コンテンツにスキップ

ペンタイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペンタイア
モラーズ・レーシング(左)と吉田照哉の勝負服(欧州)
欧字表記 Pentire
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1992年4月12日
死没 2017年11月20日[1]
Be My Guest
Gull Nook
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Lord Halifax
馬主 Moller's Racing
吉田照哉
調教師 Geoffrey Wragg
競走成績
生涯成績 18戦8勝
獲得賞金 726,147ポンド
735,025ディルハム
80,000フラン
テンプレートを表示

ペンタイア (Pentire) とはイギリス競走馬である。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを勝つなど活躍し、引退後は種牡馬として一時日本に輸入された。その後ニュージーランドへ渡り、オセアニアで大レースを制する産駒を輩出する人気種牡馬となった。

戦績

[編集]

1994年6月、ニューマーケット競馬場でデビューし3着。2歳時は短距離を中心に走り5戦1勝に終わる。

3歳となった1995年からは10f以上の距離を走るようになり4連勝、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスにも出走しラムタラの2着となる。その後、アイルランドチャンピオンステークスで後に凱旋門賞2着となるフリーダムクライを破って優勝。これが初G1勝利となる。

4歳となった1996年は、初戦にダートのドバイワールドカップに出走するが、北米馬に1着から3着までを独占され、勝ったシガーからは9馬身差の4着に敗れる。エクリプスステークス3着の後、前年2着に敗れたキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに出走する。スタートで出遅れながらも、最後の直線で差して勝利。しかし、その後はフォワ賞スウェインの2着、凱旋門賞でエリシオの10着、来日してジャパンカップに出走するもシングスピールの8着と精彩を欠き、このレースを最後に引退した。

競走成績

[編集]
出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
1994.06.24 ニューマーケット 未勝利 芝6f 3着 M.ヒルズ 3馬身 Knight Commander
1994.07.07 ニューマーケット 未勝利 芝6f 1着 ポール・エデリー 2馬身1/2 (Otterboune)
1994.07.28 グッドウッド リッチモンドS G2 芝6f 3着 ポール・エデリー 1馬身1/4 Sri Pekan
1994.08.16 ヨーク 条件S 芝6f214y 3着 ポール・エデリー 2馬身1/2 Options Open
1994.09.27 ニューマーケット 条件S 芝7f 10着 ポール・エデリー 8馬身1/4 Don Corleone
1995.04.29 サンダウン クラシックトライアル G3 芝10f7y 1着 M.ヒルズ クビ Singspiel
1995.05.11 チェスター ディーS L 芝10f75y 1着 M.ヒルズ 1馬身1/4 (Sanoosea)
1995.05.23 グッドウッド プレドミネートS L 芝10f 1着 M.ヒルズ 短頭 (Istidaad)
1995.06.23 アスコット キングエドワード7世S G2 芝12f 1着 M.ヒルズ 2馬身1/2 (Classic Cliche)
1995.07.22 アスコット KGVI&QES G1 芝12f 2着 M.ヒルズ クビ Lammtarra
1995.08.15 ヨーク グレートヴォルティジュールS G2 芝11f195y 1着 M.ヒルズ 短頭 (Singspiel)
1995.09.09 レパーズタウン 愛チャンピオンS G1 芝10f 1着 M.ヒルズ 短頭 (Freedom Cry)
1996.03.27 ナドアルシバ ドバイWC D2000 4着 M.ヒルズ 9馬身1/4 Cigar
1996.07.06 サンダウン エクリプスS G1 芝10f 3着 M.ヒルズ 1馬身3/4 Halling
1996.07.27 アスコット KGVI&QES G1 芝12f 1着 M.ヒルズ 1馬身3/4 (Classic Cliche)
1996.09.15 ロンシャン フォワ賞 G3 芝2400 2着 M.ヒルズ 1/2馬身 Swain
1996.10.06 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400 10着 M.ヒルズ 10馬身 Helissio
1996.11.24 東京 ジャパンC G1 芝2400 8着 M.ヒルズ 0.6秒 シングスピール

種牡馬時代

[編集]

1997年から日本で種牡馬入り。同時にシャトル種牡馬として初年度はオーストラリア、それ以降はニュージーランドでも種牡馬生活を送る。日本では2000年にデビューした初年度産駒が期待ほどの成績を残せず、それまで100頭前後だった種付頭数が2001年に1/4程度まで急落。一方でオーストラリアでは初年度産駒からG1勝ち馬を出したため、2002年は日本に帰国せず、ニュージーランドにとどまって種付けを行なっている。海外での活躍が明らかになった2003年も日本では人気が回復しなかったため、同年の種付けシーズン後に正式にニュージーランドへ輸出された。それ以降も、2008-2009年シーズンのニュージーランド年度代表馬Mufhasaなど、数多くの活躍馬を送り出した。

2017年11月20日にニュージーランドのRich Hill Studで死去した。[1]


代表産駒

[編集]

日本国内

[編集]

日本国外

[編集]

※生産年別にアルファベット順で、G1勝ち馬とG1競走名のみ表記。特に記載のない場合はG1。

血統表

[編集]
ペンタイア血統ノーザンダンサー系/Nearco 4×5=9.38%、Hyperion 5×5=6.25%) (血統表の出典)

Be My Guest
1974 栗毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
What a Treat
1962 鹿毛
Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Rare Treat Stymie
Rare Perfume

Gull Nook
1983 鹿毛
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
母の母
Bempton
1976 鹿毛
Blankeney Hethersett
Windmill Girl
Hardiemma *Hardicanute
Grand Cross F-No.1-l


脚注

[編集]
  1. ^ a b Breeding industry lose prolific Pentire”. racing.com. 2019年2月19日閲覧。
  2. ^ オーストラリア時代の馬名はKing Mufhasa。

外部リンク

[編集]