大阪には飛田新地という、現在でも遊郭という歴史的固有名詞の雰囲気を色濃く残す色街があります。往年の遊郭の面影を残す場所として不思議な魔力を持ち、近年は「観光地」としての顔も出てきましたが、「現役」だけにその扱いを頑なに拒否している秘められた場所でもあります。 そこにはかつて、「壁」が存在していました。今回はその「壁」を探す旅、Finding the wallなるものをやってみたいと。 英語で書くと無駄に格好いいですが、あまり知られていない飛田新地の近代史の顔を。 飛田遊郭Google Earthから切り取った飛田新地あたりの俯瞰図。赤で塗った部分が、元々の飛田新地の範囲です。 飛田新地が出来たのは、第一次世界大戦が終わった大正7年(1918)、今の難波駅の北にあった「難波新地」が火災で全焼し、その乙部、つまり遊郭部門だけ郊外の飛田に移したことが始まりです。 「郊外」って…めちゃ市街地やん!