トータリタリアニズム(totalitarismo)という単語は、1923年にジョヴァンニ・アメンドラによって初めて用いられた[4]。第一次世界大戦で登場した「総力戦」(total war)の用語の連想から生まれたとされる。 ジョヴァンニ・ジェンティーレは全体主義者を自称した。1929年11月2日の「ロンドンポスト」は、ベニート・ムッソリーニ体制下のイタリアを最初に「全体主義国家」と呼んだ。1932年のザ・ドクトリン・オブ・ファシズムではイタリアのファシストが「全体主義」を肯定的な意味で使用した[要出典]。 エンツォ・トラヴェルソは著書「全体主義」で、「全体主義」という用語と概念の歴史を以下のように整理し、時代によりさまざまな異なる概念を入れる「容器」として機能した、と記した[4]。 1923年、ジョヴァンニ・アメンドラによって初めて用いられた「全体主義」という用語は、反ファシズム陣営で使用
ロシア、政権批判や戦地の声遮断 ネット検閲の実態流出 2023年02月09日20時31分 ロシアのプーチン大統領=8日、モスクワ(AFP時事) 【ベルリン時事】南ドイツ新聞と独立系のロシア語メディア「バージニエ・イストーリー」は8日、ロシア当局によるインターネット検閲の実態について報じた。プーチン大統領への批判やウクライナでの民間人殺害情報などを組織的に遮断。政権の描くプロパガンダの浸透に重要な役割を果たしているもようだ。 ロシア兵「1日で最多死者」 東部で激戦続く―ウクライナ ベラルーシに拠点があるとされるハッカー集団が昨年11月、ポルノや暴力描写といった違法コンテンツを取り締まるロシア通信監督当局に関連するメールや報告書など200万点以上の内部文書を漏えいさせた。 南ドイツ新聞などが内容を調べたところ、同当局が、「民間人の殺害」「ロシア経済の危機」といったテーマに関する通信アプリ「テレ
ロシア、「併合」決定 プーチン氏、条約調印―ウクライナ東・南部4州 2022年09月30日23時12分 30日、モスクワのクレムリンで、ウクライナ東・南部4州の併合を正当化するロシアのプーチン大統領(AFP時事) ロシアのプーチン大統領は30日、ウクライナ東・南部4州の占領地のロシア併合を決め、クレムリン(大統領府)で演説後、親ロシア派と「編入条約」に調印した。ウクライナ侵攻開始から7カ月での「力による現状変更」で、ゼレンスキー政権をけん制。同様の試みは、2014年のウクライナ南部クリミア半島併合以来となる。編入条約は10月初めに上下両院で批准される見通しだ。 予備役動員と住民投票が生む危険なエスカレーション プーチン氏の頭をよぎる「悪魔の選択」【解説委員室から】 プーチン氏は演説で、ウクライナで戦死した自国兵らを「英雄」とたたえ、黙とう。ゼレンスキー政権に対しては、戦闘の即時停止と交渉へ
習近平が「米国排除」へ…! “ロシア“弱体化”のウラで「反米同盟」強化で、日本、韓国、シンガポールが「中国と決別する日」…! 9月15~16日に行われた上海協力機構(SCO)首脳会議(サミット)では、習近平が2年8ヵ月ぶりに中国をはなれて外遊に出たこと、プーチンが習近平と会談することで注目を浴びたが、じつは“本当の注目点”はそこではない 今回のSCOにおいては、いま習近平の焦りが如実に明らかになった点が重要だ。 習近平の肝いりで、党規約にまで盛り込んだ「一帯一路」プロジェクトが資金ショートでとん挫し、また「債務の罠」という批判を国際社会から浴び、チャイナ・マフィアがプロジェクトに入り込んでオンライン詐欺や麻薬密売、人身売買にも利用されているということが暴露され、そのイメージは落ちるところまで落ちた。 これを立て直すことが、いま習近平にとっては権力維持のために必要なのだ。このため、習近平は昨
尼港事件を起こした赤軍パルチザン幹部の集合写真 エストニアの反ソビエトパルチザン「森の兄弟」の司令官アンツ・カリュランド(英語版)、内務人民委員部に逮捕された後に撮影 パルチザン(英: partisan)とは、他国の軍隊または反乱軍等による占領支配に抵抗するために結成された非正規軍の構成員である。英語ではレジスタンス運動の一部にも適用される。第二次世界大戦中のナチス・ドイツやファシズム時代のイタリア(英語版)の支配に抵抗した各国の抵抗運動がその例である。 イタリア語のpartigianoからきたフランス語で、占領軍への抵抗運動や内戦・革命戦争といった非正規の軍事活動を行なう遊撃隊[1] およびその構成員[2] を指す単語である。ゲリラの類義語である[3][4]。 ラテン語由来の、「partisan」というフランス語が初めて現れたのは、17世紀において戦争を支持する党派の指導者を指すために用
スーチー氏に禁錮4年 「恩赦」で2年に減刑―初の判決、刑長期化必至・ミャンマー 2021年12月06日23時21分 ミャンマーのアウンサンスーチー氏=2019年12月、オランダ・ハーグ(AFP時事) 【バンコク時事】ミャンマーでクーデターを強行した国軍が設置した首都ネピドーの特別法廷は6日、アウンサンスーチー氏(76)に対し、社会不安をあおったなどとして禁錮4年の有罪判決を言い渡した。クーデターで拘束されたスーチー氏への判決は初めて。判決言い渡し後に国軍のミンアウンフライン総司令官が恩赦を与え、禁錮2年に減刑された。 スーチー氏有罪「不当」 米欧が非難 国軍報道官によると、スーチー氏は現在の拘束場所で刑期を務める。刑務所には送らず、軟禁状態が続くとみられる。恩赦が与えられたとはいえ、スーチー氏は10件以上の罪で訴追されており、刑期が長期に及ぶ可能性が高い。 特別法廷は、スーチー氏がクーデタ
戦争論 カール・フォン・クラウゼヴィッツ 徳間書店 1965 2001 Karl von Clausewitz vom kriege 1832 [訳]淡徳三郎 世界は戦争の歴史である。戦争が世界をつくり、世界は戦争と暴力で成立してきた。世界は味方と敵に力をねじこまないかぎり成立できなかったのである。 戦争には憎悪や軽蔑が伴うこともあるが、実際に勝敗を決めるのは取引と駆引と差引である。戦争は相手をこてんぱんに打倒することなのに、そのプロセスの多くが頻繁な取引と巧妙な駆引と功利的な差引で埋まっている。 むろん軍事兵器と兵力がものを言う。かつては鉄砲があれば勝てたし、機関銃や戦車は戦争の様相を変えた。けれども核兵器や化学兵器をもっているからといって、これは使えない。戦場は限定されるのだ。限定される戦場は、第三者が見守るサッカーのピッチや野球のグラウンドや格闘技のリングのようなものではない。どこが
太平天国の玉璽 天王の玉座 天王府のミニチュア 岳州の戦い 田家鎮の戦い 武昌の戦い 安慶の戦い 長江での太平天国軍と清軍との戦い 太平天国の乱(たいへいてんごくのらん)は、1851年に清で起こった大規模な反乱。洪秀全を天王とし、キリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国(たいへいてんごく)によって起きた。長髪賊の乱ともいわれる。 以下、暦日は、断りがない限りグレゴリオ暦による。清の時憲暦や、太平天国が独自に制定した天暦による暦日を特に記す場合は、その旨の元号による年表記と共に記す。 広東省広州府花県の客家出身である洪秀全はたびたび院試(科挙の初期段階)に失敗したため、約40日間病床に臥せていたが、その間不思議な夢を見たという。その夢とは、上帝ヤハウェと思われる気品漂う老人から破邪の剣を与えられ、またイエスらしい中年の男から妖を斬る手助けを受けたというものだった。洪秀全は病が癒えてから広州に
【地球コラム】本質は王室改革 2020年11月15日17時00分 バンコク中心部で開かれた反政府集会に臨む市民ら=2020年10月25日、バンコク【時事通信社】 ◇激しさ増すタイ民主化運動 いよいよ10月半ばから学生たち主体のタイの民主化運動が佳境に入ろうとしている。反軍政の姿勢を明確にし、若者らの熱烈な支持を受けて第3党にまで躍進した民主派新党の新未来党が、今年2月に憲法裁判所によって解党された。このことへの反発が運動の契機となった。大学生らが各大学校内などで競い合うように反政府集会を展開し、全国的な盛り上がりを見せつつあったが、3月以降、新型コロナウイルス禍により全国に非常事態宣言が適用されたことで、集会が実施できなくなり、いったん沈静化した。その後6月にカンボジアを拠点に活動していたタイ人反政府運動家のワンチャルーム氏が何者かに拉致され、失踪したことを機に、学生らの街頭集会が再開され
香港の自治縮小、台湾攻撃を警告~習政権、統一問題で強硬姿勢~(上) 中国全国人民代表大会に出席した習近平国家主席=2020年5月25日【AFP時事】 中国の習近平政権は一国二制度を適用してきた香港について、国家安全保障関係の変則的立法により反中的な政治活動を全面的に規制し、「高度な自治」を事実上大幅に縮小する方針を決めた。台湾に対しても、中国本土との統一実現のため武力を行使する可能性を警告。国家統一に関わる香港、台湾問題の両方で強硬姿勢をあらわにした。 「一国二制度に死刑判決」 香港で接触した中国の情報当局者から香港行政長官選挙制度の民主化を求めた雨傘運動(2014年)について「外国の介入が主因だったのではないか」と真顔で聞かれ、驚いたことがある。彼は自信に満ちた顔で「われわれはもはや、(中台統一のため)香港の一国二制度をうまく運営して、台湾に見せようとは考えていない」と話した。当時は「個
シリアにおける内戦は、2011年にチュニジアで起きたジャスミン革命の影響によってアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つであり、シリアの歴史上「未曾有」のものといわれている[16][17]。チュニジアのジャスミン革命とエジプトの民主化革命のように、初期はデモ行進やハンガーストライキを含む様々なタイプの抗議の形態をとった市民抵抗の持続的運動とも言われた[18]。 初期の戦闘はバッシャール・アル=アサド政権派のシリア軍と反政権派勢力の民兵との衝突が主たるものであったが、サラフィー・ジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線とシリア北部のクルド人勢力の間での衝突も生じている[19]。 その後は反政権派勢力間での戦闘、さらに混乱に乗じて過激派組織ISILやアル=ヌスラ戦線、またクルド民主統一党 (PYD/Partiya Yekitiya Demokrat) をはじめとしたシリア北部のクルド人勢力ロジャヴ
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