昨年9月に75歳で亡くなった俳優の樹木希林さん。数々の作品と共に、病を得て生き、率直に死を語る姿に、多くの人が心ひかれました。母の生き様、死に様を、最も近くで見守った一人娘の内田也哉子さん(43)に…
9月30日に行われた葬儀では、生前に希林さんと親交のあった吉永小百合さんや北大路欣也さんら関係者が多く参列しました。 ファン1500人も参列した希林さんの葬儀の喪主は、ロックミュージシャンの内田裕也さん。 その影響もあったのでしょうか。 最後の挨拶は体調不良を理由に、希林さんと内田さんの娘である内田也哉子さんが行いました。 そこで明かされたのは、1974年に内田さんが希林さんに宛てた手紙の存在…その内容に、娘である也哉子さんは絶句したといいます…。 樹木希林さんと内田裕也さんの関係 1973年10月に内田さんと結婚した希林さんでしたが、約1年半で別居。 以来、離婚こそしないまでも、一緒に住むことはない婚姻関係を40年以上も続けていました。 周囲から見ると「なぜ離婚しないのか」と不思議に感じることもあるでしょう。娘である也哉子さんも、2人の関係に困惑し、希林さんを問い詰めたことがあったといい
「全身がん」を公表していた女優の樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子)さんが15日に死去したことが16日、分かった。75歳だった。シリアスからコメディまでこなせる個性派俳優として活躍する一方、2012年に、がん体質であることを指す「全身がん」を公表。04年の乳がん発症以降、約20か所のがんと闘ってきたが、ついに帰らぬ人となった。 20代からおばあちゃんを演じ、コメディからシリアスまで、変幻自在の演技で日本を代表する演技派女優として活躍した希林さんが静かに旅立った。 関係者によると、希林さんは15日午前2時45分、家族に見取られながら、静かに息を引き取った。葬儀は同30日に東京都港区南麻布の光林寺で営まれる。 今年8月13日に知人宅の外階段で転び、左大腿骨を骨折。娘の内田也哉子(42)に付き添われて病院に行き、同15日に足にチタンを入れる手術を受けた。也哉子の夫で俳優の本木雅弘(52)は同
【#withyou ~きみとともに~】 役者の樹木希林さん(75)が、生きづらさを抱える人たちに、直筆でメッセージを寄せてくれました。2013年の日本アカデミー賞授賞式で、全身がんであることを公表した樹木さん。以降も、治療を続けながら、精力的に役者業を続けていらっしゃいます。そんな樹木さんから編集部に届いた電話は、意外なものでした。(朝日新聞記者・松川希実) 【画像】樹木希林さんの直筆メッセージはこちら。「こんな姿になっても…」 編集部が樹木さんにインタビューを申し込んだのは7月中旬。それから約1週間後、突然、樹木さんご本人から、編集部に電話がありました。「ずっとずっと考えていて、お返事が遅くなっちゃったの。ごめんなさいね」 数々の女優賞を受賞している樹木さん。映画などで聞き慣れた気さくな口調は変わりませんでしたが、一言一言考えながら、「どうしたら伝わるのかしら。本当に無力よね、まったく書
キミとどたばた 文筆家・内田也哉子さん 19歳で結婚。21歳で長男雅樂(うた、20)を出産しました。夫は細やかに育児を手伝ってくれましたが、仕事で不在がち。子どものニーズにこたえ続ける毎日を過ごすうちに「自分を捧げてなくなるような感覚」になり、育児ノイローゼ寸前まで落ち込みました。 我が家は、孫が多様な価値観に触れて育つ方がいいという母の提案で二世帯住宅です。そこで、身近にいる母に相談したら「私は日々忙しすぎて自分の不安と向き合う暇さえなかった。全然分からないわ」と一蹴されました。 そんな頃、ある人から「何か書いてみて」と原稿用紙とペンが送られてきた。まずエッセーを書き、会いたい人と対談して印象に残ったことを書くようになりました。自分ってなんだっけ? と考える時間に救われました。家族以外の人と出会い、社会とつながることが私には必要だと分かりました。 長女伽羅(きゃら、18)の時は母乳がでな
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