2025-01-07

フェミニズムが「男女平等」ではなく「男女公平」を目指した世界

一般論として、男性女性より力強く、女性男性より気が利くとされている。

だが、男性より力強い女性はいくらでもいるし、女性より虚弱男性いくらでもいる。

女性より気の利く男性もいるし、男性より気の利かない女性だっている。

それらを無視して「男なんだから」や「女なんだから」という理屈で型にはめるのを避け、

個々人の能力に応じた場を提供できるようにするのがフェミニズムであるべきだ。

平等と公平に関しては例の有名な画像の通り。

本来能力が求められるべき場において、フェミニズムが目指した「平等」はジェンダーに囚われること無く個々人の能力だけで可否を決められるべきである

女性枠」を声高に訴えるフェミニストは、それだけでフェミニズム足り得ないはずだった。

だが、男女共同参画社会基本法には以下のように規定されている。

https://www.gender.go.jp/about_danjo/law/kihon/9906kihonhou.html

3 第一項第二号の議員のうち、男女のいずれか一方の議員の数は、同号に規定する議員の総数の十分の四未満であってはならない。

また、有名どころでは日弁連が「女性副会長クオータ制」を導入している。

https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2017/171208_2.html

制度は、現在副会長の人数を2人増員して15人とした上で、副会長のうち2人以上は女性が選任されなければならないとするものです。

まり現在フェミニズムとは個々人の能力ではなく男女の人数ありきでの調整となっているのだ。

これらの「女性優遇」を実施している側の意見として以下の論文がある。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaijosei/31/1/31_111/_pdf

クオータが必要とされる背景には,女性議員になるためには様々な障壁存在し,それを一つひとつ取り除くのにはあまり時間がかかることがある。

そこで発想を逆転させ,まずは枠を設け女性議員を増やし,その後に障壁を除去するなどの環境整備を整えた方が早く結果は出るであろう。

クオータが「ファスト・トラック」(急速な軌道)と呼ばれる所以である

まず数ありきで増やした上で、その枠を目指す女性が増えれば自然平等へと近づいていくはずだ、という発想だ。

これが上手くいくかはまだ分からないが、現在はこの過渡期であり、故にこそ「男女公平」な社会を目指した世界になったのだ。

その過程において犠牲となる男性は、すなわち変化のための犠牲であることを受け入れなければならないのだろう。

  • 勉強できない奴が車輪の再発明(超劣化版)してるの文明についていけない原人すぎてキツいな 内容クソ浅くてショボいしな。ほんと勉強した方がいいよ。勉強してないなら喋んない方い...

    • 公平平等の是非を問うてないのにめっちゃ効いてますやん

      • 効いてるって言い方するやつはどんな思想の持ち主でもボコボコに叩いていいと思ってる やってお前が全て悪いしお前への批判は全て正しい

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