梵鐘とは? わかりやすく解説

ぼん‐しょう【×梵鐘】

読み方:ぼんしょう

寺院で、鐘楼につり下げ撞木(しゅもく)でつき鳴らす鐘。音が大きいことから鐘(げいしょう)・洪鐘などともいう。

梵鐘の画像

梵鐘

読み方:ボンショウ(bonshou)

寺院など釣鐘


梵鐘

読み方:ボンショウ(bonshou)

寺院鐘楼にかけて打鳴す鐘。

別名 釣鐘


ぼんしょう 【梵鐘】

→ 鐘

梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 136
枝番 00
指定年月日 1953.11.14(昭和28.11.14)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 157
枝番 00
指定年月日 1954.03.20(昭和29.03.20)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代 承和6年(839)
検索年代
解説文: 平安時代作品

梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 196
枝番 00
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良作品

梵鐘


梵鐘


梵鐘


梵鐘


梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 722
枝番 00
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 29
枝番 00
指定年月日 1951.06.09(昭和26.06.09)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良作品

梵鐘〈/銘文井手寺〉


梵鐘


梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 752
枝番 00
指定年月日 1957.02.19(昭和32.02.19)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 965
枝番 00
指定年月日 1959.06.27(昭和34.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 973
枝番 00
指定年月日 1959.06.27(昭和34.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 永暦元年〈康/辰〉九月廿日鋳物師散位船是守等の鋳出銘刻銘がある
員数 1口
時代区分 平安
年代 永暦元年(1160)
検索年代
解説文: 平安時代作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 974
枝番 00
指定年月日 1959.06.27(昭和34.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 応保三年〈癸/未〉三月三日〈甲/午〉の鋳出銘がある
員数 1口
時代区分 平安
年代 応保3年(1163)
検索年代
解説文: 平安時代作品

梵鐘(二月堂食堂所用)


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2039
枝番 00
指定年月日 1959.12.18(昭和34.12.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 三河国薬勝寺推鐘寛喜二年庚刁卯月三日鋳出銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 寛喜2年1231
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

梵鐘


梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2045
枝番 00
指定年月日 1959.12.18(昭和34.12.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 周防国吉敷郡氷上興隆寺享禄五年〈壬/辰〉八月吉曜日、葦屋元金大工大江宣秀、大願多々良義隆
員数 1口
時代区分 室町
年代 享禄5年(1532)
検索年代
解説文: 室町時代作品

梵鐘


梵鐘


梵鐘


梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2084
枝番 00
指定年月日 1962.02.02(昭和37.02.02)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 鋳出銘のうちに「文応辛酉年沽洗康午日」、「鋳工沙弥」とある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 文応2年(1261)
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2087
枝番 00
指定年月日 1962.02.02(昭和37.02.02)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 鋳出銘のうちに「武州高麗勝楽寺」、「文応二年〈歳次辛酉三月日」、「大工物部季重」とある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 文応2年(1261)
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2125
枝番 00
指定年月日 1963.02.14(昭和38.02.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 〈「武蔵国多東郡深大寺、奉冶鋳一口長四尺三寸口二尺三寸」/「永和二年丙辰八月十五日大工
員数 1口
時代区分 南北朝
年代 永和2年(1376)
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2169
枝番 00
指定年月日 1964.01.28(昭和39.01.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 美濃一宮法躰宮御鐘」「弘安三年大歳庚辰十月日大工西善」の刻銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 弘安3年1280
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 51
枝番 00
指定年月日 1952.03.29(昭和27.03.29)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2174
枝番 00
指定年月日 1964.01.28(昭和39.01.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 弘安六年〈歳次/ 未〉二月十八日奉鋳之、大工平貞弘」の刻銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 弘安6年1283
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

梵鐘


梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2231
枝番 00
指定年月日 1967.06.15(昭和42.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 貞応二年〈癸/未〉十月廿六日勧進聖蓮阿弥陀仏、鋳師土師宗友の鋳出銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 貞応2年(1223)
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

梵鐘


梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2326
枝番 00
指定年月日 1971.06.22(昭和46.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 安元二年二月六日勧進入唐三度聖人重源鋳出銘がある
員数 1口
時代区分 平安
年代 安元2年(1176)
検索年代
解説文:  やや小形の鐘であるが姿もよく、撞座の高さは低めである。池の間銘文梵字を鋳出し笠形・鐘身内部にも及んでいる。俊乗坊重源勧進したもので、もと高野山西院谷にあった延寿院の鐘である。重源その後平重衡の乱で焼亡した南都東大寺復興大任果たしている。鋳上がりもよく平安時代貴重な遺例である。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2351
枝番 00
指定年月日 1973.06.06(昭和48.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 羽黒山寂光寺建治元年八月廿七日刻銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 建治元年(1275)
検索年代
解説文:  鋳銅大形の梵鐘で、中世以前の鐘では東大寺に次ぐ巨鐘である。膚の荒れがあるが、草の間蓮池飛天優れた文様を鋳出し銘文刻している。東北地方において最大で、在銘最古の鐘である。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2357
枝番 00
指定年月日 1973.06.06(昭和48.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 天慶七年後刻銘がある
員数 1口
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文:  やや丈長優美な姿で、笠形高めである。上帯鋸歯文帯、下帯唐草文を陽鋳し、撞座竜頭位置と直角の方向古式であり、その中心の高さは身高の約三分の一位する。これらの形式奈良特色が強い。草の間天慶七年後刻銘がある。大峯山頂の大峯山寺本堂内に懸吊されているものである

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2379
枝番 00
指定年月日 1975.06.12(昭和50.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  平安時代梵鐘の特徴あらわしている。すなわち、丈低い姿、乳の間内郭をつくり、竜頭方向撞座位置との関係は直交している。そして上・下帯に飛雲唐草文の陽鋳があって飾っている。寺伝明智光秀陣鐘というが、当寺本尊同じく京都法勝寺から移されたという説もある。無銘ながら数少ない平安時代梵鐘の貴重な遺例

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 58
枝番 00
指定年月日 1952.03.29(昭和27.03.29)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代 延喜18年(917)
検索年代
解説文: 平安時代作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2380
枝番 00
指定年月日 1975.06.12(昭和50.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  京都勝林院鐘と相似した梵鐘で、それよりやや大きい。いずれも上・下帯に文様はない。乳の間には四方をかこむ内郭つくっている。笠形には圏線があり、撞座の高さの鐘身高に対す比率二七・七%である。竜頭方向撞座とが直交する古式になっているこのような形姿より平安時代前期様式を踏む鐘として、無銘ながら鋳技も秀れ時代色顕著な作風あらわしている。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2381
枝番 00
指定年月日 1975.06.12(昭和50.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文:  撞座簡素な蓮華形で、その鐘身における位置後世のものに比して高い。竜頭方向とその位置直交して古式である。笠形二条の圏縁を笠形同心円めぐらし上下二段分けている。乳は簡単な円錐形円筒形口縁部二条の圏縁のみめぐらして駒の爪つくらない等から、奈良梵鐘の形式を踏むが、寺伝によると宝亀八年七七七小野時兼寄進といい、一条天皇よりは龍寿鐘殿の勅額を賜わって、霊鐘として尊崇された。竜頭白布巻いて人の目にふれさせなかったのは、竜神すなわちとしての霊験あらたかということからであった

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2382
枝番 00
指定年月日 1975.06.12(昭和50.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  滋賀県竜王寺梵鐘とよく似ている平安前期の梵鐘である。ただ竜頭意匠のみ相違があり、善徳寺梵鐘は竜頭口唇笠形噛んでいるようであるが、この梵鐘の竜頭口唇笠形から離れて長く前方出している。しかし、その造形動きあるものとなって激し気風満たして鋳技の秀れたことを示している。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2383
枝番 00
指定年月日 1975.06.12(昭和50.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  池の間四区にわたって種子【しゆじ】(仏名梵字であらわす)と真言陀羅尼密教での仏の言葉として(短句)と陀羅尼長句)の併称一種呪文を以て荘厳している。平安時代から鎌倉時代にかけて、真言陀羅尼功徳対す信仰盛行したことは記録によって知られるが、報恩寺梵鐘は無紀年銘ながら、平安時代後期形式をもつものである

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2387
枝番 00
指定年月日 1975.06.12(昭和50.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 応仁三年十月二十二筑前州葦屋金屋大工大江貞家の刻銘がある
員数 1口
時代区分 室町
年代 応仁3年(1469)
検索年代
解説文:  朝鮮高麗後期十四世紀)の朝鮮鐘様式取り入れ和鐘様式加わった和鮮混淆型式鐘である。竜頭双頭式で和鐘型であるが、笠形周縁の四個の繰形突起・鐘身の装飾性朝鮮鐘からの模倣みられる銘文によると中世鋳物、とくに茶釜知られる芦屋鋳物師の作であることが知られるともあれ、和鮮混淆型式鐘としては最古例であるが、中世における日本朝鮮との文化交流史上貴重な資料である。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2388
枝番 00
指定年月日 1975.06.12(昭和50.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 康永三年七月二十五日大工肥州上松浦山下庄覚円小工季央の刻銘がある
員数 1口
時代区分 南北朝
年代 康永3年(1344)
検索年代
解説文:  康永三年一三四四)の年紀銘のある梵鐘で、南北朝時代の作では鋳造技術すぐれているのである三面宝珠竜頭ラッパ状の頸に扁平な円錐頭で中央光っている乳などがこの時代梵鐘の形式あらわされている。池の間四区にわたる銘文は、対馬史においての貴重な金石文である。まず第一に在銘最古の梵鐘であるこどを示しまた上古におけるこの地方支配していた豪族阿比留氏一人である宿弥良家がでている。鋳物師覚円と季央とは肥州松浦住人で、中世肥前鋳工の梵鐘例として数点知られているうち、唯一の製作地からはなていないのである

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2393
枝番 00
指定年月日 1976.06.05(昭和51.06.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 弘長四年〈甲/子〉三月廿五日大工広階重永刻銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 弘長4年1264
検索年代
解説文:  鋳銅。肩よりゆるい曲線広がり中帯上辺より垂直に下る。竜頭火焔宝珠珠文帯付の宝珠頂き左右双頭下面して笠形の上面を噛む。上帯連続飛雲文、下帯唐草文を鋳出し乳の間には乳を設けず各区蓮台上の円相内に種子胎蔵界四仏鋳出す池の間一区に銘文刻している。
 関東では鎌倉時代になると漸く梵鐘があらわれ地元鋳物師名作少なくない大工広階重永もその一人で、その住地は上総国刑部郡である。竜頭の作行は俊勁で、総体鎌倉時代特色強く乳の間特異な文様など製作も優れている

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2394
枝番 00
指定年月日 1976.06.05(昭和51.06.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 元亨六年〈辛/酉〉十二月日大甲斐権守卜部助光刻銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 元亨6年(1321)
検索年代
解説文:  鋳銅。肩よりゆるい曲線広がり中帯上辺より垂直に下る。竜頭高く中央蓮台火焔宝珠頂き笠形円柱立てて噛む。乳の間は四区で、四段四列に乳を配し池の間四区の各区銘文を刻す。銘文によると元亨元年下野国佐野天宝寺の鐘として大工卜部助光造り永徳二年に鎌倉浄妙寺移ったことがわかる。その後現在日本寺の有となった作者助光天命鋳物師卜部氏で、これは同系鋳物師在銘最古作例である。鎌倉時代特色強く資料的にも貴重なのである

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2403
枝番 00
指定年月日 1976.06.05(昭和51.06.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 承元四年〈庚/午〉十一月廿日鋳出銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 承元4年(1210)
検索年代
解説文:  鋳銅。肩よりゆるい曲線広がり中帯上辺より垂直に下る。竜頭火焔珠付の扁平小さな宝珠頂き左右双頭笠形上面噛んでいる。乳の間広く四段四列に配し池の間一区に銘文を鋳出している。
 この鐘はもと和泉国一宮大鳥神社にあり、次いで山科勧修寺八幡移り、更に現在の称名寺に来たものである撞座竜頭など彫刻性の高い表現がなされ、鎌倉時代前期特色強く、製作の優れたのである

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2406
枝番 00
指定年月日 1977.06.11(昭和52.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 建治年三十一日、大工中臣兼守の刻銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 建治4年1278
検索年代
解説文:  鎌倉時代漸く関東鋳物師あらわれ、そして最も活躍した時である。作者大中臣兼守は上総刑部郡を本拠とした鋳物師いものし】である。もと印東庄大福寺(現佐倉市)に納められたが文明十四本土寺移ったのである池の間四区には三個ずつの円相釈迦上行菩薩日蓮以下列祖の名を刻している。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 85
枝番 00
指定年月日 1952.11.22(昭和27.11.22)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書 鋳銅四千斤白=二百六十斤/神亀四年十二月十一日鋳在銘
員数 1口
時代区分 奈良
年代 神亀4年727
検索年代
解説文: 奈良作品

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2419
枝番 00
指定年月日 1977.06.11(昭和52.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  広島県宮島弥山【みせん】の頂上にある梵鐘である。撞座およびその位置龍頭【りゆうず】の製作・形式平安時代特色示している。治承元年右大将平宗盛後刻銘がある。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2430
枝番 00
指定年月日 1978.06.15(昭和53.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 文明十年卯月十六日大工藤原国久鋳出銘がある
員数 1口
時代区分 室町
年代 文明10年(1478)
検索年代
解説文:  大形の鐘で、笠形には紐二条を廻らして内外区に分け龍頭四方一文字鋳口がある。上帯唐草文草の間各区三鈷杵を鋳出している。撞座位置高く古様を伝えている。京都三条釜座鋳物師国久国次系は有力な鋳工で、その初現がこの鐘である。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2431
枝番 00
指定年月日 1978.06.15(昭和53.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 慶長十一十月藤原対馬守国久鋳出銘がある
員数 1口
時代区分 桃山
年代 慶長11年(1606)
検索年代
解説文:  近世には京の鋳物師大きく発達し、梵鐘・茶の湯釜などの名品作られたが、その中心三条釜座である。作者国久三条釜座代表的鋳工で、方広寺鐘の鋳造にも参加している。これは製作の優れた大作で、桃山時代特色豊かなのである

梵鐘(旧円覚寺殿前鐘)

主名称: 梵鐘(旧円覚寺殿前鐘)
指定番号 2435
枝番 02
指定年月日 1978.06.15(昭和53.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 弘治八年七月吉日大工大和氏相秀の刻銘がある
員数 1口
時代区分
年代 弘治8年(1495)
検索年代
解説文: 琉球はいずれ中国年号を誌しているが、和鐘形式である。現存鐘は十二口であるが、これらは殆んど尚泰久王景泰七年一四五六)から尚真王弘治八年一四九五)までの三十年間鋳造され、この時期仏教最盛期であった円覚寺王家歴代香華所琉球禅林本山である。作者大和相秀は周防国防府鋳物師で、この鐘は兵庫県円照寺鐘と同作作風近似している。また鐘は沖繩最大の鐘で、作者宗味は京都室町住した出羽大掾宗味である。三口共に琉球史上からも重要な遺品である。

梵鐘(旧円覚寺殿中鐘)

主名称: 梵鐘(旧円覚寺殿中鐘)
指定番号 2435
枝番 03
指定年月日 1978.06.15(昭和53.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 弘治八年七月吉日大工大和氏相秀小工藤原家信の刻銘がある
員数 1口
時代区分
年代 弘治8年(1495)
検索年代
解説文: 琉球はいずれ中国年号を誌しているが、和鐘形式である。現存鐘は十二口であるが、これらは殆んど尚泰久王景泰七年一四五六)から尚真王弘治八年一四九五)までの三十年間鋳造され、この時期仏教最盛期であった円覚寺王家歴代香華所琉球禅林本山である。作者大和相秀は周防国防府鋳物師で、この鐘は兵庫県円照寺鐘と同作作風近似している。また鐘は沖繩最大の鐘で、作者宗味は京都室町住した出羽大掾宗味である。三口共に琉球史上からも重要な遺品である。

梵鐘(旧円覚寺楼鐘)

主名称: 梵鐘(旧円覚寺鐘)
指定番号 2435
枝番 01
指定年月日 1978.06.15(昭和53.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 康煕三十六年六月大工宗味の刻銘がある
員数 1口
時代区分 時代
年代 康煕36年(1697)
検索年代
解説文: 琉球はいずれ中国年号を誌しているが、和鐘形式である。現存鐘は十二口であるが、これらは殆んど尚泰久王景泰七年一四五六)から尚真王弘治八年一四九五)までの三十年間鋳造され、この時期仏教最盛期であった円覚寺王家歴代香華所琉球禅林本山である。作者大和相秀は周防国防府鋳物師で、この鐘は兵庫県円照寺鐘と同作作風近似している。また鐘は沖繩最大の鐘で、作者宗味は京都室町住した出羽大掾宗味である。三口共に琉球史上からも重要な遺品である。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2479
枝番 00
指定年月日 1981.06.09(昭和56.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書 弘安十年四月七日当山住持伝法比丘義尹、鋳冶大工四郎大夫春日国正の刻銘がある
員数 1口
時代区分 鎌倉
年代 弘安10年1287
検索年代
解説文:  この梵鐘は道元禅師弟子である寒巖義尹かんがんぎいん】(一二一七一三〇〇)が土地豪族泰明庇護によって大慈寺開きその時鋳物師春日国正【おおかすがくにまさ】に造らせたものである作風大形龍頭後頭部密接し撞座【つきざ】の位置低く下帯省略するなど極めて特色が強い。銘文豪快に刻し寒巖義尹の書としても資料的価値が高い。製作優れ堂々とした鎌倉時代代表的梵鐘の一つである。

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 2486
枝番 00
指定年月日 1982.06.05(昭和57.06.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 鋳銅製。龍頭方向と直角に交わる方向にある撞座位置高く、また太い鬣【たてがみ】を立てた龍頭の形などは奈良様式伝えている。しかし乳の間二重に郭を廻らすなど、平安時代前期特徴見られる無銘ながら大らかな姿を示す平安時代もごく初めの梵鐘として注目される

梵鐘

主名称: 梵鐘
指定番号 360
枝番 00
指定年月日 1978.06.15(昭和53.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 宝亀五年二月十二日在銘/千葉県成田市八代椎木出土
員数 1口
時代区分 奈良
年代 宝亀5年774
検索年代
解説文:  「宝亀五年」の陽鋳銘をもち、型態は通常の奈良時代梵鐘にみられず、和鐘創始期近く伝統規準拘束されることのない作行を示している。既知奈良時代在銘鐘は、三例が知られるのみで、東国地方から出土した古代鐘としても稀有遺品である。(奈良時代

梵鐘


梵鐘


梵鐘

国宝のほかの用語一覧
工芸品:  梵鐘  梵鐘  梵鐘  梵鐘  楽焼白片身変茶碗  横被  沃懸地獅子文毛抜形太刀

梵鐘

作者北方謙三

収載図書時代小説最前線 2
出版社新潮社
刊行年月1994.7

収載図書士魂光芒時代小説最前線
出版社新潮社
刊行年月1997.9
シリーズ名新潮文庫

収載図書時代小説読切御免 第4巻
出版社新潮社
刊行年月2005.12
シリーズ名新潮文庫


梵鐘

作者鈴木英治

収載図書手習兵衛 梵鐘
出版社中央公論新社
刊行年月2004.1
シリーズ名中公文庫


梵鐘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 13:45 UTC 版)

滋賀園城寺(三井寺)の「弁慶引き摺り鐘」(奈良時代

梵鐘(ぼんしょう)は、東アジア寺院などで使用される仏教法具としての釣鐘(つりがね)。撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らし、重く余韻のある響きが特徴。一般には除夜の鐘で知られる。

「梵」は梵語(サンスクリット)の Brahma (神聖・清浄)を音訳したものである。作られた国によって中国鐘、朝鮮鐘高麗鐘・新羅鐘)、和鐘(日本鐘)と呼ばれる。別名に大鐘(おおがね)、洪鐘(おおがね、こうしょう)、蒲牢(ほろう)、鐘(げいしょう)、巨鯨(きょげい)、華鯨(かげい)などがある。

法要など仏事の予鈴として撞(つ)くという、仏教の重要な役割を果たす。朝夕の時報(暁鐘 - ぎょうしょう、昏鐘 - こんしょう)にも用いられる。ただし、梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされる。こうした梵鐘の功徳については多くの鐘の銘に記されている。

青銅製が多いが、小型のものにはまれに製もある。小型のもの(一説には直径1尺7寸以下)は半鐘(喚鐘、殿鐘)といい、高い音で、用途も仏事以外に火事などの警報目的でも使われる。

響きをよくするために鋳造の際、指輪)を入れることがあるといわれ、江戸時代には小判を鋳込んだ例や、寄進されたなどを鋳込んだ例もある。雅楽と鐘の関係を記す文献もある。

歴史

仏教インドに起源を持ち、アジア各地に広まった宗教であるが、梵鐘に関してはその祖形をインドに求めることは困難であり、中国古代青銅器にその源流が求められる。時代から制作されている「編鐘」(へんしょう)という青銅器が梵鐘の源流と推定されているが、この「鐘」は全体に小型で、その断面形状は後世の梵鐘のような円形ではなく、杏仁形(アーモンド形)である[注釈 1]。中国製の梵鐘の古例としては、奈良国立博物館所蔵の太建7年(575年)の銘をもつ作品がある。この太建7年銘鐘は、断面が円形であること、縦横の帯で鐘身を区切ること、鐘身を懸垂するフックの部分を龍身とすること、撞座を蓮華文とすることなどが後世の日本の梵鐘と共通しており、その祖形と目される。ただし、「乳」と呼ばれる突起状の装飾を付けない点は日本の梵鐘と異なっている。

梵鐘の日本への渡来については、日本書紀に大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が562年、高句麗から日本に持ち帰ったとの記録が残っているが、現存遺品でこの時代にまでさかのぼるものはない。京都妙心寺の梵鐘(国宝)は、内面に戊戌年(698年)筑前糟屋評(現在の福岡市東区か)造云々の銘があり、製作年代と制作地の明らかな日本製の梵鐘としては最古のものとされている[1]。この梵鐘は、制作年代と文様から福岡県太宰府市の観世音寺鐘と兄弟鐘とする説がある。

高麗時代以前の朝鮮鐘は朝鮮半島のほか日本にも多数伝来し、福井県常宮神社の鐘が年代の明らかなものとしては最古(唐の大和7年・833年)とされている。日本の梵鐘は中国の様式を倣ったものが大半で、朝鮮鐘を倣ったものはごく例外的なものとされている。

日本では第二次世界大戦時に出された金属類回収令により、文化財に指定されているものなど一部の例外を除き、数多くの梵鐘が供出され、鋳潰された。これにより、近代や近世以前に鋳造された鐘の多くが溶解され、日本の鐘の9割以上が第二次世界大戦時に失われたという[2]

最近では特に都市部で梵鐘の音を騒音と捉えた人から寺や警察に梵鐘を撞くことをやめるよう苦情が来ることが増え、撞き手がいない寺が増えていることもあって、除夜の鐘も含めて梵鐘を撞く寺が減ってきている。また、指定された時間に無人で梵鐘を撞く装置を導入する寺もある。

和鐘の形式

和鐘の場合、頭部は龍頭といい、それ以下を鐘身という[3]。鐘身は上帯・中帯・下帯と称される3本の横帯で水平方向に区切られるとともに、垂直方向にも縦帯と称される帯で区切られる。縦帯は通常4本で、鐘身を縦に4分割する(近世の鐘には5本の縦帯をもつものもある)。上帯と中帯の間の空間は、上部を「乳の間」(ちのま)、下部を「池の間」と称する。「乳の間」には「乳」と称する突起状の装飾を並べる。「池の間」は無文の場合もあるが、ここに銘文を鋳出(または刻出)したり、天人像、仏像などの具象的な図柄を表す場合もある。銘文には文字が浮き出た陽文銘と窪んで彫られた陰文銘があり、鋳造と同時に作られた銘文を原銘、あとで彫られたものを追銘という[3]。中帯と下帯との間のスペースは「草の間」と呼ばれる。鐘身の撞木が当たる位置には通常2箇所の撞座(つきざ)が対称的位置に設けられる(まれに4箇所に撞座を設ける例もある)。撞座の装飾は蓮華文とするのが原則である。

和鐘の基本的形状は奈良時代から江戸時代まで変わりがないが、細部には時代色が表れている。梵鐘の時代を判別する大きなポイントの1つは撞座と龍頭[注釈 2] との位置関係である。奈良時代から平安時代前期の鐘では、2つの撞座を結ぶ線と龍頭の長軸線とは原則として直交している。すなわち、鐘の揺れる方向と龍頭の長軸線とは直交する。これに対し、平安時代後期以降の鐘においては龍頭の取り付き方が変化しており、2つの撞座を結ぶ線と龍頭の長軸線とは原則として同一方向である。すなわち、鐘の揺れる方向と龍頭の長軸線とは一致している(若干の例外はある)。また、奈良時代から平安時代前期の鐘では撞座の位置が高く、鐘身の中央に近い位置にあるのに対し、平安時代末期以降の鐘では撞座の位置が下がる傾向がある。

日本の著名な梵鐘

国家安康の鐘とその銘文(京都方広寺
東大寺鐘
栄山寺鐘
知恩院鐘

奈良時代の梵鐘

梵鐘研究家の坪井良平は、以下の16口を奈良時代鐘としている[4]

  • 千葉・成田市出土鐘(国立歴史民俗博物館蔵、重要文化財) 宝亀5年(774年)在銘
  • 福井・劔神社鐘(国宝) - 神護景雲4年(770年)在銘。制作年が明らかなものとしては日本で3番目に古い
  • 岐阜・真禅院鐘(重要文化財)
  • 滋賀・園城寺鐘(重要文化財) - 「弁慶の引き摺り鐘」の別称がある。
  • 滋賀・竜王寺鐘(重要文化財)
  • 京都・妙心寺鐘(国宝) - 戊戌年(698年)在銘。製作年が明らかなものとしては日本最古。国宝。徒然草にも登場する。
  • 京都・東福寺鐘(重要文化財)
  • 奈良・東大寺鐘(国宝)
  • 奈良・興福寺鐘(国宝) - 神亀4年(727年)在銘。製作年が明らかなものとしては日本で2番目に古い。国宝。現在は仮講堂に移されている。
  • 奈良・薬師寺鐘(重要文化財)
  • 奈良・新薬師寺鐘(重要文化財)
  • 奈良・法隆寺西院鐘(重要文化財)
  • 奈良・法隆寺東院鐘 旧・中宮寺鐘(重要文化財)
  • 奈良・當麻寺鐘(国宝) - 妙心寺鐘と並ぶ日本最古級の鐘(非公開)。
  • 奈良・大峯山寺鐘(重要文化財)
  • 福岡・観世音寺鐘(国宝) - 妙心寺鐘と同じ木型から造られた兄弟鐘。菅原道真が「都府楼は 纔かに瓦 色を看る 観音寺は唯鐘声を聴く」と歌ったことで知られる。

平安時代以降の国宝梵鐘

  • 神奈川円覚寺鐘 - 正安3年(1301年)在銘
  • 神奈川・建長寺鐘 - 建長7年(1255年)在銘
  • 滋賀・佐川美術館鐘 - 天安2年(858年)在銘
  • 京都・平等院鐘 - 三大名鐘の一つ「形」(所在:鳳翔館、現在鐘楼に吊られている鐘は複製) [注釈 3]
  • 京都・神護寺鐘 - 貞観17年(875年)在銘。三大名鐘の一つ「銘」。非公開。
  • 奈良・栄山寺鐘 - 延喜17年(917年)在銘
  • 福岡・西光寺鐘 - 承和6年(839年)在銘

その他の著名な梵鐘

  • 東京・浅草寺鐘(弁天山) - 「花の雲 鐘は上野か浅草か」(松尾芭蕉)の句で有名。
  • 東京・品川寺鐘 - 四代将軍徳川家綱寄進。幕末に万博出品されるも行方不明となり、昭和5年に返還された。
  • 愛知・久国寺鐘(天長山) - 芸術家・岡本太郎が製作。
  • 大阪・大坂町中時報鐘(大阪市中央区釣鐘町):寛永11年(1634)、徳川3代将軍家光が来坂した折、人心掌握と大坂振興のため、大坂三郷の地子銀(固定資産税)を永代免除する沙汰を出した。この厚遇に感激した惣年寄たちが評議し、家光の善政を顕彰するために鋳造。高さ1.9m、口径1.1m、重さ約3t。なお、鋳造を手掛けたのは藤原家次(釜屋宗左衛門)とされる。
  • 京都・方広寺鐘 - 重さは 82.7 t で日本一の重さと言われる。銘文中の「国家安康」の句が徳川家康の豊臣への怒りを買ったとされる。
  • 京都・知恩院鐘 - 日本一の大きさと言われる。
  • 熊本蓮華院誕生寺鐘 - 大きさ、重量ともに世界一[要出典]の大梵鐘がある。口径九尺五寸、高さ十五尺、重量一万貫。昭和五十二年鋳造。鋳造元は 岩澤の梵鐘
  • 和歌山県日高郡日高川町道成寺:梵鐘がないことで有名、安珍・清姫伝説に基づく。
  • 静岡・袋井市出土鐘 - 1983年に茶畑から出土した。平治2年(1160年)の銘があり、製作年が明らかな梵鐘としては日本で12番目の古さ[5]
  • 沖縄・万国津梁の鐘(重要文化財):1458年に琉球王国第一尚氏王統の尚泰久王が鋳造させた梵鐘。

文学の中の梵鐘

歌川国芳の「弁慶比叡山へ引き摺り上げる図」(滋賀県大津市三井寺所蔵)

梵鐘に関わる音楽

鐘楼

鐘楼(しょうろう・しゅろう)は鐘突堂(かねつきどう)、釣鐘堂(つりがねどう)とも呼ばれ、梵鐘を設置して撞く専用の建造物である。

製造者

  • 小田部鋳造
茨城県桜川市真壁町田45(江戸時代における常陸国真壁郡田村、幕藩体制下の常陸笠間藩知行田村。旧・茨城県真壁郡真壁町田)に所在。
創業800年(2010年代時点。※計算上では鎌倉時代の創業)。勅許御鋳物師(宮中から公用鋳造を許された鋳物職人[6])であり、関東で唯一の梵鐘メーカー。[7]
  • 老子製作所(おいご せいさくしょ)
富山県高岡市戸出栄町47-1(江戸時代における越中国礪波郡戸出村、幕藩体制下の越中加賀藩領分戸出村〈※時期で異なる〉。旧・富山県西礪波郡戸出町)に所在。
江戸時代中期(約200年前。2010年代時点)の創業。現在の社長は12代目。高岡は古くから鋳物の生産地として栄え、国内の銅像の9割、の7割を作っており、老子製作所は地域を代表する製造者である。広島の平和の鐘(老子次右衛門の作)、京都西本願寺の梵鐘、成田山新勝寺の梵鐘、ニューヨーク国際連合本部ビルにある「日本の平和の鐘」なども製造してきた。これまでに製作してきた鐘は大小あわせて2万をゆうに超えるという。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 発掘された古代遺物として編鐘は 有機音工房/編鐘のページ を参照のこと。ギャラリー中に示すウィキペディアのストック画像の編鐘は後世に楽器として製作されたもので、断面が杏仁形をしていない。
  2. ^ 鐘を吊るための上部の突起、フック。本来は蒲牢をかたどっている。詳細は蒲牢の項目を参照。
  3. ^ 1980年(昭和55年)11月25日発売の60円普通切手の意匠となった。

出典

  1. ^ 千々岩健児「古代の鋳物技術について」『生産研究』第9巻第9号、東京大学生産技術研究所、1957年9月、346-350頁、ISSN 0037105X 
  2. ^ 坪井 1993, p. 5.
  3. ^ a b 梵鐘の種類『館林郷土叢書. 第5輯』館林郷土史談館 編 (館林図書館, 1940)
  4. ^ 坪井 1993, p. 37-53.
  5. ^ (公財)元興寺文化財研究所 (2014年3月). “平治二年銘梵鐘調査報告書 -その1-” (PDF). 静岡県袋井市教育委員会. pp. 序,1,15. 2015年11月16日閲覧。
  6. ^ 板谷憲次「御鋳物師会と天明鋳物」(PDF)『素形材』第48巻第10号、一般財団法人素形材センター、2007年10月、32-35頁、2015年1月7日閲覧 
  7. ^ 会社概要”. 小田部鋳造株式会社. 2015年1月7日閲覧。

参考文献

関連文献

  • 安倍李昌『雅楽がわかる本』
  • 浦井祥子『江戸の時刻と時の鐘』岩田書院、2002年2月、ISBN 4872942434
  • 姜健栄『梵鐘をたずねて 新羅・高麗・李朝の鐘』アジアニュースセンター、1999年3月
  • 姜健栄『李朝の美 仏画と梵鐘』明石書店、2001年2月、ISBN 4750313734
  • 川端定三郎(編)『岡山の梵鐘』日本文教出版、1984年9月、ISBN 4821251124
  • 小泉功、青木一好(共著)『大江戸・小江戸川越時の鐘ものがたり』子どもと教育社、2001年8月、ISBN 4901313045
  • 坂内誠一『江戸最初の時の鐘物語』流通経済大学出版会、1999年2月、ISBN 494755312X
  • 笹本正治『中世の音・近世の音 鐘の音の結ぶ世界』名著出版、1990年11月、ISBN 4626013910 / 2003年3月、ISBN 4626016693
  • 坪井良平『梵鐘と考古学』ビジネス教育出版社、1989年10月、ISBN 4828308040
  • 坪井良平『梵鐘の研究』ビジネス教育出版社、1991年7月、ISBN 4828308059
  • 坪井良平『永遠に生き続ける文化遺産 歴史考古学の研究』ビジネス教育出版社、1984年10月、ISBN 482838409X
  • 坪井良平『忘れられた文化財を探る 梵鐘の研究』ビジネス教育出版社、ISBN 4828308059
  • 奈良国立文化財研究所編『梵鐘研究資料の集大成 梵鐘実測図集成』(全二巻)、ビジネス教育出版社、ISBN 4828308679
  • 長谷進『寒雉 鋳物師宮崎三代』能登中居鋳物館、2000年9月、ISBN 4833011190
  • 眞鍋孝志・花房健次郎(共著)、日本古鐘研究会編『梵鐘遍歴 霊場の古鐘をたずねて』ビジネス教育出版社、2001年10月、ISBN 4828308210 / 第二刷: 2002年4月、ISBN 4828308237
  • 吉村弘『大江戸時の鐘音歩記』春秋社、2002年12月、ISBN 4393934741

関連項目

外部リンク


梵鐘(台東区・浅草寺)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 06:29 UTC 版)

太田近江大掾藤原正次」の記事における「梵鐘(台東区浅草寺)」の解説

太田近江大掾藤原正次鋳造した初期の梵鐘は、東京都内では浅草寺台東区)、豪徳寺世田谷区)、感応寺(江戸川区)現存確認され、3口とも区の有形文化財工芸品)に指定されている。中でも代表的な梵鐘が浅草寺の梵鐘で、鐘身の高さが212cm、口径が152cmと3口の中では最も大きな鐘である。 浅草寺5代将軍徳川綱吉の命により元禄4年1691年)から大改修が行われ、梵鐘も元禄5年1692年)に太田近江大掾藤原正次によって改鋳された。同梵鐘は江戸時代から「時の鐘」として町民親しまれ、現在も毎朝6時に「明け六つ」の鐘が鳴る。 また同梵鐘は俳諧師松尾芭蕉が「花の雲、鐘は上野か、浅草か」と俳句詠んだことでも有名だが、この句は改鋳5年前貞享4年1687年)に詠まれた句である。

※この「梵鐘(台東区・浅草寺)」の解説は、「太田近江大掾藤原正次」の解説の一部です。
「梵鐘(台東区・浅草寺)」を含む「太田近江大掾藤原正次」の記事については、「太田近江大掾藤原正次」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「梵鐘」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「梵鐘」の関連用語

1
大鐘 デジタル大辞泉
100% |||||


3
78% |||||

4
78% |||||

5
78% |||||

6
78% |||||

7
78% |||||

8
乳座 デジタル大辞泉
78% |||||

9
撞座 デジタル大辞泉
78% |||||

10
袈裟襷 デジタル大辞泉
78% |||||

検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



梵鐘のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
防府市教育委員会防府市教育委員会
Copyright 2025,Hofu Virtual Site Museum,Japan
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの梵鐘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの太田近江大掾藤原正次 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS