカップを最後に引退する予定だった為、このワクチンを接種していたことから陽性反応が出てしまった。急遽のジャパンカップ参戦が裏目に出た形となってしまったが、この件では陣営の不手際への批判だけでなく、一部マスコミからはJRAに対する柔軟な対応をすべきだったという批判の声もあった。この後出走した香港の競馬会からは、ワクチンによる陽性反応であることが明らかな為、レース前の検疫で陰性が確認できなくとも出走を認めるという判断が下された。
  2. ^ カシアス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年12月11日閲覧。
  3. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Dylan Thomas(IRE)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年3月15日閲覧。
  4. ^ ディラントーマス|競走馬データnetkeibaより 2017年12月11日閲覧

外部リンク

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