コンテンツにスキップ

エリシオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エリシオ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1993年1月24日
死没 2013年10月8日(20歳没)
Fairy King
Helice
生国 フランスの旗 フランス
生産者 Ecurie Skymarc Farm
馬主 E.Sarasola
調教師 Elie Lelloucheフランス
競走成績
生涯成績 13戦8勝
獲得賞金 8,572,350フラン
34,758,000
52,100ポンド
テンプレートを表示

エリシオHelissio1993年 - 2013年)とはフランス競走馬および種牡馬である。第75回凱旋門賞サンクルー大賞連覇などG1を5勝。1996年ジャパンカップにも参戦した。1996年カルティエ賞年度代表馬、最優秀3歳馬、最優秀3歳牡馬。

戦績

[編集]

1996年3月のデビュー戦で10馬身差で勝利、続くノアイユ賞も勝利したことで一躍クラシック戦線へと踊り出た。次走リュパン賞も制し、3連勝でG1を勝利した。ジョッケクルブ賞(フランスダービー)では1番人気を集めたが、ラグマーの5着と惨敗、この敗戦で主戦騎手だったドミニク・ブフは降ろされ、次走からはオリビエ・ペリエが手綱を取ることになった。サンクルー大賞では古馬初対戦ながらも強豪スウェインを相手に逃げ切り、9月のニエル賞も制して臨んだ凱旋門賞では1番人気に支持されると2着ピルサドスキーに5馬身差をつけて優勝した。ペリエがゴールよりも遥か手前でガッツポーズを始めるほどの楽勝だった。この着差は凱旋門賞においてリボーシーバードがつけた6馬身差に次いで大きな着差であった。その後日本に遠征しジャパンカップに参戦したがシングスピールファビラスラフインに交わされストラテジックチョイスとの3着同着[1]に敗れた。この年の活躍が評価され、カルティエ賞年度代表馬、最優秀3歳牡馬、最優秀3歳馬に選出され、インターナショナル・クラシフィケーションではシガーの135ポンドに次ぐ134ポンドが与えられた。

翌年1997年にはドバイワールドカップへと参戦する予定だったが、集中豪雨でレースが延期になったことにより出走を取り消した。その後はガネー賞、サンクルー大賞(連覇)とG1を連勝し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへ駒を進めた。この競走はエリシオの他にもピルサドスキーシングスピールスウェインといった有力馬が集まり "The Race of the Decade" と称されるハイレベルなレースとなった。ここでもエリシオは1番人気に支持されたが、結果はスウェインとピルサドスキーに続く3着であった。その後、距離の壁を越えてマイル戦ムーラン・ド・ロンシャン賞にも挑戦し、仏2000ギニー馬のデイラミに先着して当時の世界最強マイラーであるスピニングワールドの2着に入った。連覇を狙った凱旋門賞では勝ったパントレセレブルから7馬身差の6着に敗れ、このレースを最後に引退、種牡馬となった。

凱旋門賞でペリエは大逃げという戦法を選んだが、ペリエは後のインタビューでこの戦法について「日本で騎乗していなかったら、このような大胆な戦法をとることはできなかった」と語っている。

競走成績

[編集]
出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
1996.03.25 エヴリ モンターニュ賞 芝2000m 1着 D.ブフ 10馬身 (Nobel Tycoon)
1996.04.07 ロンシャン ノアイユ賞 G2 芝2200m 1着 D.ブフ 4馬身 (Arbatax)
1996.05.12 ロンシャン リュパン賞 G1 芝2100m 1着 D.ブフ 3/4馬身 (Loup Solitaire)
1996.06.02 シャンティ ジョッケクルブ賞 G1 芝2400m 5着 D.ブフ 3馬身 Ragmar
1996.06.30 サンクルー サンクルー大賞 G1 芝2400m 1着 O.ペリエ 1馬身 (Swain)
1996.09.15 ロンシャン ニエル賞 G2 芝2400m 1着 O.ペリエ 1馬身 (Darazari)
1996.10.06 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m 1着 O.ペリエ 5馬身 (Pilsudski)
1996.11.24 東京 ジャパンC G1 芝2400m 3着 O.ペリエ 1 1/4馬身 Singspiel
1997.04.27 ロンシャン ガネー賞 G1 芝2100m 1着 O.ペリエ 6馬身 (Le Destin)
1997.06.29 サンクルー サンクルー大賞 G1 芝2400m 1着 C.アスムッセン 5馬身 (Magellano)
1997.07.26 アスコット KGVI&QEDS G1 芝12f 3着 C.アスムッセン 2 1/4馬身 Swain
1997.09.07 ロンシャン ムーラン・ド・ロンシャン賞 G1 芝1600m 2着 O.ペリエ 3馬身 Spinning World
1997.10.05 ロンシャン 凱旋門賞 GI 芝2400m 6着 D.ブフ 7馬身 Peintre Celebre

種牡馬

[編集]

1997年社台グループによって購入され、初年度からチューリップ賞優勝馬ヘルスウォールを、シャトル種牡馬として繋養されたオーストラリアではコーフィールドギニーヴィクトリアダービーローズヒルギニー(共に豪G1)優勝馬エレナスを出した。だが日本国内では思ったほど成績が伸びず、2005年5月に北アイルランドへと売却された。その後ポップロック目黒記念を制し、豪G1メルボルンカップ有馬記念で2着に入る活躍を見せている。

2013年10月8日、心臓発作と思われる症状により死亡[2]

代表産駒

[編集]
ポップロック(2001年産)

母の父としての代表産駒

[編集]

血統表

[編集]
エリシオ (Helissio)血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ノーザンダンサー系
[§ 2]

Fairy King
1982 鹿毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Fairy Bridge
1975 鹿毛
Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong

Helice
1988 鹿毛
Slewpy
1980 黒鹿毛
Seattle Slew Bold Reasoning
My Charmer
Rane Bouquet Prince John
Forest Song
母の母
Hirondelle
1981 鹿毛
Val de l'Orne Val de Loir
Aglae
Hermanville Cutlass
Peaceful Lane
母系(F-No.) (FN:10-c) [§ 3]
5代内の近親交配 アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [6]
  2. ^ [7]
  3. ^ [6][7]
  4. ^ [6][7]


脚注

[編集]
  1. ^ ジャパンカップにおける凱旋門賞馬の最高着順である。
  2. ^ 96年の凱旋門賞馬エリシオ死亡”. デイリースポーツ (2013年10月10日). 2013年10月10日閲覧。
  3. ^ エプソムアーロン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年7月22日閲覧。
  4. ^ ユーロビート”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年7月22日閲覧。
  5. ^ オウケンムーン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2018年4月30日閲覧。
  6. ^ a b c 血統情報:5代血統表|エリシオ(FR)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2018年11月17日閲覧。
  7. ^ a b c エリシオの血統表”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2018年11月17日閲覧。

外部リンク

[編集]