ビスマルク体制とフランスの孤立 ビスマルク体制(ビスマルクたいせい)とは、19世紀後半にドイツ帝国宰相ビスマルクの築いたヨーロッパの外交・同盟関係のことで、ビスマルク外交ともいう。この体制の間、フランスは孤立することとなった。 普仏戦争後、プロイセン王国は自国主導でドイツ人地域をまとめあげ、プロイセン王家が帝位に就くドイツ帝国を成立させることに成功した。しかし大国フランスに完勝したとはいえ、多数の領邦国家からなる帝国は、成立直後は当然不安定であり、プロイセン主導の統一国家が出来上がったばかりのドイツは再び近代戦争を戦える状態ではなかった。また、新興国のドイツ相手に屈辱的な敗北を喫したフランスからの復讐を警戒する必要もあり、こうした状況に応じてとられたのがビスマルク体制である。 この政策の最大の狙いは、ドイツがヨーロッパ諸国と同盟を結んで良好な関係を築き、外交的にフランスを孤立させることにあ