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今月18日に発表される第159回芥川賞の候補作に選ばれた北条裕子氏の小説『美しい顔』に疑惑が浮上している。東日本大震災から半年後の2011年11月に出版されたノンフィクション作家・石井光太氏の『遺体 震災、津波の果てに』(以降、『遺体』と表記)に似た部分が複数あるというのだ。 山梨県出身の北条氏は『美しい顔』がデビュー作で、文学界の新たな才能として注目。『美しい顔』の主人公は東日本大震災で母親が行方不明になった女子高生。弟との避難所生活の中で揺れ動く心を迫真の筆致で描き、今年5月、講談社が主催する群像新人文学賞で今年の受賞作にも輝いている。受賞にあたって北条氏は「小説を書くことは罪深いことだと思っています。この小説はそのことを特に意識した作品になりました。それは、被災者ではない私が震災を題材にし、それも一人称で書いたからです」とコメント、さらに「私は被災地に行ったことは一度もありません」と
国文学研究が売れず、まだ国史研究が売れるのはなぜか? 国文学研究は日本文学研究と呼んでもいいし、国史研究は日本史研究と呼んでもいい。 かつて、それこそ元禄時代の学術出版が勃興した時、古典文学の注釈書的な書籍の出版は大きく花開いた。国文学研究は、学問のコアの1つであった。これも、幕末まで続いて、国文学の教養は、「市民」としての教養であったのではないか。 明治になり、文学は教養のコアと言うよりは、文学そのものとなり、そのもの自体が尊ばれるようになった。教養のコアというのは、政治家、学者、実業家でも歌舞伎や和歌や能楽などは知っていて当然の教養ということだ。(副専攻あるいは教養科目) それが戦後は女子教育の事業となり、文学研究は、自己批判・自己批評から、国や階級を代表するものではなくなって、一見使えないものという意味での教養に変わった。 大学は実学志向になり、女性も経営学部、商学部に行くようになり
土砂で押しつぶされた愚陀仏庵=12日午前10時17分、松山市一番町3丁目、田中誠士撮影崩壊前の愚陀仏庵=2008年2月、松山市一番町3丁目 12日朝、松山市の松山城の城山のふもとで土砂が崩れ、正岡子規、夏目漱石ゆかりの建物として復元されていた「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」(同市一番町3丁目)が押し流されて全壊した。松山市内では梅雨前線の影響で、12日午前6〜8時の間に降水量76ミリを記録していた。 愚陀仏庵は、漱石が旧制松山中学に赴任した時代の下宿先で、かつては市街地にあった。戦災で焼失し、愛媛県が1982年に復元していた。 同庵には一時、正岡子規が療養のために居候し、52日間漱石と同居したとされている。現在は、観光名所となっており、俳句愛好家が定期的に句会を開いていた。(田中誠士)
2009年08月05日 国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?(1) 初任者指導に携わるようになって5年目だというのに、 まことにお粗末ではずかしいのだが、近年、『あれっ。』と思ったことがいくつかある。 特活については、すでに記事にさせていただいた。 本シリーズでは、国語をとり上げる。 さて、近年、『あれっ。』と思ったことだが、(若干初めから分かっていたことも含む。) わたしが学級担任だった平成3年度までとくらべると、 ・授業で、子どもたちが原稿用紙に向かって作文を書くということがなくなってしまった。 ・物語が減った。それだけではなく、物語をどのように学ぶか、その学び方も、多くは変わってしまった。 ・音読発表会などをはじめとして、音読中心の学習がふえている。 ・『話す・聞く』の観点があるが、その単元が、『話す・聞く』の学習になっていないのではないか。 などである。 ここで、もう一つつ
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鎌倉期の歌人で新古今和歌集の選者だった藤原定家(1162−1241年)が、定家のめいで当時を代表する女流歌人、俊成女(むすめ)(生没年未詳)の歌を書き取った新しい断簡(原本の1ページ)が旧伯爵家の旧蔵品から見つかった。この断簡は、途中で文意が途切れ、長年意味不明とされていた東京国立博物館(東博)所蔵の「藤原定家筆歌合切(うたあわせぎれ)」の一部と判明。約800年の時を超えた貴重な史料として注目を集めそうだ。(牛田久美) 東博の歌合切は、後鳥羽院歌壇を率いた藤原俊成の養女が、やはり新古今集の選者だった夫の源通具(みちとも)と結婚後の蜜月期に2人だけで行った詠み比べを、定家が書き留めて批評している。定家が若いころの数少ない自筆の書で、王朝風の流麗な書風に特徴があるという。 他に写本や注釈書がなく貴重な文学資料と注目されているが、批評の6行目から突然、「荻(おぎ)の上葉(うわは)」「小野の篠原」
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