ホーリング
ホーリング | |
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欧字表記 | Halling |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1991年3月14日 |
死没 | 2016年2月2日[1] |
父 | Diesis |
母 | Dance Machine |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Cyril Humphries |
馬主 |
Cyril Humphries →Godolphin |
調教師 |
John Gosden →Saeed bin Suroor |
競走成績 | |
生涯成績 | 18戦12勝 |
獲得賞金 |
849,894ポンド (UKポンド換算) |
ホーリング (Halling) は、アメリカ合衆国生産、イギリス調教の競走馬・種牡馬。現役時代にはインターナショナルステークス(2勝)やエクリプスステークス(2勝)などG1競走を5勝した。1996年のカルティエ賞の最優秀古馬に選ばれている。
経歴
[編集]デビューは遅く、3歳になった1994年7月に初出走を果たし、4戦目となった8月のリポン競馬場で行われたハロゲートハンデキャップで初勝利を挙げた。ここから連勝劇が始まり、10月のケンブリッジシャーハンデキャップまで3連勝を果たしている。
その1994年の12月に、ゴドルフィンのシェイク・モハメドに購入され、厩舎もジョン・ゴスデンのもとからドバイのサイード・ビン・スルール厩舎へと移籍した。同年の年末よりナドアルシバ競馬場でダートの競走を3戦し、1995年の年初にはマクトゥームチャレンジのラウンド1・ラウンド2(当時格付けなし)で優勝、連勝の記録を伸ばした。
1995年7月、ホーリングはサンダウンパーク競馬場でエクリプスステークスに出走、初めてのG1競走挑戦となった。ホーリングは8頭立ての5番人気であったが、ウォルター・スウィンバーン騎乗のもとでスタートからずっと先頭を走り続け、最後の直線で追いすがった2着馬シングスピールからクビ差で逃げ切って優勝、初挑戦にしてG1馬の称号を手に入れた。
続くヨーク競馬場のインターナショナルステークスでも逃げを打ち、最後の直線では2着のバーリ以下を大きく突き放して伸び、3馬身半差で連勝記録を8に伸ばした。しかし、その年最後の競走となったブリーダーズカップ・クラシックではスタートから先頭を奪えず中団につける羽目になり、さらにコーナーで大きく外を回らされたことも影響して、最後の直線を前に失速、勝ち馬のシガーから大きく離された最下位11着と惨敗を喫した。
翌年1996年も3月のナドアルシバ競馬場より始動、現地のステークス競走を快勝して、その翌戦にこの年より創設されたドバイワールドカップを選んだ。しかし再びシガーと競走することになり、そして再び先頭を奪えず、さらにここでもシガーの優勝から遠く離れた最下位11着に敗れた。
この後ホーリングは再びヨーロッパに戻り、5月のロンシャン競馬場で行われたイスパーン賞では得意の逃げ切りで久々のG1勝ちを収めた。続くエクリプスステークス・インターナショナルステークスもそれぞれ連覇し、チャンピオンステークスでボスラシャムの2着に敗れたところでその年の競走を終えた。ホーリングはこの年をもって引退し、デュラハムホールスタッドで種牡馬入りした。この年のカルティエ賞表彰において、ホーリングは最優秀古牡馬部門を受賞した。
引退後は1997年から種牡馬として活動し、後の2005年よりドバイのエミレーツスタッドに移動している。 代表産駒には2009年のパリ大賞典優勝馬キャヴァルリーマンや2010年のガネー賞優勝馬カットラスベイがいる。
2016年2月2日にDalham Hall Studで死去した[1]。
評価
[編集]- 1996年 - カルティエ賞最優秀古牡馬
競走成績
[編集]出走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 | 着順 | 騎手 | 着差 | 1着(2着)馬 |
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1994.07.20 | ヤーマウス | 未勝利 | 芝7f3y | 7着 | L.デットーリ | 18馬身 | Ingozi | |
1994.07.30 | サースク | 未勝利 | 芝8f | 4着 | D.ギブソン | 4馬身1/2 | Puissant | |
1994.08.08 | ウインザー | 未勝利 | 芝8f67y | 6着 | B.トムソン | 11馬身 | Grecian Slipper | |
1994.08.02 | リポン | ハロゲートH | 芝10f | 1着 | L.デットーリ | 2馬身1/2 | (Bronze Maquette) | |
1994.09.01 | ドンカスター | ラドブロークH | 芝10f60y | 1着 | B.トムソン | アタマ | (Green Crusader) | |
1994.10.01 | ニューマーケット | ケンブリッジ州H | 芝9f | 1着 | L.デットーリ | 2馬身1/2 | (Hunters of Brora) | |
1994.12.29 | ナドアルシバ | マダガンズ競走 | D1800m | 1着 | J.キャロル | 2馬身1/2 | (Alfawz Alwasheek) | |
1995.01.26 | ナドアルシバ | マクトゥームチャレンジ1 | D1600m | 1着 | J.キャロル | 3/4馬身 | (Lower Egypt) | |
1995.02.26 | ナドアルシバ | マクトゥームチャレンジ2 | D2000m | 1着 | J.キャロル | 4馬身 | (Rainbow Heights) | |
1995.07.08 | サンダウン | エクリプスS | G1 | 芝10f7y | 1着 | W.R.スウィンバーン | クビ | (Singspiel) |
1995.08.15 | ヨーク | インターナショナルS | G1 | 芝10f85y | 1着 | W.R.スウィンバーン | 3馬身1/2 | (Bahri) |
1995.10.28 | ベルモントパーク | BCクラシック | G1 | D10f | 11着 | W.R.スウィンバーン | 19馬身 | Cigar |
1996.03.03 | ナドアルシバ | アルフタイムT | D2000m | 1着 | L.デットーリ | 8馬身 | (Torrential) | |
1996.03.27 | ナドアルシバ | ドバイワールドC | G1 | D2000m | 11着 | L.デットーリ | 24馬身 | Cigar |
1996.05.27 | ロンシャン | イスパーン賞 | G1 | 芝1850m | 1着 | L.デットーリ | 1馬身1/2 | (Gunboat Diplomacy) |
1996.07.06 | サンダウン | エクリプスS | G1 | 芝10f7y | 1着 | J.リード | クビ | (Bijou d'Inde) |
1996.08.02 | ヨーク | インターナショナルS | G1 | 芝10f85y | 1着 | L.デットーリ | 3馬身 | (First Island) |
1996.10.19 | ニューマーケット | チャンピオンS | G1 | 芝10f | 2着 | L.デットーリ | 2馬身1/2 | Bosra Sham |
血統表
[編集]ホーリングの血統(ネイティヴダンサー系 / 5代内アウトブリード) | (血統表の出典) | |||
父 Diesis 1980 栗毛 イギリス |
父の父 Sharpen Up1969 栗毛 イギリス |
*Atan エタン |
Native Dancer | |
Mixed Marriage | ||||
Rocchetta | Rockfella | |||
Chambiges | ||||
父の母 Doubly Sure1971 鹿毛 イギリス |
Reliance | Tantieme | ||
Relance | ||||
Soft Angels | Crepello | |||
Sweet Angel | ||||
母 Dance Machine 1982 鹿毛 イギリス |
Green Dancer 1972 鹿毛 アメリカ |
Nijinsky II | Northern Dancer | |
Flaming Page | ||||
Green Valley | Val de Loir | |||
Sly Pola | ||||
母の母 Never a Lady1974 栗毛 アイルランド |
Pontifex | Jaipur | ||
Pontivy | ||||
Camogie | *Celtic Ash | |||
Mesopotamia F-No.10-c |
脚注
[編集]- ^ a b Godolphin's Halling Dies at Age 252019年2月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- Halling - Darley.co.uk
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post